みそ文

高齢者の健康飲料フルーツ編

年度末から年度始めにあたるこの時期は、これまで勤務していた学生アルバイトさんの何割かが就職あるいは遠方に進学する。そのため彼らは退職し、後任アルバイトとして新しい学生さんたちを雇用することになる。しかし、彼ら新しいアルバイトさんたちが仕事に慣れて実動力が高くなるまでの期間は、人手はあっても人手不足の状態にあるため、全体的に従業員の息切れ具合が高くなる。とはいえ、これは、毎年いつものことで、この時期は踏ん張りどころなのはわかっていることであるから、まあ、なんとかやり過ごす。

そんな新しいアルバイトさんの中に、高校生男子が一人いる。彼は店内の商品たちの何がどこにあるのかをおおまかには把握しているものの、こまかなものになると、当然だけどまだわからない。先日、二週間前後前のことだろうか、彼がわたしのところに小走りでやってきて「すみません。高齢者の健康飲料、というのは、どこにあるんでしょうか。広告で見たんだけど、ということなんですが」と訊く。

「高齢者の健康飲料、ですか。具体的にはどのようなものをお求めなんでしょうかね。どちらのお客様のご要望でしょうか。直接詳しくうかがってみますね」
「はい。こちらの方です」

新人高校生アルバイトくんが手のひらで指し示しながら誘導してくださるお客様はやや年配の女性の方。「高齢者の栄養補給にいい健康飲料があるって広告で見たから、なんか年とってご飯があんまり食べられんようになったときに使うようなかんじの。うちのおばあちゃんがちょっと食が細くなって」とおっしゃる。「もしかすると、それはこちらのメイバランスのことでしょうか」と、メイバランスのコーナーへとご案内をしはじめた段階で、お客様は「そうそう。その名前だったわ。高齢者の健康飲料、いうても、わからんよねえ。おにいちゃん(高校生アルバイトくん)ごめんね、ありがとね」と言われ、アルバイトくんは「いえ」と言いながらメイバランスの実物を見て『これがメイバランスで高齢者の健康飲料なんだな』と確認を終えた様子で、元の持ち場に戻っていく。こうやって、ひとつひとつ新しく、商品をこまかくおぼえていくことで、だんだん上手にお客様をご案内できるようになっていく。

メイバランスの実物をご覧になったお客様は「そう、これこれ。あらあ、いろんな種類があるのねえ」とおっしゃる。

「そうなんです。栄養の内容は同じなんですが、味をお好みで選んでもらえるようになってるんです。何味がお好みの方でしょうか」
「どうなんやろうなあ。わからんなあ。よく売れるのはどれなん?」
「そうですねえ。皆様、それぞれのお好みにもよるのですけれど、全体的な売れ筋としては、こちらのヨーグルト風味、イチゴ風味、バナナ風味、のあたりがよく動きますかねえ」
「ヨーグルトは、うちのおばあちゃんは苦手らしいから、じゃあ、バナナとイチゴにしてみようかなあ。でも、意外と抹茶やコーンスープも好きやろうか。チョコとキャラメルは、どうかなあ」
「どうでしょうねえ。今回はいったんイチゴとバナナで味見をしてみていただいて、こちらの商品のリーフレットをお持ちいたしますから、それをまたご本人様にもご覧になっていただいて、次回はお好みの味のものをお求めくださるようになさってはいかがでしょう」
「ああ、そうやね、それがいいね、そうするわ。他にも、カロリーメイトなんかも買ったほうがいいやろうか」
「メイバランスは液体ですから、ごくごく飲むだけでいいんですけど、カロリーメイトですと、こう、がじがじもぐもぐごっくんと噛んで飲み込む力が必要ですが、そちらは問題なさそうですか」
「噛んだり飲んだりは、大丈夫なのよ。うちのおばあちゃん、九十四歳なんだけどね」
「ええっ。それは、ご長寿でいらっしゃいますね。九十四歳で噛んだり飲んだりに問題がない、というのもすごいですね」
「まあ、そういう人だから、九十四まで生きる、いうことなんかもしれんけどねえ」
「ああ、なるほど」
「いや、ほんと、これまで、なんでも食べて、なんでも飲んで、まあ、年が年だから、いろいろあるのはあるんだけど、かかりつけの医院の先生も、あれこれ細かく検査して何か見つけて入院して病院で過ごすよりは、本人が特別何か言わん限りは、このまま家で過ごすようにしたほうがいいんじゃないか、いうて言うてくださって、そうしてるんです。週に何回かはデイケアにも通ってて、これまでは、デイケアで出される食事も、殆ど残すことなく食べてたのが、最近急に食べられなくなって」
「何か、急に食が細くなられるような心当たりはおありなんでしょうか」
「それは、あれよ。大きな地震があったでしょう」
「はい」
「東北地方や関東地方の人らはそりゃあたいへんやろうと思うんだけど、うちのおばあちゃんが、その地震や津波や被災地でたいへんな思いをしてる人たちのニュースを一日中テレビで見て、気の毒なことじゃ、言うて、泣いて泣いて、どんどん気落ちして、食が細くなってるんですよ」
「うわあ、それは、いけませんねえ。いったんとりあえずテレビを消してさしあげたほうが安全かもしれないですねえ」
「そうでしょう。家族みんな、おばあちゃんは、震災のニュースばっかりをテレビで見るから元気がなくなるんや、いうて、テレビを消そうとするんですけど、本人が、どうしてもテレビをつけたままにしておきたい、って」
「ああ、そうなんですか。ご本人様としてはいろいろ気がかりでいらっしゃってのことなんでしょうけれど。ちょっと困りましたねえ」
「ほんとうにねえ。で、食が細くなって食べないでしょう。食べないから栄養が足りないでしょう。栄養が足りてないから感情のコントロールがうまくできなくなってるみたいで、なんでもないことで家族を怒鳴ったりするようになって」
「ああ。ご家族の方たちは、それはたいへんなことですねえ」
「もうねえ、九十四歳だし、このまま食べなくなって死んだら、それはそれでもいいかあ、いうて家族は話してるんですけどね。おばあちゃんがこれで死んだら、その分おばあちゃんにかからんようになったお金は被災地に寄付しようさ、いうて」
「いや、それは、それはそれもありかもではですが、でも、まあちょっと落ち着いてください」
「ですよね。そう思って、ちょっと落ち着いてみたんですよ。それで、なにか、こう、簡単に手軽に栄養バランスのいいものを摂れるようにしたらいいんじゃないかなあ、と思ったら、このメイバランスの広告が目に入ったから」
「ああ。それは、広告に目をとめてくださってよかったです」
「これくらいの量なら、ちゅうっと簡単に飲めるから、これを飲んで、また、自力でご飯を食べるようになってくれたらいいんやけど」
「本当にそうですねえ。それに、もうしばらくすれば、テレビも通常の放送が増えてくるでしょうし、被災地の様子も少しずつ支援が届いた様子に変わっていくでしょうから、そうしたら、ご本人様のお気持ちも、また少し落ち着かれるかもしれませんね」
「今は、どこのチャンネルにしても、震災情報ばかりなのが、年寄りにはこたえるんやろうねえ」
「そうなんでしょうねえ。メイバランスが、ご本人様のお口に合うといいのですが。あ、そうだ。このシリーズで今回、新しくゼリーができて、それが、さきほど入荷してきたばかりのものがあるんですよ。もしよろしければ、そちらもご覧になってください。すぐお持ちいたしますので、少々お待ち下さいね」

