みそ文

スズキと酢漬け

 「気になるスズキ」について夕食時に夫に話す。「スズキは魚のスズキだろうか」と言う私に、夫は「そりゃあ、魚じゃろう。人間の鈴木さんを置いて帰っても仕方ないし」と言う。

「そうじゃないよ。魚のスズキを常温の車庫に置いてたら腐るのが心配なんだってば。干物かなあ。スズキ、大丈夫かなあ」
「スズキの干物って、あんまり聞いたことがないなあ」
「うん。スズキは生を塩焼きにしたのが一番おいしい気がする。じゃなくて、としこさんのお母さん、スズキを保冷箱に入れて車庫に置いて帰らはったんかなあ」
「あ。わかった。スズキじゃなくて、酢漬け、なんじゃないかな。みそきち聞き間違えたんじゃない? 酢漬けなら車庫に置いといても腐らんじゃろう。お米と酢漬け、うん、組み合わせもありえるかんじで、それっぽいな。酢漬けだ、酢漬け」
「そうかなあ。酢漬けってなんの?」
「それは知らん」
「どうやらくんは、酢漬けと言えば、なんの酢漬けを思いつく?」
「うーん。小梅?」
「小梅って、カリカリ小梅の小梅?」
「うん。あれ、好き」
「そうですか」

 人様のおうちのスズキの行く末をああだこうだと案じても、本当に仕方のないことであるから、ここはひとつ思い切って、としこさんのお母さんが車庫に置いて帰ったのは、魚のスズキではなくて何かの酢漬け、たぶんきっと小梅の酢漬け、ということで納得して、こころ穏やかにこころ安らかに、自分のお腹に入るスズキとの出会いをたのしみに待つことにしたい。     押し葉

気になるスズキ

 昨夜寝る時に、「明日の朝のアラーム(目覚まし時計)の確認を」と思い、携帯電話を見たところ、「留守番電話の録音があります」のレコーダーマークの表示に気づく。
 あらまあ、どなたからだったのかしら、いつものことながら、携帯電話の着信に気づきにくくてごめんなさいね、と、思いつつ、着信電話番号を見る。076436の地域からだ。しかし、私の知り合いに、この地域の番号の人はいないなあ。間違い電話だったのかしら。そう思いつつ録音を再生。

「あ、としこ。としこやろ? 車庫にお米置いて帰ったから、見て取り込んで。お母さん、鍵持って行かんかったから、家の中に入れてないから。あと、スズキも。車庫の黄色みたいなカゴのところに、」

 無情にも録音はここで途切れる。なぜなら私の携帯に付属している録音機能は、一回あたり二十秒以内だから。いや、そもそも私宛の電話ではないのだから、メッセージが完全でなくても、私にとっては特別に、これといった不都合はなんにもないのだ。
 しかし、お米はともかく、スズキって、スズキって、スズキって、魚だよねえ。いくら涼しいからといって、魚を車庫に常温で置いてて大丈夫なのだろうか。いやいやいや、もしかしたら、スズキとは言っても、開いて干物にしてあるものなのかもしれない。それなら車庫の中で日陰なら、まあ、大丈夫かな。大丈夫だよね。大丈夫であってほしい。

 この電話のお母様が、なんや録音の途中で切れたがな、と思って、追加録音しようとかけ直された番号が、今度はきちんととしこさんの携帯番号で、できればとしこさんに直接、お米とスズキと、もしかするとそれ以外にも何か置いてるかもしれないものたちに関する重要な情報を、無事に伝えてくださっているといいなあ。

 としこさんのお母さんのことはほぼ何一つ知らないとはいえ、としこさんのお母さんんがスズキを生の状態で車庫に放置するというのは考えにくい。そして、私は魚のスズキを食べるのが大好きだ。だからスズキには無事にとしこさんのお腹に、そしてとしこさんにご家族がいらっしゃるのであればご家族皆様のお腹にも、おいしく入っていってもらいたい。昨日今日のように秋晴れでこれくらい気温が高いと、としこさんちの車庫で誰にも気付かれずに腐敗するスズキの姿がなぜか勝手に想像されて、つい、スズキの身の上を繰り返し案じてしまう。

 そんな秋のお年頃。ああ、スズキの塩焼きが食べたい。スズキでなくてもいいから何か魚の干物が食べたい気がする。煮魚も食べたい。できれば金目鯛の干物を焼いたのと金目鯛の煮付けがいいと思うなあ。     押し葉

