みそ文

サンタさん歓迎のツリー

小さな子どものいる同僚たちは、この時期店舗での通常業務以外に、各家庭でのサンタさんとしての業務でも忙しくなる。小三男子を育てる同僚は、「昨日は、うちの子が、おかあさん、今日は、玄関も窓も鍵をかけたらいけん、サンタさんがどこからでも入ってこれるようにしといてあげんと、って言って、戸締りさせてくれなくて、たいへんだったんですよ」と言う。

今年はその小三男子が十二月に入って間もなく「おとうさん、おかあさん、うちにもクリスマスツリーを買ってほしい」と言いだしたのだそうだ。同僚が「なぜ必要なのか」と訊いたところ、小三男子は「だって、サンタさんがプレゼントを配るお家を見つけやすいように、きれいに飾って明るくしておいてあげたいし、サンタさんはこれまでも毎年いっつもプレゼントをくれてたし、だからサンタさんにありがとうの気持ちを伝えるためにも、サンタさんがうちに来た時に、見てうれしくなるように、クリスマスツリーをきれいに飾っておいて、サンタさんに見せてあげたい」と彼なりの理由を述べる。同僚夫婦は、なるほど、自分のクリスマス気分を盛り上げるためというよりも、サンタさんを歓迎するためにツリーを飾ると言いだすなんて、うちの子けっこういい子じゃん、と感心する。そしてクリスマスツリーセットを買い与え、一緒に飾り付ける。そして二十四日の深夜、小三男子が眠っている間にそうっと、あえてクリスマスツリーの下でも枕元でもなく、今年買った新しいツリーの木にかけるようなかんじにして、プレゼントをのせておく。

二十五日の朝起きた小三男子は「サンタさん、ツリーがきれいなのがうれしかったから、ツリーにプレゼントかけていってくれたんかな」とうれしそうだった、と話す同僚はとてもうれしそう。

しかし、小三男子は、同級生たちとの会話やいろんな観察力洞察力の成長に伴い、「おかあさん。もしかして、サンタさんは、ほんとうは日本人なんじゃないのか」と言いだすようになった。同僚は、ああもうそろそろこの子へのサンタ業務も終わる年頃なのかしら、と思いつつ「なんで?」と訊く。すると、小三男子は「だって、日本中の子どもにプレゼント配るの、サンタさんが外国から来てするのはたいへんやろ。日本の子どもの分は、菅総理大臣が日本のサンタとして引き受けてるんじゃないかな。な、ほんとうは、そうなんやろ? サンタさんは菅総理なんやろ?」と同僚を問い詰める。同僚は「総理大臣は総理大臣で忙しいんだから」と、小三男子の予想が正しいとも間違っているとも言わずにそれらしく答える。

もしかすると、サンタさんは、この時期の激務を滞りなく遂行するために、実は代行システムを採用しているのではないだろうか、と、少しずつ気づくくらいに、無事に元気に大きくなることそのものが、サンタさんから子どもたちへの、そして親たちへの、大きなプレゼントなんだろうなあ。     押し葉

美容院の飲み物

私がお世話になる美容院(美容室と呼ぶ方はそちらの呼び方で読んでください)は、全体的に満足なことが多いのだけど、全館禁煙というわけではなく、ときどき、たまに、スモーカーのお客さんがいると、その人の席に灰皿が供されて、それで室内全体が、いっきに喫煙空間になるのが、唯一残念なところだなあ、と思っていた。前回行ったときにも、たまたま、たばこを吸うお客さんといっしょになり、よし、これはもう、この美容院の禁煙化の念をそろそろ本気で発動しよう、と、思いながら帰ってきた。

今日、その美容院に行ってみたら、店内何ヶ所かに、「年内いっぱいで、完全禁煙化いたします。ご理解ご協力よろしくお願いいたします」という案内書きが貼ってある。おお。来年はもう、ここでたばこの煙を感じなくて済むのね、念が通じるってうれしいなあ、やはり念は発動してみるものだなあ、とほくそ笑む。

ところで、この美容室では、各種待ち時間のサービスとして、飲み物を出してくれる。「お飲み物は何がいいですか」と訊いてくれて、「何がありますか」と訊き返すと、そのときにあるものを教えてくれる。コーヒーと紅茶は定番で常にあり、あとは、緑茶、ココア、ウーロン茶、オレンジジュース、リンゴジュース、などがあるときにはある。

わたしは午後三時以降は、カフェイン入り飲料を摂らないようにしている。理由は夜間の睡眠の質を確保するため。そしてここ数年は、コーヒーがうまく消化できない体になっている(おいしいのに、飲むとあとで胸やけで苦しくなる)から、コーヒーは、年に一回か二回、お、今日の、今の体調なら大丈夫そうだ、という直感がやってきたときのみ、ほふう、と、おいしくいただく。

そういうわけで、その美容院で飲み物を出してもらうときにも、ノンカフェインのものとなると選択肢があまり多くなく、これまでは「では、お水をください」だとか「お湯をください」とお願いしたりしていたのだけど、今日は、そうよ、自分が飲める飲みたいものを持参したらいいんじゃん、と気がついた。それで、赤ルイボスティーのティーバッグをひとつ小さなビニール袋に入れたものを、ポケットにしのばせて行くことに。

美容師さんが「しばらくお待ちいただく間に、よろしければ何か飲み物をご用意いたしますが、何がいいですか」と訊いてくれたら、すかさず、持参の赤ルイボスティーティーバッグを取り出す。「ありがとうございます。自分が飲みたいものを持ってきたので、これにお湯を注いでもらえますか」とお願いする。「ふつうのポットのお湯で大丈夫ですか」と確認してくれるから、はいはい、大丈夫です、と応える。

しばらくすると、黒いプラスチックの取っ手とカップ受けが繋がったものにセットされた使い捨ての白いプラスチックのカップに、赤ルイボスティーが入ったものが運ばれてくる。美容師さんが「このお茶の出し具合、こんなかんじでいいんでしょうか」と訊いてくれたときに、内心、あ、しまった、ティーバッグをそのまま入れた状態にしてもらえるようお願いするのを忘れちゃった、おかわりしたいときにはお湯だけ足してもらえばいいようにしようと思っていたのになあ、と思いつつ、次回はそれを忘れずお願いしよう、と心に決めつつ、「大丈夫です。ありがとうございます。いただきます」とお礼を伝える。

あたたかい赤ルイボスティーを、ほうっと飲みながら、ああ、自分で飲みたいものを持ってくる作戦大成功だわ、と、にんまりする。今日はお客さんが多くて、いろんな待ち時間が長そうだから、このお茶を少しずつ大切に飲もう、と思って半分くらい飲んだところで、シャンプー台に案内される。さきほどお茶を用意してくれた美容師さんとは別の美容師さんで、「飲みかけのお茶、ここに置いたままでもいいですか」と訊くと、「はい、もちろん、どうぞ」と言ってくれるから、安心して、そのままお茶をテーブルに置いてシャンプー台へ。

シャンプー台での作業が済んで、鏡の前の椅子に移動して、髪の毛が洋服につかないようにするためのテルテル坊主みたいな雨合羽みたいな美容院独特の大きな布を巻いて着せてもらって、ドライヤーが始まる前に、「あ、さっき、待ち時間の時に座っていたところに置いてきた飲み物、いただいてもいいですか」とお願いする。美容師さんは「はい。すぐ持ってきますね」と、わたしがいたところを見てくれるけれど、わたしが飲みかけで置いていたカップが見当たらないらしく、あちこち見てくれたそのあとで、「すみません。誰か気をきかせて片づけてくれたみたいで、どこにもないんです。新しく入れ直しますので。紅茶でよかったんでしたかね」と訊いてくれる。「ああ、片づけてくださっていたのでしたら、もういいですよ。実は、あのお茶、わたしがこの時間コーヒーや紅茶や緑茶が飲めなくて、自分で飲みたいものを自宅から持ってきたティーバッグにお湯を注いでもらったものだったので、同じものを新しく入れ直してもらうことができないんです」と話すと、「なんと。それはすみません。てっきりうちの紅茶かと。まだだいぶん残ってたのに、もったいないことしてすみません」と言われる。「いえいえ、わたしも、カップにティッシュで蓋して、あとで飲みますから、キープお願いします、って今度からはお伝えするようにします。もし喉が乾いたら、また、そのときにお願いしますから、今は、飲み物なしで大丈夫です」と伝えて、美容師さんが「必要な時には、いつでも言ってくださいね」と言ってくださるから、「はい、そうします。ありがとうございます」とこたえる。

美容院の禁煙空間が思い通りになったいま、美容院での次なる課題は、飲み物を飲むのであれば、飲みたいものを飲みたいように飲めるように必要な作戦を練ることだな。とはいえ、美容院では、別段、飲み物を飲む必要はまったくない。だから、作戦も練っても練らなくてもどちらでもかまわないことで、なんだかとっても気がラク。     押し葉

サンタさんへのお礼

「サンタさんへの手紙」
当時我が家を担当してくださっていたサンタさんのおかげなのか、夫は、最近、以前ほど、自分の毛髪力にこだわらなくなってきた気がする。毛髪力が安定したということなのか、毛髪力の低下を受け容れる度量が安定したということなのかは、もうひとつよくわからないけれど、どちらにしても、さすがサンタさんだ。ありがとうございます。

