みそ文

キティとプーと外国と

「キティさんの活躍」

キティさんのことを、私は「キティさん」と、さん付けで呼ぶのだけれども、私がそう呼ぶのを聞いた人がときどき、「キティに、さん、をつけるのは、珍しいよね」と言うことがある。ところが熊のプーに関しては、私はなぜか「プー」と呼び捨てる。以前の職場で、何かを話していたときに、同僚の子(当時小学四年生くらい)が、「プーさんのこと呼び捨てにしないで。ちゃんとプーさんって呼んで!」と私に訴えてきたことがある。彼女が持っているイラスト付きの何かをじっくりと見ながら、「ほら、ここに、英語で書いてあるでしょ。ウィニー・ザ・プー、って。イギリスやアメリカの子どもたちは、この熊のことを、プーって、親しみをこめて、さんをつけずに呼んでるよ、たぶん。だから、私も、プーでいいと思ってるの」と言うと、「そうなの?」と半信半疑で納得してくれる。

また、別のある日には、彼女の学校の宿題で、おそらく社会科なのだろうけれど、「日本から最も近い外国はどこでしょう」という質問が出てきて、授業を真面目に聞いていて、正しい答えを知っている気満々のその子が、私と医療事務の同僚に、「答え、わかる?」と訊いてきたことがある。医療事務の女性は、私よりもずいぶん年下だけれど、そういうところはちゃんと大人で、「どこだろうねえ。どこだと思う?」と、小学生の学ぶ心に丁寧に向き合う人だった。けれど、私は、「その、日本、というときの、日本の場所がどこかによって解答は違ってくるよね。沖縄県なら一番近い外国は台湾だから中華民国が答えになるし、秋田や北海道からならロシアのほうが近いだろうし、太平洋の小笠原諸島あたりなら、サイパンやグアムが最寄りの陸地でそれだとアメリカ合衆国が最もご近所ということになるし、日本でも西側エリアに関しては韓国、大韓民国が、一番近い外国になるかな。日本海側だと特に近いよね」と応えてみる。小学生は「ええ? そんなに、近い国いろいろあるの? でも、学校の先生は、韓国が一番近い国だって。そう習ったよ」と言うから、「社会科の地図帳持ってる?」と訊いてみると、ランドセルから地図帳を取り出してくれる。「えーと。日本地図と周りの外国が一緒に表示されてるページは、ここだね。沖縄県の一番端っこからだと、韓国と台湾とどっちが近い?」というかんじで、ひとつひとつ確認する。小学生は不本意そうに、「でも、学校の先生が、韓国だって言ったのに。先生は嘘を教えたってこと?」と言うから、「嘘じゃないよ。少なくとも、今私たちが住んでいる場所から距離を測るなら、きっと韓国が正解だよ。ただ、日本、って言ってもそれなりに広いから。日本と言うときの日本の場所がどこなのか、距離を測り始める地点がどこなのかを確認してから考えるほうが、地図を見たり考えたりするときの見方や考え方が広がって、社会や地理の勉強がもっと楽しくなるかなあ」と応える。小学生の母である同僚の薬剤師女性は、「くくくくく。面白いなあ」と笑いながら見ていてくれる。

その当時小学生だった彼女は、そろそろ成人する頃なのではないだろうか。     押し葉

異国の地にてヨクイニン

先週か、先々週か、事務所でなにかの作業をしていたら、薬剤師呼び出しチャイムの音が聞こえた。はいはいはい、と、売り場に出てみると、登録販売者の男性社員が「すみません。外国のお客様で、よくわからないのでお願いしてもいいですか」と言いながら私を誘導する。誘導された先には、白色人種と思われる容貌の男性が立っていて、「これ、なおし、たい」と言って、彼の手の指にできているイボと、「疣贅(ゆうぜい)」の説明が日本語で書いてある紙を、私に見せてくださる。

その男性のお客様は、簡単な部分は日本語で、少し複雑な部分は英語でお話してくださるから、私も、簡単な部分は英語で、少し複雑な部分は日本語で、説明と対応をしてみる。実際お話してみると、日本語を話すことには少々難があるけれど、日本語を聞くほうは話すほうよりもずいぶんラクにできるようだ。私の英語や韓国語や熊本弁とおなじだね、と思うと同時に、言葉が十分に通じない土地で体調がすぐれないときの心細さや不安な気持ちを思い出し、慣れない土地で健康管理にあたるときの緊張やいろんな心中を察する。だけど、そういう境遇をある程度選んでいる人は、そういうときに対処する力もある人なのだから、だいじょうぶだいじょうぶ、と、安堵と信頼も強く持つ。

「疣贅(ゆうぜい)」つまりイボの対応としては、足のようなかたい部分であれば、市販のイボコロリなどサリチル酸系薬剤を使う場合もある。けれども、足よりも上の柔らかい皮膚の部分にこの薬剤を用いると、その部分が火傷の痕のようになって、皮膚が変色したり盛り上がったりすることがあるから、おすすめはしない。(おすすめはしないけれど、年輩の豪胆な男性の場合には「ええんや、痕が残るくらい。もうおっさんやし。病院に行くのが面倒くさいんや。病院に行かずに何かしたいんや」とおっしゃって、強引に購入なさる場合もある。)だから、痕が残りにくい治療方法のひとつとして、皮膚科で処置を受ける選択肢をご紹介する。

