みそ文

脱水機マッサージ

 土曜日の朝、夫は山に行った。お昼すぎには帰宅して少し昼寝をする。午後三時半くらいに隣県の温泉施設に二人で出かける。高速道路で数十分の走行で四時半前には施設に到着。少し移動しただけだけれど、気分は小旅行。

 受付で日帰り入浴料金を払おうとするとフロントの人が「日帰りバイキングのご利用ですねー」と言う。「いえ、入浴と落語だけです」と伝える。

「ではお一人様五百円ですので、お二人で千円となります」
「あれ、五百円なんですか、六百円だったような」
「はい、本日は二十六日、風呂の日で五百円なんです」
「そうなんですか、では、これで」

 千円札を一枚出して、引換に半券か何かもらうつもりで待つが、「では、どうぞごゆっくり」と言われる。

「あの、引換券かなにかは」
「ないんですー」
「そうですかー、ないんでしたっけー」

 これまでも何度か利用している施設なのだが、領収証にあたるものをそういえばもらったことがないような、ないような。

 夫が車を少し遠くの施設専用駐車場に駐めてから入ってくるまで入口近くの台に座って待つ。夕方だから宿泊チェックインのお客様の入館が続く。入り口を入ったところに「本日風呂の日」の看板が立ててある。通常は日帰り入浴とバイキング利用で大人一人三千八百円のところが風呂の日は二千六百円なのだそうだ。看板に目を留めた人たちが「わーこれはオトクだなー」と感嘆の声を上げる。

 夫が歩いて入ってくる。「先にお金払ったよ」と伝える。「今日は風呂の日なんだって。それからね、お金払ったけど半券も何もなかった、そういえばこれまでもそうだったっけ」と言うと、夫は「ああ、二十六日か。半券なくてもノーチェックで無料で入り放題でもまあ別にいいんやろうなあ」と言う。入浴だけの日帰り客は頭数としてあまり重要視していないのかもなあ。

 夫が大浴場で入浴する間、私はマッサージチェアでくつろぐ。二百円を投入して身を預ける。見た目は上等そうなマッサージチェアなのだが、実際に揉んでもらってみるとその振動が「もしや、この動力は、洗濯機の脱水機?」と思う動きと音。気持ちいいのは気持ちいいのだが微妙に自分の気分が洗濯物。二百円で十五分のマッサージが終わる。日帰り休憩室に移動してペルシャ語の勉強を始める。そうだ、そのまえにハガキを書こう。そうこうしているうちに夫が大浴場から戻ってきて「山からおりて大浴場で身体を伸ばしたら、身体のどの部分の筋肉が疲労してるかがよくわかる」とちょっと発見気味に言う。「家のお風呂ではこんなに脚を伸ばして点検できないから気づいてなかったけど、けっこう、あ、こここわばってる、ってとこがあった」とのこと。

 落語の演目はひとつつ目は「天狗裁き」。おもしろい、おもしろい。ふたつめは「始末の極意」。上手上手おもしろい。

 はてさて。今回本当は「神は細部に宿る」に関する話を書きたかったのが、それはまた次の日記にて。     押し葉

ぼんてんの動き

 テレビでゴルフを見ていた夫が「ゴルフのあれも『ぼんてん』かな」と言う。ゴルフのあれというのは、ゴルフボールが入る穴に立ててあるポールと旗のことのようだ。

「いや、ゴルフは外国からきたスポーツだし、あえてあのポールと旗を『ぼんてん』と名付けてはいないんじゃないかなあ」
「刺し網は日本独自のものか?」
「たまたま韓国でも刺網があるのは今回知ったけど、世界的にどの地域独特の漁法なんかは知らん」
「ただのポールと旗なんて、そんな、ひねりのない」
「ゴルフの世界はひねりは別に求めてないんじゃないかな」
「刺し網の世界はあれだけひねってるのに? あの旗のことをぼんてんと呼ぶなんてひねりまくりじゃん」
「ひねってそう呼んだのか、何かが便利でそう呼んだのか、なんか背景はあるんじゃろうけど。なんとなく『ぼんてん』は、そこに固定されたものではなくて、ふわんふわんと動いたり移動したりするものに名付けられてる気がするなあ」

 ゴルフのポールと旗もまあ持ち運び可能ではあるのだけど、ふわんふわんとはしていないと思う。梵天耳かきの梵天と刺網漁のぼんてんは(刺し網漁のぼんてんの実物はまだ見たことがないけど)その動きがふわんふわんとしている気がする。そういえば旗はハタハタとはしていてもふわんふわんとはしていないなあ。     押し葉

