みそ文

山の力で安心安全そして快適

 先日の日曜日に、夫が「雪山安全講習会」というものに参加した。スキー場に集合してからスキー場とは少し離れた場所に移動して、雪山をより安全に楽しむ技術や、万が一遭難した場合にはどのようにしたらよいかを学ぶ内容。県内から二十三名の参加者が集まった。これまで知識として知ってはいたけど実感のなかったことに関してあらためてなるほどと思ったことや、これまでは全く知らなかったことを新しく教えてもらえたことなどがあり、非常に充実していた、と夫は満足そうだ。

 その講習はほぼボランティアで開催されていて、参加費用は一人千円。お昼ごはんも飲み物も持参で現地までは自力で往復するとはいえ、千円では申し訳ない気がする、と帰宅した夫が言う。「だったら一万円くらいは払いたいなあと思う?」と私が夫に訊くと夫は「う、一万円はちょっと、うーん、えーと五千円なら払ってもいいかな」と言う。

 その講習会のさいちゅうにお昼ごはんの時間がある。各自持参したパンやおにぎりを食べるのだが、快適に食べるための「雪洞づくり」をその前にするのだそうだ。四人一組が一度に入れるくらいの大きさの穴を協力して掘る。雪と風をよけることができてかなり快適であるらしい。夫はいつも雪山では座るとおしりが冷たいからと頂上で立っておにぎりを食べると言っていたから、雪と風を避けられる空間の中で座って食事ができるのは快適なことだろう。だが「雪洞づくりを習ったことだし、今度からは一人で登ったときにも雪洞掘ってからおにぎり食べる?」と訊くと、「それはしない」と言う。「雪に穴を掘るのは大変なんだから」と。

 この「雪山安全講習会」のことを私はつい「遭難対策講習会」と呼んでは、夫から「ちがう。雪山安全講習会」と訂正を受ける。講習会の名前といえども、雪山で危険な目に遭い難儀しているイメージが想起される「遭難対策講習会」よりも、雪の中で安全にたのしそうに冬山を楽しむ笑顔が思い起こされる「雪山安全講習会」のほうが、そりゃあ縁起がいいよなあ、と思うから、素直に納得して「あ、そうだったね、雪山安全講習会」と言い直す。

 夫は私と同じように春になるとスギ花粉症を発症する。私は以前より通年で各種アレルギーがあるから年中必要な予防薬を飲み、症状が少し強く出ればそれなりに対応する薬も足して、春の間の自分の生活や仕事の質を保てるように工夫してきた。しかし、夫は花粉症の時期もちろん仕事には行くけれどそれ以外はできるだけ外出を控え、薬はどうしてもつらいときに漢方薬を少し真面目に飲み、それでもひどくなったときにはぐったりとして日々を棒に振る生き方を選んでいた。

 それが今年の夫は「スギ花粉の時期にも春の山に登りたいから、アレルギー科を受診して予防薬と対応薬を処方してもらってちゃんと飲むことにしようかな、と思うんだ」と言う。

 これまでは私がどんなにすすめても、私との暮らしや外出の質を整えるためには、受診もこれまで以上の服薬もする気にならなかった夫が、春の山を歩くためなら受診も従来以上の服薬もしようという気になるなんて、夫にとって山の力はずいぶん偉大なものなのだなあ、と、なんだかいろいろ感心しつつ、夫に何かをすすめるときには「山歩きのためにもなるかもよ」という視点で話をすると、いつもとっさに現れるあの「妻の言うことをききたくない妖怪」の出現をもしかすると封じることができるかしら、と思案してみているところ。     押し葉

精進してカレンダー

 昨夜訪れた落語温泉では年中無休で落語の寄席を開催している。夕方五時半からの一時間と、夜八時からの一時間の、一日二回公演。一回あたりの一時間は二人の落語家さんが一人約三十分ずつ小話と落語を行う場合もあれば、一人は落語家さんで残り半分はマジックや曲芸など落語以外の演芸の場合もある。

 寄席会場の入口には、その月の出演者の名前を書いたスケジュールのカレンダーが貼ってある。夫と一緒にそれを見ながら、「この人とこの人のは見たことあるね」「この人とこの人はまだ見たことないなあ」などと話す。