そのお客様は「皮膚科にはもう行ったのだ。行って、このイボの治療方法の説明は聞いた。けれど、その治療方法は、自分にとってはあまりにも長い期間がかかることと、何度も通院しなくてはならないことがわかった。だから、皮膚科ではなく、市販のもので対応したくてここに来た」という意味のことを話してくださる。

そういうことでしたら、と、外科的な処置ではなくなるけれど、「ヨクイニン」という名前の生薬エキス(ハトムギという植物の実の皮を取り去ったものを煎じて得られるもの)を飲むことでイボや肌荒れをひかせる方法があることと、その場合に用いる薬はこれで、一日三回食前に六錠ずつ飲むのです、と、実物をお見せする。

お客様は「一回に六錠も?」と、やや難色を示されるので、「とても小さな錠剤ですから飲むのは簡単ですけれど、もしも錠剤が苦手であれば顆粒のものもありますよ」と、別の箱を手に取る。私の英語での「顆粒」の発音が伝わりにくかったのか、彼の用語の中では「顆粒」が日常的な存在ではなかったのか、「顆粒とはなんぞや?」と訊かれるから、「粉ではなくて、錠剤でもなくて、カプセルでもなくて、粉末よりも粒子が大きいお薬で、少々お待ちください」と言ってから、別の売り場で顆粒状の甘味料(透明な袋に入っている)を取って持ってきてお見せしながら「顆粒はこんなかんじです」と説明する。

お客様が「顆粒の場合は、一回どれだけ飲むのか?」と訊かれるから、「箱の中に小さな袋がいくつか入っています。そのうちの一袋を一回に飲みます。一日三回食前なのは同じです」と説明する。お客様は少し考えてから、「錠剤なら飲めるからこちらにする」と、最初に紹介したヨクイニン錠を選んで、「どのくらいで効果が現れるのか」と質問される。「個人差はありますが、早ければ一週間程度で、あるいは二週間以上たってから、というあたりが目安でしょうか」とお応えする。

お客様は、もう一度、そしてもう一回、さらに再度、「朝昼夕、六六六、でいいのだな?」「朝六、昼六、夕六だな?」「六六六?」と、念を押して確認なさるから、「そのとおりです。一回六錠、一日十八錠、朝昼夕、六六六です。食前のほうが効果的ですが、食前に飲み忘れた時には食後になってもかまいませんから、六六六、で飲んでください」と念を押してお応えする。「わかった。ありがとう」と日本語言ってレジに向かわれるお客様に、「ありがとうございました。おだいじにどうぞ」言いながら、お辞儀をしてお見送りする。

縁あって、日本に来られて、たまたま出会った、ハトムギという名の植物の生薬エキスのヨクイニンが、あのお客様にとって、「ああ、ほんとだ。イボにこんなふうに効く、こんな薬もあるのだなあ」と、腑に落ちるものになってくれるとよいなあ。     押し葉

子どもと大人とみんなのカレー

小さい頃、夕ご飯がカレーだと、やったー、と思った。少し大きな子どもになると、自分でも作れるようになって、やったー、の采配が、少しだけ自由になる。もっと大きくなって、県外の大学に通うようになり、一人暮らしをする頃には、その自由度はさらに高くなり、いろんなメーカーのいろんな種類のいろんな辛さのカレールーを食べ比べたりするようになる。

小さい頃のカレーはいつも、ハウスバーモントカレー甘口。田舎の商店では他の選択肢はほとんどなかったとも言えるのだけど、十二分以上の至福感で、そのおいしさを堪能していた。中学生になって、高校生になって、もう少し辛いカレーが食べたいな、と思うときもあり、母にそうリクエストしてみたり、自分で中辛を購入して作ってみると、母は「あんまり辛いと、しめじ(弟)や、やぎ(妹)が食べられんじゃろう」と、そっと言う。それならと、あまり辛くなりすぎないように、でも少しスパイシーさも楽しめるように、甘口と中辛をブレンドしたものを作ったり作ってもらったりして食べていたような気がする。

もっとずっと大きくなって、私も、弟も、妹も、それぞれ成人した頃になっても、実家のカレーはバーモントカレー甘口で、何故未だに甘口なのかと、いぶかしんで尋ねてみると、「あんまり辛いと、おばあちゃんが食べられんじゃろう」と母が答える。ああ、そうなのか。子どもたちのためだけじゃなくて、祖母のためでもあったのか。

結婚して、夫と暮らすようになってからは、もっぱらハウスジャワカレー辛口が中心で、二人ともその辛さとスパイシーさに毎回酔う。自分の好みの辛さのものを自分で作って、家族みんな(二人)いっしょに、おいしいね、と言い合いながら食べられるのって、ほんとうにいいよね、二人のカレーの辛さの好みが似ていてよかったね、と話し合う。

夫の実家でも、夫と夫の妹が小さい頃は、ずっと、ハウスバーモントカレー甘口で、少し大きくなったり、もう少し大きくなったときに、「もう少し辛いのが食べたい」と言ってみたことはあったらしい。けれど、義母は「辛すぎるのは、体にようないよ」と言って取り合ってもらえず。いや、たしか、一回は、中辛を作ってもらってみたけれど、夫と義妹が喜んで食べる傍で、義母と義父が「こんなに辛いカレーはようない」と断言し、中辛はその一度きりになったのだとか。だから、それ以来、ずっと、甘口に甘んじていたから、大学に進学して自炊するようになって、辛口を好きなように作って食べられるようになったときには、うれしかったなあ、と、夫は語る。

