みそ文

胸毛の処理は必要か

 外国のお客様がご来店くださったときのこと。トルコの方かなあ、イランの方かなあ、と思うような外見の男性の方で、お年の頃は二十代から四十代くらいだろうか。
 そのお客様はわたしたち店員に話すときには、大半は日本語でときどき英語で話される。ただ店内にいらっしゃるときに、ときどきその人の携帯電話に電話がかかってきて、その電話に出て話されるときの言葉は、トルコ語よりもペルシャ語っぽく聞こえるなあ、と思っていたのだけれども、ほんとうのところはどうだったのかわからない。

 そのお客様がある日わたしに、「レーザー、どこですか、毛を、なく、する、やつ」とお尋ねくださる。レーザーの発音がlaserに聞こえたけれど、店内での取り扱いはrazor(かみそり)のほうしかないから、ええいっと強引に男性用カミソリコーナーにご案内してみる。
 しかし、やはりお客様は「これじゃなくて、光のピストルみたいなの、ないですか。razor じゃなくて laser」とおっしゃる。
 やっぱりなあ、そうだよなあ、と思いつつ、白衣のポケットに入れているメモ用紙を取り出してボールペンで「laser」と書き、「お求めなのは、laser、こちらでしょうか」とおたずねする。
 そのお客様は、「そうそう、それそれ」と大きく頷いてから、「ぼくは、胸の毛が、たくさん、ありますね。少なくしたい。レーザー、どこにありますか?」と言われる。
 「レーザーは、電気、を使う道具ですから、電気屋さん、に行って、きいてみて、いただけますか」とお伝えする。
 「電気屋さん、名前、なんていう?」と訊かれて、「そうですねえ、コジマさんですとか、ケーズデンキさん、ヤマダデンキさん、などでしょうか」と言いながら、さきほどのメモ用紙に「コジマ、ケーズデンキ、ヤマダデンキ」などと書いてお渡しする。
 お客様は「ああ、わかりました。そうですね。電気ですね。行ってみます」と言いながら、他の物をレジでお買い上げくださる。

 レーザー脱毛除毛器の機能が胸毛にも対応しているかどうかの知識はまったくないのだけれど、あとのことは電気屋さんにお任せすることにしようと、そう決めて、「ありがとうございました」とお辞儀をしてお見送りする。     押し葉

気になるサンドイッチ

 うちの近所にあるおいしいパン屋さんのパンは、どれもおいしいのだけれども、わたしは特に「ハード系」と呼ばれるらしい(「リーン(lean)なパン」ともいうらしい)噛みごたえのあるパンが好き。ドライフルーツやナッツがぎっしりと練りこまれた全粒粉のパンだとか、フランスパンよりは生地が密に詰まっているけれど、フランスパンよりは全体的に少し柔らかくて、小麦の旨味が口の奥から鼻に抜けてゆくような味わいの生地の中にオリーブの実がまるごといくつか散りばめられているパンは特に大好き。

 妹夫婦がうちに来たときに、そのパン屋さんに案内して、「じゃ、それぞれに食べたいものをトレイに取って、各自支払いをしようね。ポイントはうちのポイントカードに全部入れさせてね」と説明する。
 妹夫婦は「すごいねえ。いろんな種類のパンがいっぱいあるねえ」と感心する。
 わたしは「でも、もう、この時間帯(夕方遅い時間帯)だから、だいぶん種類も量も少ないんよ」と、このパン屋さんのもっと品ぞろえ豊富なところを紹介できずにいることが少しだけ悔しい気分になる。

 妹がハード系のパンのコーナーで、レーズンとクルミがたくさん入っている全粒粉のパンを見て「これおいしそうだなあ。でもあっちの柔らかいパンも食べたいのがいろいろあるし、両方食べるのは無理だよなあ」と言うから、「あ、このパンならわたしも好きで食べるから、買おう。わたしが買うから、やぎ(妹)も食べたいだけ食べるといいよ。こっちのクランベリーとクルミのパンも買うし、両方とも薄くスライスしてもらうから、食べたい人が食べたい時に一枚ずつつまむといいよ」と言って、二種類のパンをトレイにのせる。
 妹は「へえ、スライスもしてもらえるん? タダで?」とわたしに問うて、わたしが「そうなんよ。ちゃんと専用の刃物で上手に切ってくれてじゃけん、自分で切るよりおいしいんよ」とわたしが説明するのを聞いたら、安心したように義弟のところへ移動して、義弟と一緒に菓子パンなどの柔らかいパンを見始める。
 妹が「もっきゅん(妹の夫)。ここのパン屋さんね、硬いパンのスライスも無料でしてくれるんだって」と義弟に報告すと、義弟が「いいなあ。うちのほうにはこんな気の利いたパン屋さんないもんなあ。ここ、パンの種類、ぶち多いじゃん」と言いながら、そんなにたくさん食べられるのかな、と思うくらいの量のパンをトレイにのせている。

 そろそろ会計をしようかな、と思い、レジに並んでいると、義弟がわたしのトレイを見て「みそちゃんは、かたいパンが好きなん?」と訊く。わたしは「うん。かみしめてかみしめて、じっくりとおいしいなあ、ってかんじのパンが特に好き。でも、菓子パンやちょっとケーキみたいなほわほわーっとしてるやつ(こちらは卵バター砂糖などがふんだんに使用されることから「リッチ(rich)なパン」と呼ばれるらしい)もそれはそれで好き」と答える。