梵天仲間

 いまさらながらに気づくことであるよ、なのだが、「刺網」という漢字を韓国語で音読みすると「チャマン」なのであるなあ。昨日の赤い布の画像に書いてあった「沿岸刺網」の音読みそのまま「ヨンアンチャマン」と書いてあったその「チャマン」の漢字が「刺網」であることには今になって気がついた。

 ところで「ぼんてん」といえば、耳かきの先についている白いフサフサの綿毛部分のこととしてこれまでは理解していた。しかし、今回刺し網漁の標識も「ぼんてん」であることを知り、そもそも「ぼんてん」ってなんだっけ、たしか仏様の名前にそんなのがあったような気がするな、と思って調べてみる。

 梵天様は帝釈天と並んで登場することが多い仏教のかみさまで、その御姿を見ると、なんと、手に長い棒を持っている。そしてその棒の先っちょにはなにやら丸い塊のようなものが付いているではないか。これは棒の先に香炉をつけた「柄香炉(えこうろ)」と呼ばれるものであるらしい。お香を振り回してお祓いするときなどに便利な道具なのだろうか。もしかして長い棒の先に何か付いたものを「梵天」と呼ぶのはここから来ているのかしら。

 そして「梵天(凡天)」は祭具のひとつでもあるらしい。長い棒の先に御幣がついたものを「梵天」と呼ぶ。それが転じて、長い先にふわふわがついたものも「ぼんてん」と呼ばれるようになり、だからふわふわのついた耳かきは「凡天耳かき」なのだな。そして、さらに転じて、延縄や刺網などの漁場で浮かべておく標識(長い棒の先に旗状のものをつけたもの)も「ぼんてん」と呼ばれる、と。

 ほほう。ふふむ。これまでは「ぼんてん」といえば耳かきの凡天しか知らなかったけど、なんだかいろいろ梵天仲間のつながりがあるのだなあ。     押し葉

刺し網ぼんてん

 昨夜夫が私に「大川からのメールで、韓国語を訳してもらえないでしょうか、って頼まれてるんだけど」と私に言う。大川さんというのは夫の元同僚というか同期入社の仲間で、大川さんはその後退職して現在は故郷で別の仕事に就いている。私が「短くて簡単なものならいいよ」と答えると、夫は「じゃあ、そうメールしとく」と言う。

 今日の夜になって夫が「大川からのメールの韓国語来た」と言う。

「じゃあ、私に転送して。見てみて翻訳文書くから」
「転送する必要はないと思う。おれのパソコンの画面で見てくれたら。文書じゃなくて画像だし」

 夫のパソコンの画面には、なにやら赤い旗のようなものの画像が。たしかにその旗のような布に書かれているのはハングルだが。

「なにこれ」
「いや、それがなんかわからんから教えてほしいらしい。なんなんやろうなあ。大川の説明では、ゴールデンウィークに鳥取県に旅行に行って海岸線を歩いていたら『密入国は絶対ダメ』っていうような看板があって、あやしいなあ、と思ってさらに歩いてたらこの韓国語の書いてある赤い布を見つけたって。竹には根っこも付いています、って書いてある」
「竹? ああ、旗をつけている棒の部分が竹なのね。根っこが、ほうほう、なるほど付いてるね。でも知りたいのはこの赤い布に書いてある文字の意味なのね」

 ハングルは表音文字なので音をとって読むこと自体はハングルが読めさえすれば読めるのだが、その意味がわかるかというとそういうわけではない。とりあえず書いてある文字を音読するが、私が使う韓国語彙としては馴染みの少ない言葉のようだ。

「うーん、なんだろ。この大きな文字の最後の『ホ』は一号二号だとか船の名前なんかについてる号だと思うんだけど、あと沿岸なんちゃらとか書いてあるけん海関係のなにかかなあ。辞書を持ってくる前に、グーグル翻訳にかけてみるね」
「うん、うん」
「でもさ、大川さんもハングルの読み書きは勉強したことあるんだから、グーグル翻訳使うのは私じゃなくて大川さん自分でもできるよね、きっと」
「でも、大川はそんなにそこまではできんと思う。まあ、やってみて」

 グーグル翻訳の元の言語を韓国語に設定する。赤い布に書いてある文字を順番に入れる。うーん。日本語翻訳部分にはハングル表記そのままの音がカタカナ表示されるだけだなあ。ということは固有名詞か地名かしらねえ。そうして順に入力していたら『沿岸刺網』という日本語が表示される。夫が「あっ。刺し網だ」と言う。

「なになに? 刺し網ってなんなん?」
「漁の方法のひとつ。こう網を海の中にぐるうっと浮かべるんだけど、それこそグーグルで検索したら?」
「わかった。とりあえず書いてある文字を最後まで入力してみるね」

 そのあとの文字はすべてカタカナで表記されるから、これらはきっと固有名詞地名人名ね、と判断する。そして沿岸刺し網という語彙から、ホはやはり海関係船関係の号であろう、ハンは港のハンだね、と判断する。それから『刺し網』を検索する。