今でも義実家には、ハウスバーモントカレー甘口のルーが数箱常備してある。義母は義母で、若いときも年を取ってからも、ずっと変わらずあの甘さを愛しているのだろうと思う。好きな時に好きなように好きな甘さのカレーを作って食べ続ける義母も、自分の好きなようにできてうれしいなあ、なのだろう。

義実家で、ハウスバーモントカレー甘口の買い置きの箱を見るたびに、夫は「辛いのが体にようない、とかじゃなくて、かあさんは、自分が甘口が好きなだけだったんじゃん」と思うらしい。子どもたちから「辛口かせめて中辛が食べたいよう」とリクエストを受けた時に、母の立場としては、自分が甘口が好きだから甘口で通すのだ、とは、言いづらいものなのだろうか。

最近は、私の体が、市販のカレールーの原料として含まれるタマネギやニンニクのエキスやパウダーに反応して、頭痛や歯茎の腫れが起きるから、カレーを作ること自体がずいぶんと減っている。厳密に言うならば、最近になって反応が生じるようになったわけではなく、反応は以前から起きていたけれど、その反応と食べ物や食材との関連に気づいていなかった、というほうが正しい。そして、その関連に気づいて生活するようになってみて、先日、タマネギもニンニクも原料に入っていないレトルトカレーとカレーパウダーを購入してみた。自分の体に大丈夫で、味わいとしても満足な、カレー生活に辿り着けるといいな。

インドには、ヴィーガンという種類の菜食主義スタイルがあり、そこでは台湾の「素食(そしょく)」と同様に、動物性たんぱく質だけでなく、ニンニク、ネギ、タマネギ、ニラ、アサツキなど五葷(ごくん)を用いない料理を食する。インド料理だから基本はカレーなのだけど、彼らが戒律上問題のないカレーを作って食べている、ということは、私の体に大丈夫なカレーのレシピはすでにこの世にあるはずで、だからきっと私はそこに無事に速やかに辿り着けるはず。     押し葉

やさしそうな夫再び

昨夜の日記を書いた後でいただいたコメントによると、少なくともその方が「やさしそうな旦那さん」という表現を使う場合には、その言葉は、かなり上位の誉め言葉の一種であり、「よい結婚生活を送っているのですね。安心しました。よかった」という喜びの気持ちを表したり、「さすが誰誰さんが選んだ結婚相手だけのことはある」というある種の敬意を込めたり、どちらにしても、その旦那さん自体というよりは奥さんのほうに対してかなりの好意を抱いている場合に出てくるものなのだ、ということであった。

私は、そのつまびらかで鮮やかな日日翻訳ぶりに脱帽し、おおいに感心感嘆する。いつの間に、そんなにいろんな意味が「やさしそうな旦那さん」という語に含まれるようになっていたのかは、相変わらず謎のままではあるけれど、私が自分で辿り着いた日日翻訳「穏やかなイメージの人で、少なくとも自分は好感を覚えましたよ、敵意は感じていませんよ、そしてそういう人の関係者であるあなたに対しても一定以上の好意を抱いていますよ」もあながち間違っていたわけではなく、いただいたコメントの翻訳にかなり近いではないか。私が自力で辿り着いた翻訳は、やや無粋な感じだけれども、こうして別の方の言い回しで説明してもらってみると、なんとも自然で流麗な日本語で、それでいて、たしかに、そのままを言葉にするよりは、「やさしそうな旦那さん」という言い方に含意することで、あからさまさが軽減され、奥ゆかしさが醸し出される効果を感じる。

いやはや、この年になってようやく、こうやって知ることもあるのねえ、そりゃああるよねえ、と、せっせと帽子を脱ぎまくる。せっかくだから、この感動を夫に聞いてもらおうと思い、夫に「ねえねえ、聞いて」と呼びかける。

