みそ文

合成洗剤とインフルエンザ

 昨日の日記に、最近は、抗アレルギー薬に継続してお世話になることにして、各種アレルギー反応が少なくなり、QOLが向上した、という話を書いた。

 抗アレルギー薬の活躍は、もちろんありがたいのだけれども、わたしの各種アレルギー症状が劇的に少なくなったのは、やはり「いわゆる合成洗剤(以後、合成洗剤、と略)」の使用をやめてからのように思う。
 十数年以上前にふと、もしかして、もしかしなくても、これは洗剤だ、と思い至り、家中のあらゆる洗剤を合成洗剤からそうでないものに変更した。

 合成洗剤でないもの、については、いろいろ試行錯誤の旅を続けた結果、いまでは、使い勝手も洗い上がりも満足なものたちに出会えて、まったく不便がない以上に、たいへん快適に生活できるようになった。

 合成洗剤は、衣類洗濯用、台所食器用、シャンプー・トリートメント、体洗い用石けん(洗浄剤)、歯磨き、トイレ用洗剤、お風呂用洗剤など多岐にわたって使用されているから、それらを一度にやめるのは、難しいかな、と思ったけれど、皮膚の炎症やかゆみで皮膚科に通院することにもステロイド剤やその他の薬剤を使用してケアすることにも、くたびれていた時期だったから、通院やケアの手間が減るなら、安いものだしラクなものだ、と、割りきった。
 使わなくなった洗剤や柔軟剤は、「もらうもらう、使う使う」と言ってくれる人にあげたものもあれば、お金は返さなくていいから返品させてほしい、適切な処分をお願いしたい、と、メーカーに送ったものもある。

 そうして、合成洗剤を中止したら、皮膚の状態も呼吸器の状態も格段にラクになったが、体内や生活用品に残留している合成洗剤成分が完全に洗い流されるまでには、数年以上を要した感覚の記憶がある。

 合成洗剤でない洗剤は、市販の安売り品に比べると、若干高価で、購入時にはその差額に少しだけひるむ。が、各種症状が出たときにかかる薬代などの医療費や、症状に対応する手間暇時間労力や、なによりも自分の「かゆい」「くるしい」という不快感を便宜的になんとなく金額換算したときに、そのくらいの差額は全然問題ないどころか、それで結果的に快適に過ごせれば、むしろ安い、くらいだ。

 現在は、旅先にも常に自分が使用して問題なく快適なものを持参する。何度か備え付けのものを使っては痛い目に遭ってきたから、痛い目に遭わないためであれば、少々の手荷物の増量は許容範囲だ。
 逗留先で供される洗浄料類が、たまたまわたしも快適に使用できる銘柄であれば、ありがたくお借りして、ああ、よい宿だわ、うれしい、という安心感で呼吸が少し深くなる。

 今ではもう自分では買うことのない合成洗剤だけれども、ふとしたときに、人様からいただくことがある。たとえば、ご近所の方から引越し挨拶の品として。あるいは、何かの景品や粗品として。
 景品や粗品の場合は、その場で気づけば、「アレルギー体質で合成洗剤が使えないので、お気持ちだけありがたくいただきます」と言って品物をお返しする。お店の方は「でしたら、こちらなら大丈夫でしょうか」と、たとえばサランラップやビニール袋などの生活用品と交換してくださることもある。
 引越し挨拶の品としていただく場合には、その場では中身がなにかわからないような包装がされていることが多いから、とりあえずご挨拶だけして受け取る。そして、その中身が合成洗剤であった場合には静かに保管しておいて、合成洗剤を自信を持って問題なくよろこんで使用する人に、自分の身体事情を話して、もしよければ引きとって使ってもらえるようにお願いすることで今のところは解決している。

 合成洗剤を使用している人には、ほんとうに自信を持って問題なく使っている人(そういう人たちにとってはたいへんに便利でよくできた製品たちだと思う)と、ほんとうは自分または家族の身体に問題があることに気づいてはいるけれど利便性等各種事情により使用を継続している人と、問題の有無に関する知識を持ち合わせない人とがいるような気がする。

 育ち盛りの皮脂汚れたっぷりどろんこ汚れ満載の洗濯物を手軽に洗うには、強力な洗浄力を持つ洗剤が必要な場合もあるだろうと思う。が、我が家は、すでに皮脂分泌が減少した年頃の成人二名の家族であるから、そんなにしゃかりきに汚れを落とさねばならない事態には、そうそうならない。
 たとえなにかで、そういう事態に至ったとしても、自分の皮膚に大丈夫な洗浄料で、そして下に書くような洗浄水の温度調整を併用して、こすり洗いやつけおき洗いをすれば殆ど解決するし、それでも解決しなくて、どうしてもその汚れのないその衣類などが必要であるならば、新しく買い直すことで事態を解決する。他の何かどうしても今すぐに必要というわけではないものの購入や消費を節約あるいは延期または中止して、どうしても必要な何かにお金をかけるくらいのやりくりは、おかげさまで、問題なくできるから。

 数年前からは、洗濯機での洗浄もすすぎも37度以上のお湯を用いるようにしていて、必要であれば洗濯表示に指定されている温度まで湯温を高くする。表示温度は、もっとも汚れがよく落ちる温度であると同時に、その温度を超えると繊維が傷む可能性がありますから気をつけてくださいね、という意味でもある、と理解している。この洗浄水温度の調整により、洗濯における洗剤(わたしが使っても大丈夫な洗剤)の使用量は激減した。
 お湯をわかすエネルギーのことを考えると、冷水でもきれいに溶けてしっかり洗える洗浄料を使うことのほうがエコに適っているのかな、と考えることもあるけれど、合成洗剤を冷水に溶かした液体と、自分の身体に問題のない洗浄料がごくわずかに入っているか全く何も入っていない(洗濯物から出てきた汚れはある)お湯と、どちらが金魚として、いや金魚でなく人間としても、自分の身体を安心して浸せるか、というと、ぜったいに後者だから、わたしの身体に関しては、節水節温の方向ではなく、合成洗剤入りの排水を排出しないという方向で、環境負担の削減に勤めればとりあえずそれでよしとする。
 明らかに自分の健康を損なうことがわかっているような方法で「地球に(環境に)やさしく」あるよりも、まずは自分の身体にやさしく思いやりをもって暮らし、そこで養うすこやかな心身の余裕の部分で、世の中や地球や環境に接してゆければ、それでいいのだ、それがいいのだ。

 夫は自分の仕事用のワイシャツや作業着は、まとめて自分で洗って干して片付けるのだけれども、現在の我が家の洗濯状況でも、彼のそれらの衣類の洗い上がりに、特別問題はないようだから、このままわたしの身体仕様の洗浄料環境での共同生活に協力してもらえるとありがたい。
 どうしてもしっかりとした合成洗剤でがっしがっしと洗いたい時には、近所のコインランドリーを使ってもらうのがいいかも、と話しているけれど、これまでのところ、その必要性は生じていない。

 下に校正した「ピップテレキバン」は、昨日校正したマスクネタと同じ時期で、新型インフルエンザのさなかの出来事だったのだなあ、と、思い出す。
 そして、インフルエンザに関しては、予防と治療でどうにかできるし、どうにかできなかったときにはそれはそれ、と思うのに比べると、自分はインフルエンザ以上に合成洗剤による自分の身体反応の苦痛のほうに恐怖を抱いているのだなあ、と、人の恐怖のツボは人それぞれなのだろうなあ、と、あたりまえのことを思う。

 
「ピップテレキバン」     押し葉

QOLは大切

 あらためて過去の記事を読み返してみると、当時の自分は、まだ、抗アレルギー薬を本気で採用していなかったのだなあ、ということに気がつく。
 昨年の春と今年の春は、抗アレルギー薬に毎日まじめにお世話になったおかげで、花粉症の季節の中でも、体力温存計画をそれほど緻密にせずとも、人生の質を平常値で保つことができるようになった。日記を書くことを休んだり控えたりすることがそれほど大きく必要ではなくなったのが、たいへんに気ラク。

 現在は、春に限らず、ほぼ年中この抗アレルギー薬にお世話になることにしている。そのおかげで、夫に「背中に薬を塗ってー」と頼むことはほぼまったくなくなり、かゆみに伴う皮膚表面の熱感を冷ます目的で夫の身体で涼をとる行為も激減して、なんとなく夫婦円満度が高くなったように思う。
 なによりも、自分で自分の身体がかゆいと感じる頻度が少ないのは、ほんとうに快適だ。無意識に自分で自分をボリボリとかきむしって皮膚がささくれ立つことも出血することもなくなって、そのぶん身体にも気持ちにも力と余裕がある感覚がありがたい。

 こういうのをクオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life, QOL)というのだなあ、と、しみじみ。

 なんとなく、いろいろ、めでたし。


「一休さん」

「体力温存」

「ちょっとだけ」

「夫の誕生日」

「所望を叶えるということ」

「白髪の所有」

「おひなさま」

「みそ語り」

「夫の感想(レッドクリフPartⅡ)」

「がっかり博物館」

「水虫と新妻」

「夜のお楽しみ」

「男遊び」

「秘密の暗号」

「池にふりむく」

「酋長の首飾り」

「トイレットペーパーの活躍」

「お尻のしあわせ」

「一口ちょうだい」

「暴れん坊マスク」

「新型マスクの提案」

「たますじ」

「口癖は、しまった!」

「大切な春雨」

「まつげが焦げる」

「旅のおやつ(さざえ)」

「流刑饅頭」

「大人用浣腸剤」

「小さな姉妹のお買い物」

    押し葉

サクサク進行

 手元灯用に先日我が家に仲間入りしたLED電球のおかげなのか、熱くなくうるさくない灯りのもとで、製本準備の校正がだいぶんはかどったような気がする。この調子でサクサクと進行してゆきたいものだ。

「おでこ自慢」

「立腹発露の道」

「温泉入浴の撮影」

「闘う男児」

「外国語はわからない」

「いつも空室」

「休憩の魔力」

「伯母の電話」

「コンドロイチン」

「ぱんつの行く末」

「気の合う話」

「回転寿司の壁」

「お年玉で運試し」

「お年玉の愛と意気込み」

「こそばゆいお年玉」

「きれいですね」

「万能薬」

「イソフラボン」

「インプラント後日談」

「万能薬到達」

「R指定」

「きこり用マスク」

「目をいたわろう」

「お見送り」

「トイレのご案内」

「記憶の管理」

「本格的旅籠」

「ズボンでジャンプ」

「ジャンプ遺伝子」

「ジャンプ教育」

「化粧の早さ」

「ゆったりうっかり」

「いっしょにやくざいし」

「入水禁止」

「便通改善」

「うがいぐすり」

「イリュージョン」

「おたずね」

「弁当の代わり」

    押し葉

しわをのばすものはどこかしら

 お客様(女性)がご自分の顔をなでながら「しわをのばすものは、どこかしら」とお尋ねくださるので、「お顔のシワ対策のリンクルケア化粧品でよろしいでしょうか」と確認してみたら、「衣類のしわのばし(アイロン時の)」だった。確認してよかったけれど、今度は「お洋服のしわですか」を先に訊く。

 上記は去る五月十一日の仕事中の出来事を覚え書きしたもの。

 少し高い位置の棚の商品売場作成のために、脚立に登って仕事をしているわたしのところにお客様が近づいてこられたから、「いらっしゃいませ」と声をかけて脚立からおりる。続けて「なにかおさがしでしょうか」とお尋ねする。
 お客様は少しご年配の女性の方。年の頃は、どうだろう、五十代後半から八十代前半くらいかなあ。

 そのお客様は、片腕にはお店の買い物かごとお財布の入った小さなバッグを持っておられ、もう片方の手のひらでご自分のお顔をすりすりとなでながらおっしゃったのだ。「しわをのばすものはどこかしら」と。
 
 あとになって考えると、あのときのわたしは、少し気が急いていたのだろうな、と思う。売り場での作業予定が立て込んでいて、接客は常に丁寧に行うことをこころがけつつも、はやく接客を切り上げて、作業の続きを片付けてしまいたい心情がきっとあったのだ。
 だから、たぶん、そのお客様の接客も、自分ではなくて、ビューティー担当の同僚に引き継いでお願いすればそれで済むと、勝手にある種の期待をしたところもあったのだろうとは思う。

 でもやはり、なによりも、妙齢のご婦人が、ご自身のお顔をさわりつつ「しわをのばすものはどこかしら」とおっしゃったというその状況設定によって、わたしは、『ああ、このお客様がお求めなのは、リンクルケアの化粧品ね』と、とっさに連想したのだろう。
 そして、できるだけ素早く、お客様のご要望を察してご案内してさしあげたい、という気持ちが、「お顔のシワ対策のリンクルケア化粧品でよろしいでしょうか」という確認の言葉として出てきたものと思われる。