蟹と結婚記念お小遣い

 五月の下旬頃だったかに、私が義母に何かの用事で携帯のショートメッセージ(電話番号宛に送信するの)を送った。そのとき、あれこれ近況報告をしあったあと、私がふと「そういえば、おかげさまで五月二十三日に結婚記念日を迎えて、結婚十八年目に入ったんですよ、これからもどうぞよろしくお願いいたします」というような内容を送った。義母は「もうそんなになりますか。おめでとう。これからもよろしくたのみます」と返信を送ってきてくれた。

 そして、お盆に帰省したときに、義母が私を「みそさん、みそさん」と手招きして呼ぶ。「はい、はい、なんでしょう」と私が義母に近寄ると、義母はなんとなくこっそりと私に封筒を差し出す。

「みそさん、結婚十八年なんじゃろ。すごいねえ。ありがとうねえ。おめでとう。なんかいいものを買うてあげられりゃあいいんじゃけど、何がいいかわからんけん、これで何かみそさんのほしいものを買う時の足しにして」
「ええっ。おかあさん。えーと、まず、この前の五月の結婚記念日は、結婚十八年目を迎えたところじゃけん、結婚十七周年記念じゃったんですよ。結婚十八周年はまだ来年」
「それでも、十七年でも十八年でもすごいことよ。夫婦がずっと仲良くおるのは、そんなに簡単なことじゃあないんじゃけん」
「でも、でも、おかあさん、それじゃったら、おかあさんとおとうさんの方がずっとすごいじゃないですか。私らよりもずっとずっと結婚の大先輩じゃと思う」
「あっはっはー。私とおとうさんは、なんとはなしに、気がついたら、長いこと、一緒におるだけじゃけん。でも、みそさんは、ずっと仲良うにしてくれるじゃろ。じゃけん、ほんまにありがたい思うんじゃ」
「何を言いようてんですか。ありがたいのはこっちのほうですよ」
「ほいじゃあ、お互いにありがとう、いうことで、これね」
「いやいや、おかあさん、お互いなのに、私だけが貰うとるじゃないですか」
「ええけん、ええけん、息子には言わんでいいけん、みそさんが一人で好きなものを買いんさい」
「いや、そういうわけには」

 と話していたら、義父のお店(理髪店)で義父とお客さんの囲碁の勝負を見学していた夫が店から家に戻ってくる。義母は『あ、まずい』というような表情をして「じゃあね、みそさん」とその場を立ち去ろうとする。
 私は「待って、待って、おかあさん。どうやらくん、あのね、おかあさんがね、私らの結婚記念のお祝いにいうて、ずっと仲良しでおるけんいうて、お小遣いをくれちゃったんじゃけど、いいんじゃろうか」と、義母と夫と両方に話しかける。
 夫は「なんで、また、そんな」と言いかけるけれど、義母が「ええけん、ええけん、ええんじゃけん。みそさんになんじゃけん」と言い張るから、夫も「じゃあ、もらっといたら」と言う。
 私は「うーん、いいんだろうかー」と一瞬だけ途方にくれて、「では、ありがたくいただきます。おかあさん、ありがとうございます。大切に使います」と両手で封筒を丁寧にぎゅっと持つ。

 義母は「じゃあね。おめでと」と言ってさっさといなくなる。
 夫に「本当にいいんじゃろうか。結婚十八年目に入ったけんいうて、嫁がおしゅうとめさんからお小遣いを貰うなんて、そんな文化、聞いたことないんじゃけど」と言うと、夫は「結婚二十周年とかなら、まだ、キリがよくてもらいやすいけど、十七周年で十八年目でって、そんな中途半端な」と、私の問いへの答えになっていない感想を述べる。
 私は「じゃあ、このお金は、また寒くなったら、おかあさんの好物の蟹を買って送るとき用に取っておこう」と提案する。義母はいろいろ好きだけど、メロンと蟹は特に好きだから。
 夫は「うん、じゃあ、そうしよう。でもなんか、まるで、おれがみそきちに世話になってるお礼のお金を払ったみたいなのが、なんだかなあ」とやや不満気。

