みそ文

太陽と月と暦の力を

 世の中にはいろんな暦がある。私はグレゴリオ太陽暦カレンダーに準じて生活することが圧倒的に多いけれど、太陰暦にもふとしたときには必ずお世話になる。

 イラン語(ペルシャ語)学習をするようになり、イランにはイラン独自の太陽暦カレンダーがあることを知った。イラン暦で今年は1391年。春分の日に太陽が春分点を通過した時点で新年が始まる。その時刻は地球という星が天体の春分点を通過するときで、地球上のすべてが一斉に新年を迎える。なんてめでたいのだろう。新年のカウントダウンに「時差」がないなんて素敵だ。地球上のすべての生き物がいっせいに「わーわー新年おめでとう」と言い合える暦システム、いいじゃんいいじゃん、これ世界で採用しようよ。
 このイラン暦カレンダーでは、地球上同時に新年だから、その新年を早朝に迎える地域もあれば、ちょうどそのときがお昼の地域もあれば、夕方だったり真夜中だったりいろいろなのだ。そして地球が春分点を通過する日時というのは、毎年同一ではないから、特定の地域においてある年は昼間に新年を迎えるけれど、翌年は深夜寝ている間に新年を迎える、ということもある。

 そんなイラン暦カレンダーをPCで毎日眺めるようになって、今年の春分の日には、イランに暮らす文通相手の人にイラン暦新年おめでとうお便りを送った。一通はメールで、もう一通は封書で。手書きの手紙にはイラン語で日付と簡単な単語を少しだけ書いてみる。

 イランのペンパルの子とは十代後半から手紙をやりとりしていて、お互いおとなになっていまは中年女性になって、何年かの間があいても、気が向いたときにふっと何かを書いて送る。結婚してたり離婚してたり、子どもがいたりいなかったり、身体のどこかの不調があったり、各自いろんなことがある。

 私が送ったイラン暦新年お祝いのお便りに対して、今日彼女からの返信メールが届いた。私からのメールと手紙に対してありがとう、ということと、自分はしばらく体調を崩して入院していて腫瘍の摘出手術を受けていたということと、そのため手紙とメールを思うように書けなくて、書いた手紙を投函できなくて、残念だったの、ということが書いてある。

 なにはともあれ手術が無事にすんで帰宅できたのならよかった。

 イラン暦カレンダーでは、今日は2月の3日。イラン暦での一週間はグレゴリオ太陽暦の土曜日から始まる。便宜的に日本語風に翻訳して呼ぶならは、土日月の順に「零曜日(土)」「一曜日(日)」「二曜日(月)」「三曜日(火)」「四曜日(水)」「五曜日(木)」「休日(金)」。そして今日は「一曜日」。

 彼女の今日が、そして明日と明後日とその次の日々がずっと、彼女の病後の身体とこころにおだやかによりそって、すこやかな力と勇気を育む時でありますことを。     押し葉

包丁いろいろ金属いろいろ

 先日の「鋳造」と「鍛造」の話題の後日、夫に「そうか、鋳造の金属よりも鍛造の金属のほうが密につまっていてかたくて丈夫なのね」と言うと、夫は「そりゃあ、そうじゃろう、そのための鍛造じゃん」と、なにを今更、な表情をして「刀なんかそうじゃん。たたいてたたいてそう簡単には折れたり刃こぼれしたりしない刃物にしていくんじゃけん。斧も鎌も」と言う。

「じゃあ、刃物はみんな鍛造なの?」
「みんなじゃないかもしれんけど、包丁でもよく『鍛造モリブデン』って書いてあるじゃろ」
「モリブデン包丁を見たことはあっても『鍛造』の文字には気づいてないわあ。ということは、モリブデン包丁はすべて鍛造?」
「いや、他の作り方もあるやろ」
「それは鋳造?」
「うーん、鋳造じゃあ弱い気がするなあ、アツエンちゃう?」
「あつえん? アツエンって、なに? どんな字。アツエンのアツは圧力の圧だよね、きっと。エンはなんだろう、あっ、延ばす延べるだ!」
「そうそれ。圧延」
「そうか。金属をとかして流して冷やしてかためただけではもろいけど、かといってその金属を鍛冶仕事で鍛えるほどには頑強にする必要はない、そういう時には『圧延』なのね」
「そうそう。ローラーのようなものできゅうっとにゅうっと押し出すだけでも、こだわらん包丁だったら十分なんじゃないかなあ」
「なんか、金属の世界って、いろんな技術があるんじゃね。鍛造も知らんかったけど圧延も初めて知ったよ」

