みそ文

双方が気持よくあるように

 なにかをしようとするときに、「こうしないように」「ああしないように」「こうでないように」と意識して行うよりも、「こうするように」「ああするように」「こうであるように」をイメージしながら行うほうがやりやすく、やる気を保ちやすいよね、という話は、以前もみそ文で書いたことがあるように思う。

 走りまわることが適切でないお店の中を走り回る小さな子どもに「走るな」と言ってもうまくできなくても「ゆっくり歩いて」と言えばそうできるみたいに。

 雪道で「転ばない」ように気をつけるよりも、転ばないためには具体的にどういう歩き方をすると転びにくいのか、足裏全体で雪面を捉えて、大地を踏みしめるように、左右の足にのる体重がまあまあ均等を保つかんじで歩くことを意識する方が、なにをどうしたらよいのかがイメージしやすい。

 何かをしないようにすることが、同時に何かをすることであり、そのするべき何かが瞬時にわかって実行できるような内容の場合には、情報共有上の省エネとして「なになにしないように」という短い言い回しを活用するのもありなのだろう。
 たとえば「風邪をひかないように」と言うとき、そこには「適切な手洗いうがいを励行する」「適切で十分な栄養と睡眠をとる」「喉鼻粘膜の保湿に努める」「全身の保温を行う」「身体清浄を保つ」など一連の情報が共有されているという前提があるのだろう。前提はなくても、とりあえず「あなたの健康を願っていますよ」の婉曲な慣用句として「風邪を引かないように」を用いる場合もあるだろうが。

 今回、いまさらながらに思いついたのは、「できるだけ迷惑をかけない」という言い回しを、否定形表現から肯定形表現に言い換え翻訳するとしたらなんと言うのだろう、ということ。
 「迷惑をかけたらいけん」「迷惑だけはかけないように」といった言い回しはよく見聞きするけれど、はてさて、ではそれは実際にはいったいどのように「する」ことなのだろうか。
 なにかをしないようにするよりも、なにかをするように思い描くことで、その実現化をより促進できるならば、それは、しめしめ、なのではないか。

 そうして、しばらく考えてみて、今のところ思いついた日日翻訳は「可能な限り、双方が気持ちよくあるように」。

 自分が「迷惑をかけないようにする」ときにその視線の先にあるのは、自分以外の誰か他人の思いであり、その他人が嫌な思いをしないように不愉快な気持ちを持たないように自分の在り方を加減する、といったかんじだろうか。相手が嫌がるなら自分にとって正当で適切な必要事項も制限し我慢したほうが「迷惑をかけない」目的を達成しやすいのかもしれない。

 けれど、人間、なにかをしようとするときに、自分にとってうれしくないことをイメージしながら考えながら行うよりも、自分にとって多少なりともうれしくておもしろい気持ちを抱いて取り組むほうが、動機も実働も保ちやすいのではないだろうか。

 だから、「できるだけ迷惑をかけないように」と思うことで、本来自分に提供して自分が味わうべき自分の人生の快適やよろこびや豊かさを回避するのではなくて、自分以外の他人も自分も「可能な限り、双方が気持よくあるように」と思うことで、相手の安寧と自分の安心や嬉しい気持ちの両方を得るための工夫を始めることができるとしたら。

 実際には折り合いや加減がいろいろあって、どちらかを立てればどちらかが立たずになることもあるだろうし、究極の選択をせざるを得ないこともあるだろうし、いつでもなんでもうまくいくわけではないだろうとは思う。
 けれど、それは「できるだけ迷惑をかけないように」気をつけた場合でもそうであり、どちらにしても人生はままならないものなのだ。
 
 どうせままならない人生の中にいるのであれば、せめて何かをしようとするときに、それはおもしろそうだなやってみたいな、それならしたいな、とたのしみになるような言い回しを意識したほうが、なんだろうなあ、自分の心身健康上望ましいことが多いのではないかな。

 人様に対して「できるだけ迷惑をかけないように」と意識するところに、たのしい気持ちやおもしろい思いやよろこびはどんな形で存在するのだろう。「迷惑をかけない」という言い回しには、どちらかというとやや萎縮気味に他人の顔色をうかがい自分の自尊心を後回しに蔑ろにすることもよしとするようなイメージを私は個人的に想起する傾向がある。

 だけど「可能な限り、双方が気持ちよくあるように」であるならば、そこでイメージするのは誰かの不愉快や不機嫌ではなくて、相手と自分の愉快と上機嫌になってくる。卑屈でもなく萎縮もしておらず、清々しく堂々と双方の好意と厚意を交換したいという正当で健全な思いが基盤になってくるような気がする。
 「可能な限り」ではあるから、常にある程度の限界のようなものがたとえ伴うのだとしても。