「宿便からのお知らせ」
なんだろうなあ、うーん、と、感じるようなことがあるときには、とりあえず、山盛りのうんちを排出すると、それで解決することがよくある。

「だんだんだんだん」
「坂の上の雲」というドラマを見ていたら、愛媛の人たちも「だんだん」という言葉を使っていることに気づいた。広島ではあまり使われない「だんだん」が、どうして、広島をはさむ形で、島根と愛媛では使用されるようになったのかな。

「成長アルバム」
当時一歳児だった男児は、今はもっと大きくなっていて、その成長に見合った大きさの「はっぴ」を着て、だんじりに参加しているのではないかな。ちなみに、だんじりの「はっぴ」は、自動的に「じい」が買ってくれるものらしい。

「雑念」
岩盤浴屋さんだけでなく、このヨガクラスもなくなったのが、残念だ。わたしが気に入って利用するものは、よくこの世からなくなる。それで、夫は、「商売として長く生き延びてやっていこう、と思うなら、みそきちに気に入られないようにすることが重要だ」と言う。

「鼻風邪と花粉症」
先日職場の事務室で、ティッシュで鼻水をかんでいたら、同僚たちが「風邪ひいたんですか?」と訊いてきて、「いえ、鼻炎の症状が出てるみたいなんです。小粒タウロミン(鼻炎時の愛用薬のひとつ)を飲もうと思ったんですけど、いつも小粒タウロミンを入れてるピルケースは持ってきてるのに、中身が入ってないことに、さっき気づいて、少しがっくりしています」と答えた。そして続けて「でも、代わりに、小青龍湯を飲んだので、じきに落ち着く予定です」と話した通り落ち着いたけど、あのときの症状での第一選択薬は、やはり小粒タウロミンだったと思う。ピルケースへの中身補充をぬかりなく行いたい。

「だんじり血圧」
安全にだんじりに励めるくらいに、血圧も他のいろいろも安定していらっしゃるといいな。     押し葉

ちょうどいいのがいい

「赤い十字」
私の勤務先では、入れ歯洗浄剤や入れ歯を固定するための製品は、「口」の関係ということで、歯ブラシ歯磨きと同じ並びに配置されている。しかし、その配置がお気に召さず、「入れ歯関係は、年寄りのもののところ介護関係の場所に置くべきじゃないのか」と指摘くださる方が、ときどきいらっしゃる。売り場構成にまでアイデアを提供しようという心意気には感心するけれど、お店としてもいろいろ事情があるので、ちょうどよく折り合いがつくといいなあ、と思う。

「母心娘心」
やせ過ぎず太りすぎず、ちょうどいいのが、いろいろやりやすい、かな。

「お見送り」
先日は、夫を見送りながら、「いってらっしゃい。いってらっしゃい。いっぱい、いっぱい、いってらっしゃい」と、両手を頭上でばたばたしながら踊っていた。自分でそうしながら、いっぱいいってらっしゃい、ってなんだよ、ああ、わたし寝ぼけてるよ、と思った。ちょうどよい見送りをこころがけたい。
    押し葉

妻は旅立つ

先日「ピェンロー」という名前の白菜鍋を作った。その日はその透明なダシを使って、最後に雑炊を作って食べることに。食卓の中央で加熱する鍋のお米がちょうどよくなったかな、というあたりで、夫が卵の用意をする。卵を割り入れて箸でかき混ぜるには、少し小さいのではないかしら、と思う器に卵を割り入れようとしていたから、「どうやらくん。卵を混ぜるんだったら、もう一回り大きい器がいいと思うよ。取ってこようか」と申し出る。ところが夫は、「いや、いい。この器でいい。卵をこの中で混ぜるつもりはないから」と言う。そうなんだ。卵の殻が入らないように、いったん小鉢に入れるだけで、卵自体はそのまま鍋に投入して、雑炊のご飯とともに軽く撹拌する計画なのね、と、納得してじっとする。

夫が、小鉢に卵をぱかんと割入れる。そして、卵の殻が入っていないかどうかを肉眼でチェックしたのちに、「ちょっとだけ黄身を割っておこうかな」と言って、箸で黄身を半分に割る。それから、今度は黙って、半分になった黄身ををさらに半分にして、それをさらにまた半分にして、そうしてから、かっしかっし、と、小鉢の中で卵を混ぜ始める。しっかり撹拌するには難しい、その小さな小鉢の中で、十回、二十回、三十回、四十回と、卵の撹拌が続く。

「どうやらくん。卵を混ぜるつもりはない人にしては、ずいぶんたくさん混ぜてない?」
「最初は混ぜるつもりはなかったけど、混ぜてみたら、けっこう混ぜられるし、ちょっと小さくて難しいけど、やっぱり、混ぜてから入れたほうがおいしいかなあ、と思ったんよ。いいじゃん。卵混ぜるくらい、好きにさせてくれたって」
「卵を混ぜるのはいいんよ。ただ、混ぜるんじゃったら、混ぜやすい容器を使ったほうがいいんじゃないかなあ、と思って提案したのを、混ぜる気はない、と却下したわりには、混ぜるなあ、と思って」
「気が変わることだって、あるじゃん。気が変わったんよ」
「どうやらくん、よく、気が変わるよね。特に、わたしが、こうしたほうがいいんじゃないかな、って言ったことには、とりあえず、いや、って、いったん、否定しておいてから、あとでやっぱりそうすることにする、っていうパターン、多いよねえ」
「そんなことないって」
「あるある、あるよー。よくあるよー」

夫の中の「とりあえず妻の言うことには逆らいたい小人(こびと)」が出没しようにも出没できないような、活躍しようにも活躍できないような、そんな言い回しを開発するべく、言い回し模索の旅に、妻は旅立つのであった。完。     押し葉

目指す股ホットン

「雷様のおへそ」
この話は、個人的に、かなり好き。

「修行道場」
このとき一緒に永平寺に行った友人とは、一緒に岩盤浴にも行った。しかし、その岩盤浴屋さんは、今は、もう、ない。永平寺は、まだある。たぶん、永平寺は、ずっとある。

「耳のにおい」
実は誰かの耳のにおいをかぐのが好きな人、この指、とまれ。

「みんな「さちこ」」
ゆふちゃんのお父ちゃんは、だいぶん前に現役を引退なさった。当時、ゆふちゃんのお父ちゃんが監督として指導していらしたソフトボールチームの「さちこちゃん」たちも、今はすっかり大人だろうなあ。

「胸やけのご相談」
何か店頭で健康に関するご相談をくださるお客様には、こころあたりをおたずねして、背景や状況に応じた薬などを選ぶようにしている。ご本人はそれが、たとえば、胸やけになる「こころあたり」だとは思っていらっしゃらなくても、就寝前の飲食が生活習慣にあることが多い。就寝前に、ニンニクラーメンなどのスタミナ料理を夜食として食することによる「胸やけ」や「不眠」のご相談も少なくない。おいしくて、体に良いと言われているもの、であっても、自分の体にとって、食べてもラクで問題のないものを、問題のない時間帯に、摂取するのがいいのではないかな。

「黒酢の継続」
健康維持の目的で「酢」を飲用するとはいっても、健康食品の黒酢などは、値段が高くて続けられないからと、一般食品のミツカン酢をご購入くださり、毎週一本のペースで飲むのだという方がいらっしゃった。原液をコップに注いでゴクゴクと飲むのだとか。その方にとっては、酢のすっぱさは、まったくツンとくる種類のものではなく、おいしい、と感じられるのだということであった。

「狸(たぬき)の岩魚(いわな)」
昔話で、よく、狸や狐にばかされる話が出てくるけれど、狸や狐がどうこう、というよりも、昔の人にも、わたしと同じように、忘れん坊妖怪や、勘違い妖怪たちが、とりついていただけじゃないのかな、という気が最近なんとなくする。

「商品名は正確に」
お客様に商品名の正確さを求めるのは、忘れん坊妖怪に妖術をやめなさい、というのと同じくらいに、せんない(言っても仕方のない)ことなのかもしれないなあ。

「山を慕う」
山の緑を見て、その緑から、何かをもらう、というよりは、自らが緑に同化してその一員となり、あるいは緑の上位となり、下位の緑を経由して、この世の、天と地の、ありとあらゆるエネルギーの、必要な何かを吸い取り、不必要な何かは濾すような、そんなかんじ。緑に何かをしてもらうのではなく、一体となり、エネルギーを回し巡らす。緑はなにかそんな存在。「癒されるー」などというような受動態で緑と接すると、こちらの生命力のようなものが、ぎゅんぎゅんと吸い取られるから、緑に対しては常に同等またはそれ以上の位置関係で能動的に捉えるほうが安全で便利。

