みそ文

天神さまとお手玉

一昨夜だったか、妹が電話をかけてきて、わたしがメールで問うていた件に関する返答をくれた。その電話は実家の玄関先で携帯電話からかけてきたものであったらしく、入れ替わり立ち替わり、いろんな人が出入りして、そのたびに妹が「せっかくじゃけん、話す?」と言っては電話を替わってくれるから、思いがけず、いろんな人と話す。

そこに姪(弟の子)のみみがーも通りがかったらしく、妹が「あ、みみ、ちょっと、この電話、みそちゃんじゃけん、あんたも話しんさい」と声をかける。みみがーは一応「こんばんは。みそちゃん元気?」と言うとすぐに「みそちゃん、みそちゃん、あのね、わたしね、五十回できるようになったんよ」と意気込んで言う。

「五十回?」
「うん。五十回。お手玉。片手お手玉」
「おおー。それは、すごいじゃん。すごいすごい。がんばって練習したんじゃ」
「そうよ。ずうっと練習しようたらできるようになった」
「えらいじゃん。お正月のときには、一回か二回か三回か、できるかできんかじゃったのにね。がんばったねー」

今年の年始に実家に帰省したときに、みみがーはお手玉に凝っていた。両手で行うお手玉はすでに上手にできるのだけど、私の母が片手で行うお手玉を見て、彼女はぜひとも自分もその技ができるようになりたいと思っていたらしい。私の母は二個のお手玉を片手でひゅるんひょるんぽるんひゅるんひょるんぽるんとリズミカルに回す。私は二個のお手玉を両手で行うのが好きで、それ以外の技は持たない。他界中の祖母は、両手お手玉派なのは私と同じだったけど、一度に使うお手玉は三個と決まっていた。お手玉は二個が三個に増えた途端に、曲芸度が高くなる。

そして、みみがーは、お手玉二個片手コースの自主特訓に励んでいた。その特訓は全く秘密裏ではなくて、常に公開されている。まだ上手にできるわけじゃないのに「あ! わたしできるようになったかも!」と言っては、周りの人間に、たとえば私に「みそちゃん。見とってよ。するよ」と言って、お手玉を宙に放る。けれども、全然できるようにはなっていなくて、お手玉は宙から床に落ちる。それでも、彼女は、何度も何度も「見とってよ。できるけん、見とってよ」を繰り返す。

妹は「みみがー、あんたねー、見とってよ、は、ええけん、人に見てもらわんでも一人で練習しんさいや。ちゃんと一人で練習してから、できるようになってから、見せんさいや」と言う。母(みみがーにとっては祖母)は、お手玉をするときには、必ず天神さまの歌をうたうのだが、みみがーにお手玉を教える時にも、その歌をうたう。だから、みみがーは、私にも「みそちゃん、うたって。わたしがどこまでできるか、うたって、見とって」と言う。だから私は、みみがーのお手玉の練習に合わせて、その歌をうたう。

天神。天神さま。天神さまと。天神さ。天神さ。天神。

みみがーのお手玉に合わせると、その出だしの歌詞の部分から、なかなか先に進めない。傷がついたレコードみたいだな、と思いながら歌っていると、母が近くにやってきて、正座して、お手本を見せ始める。

天神さまという方は、御名は菅原道真公。学問深く徳高く、君に忠義のこころ篤く。

ああー、全部歌えて、すっきりー。みみがーが自分もその歌をおぼえると言うから、母と二人でもう一度最初から歌う。

てんじんさまというかたは、おんなはすがわらみちざねこう。

「あ、みみ。意味わかる? おんなはすがわらみちざねこう、の、おんな、ってわかる?」と訊く。わたしはだいぶん大きくなるまで「御名」ではなくて「女」だと思っていたから。「すがわらみちざね」って男っぽい名前なのに「女」なのかな、でもまあ、小野妹子は女っぽい名前だけど男の人だし、ま、いいか、いいんじゃろうね、と長く思っていたから。みみがーが「女の人なんじゃろ」と言うから、「それがね、違うんよ。おんな、は、お名前のことなんよ。御(おん)名(な)」と説明すると、漢字に強い彼女はすぐに「ああ、はいはい、御名ね」と納得する。

そして、また最初から歌い始める。

てんじんさまというかたはー、おんなはすがわらみちざねこうー。がくもんふかくーとくたかくー、きーみにちゅうぎのこーこーろあーつーく。

みみがーが、五十回連続で片手で二個のお手玉ができるようになったということは、この歌も最初から最後まですっきりと歌えるようになったということ。この歌を歌い終えても、まだ、片手二個のお手玉を投げ続けることができるようになったということ。できなかったことができるようになることや、ただできるだけでなく上手になめらかにできるようになることは、うれしい。自分でも自分以外の人でも。そしてそうやって自分や誰かが何かを上手にするのを見たり聞いたり感じたりすることが、わたしはかなり好きだなあ、と、この世のお楽しみだなあ、と、ぷくぷくといとおしく思う。     押し葉

うれしい移動

職場で、たとえば、普段はあんまりそんなに売れてない商品が、思いがけず売れたとき。それが、ほんとにごくたまにしか売れない、あるいは、めったに売れないものであれば、次回の発注と入荷を待つ。けれど、あんまり売れないとはいうものの、一応会社としてはそれなりに力を入れて売りたい種類の商品で、せっかくの日曜日(お客様が多くご来店くださる日)に、その商品がないのは残念だな、というような場合は、近隣の系列店舗に在庫の余裕があれば少し分けてもらって、欠品状態を避ける、という手法をとる。この商品の移動のことを、社内では「店間移動(てんかんいどう)」と呼ぶ。たいていの場合は、もらう側の従業員が分けてくれる側のお店を訪れて、その商品を受け取る。