 そのお客様は、「えっ?」とおっしゃってから、お顔をさわる手をとめて、同じ手で、今度はやや強調するように、ご自身の上着に触れて「いやいや。洋服のしわをのばすやつ」とおっしゃる。
 わたしは内心かなりぎょっとして『うっ、しまった』と思いながらも、「失礼いたしました。アイロンをかけるときのスプレータイプでよろしいでしょうか」とお尋ねする。衣類のしわのばし、としては、アイロン時にスプレーするものと、洗濯のすすぎの最後に行う「のりづけ」のような液体製品とがあるから。店内の陳列場所は同じ棚なのだけれども、こちらです、とご案内するときには、特定のものに絞り込めているほうが、よりご案内しやすい。
 お客様は「そうそう。アイロンのときの」とおっしゃる。では、と、衣料用洗剤のやや端に位置するその場所へご案内する。
 アイロン用しわのばしスプレーの種類は限られている。衣料用洗剤や柔軟剤などのように、種類が多くあるものに関して、製品の細かい差についてのご質問を受けたときには、商品パッケージや周辺の案内表示を細かく観察する範囲でご説明可能なことであればそのようにし、それ以上詳しい情報を求められた場合には、売り場担当の同僚が出勤していればその同僚に引き継ぐ。そして自分が他のお客様の接客に呼ばれなければそのままその場でその同僚の接客を見学して勉強する。やはり売り場担当者が実際自分でいろんな種類を使い比べてみた体験情報が加わると、ぐっと説得力が増す。
 けれど、そのときは、アイロンのときのしわのばしスプレーだから、売り場担当の同僚を呼ぶ必要もなく、自分一人で接客を終える。

 お客様は「そうそう。これこれ。ありがと」と、その商品をカゴに入れて、他の売り場へと移動される。「ありがとうございます」とお辞儀をしてお見送りしてから、もともと作業していた脚立の上に戻る。
 しかし、身体は作業に戻ったものの、頭が作業に戻って来ない。『もう、たのむわ、おばちゃん(お客様)、そんなフェイント(顔をさわりながら衣類のしわのばしを求めるのは)なしやわあ』と責めることばが脳内で繰り返し再生される。
 その責める気持ちと同時に、自分が確認した順番にもおおいに問題を感じる。もし先に「衣類のしわのばしですか」と質問していて「いやいや、顔のシワ対策化粧品のことよ」という展開であれば、もっとスマートに「あらら、それは失礼しました。では、化粧品のコーナーにご案内いたしますね」で済むのだけど、先に「お顔のシワ対策ですか」と尋ねたのがそうではなくて「いや衣類の」だと答えていただいて、内心『うっひゃあ、どっひゃあ』と動揺しながら平静を装う自分の接客スキルのようなものの至らない感に『くう、くやしい』と身悶える。

 お客様の心情についても、『わたし(お客様)の顔、そんなにシワだらけなのかしら』とお気をわるくなさったのではないか、という点が気がかりだ。
 けれど、こういう展開だと、その気がかりな気持ちを解消する手立てが見つからない。
 衣類のしわのばしスプレーをご案内しながら、あるいは他の売り場やレジにいらっしゃるお客様を追いかけて、「あのっ、お客様のお顔のシワが特別多いと思ったわけではないんです。どうかお気になさらないでください」とフォローするのは全然フォローになっていないドロ沼であるし、大慌てて「すんませんっ、すんませんっ」と動揺踊りを舞うのもできれば避けたい。
 何をどう取り繕ってもどうにもならないときというのが、あるときにはあるものなのだ。
 そういうときには、今回のように、お客様の前ではある程度の平静を装い、自分のこころの中で責任を持って、うっひゃあ、どっひゃあ、たのむわあ、そんなんあれへんわあ、もうわたしってばまったくもうっ、と、動揺して、その出来事を深く深く深く反芻して、学習すべき要素を学習し、脳に刻みつけるしかないのだ。

 これがまた、ある程度、顔なじみで親しい間柄のお客様であれば、わたしが「お顔のシワ対策の化粧品でしょうか」とお尋ねした時点で、お客様の方から「もうー、どうやらさんったらー、ちがうがなー、洋服にアイロンかけるときのスプレーのほうよー。わたしの顔、そんなにしわくちゃかー」と言ってくださるから、「うわーん、ごめんなさーい、お顔をなでていらっしゃったから、てっきりお顔関係のご相談かとー」と返すという芸の連携機能が働くのだけど。

 シワについてはお顔目的よりも先に衣類目的かどうか確認するとして、シミについても、お客様の方から「顔のシミ」とおっしゃらず、ただの「シミを取るもの」とおっしゃった場合には、まず先に衣類のシミかどうかを確認すること、と。学習。学習。     押し葉

ようこそ我が家へLED

 近所の家電屋さんで欠品中につき取り寄せ取り置きをお願いしていたLED電球入荷の連絡が金曜日の夜にあった。それをさきほど受け取りに行って、さっそく、手元灯として使用している電気スタンドにとりつける。

 これまでの40Wミニクリプトン電球を外して、新しいLED電球をくるくると装着。ぴったりちょうどよく入る。電源を入れて点灯してみる。

 ほお、明るい。色味は「電球色相当」で、明るさは「380lm(ルーメン)」。光が広がるタイプだから、光の直進方向だけでなく、電球の付け根のあたりもそれなりに明るい。ミニクリプトン電球に比べると電球付け根側の明るさは少ないかもしれないが、PC画面とキーボードを照らすぶんにはまったく問題がない。

 気がかりだった発熱は、明かりに手をかざしたときにほんのりとあたたかいといえばあたたかいが、暖房的な働きは期待できないレベル。現在はPC本体の発熱のほうがずっとあつく感じる。
 これまではPC本体もあついが、ミニクリプトン電球もPCと同等かそれ以上にあつく、両方の熱が合わさると、少し気温が高い時間帯には皮膚からじんわりと汗がにじみ出ていたが、今回の電球の交換によりその両方が合いまったあつさと発汗はなくなった。
 ただし電球本体は触るとかなりあついから、交換などで電球に触る必要があるときには、点灯中は当然であるが消灯直後も避けて、消灯後しばらく経過してからのほうがより安全と思われる。発光部分(明かりが透過する球の部分)の発熱はそうでもないのだが、その根元のラッパ型受け皿の部分がかなりあつい。

 光の色味としては、これまでのミニクリプトン電球に比べると、やや白味が強いものの、十分上手にわたし好みの電球色となっていると思う。
 音に関しては、ミニクリプトン電球に比べるとわずかに作動音が感じられるものの、蛍光灯や蛍光灯型電球に比べるとほぼまったく気にならないレベルのように思う、いまのところは。

 これまでのミニクリプトン電球使用時にはときどき眼球表面の乾燥感があったのだが、LED電球ではその乾燥感はいまのところ感じられない。ミニクリプトン電球使用時に、眼球表面の乾燥があるということは、おそらく皮膚の乾燥もあるのだろうから、美肌の観点においては、LED電球に軍配があがるのだろうか。

 LED電球には蛍光灯のように虫が近寄ってこない、という特性があると聞く。なにかにつけ小さな虫にまとわりつかれることの多いわたしとしては、その点にも期待を寄せる。
 小さい虫を寄せ付けないついでに、わたしの身体を蚊の襲来から守ってもらえるとなおのことうれしいのだけれども、LED電球とは別に蚊取り器は蚊取り器であるのだから、LED電球にそこまで望むのは酷だろうか。いや、これだけ値段が高いということは、それくらいの機能を併せ持っていてもかまわないとも思うのだが。いやむしろ、もし蚊除け機能を併せ持つのであれば、LED電球のこの値段はむしろ安いと言えるのか。

 わたしが電気蚊取り器や蚊取り線香を用いると、たしかに蚊の退治はしてもらえるのだが、そして蚊に刺され血を吸われることからわたしを守ることはできるのだが、それらの殺虫成分によりわたし自身まで若干退治されるのか、体調や使用環境によっては頭痛やしびれや気持ち悪さなどの症状が現れるのがつらい。
 天然除虫菊の蚊除け線香の場合は、頭痛としびれと気持ち悪さはずいぶんマシになるものの、その独特の煙とにおい(においそのものは嫌な種類のものではない)で鼻と目と喉の粘膜がしみるのがつらい。が、蚊に刺されるのを選ぶか粘膜がしみるのを選ぶかの究極の選択が必要な状況においては、この天然除虫菊蚊除け線香のお世話になることもある。そうやって究極の選択をしてお世話になったにもかかわらず、それでもなお蚊除け線香の結界をものともせずにわたしの皮膚に辿り着く輩(蚊)がときにいて、「蚊取り」と「蚊除け」はやはり違うのね、と痛感するのは少々かなしい。

 では、と、肌にスプレーまたは塗布するタイプの虫除けを用いると、成分がディートの場合にはやはり自分がやられた症状が生じる。ただしディートを用いると、蚊が近寄ってきても刺されない。しかし近寄ってくる蚊たちのそのフウンフウンとまとわりつく感が十二分に不快。
 自分がやられないようにしようと思うと、天然精油が原料の虫除けスプレーとなるのだけれど、この場合は、自分がやられる感はまったくないものの、蚊のほうもあまりやられないようで、わたしの血のおいしそうな芳醇な誘惑に抗えないのか、気合と根性でどこかしらを刺してくる。それでもこれを用いているほうが用いないでいるよりは被害が少ない。

 そういう各種個人的事情があることもあって、このLED電球なるものに蚊除け効果があるのなら、と夢想する。
 わたしが頭痛やしびれや気持ち悪さや粘膜がしみる感覚なしに安全に蚊除け効果を利用できるのだとしたら、それはかなり果てしなく夢がかなうと言えるように思う。
 そして、このことは、わたし個人だけの問題ではなく、わたし以外の人々や動物たちにとっても、特に自分の状態の表現や調整に難があると同時に代謝機能が低い幼年者などにとって、より安全に蚊をよけて安心して暮らすことにつながるのではないだろうか。

 おっと。LED電球観察日記のつもりが、蚊除け日記になりかけている。蚊との攻防についてはまた後日ゆっくり考えることにして、今日のところは、LED電球あつくないね、明るさもちょうどいいね、買ってよかったね、と、よろこび、寿ぐことに集中しよう。     押し葉

LED歓迎式典前夜祭

 今週の日曜日に、近所の家電屋さんに行った。わたしが卓上で用いるスタンドの灯りは40Wのミニクリプトン電球なのだが、これが夏場はその発熱があつい。
 わたしの自室の天井の灯りも、球形の白熱灯をふたつつけるタイプなのだけれど、これも夏になるとあつくなる。だから、夏には白熱灯から白熱灯型蛍光灯に交換してあつくないようにして過ごし、また暑さが和らぐ季節になったら白熱灯に付け替える。冬にはこの白熱灯の熱が、暖房がわりになってほんのりと温かい。

 昨今は、節電が重要課題だから、白熱灯の製造そのものが順次終了となり、将来的にはどうしても白熱灯でなければならないような業種や場所のみでの白熱灯使用となる方向にありそうだな、とは思う。
 けれど、これはほんとうに、あくまでも、個人的な好みと趣味なのだけれども、わたしは白熱灯の明かりを好んでいる。電気代はお支払いいたしますから、節電は他のところできっちりがんばりますから、わたしが生きる残りの人生の間だけでかまいませんので、わたしのことは白熱灯の明かりと温熱が必要なビニールハウスのお野菜か何かだと思って、白熱灯を使わせてやってくださいませ、と、誰にというわけでもなく請う。

 時代はエコなのに、省エネなのに、節電なのに、CO2排出規制なのに、との指摘も批判も甘んじて受ける覚悟を持って、わたしは白熱灯が好きなのだ、と告白する。
 白熱灯の明かりの色が、明かりの熱が、その色合いが、その明かりに照らされる世の姿そして人の姿が、実にわたしの好みでありツボなのだ。人の好みやツボというものは、たいていの場合、ある程度は仕方がないとあきらめたりわりきったりしてよい種類のものだと思う。
 当然だが、それがいくら好みやツボであっても、犯罪に相当するようなことは撲滅すべきであるという意思と確信を抱いている。けれど、わたしの白熱灯への愛と白熱灯の使用は、現段階では問題なくまったく合法であり、犯罪行為でもなんでもないはず。

 日々の生活では蛍光灯にもおおいにお世話になっている。しかし、若干聴覚過敏気味のわたしにとって、蛍光灯はその点灯時および点灯中独特の微細な振動音が、ときに耳に負担となる。
 今のところ、わたしの身の周りの世の中は将来この蛍光灯とはまた別のLEDなるものを光源として用いましょうよ、という方向に進みつつある。
 今はまだその単価が高いが、将来的には日常的な光源として廉価で提供されるようになるのだろうな、と予想する。

