みそ文

蒸気で義母(はは)とアイマスク

今日も暑い一日で、しかも職場のエアコンが一部故障しているらしく、店内の涼しさが実に微妙。こんな日には、できれば涼しげな内容を書きたいものだけれども、忘れないうちに書いておきたいことを書いておくことにする。

昨年末から今年の年始にかけて、広島に帰省したときに、わたしはずいぶん疲れていた。年末年始にわたしは連休を取得して、広島に帰省するけれども、勤務先のお店自体は、元旦以外年中無休で営業する。わたしが不在の間の業務が、少しでも少なくて済むように、自分が出勤している間に、あれもこれも片づけておこうと、連休前には、少し仕事を多くしすぎる。

それと併せて、帰省のための荷造りや、手土産の準備や、片づけておきたい家事や用事を行い、そうやって疲労が蓄積した体になって、それから長距離長時間の運転をするわけだから、体としては、負担が大きいよね、そりゃあ、とは思っていた。

(そんな無理しちゃいけんじゃん、と、ご心配くださる方対策に、一応申し上げておくなら、その後反省したおりこうなわたしは、連休取得前の無理な仕事の仕方をすっかり見直して、余裕をもった勤務スケジュールを組める大人に成長した。)

ともかく、昨年末は、そんなこんなで、疲労がひどく蓄積していて、右側の肋間がひどく痛み、呼吸をするだけで十分痛く、動けばさらに痛く、笑ったり咳きこむとさらにもっと痛くて、どうしたものか、という状態が続いていた。消炎鎮痛剤の貼り薬を貼ったり、痛み止めの飲み薬を飲んだり、さらに貼るカイロを服の上から貼って温めると、ずいぶんマシだったから、そうやって過ごしていた。

(ご安心ください。その後、からだは、十全に回復して、今はすっかり元気です。)

年が明けて戻ってきたら、休みの日を利用して、カイロプラクティク(整体)に行く予定を決意して、とりあえず、年末年始は、痛みを抱えたまま、広島へと帰省する。広島でも、同じように、貼るカイロで患部を温めるつもりで、荷造りをしたつもりで、義実家に到着。

「おかえり、おかえり、疲れたじゃろう。長い運転疲れたじゃろう」と義母が迎えてくれる。そして、いつもとだいたいおんなじように、食材買い出しを行い、食事を作り、食事を摂って、お風呂に入る。お風呂からあがって、温かさのなくなったカイロは捨てて、新しいカイロを出しましょう、と思ったところで、思い出す。しまったー。旅行鞄に入れるつもりで、鞄の横に置くところまではできたのに、鞄にそのカイロ入れるのを忘れてきたよ。

これからお店に買いに行くには、時間が遅いし、お店は遠いし、貼るカイロくらい、義実家にもあるかもしれない、と、義母に尋ねてみることにする。

「おかあさん。貼るカイロ、持っとっちゃったら、少し分けてもらえませんか」
「あるよ、あるよ、使いんさい。ここにあるけん好きなだけ使いんさい」
(義母が指示した引き出しを開けてみる)
「おかあさん、ここにあるの、貼らんカイロばっかりみたいなんじゃけど、貼るのは別のところですか」
「ありゃ。そこにないんかね。じゃあ、わたしが貼るほうはあんまり使わんけん思うて、片づけとるんじゃわ。ちょっと待っとりんさいよ」
(義母、おもむろに、二メートルほどの棒を持ち出してくる。そして、その棒の先を天井に、こつん、と、あてて、引っ張る。すると、わたしがそれまで見たことのない、天井上(屋根裏というのだろうか)の物置に繋がる扉が開く)
「わあ。そんなところに、そんな倉庫があったんですかー」
「そうなんよ。家を新しゅうするときに、作ってもろうたんよ。なんでもかんでもしまいこんで、忘れてしまうけん、便利なような便利なような、ようねえ」
(そして、屋根裏に上るための梯子階段をするするとおろして、義母が上へとあがっていく)
「みそさんは、そこにおりんさいよ。この中は、さばけすぎとるけん(あまりにも散らかっているから)ちょっと人さまには見せられませんよ、じゃけんね。貼るカイロは、たしか、このへんに、あったはず、あった、あった」
「わあ。ありがとうございます」
「ようけいあるわ。二十個くらいあるわ。小さいぶんじゃけど。全部みそさんにあげるけん、使いんさい」
「え? おかあさんは? 貼るカイロは、使うてんないんですか?」
「使わんのんじゃろう。ずっとここにしもうたままにして、期限が切れとるいうことは」
「え? 期限が切れとるんですか。でも、期限切れとっても、ぬくうなるけん、使えますよ」
「期限切れてすぐじゃったら、まあ、そうじゃけど、これは、期限が二年以上切れとるけん、たぶん、ぬるいよ。まあ、低温やけどせんでええいうことで、使うてみんさい」
「そうします。やったー。いっぱいあって安心。ありがとうございます。さっそく貼ってこようっと」

そうして入手した貼るカイロミニは、たしかに、ほどよくぬるく、買えば高い値段のする、温度四十数度シリーズの商品のような温かさ。ああ、ぬくい。ほうう。こうしていると痛みが和らぐ。

そうだ。おかあさんに貼るカイロをもらったことだし、ここは物々交換をしよう。旅行鞄に入れてきた「花王めぐリズム蒸気でホッとアイマスク」を取り出して、何枚か持っていく。

「おかあさん。カイロありがとうございました。おかげさまで、いいかんじでぬくいです。で、これ、お礼に。あったかくなるアイマスク。ラベンダーのいい匂いがするんですよ。袋から出したらすぐにぬくくなるけん、すぐ目の上にあててください。気持ちよくて、よう寝れるんですよ」
「わあ。こりゃあ、はじめてのもんじゃ。お風呂入って顔洗うたらしてみよう」

それから、しばらく、わたしは自室で横になって、中山式快癒器に体をのせてほぐしてみたり、カイロのあたたかさをじっくりと患部にあててみたりする。そうしているうちに、義母がお風呂からあがってしばらく経過した気配になり、あ、そうだ、使い方の文字が、老眼では見えないかもしれない、と気づいて、置きあがって居間へ行く。

「おかあさん、アイマスクの使い方、わかりますか。見えますかね、説明文。アイマスクの裏表わかりますか」と言いながら居間を覗くと、義母はアイマスクを目にのせて、あおむけで横になっている。

「あ、なんじゃ、もう上手に使いようてじゃ。ちゃんと紐のところ、耳にかけてくれとってじゃ」
「みそさん、ええねえ、こりゃあ、気持ちがええもんじゃねえ。寝てしまいそうなよ」
「それは、よかった。あ、でも、おかあさん、惜しい。アイマスクの上下が逆じゃ」
「え? 上下なんかあるん?」
「はい。こう、ちょっとくぼんだみたいな、切れ目が入っとるほうが下側、鼻側、なんですよ。今、おかあさんが、おでこのほうに向けとってんほう」
「ありゃりゃ。そうなんね。ああ、ほんまじゃ。たしかに。こっちのほうがもっと気持ちええわ」
「よかったよかった。じゃ、そういうことで、おやすみなさい」
「おやすみ。ようようゆっくり寝んさいよ。遠くから運転して返ってきたんじゃけん」
「はい。そうします。おやすみなさい」

そして、わたしも蒸気でホッとアイマスクをして、ぐっすりと眠った。     押し葉

りららちゃんのキス

りららちゃんの祖母である同僚が、「ピーマンごちそうさまでした。おいしく全部いただきました。ピーマンの葉っぱがついてるのがかわいくて、ああ、どうやら先生は、ご両親に愛されて育った方なんだなあ、って思いました」と声をかけてきてくれた。