 鋳造、圧延、鍛造の順に、金属がかたく丈夫なものに仕上がる、ということかしら、そのようだな。鋳造と圧延あるいは圧延と鍛造の間の強度にあたる加工方法もあるのかなあ、あるんだろうなあ。そして鍛造ひとつとってもいろんな種類の鍛造があるようだわ。
 いやもう別にこれ以上金属加工に詳しくなりたいわけでは全然ないけれど、頑強な方向ではなく、もろい方向に加工するとしたら、それはなんというのかなあ。たとえば金箔のようなものは、たたいてたたいて薄く延ばして軽く柔らかくしているから、金属加工としては『鍛造』の反対側のような気がするけれど、あれは『金』という特別に柔らかい金属ならではのことなのかなあ。
 いやもしかすると、そもそも圧延は鍛造の一部というか、鍛造が圧延の一部なのかな。そして金箔は出来上がったものはヒラヒラと柔らかいけれど、あれも鍛造の一種なのかもしれない。
 いろいろ疑問なままではあるけど、金属加工の勉強、以上、これまで。     押し葉

応力と鍛造という言葉を初めて知る

 休日を取得して本日は歯科検診。

 少し前に風邪をひいたときに喉や口の粘膜が弱った状態で食事をしていたら左奥歯に地味な痛みをおぼえた。そのときが初めて痛みを感じたときだったのか、本当はそれ以前も痛みがあったのに口の調子に余裕があったから気がついていなかっただけなのか、左側の上の歯が痛いのか下の歯が痛いのか、そのときにはいろいろよくわからないけれど、とにかく、むむむ、と思うような痛みだった。

 後日身体に余裕ができてから、はてさて、あのときから地味に痛い部分はいったいどの歯のどの部分なのかしら、と鏡を見ながら指先で歯をなぞる。左の下の奥から二番目と三番目の歯の下の方、歯茎に近めの部分が少し肉眼でも見ても色味が異なり、触ると少しくぼみがあることに気づく。
 なるほどね、痛いのはここだったのね、と納得する。

 ここ最近の私の口はえらいので、検診やクリーニングも含めて歯と歯茎のメンテナンスに行ったほうがいいですよ、という時期になると、古い詰め物をぽろりとはずしてみる、というような小技を使ってくるようになった。今回のわずかなくぼみは以前処置してもらった部分の処置に使った樹脂のような素材が剥がれ落ちたためにできたもののようである。

 歯科で「全然激痛ではないんですけど、ここが」と診てもらう。歯科医の先生が「ああ、これは、前に詰めたところが欠けてますねえ。治療の前に少し説明をしますね」と紙とペンを出してくる。
 先生の説明を要約すると、歯で食べ物を噛んだり、人によっては食いしばったり、歯ぎしりしたり、そういう「噛む」という活動をしたときに歯にかかる圧のことを「応力(おうりょく)」と呼び、その応力が最も大きくかかるのが、歯の側面(表側というのだろうか)の歯茎に近い部分なのだそうだ。その応力が強くかかる部分は、こうして過去の処置素材が疲労して脱落することもあれば、人によっては歯のその部分の自分の歯そのものがくさび形に欠けることもあるのだそうだ。

 では治療の前に検診とクリーニングをしましょうね、ということで、歯科衛生士さんが歯茎の深さチェックをしたあとで歯全体をくまなく丁寧に磨き上げてくれる。
 それから先生がひと通り診てから、では今回の欠けた部分の治療をしますね、と治療開始。治療はまったく痛くもなく、先生の細やかな職人芸でつるつるの仕上がりに。

「先生、さっきの応力の質問なんですけど、応力対策に何か、食べる時の噛み方や歯磨きの仕方などで工夫できることってありますか?」
「残念ながら、ないです」
「そうですか。これまでどおり噛んで食べて生きていきながら、応力で欠けたときにはその都度治す、しかないんですね」
「そういうことです。すみませんが、そのときにはまた来てもらえますか」
「はい、もちろん、そうします。検診もクリーニングにもちょくちょく来ます」