そう言ってから、バックヤードの台車の上にのっている「メイバランスソフトゼリー」の箱を持って出てくる。

「こちらに、味が、三種類、ですね」
「まあ、ゼリーもいいかもしれんね」
「はい。ご年配の方ですと、さらさらとした液体だと飲み込みが難しくなることがあって、そういうときにはゼリーのようなとろみがついているほうが飲み込みがラクなんですよ。あ、こちらは味が、ヨーグルト、ピーチヨーグルト、パインヨーグルトの三種類で、どれもヨーグルト関係ですねえ。ヨーグルト味、大丈夫でしょうか」
「ああ、大丈夫だと思うわ。このピンクのいれもののなんかは、もう、桃のゼリーだって言えば、ヨーグルトには気づかんと思う」
「でしょうか。もし、それで、大丈夫そうであれば、また、別の味のものも、試してくださるといいですしね」
「うん。そうしよう。今回は、ゼリーのピーチと、液体のほうのイチゴとバナナで」
「はい。では、こちらのメイバランスは、どれも基本的には、冷蔵庫では冷やさずに、常温といいますか、家の中でも暑くなくて涼しいお部屋の温度で保存した状態のものを飲んでもらってください。それくらいの温度での栄養状態が最も安定している、ということですから」
「ほう、そうなんや、わかったわ、やってみる。あと、カロリーメイトも一応買おう。あら、これも、味がいろいろあるん?」
「そうなんですよ。チーズとポテトとフルーツとチョコと」
「えーと、今回はフルーツ。メイバランスもゼリーもカロリーメイトも全部フルーツでまとめるわ」
「カロリーメイトにはゼリーも一応あるんですよ。たしか、りんご味なんですが」
「ああ、ゼリーは、今回はメイバランスのだけにしとくわ。ありがとね」
「ありがとうございました」

九十四歳のおばあちゃんが元気に九十四歳まで長生きなさったのは、こうやってこころ砕いてくださるご家族に囲まれていればこそなのかもなあ。     押し葉

推理の流れを推理する

たとえば、犯罪捜査ドラマを見ているとき。ドラマが始まって間もない段階で、夫がわたしに「今のはどういうことなん?」「なんで、今の人はあんなことしたん?」と訊いてくる。どういうこともこういうことも、まだドラマは始まったばかりなのだから、今のはいったん保留しておいて、他の話を進めてから、あとで今の場面につながるんじゃないかな、と返す。そうして中盤にさしかかると、夫は少しウトウトとする。そして終盤に目を覚まして最後のところをわたしと一緒に見るけれど、結局夫はなんだかいろいろよくわからないままに「やっぱりあの若い男の人が犯人じゃったん?」と訊いてくる。しかし、たとえ途中寝ていたとしても、このドラマを見ていて、なぜそういう理解になるのだ、犯人はあのおばあさんだったね、という最後のシーンをさっき一緒に見ていたじゃないか、と、わたしは少し驚愕する。

そんなことやそれに類似したことを頻繁に体験して、ようやく最近、もしかすると夫は「推理もの」「犯罪捜査もの」に対する基礎訓練ができていない人なのではないだろうか、と思いつくに至った。

「ねえ、ねえ、どうやらくん(夫)、シャーロック・ホームズは読んだことあるん?」
「シャーロック・ホームズ? ないよ」
「怪盗ルパンは?」
「ルパン三世は知っとるけど、怪盗ルパンって、なに?」
「ということは、当然、アガサ・クリスティも読んでないんだよね」
「うん。知らない」
「じゃあ、ちょっと古いけど、横溝正史さんの金田一耕助シリーズも」
「読んでない」
「島田荘司さんは?」
「島田荘司? ああ、みそきちの本棚にあるのは見たことはあるけど読んだことはないよ。京極冬彦も読んだことないもん!(やや自慢げ)」
「どうやらくん。京極さんは冬彦さんじゃなくて夏彦さんだよ」
「はっ、そうか。まあ、つまり、そういうことだ。夏か冬かもわからないくらいにその手のものは読んでない、ということだ」
「うーん。それは、やっぱりね、そういうものをある程度読むなり、その手のドラマや映画を多く観るなりしてないと、犯罪捜査の物語をじっくりと根気よく見守るのに必要な基礎力のようなものが養われるのは難しくて、たとえばここはいったん保留して、別の流れに視点を移して、あとからそこと先に保留しておいたものをつなげて、なるほどそういうことだったのか、と合点するような訓練ができてないんじゃないかなあ。こういう物語は、その合点のところまではぐっと我慢をして、いくつもの支流を見続けて、のちのちようやく本流を本流として理解できるような構造になっていることが多いでしょ。多いのよ。ドラマの途中で、これはどういうことなのか、誰が犯人でどういう動機なのか、ということを急いで知りたがっても、それは無理というものなのよ。再放送のときには教えてあげられるけどね。でもね、そういうことは、物語を最後まで確認してから、ああ、そうだったのか、あのときのあの部分とあの部分は、なるほどこういうふうに繋がっていたのか、と納得したり、納得できずにあんまりだわ、と思ったりするのが、この手のものの醍醐味なんじゃないかなあ」
「ほほう。さすが、王様の言うことは、ちがうねー」