「用法は正しく」
頭痛や喉の痛みや筋肉痛や歯痛のときには「鎮痛薬」を、胃腸の痛みには「鎮痙薬」を用いるけれど、生理痛(月経痛)に関しては、生理痛の痛み伝達物質が痛みの信号を送らなくなるように「鎮痛薬」を使ってみて、それでもなお子宮や膣の過剰な収縮や痙攣による痛みが感じられる場合には、ブスコパンなどの「鎮痙薬」を併用すると最強。自分の痛みの種類や傾向がよくわかっている人であれば、最初から両方を併用したほうがラクなこともある。が、ただし、併用に伴う副作用情報も理解と想定をした上で使える人、そのために必要な情報を医師や薬剤師に尋ねて確認できる人に限られはするけれど。生理痛にとらわれることなく、何かしたいこと、何かなすべきこと、があるときには、温熱用具でまずは腹部(子宮の位置)を温め、必要な時には早めに鎮痛剤や鎮痙薬を使って臨めば、だいたいたいていだいじょうぶ。
生理痛のときに、下腹部を温めるのは有効だけど、股間を温める方法も一般的になるといいなあ、と思う。下着のマチの部分に外から貼るカイロがあるといいのになあ。生理痛以外でも、子宮の冷えを感じた時に使うと便利なんじゃないかなあ。貼るカイロのミニサイズでは、マチには少し大き過ぎる。桐灰というカイロメーカーに「肩ホットン」「首ホットン」「腰ホットン」というそれぞれの部位をそれぞれの部位に適した温度で温める「ホットン」シリーズがあるのだけれど、このシリーズで「股ホットン」も作ったらいいのになあ。     押し葉

ご飯の隠れ蓑

健康診断を受けて帰ってきて、手を洗ってうがいをしたら、すぐに熱い紅茶を入れて、それに豆乳を注ぐ。ぐびりぐびぐびこくこくと飲んで、ほう、ふう、と落ち着く。それから、帰りに買ってきたパンを、はむり、ほむりと、食べる。ああ、おいしかった、ごちそうさまでした、と、食器を流し台に運んでから、食卓の上にご飯があることに気づく。小さめのプラスチックケースにふわっと山盛りにつがれたご飯に、蓋もラップもせず、そのまま。

このプラスチックケースは、夫が会社のお昼ご飯用にご飯を持って行くケースだから、本当ならば、冷ましたご飯に蓋をして、バンダナで包んで、持って出勤するつもりだったのだろうな。ところが、ご飯に蓋をするのも、持って行くのも忘れて、それがここに残っている、ということなのだろう。わたしも健康診断に出発する前にも、健康診断から帰宅してからも、何度も食卓を見ているのに、このご飯の存在には全然気づいていなかったから、きっと、何者かが「ご飯隠れ蓑の術」を施していたのだろうと思う。

夫は、毎晩、翌日の自分の職場でのお昼ご飯用ご飯を炊くために、お米半合を洗って炊飯器にセットする。タイマーは朝六時半に炊きあがる設定。わたしも翌日はパンではなくて、お餅でもなくて、うどんでもなくて、ご飯が食べたいな、と思う時には、「わたしのぶんも一緒に炊いてください」とお願いすると、一緒に炊いてもらえる。けれど、ときどき「了解、わかったー」の返事だけで、実際には炊かれていないことがある。翌日夫が出勤したのち、わたしが、さあ、ご飯食べるぞー、と炊飯器の前に、しゃもじと茶碗を持って立ったのに、炊飯器の中がからっぽで、ひとしきりその場で「るーるーるるるー」と残念な気持ちを発露するときのメロディを歌ったことも何度かある。そんなふうにたった今お願いしたこともその場で忘れる夫には、やはり、わたしと同じように、立派な忘れん坊妖怪がとりついていると思う。何度かそういうことがあったから、最近は、「わたしのご飯も一緒に炊いてください」とお願いして、夫が「わかったー」と言って作業を始めても、そのあとでまた「わたしのぶんのお米も足してくれましたか」と確認する。すると夫は「うん。入れたよ」と言うこともあれば、「おお。あぶない、あぶない。また忘れとった」と言うこともある。そうやって、声をかけることで思い出してもらえた時には、お互いに「お手柄、お手柄」と誉めたたえ合う。

今日のように、ご飯を持って行き忘れたときに、夫はお昼ご飯をどうしているのか、というと、会社でお昼に販売される業者さんのお弁当を買う時に「おかず」だけでなく「ごはん」も買う。普段は「おかず」だけを購入して、「ごはん」は持参のものを食べる。なぜなら、業者さんの「ごはん」は量が夫には多すぎて食べきれないから。普段は、そうして、お弁当屋さんの「おかず」と持参の「ごはん」を食べる夫だけれども、気が向くと、お弁当ではなく、社員食堂で供される「うどん」や「そば」を食べることもある。

そういうわけで、今、食卓の上にあるご飯には、とりあえず蓋をした。今夜の夕食は、これで雑炊を作って、卵たっぷりでとじて、すりごまをたくさんかけて、はふはふほふほふといただこう。たのしみ。     押し葉

文族は進む

「見据える」
めずらしく、まったく手直しなしの記事。

「下着泥棒捕獲作戦」
めいちゃんのお母さんが、ご無事でよかったなあ。

「パジャマじゃない!」
残念なことに、この記事中に登場した岩盤浴屋さんは、なくなった。

「毎日の手紙」
みみがーの手紙欲は、ずいぶんと落ち着いたように見受けられる。彼女が文族(ブンゾク。自分の身の回りの出来事等を文に綴らずにはいられない種族)として成長するか、別の道を歩んでゆくか、たのしみに見守りたい。ちなみに、甥のむむぎーのほうは、「用事もないのに文字や文章を書く必要が、果たしてこの世にあるのか」といった主義主張を持つ種族に属している様子。

「廻る孫寿司」
いなりずしも含めて、油揚げのある世の中で食生活を営むことができる暮らしで、うれしいなあ、とよく思う。     押し葉

逡巡する兎

年賀状の版画については、先週書店で購入した「版画用画集」掲載の兎を使うのだと思っていた。年賀状作戦会議開始当初の予定では、こたつ布団の柄の兎を使おう、ということだったのだけれども、夫が本屋さんで年賀状版画用の画集を見たいと言いだし、一緒に行って画集を見てみて、わたしはやっぱり「うちのこたつ布団の模様の兎の絵がかわいくていいなあ」と希望を述べた。しかしその希望は、彫り師(夫)の「いや、こっち(画集の兎)のほうがいい」という一言で却下となる。その「こっちのほうがいい」というその絵の兎は、背骨と脚がぐうんと伸びで跳躍している様子で、背骨のラインもそこから両脇に連なる筋肉の線のかんじも、「兎は脊椎動物」であることをしっかりと思い出すような構図。

夫が年賀状用の版画を彫り始めてから、十年以上が経つ。干支を彫り始める前には「冬景色」などを彫った時期もあり、それはそれで上手だなあ、と思っていたのだけれども、テレビ版画講座を視聴後、干支の動物を彫り始めてからは、技術がぐんぐん向上していて、本人も単純な絵柄のものよりは、彫りに多少の技術を要するもののほうが彫っていて愉しいのだろうな、と思っていた。だから、こたつ布団の絵柄の、和菓子のようなのっぺりとした単純な構図の兎よりは、躍動感のある脊椎動物らしい兎の絵柄を彫りたい、ということなのね、と。そういうわけで、書店では、その版画用画集を購入したのであった。

ところが、さきほど、夫が、トレーシングペーパー(薄い半透明の紙)を一枚ひらひらと持ってきて、居間の床に敷いてあるこたつ布団にあてながら、「ねえ、うちって、アクリル板、なかったっけ?」と言う。

「アクリル板は、ないと思うけど。何に必要なの?」
「このこたつ布団の兎の絵を、紙に写して描きとるのに、布の上に紙を置いて描くよりも、透明なアクリル板を置いた上から描いたらラクだなあ、と思って」
「年賀状の兎は、画集の兎にするんじゃないの?」
「うん、あれ、よく見て考えたんだけど、やっぱり、彫るのがすごくたいへんそうじゃけん、やめることにして、当初の予定どおり、こたつ布団の兎にすることにした」
「そうなんだ。アクリル板はないけど、クリアファイルかなんかのプラスチックでもいいんじゃないかな。うちでアクリル板なんて使うことないからねえ」
「そんなことない。テレビ台の扉のガラス板がある」
「あるけど。それを外すの? 少しくらいへにょへにょしてても、少しかための透明のプラスチックのほうがいいんじゃないかなあ」
「うーん。アクリル板がいいなあ。でも、兎の絵を写し取るためだけに、テレビ台の扉を外して、またつけるんだったら、透明なかたいプラのほうがいいかなあ」

そして、夫は自分の部屋から、「いいもんがあるじゃん」と言いながら、透明プラスチックでできたバインダー(表裏と背中の表紙が一枚のプラスチックを折り曲げて作ってあり、内側中央に、紙類を束ねて挟む金具が付いているもの)を持ってくる。その表側の表紙部分のプラスチックシートをこたつ布団の上に置いて、兎の絵写し取り作業は、たいへんすみやかに完了。絵柄としては、月夜の草むらを飛ぶ兎。「これだったら、版木は、二枚で、いいな」と夫が言う。「色は何色にするかな。月が黄色で、草むらが紺色。兎の目と耳の内側が赤で、兎本体を白ぬきにして、背景を薄い空色、にするとして、四色か」と夫が言うのを聞いて、「背景に色をつけたら、メッセージの文字が書きにくいから、背景は白のままで、兎本体に薄い色をつけるほうがいいな」とわたしの希望を述べてみる。