 そうしていたら、寄席会場の案内を担当する旅館従業員の女性が「本日はお越しくださりどうもありがとうございました」と声をかけてくださった。そこで私はその人に「すみません、この出演者カレンダーの来月三月のぶんをいただくことってできますか」と訊いてみる。寄席会場案内係のおばちゃんは「すみません、こちらのカレンダーはここに貼ってあるだけで、ここではお一人お一人にお渡しはしていないんです。でももしかするとフロントで尋ねていただければ、今月のぶんは印刷してお渡しできるかもですし、もしすでに来月の予定が組んであれば、ご希望の方には差し上げるサービスをしているかもしれませんがこちらではそこまでわからないものですから、ごめんなさい。当日ご来館くださるときに電話で訊いてくださるのが一番確実だとは思うんですが。もしよろしければ、お帰りの際にでも、フロントで確認してみていただけますか」と説明してくださる。「はい。ではそのようにしてみます。ありがとうございました」とお礼を伝える。

 それからエレベーターに乗って、一階に降りる。私は夫に「トイレに行ってくるから少しだけ待っててください」と頼んでトイレに入る。トイレから出てきて土産物売り場にいる夫に手を振って「おまたせしました、ありがとう」と呼びかける。

 フロントで預かってもらっている車の鍵を受け取る。今回私達が利用した時間帯に担当してくださったフロントの若い女性はフロント業務を十分以上にこなすレベルではあるものの日本語の発音発生に若干中国語風味がまじる。髪型もメイクも今時の日本の若い女の子そのものだから見た目には若いスタッフさんだなあ、としか思わないけれど、話すと「おねえさん、どのこ人ですか、どこから来たのですか、何か今後ここの温泉旅館はあなたの地元のお国にも新規開業の予定でもあるのですか、そのための研修中かなにかですか」とお尋ねしたくなるけれど、そこはだまってただにこやかに「ありがとうございました」と言って自分の車の鍵を受け取る。
 
 そのフロントのおねえさんに「今日は車の置き場所はどこでしょうか」と質問する。ここの落語温泉では玄関前まで車で乗り付けると旅館の従業員の人がそのときの状況に応じて車を移動して駐車してくださるシステムなのだが、利用客が多い日であったりすると、第一駐車場、第二駐車場、第三駐車場、第四駐車場とずいぶん遠くになることもある。だから車の鍵を返してくださるときに、「お客様のお車はどこどこの駐車場に置きましたので、よろしくお願いいたします」というような説明がだいたいある。駐車場の場所が遠方でややこしいときには簡単な地図のプリントにペンで丸をつけながら「玄関を出られましてから、少し歩いていただいた、こちらの駐車上のこのあたりとなります」と解説がつくこともある。

 今回はそのどちらの説明もなかったから「どこでしょうか」と訊いたのだが、フロントのおねえさんは「玄関前でございます」とにっこりと教えてくださる。わあ、玄関前の敷地内駐車場だったら、雪の中遠くまで歩かなくてよくてうれしいな、と思う。だから「そうですか、それはうれしいです、ありがとうございます」とフロントのおねえさんにお礼を言う。

 フロントから離れて玄関に向かおうとしたとき夫が私に「落語の三月のスケジュールのこと訊かないの?」と言うから、ああ、そういえば、と思ってもう一度フロントに戻る。今度はさきほどの中国語なまりのあるおねえさんではなくて、その隣りのカウンターに立つおねえさんにお世話になる。

「すみません、落語の来月の三月の出演者予定といいますか、寄席の入り口に貼ってあるようなスケジュールのカレンダーの来月分を分けていただくことはできますか?」
「申し訳ございません。三月の予定はまだ出ておりませんで、いつもぎりぎりになってから確定いたしますので、また近くなってからか当日おいでくださるときに、お手数ですがお問い合わせいただけますでしょうか。本当にすみません」
「そうですか、では、また問い合わせるなどしてみます。ありがとうございました」
「ありがとうございました、お気をつけてお帰りくださいませ」

 それから広い階段をおりて玄関へと向かう。夫が「残念やなあ、スケジュールのカレンダーがあったら、まだ見たことない人のときを選んで来るとか、いろいろできるのになあ、まだスケジュールできてないのかあ。芸人さんも来月の仕事があるかないかわからんのは不安やろうなあ」と言う。私が「ううん、実はね、来月のスケジュールカレンダー、本当はあるんだよ」とこっそりと耳打ちする。