 お店の人に「これとこれはスライスをお願いします」と頼むと、「どれくらいの幅にしましょうか」と聞き返してくださる。「ええと、これくらい」と言いながら、親指と人差指の間に「これくらい」の隙間を作る。お店の人が「二センチくらいですかね」と言われるから、「はい、それくらいで」とお願いする。
 スライスをお願いしたときに、そのパンの形状によっては、「まっすぐに切りますか? それとも斜めに切りましょうか?」と訊いてくださることもある。パンの種類やそのときに気分によって、まっすぐで頼んだり斜めでお願いしたり、いろいろ。

 それぞれに自分の食べたいパンを買い終える。
 義弟が買ったパンの中に、エビフライとタルタルソースをやわらかいパンに挟んだサンドイッチのようなバーガーのようなパンがあったから、「一度うちに持ち帰って、この人(パン)は冷蔵庫に入れよう」と決める。
 妹が「じゃあ、わたしらの荷物も持って降りて、ねえちゃんちに置いてから出かけたらええね」と言う。

 義弟が買ったエビサンドイッチを見た妹がわたしに「もっきゅんね、今日ね、ずっと、サンドイッチが食べたかったんよ」と言ってから、義弟に「ね、もっきゅん。新幹線の中で、ずっと、他の人のサンドイッチのことが気になりようたんよね」と話しかける。

 妹夫婦は広島から乗った新幹線の中で、缶ビールを飲みながら、魚肉ソーセージをかじり、自宅で作ってきたアサリの酒蒸しをツマミとして食べて、くつろぎの旅のひとときを過ごしていた。アサリの酒蒸しは、自宅の冷蔵庫にいるアサリを残していくわけにはいかない、という事情があってのことだったものと思われる。

 新幹線の車中でアサリの酒蒸しを食べている人はそうはいなくて、他の人からの『ビールにアサリの酒蒸しいいなあ。どこに売ってるんだろう。駅の売店? それとも、車内販売?』という思念の中、「本当においしいんじゃけど、せっかくじゃけん、他の人にもそのおいしさが伝わるように、ちゅちゅっと、おいしそうにあさりを食べてあげといた。親切じゃろ」と妹は言う。

 そんな新幹線の中で、妹夫婦の斜め前方に座った人が、車中でサンドイッチを取り出して、座席前のテーブルに置く。
 そこで義弟の「サンドイッチ食べたい欲」に火がつく。義弟は車中で何度も妹に「やぎちゃん、見て見て。あの人、サンドイッチ持っとってじゃ」「ねえねえ、やぎちゃん、あの人まだサンドイッチ食べてないよ。いつ食べるんじゃろう」と訊いてくる。
 妹は「そんなん、本人が食べたいときに食べてじゃわいねえ」と言うけれど、義弟はその人のサンドイッチが気になって仕方がない。
 妹が「そんなにサンドイッチが気になるんじゃったら、車内販売で買って食べたら?」と提案するが、義弟は「それはいやだ」と言う。「今サンドイッチを食べて、今夜の夕ごはんで日本海のお魚たちを食べるのに差し支えたらいけんけん」というのがその理由。
 ところが、そのサンドイッチの人は、車中でテーブルの上に出したサンドイッチを一度も開けることも食べることもなく、新幹線が新大阪に着いたところで、未開封のままでまた自分の鞄の中に片付けて降りていったのだという。

 新大阪から京都までの間、義弟は妹に、「やぎちゃん、ちょっと、どういうこと? なんであの人はサンドイッチを出したのに食べんかったんじゃろう。なんで出したサンドイッチを食べんまんまで新幹線を降りたんじゃろう」と訊きまくる。
 妹は「そんなん、人のサンドイッチのことなんか、知らんようねえ。あの人はそういう気分じゃったんじゃないん? 鞄の中に入れとくよりもテーブルの上に出しといたほうが涼しくて保存にええと思うちゃったんかもしれんし。いいじゃん、好きにさせてあげんさいや」と言うけれど、義弟はどうにも納得できないようすで「新幹線の中でサンドイッチがあるのに食べん、っておかしいじゃん」と妹相手に訴え続ける。

 うちに着いてから妹が「じゃけん、こうやってサンドイッチを買えてよかったね、もっきゅん。明日の朝ごはんがたのしみじゃね」と言うから、わたしも「もっきゅん。もっきゅんのサンドイッチは、冷蔵庫のここの引き出しに入れるよ。明日の朝、ここから自分で出して食べてね」としっかり説明をしておく。

 翌朝、起きてみると、義弟はずいぶん早い時間から起きてケーブルテレビの釣り番組を見ていたらしく、妹もわたしより少し早く起きていて、ふたりともすでに朝ごはんのパンを食べ終えていた。
 「パン、あんなにたくさん買ったのに、よく全部食べられたねえ」と感心するわたしに、妹は「うん。おいしかったけん。ねえちゃんが買ったレーズンのやつもスライスしてあるの一枚食べたよ。おいしかった」と言い、義弟は「おれはこれから最後のクロワッサンを食べるんじゃ」とテーブルの上に手を伸ばす。
 よかった、よかった、それはよかった、と思いながら、わたしは自分の朝ごはんのオリーブのパンを口の中でじっくりじんわりかみしめる。それから、ゆっくりと「ああ、おいしい」と安堵する。     押し葉