夫よ。とりあえず、わたしが熱心に見入っているドラマの途中で、わたしに解説を求めるのはやめよう。     押し葉

飛び交う想いとヴィッテルテル

関東地方やその周辺他、なんとなく遠いあたりのざっくりとしたひとかたまりの地域に住まう孫のために、ミルク調乳用の水をお求めくださるお客様がにわかに増える。それ以前に既にもう、震災の影響で、水類はほぼ底をつき、入荷も未定な毎日だから、ご希望のものをご希望の数ご用意することもかなわず、店頭にあるものだけでごめんなさい、と頭をさげ続けるのだけれども。

その年配女性のお客様は、横浜に暮らす娘の子(お客様にとってはお孫さん)がミルクを飲むから、と、「ミルクを作れる水はどれ?」とおたずねくださる。「硬水はだめで、軟水じゃないと、と聞いているのだけど」とも。

その時点で店頭にあるのは、ヴォルヴィック(軟水)500mL、クリスタルカイザー(軟水)500mL、ヴィッテル(やや硬水)1500mL、コントレックス(すっごく硬水)500mLと1500mL。本来ならばベビーコーナーに調乳用の水がある。そのベビー調乳用の水は、普段はその割高感ゆえそれほど売れるわけではないけれど、すでにいち早くなくなった。そのことをご案内した上で、ミネラルウォーターコーナーにて「この中でミルクに適しているのは、ヴォルヴィックとクリスタルカイザーですが、少し硬めとはいえこちらのヴィッテルでしたら、腎臓の機能に問題のない元気な赤ちゃんであれば、ミルクに使ってもらって差し支えのないレベルの硬さです。どれも、おいしくお飲みいただけます。しかしこちらのコントレックスは、便秘の時にうんちを出す目的でお使いいただくのには便利なのですが、普段のミルクに使うのには向いていません。便秘じゃないときに飲み過ぎると下痢をすることがありますから」と説明する。

お客様は、娘さんと思われる人物に携帯電話から電話をかけ「今、すこやか堂(わたしの勤務先のお店)に来てるんやけど。水、少しならあるから、あんたのとこに送ってあげようかと思うんやけど、どれがいい?」と訊かれる。訊かれた娘さんのほうは「どれがいい?」と言われても、店頭にいらっしゃるわけではないから、「どれがいい、って、なにがあるん?」と訊き返される。スピーカー通話にしているわけではないのに、受話器からの娘さんの声がたいへん鮮明に聞こえる。

「えーとな、ミルクにええのは、ぼるび、いうのと、くりなんちゃら、いうのらしいんやけどな、これは瓶いうかプラスチックの容れ物の大きさが小さいんや。500ccのペットボトルがあるやろ、ジュースなんか買うときの、あの大きさ」
「ヴォルヴィックとクリスタルカイザーやろ。500のがあるんやったら、二本か三本ずつくらい買うて。ようけい買うたらあかんで。他の人らも要るねんから」
「そんな、ようけいは、もうないんや。両方とも、一、二、三、えーと、十何本かくらいしかないし、あるうちにあるだけ買うといたほうがええんやない?」
「やめときって。大きいのはあるん?」
「便秘のときならいい、いうぶんは多めにあるよ。同じのの小さいのもけっこうたくさんあるな」
「コントレックスやな。それはええわ。他には?」
「お店の人が、ちょっと硬いけど、ミルクに使ってもだいじょうぶ、いうて言うたのは、大きいんやけど、これは、一リットルかなあ、二リットルかなあ。(ここでわたしが商品を手に取り、容量の表示部分を指さして「1500mLです」と小声でお知らせする)あ、1500ccやって」
「それ、なんていう名前の水なん?」
「ちょっと待ってよ。値段の書いてある紙にはなあ、えーと、カタカタで、ヴィッ、テル、テル、いうて書いてある」
「はあ? ヴィッテルちゃうの?」

わたしが「お客様。こちらの商品の名前は、ヴィッテルです。ヴィッテルとお伝え下さい」と言うのだが、お客様は「値段の書いてある紙を読むで。ヴィッ、テル、テル」と続けて通話なさる。娘さんは「ヴィッテルならほしいけど、そんな、ヴィッテルテルやらいう、ヴィッテルの偽物みたいな怪しいもん要らんわっ」とおっしゃる。

売り場のPOPを見るとたしかに「お買い得品! ヴィッテルテル」と書いてある。「お客様。ごめんなさい。こちらの値段の紙に書いてある名前は、手違いで、テルがひとつ多く入力されたものが貼ってあるようです。すぐにちゃんとヴィッテルの名前のものに作り直して貼り替えますので、商品名はヴィッテルとお伝え下さい」とお話しする。

「今な、お店の人が、ヴィッテルテルは、値段の紙に書く名前を間違っとるだけやいうて教えてくれはったわ。ほんまはヴィッテルやねんて。値段の紙には、ヴィッテルテル1.5kg、いうて書いてあるから、1.5キログラムやわ」とお客様がおっしゃるのを聞いて、うわ、容量表示の単位が、ミリリットルでもリットルでもなくキログラムになっていたのか、ということにも気づく。このPOPは本社で一括して作成されたものを、各店舗は商品JANコードを店舗PCにて入力するのみで印刷し売り場に貼り付けるタイプのものだ。おそらく本社で商品名と規格を入力する際に、ヴィッテルテルとテルをひとつ多く、そして、水は1000mLが1kgであるから間違いでないとはいえ、やはり液体はミリリットル表示しようよ、な、kgでの入力をしてしまっていたのね、ということに気づく。

「お客様。本当にごめんなさい。キログラムのところもミリリットルに直したものをすぐに作って貼り直しますので、ヴィッテルのお水の量は1500ミリリットル、1.5リットルとお伝え下さい」とお願いする。電話の向こうの娘さんが「ヴィッテルの1500ccやったら一本か二本、買って送って。ヴィッテルテルやったら要らんで」とおっしゃる。お客様は「でもな、値段の紙にな、ヴィッテルテルいうて書いてあるねん」と言われる。

「おかあちゃん、値段の紙に書いてある名前は書き間違いや、いうてお店の人が言わはってんやろ。水のペットボトルのラベルのところにちゃんと商品の名前が書いてあるやん。それを読んでくれたらええやん」
「そんなんいうても、こんな何語がわからんもんは、よう読まんわ」