「ひゃあ。刺し網ってこんな漁法のことなのねえ。あっ、見てみて。ほら、この説明の絵のここに付いてる赤い旗、大川さんが送ってきた画像と似てるよ」
「どれどれ、ほほう、ほんまや、もろそのものやなあ」
「ええとね、この赤い旗は『ぼんてん』っていうものなんだって。刺し網漁の網の持ち主などを示す標識だって。へえー。刺し網なんて言葉、日本語でもその言葉と意味を知らないのに、韓国語で知ってるわけないじゃんねえ」
「刺し網は知ってたけど、ぼんてんは知らんかった」
「ということは、この最初の文字は港の名前、その横は沿岸刺し網、その下の大きい文字が網元さんかな船主さんかなの船の名前ね、その下はたぶん個人の名前だと思う、イ・ジョンファンさんかな、その下の数字の番号はなんだろ許可番号か識別番号かなんかそんなんかな。港の名前は漢字で書いたらこうらしいよ(その地名を検索したら出てきた漢字)。へえ、慶尚北道のこのあたりにこの港はあるのねえ(韓国地図を眺めながら)」
「へえ、この位置からなら、まあいろいろ流れてくるわな」
「いやあ、刺し網って初めて知ったわあ、ぼんてんも」
「この標識の旗を網のブイにくっつけて浮かべとくんやろうな。網の所有者がわかるように」
「で、大川さんの画像のやつは、それが漂着したものなんじゃね」
「へえ、そういうことなんやなあ。ありがと。じゃ、メール書くわ」

 そう言って夫は大川さんに「これは『刺し網漁』の『ぼんてん』という標識で、それぞれの文字は港の名前、沿岸刺し網、船の名前、個人の名前、の順のようです」という意味のメールを書いて送る。しばらくしてから夫が「大川からまたメール来た。ありがとうございます、だって。すぐに読めるだけじゃなくて意味までわかるなんてすごいですね、って書いてある」と言う。

「いや、だから、すぐには意味はわからんかったじゃん。私、刺し網がなんのことか知らんかったし」
「おれは刺し網は知ってた」
「でも『ぼんてん』は初めて知ったね」
「うん。それからメールにはこう書いてある。『素材がしっかりとしたビニール製のものだったので北側ではなく南のものだろうとは思いましたが、暴風雨で飛ばされた道路標識か何かかと思っていました』」
「道路標識に竹とビニールは使わんやろう」(夫と私二人同時に言う)

 本日の学習。『刺し網』という漁法がある。その刺し網漁で用いる標識の旗の名前は『ぼんてん』。そして切った竹は水に浸けておくと根を生やす、の、か、な?     押し葉

落語の前に思い出す

 土曜日にはお天気さえよければ山に行きたい夫が「今週末も晴れそうだなあ」と気象情報を見ては顔をほころばせる。

「そうそう、どうやらくん、私、今度の土曜日ね、今のところお休みの予定なんじゃけど、よろしければ一緒に落語に行くなどいかがですか」
「それ、いいねえ、賛成賛成」
「でも土曜日お天気よかったら山に行くんじゃないの?」
「うん、行く。帰ってきてから落語に行く」
「そうじゃね。落語は夕方からじゃしね」
「山からおりてきて、落語を見る前に温泉に入ったら筋肉疲労もとれるし、いいじゃん、いいじゃん」
「そっか、そうじゃね」

 私たちが落語に行くのは、隣県のとある温泉施設。一人六百円の日帰り入浴料金で入浴と寄席の両方がたのしめる。もちろん入浴だけの利用でもいいし、寄席だけの利用でも可。寄席では落語がふたつのこともあれば、マジックと落語や曲芸と落語のときもある。

「そういえば、土曜日といえば、五月二十六日ということは、もしかして、私たち、結婚記念日? 記念日のお祝いに落語になるのかな」
「結婚記念日は、えーと、二十六日土曜日じゃないぞ」
「あれ、ちがう? そうか。二十六日じゃなくて二十三日だっけ」
「うん、そう、五月二十三日。水曜日」
「それって、もしかして、明日?」
「おおっ。そうじゃ。明日じゃ」
「ええと(指を折り曲げて数をかぞえる)、結婚して十八年が経った、の、か、な」
「そのようだ」
「そのようじゃね。おめでとう、おめでとう」
「おう、おう、おめでとう、おめでとう」