お客様のお名前は

 妹夫婦がうちに来たとき、到着したのがもうわりかし夕方遅い時間だったから、では、まずは、明日の朝ごはん用のパンをおいしいパン屋さんで買いましょう、とパンを買いに行き、そのパンをいったん家に持ち帰り、冷蔵が必要なものは冷蔵庫へ、常温でよいものは涼しい部屋で保存する。
 そうしてから、夕ごはんに回転寿司を食べに行きましょう、と、いうことに。前回二年前に二人が来たときにも一緒に行って、たいそう満足したお店へと向かう。

 お店に行ってみると、その日は回転寿司な気分の人が多かったのか、順番待ちのお客さんが待合椅子に座って待っている。でも、そんなに多くはないし、店内を見る感じでは、片付けさえすれば空くテーブルもカウンターもたくさんありそうだったから、待ち順リストに名前を書いて待つことにする。

 義弟(妹の夫)が、レジ前のリストに名前と人数と希望の席の種類を書き込む。希望の席は「空いたところどこでも」。人数はおとな三人(義弟と妹と私)。名前は「ドテラ」。「どてら」は、妹とわたしの旧姓。

 妹が「今ここにいる三人の中に、苗字がドテラの人間は一人もおらんのにね」と言う。義弟は「いいじゃん。このメンバーが共通して反応する名前なんじゃけん」と言う。わたしは「うん。いいと思う。うちもね、どうやらくんと二人で来るときには、ふたりとも苗字ドウヤラなんだけど、こういう呼び出し用のお客様の名前のところには、いつも、ドテラ、って書くん」と話す。

 妹と義弟が「ええっ、この三人ならドテラもありかもしれんけど」「うちで二人で行く時にはちゃんとモリオカって書くよ」と言う。
 わたしは「だってね、ドウヤラって書いてもね、ドウヤラっていう苗字自体がちょっとめずらしいけん、どこのお店の人も、え? ド、ド、ドドドドッ? って混乱して、ちゃんと名前を読んで呼んでもらえたためしがないんよ。その点、ドテラ、って書いておけば、まあ、そう同じ名前の人と一緒にはならないけど、読むのも呼ぶのも問題ないのがちょうどいい名前なんよ。じゃけん、どうやらくんもわたしも、書くときには、迷わず、ドテラ、って書くん」と話す。

 それにしても、「どてら以外のところに行きたい」と願って出かけた旅先で、人生一度も「どてら」姓になったことがないにもかかわらず、自ら率先して「どてら」を名乗る義弟の「どてら度」はもはや相当に高いと言えるであろう。仕事とはいえ、さすがに毎日「どてら(妹とわたしの実家)」に通っているだけのことはあるなあ。     押し葉

富士山と日光東照宮と我が家

 七月十六、十七、十八日の連休を利用して、妹夫婦がわたしの家に遊びに来た。広島から新幹線に乗って、京都で北陸に向かう特急サンダーバードに乗り換えて。三連休とはいっても、義弟(妹の夫)は土曜日の午前中も働くから、実質2.5連休ではあるのだけど。
 前回ふたりがこちらに来たときには高速道路を自家用車で走行してやってきた。今回JRの駅に出迎えに行ったら、会うなり、ふたりともが「JRだと近い! はやい! 快適!」となんだか大喜びしている。

 七月の十一日だか十二日だかその頃に、突如妹が電話をかけてきて、「今度の連休、そっちに遊びに行ってもええかね? ねえちゃんは無職で暇じゃけんええじゃろ? あとは、おにいさんがいいかどうか訊いてみてくれん?」と言ってきた。

「うん。いいよ。どうやらくんもいいって言うと思うけど、一応訊いてから返事するね。ただ、どうやらくんは、土日は富士山に行っとっておらんけん、日曜日に富士山から帰ってきたときに、やぎ(妹)ともっきゅん(義弟、妹の夫)がうちにおってもいいかどうか訊くよ」
「えええっ。富士山? なんで? どうやって?」
「なんでかはようわからんけど、富士山のてっぺんに登りたいらしいんよ。なんかね、どうやらくんね、斜面を登り降りすることや小高いところのてっぺんに登って行くのが好きみたいなん。どうやって行くかっていったら、こっちの駅前からバスに乗って現地の登り口まで連れて行って連れて帰ってきてくれるツアーに入って行くんだって」
「へえ、そうなんじゃあ」
「そういうわけで、日曜日の夜と月曜日には、やぎともっきゅんもうちにおったら、どうやらくんの富士語りを聞くことになるけど、それでもよければ」
「わかった。まだ、旅行の行き先、何ヶ所か候補にあがってて、もっきゅんと検討中じゃけん、もしかしたらそっちには行かんことになるかもしれんけど、行っても大丈夫な候補地にしていいかどうか、おにいさんに訊いといてほしいんじゃ。あのね、ほら、うち、もっきゅんが、どてら(わたしと妹の実家の苗字)の会社(両親が経営する小さな会社を現在は弟が引き継ぎ、一年と少し前からその会社業務に義弟も参加することになった)に就職してから、毎日、どてらの事務所(実家の住居家屋のほぼ隣にある建物)でどてらの人らに会うじゃん。にいちゃんとか、とうちゃんとか、かあちゃんとか。まあ、仕事じゃけんしょうがないんじゃけど、私なんか、自分の実家じゃいうても、月に一回か二回、行くか行かんかなのに、もっきゅんは妻の実家に毎日行くことになるけん、なんというか、どてら以外の別の刺激が欲しくなるみたいなんよねえ。それで、もっきゅんが、やぎちゃん、おれ、どてら以外のところに行きたい、みそちゃんのところにまた行ってもええかなあ、って言うけん」
「ほう、そうなんや。わかった。今夜どうやらくんに訊いてから、そのあとでメールするね」