そして、わたしは、商品を膝の上にのせて、ボトルのラベル部分のアルファベットを指さしながら「V、i、t、t、e、l、ヴィッテル、フランスのお水です」とお伝えする。

「なんやってよ。聞こえた? フランスの水らしいけど、ええんか? ヴィッテルテルで」
「おかあちゃん。だから、ヴィッテルテルじゃなくてヴィッテルやって。ええよ。ヴィッテルやったら、わたしが飲んでおっぱい出すのにも使えるし、おいしいし、コントレックスと違うから、ミルク作って飲ましても別にええし。一本か二本お願いするわ」
「でもな、これももう、あと、五本くらいしかないし、全部買うとこうか?」
「あかん。一本にしとき。このへんは、別に、水道水も普通にミルクに使えるんやから、そんなことしたらあかん」
「でも、東京のほうの水がだめなんやったら、横浜の水もだめなんやろう?」
「別に東京の水もだめなわけじゃないし、そんなんずっととちがうし、横浜は別の水やしな、水道局が水の検査して確認したものを使えるんやから。地震がひどかったところなんかは、水の検査もできんようになってたりするんやよ。じゃ、ヴォルヴィック三本、クリスタルカイザー三本、ヴィッテル大きいの一本な。それ以上は買うたらあかんで」
「わかった。今、お店の人(わたし)が、カゴに、あんたが言うたのをその数入れてくれてはるわ。じゃ、また、送ったら電話するわ」

と通話が完了して、お客様は「娘がああ言うから、ここでは、これだけにしときます。また別のお店で探して、娘に内緒でこっそり買って、荷物に一緒に入れてやることにします」とおっしゃる。「いろいろ気がかりなことですね。ですが、どうぞ、あまりご心配なさいませんように、大きなお気持ちでお過しくださいね。お嬢様は、水のことにもお詳しいご様子ですし、落ちついてご立派でいらっしゃいますから、安心して見守ってさしあげてください」とお伝えする。

「そうなんやけどなあ。あの子が小さい頃ずっと、わたしが口やかましく厳しく育ててきたから、あの子はわたしの言うこと聞いてああいう子に育ったんやろうけど、自分の子には厳しくしてきたのに、孫にはとことん甘くなるんやなあ。なんぼでも甘やかしてやりたいんや。おねえさん(わたし)、ごめんな、忙しいのに、水のことで、こんなに時間とらしてしもうて」
「いえいえ。こちらこそ、せっかくご来店くださったのに、こんなに品薄な状態で、申し訳ないことです」
「じゃ、ありがとね。また、別のお店行ってみるわ」
「ありがとうございました。外は雪が降ってて寒いことですし、ご無理なさらないでくださいね」
「ありがと、ありがと」

お客様をお見送りし、「ヴィッテルテル1.5kg」のPOPを「ヴィッテル1500mL」に作り直して貼り替えてすぐに、年配のご夫婦風でご来店のお客様が、残りのヴィッテルをクリスタルカイザーやヴォルヴィックとともにお買い上げくださったため、売り場にはコントレックス以外の商品がなくなる。

飲料担当の新人二年目くんに、古いほうのPOPを見せながら「一応連絡なんですが、ミネラルウォーターのヴィッテルの売価POP、商品名がヴィッテルテルになっていたので、ヴィッテルで作り直して売り場に貼りました。規格もキログラムだったので、ミリリットルに直しておきました。お客様が関東地方の娘さんに買って送ってさしあげるのに、POPの商品名を読み上げられて、ヴィッテルテルって言われて気がついたんです。関東地方の娘さん、そんなヴィッテルテルやらいうヴィッテルの偽物みたいな怪しいもん要らんわっ、と電話の向こうでおっしゃってました」と口頭で伝える。二年目くんは「ぷっ。ぷぷっ」と笑い、「POPの表示、ヴィッテルテル、だったんですか。すみません。全然気づいてませんでした」と言う。

「いえいえ、わたしもこれまでまったく気づいてませんでした。たぶん、あちこちのすこやか堂で『ヴィッテルテル』のPOPが活躍してると思います」
「ですね」
「でも、わたしが作って貼り直してすぐに、ヴィッテルテル、完売して、売り場欠品中ですので、またメンテナンスのほう、よろしくお願いします」
「うわー。やっぱり、なくなりましたかー。わかりました。ありがとうございました。ヴィッテルテルもしばらく入ってこないんやろうなあ」

スギ花粉も黄砂も舞い飛ぶ季節だけれども、祖父母や身内、友人知人、いろんな関係性にある人々の、なんとかどうにかしてあげたい、そんな気持ちや思惑が大量に飛び交う春を生きている。


追記。「Volvic」のカタカナ表記は「ボルヴィック」であるようだ。     押し葉

東欧の言葉に聞こえる気がするよ

最近何度もテレビの画面で見かけるオシム監督さんの言葉は何語なのだろうかと思い、傍らでネット囲碁にいそしむ夫にたずねてみる。

「ねえ、ねえ。オシム監督って、どこの出身の人なんだろう? 言葉の感じは東ヨーロッパっぽいのかなあ、と思うんだけど」
「なんで? 日本生まれの日本育ちやと思うけど」
「でも、名前が、イビチャさんなんだよ。東欧っぽい名前のような気がするんだけど。イビチャ・オシムの名前で、日本生まれで日本育ちでも別にいいけど、あの日本語ではないスラブ系っぽい言葉をあれだけ自然に話してはるということは、どこか外国にゆかりのある人のような気がするんだけど」
「イビチャ? 誰、それ?」
「だから、テレビの広告に出てはる、イビチャ・オシムさん。たぶんサッカーの監督さんだった人でしょ?」
「ああ。はいはい。オシム監督ね。うん。オシム監督は、たしか、えーと、ユーゴスラビアの出身じゃないかな」
「そっか、そうなんだ。それならスラブ系の言葉っぽく聞こえても、おかしくないね」
「なんだあ。オシム監督ならオシム監督って言ってくれたらいいのに」
「オシム監督って言ったよ」
「星野監督って聞こえたから。野球の星野監督は、外国生まれかどうか知らんし、外国って言っても満州生まれとか? でもそんな話聞いたこともないしそんな年齢でもないし。星野監督と東欧は全然関係ないのに、この人(わたし)は、また、何を寝ぼけたことを言ってるんだろうかと思って心配したよ。星野監督、オシム監督、似てるなあ、音が」

似てるかなあ。似ててもなあ。なんだかなあ。     押し葉

それぞれにそれぞれを慈しんでほしいから

被害の程度が比較したときに大きくはないのだとしても、不便や不都合の度合いがそれほど大きいというわけではなくても、怖くて心細い思いを抱えたことにも、今なお抱えている各自の思いの大きさにも、順位や順列はないように思うから、それぞれがそれぞれにそれぞれの立場で、それぞれの怖かった気持ちや心細かった気持ちを、丁寧に抱きしめて慈しんで手入れをしていたわって、深くゆるやかに呼吸する身体とこころと安堵を整えていってもらえるといいなあ、と、強く深く願う。