「こちらこそありがとうございました。それにしてもピーマンの葉っぱで、そんなことまでわかるなんて、すごいですねえ」
「なんでですかね。でも、わかります。それより、聞いてくださいよ。るうとが、今日、退院できることになったんですよ」
「わあ、それは、おめでとうございます。るうとくん、すごい、すごい」
「ずっと体調も検査数値もあんまりよくなかったのに、昨日の夜、急にぐんぐんよくなって、血液検査してみたら、数値もすっごくよくなってて、もうこれなら大丈夫ですね、って、でも、念のため、もう一晩様子を見て、今日の午前中に抗生物質の注射も念のために打ってから、お昼くらいまで見てみて大丈夫だったら、退院することにしましょう、って病院の先生に言われた、って、昨日の夜、お嫁さんから電話があったんです」
「ああ、よかったー。お弁当の力ですねー」
「そうでしょうかー」
「そうですよー。あと、るうとくんの体とご家族みなさん全員のがんばりの成果ですねえ。じゃあ、今日は久しぶりに家族全員そろいますね。おかえりなさい、の、お祝いですね」
「お嫁さんは家に帰ってこれるのがうれしくて、りららはお母さんに会えるのがうれしくて、わたしは何がうれしいって、りららの世話から解放されるのがうれしい」
「いやいや、ほんと、お疲れ様でございました」
「うちの息子たちが三歳のころの反抗期って、りららみたいに、あんなに理屈こねまわしてた記憶がないんですけど、りららは口が立つというか、言葉が達者なんですかねえ、わたしが何をしても何をしなくても、それが気に入らないということを切々と訴えてくるから、ほんとうに疲れました」
「うーん、三歳女児としては、正しい反抗期の姿ですねえ」
「そうなんですか。そんなもんなんですか。ばあば、わたしは、きょう、ほいくえんのきゅうしょくで、しろいごはんはたべたんだから、よるは、もう、しろいごはんはいやなの、パンかスパゲッティじゃないといやなの、って、言うから、そんな無理して食べんでもよろしい、って言ったんですよ。うちのお米は特別おいしいお米なのに、みんなが食べてれば食べるくせに、いちいち、あれがいや、これがいやって、ああ、お嫁さん、えらいわあ、こんな子の相手をずっとしてるなんてねえ、って思いました。女の子の反抗期ってあんなものなんですかねえ」
「個人差はあるんでしょうけどねえ。男児に比べると女児のほうが言葉が達者なことが多いのはそうみたいですけど、ただの反抗期のくせに理屈っぽいところがあるんですかねえ。とはいえ、わたしたちも、何十年か前は、そういう小さな女の子だったわけですから、きっと、面倒くさい理屈をこねくり回してたんじゃないでしょうか」
「そんなおぼえ、全然ないですけどねえ」
「三歳当時の自分の反抗期の記憶がしっかりあるのは、また、それもちょっと、じゃないでしょうか」
「ああ、そっか。でも、やっぱり、孫の世話は、二世帯住宅で離れ離れで、ときどき少し手伝うくらいがちょうどいいですね。はあ。つかれたー。それでですね、今回の、るうとなんですけど、何かに感染したらしくて、でもまあ、脳炎にはなってないから、治れば大丈夫って言われてたんですけど、感染の原因、あれはきっと、りららの濃厚すぎる、ちゅう(キス)、なんじゃないかって、保育園から持ち帰ったものが、りららの唾液経由で、るうとに入ってるんじゃないかって、大人たちは話してるんですけど、りらら本人は、るうとがかわいくてしかたなくてやってることだから、責めるのはかわいそうだし、と思って」
「ああ、りららちゃん、おねえちゃんしてますねえ。まあ、りららちゃんのディープなキス、も、まだまだ続くことでしょうし、りららちゃんときょうだいとしてやっていくには、これくらいの免疫力は必要やねんな、って、るうとくんの体も学習してくれてよかったことにしましょうよ。実際は、いろんなバイキンたちは、りららちゃんのキスだけじゃなくて、空気中にもどこにでもいますから、感染するときは感染しますよ」
「でも、るうとはまだ母乳しか飲んでないし、母乳の中の免疫の力があるから、そんなに感染症になることはないはずって聞いてるんですけどねえ」
「そうはいっても、母乳のおかげの免疫力よりも細菌の力が上回ることもあるでしょうし、たまたまるうとくんの体力低下のタイミングと重なったのかもしれないですし、それはそれで、そういうこともありますって」
「そうですよね。そういうこともありますよね。じゃ、やっぱり、りららを責めるのはやめておこう」
「ですね。言うとしたら、キスの前には、というよりも、外からおうちに帰ってきたら、手を洗ってうがいをするのをしっかり上手にするよう指導してあげてください」
「ああ、そうか。そうします。はあ、今夜から、りららなしで、一人でゆっくり眠れるのがうれしいー」
「お嫁さんもおうちのお布団でゆっくり眠ってもらえるといいですね」
「そうなんですよ。やっぱり病院で付き添ってると、ちょっとうとうと、くらいしかできないみたいで、ずっと目が真っ赤でしたから」
「りららちゃんも気持ちが落ち着くといいですね」
「昨日の夜、電話で退院がわかったときには、やったー、やったー、って飛び跳ねて喜んでました。ああ、よかったー、るうとが早く治ってくれてよかったー」
「よかったですねー。ほんとうによかったですねー」

というわけで、るうとくん無事退院。生後早々、彼もいろいろたいへんではあろうけれど、今後も続くはずの姉りららちゃんからの濃厚なキスと愛撫に備えて、おっぱいのんでねんねして、病後の養生と体力づくりに励んでもらいたい。     押し葉

りららちゃんの弟

職場の同僚のお孫さんは、三歳女児の「りららちゃん」と、その弟(生後数カ月)の「るうとくん」。そのるうとくんが急な病気で入院治療することになった。零歳児で母乳育児中だから、りららちゃんとるうとくんのお母さんは、るうとくんの病室に泊まり込みで付き添い中。

同僚は、連日の泊まり込みで疲れているお嫁さん(りららちゃんとるうとくんの母)に、せめて食べるものだけでも、と、お弁当を作って届ける。小児病棟で付き添いする大人用には病院食は支給されず、院内売店か院外にあるコンビニで適当なものを購入して食べるしかない。ずっとそれではおっぱいの出がよくないことになるであろう、いいおっぱいを飲んでこそ、るうとくんの回復も促されることであろう、と、同僚は弁当づくりに励む。

同僚には、二人の息子さんがいらっしゃって、二人ともすでに成人している。そのうちの一人が、りららちゃんとるうとくんのお父さんだ。

りららちゃんのお世話は、入院付き添い中のお嫁さんに代わって、主に同僚が行っている。朝夕と保育園の送迎をし、出勤して仕事をこなし、帰宅後は三歳時をお風呂に入れ、食事を与え、遊び相手をし、話をし、寝就くまで相手をする。朝は早くに起きて、夫のぶんと、息子二人のと、自分のぶんと、そしてお嫁さん用には少し豪華に栄養のことも考えて、お弁当を五つ作る。

りららちゃんは、お母さんがいないことが大きなストレスになっているらしく、お父さんの抱っこもいや、おじいちゃんの抱っこもいや、おじちゃん(りららちゃんのお父さんの弟)の抱っこもいや、おばあちゃんは抱っこはいいけど顔の洗い方(りららちゃんの入浴時に洗髪や洗顔をしてやる)が気に入らない、と、ひよーんひよーんと泣くのだそうだ。