「背景の色は、すっごく薄い色にするから、文字の色もちゃんと見えるよ」
「薄くても濃くても、絵の具がのると、それだけで、ペンの滑りがわるくなるでしょ。兎のお腹にメッセージ書くのは狭いし」
「そうか。じゃあ、兎を白にしないんだったら、何色にする?」
「うーん。薄い肌色、ベージュかな。淡い茶色っぽい色というか」
「それはいやだなあ。それじゃあ、まるで、生剥けの、因幡の白兎、じゃん」
「そうかな。じゃあ、薄い黄色は? お月さまよりも薄い黄色」
「うーん。なんか、それも生剥けっぽい」
「そうかなあ。でも、元の兎が白だと考えるのであれば、月明かりを浴びで黄色っぽく照らされてても、夜の闇で紺色を薄くまとっていても、どっちでも何色でもそんなに不自然じゃないと思うよ。創作なんだし。草むらの紺色よりも薄めの空色、背景に使おうと思っていた空色でもいいんじゃないかな」
「そうやな。じゃあ、薄めの茶色にしよう」
「それって、わたしが最初に提案した色じゃん」
「ちょっとちがうと思うけど。でも、まあ、似てる、かな。それがいいような気がしてきたんじゃけん、まあいいじゃん」
「因幡でも? 生剥けっぽくても?」
「いいんだって」

彼が「いいんだって」と言うのなら、それはそれで、まあ、いいのだけど、結局絵柄は画集の兎ではなくて、わたしが希望していたこたつ布団の兎になり、その兎の絵は、アクリル板ではなくて、軽くて手軽なプラスチックシートで写し取り、その兎の色は、わたしが提案した色で刷ることになり、まあそうして、逡巡して、いったん別の違うものを持ってきて比較することで、やっぱりそれ(わたしが最初に提案したもの)がいいね、ということにするのが、夫は好きなのかもしれなくて、納得しやすいのかもしれない。それにしても、そうやって、毎回わたしの提案を、とっさにいったんことごとく、否定しないではいられない夫の中にお住まいの「とりあえず妻の言うことにはいったん逆らう小人(こびと)」は、ほんとうに仕事熱心だなあ。     押し葉

成長する人々

「水力発電」
当時小学三年生直前だった息子くんは、現在は小学校高学年の児童だ。息子くんの母である友人は、友人のお母上様に、みそさんのブログの「水力発電」のモデルは自分たち親子だから見てみて、と伝えたらしいのだけど、こんなに昔の過去ログに辿り着くのは、ちょっとたいへんだとおもう。ちなみにこのお母上様は、「ピーナツ豆腐の作り方(みそ記)」をご伝授くださったピーナツ豆腐師匠だ。

「幻の栗ご飯」
あれ以来、生協商品の取り入れ忘れがない。えらいぞ、わたし。

「肩までお風呂」
たしか、この続編的日記もあった気がするのだけど、いつのなんというタイトルだったか思い出せない。そのうち出てくるかな。

「総称」
最近よくご来店くださるお客様(ご年配の女性)は、毎回「チオビタンD」とご指名くださり、チオビタドリンクをご購入くださることもあれば、リポビタンDになさることもある。

「オロナミンD」
元気ハツラツでもファイト一発でも、オロナミンCでもリポビタンDでも、どぢらを飲まれても、元気にファイトが湧くのかも。

「チラシ特売」
よそのお店のチラシを握りしめてのご来店は少なくなったが、日替わり特売の曜日を間違えて「え、今日はこの商品が安い日じゃないの? 今日かと思ったのに」と言われるお客様は、ちょくちょくいらっしゃる。

「しやくしょ」
「市役所」や「河内長野」に比べたら、「あんぱん」「あんぱんまん」は、すばらしく発音がラクな語彙だなあ。

「防犯対策」
この話を読んでくれた友人が、「みそさん、それは、やっぱり、段ボールでドアを隠さんほうがええと思うわあ」と言った。しかし、あれ以来、家の鍵を見失うことがないわたし、えらいぞ。     押し葉

忘れん坊妖怪

わたしの自慢のひとつである、忘れっぽさ、に関しては、わたしの才能なのだろうと勝手に思っていたけれど、最近は、もしかすると、これは「忘れん坊妖怪」がとりついているのではないだろうか、と思うようになってきた。というのも、今日は夕方五時に歯科の予約を取っているから、それまでの午後の時間を岩盤浴で過ごしましょう、と思いたち、岩盤浴の予約を入れる。順調に準備して、車に乗って出かけて、さあ、岩盤浴屋さんの駐車場に到着して、一回利用ごとにスタンプを押してもらえる会員カードを出しましょう、とバッグを探るのだけど、見つからない。会員カードが入っている小さめのお財布に今日の岩盤浴料金と歯科でかかるお金とを用意して入れてあるはずの、その財布がない。

ううむむむ。これは、おそらく、岩盤浴屋さんに電話したときにカードを出して電話番号を見ながらかけて、予約が完了したところで、安心して電話の傍にカードとカード入れとして使っている小さな財布をいったん置いて、それっきり忘れたんだろうな、と、予想する。いったん、家に取りに帰るとなると、往復の時間分、岩盤浴でゆっくりできる時間が減るし、どうしたものかな、と少し考える。

とりあえず、岩盤浴屋さんの扉を開けて、出迎えてくれたお店のおねえさんに、「実は、会員カードを入れてるお財布を持ってくるのを忘れたみたいで、今日のポイントは次回来た時にスタンプを押してもらえますか。お財布がなくて現金もないので、どこか近くでお金をおろして来たいんですけど、近くに銀行か何かありますか」と相談してみる。おねえさんは「はい。わかりました。じゃあ、ポイントは次回に合わせて、ということで。うちのお向かいのコンビニの隣が銀行なので、そこではどうでしょう」と、外を指差しながら教えてくれる。「あ、ほんとだ。あそこですね。じゃあ、すみませんが、ちょっと行ってきます」と声をかけてお店を出る。信号が緑色になるのを待って、横断歩道を渡る。コンビニの隣の銀行は、私の口座がある銀行とは別の信用金庫だけれども、私の口座がある銀行と提携しているところだから、手数料無料でキャッシュカードで出金できるのがありがたい。よかった、よかった、と思いながら、てくてくと歩いて岩盤浴屋さんに戻る。

岩盤浴での発汗後、さっぱりすっきりと会計するときに、お店のおねえさんが「わたしもよくお財布忘れるんですよ。お財布って忘れやすいですよね」と言う。お財布を忘れるということが、これまで殆どない(というふうに記憶している)わたしとしては、そんなことないやろう、と思わないでもないのだけれど、「そうなんですか。そんなことがありますか」と訊き返してみる。おねえさんは「はい。実はわりとちょくちょく忘れるんですけれど、けっこうなんとかなるんですよ」と言う。たしかに、今日も会員カードと現金は忘れたけれど、ポイントは次回入れてもらえばいいことだし、運転免許証は携帯しているからそこは安心だし、免許証入れに一緒に入れているキャッシュカードがあるから、現金を引き出す機械でおろしてくればすむことで、本当に問題なく、なんとかなった。

岩盤浴屋さんから、歯科医院に移動する道中も、要は、忘れるかどうかが問題なのではなくて、忘れたことに気づくかどうかと、気づいたときに、自分が忘れたことによって生じたかもしれない損失のようなものをそれなりに回復する手立てがとれるかどうかが大切なのかもしれないな、と考える。歯科での治療を無事に終えて帰りながら、あ、そうだ、この時間なら、パン屋さんがあいている、と気づく。おいしいパンを買って帰って、アボカドとツナを混ぜたディップをのせて夕ご飯にしよう。卵も焼いて一緒にのせよう。そう思いついて、わくわくと、おいしいパン屋さんに入る。卓上サンドイッチ(手巻き寿司感覚で卓上で各自がサンドイッチを作成して食べるメニュー)が、夫は特に大好きだから。

パン屋さんでは予定していたパンは売り切れていたけれど、代わりに「バタール」という名前のフランスパンを選んで、半分は一センチ幅に、もう半分は二センチ幅に切ってもらって購入。夕ご飯用のバタールとは別に、クルミとクランベリーを練りこんで焼いてあるパンと、オリーブの実を入れて焼いてあるパンと、ベーコンを混ぜて焼いてあるパンも、一センチくらいに切ってもらう。それから、自分のおやつ用に、小倉クリームが入っている筒状のパイのようなパンも購入。

帰宅して、手を洗ってからうがいをする。うがい用の緑茶がおいしい緑茶になって以来、もともと優秀なうがい励行率がさらに優秀さを増している。浸け置き洗いの洗濯物が入った洗濯機のスイッチを入れて、ぐうんぐおんと洗濯開始。加湿器に水を入れて作動させてから、エアコンの暖房のスイッチを入れる。PCのスイッチとこたつのスイッチを入れて、食器棚から小さなお皿を出す。さてさてさて。小倉クリームのコロンをいただきますよ。