いろいろ思うところはあるし、至らないところもあるけれど、とりあえず2008年分の校正作業は完了したことにしようと思う。

「とんこつを求めて」

「脳内こびとくん」

「お年玉の掟」

「人生の実験」

「おのろいの力」

「八つ橋の夢叶う」

「立派なお嬢様」

「黒い服の女」

「髪にエレメント」

「続エレメント」

「世界平和」

「心意気を携えて」

「「おはぎ」をおかずに」

「名誉の追記」

「おはぎの愛」

「もち米キャンペーン」

「ご機嫌長者番付」

「さがしもの」

「未来を開く好奇心」

「かんちょういろいろ」

「きりぬきを握りしめて」

「たんざく」

「間違い電話」

「大丈夫だいじょうぶ」

「和蝋燭」

「大切な心構え」

「新年のお告げ(全編)」

「新年のお告げ(後編)」

「気概必要力説不要」

「胃の調子」

「膝の痛みに絵の力」

「うたた寝大王くん」

「化粧品は担当外」     押し葉

トイレで犬を洗う

大阪に住んでいた頃は、関西空港開港以降、その空港がわりと近かったこともあり、ずいぶん気軽に飛行機で、ひょいひょいと出かけていた。インドネシアやマレーシアやフィリピンやタイなどで、日本にいるときとは見える星座が少し異なるのが面白くて、宿のテラスのカウチに寝そべって、宿の中庭に夫と二人で立って、南の星空を見上げ続ける。

タイのプーケット島に行ったときだと思うのだけど、海の洞窟を手漕ぎのカヌーで巡る日帰りツアーに参加した。何艘かのカヌーを積み込んだそのツアーの大きな船には、おそらく二十人くらいの観光客が乗っている。船にはキッチンや食卓もあり、南国メニューのランチがツアー料金に含まれている。そのツアー参加者の中に、北京に留学中の日本人青年(以後「北京青年」と呼ぶ)と、彼を訪ねて北京旅行をしたあとで、北京から二人で少しずつ南下して、タイまでやってきたのだという関東在住の青年(以後「関東青年」)がいた。船でカヌーのポイントまで移動する間の短くはない時間を、甲板の上に寝そべって、夫とわたしと北京青年と関東青年の四人は、日本語で旅の情報を交換しあう。

プーケットの島の中で、たとえばレストランか商店のどこかでトイレを借りる。そのトイレは、洋式のこともあれば、しゃがみ式(トルコ式というのだろうか。和式とは異なる形状で、水が流れる穴の部分の真上におしりがくるようにしゃがむ。和式にはある前側の帽子のような形状のものはなく、床に埋め込まれている枠部分のみがあるかんじ)のこともある。トイレットペーパーが備え付けられている場合もあれば、個室内にある水道の蛇口の下にバケツと柄杓が置いてあり、水を汲んでおしりを洗うスタイルのところもある。また、もう少し新しいトイレになると、しゃがみ式だけど、水道とバケツと柄杓ではなくて、ホースのついたピストル型のおしり洗浄用スプレー(水道水が出てくる)が壁の低い位置にかかっていることもある。

おしり水洗い文化を愛するわたしは、水洗い設備があるところでトイレに入ると、意気揚々とおしりを洗い、きれいになったおしりの水気をおしりふき用タオル(持参)で拭きとる。あるいは、トイレットペーパーで軽くぬぐう。夫は当時紙拭き派で(今は自宅のシャワートイレを快適に愛用している)、おしりを水で洗うのは、それ以外手段がないときだけ仕方なく、であった。

そんなタイのトイレの使い方に、特に何の疑問を感じることもなく、快適に過ごしていたわたしに、関東青年がおもむろに「あのトイレのピストルみたいなやつって、犬を洗うものですよね」と言ったときには、すぐにはその意味を理解することができなかった。

「犬?」と問い返すわたしに、北京青年が「ちがいますよね。あれはトイレの掃除道具ですよね」と言い、関東青年は「犬を洗うんですよね」と重ねる。その会話の頃には夫は日陰でお昼寝をしていて、わたしひとりが青年たちに「なんで、犬?」とまた問うていた。関東青年の言い分によると「この島には野良犬が多い。しかし、島の人々は、飼い主がいるかいないかよくわからないその犬たちをずいぶん大切に扱っているように見受けられる。ということは、島の人々は、汚れた野良犬を見つけると、トイレに連れて行って、あのピストルシャワーで水を浴びせて、きれいに洗ってやるのではないか」というのだ。

それに対して、北京青年は「宿のトイレはふつうの洋式便座とトイレットペーパーだからあまり何も感じないけれど、飲食店や商店や観光施設でトイレを借りると、洋式でもそうでなくても、どこもたいていきれいに掃除がなされている。これはあのピストル型の放水設備で隅々まできれいに掃除しているからではないか」と予想する。

わたしが「もしかすると、掃除用かもしれないし、犬洗い用かもしれないけれど、わたしはおしりを洗うのに使ってるよ」と話すと、二人ともが「あ!」と言う。そう、お尻洗いのための設備だといったん思うと、それ以外の、掃除道具や犬洗い用といった発想は、たぶん、なりをひそめる。二人の青年は「ほらみろー。だから、お前の考えは、ぜったい違うって言っただろう」「おまえだってー」と互いを笑う。わたしは二人を笑う。しばらくして昼寝から目覚めた夫に「ときどきトイレに備え付けてあるホースのついた水の出るピストルみたいなやつ、なんに使うか知ってる?」と訊くと、「知らない。使わないし」と言うから、「あれはね、野良犬をトイレに連れ込んで洗ったり、トイレをきれに掃除するのに使ったり、トイレを使った人間のおしりを洗うのに使ったりする素晴らしい道具なんだよ」と旅の情報を分かち合う。関東青年と北京青年が「寝起きの人にいきなりうそを教えるなんて、ひでー(ひどい)」と笑う。夫は寝ぼけながらも「おしりを洗うのはありとしても、犬と掃除は、ないな」とつぶやく。

船から見上げる空は果てしなく濃く青く、甲板から見下ろす海はどこまでも明るく蒼い。     押し葉

停電の中でスイカを食べる

幼かった頃、小学校の低学年のころまで、停電は、ずいぶんと日常的な存在だった。日常的でありながら、いつでもそれは突然で、短い時には数分程度、長い時には数時間以上から半日くらいは平気で停電は続いた。