るうとくんが生まれるときにお母さんが出産でいない間、りららちゃんは頑張っていい子でお留守番していたけれど、お母さんとるうとくんが帰ってきて、安心したばかりだったのに、また、お母さんと離ればなれでいることが、りららちゃんは悲しくて、そのままならなさに打ちひしがれる。

同僚は「るうともあんなにちっちゃいのに、血を抜いて検査を受けたり、たくさん点滴を受けたりで、かわいそうだし、りららもまだまだ小さいのに、さみしい気持ちのストレスを受け容れなくちゃならなくて、ほんとうにかわいそうだ」と言う。そして「でも、今は、家族みんなのがんばりどころで、なんでも、りららの思い通りにしてやるわけにはいかないけれど、あの子が笑ってないと、やっぱり、家族みんながつらいというか」と話す。

「なんだか、たくさん、お疲れ様でございます。とにかく、まずは、しっかり食べて、ぐっすり眠ってくださいね。るうとくん、回復して元気になったら、またひとまわり丈夫さが増すんでしょうし、今は、りららちゃんも、さみしくてかなしくて、いっぱい泣くかもしれないですけど、ままならなさの体験は、きっと確実に精神的な丈夫さを強化して成長の力になってるはず」と、私はなんとなく断言する。

同僚は「そうでしょうか。そうですよね。そうだ、そうだ、きっとそうだ」と、なにやら背筋がしゃんと伸び、「そういえば、なんですけどね、これまでも今も、だんなや息子たちにいくらお弁当を作っても、おいしかった、も、ありがとう、も、聞いたことがないんですけど、お嫁さんは、毎回必ず、電話やメールで、おかあさん、おいしかったです、ごちそうさまでした、ありがとうございます、って言ってきてくれるのが、すごく嬉しくて、いいなあ、女の子っていいなあ、かわいいなあ、って思うんですよ」とうれしそうに言う。

「ああ、それは、だんなさんと息子さんたちは、ちゃんとご馳走さま言いなさいパンチ、ですけど、息子さんはいいお嫁さんを見つけてきてお手柄、ですね」
「ああ、そうかも。だから、いま、いろいろきついのはきついんですけど、ほら、職場も、それぞれの事情での欠勤が続いてて人手不足でつらいんですけど、お嫁さんが、おかあさんありがとう、って言ってくれるたびに、よかったなあ、大丈夫、わたし、がんばれるなあ、って思うんです」
「ああ、ほんとうに、人手、ってたいせつですよねえ。なんか、わたしたち、みんな、最近、毎日、いっぱいいっぱいで、ピーンチ、なかんじですもんねえ。それでも、まだ、りららちゃんの面倒見ながら、お嫁さんのサポートしながら、出勤してくださってるから、本当に心強いです。ありがとうございます」
「いえいえ、そんな、それはこちらこそですよ」
「いいえ、そうです。だって、わたしには、孫もお嫁さんもいませんもん。世話もサポートもないですもん」
「ああ、そうかあ。じゃあ、わたし、けっこう、がんばってるってことですかね」
「けっこう、なんてもんじゃないですよ。かなりがんばってはるはずですから、そのつもりで、ご自身の手入れもメンテナンスもねぎらいも、しっかり丁寧にしてくださいね」
「あ、そうか、そうですよね。わたし、実は、えらいなあ、がんばってるなあ、なんだ」
「実は、じゃなくて、明らかに、です。というわけで、わたしの実家の父が畑で作ったピーマン、誰かにもらってもらえないかなあ、と思って持ってきたんですけど、よかったら持って帰ってもらえませんか?」
「え? ピーマン? お父さん、畑作ってらっしゃるんですか?」
「そうなんです。豊作だといろいろ送ってきてくれるんですけど、わたしが最近ピーマン食べられなくなって」
「ええ? なんでですか? おいしいのに。栄養いっぱいなのに」
「おいしいのは知ってます。わたし、もともと、ピーマンが野菜の中では一番大好きなくらい好きでしたもん。あんまり好き過ぎて食べ過ぎたんでしょうか。一生分食べ終えたんでしょうか。今はピーマンを食べると、歯茎が腫れて、頭が痛くなるから、食べるのやめてるんです。ネギやニンニクやタマネギもそうなんですけどね」
「あらあ、それは、るうともりららもかわいそうだけど、どうやら先生もかわいそうだわ。そういうことなら、ありがたくいただきます。今年は暑すぎて雨が少なくて、うちの庭の夏野菜は全然実がならなくて、全部買ってるから助かります」
「ああ、よかった。ありがとうございます。わたしもピーマンの行く末が安心できて助かります。お弁当のおかずにでも使ってもらえたら嬉しいです」
「そうします。うちの家族はみんなピーマン大好きですし。きっといっきに使っちゃいます」

広島のピーマンたち、どうか、りららちゃんと、るうとくんと、同僚とその家族みんなの、健康のことを、よろしくね。     押し葉

アンパンマンと生理用品

私が働く職場では、多くの品は、その品が分類された特定のコーナーにある。けれど、ものによっては、ひとつのコーナーだけでなく、別のコーナーにも定番場所がある商品がいくつかある。軽失禁用パッドもそのひとつなのだが、介護用品の並びに大きく棚一本分の場所があり、それとは別に生理用品コーナーにも数段の場所がある。介護コーナーと生理用品コーナーと共通の商品もあれば、介護コーナー専用の商品もあり、また、生理用品コーナー専用商品もあり、軽失禁パッドの種類は様々だ。

介護用品と生理用品の共通品目に関しては、生理用品売り場担当者と折々に相談して、売れ数等を確認し、両方で常時いくつの在庫を持つようにするかなどを決めている。それぞれの担当売り場の在庫が少なすぎるときや多すぎるときには、両方の売り場を見てみて、どちらともが欠品しないように、品薄にならないように、商品を移動したりもする。

先日も、私の売り場(介護コーナー)の商品が、ずいぶん無理目にたくさん詰め込んであることに気がついて、作業中の携帯端末で、その商品の店内在庫数を見てみる。その結果、在庫数は、介護コーナーにある商品が全ての数で、生理用品コーナーではその商品が欠品状態であることがわかる。

あらあら、これはいけないわ、と、数個の商品を手に持って、生理用品コーナーへと向かう。欠品している棚の位置に、その商品を並べて、周りの商品もきれいに見えるように整える。

そのとき、生理用品の列にお客様がいらっしゃる。「いらっしゃいませ。こんにちは」と声をかけてから作業を続ける。その女性のお客様は、とても小さなお子様連れ。小さなお子様は、店内用ベビーカートに乗れるくらいにはしっかりしてはいるのだけど、自分で自由に歩いたり喋ったりは、まだまだいろいろ練習中なかんじの人。おそらく母親でいらっしゃる女性のお客様が押すカートに機嫌よく座って、小さなお子様は「あああ。あああ」と、何度か同じ発音をする。

それを聞いたお客様は、「アンパンマン、アンパンマン。上手に言えるねえ。アンパンマン大好きよねえ」と返す。うわあ、すごい。「あああ」が「アンパンマン」だと聞きとれるだなんて。でも、まあ、子どもが「あ」の付く発音をするときの何割か以上が「アンパンマン」なのは、もはやある種のお約束だから、そんなに難しくないのかな、と思いながら、引き続き作業を続ける。