「え、なんで、そんなこと知ってるん? 上の階のおばちゃんもフロントのおねえさんもないいうて言うてたのに」
「実はね、どうやらくんがお風呂に入っている間、私、休憩室でペルシャ語の勉強してたじゃろ。あのときに落語常連のおじいちゃんたちが休憩室にいてはってね」
「ああ、そういえば、おれが風呂からあがってきたときにも奥のほうにいてはったなあ」
「そうそう、あのおじいちゃんたちのところへね、寄席会場のお世話係りのおばちゃんがね、『だれだれさん、なになにさん、これ、まだ確定じゃないけど、一応来月の予定の三月の出演者のカレンダーな、できたから』って言いながら印刷された紙を手渡してあげてたのを私は知ってるんよ、熱心にペルシャ語書いて勉強してるふりしてたけどね。おばちゃんはあのときあの部屋の端の席でうつむいて何か書いてた女性客が今スケジュールカレンダーを所望している客と同一人物の私とは気づいてないと思うけど。もし気づいてても一応なにかの内規というか建前があっての対応なんだろうし」
「なんと。みそきちどんさん、ぬしもオトナよのう」
「うん。なんかただの大人じゃなくてえらい人なかんじじゃろ」
「くーっ。お代官様にはかないませんなあ。でもスケジュール出てるんなら、あの常連のおっちゃんたちにあげるんじゃったら、他にも配ったらいいのになあ、せめておれらみたいに問い合わせた客にだけでもくれたらいいのになあ、そしたら落語が好きなお客さんの『この日に行こう』っていう気持ちを高めてもっと繁盛できるかもしれんのに。なんか今のままだとあの寄席、いつなくなるか心配なかんじじゃん」
「まあ、そうなんだけどね、まだまだ私たちくらいの通い方では、あの落語温泉の人たちには常連として認めてもらえん、いうことじゃろう。あのおじいちゃんたちがどれくらい再々通いようてんかはしらんけど、世話係のおばちゃんや芸人さんたちから顔と名前をおぼえてもらえるくらいになってこそ、あのスケジュールカレンダーの極秘情報を教えてもらえるいうことなんじゃないかな」
「芸の道は厳しいのう」

 玄関を出て、敷地の門の壁際に、車がきっちりと縦列で駐めてある。夫が「これ、いいぐあいに出せるかなあ」と腕を組む。「私がやってみようか。外から見て誘導してくれるかな」と夫に頼んで運転席でエンジンをかける。前後数十センチメートルの隙間をいったん少しだけ右前に出て、それから左後にさがる。夫の誘導に従って車を切り返していたら、宿の駐車場案内の男性が近づいてきて、夫よりもさらに上手な誘導をしてくださり、車を無事に出すことができる。

 そこまでして門を出たところで運転を夫に変わってもらい、私は助手席に座る。帰り道で夫に「あの常連のおっちゃんたちがね、私がペルシャ語を書いてるのをまじまじ見て、おねえさんどこの人や、いうて訊かはったんよ」という話を披露する。夫は私の話を聴いて「そこは素直に『福井から来ました』じゃなくて、もっとなんか面白い返しをして話を転がしてあげたほうがよかったんじゃないんか」と提案する。私は夫に「そんな、私は芸人さんじゃないんだし、あの場所であの常連のおっちゃんたちと語らうことが目的ではなくて、あの時あの場所で私にとってもっとも優先順位の高い目的はペルシャ語で一週間を書いて言えるようになることだったから、あの返しで十分よ」と答える。

 帰宅して夫がパソコンでこの日に聴いた落語家さんのホームページを閲覧する。そして「今日の落語家さん、三月も四月もまた何回か今日の落語温泉に来るって。カレンダーに仕事の予定が書いてある」と教えてくれる。そして「なんで旅館はまだスケジュール決まってないとか嘘を言うんやろうか。こうやって芸人さんの情報見ればわかることなのに」と言うから、「そりゃあまあ、宿や事務所としても芸人さんとしてもある程度の期間契約を決めておくほうが他の仕事の予定も組みやすいだろから、実際はある程度はもう決めてあるじゃろう。でも宿としては、今日の出演は誰かなあ何かなあ、という未知なかんじのワクワクを提供するのもエンターテインメントの仕事のうち、ということにしてるんかもしれんし、特定の芸人さんのときにお客さんが集中するようにではなくて、どの人の時にもまんべんなく一期一会で見に来てもらえるように、という思いがあるんかもしれんし。私らもあの常連のじいちゃんたちくらい通いつめて常連になって、芸人さんが登場してきたときに『いよっ、待ってましたっ』くらい言えるようになったら、また何かが違ってくるかもよ。精進しようや」と言ってみた。