 そこで、冒頭に出てきたわたしの卓上スタンドの光源であるミニクリプトン電球に話がもどる。これまでは、夏場にそれほどこのスタンドを用いることがなく、ミニクリプトン電球が発する熱が気になることもなく過ごしていた。
 しかし、このたび職を失い、せっかく時間があるこの機会に、これまで書きたいと思って脳内下書きはしてあるものの、キーボードで打つ段階まで辿りつけずにいたものを書き出したいという思いと、みそ文平成二十一年版と平成二十二年版の製本化のための校正作業をたくさんできるといいのではないかな、と思いついた。
 そこで、PC作業する画面と手元を、このスタンドで照らして作業をしましょう、とPC前にスタンドを設置してみたところ、あつい。
 これから夏に向けて気温が上昇する中で、発熱の激しい場所において作業を行うのは生物としてつらい。
 わたしは白熱灯の明かりを愛してはいるけれど、自分の身体を熱中症の危険に晒してまでその愛を貫くかというとそれはない。わたしの白熱灯との逢瀬は、涼しい時期と寒い時期限定で十分満足できる。ただし、一生の涼しく寒い時期には継続して使用したい。つまり断続的に一生ずっと白熱灯との愛と逢瀬を重ねたい。

 というわけで、このスタンドのミニクリプトン電球の代わりに夏場に使用するためのLED電球を購入することにした。
 日曜日に、近所の家電屋さんにて、事前に調べてこれにしようと決めていたものを店頭で確認する。実物が店頭で点灯展示されており、なるほど、けっこう明るいな、ということと、手をかざすと白熱灯ほどではないけれど思ったよりも温かいな、ということと、思った以上に値段が高いな、という印象を持つ。微細な音に関しては、店内の各種音声が大きすぎるため、店頭では判断できない。

 これにしようとおもうのだというわたしの意思表示に対して、夫は「あと何年か待ったら、何年もしなくても半年待ったら、もっと安くなると思うけど」と言うけれど、熱くない電球が必要なのは半年後ではなくてこの夏であり、何年後かはわたし自身が生存しているかどうかすらあやしいものの、生きている場合は半年後および数年後には就職就業していたい。
 店頭で見比べて若干他社の製品とどちらにしようか迷うけれど、結局予定どおりの品を買うことにして店頭の箱を手に取る。そのときにわたしが手に持った箱が他の箱に少しぶつかり、他の箱たちがふたつくらい落下する。
 夫が大慌てで、すべての箱を地面に落ちる直前に手で受け止める。

「あ、あ、あ、あ、あ、危ないじゃないかー。こんな高価なもの落として壊したらどうするんだー」
「どうやらくん。ここにあるの全部空箱だよ」
「え? あ、ほんとだ。軽い」
「うん。軽いから少しの衝撃で落ちるんよ。LED電球はたぶん高価だからかな、どこのお店もだいたい空箱対応にしてるところが多いんよ」
「万引き対策?」
「だと思う。レジで空箱を現品に交換する方式。空箱対応するときには、中におもりになるものを入れて少し重量をもたせたほうが、安定感がいいんだけどね。わたしは薬の空箱には不要になった輪ゴムや厚紙を詰めてたよ」
「そうだったんや。知らんかった。知らんかったけん、慌てて受け止めてしもうた。かー。無駄な動きをしたじゃないかー」
「うーん。よくわからんけど、今の瞬時の判断と動きは、来月富士山に登るときのトレーニングとして有効なんじゃないかな」
「いい加減なことを言うなー」
「さて。レジでお金払ってくるね」

 そうしてレジでそのLED電球を購入しようとしたところ、店員さんが「現品をお持ちいたしますので、少々お待ちください」とバックヤードに入ってから出てきて、「申し訳ございません。現在欠品しておりました」と言われる。

「では、注文と入荷後の取り置きをお願いしてもいいでしょうか」
「はい。お取り寄せでかまいませんでしょうか。すみません。では、入り次第お電話差し上げますので」
「支払いだけ今日済ませてもいいですか。期限が今日までの創業祭10%割引券を使いたいんです」
「はい。もちろんご利用ください。では、3980円から398円お引きいたしますね」
「あの、入荷の電話連絡を自宅にくださったときに、もしも不在の場合は、留守番電話にメッセージを残していただけますでしょうか」
「かしこまりました」

 というやりとりで支払いを終えて、領収証兼商品受け取り時提示用のお客様控えの紙を受け取る。
 あれから月火水木と経過したけれど、そういえばまだ電話がかかってきていない。できれば土曜日か日曜日には受け取りに行きたいと思うのだが、実は入荷してるのに連絡し忘れ、ということもあるかもしれないし、入荷予定を訊くという形で問い合わせの電話をかけてみることにする。

 一度目の電話。こちらからお店に。
「先日の日曜日に、東芝のLED電球を注文したどうやらと申します。商品の入荷予定日がわかるようでしたら教えていただきたいのですが」
「はい。どうやらさまですね。お電話番号うかがってもよろしいでしょうか」
「はい。**-****です」
「こちらの商品ですね。確認してから折り返しお電話させていただいてもよろしいでしょうか。こののちはご在宅でいらっしゃいますか」
「はい。だいじょうぶです。家におります」
「では、すぐにお電話いたしますので、いったん失礼いたします」

 二度目の電話。お店からかかってくる。
「たいへんお待たせいたしました。確認してみましたところ、メーカーのほうで欠品しておりまして、入荷は早くても七月上旬の予定ということなんです」
「そうでしたか。それは少し時間がかかるんですね」
「申し訳ございません」
「同じ系列の他のお店にこの商品の在庫がもしあれば、それを取り寄せていただくということは可能でしょうか」
「他店の在庫を見てみますね。こちらの商品は、どこのお店も欠品しているか品薄かになっておりまして、十分な在庫があるお店はないようです」
「そうですか……(あえてたっぷりと間をもたせてみる)」
「系列店で在庫のあるところからこちらのお店に移動が可能かどうかを確認してみますので、もう一度、いったんお電話切って、のちほど、かけ直してもよろしいでしょうか」
「はい。お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします」
「では、少々お待ちください。いったん失礼いたします」

 三度目の電話。お店からかかってくる。
「お待たせいたしました。確認いたしましたところ、他のお店から取り寄せができることになりましたので、二三日中には、もしかすると早ければ明日のうちに、ご用意できるかと思いますので」
「そうですか。ありがとうございます。助かります。では、またそれが入りましたら、お電話いただけますでしょうか」
「はい。かしこまりました。お時間かかってすみません。よろしくお願いいたします」

 という電気屋さんとのやりとりが今日あったのよ、と夕食後に夫に話す。夫は「おいおい、電気屋、それでええんか。こっちから電話せんかったら、七月上旬に入荷するまで二週間以上ほっぽらかしにするつもりやったんかい」と暴れるふりをしながら言う。

「うん。わたしが流通の仕組みを少し知っていて、欠品なら店間移動の方法もあることを知っていて、顧客としての演技力もまあわりとあるほうじゃけんこれで済んでるけど、お客さんによっては十分クレームやトラブルになりうるケースかもしれない」
「そら、そうやろう。すぐに入らんなら入らんで、そのことを連絡しておいたほうがええと思うぞー、電気屋ー」
「いまどきじゃけんねえ、事前の予告なく数日中に手に入らない、とか、その週のうちに手に入らないという場合には、いったん欠品状態で入荷が遅れる旨を連絡したほうが、商いとしては円滑だよね」
「そこは円滑であるべきじゃろう」
「でも、七月まで、待って待てないわけじゃないんだけど、もうすでに今現在使ってるスタンドが熱いのが気になるけん。今のうちに入力作業しようと思ったらできるだけ早くほしかったんじゃ」
「もうお金出して買うたもんは早う使い始めたいじゃん。買うこと自体がまだなら、もう半年とか一二年待てば、と思うけど、もう買うたんじゃけん使おうやあ」
「うん。我が家で初のLED電球、たのしみじゃね。明るさや色合いがちょうどいいといいね。音もわたしの耳に気にならんかったらいいね」
「高いもんなあ。満足したいよなあ」

 我が家に仲間入りする初のLED電球は、40Wのミニクリプトン電球のところに使用可能な、E-CORE[イー・コア]LED電球(ミニクリプトン形5.4W E17口金)。
 使用中の電気スタンドはおそらく十年近く前に購入したもので、「警告! 適合ランプ、ミニクリプトン電球40Wまで。火災の恐れあり、指定ランプ以外の使用禁止」というシールが貼ってあるけれど、LED電球の存在をまだ知らない当時の家電製品の警告案内シールに従ってLED電球を使ってはならないと判断しなくてもいいと思うから、とりあえずLED電球なるものを初めて使ってみることにしたそんな夏の少し手前。     押し葉

慎重に自由奔放に

 「すこやか堂」で勤務していたとき。夕方五時が過ぎる頃だったか六時が近い頃だったか、同僚がお客様として来店する。この同僚は、朝から午後二時までの勤務契約だから、その勤務終了後の買い物時間を含めても、午後二時半か三時前にはいなくなる。夕方遅い時間帯に彼女とお店で会うのは、なんだか新鮮な感覚。

 同僚の話によれば、彼女の子どもである小学生の女の子二人のうち、下の子はこの春一年生になったばかりなのだけど、その下の子が、下校途中に転倒して怪我をして帰ってきたという。
 おねえちゃんと二人で歩いていて、横断歩道の真ん中で妹のほうがつまづいてこける。そして号泣。おねえちゃんは思いがけない出来事にびっくりして泣きそうになるけれど、ここで自分が泣き出したら妹はもっと不安になって泣くだろう、と判断して、とにかく歩行者信号が緑のうちに歩道へと妹を立ち上がらせてひっぱる。
 大号泣する妹に「おうちに帰っておかあさんにみてもらって手当てをしてもらおう」とおねえちゃんは根気よく伝えながら、妹の手をひいて帰路を急ぐ。

 帰宅した自宅の玄関で、おねえちゃんは母に事情を説明する。同僚は下の子が怪我した部分をすばやくぬるま湯洗浄してから布で押さえる。本人の泣きの激しさほどには、怪我自体はそうひどくはない、と判断した同僚は、閉院間近の時間帯にあわてて病院に行くのはやめよう、と決める。今日のところは自宅で可能な処置を行い、一晩様子をみて、必要であれば明日病院へ連れていこう。
 同僚は自宅の救急箱の中を見る。応急処置に必要なものの有無を確認する。
 おねえちゃんが「おかあさん。ゆうきちゃん(妹)だいじょうぶ? ゆうきちゃん死なん?」と訊いてくる。同僚が「だいじょうぶ。すぐ治るけん。人間こんなことでは死なんよ」と言うと、おねえちゃんは「うわーん」と泣きだす。