そしたら、今度は、その子が「にょー、にょー」と言いだした。小さな子どもが「にょー」と言えば、それはいったいなんだろう、と思いながら、生理用品売り場での整理整頓作業も終わったことだし、医薬品コーナーへ戻りましょうと立ち上がる。すると、生理用品をご覧になっていたお客様が、「そうだねえ。ここには、アンパンマン、いないねえ。いない、いない」と応えるのが聞こえる。

うひゃあ。おかあさん(きっと)の通訳能力ってすごいなあ。「にょー、にょー」は「いない、いない」だったんだあ。「あああ。にょーにょー」は「アンパンマンがいないねえ」なのかあ。

そして、そんなに小さくても、売り場全体を見渡して、アンパンマンの存在の有無を瞬時に点検感知する人体能力に感心する。彼ら小さな人たちは、アンパンマンの存在を見出すことには長けている。彼らは、アンパンマンキャラクターのついた商品がある場所にくると、「アンパンマンがいる」ということを主張しないではいられない。あるいは、「アンパンマンがいない」ということも報告せずにはいられない。だから、「あああ。にょー、にょー」と言葉にする。

店内のいろんな場所に、アンパンマンキャラクター付き商品はいろんなものがあるけれど、たしかに、生理用品関係には、アンパンマンのイラストが付いた製品はひとつもないなあ。しらばく、生理用品コーナーに行くたびに、私の脳内では「あああ。にょーにょー」が繰り返し再生されそうな予感。     押し葉

長次郎さんと義務教育

昨夜放映の「龍馬伝」の中で、亀山社中内で会計経理的業務を担当していた長次郎さんが亡くなられた。彼の悲しみや徒労感や後悔や彼の人生に対する満足感やそういういろいろな思いは、現代の中でどう昇華されているのだろうか。

「わしは難しいことはようわからんきい、長次郎に任せるきい」という龍馬さんの言葉に従って、グラバーさんと長州藩の武器お買いもの係の人との間に立って交渉を成した長次郎さん。けれど、そのお買い上げ品目のひとつである船の所有者名義と使用可能者についての契約内容はなかったことにしろという指示が出る。

おそらく交渉の現場にいた長州藩のお買いもの係の人は、グラバーさんにぼったくられることなくお買い物ができたのは、ひとえに長次郎さんの商い能力のおかげだと痛感したのだろう。だからこそ、亀山社中が「交渉手数料」をとらないというのであれば、せめて、船の使用権を認めることで、払わない手数料と同等以上の利益を得てもらえたら、と思うほどに感謝した。だから、船の使用権を亀山社中にも認めることに同意した。船籍を薩摩藩にすることについても、そのほうが政治上安全な背景があるのではなかったのか。

長次郎さんはほんとうは、亀山社中の経済状況に関して、龍馬さんや他の仲間たちに会計報告を行って各種協力を得た上で各種業務を行えたら、もっと円滑で安心だったのかもしれない。けれど、あの社中の中で、算術が必要十分にできるのは、おそらく長次郎さんだけで、他の「武士」の人たちは、あの時点では会計に関する話についていけるレベルの算術は身についていなかったのかもしれなくて、だから、長次郎さんの会計報告を聴いて理解するだけの能力はなかったのかもしれない。わざわざ「勘定方」という役割を置く背景には、そういった教育事情や実情があったのかもしれないなあ。そしてまた長次郎さん自身も、算術は得意であっても、自分が代表として任されて行った業務に関する報告連絡相談の必要性は知らなかったということなのか。

「こんな仕事をしました」「これだけお金を使いました」「現在と今後の自分たちの生活と業務継続のためには少なくともこれだけのお金が必要です」龍馬さんと長次郎さんが長州に向かう道中で、そういう話をする時間がなかったわけではなくて、そういう話をすることを思いつかなかったということなのかなあ。せめて道中でそういうような話をして、「船籍は薩摩に、使用権は亀山社中にも、ということで話をつけてありますきい。長州藩の人の同意も得ちょりますきい」という報告が、長次郎さんからなされていたら、龍馬さんも「そうか。もしそのことに関して、桂さんや他の長州藩士の人たちからの反発があるときには、場合によっては、そこは曲げにゃあならんときがあるかもしれんが、そういうこともあるかもしれん、いう、心づもりは、わしらも一応しちょくぜよ」と、意志の確認と共有作業を行うことができたかもしれない。

「社中の生計を成り立たせるにはお金が必要なのだ」という、現代社会に生きる者にとっては、ごくあたりまえでまっとうとされていることを考えている長次郎さんと、「社中が私利私欲に走ったら信頼を失うがぜよ」という龍馬さん(そして社中の他のメンバー)との間に横たわる溝は、おそらくそう小さくはない。お買いもの交渉の席で決めた船籍と使用者に関する条項は破棄せよ、という指示も、「あんさん、ビジネスにおける、契約いうもんを、必要経費いうもんを、なんやと思うてはりますのん」と、誰か言える人はいないのか、と、登場人物を見渡してみても、誰もいない。いや、グラバーさんや、小曾根さんや、おけいさん、などの豪商の方々ならば、そのあたりのことはよくご存じかもしれないけれど、彼らには「武士」に商いの手ほどきをする義務も必要性もない。龍馬さんもこの時点では「ビジネス」や「契約」の概念のない人だし、交渉役を担当した商業能力の高い長次郎さんすらも、「ビジネス」や「契約」を概念として持ち、その有用性や重要性を言葉で説明するには至っていない(ドラマ上の設定として)。

何かを概念として獲得し、そのことについて具体的に考えたり工夫したり落ち着いて話し合ったり相談したりできるのは、そのために必要な訓練を重ねていればこそなのだろうなあ。少なくとも、自分たちの生活費について具体的に計算したり計画したりできるくらいの算術技術は身につけて、他人が会計報告をしてくれるときには、その話についていけるようにはしておこうよ、そういうことができる人たちがごく一部の「勘定専門職」の人ではないように、できるだけたくさんの殆どの人がそうできるように、学校でこれくらいの算術はできるようにしておこうよ、そうして築き上げられたのが、きっと公教育なのだ。

算術だけではなくて、連絡も大切だよね、ということで、学校教育の特に初期の段階には「連絡ノート」を用いて、連絡事項を確認することの重要性を学んで訓練を重ねる。学級会やホームルームという場所で、連絡の仕方、報告や相談の仕方、怒鳴り合うのではなくて静かに会議する方法の訓練を重ねる。もちろん各教科で身につけば身につくはずの、観察力や思考力や考察力や判断力や行動力の元となる各種の力と基本回線を個人個人の中に設置することも重要だ。

そして、現在、わたしたちの多くは、その恩恵に与っている。その気になれば、会計報告を聴いたり報告書を読んだりして、それなりに理解することは、できる世の中になっていると思う。ある程度の得手不得手はあるとしても、家計のやりくりも団体経費のやりくりも、特別な算術の訓練を受けた人でなければできないわけではない。会計士さんや税理士さん等の活躍が必要な場合は、もちろんあるのだけれども。

大勢の人の中には、勉強が嫌いな人もいるだろうし、その必要性がわからない人もいるだろう。でも、仲間の会計報告や各種業務連絡をきちんと聴くことができないために、聴くために必要な基礎力を養っていないがために、その会計や業務を特定の人に任せきり、でも、任せたからといって全てを任せるわけではなくて文句は言うし批判もする、というような行為の積み重ねの結果、その人の志気が低下して、途方もない脱力感とあきらめの気持ちで苦しくそして悲しくなり、その流れや様々な事情で、その人の命を失うような哀しいめに遭うくらいなら、嫌でも苦手でも面倒くさくても、基本的な勉強くらいはするほうがずっとマシなように感じる。知識と教養を身につけるということは、場合によっては必要以上の悲しみを回避する力や、必要十分なよろこびを相当相応に味わう力を、高める側面を持つのかもしれないなあ。