 精進精進。     押し葉

どこから来た人なのか

 土曜の夕方、隣県の温泉施設に出かける。第一目的は落語。この温泉施設では、日帰り入浴の利用料金六百円で入浴して落語を含めた演芸を見ることができる。入浴だけの利用でも六百円、演芸観覧だけの利用でも六百円。

 夫は演芸を観覧する前に大浴場へ入りに行く。私はここのお湯はわざわざ入らなくてもまあいいかと思うことが多くて、夫が入浴している間、日帰り客用休憩室で座ってゆうるりと好きなことをして過ごす。休憩室は広い和室で、テーブルと座布団が並べてある。その休憩室を利用する人はそんなには多くなくて、今日は最初しばらく私一人だった。

 夫がお風呂に入っている間の待ち時間のおたのしみは、ペルシャ語(イラン語)。最近勉強し始めて、文字の読み書きがたどたどしいながらやや自由になってきたところ。文字の読み書きはある程度できるけれど、イラン語の読み書きが自由にできるレベルにはまだない。ローマ字アルファベットを使って日本語ローマ字や英単語の簡単なものは書けるけれど、簡単な英文を思いどおりに読み書きできるわけではない、あのころのようなかんじ。

 テーブルにテキストとノートを広げて、ノートの右端からウニョウニョとペルシャ文字を綴る。シャンベ、シャンベ、シャンベ(イラン語で土曜日の意味。イランの暦では土曜日から一週間が始まり休日の金曜日で一週間が終わる)、とつぶやきながらペルシャ文字で「シャンベ」と書く。

 土曜日の次は日曜日。日曜日はイェキシャンベ。イェキは数字の一の意味。一(イェキ)シャンべが日曜日、ニ(ドゥ)シャンべが月曜日、三(セ)シャンべが火曜日、四(チャハール)シャンベが水曜日、五(パンヂュ)シャンベが木曜日、そしてジョムメが金曜日、これが一週間。

 ペルシャ語の綴り書き方練習には筆ペンを用いている。ペルシャ文字には活字体がなく筆記体だけだからあの流れるような文字を書こうと思ったら鉛筆やボールペンよりも筆ペンのほうが真似しやすい。

 土曜日から金曜日まで私が何度も書いておぼえていると、誰かが休憩室に入って来た。人が入室する気配は感じたものの、私は大変熱心にシャンベシャンベと書いていたから、その人が私のテーブルの横に立って私の手元をじっと見ていることに気づくのにしばらく時間がかかる。

 なんだろう、なにか手元に視線を感じるわ、と視線の元をたどってみたら、ご年配の男性が立っていて「これは、英語では、ない、なあ」とおっしゃる。私が「あ、こんにちは。はい、これは、イラン語です」と言うと、おじいちゃんは「イラン語!」と驚いて、それからおもむろにゆっくりと「おねえさん、どこの人? どこから、来たの?」と訊かれる。

 私はしばらく考えて、ここは「日本人です」と答えるのが流れなのかしら、でもお互いのこの普段着感覚といいたいへん地元の方っぽいことだしもう少し細かい行政区分でお答えしたほうがいいよねと判断して「隣の県の福井から来ました」と言う。おじいちゃんは「福井か。おねえさん、日本の人か」と問われる。「はい。イラン語の読み書きできたらたのしいかなあ、と思って勉強してるんです」。おじいちゃんは「英語の勉強してる人は見たことがあっても、イラン語の勉強してる人を見たのは初めてや」とおっしゃってから「いやあ、感心感心」と言いながら少し離れたテーブルの席に座る。

 私はにっこりと会釈してから、また、シャンベシャンベと練習を続ける。すると今度はテーブルの向かい側に別の気配を感じる。はて、と思って見上げると、先ほどのおじいちゃんとは別のおじいさんがじっと私のノートを覗き込み「これは、英語では、ない、なあ」と言われる。