 ちょくちょくとは言っても、一年に一回か二回か、二年に一回か三回か、それくらいの頻度ではあるけれど。大丈夫、私の口と歯と身体は、必要なときにはちゃんと私にそう要求してくるから。きちんと私を早めに歯科に行かせるようにうまく誘導してくれるから。

 帰宅して、食事を終えて、夜の歯磨きをゆっくりとしたあとで、夫に「そうそう、今日ね、歯医者さんに行ってね、応力っていう言葉を初めて知ったんだよ」と話す。夫は「それなら知ってる」と少し誇らしげ。

「でね、その応力が一番大きくかかるのが、歯だとこの下の方の歯茎に近いところになるんだって」
「まあ、そうやろうなあ」
「なんでそんなこと知ってるん? あ、そうか、プレス機械には応力が関係あるか。仕事で使うんだ」
「うん」
「その応力がかかるとね、人によっては歯ぎしりがひどい人なんかだと、こうね、歯の一部がね、ちっちゃくぽこっとくさび形に欠けて抜け落ちてくることがあるんだって。知らんかったー」
「それはおれも知らんかったけど、応力いうのはそういうもんだからなあ」
「ねえねえ、どうやらくんがしてるプレス機械の仕事というのは、日本語で言うと『金型圧縮機械』になるの?」
「タンゾウ機械」
「は? たんぞう? たんのう?」
「たんぞう」
「なに、たんぞう、って。どんな字を書くの?」
「ぞうは造る、造船の造。たんは金偏に柔道の段の段」
「柔道の段の段は、階段の段だよね」
「ちがう。階段じゃなくて柔道の段」
「でも柔道の段は、書道の一段二段の段のことでしょ、だったら階段の段でしょ」
「あれ? そうだっけ、ちょっと待ってよ、あ、ほんとじゃ、そうそう階段の段」
「金偏に段を書く、そんな漢字があったなんて、私たぶん自分で書いたことないんじゃないかな。で、ダンゾウって読むの?」
「ちがう。たんぞう、だってば」
「階段の段を書くのに、だん、と読まずに、たん、と読むの?」
「そう、たんぞう」
「で、たんぞう、って何することなん?」
「そうやなあ、金属をたたいて造形作業をすること、かな」
「鋳物、とはちがうの?」
「あれは金属をとかして流して固める作業」
「あ、そうか、じゃあ、鍛造のほうは、すでに固形となった金属をたたいてなんらかの形を造るんじゃね」
「そうそう。刀とか」
「あれ? じゃあ鋳造は?」
「だからそれは金属をとかして流すほう」
「あ、そうかそうか。うーん、じゃあ、かじ屋さんの仕事は鍛造?」
「そうそう」
「あとはもっとこう何か自動車のプレス機械よりももっと身近な小さな鍛造だったら何がある?」
「そうやなあ、雪平鍋とか?」
「はいはい、なるほど、あれは鍛造なんだー、そうなのかー。じゃあ、雪平鍋以外の鍋や鉄鍋も鍛造なのね。私、鍛造、なんて言葉初めて知ったよ。どうやらくんはこの言葉いつどこで知ったの?」
「大学卒業して会社に入ってから」
「そっかー。じゃあ私が知らなくてもおかしくないね。私はほらこのお腹の中の内蔵の胆嚢か胆道しか思いつかんわあ。それで、応力、のほうは? 応力も会社に入ってから習ったん?」
「いや、応力のほうは大学で力学のこと習った時に出てきたんじゃないかな」
「へえー、そうなんだあ。応力って不思議だねえ。噛むのは下の奥歯だったら歯のこの平たい面の部分なのに、そのときの力がその歯の側面の下のほうに一番たくさんかかってるだなんて。私の奥歯は、エビのしっぽも魚のしっぽも小魚の頭や骨や肉類の軟骨までバリバリ噛んで食べるのに大活躍してくれるところじゃけん、歯ぎしりはなくてもこの部分の負担が大きいんじゃろうねえ」
「みそきち、バリバリ食うもんなあ、ここは残すやろう、いうところでもパリンパリン食べるもんなあ。あれだけ骨食ってたら、そりゃあ骨や歯は丈夫になるじゃろうけど、それで自分の歯が応力で欠けたんじゃあ、ちょっとおばかさんなかんじやなあ」
「自分の歯じゃなくて、処置部分の処置素材だから、きっと自分の歯より欠けやすいんだと思うよ、だから別におばかさんじゃないと思うよ」