 夜になって帰宅した夫に、妹からそういう内容の電話があったのだ、と話す。夫は「もちろん、どうぞー。歓迎歓迎。おれは、土日おらんけど。富士山に行ってて、いないのさっ」と言う。

「ありがとう。じゃあ、やぎに、どうやらくんも、どうぞー、歓迎歓迎って言ってるよ、って伝えとくね。けどさあ、もっきゅんね、どてらの人々とは異なる刺激を求めて旅に出たいのに、その行き先が、わたしのところ、妻の姉のところでは、あまりに限りなくどてら風味、妻の実家風味だと思うんだけど、彼はそれでいいんじゃろうか」
「それは、おれもそう思う。うちは、人口の半分がどてら出身のみそきちでできてるけん、どてら文化がかなり濃いと思うけどなあ。もりおかくん(もっきゅんを苗字で呼ぶと「もりおかくん」になる)は、それで、ええんかなあ。まあ、それでええけん、こっちに来ることを思いつくんじゃろうけどなあ。本人がいいんなら別にいいけど」
「うん、まあね、まだうちも旅行先の候補のひとつ、の段階らしいけん、もっと他に、どてらの香りが全然しない旅先にするかもしれんしね。まあ、もし、来ることになったときには、よろしくお願いします、ということで」
「うん。わかった。おれはその日は富士山に行っとるけん、こっちにはおらんけどっ」
「うんうん。富士山ツアー催行されることになってよかったねえ。たのしみだねえ」

 それから、妹に宛ててメールを書く。「どうやらくんに訊いてみたら、どうぞー、歓迎歓迎ーって言ってるから、どうぞ」送信。
 妹からは、「ありがとう。まだ、ねえちゃんのところにしようか、日光東照宮にしようか、迷い中じゃけん、決まったらまた連絡するね」と返信がくる。

 夫に「やぎともっきゅん、旅行先、うちにするか日光東照宮にするかで迷い中なんだって。どてらから離れてリフレッシュするという意味では、そこは、うちよりも圧倒的に日光東照宮じゃろう、という気がするねえ」と話す。
 夫は「それは間違いなく日光東照宮じゃろう。いいなあ、日光東照宮。おれも前から一回行ってみたいと思ってるんだよなあ。もりおかくんとやぎちゃんには、うちに来るのは歓迎だけど、日光東照宮おすすめー、って伝えといて」と言う。

「どうやらくん、日光東照宮には行ったことがなくて一度行ってみたい立場なのに、なんで『おすすめ』できるん? おすすめ、っていうのは、自分が一度以上行ってみるなり体験するなりしたことに関してできるものなんじゃないの?」
「でも、日光東照宮は有名じゃん。行ったことなくても行ってみたいんじゃけん、おすすめしていいと思う」

 そ、そうなのか? おすすめ、って、そういうもの、なのか? どうも夫の『おすすめ』に関する価値観や精神性のようなものが、わたしの腑にすとんと落ちない。

 なにはともあれ、その後、結局、妹夫婦の旅先は、日光東照宮ではなく我が家となった。
 土曜日の早朝、富士山に向けてうきうきと出発する夫を玄関で見送る。それからまた少し寝る。目が覚めてからゆっくりと、妹と義弟用のお布団を敷いたり、いろいろと準備して、夕方に駅の改札口で妹夫婦を出迎える。
 義弟が「せっかくこっちに来るんじゃったら、むむぎーとみみがーも一緒に連れてきてやろうかと思って、子どもだけ連れて行こうか、いうて、あにき(わたしの弟。妹の兄)に言うてみたら、あにきもけっこうノリ気で、すぐにゆなさん(弟の妻)にむむぎーとみみがーのスケジュールを確認してくれたんじゃけど、むむぎーもみみがーもそれぞれに習い事で泊まりがけの合宿の予定が入っとったけん置いてきた」と言う。
 義弟よ。そうやって義理の甥や姪をかわいがってくれるのは、いつもほんとうにありがたいけれど、どてら風味から離れてリフレッシュ旅行しようというときに、むむぎーやみみがーというどてら風味の濃い人たちの同行は思いつかなくていいから。まずは君のリフレッシュに集中しようよ、ね。     押し葉