ところが、パン屋さんの袋を開けて品物を出してみると、バタールと、クルミクランベリーと、オリーブと、ベーコンのパンはそれぞれにあるのに、小倉コロンだけがない。あれれれれ。こういうときには、こころをじっくり落ち着けて、捜すものの名前を呼ぶと見つかることがよくあるから、とりあえず「おぐらさーん」と呼んでみる。しかし今回の捜し物は、名前を呼んだだけでは見つからない類のものらしく、おぐらさんは出てこない。

仕方がないので、これはお店の人の入れ忘れなのかもしれないね、と予想して、電話をかけて訊いてみることに。レシートに書いてある電話番号に電話して、「先ほど、フランスパンやいろいろ切ってもらった者なんですが、一緒に買った小倉クリームの筒状のパイのパンが入っていないみたいなんです。レジのあたりに残っていませんでしょうか」と尋ねる。お店の人は、すぐに、「あ。すみません。あります。入れ忘れてます」と言われる。「では、これから、取りに伺ってもいいですか」「よろしいんですか。ご来店いただけますか。お待ちしております」という会話ののち、徒歩約五分の距離を車で約二分で移動して、再びパン屋さんへ。

パン屋さんに入ると、お店の人が「本当にすみません。他のパンを切る間、この台の上に置いて、そのまま入れ忘れたみたいで、申し訳ないです」と言われる。「いえいえ、大丈夫です、すぐに気づいて今日中に取りに来れましたし。閉店までに気がついて来れてよかったです」と応える。お店の人が「では、こちら小倉クリームのコロンです。あの、袋の中に、ドーナツを二つ入れてますので、よかったらどうぞ。本当にすみませんでした」と言って紙袋を手渡してくれる。「まあ、ありがとうございます。いただきます」と受け取って、また車に乗って帰宅する。さて、今度こそ、おやつね、と、小皿に小倉クリームのコロンをのせてこたつに入る。いただきます、とつぶやいてから、はむっ、ほむっと、食べる。うふふ、おいしい。

そういえば、十月に法事で広島帰省したときに、駅のお店で「羽二重くるみ」というお菓子を買ったときにも、似たかんじのことがあったなあ、と思い出す。羽二重くるみは、実家の家族たちにも人気があるからと思って、張り切って、少したっぷりめに買ったのだけれども、特急列車に乗って、指定の座席に座って落ち着いて、ふと、あれ、わたし、お店で、お釣りを受け取り忘れた気がする、と気づく。お財布を開けてみて、レシートと現金を見ると、出発前に財布に入れた金額から、羽二重くるみの代金を引いた金額よりも五千円少ない。お釣りが五千円もらえるように、端数分は小銭を出して、一万円札で支払ったんだったよね、と思い出して、とりあえずお店に電話連絡することにする。

「先ほど、羽二重くるみ二十個入りを三つ購入した者なんですが、合計金額いくらのところで、一万円と小銭とをお渡しして、そのあと、お釣りの五千円を受け取り忘れたみたいなんです。またのちほどでも、お時間の大丈夫そうな時に、レジの余剰金を確認してみていただけますでしょうか。それでもし五千円多い場合は、わたくしの受け取り忘れた五千円かと思いますので、ご連絡いただけますか。レシート番号は何番で、レジの時間は何時何分と、レシートに刻印されています」と、携帯電話からの通話で伝える。お店の人は「はい。すみませんが、今すぐレジを閉じることができませんので、いったんお電話切って、またのちほど確認してからお電話さしあげてもよろしいでしょうか」と言われる。「はい、お願いします」と電話を切って、京都駅で特急から新幹線に乗り換えているところに、お店の人から電話が入る。

「レシート番号何番ですと、お買い上げ内容が羽二重くるみ十個入り二個となっているのですが、それでお間違いなでしょうか」
「いえいえ。それは違います。わたくしが購入したのは、羽二重くるみ二十個入りを三個です。合計金額はいくらです」
「そうですか。レシート番号何番のお買い上げ内容は、こちらの控えでは、羽二重くるみ十個入り二個になっているのですが」
「レジの控えのレシート番号の事情はよくわかりませんが、わたくしが手元に持っておりますレシートの内訳は、羽二重くるみ二十個入り三個で、金額もその金額になってます。時刻は何時何分と書いてあります」
「そうですか。では、すみませんが、レジ精算して確認してみますので、もう少しお時間ください。今日の夕方頃にはご連絡差し上げられるかと思いますので、よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、お手数おかけしますが、よろしくお願いします。ご連絡お待ちしております」

それから、新幹線の中で、お昼過ぎの山陽の風景を眺めながら、のんびりとぼんやりと過ごす。夕方に電話がかかってくるかも、ということは、実家に到着しても、携帯電話を傍に置いておくようにする必要があるのね、と思いながら。そう思って、三十分も経たないうちに、ふたたびお店からの着信。

「レジ精算をしてみましたところ、たしかに、ちょうど五千円、レジのお金が多くありました。お釣りをおわたしするのを忘れていたようです。本当にすみませんでした。お電話くださるの、気分がよくなかったでしょうに」
「ああ。ありましたか。よかったです。羽二重くるみを受け取った後、駐車券のことを教えていただいたり、紙袋を多めに付けてくださったりで、なんだかばたばたしてましたから、お互いうっかりしたんだと思います」
「あ。あのときの、駐車券のお客様ですよね」
「そうです。一日二十四時間駐車で最大千円のところの駐車場の」
「ああ。そうでした、思い出しました。一万円と小銭をいただいて、五千円お返し、と思ったのに、駐車料金のお話したりしてたら、そのまま、ああ、そうです、わたしです、わたしの接客でした。すみません」
「いえいえ。無事にわかりましたから、もう大丈夫です」
「お釣りのほうは、どのようにお返しする形にいたしましょう」
「今、広島に向かっているところで、明日の夕方そちらに戻りますので、そのときに、また、お店に立ち寄ります」
「まあ、よろしいんですか。ご来店いただけますか。お手数おかけして本当にすみません」
「いえいえ、こちらこそ、レジを確認していただくのに、お手数をおかけいたしました。ところで、営業時間は何時まででしたでしょうか」
「はい。夜の七時までなんですよ」
「明日は六時半ごろ到着予定なので、営業時間中にうかがえるかと思います。もし、何かで間に合いそうにないときには、またあらためてお電話しますので、そのときには相談にのっていただけますか」
「はい。承知いたしました。では、お待ちしておりますので、よろしくお願いいたします」

そういういきさつで、無事に五千円の在り処がわかったんだよ、と、新幹線の中で夫に話す。翌日の法事のあとの会食では、隣の席に座る義弟(彼も羽二重くるみ好き)に、こんなことがあったんだよ、と話す。だから、何時何分の新幹線で出発しなくちゃ、なの。羽二重くるみ屋さんの営業時間に間に合うように。そうしたら、法事と会食終了後に、義弟と妹が彼らの車で、私と夫が乗る予定の新幹線の時間に合わせて駅まで送ってくれた。車を降りるときに、義弟が「みそちゃん。今度は、忘れんと、お釣り、ちゃんと受け取って帰ってね」と声をかけて念を押してくれる。「ありがとう。気をつける」と応えて、妹夫婦に手を振って車を見送る。

途中乗り換えの京都駅では、ホームから見えるお月さまがたぶん三日月前後の状態で、なんだかとてもかっこよくて、三日月を国の旗のデザインに入れたくなる気持ちもわかるなあ、と、思う。満月や新月や半月や三日月を、何度も何度も繰り返しているだなんて、お月さまも地球も太陽も、みんな気長な人たちだなあ、ということにも感心する。

特急列車は何事もなく、定刻通りに到着する。改札を出たら正面にある建物の中に入って、羽二重くるみ屋さんに立ち寄る。「昨日、お電話さしあげた、どうやら、なんですが」と名乗ると、前日接客してくださった店員さんが「わざわざありがとうございます。本当に申し訳ないことでした。こちらがお釣りの五千円です。ご確認ください」と、茶色い封筒に「どうやら様。五千円」と書いてあるものを手渡される。中身を見て「はい。たしかに。五千円札一枚受け取りました。ありがとうございました」と伝える。お店の人が「このたびは、ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした。あの、こちらは、店長から、お詫びとしてお渡しするように、ということでご用意したものなんですけれど、どうぞお持ち帰りください」と、箱の入った紙袋をくださる。「まあ、そんな、お気遣いありがとうございます。ありがたくいただきます」とお礼を言ってお辞儀をして、それから駐車場に向かう。

帰宅してから、もらった袋の中の箱を開けてみたら、羽二重くるみが十個入っている。夫が「みそきちが、うっかり、ぽんすけ、ドポンスキーで、五千円を保管してもらった上に、羽二重くるみを十個ももらうなんて、おぬしもワルよのう」と言う。

「たしかに、私もお店の人もうっかりしたけど、元はと言えば、どうやらくんの中の、とりあえず妻に逆らいたい小人、の、せいだと思うな」
「また、そんなこと言って、みそ文に書くつもりじゃろう」
「たぶんね。でも、今はまだ、どうやらくんの所業に呆れてるから、すぐには書けないけどね、ほとぼりが冷めて落ち着いた頃に、また別途、書くよ」
「あああ。また、俺が悪者になるんじゃ」
「どうやらくんは、悪くはないよ。ぽんすけ、なだけで」