ドラマの中の長次郎さんのような無念が繰り返されなくて済むように、そしてその他の多くの人々の無念や果たしきれなかった志を昇華するべく、先人たちは時間をかけて、公教育というシステムを整備した。整備されてもその中には、常に問題や課題があるだろう。けれども、公教育の整備によって、繰り返されなくてすんでいる無念や、果たすことができている志が、多くあるのもたしかなはずだ。

公教育の中だけではなくて、世の中全般、世界全般、疑問や不安や不満をおぼえれば際限がないけれど、それと同じかそれ以上に、ほんとうは、よろこびも安心も安堵も際限なくおぼえられるはずだ。だから、現代のシステムやサービスの中で享受している恩恵を、常に強くよろこんだり感謝したりする。それでも成長や向上の糧としておぼえる不満や不安については、必要に応じて適切に表出するけれど、常にその量と同等以上の満足と安心を表出する気概を持ちたい。


ところで、話は少し長次郎さんから離れるけれど、「龍馬伝」をこれまで見てきて、幕末歴史に関して、気になって気になってしかたがないことがある。

以前、海軍総連所が運営されていた頃に、その運営資金を、越前の松平春嶽さんに出資してもらうため、勝海舟さんからの特命により、龍馬さんが越前へと赴いたことがあった。あのとき、たしか、龍馬さんは、お金には「生き金」と「死に金」とがあって、春嶽さんに出資してもらうお金は、必ず「生き金」にしてみせますきに、と豪語して説得したように記憶している。

ドラマ用に作られた台詞とはいえ、松平春嶽さんから出資してもらったのが史実であるとするならば、という前提での気がかりなのだけれども、その後、海軍総連所は閉鎖となり、戻るところがある者は戻り、戻るところがない者たちは、亀山社中でカステラを焼いたり、薩長同盟のコーディネイトをしたり、している。それはそれでいいのだけれど、あのとき、松平春嶽さんに出資してもらったお金は、「生き金」になったと言えるのだろうか、というのがまず一点目の気がかり。

そしてもうひとつの気がかりは、あの出資金はきちんと返済されたのだろうか、あれは「借りた」お金ではなくて、「もらった」お金だったのだろうか、だとしたら返さなくても何の問題もないということなのだろうか、という疑問が二点目。

私が貸したお金ではないのだから、私が気にする筋合いは別段まったくないのだけれど、気になるものは気になるのである。松平春嶽さんは、おそらく視野の大きな方で、海軍総連所そのものが華々しく活躍せずとも、そこに関わった人物たちがのちに大きく活躍したことをもって、「生き金」となったと捉えて逝かれたのかもしれない。いや、私が知っていないだけで、実は、その後、勝海舟さんからきちんと返済されたのかもしれないし、返済はされなくても返済に相当する何かを得たのかもしれないし、私がそんなに心配しなくても誰も困りはしないのだけど、気になるものは気になるのだ。

もしかすると、私が知らないだけで、龍馬さんは、その後、亀山社中や海援隊で稼いだお金を持参して返金して、松平春嶽さんに「あのときはたいそうお世話になりました」と挨拶済みなのかもしれない。その話は、今後残り数か月の放映予定の脚本には書き込み済みなのかもしれない。

けれど、なんとなく、大きな仕組みを大きく変えるような仕事にかかわる「さだめ」や「天命」のような下にある人というのは、借りたお金は返したほうがいいのではないか、返すべきなのではないか、など、そういうある種の「瑣末なこと」は超越して気にしないところが必要なのかもしれない、のか、な、そうなのか、な、そうかなあ、と思ってみたり。

大きな仕組みが大きく変わる。そう、パラダイムがシフトする「とき」に立ち会った人たちの話が、私はきっと好きなのだ。だから、幕末の、いろんな立場のいろんな正義の中で生きた人々の物語に魅かれるのかも。「龍馬伝」も「篤姫」も「新撰組」も「徳川慶喜」も。これらの大河ドラマDVDドリル(繰り返し視聴)を、老後の楽しみのひとつとして、そろそろ、始められるところからでも始めれば、わたしがこの世を終えるまでには、十分に、あるいは十分の八割か六割くらいは、満喫することができるだろうか。DVD購入のために投資するその「上等な金額」は、私の人生において、「生き金」となるだろうか。     押し葉

龍馬さんと篤姫さん

お盆に帰省し義実家で日曜日を過ごす。早い夕食を済ませて、夫と義父はお店(義父が営む理容室)のテーブルで囲碁に励む。義妹の息子たちである男子二人は、その囲碁を観戦したり、日が暮れきるまでの薄闇の中、バスケットボールのオフェンスとディフェンスでの自主練習のような運動を繰り返したり。義母と私は台所での後片付け(洗いものは全て義母がしてくれる)をし終える。それがちょうど夜七時を過ぎた頃で、私は義母に「おかあさん、わたし、龍馬さんが始まる前に、先にお風呂入ってきていいですか」と声をかける。義母は「はいりんさい、はいりんさい。入れる者からはいらんにゃあ」と応える。それでは、と、お風呂にお湯を溜め始めて、着替えやタオルを脱衣所に運んだり、歯磨きをしたり、入浴準備をいろいろとしながら、義母とあれこれ話をする。

「みそさんは、龍馬さん、ずっと見ようるん?」
「はい。わりと真面目に見ようります」
「わたしゃあねえ、篤姫さんが、あんまり面白かったもんじゃけん、あのときに熱中しすぎたんかしらんけど、なんかあれで燃え尽きたみたいになってからねえ、あれからもう大河ドラマを見ようらんのんよ」
「ああ、たしかに、篤姫さんは面白かったですよねえ。私もかなり熱心に見てました。なんとなく、わたしは、幕末ものだと熱心さが高くなるみたいで。でも、じめいさん(夫)は、幕末ものはあんまりどうでもいいんですって。じめいさんは、戦国もののほうが面白いらしくて、龍馬さんの前の、兼次(かねつぐ)くんのときには、もっと真面目に見ようたのに、龍馬さんは全然なんですよ。今は、一応一緒に見とっても、殆どずっと碁をしようてですねえ」
「ありゃ、そうなんね。戦国時代の話のドラマもいろいろあったけど、やっぱり、わたしは、篤姫さんが一番よかったなあ思うわあ」

それからお風呂に入って、お風呂からあがって出てきて、「お先でした」と声をかけたら、義母が「みそさん。今いま、始まったところじゃ」と、八時になったNHKテレビを指差す。「うわわわわ」と、急いで化粧水たちが入ったポーチを居間に持ってきて、オープニングを見ながら、麦茶を飲みながら、ひたひたひた、と肌を潤す。甥っ子たちが「これ、見ようるん?」と訊くから、「うん。だいたい毎週見ようるんよ」と応えると、義母が「あんたらが見たい番組は、おじいさんの部屋のテレビで見んさい」と彼らに移動を促す。彼らはなにやら毎週見ているバラエティ番組があるようだ。