「どうやらくんの知り合いの人、たとえば、会社の人だとか、普段は直接私のことを知らない人が、私のことをどうやらくんの妻として認識したときに、後で、私の印象に関して、何か言及を受けることがある?」
「別段、ないなあ。なんで?」
「そうか。ないのか。今日さ、どうやらくん、お店に来てくれたじゃん。そのあと、同僚の人たちが、しきりに、旦那さん、すごくやさしそうな人ですね、って言っててね」
「うん、そのとおりじゃん」
「そのとおりはそのとおりだけど、やさしそう、っていうのがもうひとつよくわからなくて、やさしい、はわかるんだけど、やさしそう、っていう印象が、どういうイメージなのかわからなくて、質問したら、むやみやたらに怒らないかんじで、ぎゃんぎゃん言わないかんじ、だって説明してくれちゃったんよ」
「まさにそのとおりじゃん。むやみに怒らんし、ぎゃんぎゃん言わんじゃん」
「言わないよ。でも、それは、私もそうだし、たいていの人がそうでしょ?」
「それは、人間の条件か?」
「そこまでは言わないけど、ある意味人としての基本だとは思ってる、と思う。少なくとも自分にある程度選択肢も選択権もある状態で、むやみやたらに怒る人やぎゃんぎゃん怒鳴る人を結婚相手に選ぶことはないし、親しい交友関係者として付き合うこともないと思うん。何か事情やいきさつの関係で、そういう人と共通の場で過ごす成り行きになったときには、心理的なり物理的なり、何か絶対的な距離を確保して自尊心の保護と育成に努めると思う」
「ふうん」
「でね、もしかすると、やさしそうな旦那さんですね、ていうのは、あなたの配偶者にとりあえず好感を覚えましたよ、少なくとも敵意は抱いていませんよ、そして、あなた自身、あ、今回の場合だったら私のことね、に対しても一定以上の好意を抱いていますよ、って言う意味じゃないかなあ、と思ったの」
「うわ、そこまで持ってくるか」
「うん。ここまでは、自分で翻訳できたところなの。でもね、ここまで翻訳できたのを、みそ文に書いてアップしたらね、コメントをもらってね、その人の説明だと、もっと腑に落ちやすいし、表現も自然なの」
「どんなん?」
「えーとね、その人にとってはね、あ、その人は女性の方なんだけどね、やさしそうな旦那さん、という表現を使うときには、それはかなりランクの高い誉め言葉なんだって」
「誉め言葉か? まあ、誉め言葉か」
「誉め言葉、であると同時に、よい結婚生活をしようてんですね、安心しましたよ、よかった、っていうその人の喜びを表す表現でもあり、さすが誰誰さん、素敵な結婚相手を選んでいらっしゃる、というある種の尊敬を込めたり、それよりもなによりも、その旦那さんのほうよりも奥さん自体に対する大きな好意があるときに出てくる言葉なんだって」
「うわー。そこまで言うか」
「たしかに、私の翻訳よりも、無粋じゃなくて、粋、でしょ? 一定以上の好意、とかいうよりも、日本語として自然でしょ? それにね、私も思ったんだけど、たしかにね、自分が好意を持つなり肯定的に認識していない人に対しては、わざわざその人の配偶者の肯定的印象を伝えたりしないかも、っていう気がする」
「ほほう」
「それにね、この翻訳だと、私が非常に気分がいいから、今度から、誰かが、どうやらくんのことを、やさしそうな旦那さんですね、って言った時には、自動的にこの翻訳を脳内に再生しようと思うん」
「ごっつぁん」
「でも、それにしても、みんな、どこで、こういう含意、言葉にその言葉以外の意味を含ませるっていう意味の含意ね、の技を身につけるんだろうねえ。まあ、私はもともと、言語能力高めの割に、そういう含意技がどちらかというとかなり低い自覚はあるんだけど、どこで習い損ねてるんだろうねえ」
「ああ、なんか、たいへんやなあ」
「え? 誰が? そういう含意表現を日常的に使う人たちのこと?」
「ちがう。Youだよ、you、君、きみ、みそきち」
「え? 私? なんで?」
「一般的には、成長の過程で、自然に身についているそういうものを、他の人はどこで習ったんだろう、とか、自分はどこで習い損ねてるんだろう、と思うあたりが、もう、たいへんじゃん。脳に事情がある人たちは、やさしそうな旦那さん、に限らず、あらゆるところでそういうことが、自動で把握できないことや、手動で理解しなおすことが、いちいちあるんやろうなあ。そういうのは、どこかで習うもんじゃなくて、自然と身につくもんじゃけん」
「じゃあ、どうやらくんも、やさしそうな旦那さん、の意味は知ってたん?」
「それはわからんけど」
「じゃあ、私とおなじじゃん」
「違うよ。男と女は、そういうとっさのときの言い回しや考え方が違うから、男同士では、あんまり聞きなれてないだけで、実際その場面に身を置いたら、わざわざ手動で翻訳しなくても、本意はなんとなく推察できる」
「むう。なんか腑に落ちんけど、まあ、いいよ。私は今回、またひとつ偉くなったけん」
「よかったね」

「やさしそうな旦那さん」という表現が、夫に対する肯定的好感印象にとどまらず、私への肯定的好感心情を表しているのだとしたら、私が昨日思いついた対応「さらりと、ややはにかみながら、それでいてにっこりと、そうですか、ありがとうございます、と言う」は、かなり適切な気がする。もしかすると、「そうかなあ、てへへ」と照れたりするのもいいのかもしれない。

実は私は、誰かが夫に関して「やさしそうな人ですね」と言うたびに、これといって特筆するほど高く肯定的に評価する点を思いつかなくて、苦し紛れ、というのか、あたりさわりなく、というのか、そういうかんじで、肯定的な感想を述べる手段として「やさしそう」という言い回しを使っているのかな、と思うことがあった。あんまりおいしくない食べ物を口にしたときに、「でも、からだには、すごくよさそう」と言ったりすることがあるみたいなかんじで。でも、そうではなくて、世の中では、もっと、いろんな、安心や安堵や好意をこめて「やさしそう」という表現を、もっとやさしい気持ちをこめて、使うものなのかもしれない。

それにしても、夫の配偶者である私に関する印象の言及が、夫側周辺ではなされていない、ということは、私の印象があまり好感や肯定感を伴うものでないということなのか、それとも、夫自体がその人の好感や肯定感の対象となっていないということなのか。あるいは、男性同士の会話では、口の達者なタイプの人でないかぎり、恋人や配偶者や家族に関する印象をあまり語ったりしないもの、ということか。     押し葉

歯科治療とやさしそうな夫

午前中に夫が「歯の詰め物が取れた」と言いながら洗面所から出てきた。「どこの歯医者に行こうかなあ」と何やら迷っているから、何を迷っているのかと尋ねたら、「ここ(自宅)の近くだと今日は行きやすいけれど、後日新しい詰め物を入れてもらう日の都合をつけるのには会社の近くのほうが便利かなあ。会社の近くなら、仕事帰りに寄れるからなあ」と言う。「だったら、今日はどうやらくん休みだけど、ちょっとがんばって、会社の近くの歯医者さんに行っておいたら?」と勧めたら、「予約が取れたらそうしてみる」と言っていた。