「おねえちゃん、自分も泣きそうなのを、ずっと我慢しとったんじゃと思うんよねえ。もう自分が泣いてもだいじょうぶ、と思えてようやく泣いたんじゃろうなあ、と思って。しばらくよしよし、言うて、ふたりをだっこして、二人とも泣き終わったけん、いまならまだお店にどうやら先生いるわ、と思って、処置に必要なものを相談しようと思って来たんよ」
「それは災難でしたねえ。道路で信号待ちしていた車のドライバーの人たちも、横断歩道で小さな生き物、小さな女の子がこけてじっとしてるのは、ドキドキしただろうなあ」
「ほんまよねえ。なぜそこでこける、ってびっくりするよねえ。下の子はけっこうちょっとしたことで浮かれるところがあるんよ。それで、歩きようても走ったり踊ったりするけん、危ないんじゃ思うんよ」
「それにしても、おねえちゃんは、慎重な特性が大きいお子さんだとは聞いてたけど、その特性は安心できる状況になってから泣く、という形でも発揮されるんものなんじゃねえ」
「そうなんよ。あの子は、慎重に慎重を重ねて常に石橋をたたくけん、登下校の途中でこける、なんていうことはありえん子で、そういう意味では安心なんじゃけど、そこは普通にすっと挑戦して成長するのが必要なところよ、っていうようなときも石橋たたいてるのを見ると、いいから早くしなさい、と思ったりもするんじゃけど、今回はおねえちゃんが泣かずに連れて帰ってきてくれたのがすごい助かったよ。それに比べて下の子は自由奔放じゃけんねえ、泣きたい時には泣く、転ぶときには転ぶ、そこは生き物として注意いうもんをしようや、というところでも景気よくこける」
「小学校受験のときにも、泣かずに会場に入る、というところで、おかあさんと離れたくない、って大泣きしたんでしたよね、たしか」
「そうよお。あのときは、ああ、もう、これで落ちたな、と思ったよ。でも、誰も泣かん中でひとりだけ大泣きしたのが、教育学的観察対象として興味があると思ってもらえたんかどうかしらんけど、合格したけんよかったよう」
「で、怪我と打撲の状態はどんなかんじなんですか。出血は?」
「血はもう止まった。傷もそんなに深くないんじゃけど、キズパワーパッドみたいなやつで対処しようか、消毒と軟膏でいこうか迷い中」
「傷の大きさや数は?」
「それがちょっと脚のあちこちに飛び飛びで広いのと、手をついたところの傷がある。キズパワーパッドでとなると枚数がようけいいるなあ、と思って」
「どうなんじゃろう。ハイドロコロイド、あ、キズパワーパッドや同じものの他の会社の製品共通の素材なんだけど、ハイドロコロイドで早くきれいに治してもいいけど、まだ若いというか小さい人じゃけん、細胞が自分で治る力がまだまだ新鮮で、どちらにしても早くきれいに治ると思うよ。もしハイドロコロイド使うんじゃったら、ぬるま湯洗浄だけで、消毒も塗り薬も一切なしで、もし何か薬を使ったあとの場合は、その薬成分を完全にぬるま湯で洗い流してからの使用になる」
「そうじゃろ。そう思って、ぬるま湯で洗っただけの段階で相談に来た。どうしようかなあ。キズパワーパッド、いいのは知ってるんじゃけど、値段が高いじゃろ」
「うん。高価よねえ。病院用だと、こう、シート状になってるハイドロコロイドの広いやつでがばっと覆ってもらえるけん、傷の範囲がひろくても対応できるんじゃけど、市販のは、もう、こういうサイズにカットしてあるのしかないけんねえ。でも、怪我した直後で、化膿してない段階じゃったら、ハイドロコロイド使えるけん、これだけで対応してもいいかも」
「うーん。化膿の可能性もある、よねえ」
「怪我してすぐにハイドロコロイドを貼れば、そうそう膿むことはないんだけど、もし化膿したら、もうハイドロコロイドでは対処できんけん、消毒と傷の時に使う塗り薬での対応に変えんといけん。今はまだそんなに気温も高くないし、化膿しにくいとは思うけど」
「そうよねえ。あ、あとね、右手の小指がね、腫れて青いというかどす黒くなってるのは、どうしたらいいかな、折れてないかな」
「指の曲げ伸ばしは?」
「ちょっと痛いけどできるみたいじゃった」
「曲げ伸ばしができるんじゃったら、今日急いででなくてもいいと思うけど、明日にでも整形外科で写真撮って診てもらったほうがいいと思う。骨ってけっこう折れるときには簡単に折れるし、折れてなくてもヒビが入ってることもあるし、別に折れたままヒビが入ったままでずれた状態でも勝手に治ってはいくんだけど、きれいに治そうと思ったら、そのつもりで固定や処置をしたほうが、治ったあとの動きがスムーズじゃけん。もしもピアノかなにか指を使う楽器を弾くんじゃったら、なおのこときれいに治しておいたほうが便利かも」
「ピアノ。うちの子、ピアノ習わせようる。じゃあ、しばらくピアノの練習はせんほうがええんじゃろうか」
「右手の小指を使わない練習にしたらいいんじゃないかな。右手を使うことでその振動が小指にひびくようじゃったら、右手の練習は治るまでのちょっとの間おやすみしよう。今は右手の小指は、練習しようと思っても、痛くてできんじゃろうし、そこで無理してピアノ弾いたら治りが遅くなるよ」
「そうか。訊いてよかった。うちの子ふたりともピアノ習わせるのに月謝がけっこうかかってるけん、ピアノの練習だけは少々痛くても無理にでもさせようかと思っとった。わたしどんだけ鬼母なんか、いうんよねえ」
「いやいや、でも、ほんとピアノは、毎日の練習の積み重ねじゃけん、今のうちに左手だけ強化練習したら、右手が治ったときに両手で弾くのがラクになるかもよ」
「そうか、そうか、そうじゃね、そうするわ」
「まだ年齢が六才、だよね、ってことは、使える湿布の種類はこれかこれ。裏のビニールがくっついたままの状態ではさみを入れて、指に巻くのにちょうどいい大きさに切ってから、裏のビニールをはがして、指に巻いてあげて。テープで止めたほうがよかったら、テープでとめて」
「じゃあ、この湿布を買って、紙テープはうちの救急箱にあったけんそれを使う」
「指を固定してやったほうがいいかんじじゃったら、湿布の外からでいいけん、何か添え木になるようなものを、たとえば、アイスクリーム用の使い捨ての木のスプーンでもいいし、割り箸を指の長さより少し長くカットしたしたものでもいいし、なにかそういうものをあてて、それをさらにテープでとめて動かんようにしといたら、うっかり動かして痛いのが少なくて済むと思う」
「そうなんじゃ。じゃあ、そうする。アイスのやつがあるけん、それ使う」
「あとは、まあ、大丈夫とは思うけど、もしも、痛みが強くて、ご飯があんまり食べられんとか、いい具合に寝られんときには、小児用の痛みと熱の薬を飲ませてあげて、痛みによる体力や気力の消耗をおさえたほうが、治癒力が活躍しやすいよ」
「そうか。あるある。子ども用のぶんうちにある。そうなんじゃあ。風邪で熱がでた時だけじゃなくて、怪我や打撲でも使えるんじゃ」
「うん。ほらほら見てみて(小児用の熱と痛み用の錠剤とチュアブルを持ってくる)。『悪寒・発熱時の解熱以外に、歯痛・抜歯後の疼痛・頭痛・打撲痛・咽喉痛・耳痛・関節痛・神経痛・腰痛・ 筋肉痛・肩こり痛・骨折痛・ねんざ痛・月経痛(生理痛)・外傷痛の鎮痛』って書いてあるじゃろ。今回の娘さんの場合は、この外傷痛とねんざ痛か骨折痛じゃけん」
「わあ。ほんまじゃ。喉痛いのも歯が痛いのも使えるんじゃ」
「うん。でもお腹が痛いのは違うけん。生理痛の腹痛には効くけど、胃の痛みや下痢のお腹の痛みはまた別じゃけん」
「え、じゃあ、大人の生理痛の薬も、頭痛薬としては使っていいけど、ストレスで胃が痛いときには飲んだらいけんいうこと?」
「そのとおり。胃の痛みに解熱鎮痛剤使っても効かないし、胃腸障害の副作用でかえって痛みがひどくなることがあるけん」
「そうなんじゃー。聞いといてよかった。じゃあ、湿布買って、怪我の方は、消毒と軟膏にする。消毒はうちにあるマキロンでええよね」
「うん。ばっちりばっちり。軟膏は、この抗生物質入りの傷やおできや火傷のときに使うやつでもいいよ」
「これとは違うけど、軟膏は、抗生物質の軟膏がうちにあったけん、それでもええじゃろうか」
「あるんなら、それを使おう。たぶん軟膏を塗ったら、それだけで、軟膏のヌルヌルが粘膜を空気の刺激から守ってくれるけん、痛みも気にならんようになるよ」
「へえ、そうなんじゃ。軟膏塗ったあとは、なんかで覆ったほうがええかね」
「怪我の場所が、ちょっとしたことで床や衣類やいろんなものにあたりやすい場所だったら、傷あてパッドか傷の大きさに合ったバンドエイドのような絆創膏で覆ったほうが痛くなくて薬もとれなくていいけど、そのままでもどうってことない場所じゃったらそのままでも」
「じゃあ、傷あてパッドのこれを買う。あとお風呂入るときは防水したほうがええかね」
「最初の何日かだけだとは思うんだけど、とりあえず傷が生々しい間は、傷あてパッドの上から、防水フィルムロールをちょうどいい大きさに切ったものを貼って入浴して、でも、防水フィルムは入浴とかプールのときだけ使うもので、そのまま貼り続けるものではないけん、お風呂からあがったら、防水フィルムといっしょに、傷あてパッドも剥がして、またマキロン消毒して、軟膏つけて、新しい傷あてパッドを貼ってあげて」
「わかった。ああ、よかった。子どもらがふたりとも泣くけん、大丈夫、大丈夫、よしよし言うてやったけど、わたしもびっくりして心細くて泣きそうなかったけん、ここで話を聞いてもらえてなんか安心した」
「それはよかった。とりあえず右手の小指、明日まで観察して、腫れや色の様子を見て、できれば病院に連れてってあげて。そのときには怪我の部分もついでに診てもらって」
「そうする。ありがとう」

 その翌々日、その同僚と同じシフトになったときに、同僚が「ありがとう。どうやら先生に聞いといてよかったよー。昨日学校から帰ってきた娘の指を見たらやっぱり腫れとるし色がどす黒いまんまじゃったけん、整形外科に連れて行って診てもらったら、ヒビが入っとった。怪我の方は、もう、ほとんど治りようるかんじ」と知らせてくれる。

「こちらこそ早めの相談をありがとうございました。ちゃんと整形外科で診てもらったんなら、よかったー」
「ヒビが入っとるけんいうても処置自体は、うちでやったのと同じなんじゃけど。折れてなくてヒビじゃったけん、添え木ももうそんなに長いことせんでいいし」
「でもまあ、ヒビならヒビでそのつもりでいるほうが、治るイメージを持ちやすいじゃろ。骨のヒビがいい具合にくっついてなめらかな状態になる様子をイメージをしてやるほうが、骨もそのつもりで治ってくれるけん」
「それはそうかも。そのほうが子どももわたしも気持ちが安心な気がする。それにやっぱり、ヒビが入っとるって診断されたら、さすがにわたしも腫れた指でピアノ練習せえ言わんもん」
「いや、診断されてなくても、指が腫れとるときは腫れてるほうの手ではピアノやめとこうや」
「うん。そういうて、どうやら先生に聞いたけん、いま、うちの下の子、左手だけで特訓中よ。怪我して泣いて帰ってきたときにはびっくりしたけど、結果的に、左手のピアノの特訓になったけんよかったよ。あの子、左手でピアノ弾くところが、どうしたら上手に弾けるようになるんじゃろうか、と思いようたけん」
「結果的に、そういうことなら、よしとしよう。でも、今度は、こけて血を出して怪我をせんでも、そうか、左手だけ集中していっぱい練習したらいいんかもしれん、って、親子ともども気づくといいね」
「ほんまじゃねー、ほんまよう。そこに気づける親子になりたいわあ」

 その後、その同僚の下のお子さんは、非常に素早く回復した。やっぱり生後六年ちょっとの人体の新鮮な細胞は、骨にしても皮膚にしても、再生が早いものなんだなあ。     押し葉

あの夏、ハムのサラダを

 あの夏、キッチンでわたしたち三人が並んで作業しているのを見て、一号ちゃんが「わたしも料理できるんだけどなあ」「料理したいなあ」「エプロンも持っとるよ」と言って、丸亀友人に「ねえねえ、おかあさん、わたしも何か作りたい」と言う。一号ちゃんとしては、小学校入学前の男児ふたりの相手をするのにも少し飽きてきた頃だったのだろう。
 丸亀友人が「うーん。一号にできることがあるかなあ」と言うから、わたしが「あ、じゃあ、わたしの代わりに、ハムのサラダ作ってくれるかな」と提案する。ハムのサラダは、丸亀友人が「冷蔵庫にいただきもののおいしいハムがあるやつで、ハムサラダも作りたいんだけど、わたしそこまで手がまわりそうにないけん、みそさんと芦屋友人にお願いしてもいいかな」と言っていたメニュー。

 一号ちゃんはすごくはりきって、「わたし、それ作る。できる」と言って、自分のエプロンを引き出しから取り出して身につける。「では、まず手をしっかりと洗ってきてください。指の間も手首もしっかりね」というわたしの指示に従って、一号ちゃんは、洗面台でハンドソープを使って、丁寧に丁寧に手を洗い終える。「洗ってきた」とぴょんぴょん飛ぶみたいにしてやってきた一号ちゃんに、「では、まず、レタスを洗ってください。わたしが先に一枚一枚にするところまではしたから、それを一枚一枚表も裏も水道の水(細く出す)で洗い流して、こっちのザルに入れてね」と説明する。
 一号ちゃんは、神妙に、一枚洗ってはまた一枚と、指定のザルにレタスを入れる。洗ってる途中で「ふう。いっぱいあるなあ」とつぶやきながら。

 一号ちゃんがレタスを洗っている途中で、わたしは丸亀友人に「レタスは、ザルごと水を切っただけでいいかな。それともキッチンペーパーでふきとる? わたし流だと水滴も一緒に食べちゃえになるけど」と確認する。丸亀友人が「キッチンペーパーでふいてほしい」と言うから、「はい。了解。ということで、一号ちゃん、洗い終わったら、一枚一枚今度はキッチンペーパーで水気を拭くよ」と伝える。
 一号ちゃんは「ふう。お料理ってたいへんよねえ」と、なんだかとってもうれしそう。

 洗い終えたレタスが入ったザルを少し傾けて軽くゆすって水をきってから、一号ちゃんと手分けをして、キッチンペーパーでレタスを拭く。拭くといっても、実際は軽く挟んで、水滴をとるだけなのだけど、一号ちゃんがあまりに真剣にレタスを挟むから、「軽くでいいんよ。レタスの葉っぱのシャキシャキがそのまま残るくらいにしてね」と言うと、一号ちゃんは「なるほど。なるほど」と言いながら、少し力を抜いて、でもやはり丁寧に拭いてから、乾いたお皿にのせてゆく。