今日、ついさっきまで二個あったのに、通常なら一ヶ月に一個から二個売れるか売れないかなのに、なぜか二個ともがいちどきに売れてなくなった商品があった。次回の発注は月曜日だから、入荷は火曜日の夜で、それを店頭に出すのは水曜日になるか、ということは、今日の土曜日を含めて、このあと、土、日、月、火、水の午前中まで、欠品状態が続くことになる。この商品が欠品のままで何日も過ごすのは、売り手としては少々芳しくないですね、と思ったから、では、近所のお店で在庫の多いところから、少し分けてもらいましょう、ということにする。

その商品の全店の在庫リストをパソコン画面に表示する。近隣店舗の在庫状況を見る。職場から私の自宅までの通り道沿いにある系列店舗には、少し多めに在庫がある。では、このお店に頼んでみましょう、と、電話をかける。電話に出てくれた女性社員は、すぐにその商品の在庫を確認してくれ、「大丈夫ですよ。二個移動、できます」と教えてくれる。

「では、二個、移動をお願いします。今日、わたしが、こちらの仕事を終えて帰る途中で、おそらく七時半頃になるかと思うのですが、取りに寄りますので。もし、立ち寄り忘れたときには、日曜日か、遅くても月曜日のお昼までには、取りに伺うようにしますので、保管しておいていただけますか」
「はい。でも、もし、よかったら、わたし、今日、早番で、早く帰りますし、自宅がそちらのお店の近くですし、帰りがけに、お届けしますよ」
「ええっ。いいんですか。そんなの」
「はい。そのほうが、今夜のうちに売り場に商品が入って、欠品じゃなくなって、いいですよね」
「それは、もう、はい、そうできれば、そのほうが、ずっとうれしいです」
「でしたら、わたしが帰る時でよければ、お届けしますので」
「うわーい。うわーい。ありがとうございます。すごくすごく助かります。でも、ほんとうにいいんでしょうか」
「はい。だいじょうぶです」
「ありがとうございます。では、よろしくお願いします。もし、わたしが帰ったあとの時間でしたら、こちらのお店の社員の誰かに渡していただければ、わかるようにしておきますので」
「はい。わかりました。では、のちほど」

というやりとりをしている間、わたしの職場の店長とマミー青年が近くにいて、「なんか、どうやら先生、踊ってる?」「テンション妙に高い気が」などと言いながら見ていた。電話を終えた後、二人には、「そういうわけで、近隣店舗から、この商品(商品名とJANコードを書いたメモを見せながら)を二個わけてもらえることになりました。しかも私が取りに行って、出勤するときに持ってくるつもりでいたのに、女性社員さんが今日早番で、ご自宅がここの近くだからということで、持ってきてくださることになりました」と報告する。二人とも「おおーっ、それはーっ」と感嘆するから、「ね。ありがたいでしょ。うれしいでしょ。踊るでしょ。テンション上がるでしょ。現在この商品、欠品していますので、届き次第、定番に並べるということで。私が帰った後だったら、店長かマミーさんが受け取ってくださることになると思うんですけど、定番への補充(店頭での商品の置き場所には、定番、企画、プロモ、はみだし、エンド、平台、まわし、かご盛り、など、様々な種類があるが、棚に定位置を持っているものを定番の商品と呼び、定番へ補充するとは、棚の定位置に商品を並べること)をお願いしますね」と伝える。

うれしいな、うれしいな、うれしいな、ありがたいなあ、今度何かのときにはきっとお返しをしたいな、と思ったから、その気持ちをここに書き記しておくことにした。     押し葉

私のオリーブがやってくる

我が家の近所には、たいへんおいしいパン屋さんが存在する。車で二分弱、歩いても五分程度の場所にあり、おいしいパンが食べたければ、そこに行けば解決する。そのたびに、町での暮らしは便利だなあ、と、極上の至福をおぼえる。

そのパン屋さんのパンは、基本的にどれもおいしいのだけれども、私が特に気に入っているのは「ハード系」というのだろうか、生地の表面がフランスパンのように固めのものや、ずっしりとした重みがある中にドライフルーツがたっぷり入っているものなどなど。それらの中でも、ベーコンが入っているパンと、オリーブの実を入れてあるパンが、最上級に気に入っていて、オリーブの方は、いつも、もっとたくさんオリーブの実を入れてくれてたらいいのになあ、いや、このパンはこのパンで食べながら、この中に入っているオリーブを別に買い求めて、一粒ずつ口に含んで咀嚼したい、と思う。

今日、またおいしいパンを食べたくなり、このパン屋さんに立ち寄った。残念ながら、遅い時間だったこともあり、私の好きなベーコンのパンとオリーブのパンはもうなくて、その他のパンもほとんど売れ切れた状態だった。わずかに残っているパンの中から、食べたいタイプのものをトレイに取り、会計を行う。お金を払い終えたときに、パン屋さんのレジの人に「今日は、オリーブのパン、もう、売り切れたんですね」と話しかけたら、「そうなんですよ。おかげさまで、早い時間に完売したんです」と言われる。