そして、今日、私が職場の店頭で、九月二十一日から売価が変わる商品たちのPOP(売価表示の紙)作成作業を携帯端末で行っていたら、「歯医者の帰り」と言って、私の横に立つ男性がいて、誰かしら何の相談かしらと少し考えてよく見たら、それは自分の夫であった。

「うわっ。誰かと思ったら、知ってる人だ」と少し驚く私に、夫は「点鼻薬買う」と言う。「じゃあ、私のポイントカードと社員割引カード持ってくるね」と、ロッカールームまで行って、財布からカードを取ってくる。「はい。これ使って」と手渡すと、「俺、社員じゃないのに、社員割引使っていいんか」と夫が言うので、私がレジで説明することにする。

レジで同僚に「夫なんです。私のポイントカードと社員割引カードでお願いします」と伝えると、同僚は夫に向かって「いつもお世話になってます」と言い、夫も「こちらこそお世話になってます」と言う。そこに通りがかった別の同僚が「あら、お知り合い?」というような表情をしたから、「あ、夫なんです。よろしくお願いします」と伝えると、「まあまあ、いつもお世話になってます」と同僚が言い、夫は再び「お世話になってます」と言う。

夫が帰った後になって、その同僚たちがしきりに、「どうやら先生のだんなさん、すごくやさしそう」と言う。「やさしい」という言葉の意味は理解していても、「やさしそう」という印象を表す言葉の意味が具体的に理解できていない私としては、「うーん、やさしいといえばやさしいですが、やさしそう、というのはどういうことなのかがよくわらかないんですよねえ。具体的に生活の中のどういう場面を想定すると、やさしそう、という印象が浮かび上がってくるんでしょうか」と訊いてみる。

同僚たちは、少し、おやおや、というかんじの顔をしながらも、それは「ちょっとしたことではむやみやたらに怒ったりしないかんじ」で「きちきちけちけちぎゃんぎゃん言わないかんじ」のことだと説明をしてくれる。私が「ということは、それは穏やかな印象の人ということですか」と訊くと、「そうそう、そういうこと」と言うから、「なるほど。穏やかな印象ならわかります。なるほどなるほど。今度から、やさしそう、という言葉を聞いて混乱しそうになったら、穏やかな印象、という言い方に、頭の中で置き替えてみることにします」と決める。

けれども、「むやみやたらに怒ったりしない」ことや「きちきちけちけちぎゃんぎゃん言わない」のは、私にとってはある種「人としての基本」であって、世の中のたいていの人はたいていの場合そうだと思うのだけれども。そうでない人がいることや、そうでない場合がある人もいるということなら、一応知ってはいるけれど、自分がそういう人をわざわざ結婚相手や親しい交友関係者として選ぶことは考えられない。選択肢や選択権が多くない状況でそういう人と出会った場合は、心理的なり物理的なり、なんらかの距離を確保する。

同僚たちが「あとは、なんか、どうやら先生の言うことなら、なんでも言うこと聞いてくれそうなかんじ、かな」と言うから、「それはないですね。夫の中には、とりあえず妻の言うことには反抗したい小人が棲みついていますから。私が、こうしたほうがいいよ、ということに関しては、とりあえず、後で、だとか、言って、そのままやり忘れて、後になって、しまったー、って言ったりするから、私が言ったときにすぐにすればいいのにねえ、と思うんですけど、小人には逆らえないみたいで、仕方がないんです」と説明する。

ここまで書いて、なんとなく、誰かが誰かの誰かに対して(例、同僚が私の夫に対して)「やさしそうな人ですね」と言う場合のその言葉を日日翻訳するならば、「穏やかなイメージの人で、少なくとも自分は好感を覚えましたよ、敵意は感じていませんよ、そしてそういう人の関係者であるあなたに対しても一定以上の好意を抱いていますよ」になるのではないだろうか。だとするならば、それに対する返しとしては、さらりと、ややはにかみながら、それでいてにっこりと、「そうですか、ありがとうございます」と言うのが適切ということだろうか。少なくとも「やさしそうですか、そうですか、そうでしょうか、うーん、そうかなあ」や「やさしそう、という意味がよくわからないんですよねえ」という返しは、やや流暢さと自然さに欠ける日本語会話と言えそうな気がしてきた。     押し葉

雨に学ぶ

「雨に歌う」

おそらく上記記事のいきさつにより、傘をささずに雨に濡れて歌うことに味をしめた私は、気が向くと、雨が降っても傘をささずに帰宅して、熱いシャワーを浴びる至福を好む大人に成長した。

大学生のときに、授業が済んだ大学から、当時住んでいたアパートまで、その日はルームシェアしていたルームメイトと一緒に歩いて帰った。そのときに、彼女は傘を持っていて、私は傘を持っていなかった。たぶん、登校するときには、雨が降っていなくて、でも帰る頃には雨が降る予報があったから、彼女は傘を持っていたのではないかな。あるいは、もしかすると、私が私の時間割で登校した時には雨が降っていなくて、彼女が彼女の時間割で登校したときには既に雨が降っていたから傘を持っていたのかもしれない。

ルームメイトは、傘を持たない私に「みそさんも一緒に入ろう」と言いながら傘を開いてくれる。「ありがとう。でも、いいん。私、帰ってすぐに熱いシャワー浴びるけん、このまま濡れながら帰るけん」と応えると、「そうなん? じゃあ、わかった」と、しばらく、彼女は傘の中で、私は雨を浴びながら、二人で並んで、なんでもないことを、ああだこうだと笑いながら話しながら、てくてくと歩いて帰る。他に知り合いの誰か学生とすれ違えば「ばいばーい」と手を振ったりもする。