化粧水の後の保湿ジェルなどを、ぴたぴたぴた、と手のひらで顔と首にになじませながら、テレビの中で舞う龍を眺めていたら、義母が「はじまりの絵いうか音もじゃけど(オープニング音楽と映像)、篤姫さんのは、きれいで、えかったよねえ」と、ふたたび篤姫さんに対する深い憧憬を語る。

今度の義母の誕生日プレゼントは、篤姫さんのDVDにしてみる、というのはどうだろう。

追記。
うひゃあ。うわあ。大河ドラマの完全版DVDというものは、上等なもの(値段が)なんだなあ。知らなかった。総集編で様子を見るかなあ。思案しよう、思案しよう。     押し葉

正しく拗ねる

お盆に帰省したときに、幼馴染のめいちゃんと会う。

めいちゃんちのめいちゃんの部屋で、麦茶やお菓子をいただきつつ、めいちゃんの近視矯正手術後の順調快適な様子や、転職先の新しい職場の話を面白く興味深く聞く。途中でめいちゃんが「そうそう。みそ文読んだけど、要返しの実物見せて」と言って、めいちゃんの白檀の扇子を私に差し出す。

「わあ。白檀の扇子じゃ」と私が言うと、めいちゃんは「もうずいぶん古いものじゃけん、あんまり匂いはせんのんじゃけど」と言う。それでも、ほんのりうっすらと、白檀の香りが漂う扇子を、「このくらいのほうがいいにおいかも」と言いながら開いてみる。

日本舞踊の扇と異なり、白檀の扇子は軽い。そして、扇子自体の開閉も軽くてゆるい。日本舞踊の扇は、風を送ることが仕事ではなく、舞台の上で芸を行い艶やかに映えることが仕事だから、送風扇子に比べると大きくて重たくて、開閉も重くてかたい。日本舞踊の扇も長年使いこんで古くなると開閉がゆるくなるけれど、そこまで古くなった扇は、芸の道具としての一線は退き役目を終えることとなる。

めいちゃんが「あ、もしかして、日本舞踊の扇は、これとは違う、よね。動画で見たけど、もっと骨がしっかりしてたかも」と言う。私は「そうなんよ。でも、だいたいの、なんとなくな、形はできると思うよ。扇が勝手に閉じないようにうまくできるかな」と言いながら、要返しの形の指で白檀の扇子を持ってみて、「こんなかんじ」と、下から上へ、そして上から下へ、ひゅるんひゅるるんと扇子を舞わす。

「え? なになに? 今のなに? もう一回やって」とめいちゃんが目をぱちぱちさせながら言うから、もう一度同じように、ひゅるんひゅるるん。「日本舞踊の扇だと、もっとね、扇部分の面積が大きいしね、扇の柄も色もきらびやかだったりするけん、もっと見栄えがするんじゃけどね」と説明するけれど、めいちゃんはそんな説明は別段どうでもいいらしく、「今の、ゆっくりやったらどうなるん?」と訊いてくる。「ゆっくりやると、こうだけど、ゆっくり分解しちゃうと、全然面白くないし、勢いあればこその回転が活きんじゃろ」と言いながら、コマ送り画像みたいに、ゆっくりゆっくりゆっくりと扇子を動かしてみてから、もう一度元通りの標準速度で、ひゅるんひゅるるんと要を返す。

「もしかして、みそちゃんちの家族は、みんなこれができるわけ?」
「みんな、って言っても、今は、どてら(私の旧姓)の父と母と私と弟と妹だけだよ。みみがーも、むむぎーも、ゆなさん(弟の妻)も、もっきゅん(妹の夫)も、どうやらくん(私の夫)もできんけん、できるのは、みんなじゃなくて半数じゃね。みみがーは、実はもうそろそろ、できてるとほんとはいいんじゃけど」
「いや、半数って言ってもねえ、そういう家は、そうはないけん。それは、みみがーちゃん、拗ねるのが正しいわ。それは、ちゃんと、拗ねてくれてよかったわ。そこは、人間として、ちゃんと拗ねんといけんじゃろう」
「そ、そ、そうなん?」

めいちゃんは「みそ語りにアップしてあった動画も見たよ。私、男の人が複数で、女の人の格好をするわけじゃなしに日本舞踊を踊るのを見たの、たぶん初めてだったけど、見ててなんか楽しいね」と言う。「そうじゃろ。優美なかんじや切ないかんじの踊りもいいんだけど、こっけいなかんじやのびやかなかんじのも、私は好き」と応える。

「みそ語り」をご覧でなくて、日本舞踊の動画に興味のある方は、こちらへどうぞ。     押し葉

扇の要返し(後編)

再び、承前。

今年のお正月だっただろうか。広島の実家に帰省して、家族全員で食事をして、みんなだいたい食べ終えて、少しずつお片づけしましょうか、という頃合いになったとき、姪っ子のみみがーが「わたし、要返しができんのんよ」とおもむろに言う。すかさず妹が「できんのんよ、じゃないじゃろう。練習してできるようになりんさいや」と言うけれど、みみがーとしては、たぶんそんなにできる人が多いわけではないであろう、ちょっと難しいことに挑んでいる自分のがんばりを少しばかり披露してみたいような心情での発話だったのだろうなあ、と、あとになってから思う。

妹が「みみがー。せっかく、みそちゃんも来とるんじゃけん、みそちゃんに要返し教えてもらいんさい。わたしよりわかりやすう説明してくれるかもしれんよ」と言って、別の部屋から扇を数本持ってくる。みみがーは「えー? みそちゃん、要返しできるん?」と訊く。「できるよ。これじゃろ?」と言いながら、扇をくるくるふわふわと回す。

「なんで、みそちゃん、できるん?」
「なんで、いうて、ここの家に住んどった頃は、踊りを習いようたけんじゃ思うよ」
「えー? みそちゃんも踊り習いようたん?」
「そうよ。私だけじゃないよ。みみがーのお父さん(弟)も、おじいちゃん(父)も、おばあちゃん(母)も、ひいばあちゃん(祖母)も、みんなで習いようたんよ」
「じゃあ、おとうさんも要返しできるん?」

ここで弟が「できるに決まっとるじゃんか。ほら」と、くるりくるりふわりふわりと扇を回す。みみがーは「みそちゃんやおとうさんが要返しができるって、わたし、しらんかった」と言う。

妹が「知らんかったことはないじゃろう。何回もその話はしたじゃん」と言うけれど、みみがーは「だって、やぎちゃん(妹)の踊りは見たことあるけど、みそちゃんや、おとうさんや、おじいちゃんやおばあちゃんのは、わたし、見たことないもん」と言う。その後、「おばあちゃんもやってみて」「おじいちゃんもできるん?」と扇を持って近寄っては、誰もが難なくできるごとに、みみがーの顔が不本意げになってくる。

私は「みみがーも、ちょっと、扇、持ってみて。人差し指と中指の間で扇の端の骨のところを挟むんよ。中指と薬指と小指の三本指を並べて、要を抑えるかんじで持って。それから、親指で補助するようにして扇を立てます。そして、指先で扇を回転させながら、同時に手首も使って、扇が踊ってるみたいに、こう、ふわりくるりと、返しながら回す、と。でも、みみがーは、まだ、手が小さいけん、指先だけで扇を支えるのは難しいじゃろ。そういうときには、指の深いところでしっかり挟んで持ってみて。とりあえず扇が回って舞ってるふうに見えればいいんじゃけん。ああ、扇が周りようるなあ、いうかんじで、手と手首全体を動かしてみたらいいよ」と言ってみる。みみがーは一応扇を持ってみるけれど、そこに、習ってできるようになろう、という気概は殆ど感じられない。