 どちらかに身をおいて生きていくことを選ぶのだとしたら、私に関してはできるだけ、自分や自分の大切な人やご縁に恵まれた人たちの気持ちよい感覚や表情を思い描きながら何かをすることを選びたい。
 誰かの不機嫌を「避ける」のではなくて、誰かとそして必ず自分も加えた双方が機嫌よく気持ちよくあることを「目指す」。

 実際に行うことの形は同じであるとしても、そこに込められる気持ちが、何かを避けようとしているもの、か、何かを目指そうとしているものか、によって、そのことが帯びるエネルギーになんらかの差が生じるようにも感じる。
 そしてそのエネルギーの差は、そこに関わる人々生き物のすこやかさや健康状態にも影響してくるのではないかなあ。

 可能な限り、双方が気持よくあるように、そう思うとなんだか少しわくわくしてくるのは私だけだろうか。

 そりゃあ、社会的対外的な社交技術として「この度はご迷惑をおかけしまして本当にすみません」「今後はこのようなご迷惑をおかけすることがないように」などという表現を用いることはあるだろうな、とは思う。社会的なスキルとしてそうするほうが円滑な現場ではきちんとそうしたいと思う。

 けれども、自分個人のこころの中で自分の在り方を創造していくときには、「双方が気持ちよくあるようにするにはどうしたらいいかな」と自分が「おもしろそうだな」「わくわくするな」と思いながら工夫を重ねて何かをするほうが、取り組みやすくて続けやすくて、結果的に「迷惑をかけない」ことの実現にもつながりやすいのではないかなあ。     押し葉

おしっこの意気込み

 職場でお薬をお渡しする準備ができあがったそのときに、そのお薬を受け取って飲む立場であるお子様(約四歳の女児)が「おかあさん、わたし、おしっこ」と言う。女の子のお母様は「すみません、トイレお借りしていいですか」と訊かれる。「はい、もちろん、どうぞ、和式なんですけど大丈夫でしょうか」と案内する。無事にトイレで排尿を済ませて女の子とお母さんと弟くんが連れ立って出てくる。

 その後、お母様にお薬の説明をしている間、排尿を済ませた女の子は落ち着いて座っておもちゃで遊んで待っているけれど、弟くん(二歳前くらい)のほうがしきりにお母様にまとわりついて「おしっこ、おしっこ、おしっこしたい」と訴え続ける。お母様は、おねえちゃんのときにはすぐにトイレに促されたのに、弟くんには「帰ってからしようね」とおっしゃる。
 
「あの、もし、よろしければ、もう一度、お手洗いに行ってこられる間、お待ちいたしますよ」
「いえいえ、いいんです、ありがとうございます、この子、まだオムツなんで、自分ではトイレでできなくて、まだオマルでの練習中で、それも成功したことがないんです。だからうちのオマルとトイレで上手にできるようになったら、外のトイレも練習しようね、と言ってあるんですけど、おねえちゃんが外のトイレを使うとかっこよく見えるみたいで。家でのオマルやトイレでの練習もこれくらい真面目に積極的になってくれるといいんですけどねえ」
「あらあ、そうでしたか。そういうことなら、弟くんには申し訳ないですが、お薬の説明続けちゃいますね」
「はい、そうしてください、お願いします」

 その間もその後も弟くんは「おしっこ、おしっこ」と訴え続け、会計が終わってお母さんとおねえちゃんが帰る状態になっても「おしっこする」と言い続ける。
「よかったら、トイレに行くだけでも行って試してみられますか? ご自宅ではできなくても外でならできちゃうとかあれば」と言ってみる。 お母様は「ありがとうございます、でも、それは既に何度かやってみたんですけど、ほんとに全然まだまだなんで」と断られる。

 そうしている間にも弟くんは「おしっこ」と訴え続けていて、その意欲のような気概のような排泄コントロールに関する志の高さに感心して、私も事務の同僚も思わずその子に微笑みかける。お母様が「ほら、お店の人が笑ってはるやん、もうわかったから、おしっこはもういいから」と弟くんに言われる。
「ごめんなさいねえ、あんまり可愛くて、つい」と事務の同僚が言う。続けて私が「なんというか、おしっこを自分でしようという意気込みと志がただことでなく立派ですよねえ」と言うと、お母様が「うちでもこの意気込みと志を発揮してほしいんですけどねえ、うちでは全然なんですよねえ」と、ため息まじりにおっしゃる。

 ご自宅でもここでの意気込みと志と意欲と気概が再現されて、おしっこもうんちも自由自在になる日はきっともうすぐそこだ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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