ところが、下校の道中の半分も来ないあたりになったとき、ルームメイトが「ああ。みそさん。私、もうダメ。お願いじゃけん、私の傘の中に入って。私一人が傘に入って、みそさん一人が濡れとったら、なんか私が意地悪しようるみたいなけん、お願いじゃけん入って」と言いながら、傘半分で私の頭上の雨を遮る。

「そうなん? そういうことなら、仕方ないか。ありがと。わかった。入る」と、すでにかなり濡れそぼった状態だけれども、おとなしく傘に入れてもらって歩く。あたりまえだけど、傘に入ると、あんまりそんなに濡れなくて、なんだか少し快適だ。

雨に濡れながら、小さな声で歌いながら、帰って熱いお風呂に入るのは、愉しくて気持ちいいけれど、誰かと一緒の時ではなくて、一人の時にするほうがいいね、と、少し学んだ雨の日。     押し葉

夢のコックさん

先日、なにでそういう話になったのかは思い出せないのだけれども、「私は、飲食関係の職業を希望したことがないなあ」と話したら、夫が「ええっ? ほんとに? 俺はコックさんになりたかったなあ。コックさんになるのが夢だったけどなあ」と言う。

「そういえば、前にも、そんなこと言ってたねえ」
「小さい頃に読んだ絵本に、いろんな仕事が載ってて、その中で、コックさんの前にある料理がすごくおいしそうで、こんなおいしい料理を食べられるんなら、コックさんになりたいなあ、って思ってた」
「うーん、でも、おいしい料理を食べるためなら、コックさんになるよりも、そのコックさんのお店に行くお客さんになるほうがいいんじゃないのかなあ」
「うん、そう思う。実際には、そうなったけんよかったなあ、と思う」
「よかったねえ、ほんとうに」

コックさん、という呼び名が、いまでも使われるのかどうかわからないけれど、夫が大きくなる過程で、自分の適性を見極めて、職業を選択していて、よかったなあ、ほんとうに。
    押し葉

青年マミー

私が働く職場の同僚に、乳性飲料マミーを愛する青年がいる。店長でもない、新人三年目くんでもない、おそらく二十代後半の男性社員の人で、彼は休憩時間になると、昼食メニューのひとつとして、必ず、一リットル紙パック入りのマミーを一本買ってから、休憩室へと向かう。

「お昼休憩、いただいてきます」と、私たちに声をかけて休憩室に向かう彼に、女性従業員たちは「お疲れ様です。ごゆっくり」と声をかけ返しながら、そして少し心配しながら、見送る。何が心配かというと、彼は、そんなに毎日マミーを一リットルも飲みほして、大丈夫なのだろうか、ということ。

「出勤した日は、一日も欠かさず毎日みたいだし、少なくとも、私がレジしたときには、必ずマミー買ってはるし、今はまだ若いから、問題ないんかもしれんけど、ずっとあんなの飲み続けたら、ぜったい、なんか体壊しそう」
「そうそう。私がレジの時もそう。休日以外は必ず毎日。そんなに毎日マミー飲んで大丈夫ですか、ときどきは、マミー休みの日を作ったほうがいいんじゃないですか、って、よっぽど言おうかと思うんだけど、あんまり嬉しそうに、マミーを抱きかかえてるから、なんか言えなくて、ありがとうございました、だけ言ってる」
「私は、ときどき、休憩室で、お昼休みが一緒になることがあるんやけど、ほんとうに嬉しそうにおいしそうに、マミーをこくこくと飲んではるから、やっぱり止められずにいる。お昼に半分より多いくらい飲んで、残りは、また夕方の休憩の時に飲むように、冷蔵庫に、大切そうに入れてはるんよ」
「うーん。まあねえ。私もねえ、甘い物の食べ過ぎとコーラの飲み過ぎで、糖尿病になったんだから、私が言っても説得力ないかなあ、と思ったり」
「うんうん。私も、スナック菓子食べ過ぎコーラ飲み過ぎで、高脂血症の薬を飲む体になったからねえ。マミーくらい、好きなだけ飲まさせてあげたくなるなあ」

うーん、うーん、私の立場としては、なんと言ったものだろうか、と考え込みながら、彼女たちの話を聞くのだと、自宅で夫に話したら、夫は「アルコール中毒の家族の人たちや周りの人たちって、こういうかんじなんやろうか。あの人は、お酒飲んでる時には、それは嬉しそうやし、しあわせそうやし、怒ったり泣いたり暴れたりするわけじゃないんやし、好きなだけ飲まさせてあげようやあ、いう気になるんかなあ。それが体にいいかどうか、の観点よりも、そっちが上になるんやろうなあ」と言う。そうかなあ、そんなもんなのかなあ。うーん、うーん、うーん、うーん。     押し葉

ポケモンと緊急うんち

職場の、飲料コーナーにいらっしゃったお客様(女性)が、医薬品コーナーで作業している私のところに近寄ってこられて「すみません」と声をかけてくださる。

「はい。なんでしょう」
「あの、実は、うちの子(三歳くらいの女の子)が、今、そこで、うんち出たって言うものですから、それで、あの、車の中に交換用のオムツとか全部乗ってるんで、取ってきたいんですけど、あの、この子が動くと、もしかすると、今つけてるオムツからうんちが出てくるかもしれないので、すみませんが、動かないように見ていてもらえないでしょうか」
「はい、はい。そういうことでしたら、こちらで、お子様と一緒にお待ちしておりますので、行ってらしてください」
「それから、この買い物かごの商品も、このままここに置いて行ってもいいですか」
「もちろんです。一緒に見てますから。焦らず、ゆっくり、どうぞ」
「ああ、ありがとうございます。よかったー。じゃ、ね、ちょっと、おかあさん、行ってくるからね、そこで動かず待っててよ」