 今日は歯の欠けも治って、ここしばらく地味にときどき痛かったのがこれで痛くなくなるだろうし、歯科衛生士さんの手でクリーニングしてもらってきれいになってすっきりさっぱりしたし、「いつもきれいに磨いてあってまったく問題ないですね、満点です」という太鼓判を今回も歯科衛生士さんと先生からもらって勝手に勝利した気分だし、「応力」とついでに「鍛造」なんていう私にとっては馴染みの薄い語彙とも知り合いになったし、盛り沢山な一日だったなあ。

 はっ。そういえば、鍛造の鍛は、鍛錬の鍛だー。ああ、私、『鍛造』は書いたことがなくても、『鍛錬』の鍛の字なら書いたことがある。あるある。鍛造の鍛は鍛錬の鍛。なんだか今日もまた少し私は賢くなったなあ。
 そして、そういえば、「かじ屋さん」の「かじ」の字は「鍛冶」だったのねえ、そうねえ「鍛冶屋さん」だわねえ、と、ちゃんと「鍛」の字が使ってあるのねえ、と、今さらながらしみじみ。     押し葉

東京スカイツリー人形焼

 仕事から帰宅したら、食卓の上に「東京スカイツリー人形焼」という名前のお菓子が置いてある。朝から山に行っていた夫に「これ、どうしたの」と訊いてみる。夫によると、空室だった西隣に新しく引っ越して来た方が引越しの挨拶菓子として持って来られたとのこと。

「関東地方から引っ越してきちゃった人なん?」
「それがなんかちがうらしい。こっちの人なんだって」
「それなのに東京スカイツリーなのは」
「出張で東京に行ってきたんで、って言ってはった」
「ほえー。引越し挨拶のお菓子を出張先で手に入れるなんてこと、思いついたことなかったなあ」
「まあ、今、東京スカイツリーは旬じゃけん引越し挨拶のネタとしてちょうどよかったんちゃう? 家族に土産買うついでじゃったんかもしれんし」
「そうかもねえ、お手頃じゃったんかもしれんねえ。わあ、見てみて、ほらここ、スカイツリーの細かい格子を焼き型で表現してあるよー。でも、これはもう全然人の形でも人形でもないよね。人形焼って、これくらいの大きさにこの材料で焼いたものであれば、形が人っぽいものであろうと、俵であろうと、スカイツリーであろうと、なんでも人形焼なんじゃね。さっそく一個いただきます」

 そのあと、夕食に出かける。ふと外から自宅マンションを見上げる。
「あれ? 隣に引っ越してきたって言ったけど、西隣、空室のままだよ。真っ暗だし、荷物もなんにもなさそう」
「ほんまやなあ。引越してくる前に挨拶にきちゃったんかなあ」
「引越し前に引越し挨拶だけ済ます方式もあるんじゃねえ」
「引越し当日荷物入れて荷解きして疲れたあとで、とか、また後日、よりも気楽なんかなあ」
「契約だけして、まだ引っ越してきてない状態で、荷物入れてない状態で、引越し挨拶のお菓子を配るのも思いついたことなかったなあ。いろんなやり方があるんじゃねえ。引越しは明日かな」
「どうなんかなあ、そこまで聞かんかったなあ、もう越してきたとばかり思ってたし。引越し挨拶の菓子はもらって食ったけど、引っ越して来るの来月だったりしたら、初のケースやな」

 東京スカイツリー人形焼は人形焼の味がした。こしあんと小麦粉の生地のカロリーが仕事でエネルギー消費して低下していた血糖値と体温をくいっと上げてくれて、全身がじみっとゆるやかにぬくもる。おいしかった、ごちそうさまでした。     押し葉

緑色のしましまの傘

 仕事中、もよりのクリニックから電話が入る。「なになにさんという患者さんが、これからそちらに向かわれます。グリーンのしましまの傘をお探しなのですが、こちらの傘立てに残っている中にはないとのことで、先にそちらにお薬受け取りに行かれた方の誰かが間違っていらっしゃるかも、ということで。対応よろしくおねがいします」