なにごともないのに停電になることもよくあったのだけれども、台風がやってくるときには、停電になることはほぼ毎回のお約束だから、暗くなる前に、さっさとご飯を食べて、さっさとお布団に入る。がたがたひゅうひゅうと台風の風の音がして、ばちばちびちびちと雨が屋根や壁や戸をたたく。ときどき雷が、ぴしゅっ、と光った後、ひょっごーん、と天と地を鳴らして揺らす。

その夜は少し大きな台風が来る日だったから、みんな早くに布団に入る。夜というには明るくて、夕方というにはもう暗い、そんな時間帯の就寝。祖母は自分の部屋で、妹は畳に敷いた小さな布団の上に、弟は二段ベッドの下の段に、わたしは二段ベッドの上の段に。父はそのころ県境を超えて仕事に行くことがあったからなのか、その夜の記憶の中にいない。畳の上には妹の布団の横に母の布団が敷いてあるけれど、母はまだ布団に入っていない。

ふだんわたしが「寝れない」と言って起きだすと、父も母も、寝なくてもいいから、静かにして、横になって、目をつむってなさい、と言う。その夜も、わたしはたぶん寝れなくて、静かにして、横になって、でも、目はつむってなくて、雷の稲光を障子越しに眺めながら起きていた。

そのあとの記憶が二種類あるのだけど、どちらかはなかったことなのか、どちらともが別の時期にあったことなのかがはっきりとしていない。

ひとつの記憶の中では、寝れないわたしは布団を抜けだし、梯子を伝って二段ベッドからおりる。母はどこで何をしているのだろうかと、八畳の寝室のとなりの六畳の間の食卓があるところまで、そうっと行ってみる。八畳の部屋と六畳の部屋を隔てるふすまを開けると、母が少し嬉しそうに「あ、起きてきた」と言ってから、「一緒に食べよう」と言うのだ。

もうひとつの記憶の中では、ベッドの中で眠れずにいるわたしのところに母がそうっとやって来て、弟と妹を起こさないくらいの小さな声で、「起きておいで。一緒に食べよう」とこっそりと言うのだけれども。

母が「一緒に食べよう」と言うのは、大きな半玉のスイカで、母は自分用には大きなスプーンを、わたしには小さなスプーンを台所から持ってきてくれる。そのときはやはり停電していて、食卓の上には、いつもの停電のときのようにろうそくが灯っている。台風がびゅうびゅうと鳴るたびに、すきま風が入ってきて、ろうそくの灯りがゆらりと揺れる。

今にして思うと、あんなに頻繁に屋内でろうそくを灯して、火災になることがなくて本当によかったなあ、と思うのだけど、当時はろうそくの「あかり」にずいぶんとお世話になっていた。

母は「これが食べたかったのよう」と、スイカの皮の外側に手を添えて、嬉しそうにスプーンを構える。わたしも母の真似をして、スプーンを元気よく握ってみる。スイカは冷蔵庫で冷やしたほどには冷たいわけではなくて、夏の井戸水につけておいたぬるくてひんやりとした状態。暗くて、ろうそくの灯りでは、スイカの皮の緑色の縞も、スイカの果肉の赤さも、種の黒さも、あんまりよく見えないけれど、そこにスイカがあるのはわかる。

しゃくっとした噛みごたえのあとに、スイカの果汁が歯と歯茎と舌と頬の内側と喉を甘く潤す。母がさっくりさっくりと勢いよくスイカを掘っていくのが、見ていてとてもたのしくて、スイカの玉の中にときどき溜まるスイカの汁をスプーンですくってすすると、共同作業に励んでるような気分になる。

台風の時には、雨と風の音が大きいから、かえるの声も虫の鳴き声も聞こえない。スイカを食べ終えたら、ごちそうさまをして、汲み置きの水をコップに入れて、ぐじゅぐじゅぺっとうがいをする。きっとそのあと、母にトイレを促されて、ろうそくを持ってついてきてもらい、トイレを済ませてベッドに入る。母がろうそくをふうっと消すと、たまに光る雷が世の中を照らす以外は真っ暗で、暗闇との親しさが増す。そうして眠りの泉が深くわたしをさらって安堵の中へといざない、そして、飲み込んでゆく。     押し葉

非日常への祈りと日常の中での覚悟

どこかでのたいへんななにかを知るたびに、誰かが大きく本意ではない境遇に身を置いていることを思うたびに、そのときそんなに言うほどにはたいへんというわけではないと思える自分は、不本意よりも本意が多い境遇にあると思える自分は、自分の手元のこの「日常」を守って回し続ける責任と責務があるのだと、いつも強くそう思う。思いもよらず過酷な境遇に遭遇した人たちが、よりすみやかに日常を回復し日常に戻ってゆけるように、彼らの日常とどこかで繋がっているはずの自分のこの日常を、いつも以上に丁寧に取り扱いながら紡いで生きてゆくのだと誓う。

自分が本意でない上にどうにも抗いようのない境遇にあるときには、自分以外の人たちがその人たちの日常を保ち続けてくれていることが、自分のそのときの境遇をなんとかやり過ごす勇気と、ふたたび自分を日常の中へと運んで連れてゆく気概を、支えてくれるものだから。

自分の日常を回しながらただ見守るしかすべのない立場において、自分の中に湧きあがる「歯がゆさ」や「もどかしさ」や「違和感のようななにか」などのさまざまな感情のエネルギーは、嘆くことを主体として用いるのではなくて、真に必要な力を生み出す別のエネルギーに転換してから意識する。嘆きが嘆きを呼ぶ導線の存在を知る者としては、自分の不用意な嘆きは極力控えなければならない。しかるべきときにしかるべきものがしかるべきところと人にきっとたしかに届くように、目に見えるものも見えないものも、直接のものも間接のものも、円滑に必要十分に運ばれ促される力の一助となるように。

渦中において、非日常の中において、あるいは一見日常に埋もれているようであってもそれが日常であってはならないものの中において、直接誰かの助けとなる目に見える実働を担い果たす立場にある人々とその働きに、おおいなる感謝を抱き、そして敬意を払う。どうぞお体とこころを強く丈夫に保ち整えてその任にあたってくださいますようにと頭を垂れて手を合わせる。