色あざやかにぷくぷくと

「家庭内の獣の毛」

「結婚腹帯」


 「結婚腹帯」を読み返すと、あのときの、ぷくぷくとしたうれしいようなあたたかい気持が色あざやかに蘇る。お店のコンドーム売り場(妊娠検査薬売り場でもある)とベビーコーナーまでの通路を、なんだかスキップするみたいにして、わたしのあとについて歩いてきてくださった若い男性のお客様の絶え間ないほほえみのことも。
 あの接客とご案内には、薬学的な知識はほとんどまったく必要なかったけれども、あのひとときと遭遇して、あの気持ちを味わった、そのたったひとつのことだけでも、わたしは大学で薬学部に進学して、薬剤師になりあの仕事に就いてよかったなあ、と思う。
 高校生のとき、進学希望の学部として一応薬学部も想定し、理系のクラスを選択した自分に「よしよし、それでよし!」と強く大きく伝えたい。
 そして、高校三年時、理系のクラスメイトの中に、現在夫として同じ家でともに暮らす人がそこにいるだなんていうことは、あのころのわたしに話しても、ぜったい信じないと思うなあ。     押し葉

これはねお願いなのよと気がついて

「パラダイスゆったり」

「ライオンを見習え」

「クセとコツ」


 ここしばらく、更新ごとに、上記のような過去記事へのリンクがあることにお気づきの方はお気づきであろうと思うのだけれども、これはただ単に「古い記事も読んでね、うふん」と言う意味合いでリンクしているわけではない。

 過去記事を製本するにあたって、誤字脱字その他の修正校正を行ったものを、自分一人だけでこっそりひっそりと見直すのではなくて、自分以外の方々の目でも見ていただくことによって、自分ではなかなか気がつかないような修正不足部分を教えてもらえるとありがたいなあ、ラッキーだなあ、という意味合いもありリンクしている。
 また、自分だけでこっそりと過去記事の校正をするよりも、わたしの場合は、誰かの目に触れるかもしれないことを意識しながら見直すほうが、より丁寧に見直すことができる部分があるから、それもあってそうしている。

 もちろん、「えー、ただ面白く読むのはいいけど、ここ間違えてますよ、なんて連絡するのはめんどくさいー」であるとか、「そもそも、わらわは、このようなところに、来とうはなかったのじゃ。迷い込んだついでに一応読みはしたけれど、わらわはすみやかに立ち去りたいのじゃ」という方々もいらっしゃることであろうと思う。
 そういう方々は、どうぞお気になさらずに、そのまま、お好みしだいでお過ごしいただければ、恐悦至極に存じます。

 そして、もしも、奇特な方のご厚意を得ることができるならば、「あらまあ、みそさん、校正がんばっているのね。誤字脱字等のチェックに、たまには協力してさしあげてもよろしくてよ、おほほほほ」と、つい思っちゃう物好きなそこのあなたには、よろしければ、気が向いたときだけでも、リンク先に目を通していただけますれば、過分な誉れにございますゆえ、なにとぞよろしゅう、なのだ。
 そしてすでに協力くださっている方々におかれましては、引き続きさらによろしゅう、でございます。     押し葉

パンジャーブ地方の人を見習って

「夏の夫婦のスキンシップ」

「馬油じゃなくてサニーナ」

「他人の激似」


 昨日の土曜日、夫がわたしの誕生日プレゼントにと、誕生日には一週間早いけれど、サンダルを買ってくれた。
 夫のもとには毎年夏になると「リーガル」というたぶん靴の会社の株主優待券が送られてくる。店頭表示価格の三割引で買い物ができるという券らしい。その券が届くと、夫が「みそきちのサンダルを買いに行こう」と誘ってくれるから、ここ何年かは、毎年新しいサンダルを買ってもらっている。

 夫が買ってくれたサンダルを履いて帰省すると、実家の家族たち、とくに父と弟の、わたしの履物に対する心配というか苦言というかそういうものがないのがよい。
 わたしは自分ではなかなか、自分の履物とくにサンダルのために、一万円を超える金額を投資することがなく、またそうする気概も持ち合わせていない。
 しかし、わたしが気軽な値段の靴を履いて帰省し、実家の玄関に脱いでいると、その気軽な値段の靴を見た父や弟は、つい、「もうちいとええ靴をかええやあ(もう少し良い靴を買いなさい)」と言わずにいられないスイッチが入るようなのだ。
 しかし、夫がリーガルのサンダルを買ってくれるようになってからは、彼らのそのスイッチが入らないので、双方たいへんに気持ちがやすらか。

 今回買ってもらったサンダルは、玉虫のような深い緑色。足首をスナップのついた細いベルトで巻いてぱちんと留めて履くタイプ。皮が柔らかく、靴底の柔軟性が高いので、サンダルのわりにはフィット感がたいへんによい。ヒール(かかと)の高さは測ってみたら7cmあるが、その高さを感じさせない歩きやすさだ。

 夫が今年も誕生日プレゼントにサンダルを買ってくれると言うから、サンダルを買うときにサンダルのデザインや色を選びやすくなるようにできるといいな、特定の服装によく合うデザインのサンダルを買ってもらいたいな、と、思い、事前に新しく服を買った。手持ちの洋服たちよりもよりいっそう涼しく過ごせるような服を用意したい気持ちもあったから、サンダルが似合うデザインのもので、実際着てみて着心地が軽くて涼しいもの、という条件を服を選ぶときの基準にした。