それから、旅の荷物をひととおり片づけて、実家の家族たちに、無事に帰宅したよ、のメールを送信する。義弟には、「羽二重くるみのお釣りの五千円、無事に受け取って帰りました。お詫びにと、羽二重くるみを十個もらいました」と報告したら、「みそちゃん、それ、ぶち得したじゃん」という返信。

以上の出来事を鑑みるに、あのときのわたしと店員さんと、今日のパン屋でのわたしと店員さんと、今日の岩盤浴屋でのわたしには、共通性があるように思う。ただ単に何かを忘れたというだけではなくて、そのあとの対応策を講じることで事なきを得ていて、問題がないのがいい。これは、わたしの、忘れっぽさ、の才能だけによるものではなくて、忘れん坊妖怪の仕業というかおかげというか、そういうものなのではないかなあ。なんだかよくわからないけれど、忘れん坊妖怪は、なんとなく、いいやつ、のような気がするな。

おまけ。
「みそちゃん、それ、ぶち得したじゃん」の「ぶち」とは、広島弁で、とても、すごく、たいへん、非常に、などをあらわすときに用いる語彙。
「うっかり」「ぽんすけ」「ドポンスキー」とは、夫がわたしの忘れっぽさや過失具合などを形容するときに用いる言葉で、左から順に出世魚のごとく、うっかりや過失の度合いが増す。今のところ「ドポンスキー」が最上級。     押し葉

黄金の倍増

「黄金のカステラ」
なんとなく、なんだかずいぶんながいこと、カステラを食べていない。

「歯磨きの記憶」
この同僚は、少し前に三十歳の誕生日を迎えた。今日は事務室まで来たところで、「ああ。事務室に何をしに来たのか思い出せない」と頭を抱えていて、わたしが「そういうことはよくあります。そういうときには、初心に帰って、もともといた場所に戻ってみると、たいてい思い出しますよ」と助言したところ、素直に事務室を出て行った。そしてすぐに戻ってきて「思い出しました」と言う。「おお。元いた場所まで戻る前に思い出せたとは。よかったですね」と寿ぐと、「なんでしょう。なんかいやです」と言う。彼女もそろそろ健脳サプリが飲みたくなるだろうか。

「記念日レストラン」
このレストラン、先日、たまたま前を通りがかったら、なくなっていた。建物はあるのだけど、看板が税理士事務所に変身していたから、たぶんもうレストランではないと思う。

「ヤンキーあがり」
なんとなく、なんだかずいぶんながいこと、ヤンキーという言葉を使っていない。

「ポイント三十倍」
この当時は、つらくてやめたポイント三倍だったけれど、このポイント倍増サービスをやめたところ、競合他社のポイント倍増サービスにお客様が流れてしまい、さらにつらいことになったため、ポイント倍増サービスを再開した。     押し葉

歌わなくなった音楽家

「朝礼前の音楽家」
この頃のことを思うと、職場で歌ったり踊ったりしなくなったなあ。業種や仕事のシステムが以前の職場とは異なるとはいえ、自分の歌や踊りで誰かに仕事の開始を待ってもらうこともなくなって、いろいろと自分の成長を感じることであるよ。職場では歌わないけれど、自宅や車中では歌う。

「みづ」
当時はあった蜂蜜の大瓶入りの取り扱いが、今はない。最近は、蜂蜜に関しては、手のひらサイズの小さなボトル入りのみの取り扱い。

「物忘れ道」
人生いろいろと忘れるくらいでちょうどよく生きていけるのかもしれないな。     押し葉

歩いて歩む

「巡回」の頃は、店内を運動代わりにてくてく歩いていいのだろうか、などと思っていたけれど、店内巡回は重要。巡回すると、店内のいろんなことに気づきやすくなる。防犯対策としても大切。窃盗の痕跡が見つかることもあれば、従業員が近づくことで窃盗を防止できることもある。来週は、健康診断を受けることだし、いつもよりも積極的に店内を巡回して、体液循環をよくしておこう。

「翻訳大会「とりえ」」
我ながら、自分は面倒くさいなあ、と思いながらも、こういう翻訳作業を地道に重ねてきた甲斐があり、自分に対して、それはこうだよ、と教えたり伝えたりできることが増えてきた気がする。     押し葉

ぼんぼん、と、きゅうきゅう

「あれちょうだい」を読み直してみて、そういえば、そんなお客様がいらっしゃったなあ、と思い出し、そういえば、先日ご来店のお客様は、同じ商品のことを、「きゅうきゅう」と呼んでいらっしゃったなあ、と思い出した。「きゅうきゅう」の「きゅう」は「球」と思われる。     押し葉

脳健後記

校正作業をしていると、2008年のわたし、日記更新し過ぎだよ、と、少しだけ泣きそうになる。短文で仕上がっていると、作業のラクさゆえ「でかした、自分」と思い、少し長めの場合は、もう、これは直す、と決めている数点のポイントだけ見て、文のリズムなどの細かいところまでには、できるだけ手をつけずにいこうね、と、自分と語り合う。

今回見直した日記のうち、「脳健活動」によると、わたしは、ギャバ以外にも、イチョウの葉エキスとDHAを飲むことにした、と書いている。そんな決意をしたことを、すっかり忘れていたことに、今日初めて気がついた。現時点では、GABAは毎日真面目に飲み、イチョウ葉エキスは夫とは別の会社のものを出勤前に思い出したときのみ一粒飲む。DHAに関しては、どういう理由でだったのかはよく思い出せないのだけれども、魚の頭を食べ過ぎた時のような感触を胃腸に感じるから、というような理由で飲まなくなったような、ちがうような。

当時と違って、今のわたしは、少々何かを忘れても、ぎょっとしたりはしなくなり、はいはい、忘れたのですね、では、どうすればいいかな、と、落ち着いて、冷静に、すぐさま対応策の思考と行動に移れるようになったのが、大きくなって良かったね、であり、サプリのおかげだなあ、と思う。

「脳健活動」
「働き者」
「おやつに注意」
「えいが」
「空飛ぶ十二歩」     押し葉

近い昔と遠い昔

2008年分だけでも、年内に製本にこぎつけたいものだ、ということで、再びこつこつ校正作業。実際にこれらの記事を書いたのは、おそらく2007年から2008年前半にかけての時期で、それを2008年の秋から、「みそ文」に掲載し始めた。今になって読んでみると、当時新型だったトイレが、今ではそれほど新型ではなくなっていたり、記事内容当時幼稚園児だった甥や姪が小学校で高学年中学年になっていたり、と、なんだかずいぶん昔の話になっていて、ほんの数年のつもりでいるのに、ずいぶんといろんなことが経過しているのだなあ、と、あらためて思う。その割には、自分が幼い頃の記憶は、なぜかあんまり遠くない。

「サンタさんがくれたピアノ」
「貼り薬」
「新型トイレ」
「小谷温泉と来馬温泉の湯治」
「アボカドの体験」
「万歩計」
「ぷ、のつく錠剤」
「不二子」
「まぶだち」
「きゅうり」
「夏プール」     押し葉

タイヤのお礼の宴

今朝、わたしが、すやすやと眠っている間に、車のタイヤ交換を、一人で済ませたという夫への感謝の気持ちをこめて、「どうやらくん、今日は、何が食べたい? なんでも言ってみて」と声をかける。最初は「うーん、なにかなあ。考えとく」と言っていた夫と、夕方よりも少し早い頃に、一緒に出かける。

まずは、ガソリンスタンドで、ガソリンを入れる。給油してもらっている間に、タイヤの空気圧調整機を借りて、交換したばかりの冬用タイヤの空気圧を調整する。夫がタイヤから外した空気注入口部の蓋を私が手のひらで受けて、夫がタイヤの圧を一定の数値にし終えたら、私がきゅきゅっと蓋を閉める。四個のタイヤの空気をそうして全部調整し終えて、これで安心して冬の道路を運転できるね、と、安堵する。

それから、少し離れたところにある、個人商店の日本酒屋さんに向かう。そこで、実家の父の誕生日プレゼントに日本酒を選んで送る。夫は「おとうさんは、純米大吟醸派じゃけん」という基準で、こちら方面とその周辺地方で産出されたものを選んでくれる。わたしは何かの銘柄を長く記憶しておくことがあんまり上手ではないのだけれど、夫には、これまで父にプレゼントした日本酒の銘柄を自動で脳内に再生できる機能がついているらしく、これまで贈ったことのないものを、という基準も足したうえで選んでくれているらしい。日本酒を発送したついでに、地元の日本酒の酒粕が販売されているのも買い求める。この銘柄の酒粕はこの時期にしか出回らなくて、しかも少しだけ高価だ。その酒粕を使った甘酒は、澄みきった透明感のある味わいで、そして喉越しがなめらかで、体にするすると入っていく。