 すぐにそのときその場にいる同僚三人に今聞いた内容を連絡する。全員が店内をささっと見渡す。「緑色のしましまは、ないですねえ」「うーん、どうしましょうねえ」と話しつつ、座って待つ患者さんたちの手元も一応ざっと見る。誰も傘は持っていない。店内の傘立てにあるのは、こげ茶色を貴重としたチェック柄っぽいかんじ。「緑のしましま」のものはない。

 数分後、年配の女性がご来店。入ってくるなり傘立てを見て「これ、これ。私の傘、これ」と言われる。ええっ、緑のしましまじゃないけど、これなの、と思っていると、椅子に座っている男性が「なに言うてるんや、これはおれの傘や」と言う。年配の女性は「ちがうよ、これは私の傘よ。ちょっとここで開かせてもらうね。ほら、開いた時のこの模様、私の傘だもん。クリニックによく似た傘が残っていたから、誰か間違えたんじゃないかなと思ったの。これは私の」と言う。男性は「おかしいなあ、これ、おれの傘なんやけどなあ、見間違えたんかなあ、ちょっとクリニックに戻ってくるわ」と言って出てゆく。

 年配の女性は「ああ、よかった、このグリーンのしましまの傘、お気に入りなのよー」と言いながら自分の手にしっかりと持って着席。対応に出た私は「見つかってよかったですね」と言ってから調剤室に戻る。中にいる先輩薬剤師に「傘、グリーンのしましま、と聞いてましたけど、こげ茶色のチェックでした。緑の線は細いのが数本入っているだけです」と伝える。先輩は「うん、私も見たけど、今、緑のしましまのものは、うちの薬局の中にはきっとないと思うわ」と言う。

 しばらくすると先ほどの男性が戻ってくる。「やっぱり間違えてたわ。おれの傘こっちやったわ。すんませんでした」と言って腕を少し持ち上げて傘を見せてくださる。紺色基調で緑の細い先が横に数本入っている、かなあ、というデザイン。年配の女性は「そうやろ、やっぱり、グリーンの縞が似てるからなあ、まあ、よかったわ」と言う。

 すべての患者さんがお帰りになったあとの店内で同僚たちと話す。「緑のしましまは一本もなかった、あの状態でグリーンのしましまをの傘を見つけてあげるのは無理」「そもそも緑じゃないし、こげ茶色と紺色やし、それに全然似てないし」「あの細い緑色ラインに注目して緑のしましまとおぼえてる人もいはるねんなあ」「しましま、って、しましま、って、チェックの中の線はしましまなのー?」

 そういえば、広島で暮らしていた頃に、父が外出するとき着たい「黄いなシャツ」が見つからないと言い出して、家族全員で「黄いなシャツ」を探したことがあった。父の説明によれば、数日前に着て、洗濯に出して、洗濯カゴにも洗濯機にも物干しにもない、ということは、取り込んだ洗濯物が置いてある部屋にあるはず、自分の衣類のタンスにはまだ返ってきていない、黄いなポロシャツで最近買うたやつなんじゃ、とのこと。

 黄色いポロシャツね、と思って探すが、黄色はないなあ。外出する時間が近づき父は少し焦り気味になる。父は衣装持ちなのだから、他にも着るものはたくさんあるのに、その日はどうしてもそのポロシャツが着たい気分なのだろうなあ。と、はっと、ポロシャツってもしかして、洗濯ものを取り込んでたたんだり、アイロンかけたり、片付ける前に吊るしておいたりするところの、吊るしてある、その部屋に入って真正面に吊るしてある、この濃い橙色の、赤色に近い橙色の、このポロシャツのことじゃないよね、と、手にとって父に見せる。

 父は「おう、これこれ、黄いなシャツ、これを探しようたんじゃ」と言う。家族皆が「ええええっ、おとうちゃん、これは黄色じゃないよ、だいだい色とかオレンジとか言うてくれたほうが早う見つかると思うわあ」と言うけれど、父は「何回もあの部屋で探したのにのう、目の前はかえって見逃しやすいんかもしれんのう」とつぶやいてそのまま出かける。