 サンダル購入時に合わせる目的で買った服は、インド綿のしわしわとした素材のワンピースのスカートとその上に羽織る上着。ワンピーススカートのほうは深いエンジ色のような紫色のようなそんな色で、羽織物のほうは薄い淡いサーモンピンク。両方とも少し透けたようなしわしわ素材で、軽くて、風通しがよくて、涼しい。

 だから、サンダルを買いに行くときには、このワンピースと羽織物の組み合わせを着て出かけた。自分では、自分なりに、その着心地にも、自分の血色の発色ぐあいにも満足しているのだけれど、夫はその組み合わせで服を着たわたしを見て、「なーんか、シャキッとしてないよなあ」と言う。
 この服におけるコンセプトは、シャキっと、ではなくて、どちらかというとダラリおよびサラリである。
 少しヒールの高いサンダルになることを想定して、つま先立ちで立ったときに洋服のラインが美しく見えるようなものを選ぼうと思ったから、服屋さんの試着室では、鏡の前で何度もキュッとつま先で立ってシルエットを確認して選んだ。
 たしかに夫が言うように、シャキッとはしていないかもしれないけれど、サラッとしてふわっとして涼しくて快適で、これはこれでありだと思う、と、自信を持って出かける。

 リーガルのお店に入ると、わたしの足元を見た店員さんが、わたしの履いているものが一昨年そのお店で購入した同社のサンダルであることに気づいて、「大切に履いてくださっているんですね。いつもありがとうございます」と声をかけてこられる。
 できることならば、自分が気に入ったデザインと同じものを、繰り返し繰り返し購入使用したい傾向があるわたしとしては、「色違いでもいいのですけれど、今履いているこのサンダルと同じデザインのものはありますか」とまずは尋ねる。
 店員さんは、「いえ、すみません。今年はそちらのデザインのはないんです。お客様はサイズは23.5ですよね。23.5でしたら、こちらか、こちらか、こちらなどになりますが、今年のデザインは、皮部分と靴底に柔らかい素材のものを使っていまして、履いたときにフィット感がよいのと、ヒールが高いのを感じさせない歩きやすさが特徴なんです」と説明してくださる。
 なるほど、と、納得して、店内にある、といっても、靴業界ではサンダルは既にシーズン終盤の商品だから、クリアランスセール品になっていて、種類がそう多くはないのだけれども、あるものの中で、いくつか試しに履いて、鏡で見て、夫に見てもらって、歩いてみて、決める。

 そして「これにします」と決めたサンダルが、深い玉虫色のもので、新しいサンダルを履いて歩く練習も兼ねて、「これをこのまま履いて帰ります」と申し出る。
 お店の方が、値札などのタグを取ってくださる。わたしが履いてきた古いサンダルはリーガルのビニール袋に入れてもらった状態で持ち帰る。

 着ているものが、なんとなく桃色の仲間の色あいの状態で、この玉虫色のサンダルを履くと、くっと足元の印象がしまるね、と夫と話しながら歩く。
 夫も「そのデザインかっこいいなあ。色もいいなあ」とうれしそう。

 そして、そのかっこうのままで、誕生日には一週間早いけど、夕ごはんをご馳走するよ、と言う夫に誘われて、お気に入りの料理屋さんへ行く。
 お店に着いたのは、ちょうど夕方五時になるころで、外はまだまだ明るくて、営業時間にはまだ早いかな、と思ったけれど、もう営業の暖簾が出ていたから、よかった、と安心して入る。

 お店に入ってみると少し支度中なかんじがありはするものの、どうぞいらっしゃいませ、と招かれるから、カウンター席の隅っこに座る。
 ここのお店の厨房には、店主である男性料理人さんと、修行中とはいえもう既にかなりのベテランさんになられた女性料理人さんとがいらっしゃる。
 夜になって、夕食の本格的な時間帯になると、大学生くらいの年頃の、でも、みんなどこかの調理師専門学校の生徒さんだろうか、と思うくらい、料理に関して丁寧に教育された若者たち数名が、配膳などの業務を担う。

 昨日、わたしたちがお店に入ったときには、まだ、若いアルバイトさんたちの出勤時間よりも少し前だったから、女性料理人さんが、おしぼりと飲み物を運んできてくださる。
 夫は生ビールの中ジョッキを。わたしは炭酸水を(サントリーのSODAだった)。

 少し前から炭酸水を注文するようになったわたしのことを、店主の男性料理人さんは少し不思議に思っていらっしゃるらしくて、「味のついてない炭酸水でもおいしいんですか?」「炭酸水を飲むのは、なにか、からだにいいんですか?」と訊いてこられる。
 わたしは「わたしも最近になって気がついたんですけれど、甘くない、味のついてない炭酸水が、これが、おいしいんですよ」「なににいいか、というと、そうですねえ、さっぱり、にいいです」と応える。

 女性料理人さんは「わたしも自宅でときどき炭酸水飲むんですよ」と言われ、店主さんが「味が付いてないと苦いような気がするけど、大丈夫なんか?」と訊かれると、女性料理人さんが「そのちょっと苦いのがおいしい」と言われるから、わたしも「そうそう。なんとなくちょっとだけ苦いようなかんじがするのもおいしさのうちですよね」とうなづく。