 わたしが「では、ハムを切りましょう。まな板と包丁を使うけど、だいじょぶかな」と訊くと、一号ちゃんは「うんうんうんうん」と大きく頷く。丸亀友人には「包丁を使う間は、わたしと芦屋友人で、一号ちゃんの手元ずっと見てるから、安心して」と伝える。芦屋友人も「うん。見ようるよ」と重ねて言う。
 大きなハムの塊を冷蔵庫から取り出して、「最初に半分に切るところだけ、わたしがするね」と言って、半分に切ったハムをまな板の上に残す。「じゃあ、わたしは、残りの半分をラップで包んで冷蔵庫にお片づけするから、一号ちゃんは、ハムのまわりのビニールと皮みたいなところを取るほうをしてください」と伝える。
 一号ちゃんは真剣にハムを裸の状態にする。芦屋友人が「周りの部分は、とりあえず三角コーナーに捨てとくといいよ」と説明して、一号ちゃんはそのとおりにする。

 わたしが「では、これから包丁を使うから、一号ちゃん、集中してよ」と言うと、一号ちゃんは「だいじょうぶ、だいじょうぶ、まかせて」と言って、ぽんと自分の胸をたたく。

「んとね、じゃあ、まず、幅は、もう、算数でセンチは習ってるんだっけ? 一センチかなあ、これくらい(親指と人差指の間に空間を作って)。だいたいこの幅に切ってください」
「はい。わかりました」

「あ。上手に全部切れたね。じゃあ、次は、そのハムを一枚ずつ、縦と横の両方に切るんだけど、一個ずつがサイコロみたいになるように切ります。はしっこの丸いところは、丸いまんまでいいよ」
「はい。むむ。これくらいかな」

 元来なんでも丁寧に行う一号ちゃんは、ハムをサイコロ状に切るのも、できるだけすべての形と大きさが整うようにきちんと切り分ける。途中で何度か額の汗をぬぐうようなふりだけをして「ふう。ほんとうにお料理ってたいへんねえ」とときどきつぶやく。
 すべてのハムを切り終えたら、すでに軽くつぶしてあるじゃがいもにざっくりと混ぜ込む。一号ちゃんの身体には、少し大きなボウルを抱えて、ハムがじゃがいもの中に均等に散らばるように。

「わあ。きれいに混ぜられたねえ。では、人数分の小鉢を出して、それぞれのぶんを少しずつ入れていきます。それから大きな器に残りを盛りつけておかわりできるようにしておきます」
「はい。小さい器を、いち、に、さん、九個ですね」
「先にレタスを三枚くらいかなあ。葉っぱの大きさによって枚数は調節してね、大きすぎるのはちぎってもいいよ、ぐるっと一周でもいいし、半周になるかんじでもいいかな。お皿の縁に少し葉っぱの端が出るように敷くかんじで並べてください。どっちがいいかは、一号ちゃんのセンスに任せるよ」
「おおー。わたしのセンスかー。どうしよう。えーと、じゃあ、レタスぐるりにする」
「はい。お願いします」

「ふう。できたー」
「じゃあ、ハムの入ったポテトをレタスの真ん中にかっこよく盛りつけてください」
「かっこよく、ですね」
「多すぎず少なすぎずね」
「こんなかんじかなー」
「あ。上手上手。ちょっと鮮やかな赤色を飾るときっときれいだから、プチトマトをそばにのせよう」

 冷蔵庫の野菜室からプチトマトを取り出して、洗って、軽く水気を拭き取る。一号ちゃんが「あのね。学校でね、ミニトマト栽培したの食べた。ミニトマトでしょ、これ。みそさんプチトマトって言ったけど」と疑問を呈する。

「ミニトマトとも言うし、プチトマトとも言うの。ミニは英語で小さいっていう意味で、プチはフランス語で小さいの意味だから。ほんとはプチじゃなくてプティに近い発音かもだけど」
「へえー、そうなんだー」

 丸亀友人が「一号、いいなあ。みそさんに訊くと、いろんなことがくわしくわかるねえ」と微笑む。芦屋友人が「ほんと、ほんと。みそさん、昨日のしおかぜ(瀬戸大橋を渡る特急列車)の中でも、息子のネバーエンディングな質問に応え続けるの根気あるなあ、と思ったもん」と言う。

 夕食が始まると、一号ちゃんは二号くんと息子くんに「わたしが作ったハムのサラダ、どう? どう?」と訊く、ふたりは「おいしい」「おいしい」と応えて熱心に食べ続ける。一号ちゃんは続けて「おとうさん、ハムのサラダ、もう食べた? わたしが作ったんだけど」と言う。どうだくんは「まだやけど、食べるで」と応える。一号ちゃんは「カンくんはもう食べた? このハムのサラダ、わたしが作ったんよ」「みっちゃんは、ハムのサラダまだ食べないん?」と訊く。
 丸亀友人が「一号ちゃん。そんなにせっつかないの。みんなそれぞれに食べたい時に食べるのがおいしいんやけん。いいから、あなたも座って食べなさい」と促す。
 一号ちゃんは「わたしが作ったハムのサラダ、どうかな」と言って、自分で一口食べてみて、「おいしいー!」とこぶしをにぎる。
 芦屋友人が「一号ちゃん、がんばって作ってたもんね。ハムの大きさがそろっててきれいで食べやすくておいしいよ」と伝える。
 みっちゃんが「わあ、そうなんや。このハム一号ちゃんが切ったん? 一号ちゃん、もう包丁が使えるん? すごいやん。ハムもポテトもトマトもレタスも全部おいしいよ」と言う。それに対して一号ちゃんは「てへへ」と笑ってから、またサラダを一口食べて「おいしいー!」とこぶしをにぎる。
 
 それから一号ちゃんは冷や汁を口に運び、「あ。芦屋友人ちゃん、これ、すごくおいしい。芦屋友人ちゃん、がんばって作ってたもんね」と言う。芦屋友人は「おいしい? よかった。てへへ」と、一号ちゃんを真似る。
 ひとしきり「てへへ」「てへへ」を繰り返して笑い合う二人に向かって、丸亀友人が「一号ちゃん、よかったねえ。料理を作りたくてうずうずしてたんだもんねえ」と微笑んで見つめる。

 自分が作った料理を誰かとともに「おいしいね」と言い合いながら食べるのはうれしい。それは人類としての食事というものの醍醐味であると同時に自由のひとつでもあると思う。     押し葉

あの夏、宮崎の冷や汁

 あの夏の土曜日の夕ごはんは、いろいろとごちそうだったのだけれど、印象に残っているのは、宮崎出身の芦屋友人が作った「冷や汁」と、丸亀友人ちの一号ちゃんが作った「ハムのサラダ」。ハムのサラダは、一号ちゃんと芦屋友人とわたしの合作だけれども、一号ちゃんが「わたしが作ったハムのサラダ」とその後ずっと言っていたから、あれは一号ちゃんが作ったハムのサラダだと思う。

 わたしは今でも夏になると「冷や汁風」をよく作る。しかし、わたしが作るものとは異なり、芦屋友人が作る冷や汁は、本場宮崎仕込みならではのちゃんとした作り方だ。

 わたしが最初に「冷や汁」なるものを食べたのは、二十歳を過ぎて間もないころ、宮崎旅行に行ったとき。そのころ大学生だった丸亀友人とわたしは、大阪からブルートレインという寝台夜行列車に乗って、宮崎にたどり着いた。当時宮崎に帰省中の芦屋友人が宮崎駅に迎えにきてくれて、彼女の自宅に泊めてもらう。そのとき宮崎のおうちには、彼女のお母様と、まだ小学生の弟くんがいて、学生をしているお兄さんと妹さんは帰省中ではなかったらしく、そのときにはお目にかかっていない。友人の母上様が、わたしたちを宮崎の観光地あちこちに案内してくださる。夕ごはんには郷土料理屋さんに連れて行ってくださり、そこで、いろいろごちそうになった宮崎料理の中に「冷や汁」があった。
 それらの宮崎料理をおいしくいただいているときに、友人の母上様が思い出話を語ってくださる。当時既に他界中であった友人のお父様がまだご存命であられたころに、父上様と母上様がお二人で旅行に出かけられたときのおはなし。旅先のとある町の道沿いに大きな畑があり、その畑のお野菜たちがどれもそれは立派に実っていたのだそうだ。その畑のお野菜たちの立派な育ちぶりに感心した母上様は、畑で作業中の農家の方に、その上手な野菜の育てぶりを賞賛せずにはいられなくなり、思い切って声をかけたところ、母上様の賞賛のことばを農家の方は非常に喜んでくださって、母上様と父上様に大量のお野菜を持たせてくださる。
 友人の母上様は「お野菜を分けてもらおうだなんて、そんなこと思ったわけじゃないのよ。タダでもらおうと思って褒めたわけではないのよ。結果的にはそうなっちゃったけど」と、そのとき農家の方にいただいたお野菜がどれほど立派でおいしかったかを話してくださった。

 という大学生当時のはなしを、冷や汁を作る芦屋友人とその横で別のものを作る丸亀友人にしたところ、ふたりともが「そうやったっけー。みそさん、むかしのことをようおぼえとるねえ」と、ちっともおぼえていない様子。おかしいなあ。わたしの捏造記憶なのだろうか。いやいや、たとえ細部に若干の脚色や記憶違いが入っているとしても、大筋の内容はきっと殆どそうだったはず。

 わたしはその宮崎旅行で大好きになった冷や汁を、わたしが作る冷や汁風ではなくて本当の冷や汁をまた食べられることがうれしくて、芦屋友人の作る手間ひまを、にまにまと見学する。見学はするけれどおぼえる気はない。作ってもらえることがただうれしくて、にまにまとのぞきこむだけだ。

 丸亀友人は「うれしいなあ。冷や汁。わたし、宮崎で最初に冷や汁を食べたときには、あのときは、ちょっと苦手な食べ物かも、と思っていたんだけど、何年かしたら、いやあれはおいしかったよ、と思い出して、今はすごく好きになった。やけん、わたしちょっとたくさん食べるかもしれん。足りるやろうか」と言う。
 宮崎出身の芦屋友人が「だいじょうぶ。いっぱい作ってるけん。残ったら冷蔵庫に入れといて明日また食べてもいいし、と思って。でも、こんなにたくさん作って、他のみんなは食べられるんやろうか。食べてもらえるんやろうか」と気にかける。
 丸亀友人が「だいじょうぶ。どうだくん(丸亀友人の夫)は汁のかかったご飯があんまり得意じゃないけんたぶん食べんと思うけど、そのぶんわたしが食べるけん、わたしにはたっぷり入れてね。うちの子らもすんごい食べるはずやし、カンくんとみっちゃんは冷や汁初体験をたのしみにしてるらしいよ」と言う。
 芦屋友人は「そうか。それなら、これくらいの量、作ってもいいね」と、安心して作業を続ける。

 結局、冷や汁は、あんなにたっぷりあったけど、「芦屋友人ごめんな。せっかく作ってくれたのに冷や汁得意じゃなくて」とわびるどうだくんを除く全ての人に大好評で、小さな丼に一杯分くらいだけが残る。丸亀友人は「うれしい。また明日も冷や汁が食べられる。これ、明日のわたしの朝ごはんだからね。ちゃんと残しといてよ」とみなみなに宣言して、冷や汁を冷蔵庫に片付ける。
 芦屋友人は「おいしくできてよかった。みんなに食べてもらえてよかった」と満足そう。

 おいしくて、そして、にぎやかでたのしくて、だから、あの夏の冷や汁は、特別で格別な記憶。     押し葉

あの夏、婚約指輪が

 あの夏、土曜日の夕方に、丸亀友人が暮らすマンションには、大人が六人と子どもが三人いた。子どもは、丸亀友人の上の子一号ちゃんと下の子二号くんと、芦屋友人の息子くん。大人は丸亀友人とその夫(どうだくん)、芦屋友人とわたし、それから、丸亀友人夫婦が勤務する調剤薬局の若手男性薬剤師と医療事務の若い女性。若手薬剤師の「カンくん」と医療事務の「みっちゃん」は、もうじき結婚する予定の婚約者同士。

 夕食時の歓談中、どうだくんとカンくんがそれぞれのパートナー(丸亀友人とみっちゃん)について、彼女たちの物忘れぶりはどうしたものだろうか、という話をしていた。丸亀友人とみっちゃんは「仕事や生活に重大な支障がない範囲のことは、そういう脳の仕様なのだと、あきらめていただきたい」という趣旨のことを、各自のパートナーに伝える。

 その日は、夕食を終えてしばらくしたら、みっちゃんの身体を貸してもらって、丸亀友人にアロマオイルによる全身トリートメントの手技を伝授する予定。丸亀友人夫婦の勤務先の経営者の方からお借りしたカイロプラクティック用のベッドをひろげて、シーツ代わりのバスタオルを敷く。みっちゃんには、丸亀友人の部屋着であるタンクトップとショートパンツに着替えてから、ベッドの上にうつ伏せに寝てもらえるようお願いする。