そうこうしているうちに、弟と妹と私の、それぞれの要返しの仕方が、微妙に異なることに気づく。私が扇を要返し開始の形で構えて、「ほらほら、しめじ(弟)と私、指の当て方がなんか違うと思わん?」と言うと、弟も別の扇を持って「ほんまじゃのう。なんか違うのう。でも、回してみたらおんなじに見えるで」と言いながらまた回す。「ほうじゃねえ」と言いながら、私もひゅわりひょわりと回す。妹は扇を構えて回してから、「ええんよねえ。同じじゃわいね。それらしゅう見えとりゃあええんじゃけん。ほら。みみがー、あんたも、よう見ておぼえんさいよ」と言う。

そうしながら、弟が「ちょっと、ねえちゃん、聞いてや。ゆな(弟の妻)の何がすごい、いうて、自分は踊るわけじゃないのに、みみがーの踊りの振付を全部頭の中でおぼえとるんじゃ、これが。実際踊るわけじゃないのに、みみがーの練習見ながら、ほらっ、そこっ、ちがうじゃろっ、ぐるっと回って引き足(決めの足の型のひとつ)じゃったよ! いうて言うんじゃ。おまえすごいのう。踊ったことなしに、そこまで言えるいうてすごいのう、思うんじゃ」と言う。

すると妹が「ゆなさんがおぼえてくれすぎたら、みみがーが自分でおぼえんでもお母さんに聞きゃあええ、思うて、おぼえとらんかったりするんじゃけん、ゆなさんじゃなしに、みみがーが、自分でおぼえんにゃあいけんのんよ」と言う。

私が「ゆなさん、そんなにおぼえるの上手なんじゃったら、ゆなさんも踊り習ったらいいのに」と言うと、ゆなさんは「私はいいです。踊りはいいです。子どもらの習いごとの面倒見るので手一杯じゃし」と拒む。

そんな話などしながら、三人で、繰り返し要返しをしているうちに、いつのまにか、みみがーは、すっかりとふてくされていて、「みんなできてずるい」と言いだす。そして「わたしは、おかあさんに教えてもらう」と言う。母であるゆなさんが「おかあさんは、できんじゃん。おかあさんは踊り習うてないんじゃけん。踊りを習いようるのは、みみがーでしょうが。じゃけん、おかあさんはできんでいいけど、あんたはできるようにならんと」と、たいへんにもっともなことを言う。みみがーは「だって、みんなできるのに、わたしだけできんもん。ずるいおもう」と言う。

そこで甥っ子のむむぎーが「おれも、要返し、できんよ。できるの、みんなじゃないじゃん。お母さんもできんじゃろ。おれもできんじゃろ。もっきゅん(妹の夫)も、じめいさん(私の夫)もできんじゃろ。ほら、みんなじゃないじゃん」と言う。弟が「そりゃあ、むむぎーは、踊り習いようらんけんじゃろう。お前も踊り習うか? うりゃ」と、手のひらを、ぐう、にして、むむぎーの頭を両手の拳で挟むみたいにぐりぐりとなでる。むむぎーは、父にかまってもらうのが楽しいぞう、嬉しいぞう、な表情で、「うひゃうひゃうひゃひゃ」と笑いながら、「おれは空手習いようるけんいい。空手のほうがいい」と言う。

妹は「みみがー、あんた、ずるいとか、そういうのは、ちがうじゃろう。みんないっぱい練習したけん、できるようになったんじゃん。みみがーも練習すりゃあええんじゃん」と言う。けれど、みみがーは、正論を聞けば聞くほどに、すねた気持ちになるらしく、いつのまにか居間のソファーの隅っこに、しゃがんでうずくまり始める。

私がみみがーに近付いて、「ねえ。みみがーは、まえはコロなしの自転車に乗れんかったじゃん。でも、今は乗れるじゃろ。どうやったら乗れるようになったかおぼえとる?」と訊いてみる。みみがーは「練習した。いっぱい練習したら乗れるようになった」と言う。「ということは、要返しも、そうじゃと思わん?」「そうかもしれんけど、要返しは、わたし、もっきゅんとじめいさんに教えてもらいたい」と謎の理屈を語りだす。

母(みみがーにとっては祖母)は「だいじょうぶよねえ。大きくなりながら練習すりゃあ、できるようになるようねえ。それに、みみがーは、いったんやる、と決めたことに対する根性はすごいんじゃけん。いったんやる、って決めるまでは、あれこれぐずぐず言うたりするけど、いったん決めたら、みみがーはすごいんじゃけん」と言う。

ゆなさんが「そうよ。みみがーは、やる時はやるよね。でも、みみがー、なんぼやる気になっても、ずっとおかあさんに、付いて見とって、いうのは、あれはやめようやあ。自転車のとき、おかあさん、つらかったわあ。日が暮れても、夕ご飯作って食べようやあ言うても、トレイに行きたくなっても、まだがんばるけん、見とってほしい、言われて、もう明日にしようやあ、練習はちょっとずつコツコツしたほうがええよ、言うても、だめ、まだやる、できるまでやる、できるまで見とって、言うて、あれはおかあさんつらかったわあ」と遠い目をする。

これまで私が見たことのあるみみがーの舞台(録画)では、扇の要返しが必要な演目はまだない。ソファーの隅っこで「要返しは、もっきゅんとじめいさんに教えてもらいたい」と謎の理屈を繰り出していたみみがーが、華麗で軽やかな要返しをふわりくるりと繰り出して舞う演目も、そのほかの演目も、堂々と喜びとともに踊れる大きな女の子になる未来を、私は、きっとかなり真剣に、心待ちにしている。     押し葉

扇の要返し(中編)

承前。

まず、「要返し」の解説。日本舞踊経験者にとっては日常用語である「要返し」だが、日本舞踊とあまり接点のない方たちにとっては馴染みのない単語かもしれない、ということに気づいたから。読み仮名は「かなめがえし」。扇の要の部分を回転させなが上下に動かすことで、扇全体がふわふわくるくると大きく舞い踊るように見える芸のひとつ。

では、本題開始。

姪っ子のみみがーが、日本舞踊を習い始めて以来、私が広島に帰省すると、義妹のゆなさんが「おねえさん。みみがーの踊りの録画、見てくれてですか?」と言う。私は「もちろん。見る見る。見せて見せて」と頼む。するとゆなさんが手際良くテレビ上映を準備してくれ、居間の大きなテレビで、みみがーの舞台が始まる。テレビの中のみみがーは、小さな子どものサイズの華やかで艶やかな着物をきちんときれいに着つけてもらい、髪の毛も丁寧に結いあげて、立派な踊り手さんのいでたちだ。

ちんとんしゃん、てて、つんてんてん。踊りの曲が始まって、みみがーは動き出す。生真面目な表情で真剣なのはとてもよくわかる。けれど、その真剣過ぎる表情は、やもすると少し不機嫌に見えるほどで、「きみ、きみ! 舞の喜びを感じてるかー!」と問いただしたくなってくる。踊るときにはぜったいにへらへらと笑ったりはしないけれど、特別に笑みを作ることもないけれど、曲の内容や歌詞の意味に応じて、表情を緩めたり緊張を漂わせてみたり、目を伏せたり、目線をぐっと強くしたり、という表現を盛り込む。けれど、みみがーのまばたきは、人体が自動で行う眼球保湿のための動きのみ。

本人なりにがんばっているのは、とてもとてもよくわかる。お稽古の時には身につけない重さの帯と髪飾りとで、思うように動けないのだろうな、とも思う。もう少し体もこころも大きくなったら、そういう装具の重さに振り回されることも少なくなり、普段の稽古で積み重ねた動きを再現しやすくなるのだろう。