 今回、わたしが、若干透けたようなしわしわ素材のインド綿の衣類を着ているのを見て、女性料理人さんが「涼しそうなお洋服ですねえ。いいなあ。素敵だなあ。なんだっけ、なにかに似てる、ああ、そうだ、天女の羽衣みたい」と言われる。
 「そうなんです、涼しいんです。風通しがよくて」と応えるわたしに向かって、夫は「うーん、寝間着みたいな服なのになあ。お客さんパジャマで出歩いてるんですか、インドのパンジャーブ地方の人ですか、って言いたくなる」と言う。
 わたしは「インドのパンジャーブ地方の人を見習って、この暑さの中でも涼しく過ごせる工夫をするほうがいいと思うな。すでにそうしているわたしはえらいんじゃないかな」と言ってから、炭酸水を、きゅっきゅっぱふーっと、いきおいよく喉に通した。     押し葉

夫を置き去りにした夏

「みずからがかけるもの」

「火の国の生き物たち」

「火の国の雀たち」


 熊本に引っ越して最初の夏は、そのあまりの暑さにおどろき、大阪での仕事を退職した直後で当時無職になったばかりだったわたしは、熊本の暑さから逃げるように、北海道へ避暑の旅に出かけた。
 その当時、北海道の網走市に友人夫婦が住んでいて、彼らのおうちに居候させてもらった。たぶん少額の食費の納入と多少の家事手伝いの労働を申し出て居候させてもらい、そのおうちを基点にして道東を巡ったように記憶している。
 北海道に行ってくる、というわたしに夫は、「おれを置き去りにして、ひとりだけー」と苦言を呈していたような気もするが、暑さで頭がもうろうとしていたので、あまりよくおぼえていない。

 友人夫婦は平日は勤労にあたっているということもあり、彼らの勤労が終わる時間までを、わたしはひとりで観光バスに乗って、周遊のときを過ごす。あるいは、徒歩などで移動可能な近辺を散策する。もしくは、なんとなくおうちにひきこもって、ゆうるりと本を読む。

 観光バスの車内では、地元住民の方達が夏になると海水浴をしにくるという海岸を紹介される。バスガイドさんが「こちらに見えてまいりますところが、海水浴の季節になると、砂浜で焚き火を焚く海水浴客の姿が多く見られる海岸でございます」と説明してくださる。

 わたしにとって海水浴というものは、世の中の気候が暑いから、少しでも涼を求めて、気温よりも温度が低い海水の中に身を浸す目的で行うものだと思っていた。
 しかし、北海道では、海水浴は「夏だから」行うものであり、「暑いから」行うものではなく、「寒くても」行うもので、「寒ければ焚き火を焚いて暖をとりつつ」行うものだということを、そういう海水浴の捉え方も世の中にあるということを、わたしは生まれて初めて知った。

 もともとわたしは、「日本は」「日本人は」という類のものの言い方や考え方はしないほうではあるけれど、海水浴ひとつとっても、これほどに、その捉え方が異なるということは、その他の価値観や文化背景も当然一様であるはずはなく、であるならば、やはりこれまで以上によりいっそう、「日本は」「日本人は」というようなものの言い方や考え方には意識して距離を置いて生きていこう、と、自らのこころに深く誓いつつ、熊本へと戻った。

 そのおかげもあったのか、その後、熊本で遭遇体験した様々な出来事や人のことやものの在り方は、どれも興味深く面白く思いこそすれ、なぜこうなのだ、どうしてこうではないのだ、と不満や嫌悪をおぼえることはほぼまったくいっさいなくてよかったなあ、熊本暮らしの初期のうちに北海道に旅行して、異文化に対する柔軟性のストレッチを行った自分はさすがだね、お手柄だったね、と、自らを寿ぎ称えるのであった。     押し葉

七夕に請い願う

「点の記感想」

「ドクターフィッシュ」


 だが、しかし、上記のドクターフィッシュの皆様は、その後、わたしが再度その温泉施設を訪れたときには、完全に全員が彼らが入っていた水槽(足湯浴槽)も含めて、退職撤退なさっていたのであった。
 現在彼らと同じ退職者(失業者)という身の上としては、いや、もしかすると彼らはすでに転職(職場の変更)を果たしているのかもしれないが、退職転職した彼らドクターフィッシュたちの行く末に幸多からんことを請い願う七夕だ。     押し葉

がんばろう鳥頭

「字幕と吹き替え」

「おかあさんはゆみちゃん」

「爪と絆創膏」

「包丁生活」


 上記の「爪と絆創膏」と「包丁生活」を見直していて気がついたのだが、わたしはこの記事を本日読みなおすまでのあいだ、自分が当時爪を切り落とす怪我をしたことを完全に忘れ去っていた。
 文中でわたしは「生まれて初めて爪を切るような怪我をしたのだから、このようなことはめったにない」だとか「いくら鳥頭でもそう簡単には忘れないから、たぶんもうこんな怪我はしない」などという意味のことを言っているけれど、当時のことを今日までこんなにすっかり忘れていたということは、「生まれて初めて」というのも本当に生まれて初めてだったのか、ただ単に過去の負傷の数々のことは忘れていて初めてのような気がしているだけなのかが怪しくなってくる。そして、「そう簡単には忘れない」に至っては、もう、いや、あなた(わたし)、いとも簡単に忘れてるから、鳥頭立派すぎるから、と、約二年前の自分に、こんこんと、せつせつと、説教してやりたい気分だ。
 しかし、たとえ、当時の自分に、そう説教してやったとしても、鳥頭なわたしは、説教してもらったことをきれいさっぱり忘れるか、自分の鳥頭ぶりをさらに誇らしく思うかの、どちらかなんじゃないかなあ、と、なんとなく、そんな気がする。