 みっちゃんがベッドに横になる前に「わたし、どうしたらいいんでしょう」と言うから、「えーと、その都度、触る場所を言うので、そのつもりでいてもらえれば。それで、もし、痛いとか気持ち悪いかんじがあったらすぐに言ってね。それから、貴金属がアロマオイルで汚れるといけないから、もし身につけてるものがあれば、はずしておいてもらったほうがいいかな」と説明する。
 丸亀友人は、「どのオイルにしようかなあ。みっちゃん、このにおい、好き? 平気?」と言って、精油配合済みアロマオイルの瓶を何本かみっちゃんの鼻に近づけて確認してから、半袖Tシャツの腕をまくる。いや半袖だから肩をまくるなのかな。

 芦屋友人は同じ部屋にあるパソコンの前に座っていて、「なんだか、わたし、自宅にパソコンがない子なのがバレバレなくらい、ここに来てずーっとパソコンばっかり見てるよね」と言いながら、「へえ、このにおいもいいにおいやねえ。あ、これも好きかも」と、いろんな精油の香りを比べる。

 みっちゃんの身体のうち背中、足の裏、ふくらはぎ、太ももの裏側まで触り終えたところで、みっちゃんにお願いして今度は仰向けになってもらう。足の甲、膝下、太もも、膝、そして、手のひら、手の甲、指、腕、肩と順に触り、それから最後にデコルテ(首筋と胸元)と頭部。

 丸亀友人は近々本格的にアロマオイルトリートメントの受講を予定していたから、たいそう熱心に、わたしの手と身体の動きを真似て、「みっちゃん、力加減は、どのくらいかな。これくらいでみそさんと同じくらいになってるかな。圧の方向はどう?」とみっちゃんにこまかく確認しては、ふむふむと学習を重ねる。
 そして、丸亀友人は「みそさんがわたしにしてくれてたのって、こういうふうにしてたんやねえ。実際は手のひら二つだけなのに、やってもらってるときには、千手観音の手みたいに大量の手が触ってくれてるみたいに感じるんよ。あれは、流れるようなリズミカルな動きで触ってるけんだったんじゃねえ」と感慨深げに納得する。

 ひととおりの手技を終えて「みっちゃん、長時間の身体の提供ありがとうございました」と、お礼を伝える。みっちゃんは「初めて体験したけど、すっごい気持ちがよかったー。今のわたし、すべすべー。それに全身がなんかポカポカあったかくて新陳代謝高まってますってかんじ」とニコニコと自分を撫でる。
 「あ、みっちゃん、新陳代謝が高まってるのはほんとうだから、たぶん、ちょっとトイレが近くなると思うけど、どんどん出して、必要な水分を補給してね」と説明する。

 それからしばらく、大人みんなでかなり遅くまでいろんな話をして過ごす。でももういい加減そろそろ帰ります、と、カンくんとみっちゃんが帰ってゆく。そのあと、丸亀友人は、「ちょっと、復習がしたいから、芦屋友人、ここにあがって。身体触らせて。とりあえず脚だけでいいけん」と言って、ベッドの上に座った芦屋友人の足と脚にアロマオイルを塗って「こうだったかな。こんなかんじかな」と復習に励む。
 芦屋友人は「ああー、みっちゃんが言ってたとおり、これは気持ちがいいわあー」と言い、丸亀友人は「芦屋友人、かかとがガサガサのままで放置してて、身体がかわいそうすぎる。もっと自分で自分を手入れしてあげんといかん」と諭す。
 それから芦屋友人と丸亀友人とわたしの三人は順番にベッドの上に座って、触る側になったり触られる側になったりを三人で繰り返す。三人とも体液がぎゅんぎゅん流れる勢いにのって、気持よくぐっすりと眠る。

 翌朝、ゆっくりとした朝ごはんを食べていたら、丸亀友人の携帯にみっちゃんから電話がかかってくる。みっちゃんは「朝早くにすみません。昨日はごちそうさまでした。あの、実は、ごにょごにょごにょ」となにごとかを丸亀友人に相談する。
 丸亀友人が「ええっ。ちょ、ちょっと待ってよ」と、みっちゃんにいったん言いおいて、あちこちを目視確認してから、さらになお何か探しながら、「みそさん。みっちゃんに昨日身体貸してもらったときに、アクセサリーしてたら外して、って言って、そのあと、みっちゃんが指輪をどこに置いたか、おぼえてない?」と言う。

「指輪、してたんだ、みっちゃん。いや、手を触ったときには、指輪はなかったよ。みっちゃんが準備してくれてる時にはマジマジ見ないようにして、バスタオルでみっちゃんを隠すみたいにしてたから、指輪をはずしてる姿の記憶もないけど。みっちゃんの指輪、行方不明なん?」
「それが。(ささささっと、どうだくんの姿が近くにないのを確認してから小声で)みっちゃん、昨日、婚約指輪をしてうちに来てたんだって」
「えええっ。じゃあ、行方不明の指輪は婚約指輪? ちょっと待って、ちょっと待って。えーと、えーと、指輪をはずしてどこかに置いたとしたら、カイロのベッドがあるこの部屋で、でも、ないねえ。ってことは、あっ、昨日、みっちゃんに着てもらってた部屋着にポケットが付いてるとか?」
「あ。そうだっ。(今度は電話に向かって)みっちゃん。みっちゃんが昨日着た短パンのポケット見てみるけん、いま洗濯物見てみるけん」

 丸亀友人が、脱衣所の洗濯かごの中から、昨日みっちゃんに着てもらった短パンを探り出し、「あ、あ、あ、あ、あったー」としゃがみ込む。
 丸亀友人が「みっちゃんー。あったよー。どうしよう、これ、預かっておいて、仕事のときに渡したらいいんかな」と言うと、みっちゃんは「あ、あ、あ、あ、ありがとうございますー、ありましたかー、よかったー。ああー、ううー、よかったー。実は、わたし、いま、マンションの下まで来てるんですけど、お部屋まで取りにうかがってもいいですか」と言う。
 丸亀友人は「みっちゃん。待って。そこにいるんなら、わたしが下に降りるけん、下で待っとって。うちに来てくれてももちろんいいけど、この件は、どうだくんとカンくんには内緒にしよう。昨日あれだけ、わたしらの物忘れがどうのこうの言われて、仕事や生活に支障がない範囲のことは、って開き直ったけど、これはちょっと開き直るのはまずいと思うん。ね、すぐ降りるけん、みっちゃん、そこにいて」と小声で早口に言って、電話を切る。

「じゃ、みそさん、わたしちょっとだけ、下で、みっちゃんに指輪渡してくるけん。どうだくんがなんか訊いてきたら、訊いてこんとは思うけど」
「だいじょうぶ。お向かいのパン屋さんにパンを買いに行った、って言っとくから。携帯電話だけ持って行って」
「うん。わかった。パンも買ってくる。携帯とお財布持って、いってくる」

 そうして、みっちゃんとカンくんの大切な婚約指輪は、みっちゃんの指に戻った。     押し葉

スネ毛とヒゲにこだわる

 数年前の夏に、妹夫婦がわたしの自宅に遊びにきたことがある。我が家に宿泊滞在中の大半の時間は、リビングのラグの上でごろごろとくつろいで過ごす。

 わたしが洗濯物を干すか何かの作業の途中で、リビングを横切ったときに、妹が「ねえちゃん。見てみて。ほらこれ」と両手を器のような形にして何かをそうっと大切に持ったものをわたしに見せる。

「なんだ、それは? 綿毛? でもなんで綿毛?」
「綿毛、と思うじゃろー。綿毛みたいじゃろ。でも、これ、もっきゅん(妹の夫)のスネ毛なんよ。ここに来てから、このラグの上に落ちたのを拾って集めてみた」
「わあ、いっぱい集まったねえ」
「じゃろ。もっきゅんと結婚して、今の家に一緒に棲むようになって、最初の頃は、なんで、うちの中に、動物の抜け毛みたいなものが、ほわほわー、ほわほわーっと、あちこちに落ちとるんじゃろう、と思って、不思議じゃったんよ。しかも、必ず、もっきゅんが活動したエリアに限定して落ちとるけん、この人、たぶん、わたしに内緒で、なんか毛の多い動物を飼いようるんかもしれんと思って、あとをつけてみたりもしたんじゃけど、ようよう見たら、動物いうても、その動物が実はもっきゅんで、動物の毛じゃと思っとったのは、もっきゅんのスネ毛じゃったんよ」
「ああ、スネ毛はねえ、どうやらくんもけっこう濃いいけん、慣れるまでは違和感あったかもしれん」
「じゃろ。うちのとうちゃんやにいちゃんは、あの人ら、スネ毛薄いじゃん」
「うん。あの人らは薄いね。しめじ(弟)なんか、よく、わたしのスネと自分のスネを見比べて、ねえちゃんスネ毛濃いいのう、いうて言いようたもん。わたしもけっして濃いほうではないんだけど」
「こんなん濃い言わんわいねえ。もっきゅんのスネ毛は、抜け落ちたものが床の上で明らかに毛と認識できるもん」
「特に、トイレとか脱衣所とか、こうズボンやパンツの脱ぎ履きが多いところでの脱毛率高いよね」
「そうそう。トイレに座ったときに、なんで床にほわほわとした毛がこんなにあるんじゃろうか、と思うよね」
「スネ毛が抜け落ちるのは仕方ないんじゃろうけど、スネ毛の持ち主本人が、その脱毛後にゴミとなったものの存在に気づいてこまめに掃除できれば問題ないんじゃけどね。どうやらくんはあんまり気づかないというか見えんみたい」
「自分の毛じゃけん、あんまり気にならんのんかねえ。もっきゅんのスネ毛なんか、別に、防寒に必要なわけじゃないんじゃし、そんなに抜け落ちるなら、しかも抜け落ちたことに気づかずにそのまま放置するようなやつは、いっそのこと剃ってしまえ、って思うことがよくある」
「あ、剃ってしまえ、といえばね、どうやらくんが顔の顎のヒゲを剃る電気カミソリっていうんかな、こう、ウイーンウィーンってあてて剃るやつ、あれを買いかえるときにね、ヒゲの薄い方向け、っていうのを選びようたけん、どうやらくんは、どう考えてもヒゲが濃い方じゃと思うよ、ヒゲが薄い人っていうのは、うちの父や弟みたいなのを言うんよ、って教えてあげたことがあってね、最初は抵抗してたんだけど、そんなに言うならって、普通から濃いひげの人向けの電気カミソリを買って使ったら、よく剃れて早く剃れるようになった、って感動してた」
「おにいさんのヒゲは明らかに濃いいじゃろう。ヒゲを一日二日剃らんかったときに、顎全体に無精髭が生える人は、ちゃんとヒゲが濃い人向けのシェーバーを使わんにゃあ。とうちゃんやにいちゃんは、無精ひげも、なんかこう全体には生えなくて、まばら、というか、ちょろちょろというか。あれはあれで、ちゃんとした無精髭にならんのんなら剃ってしまえ、って思うよね。まんべんなく生えてる無精ひげなら、はいはい無精ひげなんですね、と思えるけど」
「さっきのスネ毛を剃ってしまえ、の話じゃけど、もっきゅんやどうやらくんのスネ毛はね、防寒になるほどの量はないかもしれんけど、実はなんかの役に立っとるんかもしれんよ、わたしらが知らんだけで」
「役に立っとるんなら役に立っとるで別にええけど、抜け落ちて、もう、なんの役にも立たんようになった自分の毛の世話(掃除)はちゃんとしてほしいと思う」

 そういえば、妹は以前、どういう話の流れでそういう話になったのかは思い出せないけれども、「今度生まれ変わるとしたら男がよいか女がよいか、選べるとしたらどちらを選ぶか」という話になったときに、一切の迷いなく「そんなの女に決まってるじゃん」と言っていた。
 わたしとしては、身体が男性であれば、ブラジャーや生理用品を入手して使用するお金や手間がかからないのはメリットかな、と思ってそう言ってみたのだけれど、妹は「そんなもん買って使えばいいだけのことじゃん。男じゃったら、毎日ヒゲを剃らんにゃあいけんのんよ。めんどうくさいじゃん」と反論する。
 妹はさらに重ねて「毎日のひげ剃りも面倒じゃけど、問題はスネ毛よ、スネ毛。ただ生えとるだけならいいけど、抜け落ちたのを掃除するのがたいへんじゃん。じゃけんぜったい女がいいに決まってる。女じゃったら、たとえスネ毛が少々濃くても、脱毛や除毛の文化が浸透しとるけん、自分でちゃんとスネ毛のお世話もできるじゃん。自分でお世話ができんのに、スネ毛が濃いのは、あれはいけんわあ」と言う。

 体毛の手入れや抜けた体毛の掃除、という部分が、妹の人生においては、なにか重要なツボ、なのかもしれない。     押し葉

あの夏、白杖の人と

 あらためて数えてみると、今から六年前のことになるのだな、と気づく。当時のわたしは、今のわたしと同じように、無職の旅人で、その夏、四国の香川県丸亀市にいた。友人(丸亀友人)宅に居候し、讃岐うどん三昧な毎日を過ごすという至福の日々。