それでもこころがざわついて、胸の奥に冷たい痛みがある感触を否めなくて、かなしいようなくやしいような、脳や喉がぎゅうっと絞めつけられるような、ぬぐいきれないこころもとなさがいくつも感じられるとしても、だからこそ、自分は自分の日常を丁寧に回さなくてはならない、それが自分の任であり務めなのだと、それをまっとうすることこそが自分のなすべきことなのだと、強く深く決意する。

市場も経済も流通も、その他のあらゆる日常を、けっして放棄することなく、ないがしろにすることもなく、保ち続けてゆくことで、誰かやどこかにとって必要な要請に、必要なときに可能なかぎり十全に応える準備を重ねる。そして、渦中にある人々が安心してこの日常の輪に戻ってきてくださることを、入ってきてくださることを、ともに回してくださることを、祈り願い、こころをこめて、自分の日常をいとなむ。     押し葉

干し芋欲が成就する

今日、職場の売り場変更作業をしていたときに、そばを通りかかった同僚が、なんだか少し険しそうな顔をしていた。この同僚は、糖尿病と喘息と貧血の持病があり、服薬治療を行ってある程度の状態は保っているものの、やはりときどきつらそうなことがある。だから今日ももしかすると、少し具合がよくないのかな、と思いながら様子を見る。しばらくして、私が作業道具を片付けるためにバックヤードに入ったら、その同僚が「どうやら先生。聞いてー」と声をかけてくる。

「はい。なんでしょう」
「実は、わたし、この前、先生に教えてもらって買っておいしかった干し芋の通販屋さんで、また、買っちゃったんですよ」

この同僚には、以前、一昨年になるのか、私の友人が送ってきてくれた大量の干し芋をおすそ分けしたことがある。そのときのその干し芋のおいしさが、今年になって、またにわかに思い出されて、同僚も私も、少し前に干し芋欲にまみれた。この干し芋欲をどうにかせねば、と考えた私は、当時干し芋を送ってくれた友人に、送ってくれた干し芋のお取り寄せ情報を教えてほしいと頼んだ。友人からの返答によると、その干し芋は、業者さんの製品ではなくて、友人の夫の勤務先の取引先の担当者さんのご実家のご両親(茨城在住)がサツマイモも作る農家さんで、出荷用というわけではなく作っていらっしゃるもので、毎年年末(干し芋の最盛期)になると「たくさんできたから」と、その取引先の担当者さんが送ってきてくださるものだったのだという。しかも、去年の夏はあまりの暑さでサツマイモが不作で、干し芋がたくさん収穫できなかったため、友人のところにも今期のものは届かなかったのだ、と、彼女も少し残念そうだった。

その情報を同僚に伝えたところ、同僚は「そうなんですかぁ。お友達にわざわざ訊いてくださってありがとうございました」と言いながらやや落胆し、その後、スーパーや生協などで干し芋を見つけては、そのたびに買って食べてみるのだけれども、なかなか求めるレベルでの干し芋と出会えないのだと、通販サイトもあちこち眺めているのだけど、どのお店を選んだらいいか迷いすぎて選べないのだと、折々に話してくれる。私は干し芋欲はあっても、同僚ほどには、干し芋を求めることへの真摯さが多くなくて、そうかあ、猛暑で不作だったんだあ、じゃ、次回の冬に期待しようっと、と思っただけで、その後の干し芋欲求達成活動に励むわけではなかった。しかし、この同僚は、干し芋に限らず、自分が「おいしい!」と感じたものを再度入手することに関して、自分にとっておいしいと思えるかもしれない新たな食べ物を求めることに関して、そういう情報を感知することに関して、なみなみならぬ才能と意欲を持っていて、その姿には本当にいつも惚れ惚れとする。

そんなときに、思いがけず、とある干し芋業者さんの通販サイトの存在を教えてもらう機会に恵まれて、そのサイトを見てみたら、これがまたなんともおいしそう。私がこれまで見たことも食べたこともない「丸干し」なるものも取り扱われていて、サツマイモ好きの興味をそそる。

早速、同僚にメールで、「参考までにどうぞ」と、その通販サイトを紹介する。数日後に出勤して、またその同僚と同じシフトだったときに、同僚が「どうやら先生、ありがとうございました。おいしそうだったんで、早速注文しちゃいました。届くのがたのしみ」と教えてくれる。素早い。素早すぎる。そしてまた数日後、出勤したときに職場の自分のロッカーを開けると、おもむろに、干し芋の袋が佇んでいた。休憩中の同僚のところに行って、「分けてくださって、ありがとうございます」と言いながら、干し芋代金を手渡そうとしたら、同僚は「いいですよー。おいしい干し芋屋さん紹介してくださったお礼です。味見してみておいしかったら、どうやら先生も安心して買えるでしょ」と言う。

それでは、と、ありがたくいただいて帰った干し芋を、夕食後に、オーブントースターで温める。こんがりと甘くて香ばしい空気が漂う。ほくっはくっと食べると、ああ、おいしい。干し芋欲が満たされて、全身がほんわりと緩む。

後日。職場で同僚に会ったときに「おいしかったですねー」と伝えると、同僚も「おいしいですねー。ようやく求めていた味の干し芋に出会えて満足しました」と言い、「でも、こんなことばっかりしてるから、糖尿病になるんですよねー」と、自分ツッコミも忘れない。

そして今日その同僚が「また、買っちゃったんです」と少し険しい顔で言ったとき、わたしが「わあ、そうなんですかー。リピートで買ってもらえるほど気に入ってもらえたのなら、本当によかったです」と応えると、同僚の表情が緩む。

「ああ。よかったー。どうやら先生にこの話したら、わたし糖尿病なのに、こんな食いしん坊なことばかりしてって、怒られるかなあ、でも、どうやら先生も干し芋好きだから、今回取り寄せたのも、よかったらまた分けてあげたいなあ、と思うけど、怒られたらどうしよう、と思って考えてたんですよー」
「ああ、だから、険しい顔してたんですか。体がしんどいわけじゃないんならよかったです。それに、同僚さんが食いしん坊なのは今に始まったことじゃないし、わたし、同僚さんの食への求道ぶりに感心することはあっても、そのことで同僚さんのこと叱ったことなんてないじゃないですか」
「でも、わたしが薬飲むのサボると、薬を飲むのサボったらダメ、って、飲み忘れないように工夫しましょう、って、どうやら先生、いつも言うでしょ」
「それは、そこは、口うるさく言います。でも、干し芋にしてもなんにしても、食べ過ぎないように気をつけて、お薬ちゃんと飲んで、症状や体調の様子見ながら過ごせば、大丈夫ですよ」
「ですよね。じゃあ、来週、この前と同じ干し芋と、今回新しく買った別の種類のと、二種類、一個ずつ持ってきますね」
「ありがとうございます。じゃあ、今回は、売ってください。サイトで金額確認して、ぴったりのお金を耳を揃えて持ってきますから」
「わかりました」
「では、商談成立、ということで。この前と違う種類のは、どうでしたか? おいしかったですか」
「そうなんですよー。もう、これが、あまーくて、やわらかーくて、すっごくおいしかったんです。これは、きっと、どうやら先生も好きなはず、と思って」
「くうっ。たのしみにしてます。よろしくお願いします」