 思いがけず結婚記念日前日に結婚記念日を思い出し、前夜祭をお祝いできた。明日は結婚記念日のあいさつをするのを思い出そう。     押し葉

洗濯物を取り込む

 夜帰宅して夕食を食べている時に夫が「今日日蝕見た?」と言う。

「ううん。見てないけど、昼間仕事中も別に暗くなったかんじはしなかったよ」
「昼間じゃないよ。朝七時半頃」
「あっ、それなら、そういえば、なんか暗くなったかも。朝、あれー、今日はずっと晴れだと思ってたのに雨になるんだったっけ、と思ってパソコンで天気予報見て、うーんやっぱりずっと晴れか曇りで雨はないじゃんねえ、と思って、それでも一応ベランダの洗濯物は取り込んでから出勤したほうが安心かなー、昨日の夜どうやらくんが洗濯物外のぶん干したじゃん(サンルームに干すほうは私が干した)、まあ一晩で乾いてるんだけど、今日の昼間は一日干しとくつもりじゃったけん、それを予定変更して取り込んでから仕事に行った。あの暗くなったなあ雨になるんかなあ、と思ったのが実は日蝕じゃったんじゃね」
「おれは会社で見た。でも肉眼ではとてもじゃないけど眩してく見られんかったけん、安全ピンで穴を開けた紙で太陽の光を遮って自分の手のひらに映して見た。三日月みたいな形じゃった」
「へえ、そうなんだー」
「前の日蝕のときには曇っとったけん肉眼で雲越しに欠けた太陽の形が見えたんだけどなあ」
「前の日蝕っていつ?」
「うーん、二年くらい前かなあ? あのときは沖縄だと皆既日蝕で見えたんじゃないかな」
「あー、なんかそんなことあったような気がするねえ。そのときもどうやらくんは仕事中じゃったん?」
「うん。会社で見た」
「私全然記憶ない。寝てたんかもしれん」
「そうかもしれん」

 太陽が丸くても欠けてても、洗濯物が無事ならば私はそれで満足。     押し葉

夕ごはんのそのあとに

 甥のむむぎーが小学校五年生か六年生、つまり、姪のみみがーが小学校四年生か五年生の頃に、私が広島帰省したときの記憶。

 夕食の前に食卓の上にみみがーが全員のランチョンマットを敷く。むむぎーがその上に取り皿を食器棚から出してきて並べる。食事が済んだら二人はそれぞれに自分の食器を重ねて流し台に運ぶ。そのあとはソファに座って遊んだり話したり。

 私がふと母に「むむぎーもみみがーもいろんなお手伝いができるくらいに大きくなったんじゃねえ、と思ったけど、考えてみたら、かあちゃんは私が小学校三年生のときにはもう、食後の家族全員の皿洗いとそれを拭いて食器棚に片付けてから、生ゴミを処理して、翌朝のお米をといで炊飯器にセットして、シンクの周りの水気を拭き取る、という食後の片付け一式をさせてたよねえ」と思い出して話す。

「そういえば、そうじゃったねえ」
「今、むむぎーとみみがーが食器さげてごちそうさましようるのを見て、あれくらいの年の子よりももう少し小さい年の私が、ようそんなことしてたなあ、というか、かあちゃんもよくそれだけ仕込んだなあ、と思って。子どものやることじゃけん不備も多かったじゃろうによく根気よく教えたよねえ」
「ほんまじゃねえ、でも仕込むもなにも、あの頃は、会社をやっていこうと思ったら、そうせんにゃあ回らんかったんじゃろうねえ」
「おばあちゃんもまだ若かったけんいろんな家事をしようたはずじゃけど、かあちゃんの立場的におばあちゃんには気兼ねで言いづらいことでも子どもになら言いやすいところもあって、少々面倒くさいても仕込んだほうが結果ラクじゃったんかもしれんねえ」
「それはあったかもしれんねえ」
「高校卒業して家におらんようになるまでずっとやってたよねえ。私が中学以降の試験中なんかのときは小学生のしめじとやぎ(弟と妹)がいつでも代行できるくらいには仕込んであったしねえ。あの頃はそんなもんだと思ってたけど、むむぎーとみみがーを見てたら、あんな小さい子がやってたのかあ、と思って」
「ほんまじゃねえ、むむぎーやみみがーには無理じゃろういう気がするねえ」

 そこでゆなさん(むむぎーとみみがーの母、弟の妻)が「そんなの無理無理。島(ゆなさんの実家)に行ったときなんかああやって食器を流しに運ぶだけでもうちのおかあさんなんかあの子らのこと『天才じゃ』言うのに、そんな洗い物やら片付けやらなんかした日には『神童』か『神』扱いになると思う」と言う。

 むかしは家電製品の発達が今ほどではなかったぶん子どもの人手が家電製品に相当していたのかなあ。でも私と同年代の子らが同等の家事手伝いというか家事担いをしていたかというとそうであったわけではないから各家庭ごとの事情によりけりだったのであろうなあ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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