我が家では、酒粕の甘酒を作るときに、水に溶かして加熱して、そこまでで完成にして鍋にそのまま置いておく。甘酒として飲みたいときには、マグカップの中で砂糖か何かの甘みを加える。私はそこにさらに豆乳を加えたものが大好きなのだけれども、夫は必ず「豆乳なしでお願いします」と所望する。砂糖を加えていない鍋の酒粕溶液は、みそ汁の仕上げに少し多めに加えて粕汁を作るときにも使う。ちなみに甘酒に関して、私は、酒粕の固形がまったく感じられないほどさらさらになるまで酒粕を細かくかき混ぜてあるものが好きで、妹は、酒粕の固形ができるだけ大きな形で残った状態のものが好きらしい。

酒屋さんでの用事を終えたら、自宅の近所のスーパーで、一週間分の食材を買う。一週間分、といっても、実際には、一週間の途中で、生協さんの配達が一回あるから、そのときにも数点の食品が届く。

そうそう。食材買い出しの前に、同じ敷地内の本屋さんに立ち寄って、年賀状版画用の本を買う。一通りのデザインを見て、「わたしは、うちのこたつ布団の柄のうさぎの絵がかわいくていいなあ」と希望を言ってみたけど、版木に絵を描き、版木を彫るのを担当する夫が、デザイン画集のイラストを見て、「これがいい」と言うから、年賀状のデザインはそれに決定。彫刻作業は手間だから、彫る人が彫りたいものを愉しい気持ちで彫れるものを彫るのがいいと思う。うちのこたつ布団のうさぎ模様に比べると、そのデザインのうさぎは少し生々しいかんじなのだけれども、まあ、いいんじゃないかな。

スーパーでカートを押しながら、「さあさあ。どうやらくん。食べたいもの何か思いついた? 何でも言って。タイヤ交換のお礼じゃけん。何でも買うてあげるけん。なんでも作ってあげるけん」と訊いたところ、夫が「うーん、今日は、なんか、レトルトカレーの気分やなあ」と言う。「そうか。レトルトカレーか。よし。いいよ。任せて。好きなの選んで。高いのでも遠慮せずにね」と促す。「カレーは食べたいけど、野菜も食べたいなあ」と夫が言うから、「じゃあ、レトルトカレーとは別に、鶏肉とニンジンを炒めよう。今日プランターから収穫したガジュツ(紫ウコン。ターメリック)も少し入れてみよう。ホウレンソウもささっと炒めて、カレーと一緒に食べよう」と応える。夫は「それ、いいね、おいしそう」と言いながら、レトルトカレーを選ぶ。私は、タマネギとニンニクを避ける必要があるから、なかなか食べられるレトルトカレーはないけれど、もしかしたら何かあるかも、と、根気よく商品の原材料名を見てみたら、エスビーのクリームシチューのレトルトには、タマネギが入っていないことに気づく。へえ、そうなんだあ、と感心しつつ、じゃあ、わたしはこれにする、と、そのレトルトシチューを選ぶ。夫が「カレーにフライをのせたい」と言うから、揚げものコーナーに向かう。我が家では、わたしが食べられないからという理由で自宅で料理されることのない「牡蠣フライ」だが、その「牡蠣フライ」のパックを選んだ夫は「牡蠣フライカレーにする」と満足そう。もちろん自宅で揚げてもいいのだけれども、牡蠣四個だけ、というのは、生ではあんまり売っていないし、夫はここのスーパーの揚げものをときどき買って食べることをそれなりに好んでいるから、そのお好みどおりに。

それから、スーパーの外で販売されている茹でたてのセイコカニを買い求める。この冬の初物だ。セイコカニはメスのズワイガニで、体の大きさは小さくて、脚の可食部は少ないけれど、お腹のミソ(内子)がこっくりとしていてたいへんにおいしい。とはいうものの、カニミソのおいしさがわかるようになったのは、ここ十年くらいのこと。本当は外子(蟹の卵)もおいしいらしいけど、私はまだ、その珍味系のおいしさがわかるほどには大人になっていないため、外子はいつも夫か誰か外子好きな人に譲る。セイコカニは、食前のおやつに最適なおいしさ。

帰宅して、おやつのセイコカニを一杯ずつ食べる。「くう。おいしいねえ。めんどうくさいけど、おいしいねえ」と言う以外は無言。セイコカニを食べてお腹が少し落ち着いたところで、カレーのための炒め物たちの準備を始める。揚げ物は、揚げものがおいしく仕上がるタイプのキッチンペーパー(キッチンシート)にのせて、電子レンジでの加熱に備える。

生のガジュツを薄くスライスして鶏肉と一緒に炒めたら、それだけでフライパンの中がカレーっぽい香りになる。実際に食べてみたら、口から喉から食道から胃にかけて、爽やかな香味が貫く。夫が「なんか、これって、なんだっけ、ほら、胃薬を飲んだときみたい」と言う。「どうやらくん、このガジュツはね、私の職場の勉強会で、胃腸薬のメーカーさんがそこの胃腸薬の原材料生薬としてくれちゃった球根が成長してできたものなんじゃけん、胃腸薬の味がするよ。そこの胃腸薬の主成分、ほとんどガジュツだけじゃもん」と説明する。

以上、タイヤ交換の感謝の気持ちがたくさんこもった、お礼の宴。     押し葉

タイヤに踊る

休日に、ぐっすりとゆっくりとたっぷりとした眠りを終えて、体の中の疲労物質をすべて代謝したような、すっきりとした目覚めを迎える。眠りの世界を自由気ままに飛び回っていた自分の魂のようなものが自分の体の中にぴったりとおさまって、活動の世界での体の操縦の準備を整えたような感覚。

この時期のこの地方にしては、めずらしくおひさまが輝いていて、温かな風がおだやかに吹くお天気。ああ、これは、タイヤ交換日和だな、と、休日とお天気のタイミングのよさににんまりする。近所の人たちがタイヤ交換をしている気配とその工具の音が聞こえる。よし、タイヤ交換がんばるぞ。

「おはようございます。いっぱい眠ってすっきりしたー」と、居間でネット囲碁中の夫に声をかけると、「おはよう。よかったね」という返事。いつものように、たっぷりの紅茶にたっぷりの豆乳を入れて、計量カップのようなマグカップで、ぐびりぐびりと、飲む。この豆乳紅茶が体に入ると、体がより本格的に活動開始を自覚する。それから、食前のサプリメントを豆乳紅茶でこくこくと飲む。豆乳紅茶と食前のサプリ、これをパターン化するようになってから、私の体調はかなりよい。若かったころ、十代以前よりも、十代二十代三十代の頃よりも、ずっと体調が軽やかでおだやか。若い頃にはそれなりにこなしていたつもりの「無理」は利かなくなったし、興奮と熱情を伴う躍動感の中にはいないけれども、「無理」をしたい気分もないし、若いときはよかったのに年を取って残念だなあという思いはさらに全くおそらくひとつもない。むしろ、神さまお願いですから、私をもう二度と若いときには戻さないでください、ああいういろいろはもう十分にごちそうさまです、若気の至りもお腹いっぱいです、あとはもうひたすらに、この世を修了するそのときまでを、そのときに向かって、しあわせな気分と上機嫌のピークを、昨日よりも今日、今日よりも明日、明日よりも明後日と、吊り上げてゆく所存にございます、不本意なことやかなしいことは放っておいてもいろいろとありはするものですが、それで自分のしあわせや上機嫌が損なわれることはありません、それはそれ、これはこれですゆえ、右肩上がりのピークについては、私にお任せくださいませ、身体の不調に対するメンテナンスや予防や対策を上手に行う知恵と工夫に恵まれれば、年齢そのものを重ねることは、どんとこい、でございますので、そういうことでなにとぞよろしゅう、と、心をこめて念を天に飛ばす。

わたしがサプリメントを飲み終えて、林檎をむきながら、林檎、酒まんじゅう、ヨーグルト、というメニューの食事をしようと準備していたら、夫が「タイヤ交換、済ませたからね。みそきちが寝てる間にしておいたよ」と言う。今日、夫と連係プレイで予定していたタイヤ交換。毎回夫と二人で、重たいタイヤを持ち上げて車に設置するところは夫メインで、こまごましたものや取り外したタイヤを転がして倉庫に片づける作業は私メインで、行う。雪が降る前と、雪が立ち去ったあとの時期に、毎年必ずする作業。正直なところ、「やったあ。またタイヤ交換ができるだなんて、うれしいっ」とは全く思わなくて、雪道運転のことを考慮して、淡々と、粛々と、行う種類の作業だ。だからといって、タイヤ交換は気が重いかというと、そうでもない、というか、そんなことに気の重さをのせるのはもったいない、というか、雪国のどんより気候で放っておいても気が滅入るのに、そんなことで気の重さを自分で追加してどうする、なのだ。自分の気の重さは、もっと別の、本当にどうしようもなく気が重くあるべきことのときに使う貴重で希少なものだから、そう気易く使うわけにはいかない。

けれども、自分の休日に、ぐっすり眠って、起きてみたら、「タイヤ交換できてるよ」と自分以外の誰かが言ってくれる。それがこんなにうれしいことだとは、これまでまったく知らなくて、どうやらくん、ありがとう、夢みたい、ほんとうに夢みたい、と何度も何度も何度も言う。夫は「まあ、みそきち、くうくう寝てたしな。ある意味夢のうちなんじゃないかな」とこともなげに言う。「ああもう、どうやらくん、今日は、どうやらくんの何か食べたい好きなもの、なんでも、私ができる範囲なら、なんでも作ってあげるから、言ってみて言ってみて」と、こころも体も小躍りする。しあわせと上機嫌のピークが、いっきに高い位置に跳ね上がり、その地点で踊り続ける。