そう、お子様に声をかけてから、お客様は、たかたかたかと、お店を出てゆかれる。私は、女の子のそばにしゃがんで、「じゃ、しばらく一緒に待ってましょうね」と声をかける。女の子は、「あのね、ぽてもんの、かってもらうの」と言う。

「ぽてもん?」
「うん。ぽてもん。ぴたちゅうの、ぽてもん」
「ああ。ポケットモンスター。ポケモン。ピカチュウの」
「うん。ぽてもん」
「あ、ほんとだ。ポケモンの歯ブラシが、かごに入ってる」
「わたしの、はみがきの、ぽてもん」
「ポケモンの歯ブラシ、買ってもらえるんですね。歯磨きは、もう、ひとりで、上手にできますか」
「はい。ひとりで、じょうずに、できます」

あ、丁寧な言葉で質問すると、丁寧な言葉遣いで上手に返答できるんだあ、と感心しながら、しばしお話。そうしてるうちに、再び、たかたかたかと、小走りで、お客様が戻ってこられる。「すみませーん」と言いながら、大きめの布の鞄を肩にかけて。

「おかえりなさいませ。オムツ交換の場所をご利用になられますか」
「え? トイレの中に、オムツ交換台あるんですか?」
「いえ、ここのお店は、トイレの中にはオムツ交換台がないものですから、待合スペースのソファを、オムツ交換に使っていただいているんです」
「あ、でも、うんちをトイレに捨てないといけないから、どうしよう」
「お手間で申し訳ないんですが、横になって交換するほうがよろしければ、ソファで替えてから、あとでトイレにうんちを捨てに行っていただくか、立ったままで交換するほうが簡単でしたら、トイレの個室が広めになってますので、そこで替えてくださっても」
「あ、だったら、ソファのほう、お借りしていいですか」
「もちろんです。ご案内いたしますね。こちらです。買い物かご、このままお持ちしますね。お子様抱きかかえるの大丈夫ですか。布の鞄もお持ちしましょうか」
「いえ、買い物かごだけお願いします。この子はこのまま脇のところで持ち上げて、うんちが動かないように運びます」

「では、こちらです」と、待合コーナーまで速やかにご案内し、ソファにオムツ交換用のバスタオルを敷いて、「この向きでだいじょうぶですか」とたずねると、大丈夫だとおっしゃるから、バスタオルはその向きのままで、「よろしければ、こちらの小さなかごの中のビニール袋とおしりふきもご利用くださいね」とお伝えする。お客様は、「うわあ。すごい。うれしい。ありがとうございます。では、お借りします」とおっしゃる。私は「ごゆっくりどうぞ。お買い物カゴはこちらに置きますね。また何か必要でしたら、声をかけてくださいね」と言ってから、その場所を離れる。

しばらくすると、医薬品コーナーの通路を通って、お客様と女の子が、「トイレ、トイレ」と掛け声を合わせて、トイレに向かって小走りに急がれる。お客様は、交換済みのオムツの中身のうんちが落下しないように、両手で丁寧に持ち運びながら、「すみませーん。買い物カゴ、さっきの場所に置いたままにしてます。トイレにうんち捨てて、手を洗ったら、取りに戻ります」と声をかけてくださる。女の子は、先ほどよりも、くつろいだような、にこやかな表情で、「きれいになった」と私に教えてくれる。「よかったです」と、トイレに向かうお二人をお見送りしながら、売り場の作業を続ける。

数分後、お客様と女の子は、「はあーっ、よかったねー」「よかったねー」と言い合いながら、トイレから出てこられる。私に向かって「ありがとうございましたー」とお辞儀をして、そして、「カゴはむこうに置いたままだけど、さっきの場所に近いから、飲み物選んで持っていこうね」「うん」と、落ち着いて話して、飲料コーナーに向かう。

はあー、よかったねー。うんちを出してすっきりして、そのうんちをトイレにちゃんと捨てて、おしりもきれいにふいて、新しいオムツをはいて、好きな飲み物を買って帰って、夕ご飯のそのあとには、ポケモンの歯ブラシで一人で上手に歯磨きをして、いっぱい眠って大きくなるね。     押し葉

王様そして大王様

少し涼しくなってきたし、はかどるかな、校正作業。
「キティさんの仕事」
「ボケ防止活動」
「末の子に」

暑さや寒さが穏やかであるということは、温かくて涼しいということは、体の負担が少なくて、軽快で快適だ。「涼しいって素敵」と、何度も言いながら、小さく踊りたくなるから、何度も言って小さく踊る。

先日夫が「できれば、あんまり暑くないところで暮らしたいなあ」と言うから、私は「そういう願い事は、きちんと具体的に口走るほうが叶いやすいよ」と、願いごと目論見研究家の立場としての助言を伝えてみた。

夫は「あんまり暑くないところで、雪かきをしなくていいところで、って言えばいいのか」と訊くので、「あんまり暑くない、っていっても、インドよりは暑くないんならいいのか、っていうとそうじゃないでしょ。雪は降らなくても、雪かきはしなくてよくても、極寒なのもいやでしょ。できるだけ具体的に、というのは、数値で表せる部分は数値で、気温何度から何度くらいで、湿度はこれくらいで、って願ってくれるほうが、願いを叶えるほうも叶えやすいから。摂氏で、華氏で、っていう条件まで付け加えるとさらに安心じゃろうけど」と応える。