「実は、私、ここのオリーブのパンが大好きで、あるときには毎回買ってるんです。あのパンの中に入っているオリーブの実が本当においしくて。あのオリーブの実だけを売ってらっしゃったら、買いたいなあ、といつも思うんですけど、売ってらっしゃったり、しない、です、よねえ」
「それは、ありがとうございます。あのオリーブは、業務用で仕入れているものなんです」
「やはり、そうですか。なんとか個人で購入して、自宅で思う存分食べられないものだろうか、と考えているんですけれど」
「量としては、どれくらいのものをお求めなんですか」
「そうですねえ。ここで売っていらっしゃるあのピクルスの瓶くらいの大きさだとちょうどいいですかねえ。個人購入も可能なメーカーさんの商品だったら、どちらのものかぜひ教えていただけるとうれしいです」
「ちょっとお待ちいただけますか。仕入れの担当者に聞いてみますね」

レジの女性の方は、そう言って奥の方へ入ってゆき、しばらくして「こちらの缶入りのものなんですけど」と、空き缶を持ってきてくださる。そのとき、別のお客様が、レジでの会計を待っていらっしゃったから、「あ、先に、どうぞ」と会計を促す。その間に、そのオリーブの実の空き缶を見ていたら、パン焼き職人のおじさんが奥から出てこられて「一缶六百七十円、で、仕入れてますわ」と教えてくださる。

「そうなんですか。個人でも購入可能ならば、それくらいのお値段なら、買いたいんですけど、どこに行くと買えますか」
「卸売市場の業務用スーパー、ご存知ですか」
「はい。数度、行ったことがあります」
「うちは、あそこで、他のものとまとめて、業者として買ってるんで、六百七十円ですけど、店頭で単品で買われるときには、もう少し高いかもしれないですねえ」
「それは、きっと、そうですね。でも、それでもいいです。では今度、卸売市場の業務用スーパー、行ってみます。念の為に、こちらのオリーブの実の商品名とJANコードを、メモに書いてもいいですか。紙とペン、貸していただけますか」
「はい、いいですよ、と思いましたけど、もしよかったら、来週、うちも、このオリーブの実、また、仕入れで買いに行きますから、そのときに、お客様の分も、一つ余分に一緒に買って帰って、それを六百七十円でお譲りする、という形ではどうですか」
「わあ。いいんですか。それは、すごくうれしいです」
「大きさは、この缶の大きさ(ホールトマトの缶詰の倍の大きさくらい)でいいですかね。もう一種類、一斗缶入りのもあるんですよ。割安なのは、そちらのほうが割安なんです」
「いえいえ。個人消費用なので、小さいのでお願いします」
「じゃ、来週のはじめに仕入れに行きますので、火曜日以降でしたら、いつでもまた、ついでのときにいらしてください。お名前だけ伺って、お取り置きしておきますので」
「ありがとうございます。どうやら、と言います。ど、う、や、ら、です」
「はい。どうやら様、ですね。では、三月一日の火曜日以降で」

ここで、レジの女性の方がパン職人さんに「大きい缶のほうが割安なんやったら、うちで大きい缶のを買って、お客様には、この缶と同じくらいの量をこの缶の仕入れ値くらいで小分けしてさしあげるとか、だめなん?」と訊かれた。パン職人のおじさんは「うちも一斗缶は要らんのんや。この一缶を少しずつ長いことかけて使うからなあ」と言われる。そうか、だから、オリーブパンの中には、ちょびっとしかオリーブが入ってないのか、と納得する。それにしても、顧客に対して仕入れ値情報を開示して、いいのだろうか、パン屋さん。

なにはともあれ、大好きな味のオリーブの実が、もうじき我が家にやってくる。パンと一緒に食べてもよし。きっと単品で食べてもよし。

昔、新婚旅行でトルコに出かけたときに、宿の朝食で、どこでも必ず、オリーブの実が供されて、もちろんパンや他の食材も出てくるのだけれども、そのときには、そのオリーブの実の存在意義がよくわからず、そのおいしさもよくわからず、お皿にのっていれば一応それだけは食べるけれど、それ以上自分から手を出すことはなかった。当時、ヨーロッパからトルコに旅行に来た様子の白人のおばちゃんやおばあちゃんたちが、朝食のオリーブの実を、スプーンに何杯もお皿に取ってぱくぱくとおいしそうに食べていて、そんなにおいしいのだろうか、と、不思議に思っていたけれど、今なら、あのおばちゃんやおばあちゃんたちの気持ちが本当によくわかる。ぱくぱくと食べたいよね。たしかにおいしいよね。

そういうわけで、来週の火曜日には、私のオリーブがやってくるから、できるだけ来週中に、忘れずに、パン屋さんへ取りに(買いに)行くこと。という覚え書きの日記。     押し葉

富士山よりも深く

もう十年よりももっと前のことになるのだな、と、思い出したこと。

当時、私は大阪の小さな製薬会社の管理薬剤師として勤務していた。非常に機嫌よく、ぜひとも長く勤めたいものだと思いながら、品質管理や製造管理や衛生管理や薬事関係の仕事を、地味にわくわくとこなしていた。ところが、本来ならば転勤などない部門や職種で働いている夫の勤務先(わりと大きめの会社)が、各種事情により統廃合や編成の見直しを行うことになり、夫の勤務地が大阪からけっこう離れた九州に変更になった。大阪から九州はあんまり近くない。少なくとも毎日通勤できる距離ではない。私はそのときの勤務先での仕事を続けたいのは富士山よりも高いレベルで相当山々ではあった。けれども、夫の転勤先である熊本に引っ越して、夫とともに同じ場所で生活することを選び、私はその小さな製薬会社を退職することに決めた。