「いや、まあ、たしかに、私はどうやらくんのことをよくお世話してるとは思うけどね。でも、それで、おかあさんから何かお礼をしてもらおうなんてことは全然思ってない」
「世話してるってなにを」
「それは、まあ、いろいろ。たとえば、毎晩寝る前に、また明日ね、って無事な再会を願いながら、きゅっきゅって抱きつくのとか」
「あれは世話か」
「世話ではないのかなあ。好意を前提に、双方が快適な範囲で、能動的に働きかけるのは世話ではないのかなあ。あ、でも、もちろん、どうやらくんも私のこといっぱいお世話してくれてると思うよ。それじゃけんかどうかはわからんけど、私の実家の人々は、どうやらくんに対して、なんというか、結婚してからずっと、何かと、どうやらくんに貢ぐ傾向があると思わん?」
「おれへの貢ぎ物、みそきちが食べられんもの以外、ほとんどみそきちも食べてるんですけど」
「だって、どうやらくん一人じゃ全部食べきれんじゃろ。ふたりで一緒に食べたほうがおいしいじゃろ。それはともかく、たぶん、どてら(私の実家の苗字)の人たちも、いまさら娘(や姉)を返されても、こっちもいろいろ困りますんで、そのへんそのつもりで、わかっとるよね、よろしく、くらいの礼金感覚は、深層心理のどこかにあるんじゃないかなあ。そう思ったら、おかあさんの気持ちも、まあ、なんとなく、わからなくはないかなあ」
「納得はできんけど、まあ、蟹を送るということで。蟹、蟹」
「うん。おかあさん、蟹、好きじゃもんね」

 あともうふた月ほどで、蟹漁が解禁になる。     押し葉

大きなオクラと小さなオクラ

 この夏、実家の父が畑で作ったお野菜がなんとも立派で豊作で、こまめにクール宅急便で送ってきてくれたものを、たいそうおいしくいただく。

 トマトは、プチトマト、ミディアムトマト、大きいトマト、といろいろ入っていて、くうっ、これは、フレッシュトマトをオリーブオイルで炒めてパスタソースにしよう、と思いながら水で洗っている間に、小さいものを一口、また一口と、私が次々につまみ食いをするから、どんどんとなくなって、うーん、パスタソースにするには量が少ないなあ、それでは、このままいただこう、ということになる。

 茄子は大好きな揚げだしにする。洗って、皮付きのままで切って、油で素揚げして、めんつゆのようなだし汁に浸ける。揚げだしを作るときには、茗荷とニンジンがあると、なおおいしい。ご飯のおかずにも、素麺のおかずにも。

 キュウリは一番多く作るのは塩もみ。スライサーでシャッシャシャッシャとスライスしてから、塩で揉んで、水気を切って、お醤油とマヨネーズを少しずつかけて食べる。切ったトマトと目玉焼きもつける。このメニューにすると、夫が必ず「夏、ってかんじやな」と言う。夏の夕ごはんには、このメニューがおかずとしてよく活躍する。 

 どのお野菜もおいしかったけれど、この夏特に、むむっ、これはっ、と思ったのは、オクラ。
 最初にオクラが送られてきたときには、薄く輪切りにして、フライパンで炒めて、最後に少量の醤油を鍋肌に垂らして味付けした。
 一口食べて夫が「これ、うまいっ」と言う。私も食べてみて「ああ、ほんとだ、おいしい、オクラそのものの味がおいしい。これ、父作」と言う。
 それが夏の初めの頃。

 お盆に広島帰省したときに、オクラがおいしかった話をする。
 甥のむむぎーが「みそちゃんは、オクラ、どうやって食べたん?」と訊くから、「薄く切って、フライパンで炒めた。おいしかった」と応える。
 むむぎーは「ああ、それは、ぜったい、おいしいね」と言ってから、「味付けはどうしたん?」と訊く。私は「お醤油だけ、最後にちょびっと入れて炒めて仕上げた」と説明する。
 むむぎーは「いいねえ、それ。でも、そこは、塩コショウだけでもおいしいと思う」と言う。私は「うんうん、きっと、それもおいしいね。今度はそうしてみる」と言う。
 小学校六年生にもなると、料理の味付けのこまかな調味料の違いに関する会話もできるようになるのねえ、と、甥の成長に感心する。

 夫と私が実家に帰省する前日まで、両親と、甥のむむぎーと、姪のみみがーと、ゆなさん(弟の妻)は、父主催の北海道旅行に出かけていた。
 実家で一人留守番することになった弟は、その旅行の間、父の畑の世話を引き受ける。現在植わっている野菜たちに水をやり、成長したものを収穫する、にわか農夫のお仕事。