というわけで、来週、また、干し芋欲が満たされる予定。寝て待ってたら果報がやってきた気分だ。

ちなみに、この同僚がすっかり気に入った干し芋屋さんは、こちら

この中でも、わたしが気になっているのは、今は既に完売済の「いずみ種丸ほしいも」。サツマイモの「丸干し」自体、見たことも食べたこともないのだけれど、完売御礼するようなサツマイモをぜひとも食べてみたい。来期には、この「いずみ種丸ほしいも」を筆頭に、各種取り寄せて、じっくりと味わうのが、今からたのしみだ。今年の夏の暑さがサツマイモにとってちょうどよくて、豊作でおいしい干し芋がいっぱいできるといいな。     押し葉

オリーブを迎える

「私のオリーブがやってくる」の続編。

本日の私の最大の任務は、オリーブを取り置きしてもらっているパン屋さんにオリーブを取りに行くこと。そのときにオリーブのパンがあればそれも購入すること。その重大な任務遂行のために、雪がちらつく三月の中、パン屋さんへと向かう。パン屋さんに入ってすぐに、店員さんに「オリーブの取り置きをお願いしていた、どうやら、です」と声をかける。店員さんは、この前の人とは違う人だけれども、「はい。少しお待ちくださいね」と奥に確認に行ってくれて、取り置きのオリーブの缶を持って「こちらですね」と言いながら出てこられる。「はい。そうです。ありがとうございます。では、のちほど、パンと一緒に会計をお願いします」と頼むと、「はい。では、レジに置いておきますね」と、レジのすみっこに置いてくださる。

うふふ、うすす、私のオリーブだ、と、ほくそ笑みながら、パンのコーナーでオリーブのパン(正式名は「パン・オ・ゾリーブ、Pain aux Olives、と書いてあった気がする)をトレイに取る。今回は大奮発して三本。ベーコンのパンもまだあったから、こちらも二本。それをお店で二センチ弱の幅に切ってもらって持って帰る。ちなみにオリーブの缶詰の値段は、仕入れ値ではなく、業務用スーパー店頭で個人購入する場合の単品価格で七百四十円。問題なく納得の値段。

帰宅して、手を洗ってうがいをしたら、オリーブ歓迎開封式典の始まり始まり。黒い缶に、黄色いような緑のような、種を抜いたオリーブの実とオリーブの葉っぱの写真がついている。商品名は「Olives Vertes」。缶の側面に貼ってある日本語の表示シールには「グリーンオリーヴ 種抜き」と書かれ、名称は「オリーブ(こちらはヴでなくブ)、原材料は「オリーブ、食塩、酸味料」。固形量360g、内容総量850g。賞味期限は缶蓋に記載で、2013.02.19。保存方法は「直射日光を避け常温で保存」と書いてあるけれど、欄外に「開封後は液体と一緒に別の容器に移し、冷蔵庫にて保存の上、お早めにお召し上がり下さい」とも書いてある。原産国はモロッコ。輸入者は株式会社オリーヴ ドゥ リュック。JANは、5412535000069。日本語シールで隠れている部分以外の文字は、アラビア文字とアルファベットで、アルファベットのほうはおそらくフランス語と、もうひとつはトルコ語かな、ちがうなあ、オランダ語かな(理由は原材料の塩の部分がzoutと書いてあるから)。

缶切りを出してきて、きゅこきゅこきゅこきゅこ、と缶の蓋の縁を切ってゆく。わずかに黄色味を帯びた透明な液体が見えてきて、ふんっ、とオリーブの香りがしてくる。スプーンで缶の蓋を開ける。今度はもっと、どわっ、とオリーブの香りが自己主張する。それから、そうっとスプーンにオリーブの実をひとつのせてみる。きれいに種抜きされた黄緑色の細長い球形が美しい。いきなりパクリと口に運びたいところだけど、式典を厳粛に荘厳に行うためにも、まずは缶の中身全部を保存容器に移す作業を優先する。今回お世話になることにしたのは、スクリュータイプ(蓋をくるくると回して閉めると液漏れしないタイプ)のジプロックコンテナ、二個。最初はスプーンで移していたけど、なかなか仕事が進まないので、小型のお玉に登場してもらう。オリーブの実と漬け液とを二個の容器にだいたい半分ずつ入れて、缶の中身が完全になくなったところで、「ではでは、いただきますよー」とオリーブに挨拶をする。そして、さきほどのスプーンで一粒すくって口に入れる。

ほにゅっ、とした噛み心地のあと、じょわっじょわわわっ、と、オリーブの旨味が口に広がり、香りが鼻に抜けてゆく。あああああん、おいしいよう、おいしいよう、と、ジタバタドタバタと両手両足をばたつかせて、キッチンで一人、満足の地団駄を踏む。二個目は手の指でつまんで、そのむにょっとしたオリーブの実の弾力を指先でちょっと感じてから、パクリ。塩漬けとはいっても、原材料の酸味料がおそらく酢の仲間のなにかで、しょっぱさと、すっぱさと、オリーブ自体の甘いような旨味とがあいまって、なんとも言えないおいしさで、いてもたってもいられなくなり、一緒に買ってきたオリーブのパンを一切れ(オリーブが入っていない部分だった)袋から出して口に入れ、オリーブと一緒に咀嚼してみる。はうううううっ、たまらん。引き続き三個目のオリーブと二切れ目のパンを口に入れて同時に咀嚼開始。くうううううっ。今度は缶詰のオリーブの実はなしで、パンに最初からオリーブの実が入った部分のパンを食べて、焼いてあるのもやっぱりおいしいーっ、とジタバタ。

こうして、無事に式典を終えたオリーブたちが漂う容器に蓋をして、冷蔵庫に片付ける。ようこそ、ようこそ、我が家へ。存分においしくいただきます。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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