しかし、管理薬剤師一名以外に薬剤師のいない状態の零細企業で、すぐに退職することはできないから、後任の管理薬剤師の人が見つかって、引継ぎを完了するまでは、夫は熊本で、私は大阪の社宅に残って、それぞれ単身赴任をする形をとった。単身赴任とはいっても、主な家財道具はすべて熊本に引っ越し済で、私が暮らす大阪の社宅には、必要最低限の生活用品のみ残した状態。朝食は湯沸かしポットでお湯を沸かしてコーヒーか紅茶を入れて飲み、果物(手で簡単にむけるもの)とパンを食べる。昼食は会社でお弁当を注文する。夕食は、同じ社宅で仲良しの家族数軒にお願いして、一食五百円でその家庭の夕ごはんを私の分も余分に作って分けてください、という交渉をとりつけた。

仕事から帰ったら、シャワーを浴びて職場のにおいをできるだけ落とす。薬の原材料独特のにおいが服にも髪にも染み付く種類の職場だったから。それから、ご飯を食べさせてもらうお家(同じ建物の別の部屋)に向かう。一食五百円で、とお願いしているにもかかわらず、「五百円は多いから」と、二百五十円だとか三百五十円だとか、ずいぶん安い金額のみの集金で夕食を供してくれたり、「今日はひな祭りだから」「今日はええねん」とタダにしてくれたり。「だってな、みそさんの食べる量って、うちの子(幼児)より少ないねんで。そんなん五百円ももらわれへんがな」と彼女たちは主張していたけれども、私は毎日供される夕ごはんが、それはそれはたのしみで、本当においしくて、私としてはかなりよく食べていたと思う。

いや、今回書きたかったのは、ご飯の話ではなくて、私の後任として入社された薬剤師の人の話。その人は、六十歳になっていないくらいの年齢の男性で、長年勤務した大手製薬会社を早期定年退職なさったとのこと。早期定年退職とはいっても、退職金は正規の定年退職とほぼ同等に支給され、生活のために働く必要はない。しかしながら、退職して、自宅にいると、配偶者(妻)がどんどんノイローゼ気味になるため、趣味の「狩猟」に再々出かける(野外にテントを張ったり山小屋に滞在するなどして、数日間、森の中などで野外生活をする)ものの、猟の時期は決まっている。禁猟期間には、これといって行くところがないので、家にいると、配偶者の調子がよくなくなる。配偶者の方は、ずっと、専業主婦として、子育てをし、子どもはすでに独立し、出張や単身赴任のため家にいることが少ない夫を支えてこられたのだけれども、夫が出張も転勤も出勤も単身赴任もなく家にいるようになると、それまでの生活リズムが崩れるのか、たいへんにつらそうで、困ったなあ、ということで、再就職することにしたのだと話される。

当時三十代になって間もない私は、後任の男性薬剤師の人にとっては、それまでその方が部下として使っていた年代の小娘や小僧たちと同じ年頃だった。最初の何日かは、そんな小娘から手取り足取り仕事を習わねばならないことに、ある種の抵抗感を覚えていらっしゃることが、私ですら気づくくらいに、明らかだった。けれども、しばらく日にちが経って、その人が仕事に出るようになったことで、配偶者の方の調子がよくなってこられると、それに伴いその人の心情も安定するようになられたのか、引継ぎは引継ぎとして、私が小娘であろうがなかろうが、私のことは仕事に関する情報を持つ人物として、冷静に対等に、後半はむしろ敬意を持って、接してくださるようになった。

最初の頃は、何事に関しても、抵抗感による反論のようなものをいったん聞く時間が必要だったのが、しばらくすると、仕事に関する私からの各種提案(実験器具の使い方のコツなど)にも各種連絡にも、ふむふむ、と耳を傾けて即実践してくださるようになり、仕事の伝達に要する時間が大幅に削減されて、引継ぎが非常に円滑になった。休憩時間には、その人がかつて何度も出張で訪れたことのある九州に関する情報をいろいろと提供してくださり、私がよりいっそう九州暮らしを楽しむことができるようにと応援してくださった。無事に引継ぎが完了して、私が退職したときと、その後、無事に熊本での生活を始めた後に、「どうやらさんにはすごくお世話になったから」「家内からも、どうやらさんには、本当にしっかりとよくよくお礼を伝えてほしいと言われているから」と、かつて営業職として活躍なさった方らしいスマートなセンスでの物品、ちょうどよく消費してなくなるような物品、を、贈り物としてくださって、なんだかこんなにしてもらっていいのかな、と思うほどであった。

その方とほんの一時期ともに働いて、家庭の事情をうかがったことで、老齢化後、退職後、元気な場合、夫婦ふたりともが、ずっと一緒に家にいることが、向いているカップルと、そうでないカップルとがあるんだな、という、しごく当たり前なことを、私はじんわりと学習した。そして、自分と夫はどうなのか、婚姻関係が続く間は、少しずつ観察を重ねて、しかるべき時にはしかるべき形をとれるように、準備や心づもりなどをしていきましょう、と、わりと強く、そして深く、決意した。     押し葉

美容院の進化

「美容院の飲み物」の続編。

前回、美容院(美容室)にお世話になったときに、「わあ、来年からは、店内完全禁煙になるのかあ。うれしいなあ」と思ったことと、無料飲み物サービスの飲み物にノンカフェイン飲料もあるといいな、と思ったことを書いた。