いい日曜日だ。万歳。     押し葉

旅先での過ごし方

旅先での、わたしの好きな過ごし方。地元のカフェや喫茶店などに入る。ティーポット入りの紅茶があればそれを注文する。たっぷりゆっくり飲めるから。たっぷりのティーポット入りがないときは、カップで飲み物を頼む。スターバックスなどであれば、ヴェンティという最大サイズ(590ml)のカップで注文する。お店に読み物が置いてあれば、その地方の地元新聞を読む。全国紙と共通の話題よりも、地元の求人広告や地域の催し物関係を中心に。もっと小さな個人経営のお店だと、地元の広報誌が置いてあることもあるから、それも読む。ここの自治体はこういうことに力が入っているところなんだなあ、だとか、こんな自治体サービスがあるのはいいなあ、と、ほう、ほほう、と、感心しながら。

一通り読むものを読み終えたときに、周りの人たちが何か話をしていれば、なんとなく耳を傾ける。聴き耳を立てるというほどではない、ぼんやりな聞き具合。地元の年輩の方たちが政治談議などをしているのが聞こえると、こういう茶店で、一般庶民が、こんなふうに「まつりごと」について思い思いの意見を交わすことの、思想や言論の自由と民主主義な様子がうれしくて、ぼーっとうっとりじんわりとする。

それから、たいていいつも持ち歩いているはがきか便箋を取り出して、友人への手紙を書く。どこに来ていて、どんな街で、どんな気候で、どんな景色で、どんな空の色で、どんなふうに過ごしているか、を、思いつくままに書き綴る。旅行とは全然関係ない話題で埋まることもある。はがきならば、郵便ポストを見つけ次第投函して、便箋ならば封筒に入れて持ち歩き、切手を買えるところを見つけたら、そこで切手を買って貼って投函する。

あとは、早めに宿に入り、大浴場があるところならば、一番風呂(一番でなくてもいい)にゆっくりと入る。広い浴槽で全身を伸ばしてから、お湯の中で自分の体を丁寧にじっくりとマッサージする。お風呂上りのほてった体を部屋に帰って横たえて、持参の中山式快癒器に身を任せる。ぐりぐりと、もみもみと、体全体をほぐして、深くゆるやかに息をする。そうしていたら眠気が来るから、するりとお布団にもぐりこむ。そして少しお昼寝(夕寝)する。

夫は、旅先では、小高い所に登るのが好きだ。展望台があればそこまで、お寺があれば石段をひたすら、小山があればそのてっぺんまで、登らずにはいられない。私はふもとから、坂を登って小さくなってゆく夫の姿を眺める。どんどん小さくなって他の人との見分けがつかなくなり、そうしてやがて見えなくなる。夫を待っている間、周りをゆっくりと見渡す。遠くを近くを足元を。葉っぱの葉脈に見入ってうっとりとしたり、木の実をじいっと見つめたり、その場のにおいを感じたり、いろんな音に耳を澄ましたり、うるさければ耳栓をして音を遮断してみたり、蜘蛛が巣を作る様子を「じょうずだねえ」と感心しながら眺めたり、触っても大丈夫そうな大きな樹の幹に手のひらと足の裏をあてて自分の中のいろんなものを放電して木に吸い取ってもらったり、座って自分の足の指を手でぐにぐにと前後左右に動かしてマッサージをしてみたり、体全体をぐううんと伸ばして曲げて体操をしてみたり。あるいは、最初に書いたような茶店で待っている間に、夫は一人で小高い所に登りに行く。そのときそのときの場所で、私が過ごしたいように過ごしていると、しばらくのちに夫が、「満足したー」と嬉しそうに戻ってきて、それでは、と、出発する。

そんな旅の過ごし方。     押し葉

蜜柑狩りの洗脳

ある日職場で同僚が、「すこやか堂(私たちの職場)のキャンペーンに応募したら最新型のスチームオーブンレンジが当たったんです」と言う。たしかに、少し前に、そんな景品が当たるかもという応募用紙が売り場にぶら下がっていた時期があった。それにこまめに応募する人もいるのだなあ、応募すれば当たることもあるのだなあ、と感心しながら話を聞く。同僚の説明によれば、スーパーで買った冷えたお惣菜も、このスチームオーブンレンジに入れてスイッチオンしてしばらくすると、できたて以上のおいしさになって、家族全員で感動中なのだそうだ。同僚がそれまで使っていたオーブンレンジは、親戚の家に異動して現役活躍続行とのこと。

その数日後、また同じ同僚が、どこかのスーパーのキャンペーンはがきを出してみたところ、「みかん狩りツアー」無料ご招待券が当たった、と言う。バスに乗って、朝出発して、現地でお昼ご飯を食べて、ちょっと観光して、みかん農園でみかんをもいで、お持ち帰り袋にたっぷり詰め込んで帰る、というもの。けれど、ご招待は一名様だけで、同行者参加の場合、その同行者は一人一万円かかるとのこと。

「最初は、一人で行ってこいや、いうて言ってた主人なんですけど、そういえば、うち、スチームオーブンレンジも当たったことやし、一万円くらいなら出して、二人で一緒に参加しようか、って言ってくれるんで、二人で行ってこようかと思うんです。一人五千円でこのツアー内容なら、ま、いいかな、と思って」
「それは、よかったですね。たのしんできてください」

そう話してから、何日かして、その同僚が、「実は、あのツアー、やめました」と言う。

「蜜柑狩りツアーのことですよね。何か事情でも?」
「それがですね、あれから、うちの主人が、何気なく、ネットを見るついでに、そのツアーとツアー会社について調べてみたら、どうもある種の悪徳ツアーというんでしょうか。ネットには、もっと具体的なスケジュールが書いてあって、現地到着後最初の九十分は、毛皮のお店に拘束されて商品の説明を聞き続けることになってたんです」
「うわあ。それは。面白そうですねえ」
「それで、夫が、自分はそんなのに興味ないから、九十分もそんな時間があるなら、やっぱり行かないって。わたし一人で行ってこい、って言うんです」
「あらら。まあ、一人でツアーバスに参加するのも、それはそれでけっこう楽しいこともあるんですけどねえ」
「でもですね。私は、ダメなんです。昔、お店の店員さんに、よかったら羽折ってみてください、って声をかけられて、よくお似合いですよ、って言われたコート、別に欲しいわけじゃないのに、十三万円も出して、月々一万三千円ちょっとのローンを組んだんですけど、買ってしまったんです。だから、密室で商品説明を聞き続けたりするのは、危ないと思うんです」
「買っちゃうんですか?」
「いえ、当時は正社員でそれなりに収入があったから、っていうのもあるし、今は、その時と違って、収入少ないから、お金がない、っていうことが、歯止めになってくれるとは思うんですけど」
「低額のローン提案があったりすると」
「はい。サインしちゃいそうなんですよ」
「でも、それが、自分の欲しいものなら、それはそれでもいいような」
「いえ、ダメです。十三万円のコートもそうでしたけど、欲しいから買う、というよりも、お店の人に断るのが悪いから買う、ってかんじですもん。ダメです」
「そうか。それはよくないですねえ。ああ、そういえば、なんですけど、昔、宝石を何十万円かで買わされた話をしてくれた人がいたことを思い出しました。宝石商のおねえさんに呼び出されて、喫茶店のボックス席みたいなところで、延々と、その宝石がどれほど素晴らしいかを聞かされて、そこから帰りたいあまり、購入のサインをしてしまう、とか、なんかそんな話だったような」
「ああ、わかります。私、それと同じかんじの営業方法ので、補正下着、買ったことありますもん。子どもを産んだ後、どうにかしなきゃ、と思ってたタイミングだったんですよねえ。補正下着セット十二万円でした」
「うわわわわ。えーと、美味しいミカンは、それはそれで買って食べてもいいですしね。ご招待されたツアーに、休日一日つぶして無理に参加しなくても、ですね」
「はい。だから、やめることにしたんです。夫と二人で一万円出して蜜柑狩りツアーに行くつもりだったその一万円が浮いたから、代わりに、家族で、焼き肉屋さんに食事に行くことになりました」
「おお、それは、よかったです。お子さんたちも喜ばれるでしょう」
「はい。でも、その焼肉も、スチームオーブンレンジが当たって、蜜柑狩り招待ツアーが当たって、行こうと思ったけどやめて、っていう成り行きがあって、出そうと思っていたお金が浮いた感があればこそだなー、と思って、まあ、よかったなあ、と」
「ほんと、よかったです。怪しい毛皮説明会に参加することなく、安全に、蜜柑を買って食べる冬、焼肉もおいしいね、めでたしめでたし、ですね」

タダで当たるツアーは要注意なのかも、と、夫に話すと、夫は「それくらい、ふつうちゃう? タダで招待したぶんをどこで回収するか、考えたら、そういうことになるやろう」と言う。ほうほう。なるほどなあ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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