 そういえば、そうだったなあ、父のポロシャツを探したあのとき、色や柄に関する説明は、人の言うことをあまり真に受けることなくぐぐっと拡大解釈してイメージを広げて探すほうがいいのであるなあ、と、よし今度からそうしよう、と、決意したことをすっかり忘れ去っていた。でも、今回の「緑色のしましまの傘」のおかげで二十年ぶりくらいに思い出したよ。次の二十年後くらいに忘れた頃にまたこの決意を思い出させてくれるのは、何色のどんな何だろう。さあこい、どんとこい、なんなりと受けて立つ。     押し葉

右手左手箸と口

 もう一年以上前のことになるかな。広島の実家で食事をするとき、私の左に夫が、私の右側に弟が、弟の向かい側に姪のみみがー(弟にとっては娘)が座っているという配置。その他のメンバーの配置については今回は省略。

 姪のみみがーが右手で持った箸で食べ物を口に運ぶのを見ては、弟が「みみがー、こうで、こうやるんで」と箸の使い方を教える。みみがーは左利き要素が多く、左手での箸の使用は円滑にできるけれど、弟としては右手も同等に使えるようにしておいてやりたい親心のようなものがあるらしく、その親心と期待に応えてみみがーは右手で箸を使う練習中であるようだ。
 弟は「ほら、見てみいや、おとうさんも左手で箸使うのだいぶん上手うなったろうが。じゃけんみみがーもがんばれるよの」と左手で箸を巧みに開閉する。

 弟は左隣にいる私に「そういうわけじゃけん、ねえちゃんが右手で食べるのに、わしの左腕が動くけん邪魔じゃろうけど、悪いのう」と言う。

「全然なんにも問題ないよ。でもすごいね。後天的に左手で箸を使えるようにしたなんて。私も字を書くのは左手で書くのを練習してだいぶん上手になったんだけど、箸とかハサミとかそういうこまかい動きが必要なものはまだ練習したことないわあ」
「左手で字を書けるほうがすごいじゃんか」
「いや、左手で字を書くのはね、右手も同時に同じ字を書く動きを形だけでもするとすごく簡単にできるし、実際には動かさなくても右手で書いているイメージを脳内でするだけでも左手の動きがラクになるんよ」
「でも、なんで左手で書こう思うたん? ねえちゃん右利きじゃろ」
「うーん、たとえば何か脳梗塞とかなにかで右手が不自由になってから左手で作業を代行する必要ができてからいきなり練習するよりも、事前に練習しといたら便利なこともあるかなあ、と思って。今のところはゴミ袋にマジックでマンション名なんかを書くくらいしか実用がないんじゃけどね。あ、あとね、鏡文字いうのがあるじゃん、左右反対の文字書くやつ、あれね、右手で本来の文字を書きながら同時に左手で鏡文字を書くとねすごいスラスラ書けるんよ」

 ここで夫が「文字はともかく、しめじくん(弟)、左手で箸使って食べられるようになったのはすごいなあ」と感心する。弟は「箸そのものを持って動かすこと自体はわりと簡単にできるんじゃけど、問題なのは口のほうなんよ。長年右手で持った箸で運んできた食べ物を入れてきとるけん、唇の開け方とかベロ(舌)の構えかたが右手仕様になっとるんかしらんけど、左手側から食べ物が来ると首を傾ける向きや角度も違ってくるしいろんなタイミング難しい」と説明する。夫は「え、そうなん、やってみる」と言って、左手で箸を持ち、「あんまり難しいことはできんけん、まあ簡単なものを」と言って何かのおかずを持って口に運ぶ。

「おっ、あっ、ほんまじゃ。口の形が、顔の向きが、左手で箸を持って左側から入れる時に、なんか難しい」
「ほうじゃろ。みみがーはまだ小さいけん、この前まで大人に食べ物を口に運んでもろうたりしようたのもあるし、右からでも左からでも前からでもどういうことないみたいなんじゃ」
「うーん。不思議ー。右手でナイフ持って左手でフォーク持ってなにか突き刺して食べる時にはもうそれ用の口の形に慣れとるんじゃろうか。箸だとなんかフォークとはかんじが違うなあ」
「じゃろ、じゃろ。まあ、そういうわけじゃけん。みみがーはがんばれよ」
「ほんまやなあ、がんばれやなあ、応援だけはさせてもらうわ」

 みみがーはきっと本人にとってちょうどよく便利に上手に両手を使いこなす人として大きくなっていくことであろう。     押し葉

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プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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