今回行ってみたら、禁煙はもちろんのこと、「待ち時間のお飲み物、何になさいますか?」と、飲み物名が書かれたメニューを提示された。それだけでも、「何がありますか?」と訊く手間が省けてうれしいのだけれども、今回は、美容院に行く前に大量のブラックペッパーチャイを飲んでいたため、全然飲み物が欲しくなくて、「ありがとうございます。でも、今日は、要らないです。ここに来る前に飲んだお茶でお腹がいっぱいなんです」と断る。メニューを見せてくださった美容師さんは「そうですか。わかりました。また欲しくなられたら、おっしゃってくださいね」と言ってくださる。

そのあと、担当の美容師さんが「あれ、どうやらさん、お飲み物は、お伺いしていないんでしょうか」と、私が何も飲んでいないことを察知して訊いてくださるから、「いえいえ。メニューは見せてくださいました。私がお腹いっぱいで、今日は飲めないので、お断りしました」と応える。担当美容師さんは「ああ、そうだったんですか。でも、本当にいいんですか。梅昆布茶もあるんですよ。おいしいですよ、梅昆布茶」と詳しく案内してくださる。

「梅昆布茶、おいしそうですねえ。次回は、それをいただきます。たのしみです。それにしても、ドリンクメニューのカードもできて、なんだか、ここの美容室、どんどん進化しますね」
「はい。いろいろがんばってみてるんです」
「禁煙にしてくださったのもうれしいです。梅昆布茶もノンカフェインで、この時間帯に安心して飲めるのもうれしいです」
「でしょー。どうやらさんのために、禁煙化して、梅昆布茶、メニューに入れましたもん」
「うはははは。それは、ありがとうございます。ほんとうにうれしいです」

わたしのため、というのは、相当誇張であるとしても、私の好きなルイボスティーやハニーブッシュティーやなたまめ茶はないとしても、それでも十二分にうれしくて、念を飛ばした甲斐があったなあ、と、しみじみと自分の念力にうっとりとするのであった。
    押し葉

肺と咳と検診と

入荷した商品の補充作業にいそしんでいたら、咳止めコーナーで接客中の新人二年目くんが「どうやら先生、すみません、ちょっとお願いできますか」と声をかけてきた。「はい、なんでしょう」と二年目くんに声をかけると同時に、お客様にはあらためて「いらっしゃいませ」と声をかけ(最初に姿をお見かけしたときにすでに「いらっしゃいませ」のご挨拶はしたけれど)、私が作業中の商品を置いてから咳止めコーナーに移動するまでお待ちくださったことに対して「たいへんお待たせいたしました」とお伝えしてから、話を聞く。

いろんな咳止めを飲んだけれど、ここひと月くらいか、それ以上、ずっと咳が止まらない、咳が止まる薬がほしい、というご相談。新人二年目くんなりに登録販売者として、これだったらよく効くのではないでしょうか、と提案してみても、なかなかお客様の反応がかんばしくなく、ここからどう展開したものか、という状態であったらしい。

お客様に詳しくお話を伺ってみると、咳は時間帯関係なく出て、一度何かのきっかけで出始めると止まらなくなるタイプの咳であることがわかる。

「ずいぶん長引いていらっしゃるご様子ですけれど、病院では診てもらってくださってますか」
「いや、病院には行かん。病院に行っても咳止めの薬を出されるだけやん。それに、絶対、タバコやめなさい、って言われるに決まってるやろ」
「タバコをお吸いですか」
「うん。毎日ね。やめられんのんや」
「そうですか。それは、咳も出やすくなりますねえ」
「そうなんや。自分でもわかってるんや」
「タバコをやめるのは、なかなか難しいですよねえ。ところで、タバコを吸ってらっしゃって、タバコの味はおいしく感じられますか」
「それが、咳が出るようになってからは、おいしくないのよ。だから、二口か三口吸っただけで、消すのよ。もったいないやろ。一箱四百七十円もかけてるのに」
「うわあ、それは、もったいないですねえ。でも、それは、きっと、お客様のお体が、少しタバコを控えなさい、とお知らせをしてくれてるんでしょうねえ」
「そうやろうか、やっぱり。私もなんとなくそんな気はしてるんや」
「それなら、間違いなくそうです。咳が長引くときには、胸の写真をとってもらって確認したほうがいいですし、特にタバコを吸われる方は、ある程度定期的に、肺がんの検診もうけてくださるほうが安心です」
「それは、そうやろうとは思うんや。でも、最近、娘家族と同居するようになってから、前に住んでいたところのかかりつけの病院がちょっと遠くなって、かといって、また新しいところにかかって一から観てもらうのは、面倒くさくて」
「ああ、それは、ご面倒なことですねえ」
「でも、どっちにしても、他のことでずっと出してもらって続けて飲んでる薬もなくなるから、近いうちに、前に住んでたところのかかりつけの先生のところに診てもらいに行くんや。前は、ほんちかく、だったのが、今は車で四十分くらいかかるようになったけど、通えるうちは、あの先生に診てもらいたいんや」
「ああ、それでしたら、ぜひ、そのときに、咳の相談もなさってください。その先生なら、お客様が、そう簡単にタバコをやめられないことも、よくご存知でいらっしゃるんですよね」
「そうなんや。やっぱりそうしたほうがええやろうか」
「はい。ぜひ」
「実は、お店で勧めてくれる、よく効くいう咳止めはあんまり効かんけど、昔から、私の父も私もタバコ吸いなんやけど、龍角散なら、少しラクになるんや。それで、龍角散はいつも家に置いてあるんやけど、龍角散は弱い薬やろ。もっと強い薬にしたほうがいいやろ」
「いえいえ、お客様のお体にとって、龍角散との相性がよいようで、それでラクになられるのであれば、ぜひ、お手持ちの龍角散をお使いください。でも、あまり咳がひどくなってからでは、効きにくくなりますから、こう、咳の始まりがこみ上げてくるかんじ、わかりますかね」
「うん、わかるよ、よくわかるよ」
「では、そのときに、早め早めに、龍角散を口に含んでください。とりあえずそれで、次回の診察を受けて相談なさるまでの間を繋いでください」
「そうねえ。龍角散でもいいんやったら、そうするわ。薬を買いに来たのに、結局買わずに帰って、わるいなあ」
「いえいえ、それは全然お気になさらないでください。それよりも、タバコの味がおいしくない間は」
「わかった。タバコ控えめにすればいいんやね」
「はい。それと次回の診察の時に」
「先生に相談する」
「はい。ぜひそれでよろしくお願いします。せっかく高いお金出して買われたタバコをおいしく吸うためにも」
「そうするわ。おにいちゃん(新人二年目くん)、ごめんな。せっかくいろいろ、薬、勧めてくれたのに、買わんで」
「いえ。龍角散足りなくなったら、そのときには、また買ってください」
「あははは。そうする、そうする、ありがと」