「こんにちは。えーと、これはイラン語、ペルシャ語、なんです」
「イラン語! それは、また、何か、イランに行く用事でもあるんか?」
「いえ、用事は全然ないんですけど、イラン語を読んだり書いたりできるといいかなあ、と思って勉強してみています」
「ほおー、イランに行く用事もないのに勉強するとは、何に使うんや?」
「うーん、これといって特に使い道はないんですけど、イランの人と文通をしているので、それは英語でなんですけど、それも近頃はごくたまになんですけど、私が少しはイラン語も書けるとお互いにたのしかったりするかしら、と思いまして」
「それは相手の人はうれしいやろうなあ」
「そうでしょうか」
「そらそうやろ。で、その文通相手の人は、男か? 恋人なんか?」
「いえいえいえいえ、女の子です、といっても私と同じくらいの年の」
「おねえさん、学生さんか?」
「いえ、学生ではないです」
「そうはいうても、そんなイラン語を勉強するとか、ただの人じゃないやろ」
「いやあ、ふつうに、ただの人、やと思います」
「はあー、長いこと生きてきたけど、そんなイラン語を勉強しとる人を見たのは初めてやわ」

 二人目のおじいさんはそう言ってから、一人目のおじいちゃんが座るテーブルに向かい合わせに座る。そして「あのおねえさんが書いてるのイラン語なんやて」と言う。一人目のおじいちゃんも「初めて見たなあ。おれも英語じゃないなあ、とは思うたんやけど、イラン語やいうのはわからんかったわ」と言われる。

「それで、なんや、イランに行く用事はないけど、文通相手がイランにおって、それでイラン語勉強しとるんやって」
「ほお、その文通相手は男なんかな、恋人やろか」
「それが女の人らしいわ」
「なんや男とちがうんか」
「それなのにわざわざ勉強するとはなあ、感心やなあ」
「いやあ、ほんま、イラン語勉強しとる人なんか見たの、生まれて初めてやわ」

 このおじいちゃんとおじいさんは別々の人なのに、なんでこんなによく似た発想でよく似たことを言われるのか、あんたら兄弟なんか、と思ってにっこりと会釈をしながら二人のお顔を見てみるけれど、外見は全然似てなくてたぶん他人。

 その後の落語の寄席のときに、このときのおじいちゃんとおじいさんが、後方の座席から「よっ、待ってました、大統領っ」などと芸の合いの手(というのだろうか)を入れておられて、ここの落語の常連さんであるらしいことがわかるのだが、休憩室ではただの日帰り温泉利用客にしか見えず、そしてそれはあながち間違ってはいない。

 そういうわけで、今日はペルシャ語で土曜日から金曜日までを書いて言えるようになった。しかし、突然に、では、月曜日は、と問われても、えーとちょっと待ってよ、土曜日がシャンべだから月曜日は土日月で、シャンべ、イェキシャンベ、ドゥシャンべだからドゥシャンべね、という程度の時間はまだまだ必要なのだけど。

 落語もたのしかったし、ペルシャ語で曜日も言えるようになったし、いいおでかけだったな。     押し葉

すてきなちから

 以前購入した「あずきのちから」という温熱用具を持っている。柔らかい布の袋の中に小豆が詰め込んであるもので、ひとつは目元用で、もうひとつはお腹用。どちらも使用前に電子レンジで指定の時間温めて、自分のまぶたの上やお腹の上にのせる。カイロほどには熱くない柔らかな暖かさで、じんわりとほかほかとぬくもってきて、たいていの場合は、ああ気持ちがいい、と思っている間に眠りに落ちる。

 最近夜寝ている時に後頭部というか首の後ろ側の部分が冷えるなあ、温めたいなあ、と思い、何かいい方法はないかなあ、と考えていた。あ、そうだ。あずきのちからのお腹用を電子レンジで温めたものを枕の上にのせてからその上に自分の後頭部や首筋を置くというのはどうかしら。

 あずきのちからお腹用は本来はお腹を温めるものだから、ラッコがお腹の上に貝を置くみたいにお腹の上にのせるものだけど、のせるだけでラッコみたいにそれを叩きはしないけれど、お腹にのせたり抱きかかえたりしてそのぬくぬくとしたぬくもりを受け止める。

 さてそれを枕にのせて横たわってみたところ、うおおおおお、これは。美容室でシャンプーのあとに熱めのタオルをたたんだものをシャンプー台の枕(首を支える部分)にのせて温めてくれる気持ちい技があるけれど、あれの自宅番。あれの枕もお布団も濡れない版。これはいいわあ。

 しばらくはこのあずきのちからのすてきなちからにお世話になって、冬の寒さをやりすごす。     押し葉

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プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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