「それからね、なになにじゃないところ、や、なになにじゃないこと、っていう否定形で言語化するよりも、なになにであるところ、なになになこと、の肯定形言語ほうが叶いやすいよ。暑くない、って言うんじゃなくて、あたたかい、すずしい、って言うとかね、そういう言い方のほうが、言う時の自分の脳が、自分にとってちょうどよくて快適な状態をイメージ化するから、よりいっそうその実現に近づきやすいの。言葉で、暑くない、って言うときって、どうしても、脳内では、いったん暑い状態をイメージしちゃうでしょ。暑い寒いに限らず、願うことがあるときには、どうでなかったらいいなあ、じゃなくて、どうだったらいいなあ、を基本にしたほうが、願う形により近い形で叶いやすい、というのが、私の数十年以上の研究で明らかになってることだから」
「わかりました。王様」

夫は以前は、私に対して、「こいつ、えらそー」と揶揄することがあった。けれど、そのたびに私が「仕方ないじゃん、本当にえらいんじゃもん。えらそー、じゃなくて、えらいんだよ」と言うのに辟易としたのだろうか。最近は、夫が私に対して「こいつ、えらそー」と思うことがあるときには、「王様!」だとか「大王様!」と合いの手を入れるようになっている。夫はそれで、なんとなく溜飲を下げられるところがあるみたいだから、まあ、いいんじゃないかな、と、王様は思う。     押し葉

走るキンカン

姪のみみがーは、蚊に刺されやすい種族のようだ。お盆に帰省したときに、実家の母がみみがーに「みみがー。そんな、スカートとジーンズを重ね着しとったら暑いじゃろうに。どっちがだけにしたほうがいいんじゃないん?」と言っていた。私は、みみがーのその重ね着は、ファッションとしての着こなしの一種なのかしら、と思いながら、みみがーの反応を待つ。

みみがーとむむぎー(甥)とゆなさん(弟の妻)は、この日、ゆなさんの実家(瀬戸内海の島にある)への帰省に出かける予定である。みみがーは、「おばあちゃん。これは、虫よ、虫。虫よけ。島のばあちゃんところに行ったら、わたしいっぱい刺されるじゃろ。できるだけ隠しといたら刺されんじゃろ」と説明する。母は「ああ、そうじゃね、なるほど。それじゃったら、スカートもジーンズも、両方とも、しっかりと穿いときんさい」と納得する。私も内心、なるほど、と納得する。

ゆなさんの運転でむむぎーとみみがーの三人が出発するのを、手を振って見送る。家に入って、母に、「みみがーも、蚊に刺されやすい人なん?」と訊いてみる。母は「そうなんよ。みそもそうじゃけど、みみがーもよう刺されるんよ。蚊に刺されると、うちに入ってきて、みみがーが、おばあちゃん、キンカンぬって、いうて言うけん、はいはい、いうてキンカンを出してくるんよ。でも、みみがーは、おばあちゃん、ちょっと待ってよ、わたし、走る準備するけん、って言うて、ジャンプしたり脚を曲げたり伸ばしたりしてから、かけっこの、よーいどん、の格好をして、それでようやく、いいよ、おばあちゃん、キンカンぬって、って言うんよ。じゃあ、つけるよ、言うて、キンカンをつけてやったら、みみがーは、うひゃあー、はしるー! って、家の中をぴゅーっと走って戻ってきて、ああああ、いたかったー、でも、かゆいのが治ったー、って言うんよ」と説明してくれる。

必要な場合には、キンカンの成分と刺激を自分から所望して、その刺激対策としてそのへんを走ってくるという対処を行い、蚊に刺された部位の炎症とかゆみの鎮静化にかかわる対応一式を、それなりに自分で調整できるようになってきたとは、みみがーも大きくなったものだなあ、と、感慨深い。     押し葉

助けられたり助けたり

今月最初のお品書き。「値引きの学習

大学生の時に、スーパーマーケットでアルバイトをしていたことがある。夕方から夜の閉店までの時間帯の勤務で、閉店何時間か前になると、生鮮食品に割引シールを貼り付ける仕事があった。ナイトマネージャーと呼ばれる夜間営業時間帯担当の社員の人からの指示を受けて、指定された商品にシールを付けていく。

割引シール貼り作業が始まる時間を把握している何名かのおなじみのお客様は、その時間を狙ってご来店くださる。それだけではなく、あるときには、その時間よりも早くご来店くださり、「あと一時間か三十分かしたらどうせ割引シール貼るんやろ。だったら、今買うのにも貼ってや」と要求なさったり、またあるときには、二割引の指示の時間帯に、「半額シールにしてや」とおっしゃったり。上手にお断りできることもあれば、大学生アルバイトの私では対応しきれず、ナイトマネージャーさんを呼びに行って対応してもらうこともあった。

あれから数十年が経過して、今の職場で一緒に働く高校生や大学生のアルバイトの人たちが、お客様からの無理難題と思えるような発言や、別段難題ではないけれどうまく把握できない内容に、戸惑ったり固まったりしている様子を見る機会がときどきある。そういう場面で自分がサポートを行うとき、大学生だったあの頃の自分もこんなふうだったのかなあ、と思い返す。そして、なんとなく、人生は持ち回り、で、助けられたり助けたり、とんとんからりとんからり、なのだなあ、と思う。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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