私が「ありがとうございました」とお見送りし、新人二年目くんが「またお越しくださいませ」とお辞儀する。その後、私と新人二年目くんは、入荷商品の補充作業にまた戻る。二年目くんが「先生、ありがとうございました」と私に言うから、「いえいえ。こちらこそ、ありがとうございました」と応える。そして「私が接客すると、こういう、売り逃し、が多めになるんですけどね」と言うと、「全然いいと思います」と、今時の若者らしい言葉遣いで応えてくれる。

「そうですね。売り上げ的には残念でも、お客様にとってご満足いただけるサービス、という意味では、よしということにしますか」
「はい。すごくいいです」
「そうですか。じゃ、すごくよかった、ということにしましょう」

お客様が無理にタバコを吸うことなく、養生と、適切な対応をしてくださったら、なおのことよし。     押し葉

本堂と心臓

元旦の日に、同級生の天竜くんちに遊びに行ったとき。例年であれば、玄関の呼び鈴を鳴らすと、天竜くんが「はい、はい、はい、はい」と出迎えてくれて、年に一度しか会わないけれど、お互いに「今年もよろしく」と挨拶し、「まあ、まあ、まあ、まあ」と招いてくれる天竜くんについて部屋に入っていく。それが今年は到着したときに、お寺の本堂が開いていて、初詣の参拝者の人たちが続々と出てこられたから、私たちもお参りさせてもらおうよ、と本堂の階段下で靴を脱いで、本堂に入ってゆく。

本堂中央の仏様と向かい合い、立派だねえ、と感心しながら、夫と並んで手を合わせる。他の参拝者の方たちがすべてお帰りになったところで、天竜くんのお父様(前ご住職)に新年のご挨拶をする。天竜くんのお父様はにこやかに対応してくださりつつも、「申し訳ないことなのですが、どちらか県外からおいでのお方でいらっしゃいますか。檀家の方々のお顔の中には記憶がないものですから」とおっしゃる。

「まあ、名乗りもせずに失礼いたしました。天竜くんの同級生のどうやらです。今は北陸の方に住んでいるのですが、年末年始に帰省してまして、天竜くんに会いに来ました」
「ああ! どうやらさんだ。ほんとうだ。毎年おいでくださるどうやらさんだ。そうでしたか。先ほどお電話いただいて、天竜が準備して待ちようりました。奥の部屋におりますけん、本堂の横から出て、ぐるっと回ったところの部屋に行ってやってください」
「ありがとうございます。それにしても、相変わらず、立派なご本堂ですねえ」
「いえいえ、今年は、掃除も十分に行き届いておりませんで。実は、昨年、わたくしが、二度ほど倒れたものですから」
「ええっ。どこかお具合でも」
「ええ、そうなんですよ。最初はまず脳のほうで倒れまして、その手術が終わってからもどうにも具合がよくなくてまた倒れまして」
「まあ」
「それで、ようよう検査してもろうたら、心臓がよくないことになってまして、そのせいで肺もだめになとったらしく、そのせいで脳にいく血液も酸素が少ない状態で、脳の血管のほうの問題もそれと関係があったらしい、いうことでしたわ」
「うわあ、それは、たいへんなことでしたねえ。ずいぶんおつらかったんじゃないんですか」
「そうなんですよ。体がつらくてつらくてしんどうて、でも、去年の夏は暑かったでしょう。じゃけん、暑さのせいでしんどいんじゃろうと思うとりましたから、まさか、自分の心臓や肺や脳がどうにかなっとるせいだとは思うてもおらんかったんですよ」
「いやいや、たしかに、去年の夏は暑かったですけど、でも、暑いだけのしんどさとは違うしんどさだったのではないですか」
「今にして思えば、たしかに、ふつうのしんどさではなかったんですけど、なんかおかしいのう、しんどいのう、言うたら、天竜が、この暑さで、自分ら若いもんでもしんどいんじゃけん、おやじくらい年寄りじゃったらしんどいに決まっとるじゃろう、寝ときんさい、寝ときんさい、言いますけん、寝とったんですが、どうにもこうにも起きられんようになりまして」
「どの時点で、病院に行ってくださったんですか」
「それがですねえ、起きられんようになったところに、嫁のまりもが様子を見に来てくれまして、そしたら、こりゃあいけん、天竜さん、お父さんの顔が歪んどってよ、言うて、二人ともたまげて、すぐに病院へ運んでくれたんです」
「ああ、おつらいのはよくないんですけど、ちゃんと診てもらってくださって、よかったです」
「それでまあ、脳の治療の後、心臓の手術で、そのあとリハビリにしばらくかかりまして」
「ですよねえ。でも、こうしてお話ししてくださらなければ、そんなことがあったなんて全然わからないです」
「おかげさまで、最初は、体の半分が完全に麻痺状態じゃったのが、最近のリハビリいうのは、ようできとるものなんですのう、毎日毎日で、きついのはきついんですが、やっただけの成果が見えると、どんどんようなって、今はもう、こうやって(両手の指を折り曲げたり開いたりしながら)、左右の手はおんなじように動きますし、茶碗を持つのも箸を使うのも不自由なく、こうして対面でお話しするのもできるようになったんですよ。最初は、あ、あ、あ、あ、いう音しか出せんようになっとったんですけどねえ」
「そうだったんですか。リハビリの力ってすごいですねえ」
「ただ、こうやって普通に話すのは、問題なくできるんですが、いっこだけどうしてもできんままなのは、お経が詠めんことなんですよ」
「ああ、普通の会話とお経とでは、口や喉の筋肉や声帯の使い方が違うのかもしれないですねえ」
「そうなんですよ。そうらしいですわ。こうなってみるまで、そのようなこと考えたこともなかったんですが、どうしてもお経が詠めんのんですよ」
「でもまあ、それは、もう、天竜くんたちにおまかせになって、聞いてあげるだけにしてくださってもいいんじゃないでしょうか」
「そうですねえ、そうしますわ。リハビリもようできとりますが、心臓の手術も、最近は、そんなに胸を大きく切らんでもようなっとるらしゅうて、傷も、これくらいで済んだんですよ(と法衣の胸元を開いて手術痕を見せてくださる)」