 丸亀で暮らす友人家族は、当時マンションを新しく購入して引っ越して間もない時期だった。わたしは丸亀に行く前日に、兵庫県芦屋市在住の友人宅に一泊させてもらう。そこで芦屋の友人(芦屋友人)親子と合流して、翌日一緒に瀬戸大橋を渡り、丸亀に向かう。

 当時、芦屋友人の息子くんは、幼稚園の年長さんだった。丸亀友人の子どもたちは、上の一号ちゃんが小学校二年生、下の二号くんは保育園の年長さんで、芦屋友人の息子くんと同級生だ。
 丸亀で過ごす週末は、子どもたちは子どもたちで、三人いることで、普段はできない遊びができ、わたしたち大人も、久しぶりに会って直接話して、みんなたくさん笑って過ごす。

 わたしは無職の旅人だから、特に期間を決めた旅ではなかった。けれど、まだ夏休み前の世の中では、芦屋友人の息子くんには、月曜日には「幼稚園通園」という重大な任務がある。だから、芦屋友人と息子くんは、金土日を丸亀でわたしたちとともに過ごしたら、日曜日のうちに芦屋に帰る。
 日曜日の午後、JR丸亀駅から岡山まで行く特急に乗る芦屋友人と息子くんをみんなで見送る。入場券を購入して、ホームで一緒に列車が来るのを待って、二人が列車に乗るのを見届けて、またねー、と手を振る。

 岡山に向かって発車した特急を、二号くんと一号ちゃんが、ホームの端まで疾走しながら手を振って見送る。丸亀友人とわたしは、「にぎやかでたのしかったね」と話しながら、ホームの中央辺りに立って、ホームの端から子どもたちが戻ってくるのを待つ。一号ちゃんと二号くんがホームの中央まで戻ってきたら、階段をおりて改札に向かう。

 そのときに、わたしたちがいるホームの階段の手前のところに、白い杖を持った男性が立っておられることに気づく。年の頃は、六十歳にはなってらっしゃるか、もう少し上かな、というくらい。
 数秒その姿を見てから、わたしは「こんにちは。もし、よろしければ、わたしの腕をご利用ください。改札までご案内いたします」と声をかける。その男性は「ああ、ありがとうございます。では、お願いします」とわたしの右腕を軽くつかんでくださる。

「では、こちらが点字ブロックです。点字ブロックに沿って階段をおります」
「いったん、おどりば、です」
「ふたたび、階段です」
「これで階段は、おしまい、です」
「改札は、前方、斜め右方向、です」
「まもなく改札に到着します」
「改札です」

 そう順番に案内して、改札につくと、その男性は手慣れた様子で定期券を駅員さんに提示する。改札の駅員さんがその男性に「いつもよりも、遅かったが」と顔見知りの親しさをこめて話しかけられる。

「そうなんや。いつもの列車で、ひと駅寝過ごしてしもうて。折り返して帰ってきたけん」
「ありゃあ。それは、寝過ごしたのがひと駅でよかったなあ」
「ほんとや。それで、引き返して帰ってきたら、いつも朝、乗るときに使うほうのホームに着くやろ。今のホームから毎朝電車に乗るのには慣れてても、こっちがわで降りることってないけんなあ。いつも降りるほうの向かい側のホームやったら、何両目のどこの扉で降りてどれくらいで階段になるかもわかっとるけど、いつも乗るほうのホームを降りるほうで使うとなると、とっさにホームの感覚がわからんでなあ」
「ああ、それはそうかもしれんなあ。点字ブロック、すぐにわかったか?」
「まあ、そのうちわかったんやろうけど、この人が声かけて、点字ブロックのところまで腕を貸してくれたけん、無駄がなかった」

 改札の駅員さんは、「ああ、それは、よかったな」と白杖のおじちゃんに言ってから、わたしに向かって「ありがとうございまいした」と声をかけられる。わたしは駅員さんに会釈して「ありがとうございました」と伝える。
 改札を出て、白杖のおじちゃんとわたしは、ほんの少し話をする。ホームから改札まで歩く間にも少ししていた話のつづき。

「言葉のかんじが、香川の人ではないようですが、どこか遠くからいらっしゃったんか?」
「あ、はい。北陸地方の福井県から来ました。でも、言葉は、実家が広島なので、広島弁が出やすいです」
「ああ、そうですか。こちらにはご旅行で?」
「はい。大学の時の友人が、こちらに住んでいるものですから、その友達の家に泊めてもらって、讃岐うどんや一鶴のひなどりを食べたりして過ごしてるんです。今の特急で別の友だちが帰るのを見送りに来て、またこっちの友達の家に戻るところです」
「ほう。そうか。それはいい。もう丸亀城公園には行かれたか?」
「何度か丸亀には来てるんですけど、お城はまだなんですよ。今回は行ってみるつもりです」
「そうか、ぜひそうしたらええ。丸亀城公園の他にも、どこどこや、どこそこも、いいけんな。よかったら、行ってみたらええよ」
「はい。ありがとうございます」
「じゃ、ありがとな。気をつけて帰りなさいよ」
「はい。失礼いたします」
「丸亀旅行、たのしんで行ってな」

 白杖のおじちゃんは、スタスタスタスタスタスタター、と、かなりの高速歩行で、改札前から駅の建物南側出口をいっきに抜けて、駅前広場もあっというまに通りすぎて、そのむこうの横断歩道をわたって、姿がどんどん小さくなる。きっと、ほとんど毎日のように、通勤か何かでこの駅をご利用の方で、駅と駅周辺からご自宅までの道順は完璧に把握されていて、足の裏の感覚と杖による確認だけで、問題なく移動できるということなのだなあ。

 わたしがそう感心しながら、白杖のおじちゃんを見送っていたら、丸亀友人ちの一号ちゃんが、「おかあさん。みそさん、やさしいね」と友人に向かって言う。丸亀友人が「うん。そうよ。みそさんはやさしいよ」と応える。

 それを聞いたわたしが「やさしい、ん、か、なー」と、やさしい、のとはちょっと違うような気がするなあ、と考え始めたら、友人が一号ちゃんに向かって「一号ちゃん。だいじょうぶよ。今のは、やさしい、で合ってるよ」と言う。一号ちゃんは安心した表情になり「よかった。そうだよね。みそさん、やさしいよね。やさしいし、えーと、えらいよね」と言う。友人は「うん。えらい、も、合ってるよ。知らない人をお手伝いするのに、さっと声をかけるのは、えらい、と、おかあさんも思うよ」と言う。

 それから、友人は今度はわたしに向かって「みそさん。一般ピーポー(一般の人々)の感覚では、今のはやさしい、でいいんよ。みそさん的には、親切のほうが近いんじゃないかな、とか、気づいたことをできる範囲でただしただけ、だとか、考えとるかもしれんけど、考えとるじゃろ、ほらやっぱりね、でも、ああいう状況で、すっと声をかける人は、そうはおらんのんじゃけん、やさしい、でいいんよ」と言う。

「そうなん? まあ、えらいのは、もともとわたしは何をしてもしなくてもえらいとしても、でもさ、ほら、わたしは、点字の通信講座を受けたけん、白い杖を持っている人がいたら、まず、その人がすでに歩数カウント中じゃないかどうかを見定めてから、声をかけても邪魔にならなさそうじゃったら、腕をどうぞ、って声をかけるように、って習っとるけん。やさしいけんそうするというよりは、そう習ったけんそうするかんじなんじゃけど」
「習ったかもしれんけど、習ったからって簡単にそうできるわけじゃないと思うよ。そもそも、自分に必要性があるわけじゃないのに点字とか習ってること自体がめずらしいんじゃけん。まあ、文字が好きなみそさんとしては、点字も文字のひとつとして外せんかっただけなんじゃろうけど」
「うん。文字好き。でも、点字じゃったら、誰々さんも誰々ちゃんもできるよ」
「だとしても、わたしらの知ってる人の中にそれくらいしかおらんじゃん。誰々さんのほうは、みそさんがシカゴで泊まってたおうちのお友達じゃろ。点字人口、全然、多いわけじゃないけん」
「それにしても、さっきのおじちゃん、思いきり、地元の人やったね。腕貸して案内したつもりが、逆に観光案内してもらっちゃった。階段の説明も、あんなに詳しくせんでもよかったんやろうね。既にこの駅の構造を知ってる人にとっては、ちょっとくどい説明やったねえ」
「でも、おじちゃん、それは別にいやじゃなかったと思うよ。おじちゃん、観光案内するくらいウェルカムな気分になったんやし」

 それから、わたしたちは、友人宅に戻り、日曜日の夕方と夜を過ごす。芦屋友人の息子くんが置き忘れた車のおもちゃを発見して、芦屋友人の携帯電話に「息子くんのおもちゃが居残っています」のショートメッセージを送信する。芦屋友人から「みんなと別れた寂しさと、おもちゃを忘れた悲しさで、息子は新幹線の中でずっとさめざめと泣いています」と返信が届く。

 あの夏の、いくつかの記憶たちを、きっと、また、ここに書く。     押し葉

退職報告書

 これまで「みそ文」に多くのネタを提供してくれたわたしの勤務先ではあったが、会社の方針変更に伴う各種事情により、このたび退職することとあいなった。

 勤務先での実働は五月二十日で終了し、現在は有給休暇の消化中。これまで経験した失業の中には、急な廃業のケースもあり、中小零細企業が急に廃業するときというのは、有給休暇の消化など、雇用側も被雇用側も思いつかないもの、思いついたとしてもその現実化が困難なもの、であることが多いと思うが、今回は、きちんと残りの有給休暇のことを安心して考えて実際に取得してから退職できるのがありがたくてうれしい。
 在籍は六月二十日までで、その後は、雇用保険の失業給付金受給の手続き他、諸々の事務手続きを行い、旅人として、そして、求職者としての活動にいそしむ。
 失業も六度目ともなると、自分の中に、失業者としての熟練を伴った落ち着きすら感じられ、労働者としての我が身の成長とともに、失業者としての成長も同時に感じられることであるなあ。

 これまで勤務したどの職場もそうであったように、おそらく約五年半勤務した今回の職場でも、仕事の(自分にとっての)面白さにも、同僚にも、お客様にも、取引先の方々にも、たいへん恵まれていたと思うのだけれども、それでもなお、こういう流れになるということは、次に出会うべき誰かや何かとのご縁に導かれているということだろうと思うから、そちらでの良縁に無事にたどり着くべく、身辺に注意して、直感を研ぎ澄ませて、各種活動にあたってゆけたら、と願う。
 この機会に、じっくりと勉強してみたかったことに取り組むことなども、身辺注意と直感研磨のひとつであり、次に、あるいは、いつか、自分が身を置くべき場所において必要な準備のひとつになるのだろうと思う。それは、自分がこうして勉強することの何がどう役に立つか立たないか、どう収入につなげてゆくかゆかないか、などといったやや性急な実利とは別の視点で、お金や時間や体力気力などいろいろなエネルギーを投資したのちに循環させるような種類のものなのだろうなあ。

 そういうわけで、今回の職場での、仕事ネタの新たな仕入れは、もうない。しかしながら、今回勤務した職場でのネタで、書き記しておきたいのにまだ書いていないものが、手元(脳内)にいろいろとあるから、その記憶たちは、また折々に、「仕事」カテゴリの話として書いてゆくつもり。
 ついては、今後「すこやか堂」の話が出てきたときには、前の職場の話ね、と、思いながら読んでいただけるとありがたい。

 以上、なにとぞよろしゅうに。     押し葉

引用言うに及ばず

おぼろげな記憶を突如思い出して聞かせてくれた我が家の若旦那に始まり、その話をみそ文に書いた自分といい、それを読んでご自身の経験を語ってくださった方々に至っては言うにおよばず、みんなお手柄大手柄。



 上記の引用は、前回書いた「お手柄な人々」の最後の一文である。この中の「言うにおよばず」の使い方が、この場合、これで合っているのだろうか、というのが、なにやら急に気になりだした。
 本文記述時は、「言うに及ばず(およばず)」と「言うまでもなく」のどちらを使おうか少し迷って、音韻リズムと音階の印象を基準に判断して前者を選んだ。

 わたしが上記文中で真に言いたいことは、わたしの夫よりも、わたしよりも、各自の宿泊業経験談を語ってくださった方達のほうがずっと、お手柄で大手柄だよ、ありがとう、ということだ。つまり、お手柄度合いの便宜的な高低を比較記号で表示するとしたら、『シフトに興味を抱いたわたし<若旦那のおぼろげな記憶を思い出した夫<それをみそ文に書いたわたし<<みそ文を読んで各自の体験を思い出し語ってくださった方々』という順番になるかと思う。

 つまり、各自の体験の記憶を語ってくださった方々は、わたしよりも夫よりもずっとお手柄度合いが大きいのだということを言いたいがために、「方々に至っては言うにおよばず」とつなげたのだけれど、もしかすると、この「言うに及ばず」を用いたことで、本来最高位に置きたい方々を、最低位に配置したことになるのではないか、という危惧が元気よくスタートしたのだ。