 それにしても、当時自分が怪我したことをまったく忘れるほどに、きれいに治った左手薬指の爪は、ほんとうにえらいなあ、きれいに治ってよかったなあ、と、あらためて感心中。

 追記。
 そういえば、なのだけど、「おかあさんはゆみちゃん」を書いたときに、実家の母が「おかあさんの名前ではなくて、子どもの名前を訊いて、だれだれちゃんとなになにくんのおかあさまー、と呼ぶのがよいのではないか」という意味の拍手コメントをくれたことを思い出した。
 今度迷子に遭遇することがあったら、先に迷子本人の名前を確認することにしよう。     押し葉

半夏生は焼き鯖で

 本日は半夏生(はんげしょう)。

 現在わたしが暮らす地域では、この半夏生の日には、焼き鯖を食べる文化風習がある。
 くわしいことはよく知らないのだけれども、なんでも昔、この地方を治めていたお殿様が、この時期に焼き鯖を食べて、体調を整えて、これから暑さが厳しくなる季節に夏バテすることなく暮らそうぜ、と、領民に御触れを出したとかで、その御触れに従って、老いも若きも赤子にいたるまで、一人あたり鯖一匹、丸ごと串刺し焼きサバ一本を食べて、暑気払いの前哨戦に努める。

 だから、半夏生の日は、食品を売るスーパーマーケットの駐車場には、「半夏生」「焼きサバ」ののぼり旗がはためく。スーパーの建物の出入り口付近に、炭火焼の鯖の串焼きを売るテントを特設するお店もある。
 野外での特設がない場合でも、店内の鮮魚コーナーの焼き魚の平台には、串焼きにされた鯖たちがパック詰めされて山積みになる。

 わたしは焼き鯖は好きだから、よく焼いて食べるけれど、ひとりで丸ごと一本(一匹)は少し多すぎる。
 半夏生の食文化としての正当な摂取量は、一人一匹、乳幼児も一人一匹、らしいけれど、現在の領民たちの多くは、それほど、一人当たりの鯖の摂取数についてこだわっていないように見受けられる。
 また、半夏生の日にどうしても鯖でなければ、とこだわる領民も、今はそれほど多くなく、みなそれぞれに、その日に食べたいものを食べている様子だ。

 それでも、こちらの地方局のテレビニュースなどを見ていると、今日は半夏生だから、家族の人数分の焼き鯖を予約注文して炭火焼してもらったのを買いに来ました、というような映像が流れる。
 だから、地域や家庭や人によっては、今でも、半夏生の鯖をまじめに食べて、ちゃんと暑気払いを始めるのだろうと思う。

 半夏生は、「これからさらに本気で暑くなっていくからね、そのつもりでよろしくね」という環境からのお知らせの日であると同時に、人間の側も生き物として、「なるほど、また夏がくるのですね、了解しました、がんばりましょう」というこころづもりをする日なのかもしれないな。


「ラーメンはネギ抜きで」

「朝に「おかえり」と言って見送る」

「破傷風と過食症」

「夫の感想(「劒岳」)」     押し葉

自分で自分を称える

 過去のみそ文を見なおしていると、わりと最近の記憶であるにもかかわらず、当時の自分は、よくまあ、こんなおかしな、というのか、わけがわからない、というのか、不思議なことをおっしゃるお客様方の相手をよくしていたことであるなあ、と、よくこんな、間に受けているかのような対応をしていることであるよ、と、我ながら感心するような呆れるようなそんな気分になってくる。

 もしかすると、ほんとうはもっと、受け流すような、あんまり間に受けない対応でもよかったのかもしれない、という気もしてくる。けれど、当時の自分としては、あれでも、かなり受け流していたつもりだったんだよなあ、ということも思い出す。
 もしかすると、そういうお客様に遭遇した瞬間に、これはネタになると感知する何かがわたしの中のどこかにあり、それが脳の片隅でキーボードをたたき始め、ネタとしての展開を促すような対応をわたしにとらせていたのかもしれない。

 丁寧な、といえば聞こえがよいが、実際には、人によっては、ややくどいきらいがあると感じることもあるであろうわたしの対応の、その丁寧さとくどさもある意味すごいけれど、あのお客様方が全員実話の登場人物だというのもまたすごいことであるなあ、と思う。

 不思議なことをおっしゃるお客様とは異なり、小さなお客様方の買い物人としての、なんというのだろう、その真摯な姿は、いま読み直しても、こういう光景に出会えるのは人生の醍醐味だな、と思う。そして当時のその出来事と情景をこうして記録していた自分お手柄だよ、と、自分で自分を称える。


「爪水虫は病院へ」

「視力検査」

「皮膚の治癒力」

「じーまみ豆腐」

「ポイントカード」

「夫の日記(Weblog)」

「いごねり」

「少し大きくなったから」     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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