夫は生々しい映像に対してびびる習性があるため「うおっ」と一歩引く。私は生々しい映像に対して深く興味を覚える傾向があるため「うわっ」と一歩覗き込む。

「わあ、きれいな傷痕ですねえ。切った痕も縫った痕もくっつき方も美しいですねえ」
「そうでしょう。なんでも、この心臓の手術をしてくれちゃった先生は、ずいぶん腕のいい先生だったらしいですわ」
「ええ、ええ。手術自体も上手でいらっしゃるんでしょうけれど、皮膚の細胞たちの頑張り具合が素晴らしいです」
「ほう、そうですか、そう見えますか」

ここで夫が「あの、本堂は冷えますから、胸、それ以上、冷やさないほうがいいんじゃないでしょうか」と気の利いたことを言い、天竜くんのお父様も「おお、ここじゃなんですから、天竜のおる部屋へ行ってやってください。あの部屋には、暖房も入っとりますけん」と、もう一度、本堂から部屋への行き方を説明してくださる。「ありがとうございます」とお礼を述べて、奥の部屋へと移動する。

部屋に入ると天竜くんと生後二週間の赤ちゃんがいて、天竜くんが「まあ、まあ、まあ、まあ、今年は本堂も家も掃除が行き届いておりませんが。実は、おやじが昨年倒れたものですから」と説明をしてくれようとするのを、「そうなんだってね。たいへんじゃったね。さっき、お父さんが心臓の手術の痕を見せてくれちゃったんよ」と返したら、「なんでまた。わたしら家族もまだ見たことのないものを」と天竜くんが驚く。「こうやって、着物の前を、がばり、と開けて、ようよう見せてくれちゃったよ」と言う私と、「俺はよう見んかったけど。怖いじゃん」と言う夫に、天竜くんは「そういうわけで、いや、もう、ほんま、おおごと、じゃったわ。暑いけんしんどいんじゃわいのう、寝ときんさい、寝ときんさい、言うとったのが、寝とるだけじゃいけんかったとは。まりもが、天竜さん、おかしいよ、おおごとじゃ、お父さん顔が歪んどってよ、いうて気づいたけん、そこで病院へ運ぶことができたけど、あそこで気づいてなかったら、どうなっとったかわからんいうことじゃけん。いやいやいやいや、びっくりよ」と、天竜くん視点での説明を始める。

その後、天竜くんの妻であるまりもさんが、今度は彼女の視点での、経緯説明を聞かせてくれる。

全体としての大筋は、どれも、本堂でお父様ご本人から聞いたとおりだったけれども、全体的に思ったのは、猛暑のつらさと、心臓と肺と脳の機能が低下しているときのつらさは、かなり異なるのではないかな、ということと、やはり、まりもさんの言うとおり(前記事「僧侶とトナカイ」参照)、天竜くんの「寝ときんさい、寝ときんさい」は、真に受けないほうがいいんだな、ということだった。     押し葉

僧侶とトナカイ

私の同級生の天竜(てんりゅう)くんの職業は僧侶、浄土真宗のお寺の住職さんだ。天竜くんと私は中学と高校が同じだった。天竜くんと夫は高校が同じで、その後大学は異なるものの天竜くんも夫も京都の大学に進学したという共通の要素があり、高校卒業後も大学卒業後も親しくしている。最近は、夫と私が、広島に帰省したときに、元旦にどうやらの実家から私の実家へ移動する途中で、天竜くん宅を訪問するのが恒例になっている。

夫は年末になると、天竜くんと一緒に飲むための日本酒を入手して、元旦の日に持っていく。天竜くんも天竜くんで夫と一緒に飲もうと思って保存していた日本酒を出してくれるから、二人は飲み比べを愉しみつつ語り合う。私は車を運転するから、おいしそうにたのしそうにお酒を飲む二人を眺めてお茶をいただく。