 実家の夕飯の席で、私が、父作のキュウリは、ちびっこいのをポリポリと食べたいけれど、送ってきてくれるキュウリの大半が巨大で立派なのは、畑のキュウリがすぐに大きくなってしまうからなんじゃろ、と問うたら、父と母は、そのとおりなのだ、気づいたときには、もう巨大になっているのだ、と言う。
 そこでここ数日、にわか農夫として、畑の世話をしていた弟が「ねえちゃん、知っとるか? キュウリもすぐに大きゅうなるけど、オクラも大きゅうなるんで。バナナくらいの大きさに」と言う。

「うわ、そんなに? それは大きいねえ。大きいオクラは、やっぱりかたいんじゃろうか」
「ねえちゃん、そう思うじゃろ。大きゅうなったオクラは硬うてスジっぽいと思うとるじゃろ」
「うん。そうじゃないん?」
「ねえちゃん、まだまだ素人じゃのう。オクラは大きゅうなっとっても、枝からもいですぐじゃったら、やおい(柔らかい)んで」
「え、そうなん?」
「このまえ、畑でオクラを採ろう思うたら、もうでっかいバナナくらいの大きさになっとって、うわー、こりゃあ食えんかのう、思うたけど、茹でてかじってみたら柔かったけん、そのまま全部、ちゅるちゅるちゅるーっと食べた」
「でも、種は? かたくないん?」
「そう思うじゃろう。種がでかくて硬うて食べられんのんじゃないか、思うじゃろう。それが、ちがうんじゃ。そう思うのは素人なんで。種も多少は大きいけど、柔らかさも味もいっつも食べるオクラと一緒」
「そうなんじゃー。えー、でも、それなら、大きい方がいいじゃん。オクラがバナナサイズに大きくなるのを待ってから収穫したほうがいいんじゃないん? そのほうが可食部が多いいうことじゃろ?」
「それはそうかもしれんけど、そういうもんじゃないじゃろう」

 弟がそう言うと、父と母と義弟が重ねて、うんうん、そういうものではない、何事にもやはりちょうどよい大きさというものがあるのだ、という意味のことを言う。そうなのかな。そういうものなのかな。

 そのとき実家で食べておいしかったのが、茹でオクラ。オクラを丸ごと茹でて、ヘタを切り落としてあるもの。柔らかくて噛むとネバネバとしていて、噛みごたえはあるけれど全然スジっぽくはなくて、そのままでも、少し醤油か何かをつけても、ちゅるんちゅるんと次々と食べられる。

 その食べ方を気に入って、その後、義実家でも茹でオクラを披露する。義母は「へえ、茹でたオクラもおいしいんじゃねえ。みそさん、上手にちょうどように茹でとるが」と私に言う。
 義母は、私が大きなトマトを一口サイズに切って器に盛って出せば、「まあ、みそさんは、トマトを切るのが上手じゃが。可愛らしゅうに宝石みたいに切ってあるけん食べやすいねえ。お父さんも次々食べようてじゃ。私はいっつも大きいままで輪切りにするだけなんじゃけど、それだと食べにくいけん、たぶんそれでお父さんも私もトマトを食べ残すんじゃねえ。なるほど、こうように(このように)一口で食べられるように切りゃあええんじゃねえ」と感心する。
 結婚十八年目の嫁の料理における「切る」と「茹でる」という料理の基礎的な部分に着目して言葉を惜しまない義母はえらいなと思う。

 その後、我が家でも、茹でオクラは夕食の定番になった。茹でたあとで一口大に切っても食べやすいし、小さいものは丸ごとそのままでもおいしい。
 炒めオクラもおいしいけれど、茹でオクラもおいしい。
 大きなオクラもおいしいけれど、小さなオクラもおいしい。

 昨夜またオクラをフライパンで炒めた。今回は大きめのオクラ、といってもバナナほどには大きくなくて、モンキーバナナくらいの大きさのもの、を、斜めに細長く薄切りにして炒めた。
 そのオクラを食べた夫が、斜めに長いオクラを箸でつまんで、「はっ。オクラも五角形だ」と言う。

「うん。五角形よ。オクラも、ということは、他には、何が、五角形の仲間なん?」
「ほら、スターフルーツ」
「ああ、スターフルーツ、あのひとも五角形だねえ。もらったねえ、東南アジアでタクシーの運転手のおじちゃんに。食べたねえ。同じ五角形ということは、植物として、何か仲間なんじゃろうか」
「いや、別物じゃろう。五角形以外は」
「そうかな。なんか種の並び方が似てるような気がするけど」
「そうかあ? 似てるかあ? 味が全然違うじゃん」
「まあ、それはそうだけど。スターフルーツは果物だから甘酸っぱかったけど」
「なんか、五角形のものの法則があるんじゃろうか」
「うん、宇宙の、というか、数学的な、っていう意味でしょ。きっとあるんだよ、なにか」