 ここは詳しい調査を開始したいところではある。しかしながら、夜もふけたことだし、それどころか早朝が訪れそうな時間だから、今日のところは、「うーん、どっちなんだろう」という疑問を全身に抱えたままで、しっかり眠って、睡眠中の脳内辞書機能にがんばって調べてもらおう、と思う。

 もしも、この「言うに及ばず」では、本来「高位」に置きたいものを、間違って「低位」に持ってくることになるのであれば、上記引用文は、どのような言葉でつなぐと、思っている通りの配置にすることができるのだろうか。

 「ご自身の経験を語ってくださった方々は当然のことながら」「当然以上に」「もちろんのこと」「さらにもっと」とすれば、その方々が最上位であることが表しやすいような気はするが、そのあとに続けて使いたい「みんなお手柄大手柄」との接続が、もうひとつ不自然な気がする。

「方々は当然のことながら、みんなお手柄大手柄」
「方々は当然以上に、みんなお手柄大手柄」
「方々はもちろんのこと、みんなお手柄大手柄」
「方々はさらにもっと、みんなお手柄大手柄」

 これでは、どうも、リズムがよろしくない。「当然のことながら」「当然以上に」「もちろんのこと」「さらにもっと」などを用いるのであれば、それに続く表現としては、「みんな」を外して「お手柄で大手柄」にするほうが、流れがスムーズか。

「方々は当然のことながら、お手柄で大手柄」
「方々は当然以上に、お手柄で大手柄」
「方々はもちろんのこと、お手柄で大手柄」
「方々はさらにもっと、お手柄で大手柄」

 気持ちとしては「お手柄」という語彙のまえに「みんな」を持ってくることによって、「わーい、なかまだー、うれしいなー、ありがたいよー」という幻想の団結感のようなものを、個人的に勝手に味わいたかったのだけれども。

 もしも原文のままで「みんな」を外すとしたら、「方々に至っては言うにおよばず、お手柄で大手柄」となるが、それでも、つながりのリズムは問題ない、か。

 「言うに及ばず」の使用の可否で迷うのであれば、「言うに及ばず」そのものを外して、「方々に至るまで、みんなお手柄大手柄」にすると、その前の「若旦那に始まり」の開始部分から、「自分といい」という過程を経過して、「方々に至るまで」という、「みんな」でくくりたい範囲の指定が「ここから、ここまで、ですよ」と、わかりやすくなるだろうか。

 というようなことを考えながら、ブログ歴初の「引用(引用部分を四角で囲って表示する)」技に挑戦してみた。引用とは、このような方法(引用したい文を指定してから、ブログ入力画面の上にあるアルファベットで「Q」と書いてあるボタンを押す)で行うものだったのか、と、気づいたわたしは、今日もなかなかお手柄だ。     押し葉

お手柄な人々

 先日「若旦那の修行」という記事を書いたところ、我が家の若旦那よりもよほど記憶がはっきりしておられる方々から、お声をかけていただけるという幸運に恵まれた。

 ひとりの方は、ご実家が複数の宿泊業を経営しておられ、ご自身もその業務にたずさわった経験をお持ちの方。担当部門による勤務時間のこと、休憩時間のこと、出勤日と休日のこと、雇用者と被雇用者の勤務体制のちがい、などについて、かゆいところに手が届く解説を提供してくださる。そうなんだー、そうなのかー、と、ひたすら感心しつつ、願って念じたことが叶って情報がもたらされる喜びに歓喜興奮しつつ、みそ文を書いていてよかったなあ、としみじみと腕を組む。

 また別の方は、学生時代に修学旅行生向け旅館にて、配膳と布団敷きのアルバイトをなさっていたと知らせてくださる。春と秋の修学旅行シーズンの人手を厚く保つための雇用であったらしい。当時学生さんだったその方は、アルバイト先の旅館のお風呂に入れることで、日々の銭湯代を節約できるのがよかったのだとも話してくださる。そうなんだー、そうなのかー、すごいなー、世の中には、宿泊業の一部に従事したことのある人が、あちこちにいらっしゃるものなのだなあ、いざというとき(どんなときだろう)には、また詳しく質問していろいろと教えていただけるように丁寧にお願いしよう、と、こころの中で拳を握る。

 そうやって、腕を組んだり拳を握ったりしていたら、大学時代からの友人が電話をかけてきてくれて、「みそさん、みそ文の若旦那の話なんじゃけどね、わたし、大学一年生の夏休みに、淡路島の旅館でアルバイトしとったんよ。なんでも訊いて」と言うではないか。

 こんな身近なところにも、宿泊業務体験者がいたのか、という驚きもだが、わたしがまず驚いたのは、この友人がそんな過去のことをおぼえていたことと、それを思い出して話してくれるということだ。
 なぜならば、この友人は、わたしにとっては、「物忘れ道」の師匠、とでも言うべき存在で、ほとんどの場合、いつ何を話しても、「ええー、そうじゃったかねー、そんなことあったの全然おぼえてないよー。みそさんは、いろんなことをようおぼえちょるねー」と言って、もう何度か、あるいは何度も話したことがある話をしたときでも、常に新鮮に面白がってくれる人物なのだ。
 彼女は大学の寮で毎日利用していたエレベーターの存在も、寮の各階に設置されていた共用の冷蔵庫のことも、「そんなのあったっけー。なかったよー。だっておぼえてないもん。それか、わたしはエレベーター使わずに階段で歩いて登り降りしとったんかもよ」と言う。「いやいや、あなたとは、何度も一緒にそのエレベーターに乗ったからね。エレベーターは間違いなくあったよ。異様に低速運転のエレベーターだったけどね」と、わたしは毎回言う。彼女は「みそさんは、そんな昔のエレベーターの速度のことまで、ほんまにようおぼえとるねえ」と、毎回本気で感心する。
 
 その彼女が、二十年以上前のひと夏のことを、おぼえていて、思い出して、詳しく話してくれるのだ。実に新鮮な驚きではないか。
 わたしが「そんな話、初めて聞くよ。なんで、今まで一度もその話、聞いたことがないんじゃろう」と不思議がると、彼女は「それはたぶん、わたしが話したことがあるのを、みそさんが忘れとるだけじゃと思うよ」と堂々と言う。

「いやいや。それもあるかもしれんけど、たぶん、ほぼ間違いなく、初めて聞いたと思うよ」
「そうかなあ。で、まあ、とにかくね、名前はホテルだけどサービスの内容は旅館、っていうかんじの大きなところで、一ヶ月間、住み込みで働いとったんよ」
「うわ。住み込み?」
「うん。従業員用の宿舎というか、ただの部屋なんじゃけど、お湯を沸かすくらいはできるけど自炊できるほどじゃないかな、っていうような部屋に寝泊まりしてね、仕事は、お客様をお世話する係のおばちゃん、えーと、仲居さんだっけ、その補佐をする仲居見習いにあたる仕事かなあ、部屋の掃除と準備と、お客様のお迎えと、お部屋へのご案内と、夕ごはんの配膳と、食事が済んだお膳を下げて食事の部屋を片付けるところまでが、チェックインの日の業務内容」
「それって、けっこう長時間だよねえ」
「お客さんのスケジュールによりけりなんだけど、午後三時くらいには待機と実動が始まるかな。夕食が早く終わる人ばかりだと、あとはもう、ゆっくりとおくつろぎください、おやすみなさい、でお客さんのお世話はおしまいで、あとはお膳を下げて、食事する部屋の片付けと掃除をすればいいだけじゃけん早く終るけど、宴会が遅くまであったりすると、宴会が終わるまで仕事が終わらんし、宴会のビールのおかわりを運んだ時に、そのままお酌させられたりもするし。宴会が遅くまでかかるときは夜十一時過ぎることもあったよ」
「だとしたら、三時から十一時で既に八時間働いてるよね」
「ほんまじゃね、そうじゃねえ。でも、食事が早く終わるお客さんのときだと、片付けまでしても夜八時頃には終わるけん」
「早くて、三時から八時の五時間、かあ」
「朝は、早く出発する人は、六時くらいに朝ごはんにする人もいてね、そこから、担当の部屋、あ、ひとりで五部屋担当なんじゃけどね、そのお客さんが全員食事を済ませて、チェックアウトするまでは、朝ごはんをお出しして、終わったら下げて、を繰り返すじゃろ。それから朝食会場を片付けて、チェックアウトしたお客様をお見送りして、全員が出て行ったら、それから担当の部屋の掃除をして、それが終わったら休憩」
「十時チェックアウトとして、一時間で五部屋のお掃除終わる? 十一時か十二時までかかるんかなあ。午前中だけでも、朝六時から十一時すぎまで五時間前後働くってことかな。夜の時間と合わせたら、一日十時間以上働いてることになるよね」
「お客さんのチェックアウトが早ければ早いほど、こっちも早く掃除始めて、掃除し終えて、休憩できるけん、お客さんのスケジュールによって、実働時間が違うんよ。今は泊まる側ばっかりじゃけん、どこかに泊まったときにはゆっくり滞在したいと思ってそうするけど、従業員の立場になると、早くチェックアウトしてほしい気持ちもわかるんよねえ。まあ、そういうわけじゃけん、あの仕事は、何時から何時、っていうきっちりしたシフトとはちょっと違うかもしれん」
「ほんとじゃね。そうじゃね。きっちりは決められん仕事内容じゃもんね」
「で、もう、この仕事が、今にして思ったら、きつくてねえ。当時は十九歳じゃったけん、一ヶ月であれくらいのまとまったお金がもらえるんじゃったらすごくいいじゃん、と思って始めたけど、もう、午前中の仕事が終わったら、ただただご飯を食べて、ひたすら部屋でお昼寝するくらいクタクタじゃった。夜もそう。食べて寝るだけ。せっかくの淡路島なのに、どこか観光しに遊びに行こうなんて、これっぽっちも思わずに。しかも、ここのまかないのご飯が、なんともいえず、くさいご飯で、おいしくなくてねえ」
「激務なのに、まかないがおいしくない、って、悲しいねえ」
「うん。いつの残りご飯なんじゃろうか、と思うおいしくなさでねえ。そこでバイトするまでは、大学の寮のご飯にずっと文句言ってたけど、いやいや大学寮のご飯おいしいじゃん、って、あのとき思ったよ。そのまかないご飯のあまりのおいしくなさに、仕方なく、カップラーメン買って来て部屋でお湯入れて食べてたもん」
「すごいねえ、よくがんばったねえ」
「うん、がんばったと思う。最初は大学の同じ寮から三人一緒に行って、その仕事始めたんじゃけど、三人のうちの一人は、途中でどうしても続けられん、言うて、やめて帰ったもん」
「きつかったんやねえ」
「体力的にはね、まだ十九だったし、それほどでもなかったんだけど、上についてくれる本職の仲居のおばちゃんがねえ、いろんな人がいるじゃろう。いいおばちゃんのときには、全然問題ないんじゃけどね、ああいう業界じゃけん、なんというか、こう、いろんな人生経験を積んできた百戦錬磨な人もいるわけよ。そういう人は、十九歳の小娘に対しても容赦がないけん」
「ああ、なるほど、百戦錬磨のエネルギーをスルーしてやり過ごす度量は、十九歳の小娘には、まだ、ないかあ」
「うーん。三人のうちのひとりの子が、もうどうしても続けられん、帰る、って言い出したときに、三人でどうしようか、って相談して、そのときに、一ヶ月まるまるつとめたら、提示されていた給料が全額もらえるんだけど、少しでも契約期間より早くやめたら、激安給料になることがわかってね。任期満了手当てみたいなものがついてこそのまとまったお金で、日給そのものは、あんまりな安さでねえ。まあ、そのへんのことを事前に確認してから働き始める、というようなことも、当時は思いついてないんじゃけどね」
「まあねえ、十九歳じゃけんねえ。雇用契約内容を事前にこまかく確認する訓練は、まだまだ、だよねえ」
「でね、その子は、それでもいい、もらうお金が少なくてもいいけん、自分はやめて帰る、って決めてて、わたしともう一人の子は、どうしょうかあ、いうて話したけど、ここまでやって、そんな安いお金ではやめられん、って、最後までする、って決めたん」
「やめたのもえらかったけど、続けたのもえらかったねえ」
「そうじゃろ。でもね、そのときに稼いだお金がいくらじゃったんかも、それを何に使ったんかも、おぼえてないん」
「いいよ。そこはおぼえてなくて。そもそも、その夏に、そのアルバイトをしていたことをこんなに詳しくおぼえてるっていうだけでも、どうしたことかと思ってるのに」
「どうしたことか、って、失礼な。でも、すごいじゃろ。わたしにしてはよくおぼえてるやろ」
「うん。本当にすごいと思う。若旦那の話、みそ文に書いてよかった。こんなに情報が集まるなんて思ってなかった」

 おぼろげな記憶を突如思い出して聞かせてくれた我が家の若旦那に始まり、その話をみそ文に書いた自分といい、それを読んでご自身の経験を語ってくださった方々に至っては言うにおよばず、みんなお手柄大手柄。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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