今年の元旦に天竜くんちに行ってみたら、いつものように「まあまあまあまあ、入って入って、そっちの部屋へ」と案内され、入った部屋には赤子がいた。「わあわあ。赤ちゃんだー。何ヶ月? いや、何ヶ月も経ってないかこの大きさは」と尋ねる私に天竜くんは「生後二週間。四人目。今度こそ、最後」と説明してくれる。

「そうかあ、二週間かあ。それにしてはこの人、落ち着いているというか、って、それよりも、まりもさん(天竜くんの妻)、さっきからずっと動きつづけて、いろんな料理作って出したりいろいろしてくれて、さらに上の三人の子どもたちをだっこしたり、追いかけたり、隙あらば赤ちゃんの上に乗りあげる上の子たちを引っ張りあげたりしてるけど、産後二週間であんなに動いて大丈夫なの?」
「本人が動きようるんじゃけん、大丈夫なんじゃろう。なんかもう、四人目ともなると、たいていのことは、大丈夫大丈夫、生きてればそれでよし、いうかんじになるんじゃ」

まりもさんは少し手の込んだ料理を気軽に作ってくれる人で、これまでごちそうになったいろんなメニューを思い出すだけで、うっとりとした気持ちになる。クワイの素揚げもおいしいし、卵黄の味噌漬けもおいしいし、穴子の白焼きを入れたお雑煮のすまし汁もおいしい。

まりもさんの手料理をごちそうになりつつ、天竜くんと夫はお酒を飲みつつ、傍らにいる生後二週間の赤ちゃんに見とれつつ、あれこれ話をしていたら、天竜くんがまりもさんに「今度から、保育園の役員を受けるときには、気をつけんといけんで」と諭し始めた。天竜くんとまりもさんの二番目の子が現在通う保育園(一番上の子もその保育園には通ったが、上の子はすでに卒園して小学生になっている)では、保護者が持ち回りで役員を請け負う。役員ごとに仕事の内容は決まっていて、この役員さんはこの時期のこの仕事をする、などということはセットとしてほとんど固定されていて、年ごとに変わることはない。天竜くんは「どの役員が何をするかはわかっとることなんじゃけん、できんことはそのときに断っとかんと。その仕事をする時期になってから、急に、できません、いうて、他の人に代わりをお願いします、いうても、頼まれた人も困るじゃろうが」と言い、まりもさんは「そうよねえ。今回は、誰々さんが、ええですよ、しますよ、言うてくれちゃったけんえかったけど、あの役は受けんようにするか、どうしてもあの役のときには、役を受けたときにすぐ、できんことだけは他の人に代わってもらえるようにお願いして、その人の仕事の一部を代わりにしますから、いうような話をしたほうがええね」と応える。

たぶん夫と私が「なんのことかな」というような表情をしていたからなのか、まりもさんが「保育園で季節ごとの催し物があるんですよ」と説明を開始してくれた。その説明によると、今年度、天竜くんとまりもさんが請け負った役員の仕事では「おとうさんがクリスマス会のサンタクロースの扮装をする」ことになっている。しかし、天竜くんは「おとうさん」ではあるけれど、浄土真宗のお寺の住職であり、サンタクロースが所属するであろうと思われるキリスト教文化とは異なる分野で活動する立場だ。天竜くんは公私ともに仏教徒ではあるものの、クリスマスケーキがそこにあればお菓子として食べるし、子どもたちが保育園や小学校でクリスマス会に参加したりケーキを食べたりプレゼント交換したりすることも、節分やひな祭りや鯉のぼりや七夕と同じ感覚で受け入れている。けれども天竜くんは「しかしながら、そうだとしても、わたくしが、サンタクロースの扮装を、するわけにはいかんじゃろう」と言う。

それでも天竜くん夫婦は彼らなりに考えて、保育園の先生に「サンタクロースの扮装は職業上宗教上の理由でどうしてもできませんが、トナカイの扮装なら、なんとかぎりぎりできるかと思います。ソリの鈴の音がするように首に鈴をつけるのも大丈夫ですので、なんとかそれでいけませんでしょうか」と代案を提案し相談してはみたらしい。しかし保育園の先生は「すみませんねえ。園の子どもたちが待っているのは「サンタクロース」であって「トナカイ」ではないんですよ」と申し訳なさそうに困惑なさる。

天竜くんは「そりゃあ、そうじゃわいのう。茶色いトナカイが来てプレゼント配ってくれてものう。そこはやっぱりサンタじゃろう」と言い、まりもさんも「うちがサンタができんのはわかっとることなんじゃけん、今度からは、サンタがセットになってない役を選ぶようにせんにゃあいけんね」と頷く。

そんな話をしたあとで、まりもさんにあらためて「産後二週間で、その軽やかな動きは素晴らしいとは思うけど、ほんとにそんなに動いて大丈夫なんですか」と訊くと、よくぞ聞いてくれました、という顔をして「天竜さんは、何かというと、私に向かって、まりもは産後なんじゃけん、寝とけ寝とけ、いうて言うてんです。じゃけん、私も、ありがたく、じゃあ、と横になって過ごしとっても、すぐに天竜さんが、おお、まりも、布団干しといて、だとか、本堂のあれをこうしといて、だとか、次々用事を言うてきてんです。じゃけん、天竜さんの、寝とけ、を真に受けたらいけんのんですよ」と言っていた。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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