 夏野菜の満足、オクラの至福。     押し葉

焼き茄子蒸し茄子

 焼き茄子をおいしく食べるには、やはり、茄子の皮全体がほんのり焦げ気味になるくらいに焼いて、パリパリとむけるくらいになったのをむいたもののほうが香ばしくておいしいと思う。
 パリパリになった皮は焦げの味が苦くて、そのまま皮ごとは食べるのは難しい。だから手間だけどきちんと皮をむく。それからようやく、なめらかな茄子の実を、とぅるとぅるぅーっ、と食べる。皮が少し焦げたところの実は、茄子だけれども、わずかに焼き芋のような焼き栗のような豊穣な味わい。
 これから秋が深まりゆくと、茄子の豊穣の味もだんだんと深くなってゆく。
 実家では秋茄子で焼き茄子をするたびに、祖母(現在は他界中)が「おいしい、おいしい、やおうて(柔らかくて)おいしい」と絶賛しては、「昔から、秋茄子は嫁に食わすな、ゆうて言うんは、おいしすぎて食べ過ぎて身体が冷え過ぎちゃあいけんけん、いうことなんじゃろうのう」と言う。
 食べ過ぎないように冷えすぎないように気をつけながら、この秋のあいだに、もう何度か、焼き茄子を作ろう。

 そういえば、大学生のときにも、親元から離れたアパートで、焼き茄子を何度か作って食べていたことを思い出した。作り方は実家風で、コンロの上に焼き網を置いて、茄子をくるくるとひっくり返しながら地道に焼いてから皮をむく。
 その焼き茄子を、鹿児島出身の友人に供したときに、彼女が「焼き茄子大好きだけど、私が作る焼き茄子は、もっと簡単なん。みそさんの焼き茄子に比べると、作り方が簡単なぶん、味も簡単なかんじなんだけど、でも、焼き茄子食べたくても作る手間を考えると作らなくなっちゃうから、食べようと思ったら作り方も味も簡単にしてるん」と教えてくれる。「今度作るから、うちに来て」と、彼女の下宿先に招待してもらい、後日、彼女の焼き茄子を食べに行く。いや、招待してもらってても招待してもらってなくても、当時の私たちは、誰かのところに行きたいな、と思えば、自転車に乗って、ててーっと、遊びに行っていたのだけれども。事前に電話連絡することもあれば、電話連絡なしで行くこともしょっちゅうだ。

 鹿児島友人の焼き茄子にも、ホワホワと花カツオが舞う。お醤油をちびりと入れた小皿に大皿に並ぶ茄子を取り分けていただく。ほにょ。おいしい。おいしいけれど、おいしいけれど……、これは、えーっと、

「ねえ、ねえ、これって、焼き茄子、じゃなくて、蒸し茄子?」
「うん。そうなん。電子レンジで作るから、焼き茄子というより蒸し茄子かも」
「皮は最初からむくん?」
「うん。まずね、茄子の皮をピーラーで、しゅうーっと、全部むきます」
「はい、むきました」
「茄子のヘタ(頭の部分)も切り落とします」
「はい、切り落としました」
「茄子を包丁で一口大くらいに切ります」
「はい、切りました」
「切った茄子をお皿に並べてラップをかけます」
「はい、お皿にラップかけました」
「電子レンジで、適当に加熱します。おまかせのコースがあればそれにおまかせで、手動のときには、どうかなあ、茄子の量にもよるけど、五分かなあ、なんかそんなくらい。それでなんとなく加熱が足りなければ、またちょっと追加加熱するの。で、あとは、花カツオをかけて、それもなければかけずにそのまま、いただきます」
「はい、いただきます。それは、たしかに簡単だ」
「でしょ?」
「うちのおばあちゃん、焼き茄子が好きだから、今度、広島に帰ったときには、この作りかたでも作ってあげてみる」

 そうして、広島に帰省したときに、鹿児島友人直伝の「焼き茄子ではない簡単蒸し茄子」を電子レンジで作った。祖母は、「これはこれでうまいかもしれんが、やっぱりわしは、皮ごと火で焼いて皮をむいたぶんのほうが好きじゃのう」と言った。
 やっぱり、おばあちゃんもそう思うか。私もそう思うよ。     押し葉

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プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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