みみがーの踊りが終わり、会場から、「ほう」「ぱちぱち」と安堵の声と拍手が上がる。私もテレビの外から、「ほう」「ぱちぱち」と安堵の息と拍手をする。隣にいる妹が「ね。ねえちゃん。みみがーの踊り、見とるほうが息が止まるじゃろ。ねえちゃんも息が止まっとったじゃろ」と言う。

「ああ。そういえば、そうかも。でも、みみがーなりに、ようがんばっとるのはようわかるよ」
「みみがーは小さいけん、老人ホームの慰問の舞台のときなんかでも、みみがーが出てきたら、それだけで、まあまあこんなに小さい子がきれいな着物を着せてもろうてからに、っていうかんじで、わああ、いうて喜ばれるんじゃけど、いざ踊り始めたら、みんなもう、この子はちゃんと最後まで踊りきれるんじゃろうか、振りをちゃんとおぼえとるんじゃろうか、いうのが気がかりで気がかりで、しーん、と息が止まったみたいに静かになるんよ。あんたあねえ、老人の慰問に来とるのに、年寄りの息を止めさせてから、寿命縮めちゃあいけんじゃろう、いうかんじなんじゃけん」
「でも、舞台の回を重ねるたんびに、だんだん上手になりようるが。大きくなったらもっと楽に動けるようになるじゃろう」

小学校一年生のときから日本舞踊を習い始め、現在は名取りとしての精進を重ねる妹にとっては、小学生当時の自分がすでにできていたと記憶しているつもりのことを、みみがーができない、あるいは、やろうとしないように見えることが、少々はがゆく不満に思えたりするのだろう。

あれ、おかしいな。今日が後編にになるはずだったのに、なかなか本来の本題に辿り着けないぞ。仕方がないので、今日の話は「中編」として、また後日後編につづく(予定)。     押し葉

扇の要返し(前編)

広島で子どもとして生活をしていたころ、実家では、家族全員で日本舞踊を習っていた。もともとは、祖母の片腕と肩の動きが一時期不自由になったことの治療とリハビリを目的として、父と母が日本舞踊の先生を探して見つけてきたように記憶している。祖母は、明治生まれの昔の人で、女学生のときだったか卒業後だかに三味線や日本舞踊を習っていた時期があるらしく、懐かしさと馴染みのある日本舞踊での腕のリハビリには相当積極的であった。

日本舞踊の先生は、当時二十代前半の小柄な女性で、けれども一度踊りだすや、その小柄な体が空間いっぱいに雄大に拡がる不思議な存在感を持つ人で、お若いけれど、いや、きっとお若いからこそ、当時小学生だった私や弟や妹にも、父や母や祖母にも、びしりとした丁寧さと厳しさをもって指導してくださる方だった。

祖母一人が習うのであれば、先生のご自宅まで、祖母一人が通わねばならない。そうなると、数キロは離れた場所だから、父か母が運転して送迎する必要がある。けれど、だいたい三人以上くらいがまとまって一か所で習う場合には、先生がその場所まで出向いてくださるシステムがあった。だから、両親は、それなら、うちの家族六人全員で習えば、先生に来てもらえるね、という算段をしたらしく、ある日小学校から帰ってきたら、いきなり「今日から毎週一回夜に一人三十分ずつ日本舞踊を習うことになったから」という決定事項が告げられた。

それから毎週その曜日になると、家族全員が日本舞踊の準備をする。自分の順番になる数十分前には和服に着替える。夏は浴衣に、冬はウールの着物に。そして自分の順番になるまで、和室の隅に正座をして、先生の指導と家族の踊りを見学する。練習が始まる前には、先生の正面に正座して、「よろしくお願いいたします」と手をついて頭を下げる。練習が終わると、また先生の前に正座して、両手をついて頭を下げて「ご指導ありがとうございました」と挨拶をする。小さなうちは、練習が済むと、子どもたちは順次寝支度をする。お風呂に入ったり、次の日の学校の準備をしたり。

そうやって、何年か経過したころ父は仕事が忙しくなり日本舞踊をやめた。弟は十年近く習ってから大学進学を機にやめたような気がする。いや、もっと前の高校進学時にやめたのだったろうか。私は十七年近く続けたことになるだろうか、二十八になる少し前に結婚して家を出ると同時にやめた。祖母は亡くなる数年前に「新しい振付をおぼえられなくなった」と言ってやめた。祖母が亡くなる前後に母もやめた。今は妹だけが、自分で先生のご自宅まで通って習い続けている。

そして数年前、姪っ子のみみがー(弟の娘)が、小学校に入る前後ごろ、同じ先生のところで日本舞踊を習い始めた。先生のご自宅までの送迎は、ゆなさん(みみがーの母。弟の妻)がしてくれている。

後日後半へつづく(予定)。     押し葉

ばいばいたっち

数日前の勤務中に、四歳くらいの女の子と、九歳くらいの女の子と、彼女たちの母と思われる若い女性との三人でご来店くださったお客様。おねえちゃんのほうが、足首をすりむいて怪我をしたとのこと。基本的な処置はしてあるのだけれど、この気温の高さだから、化膿しそうな時にはどうしたらよいか、痛みが強いときにはどうしたらよいか、というお母様からのご質問に対して、いくつかの提案を行う。

しばらくすると、おねえちゃんのほうが、「おかあさん、わたし、けがしたとこの足が痛くなった。座りたい」と言う。お母さんが「一人で車に乗ってる?」と訊くと、おねえちゃんは「うん」と言う。お母さんは「あ、もしかして、車で座っていたい、というよりも、車でDVDが見たいんやろ?」と確認する。女の子は、ばれちゃった、という表情で「うん」と応える。

「いいけど、って車の鍵を渡そうと思ったけど、だめじゃん。エンジンかけないとDVDは見れないよ。もう少しで終わるから、もうちょっと待ってて」
「あの、もし、よろしければ、あちらの待合コーナーに、ソファーと椅子が置いてありますので、そこで座って待っていただく、というのはいかがでしょう」
「ありがとうございます。おねえちゃん、そうして。お店の中の椅子に座ってて」

おねえちゃんは「うん。わかった」と言って、待合コーナーに向かう。妹のほうの女児は「わたし、おかあさんと、いる」と宣言して、お母さんに抱きつく。お母さんは「重いよう。暑いよう」と言いながら、抱っこしながら、私への質問を続けられる。それにひとつひとつお応えしていたところ、今度は、妹女児のほうが「わたしも、すわる」と言う。お母さんが「じゃあ、おねえちゃんのところに行ってごらん。そこよ。わかる?」と声をかけると、「うん。だいじょうぶ!」と元気よく、お母さんから離れて、私に向かって「ばいばーい」と手のひらを振る。

私は、そうだね、一応いったんバイバイだよね、と思い、妹女児に向かって「ばいばい」と手を振ってみる。すると女児は続いて「たーっち!」と言いながら、私の手のひらに自分の手のひらを重ねようと背伸びする。私は少ししゃがんで、「はい、たっち!」と、女児と手のひらを軽く合わせる。妹女児がもう一度「ばいばい、たっちー!」と言う。ほう。これは、「ばいばいたっち」というものなのか。保育園か幼稚園で習った風習なのかな。

妹女児は、そのままお母さんに駆け寄り、膝に抱きついて、「ばいばいたっちしたー!」と報告する。お母さんは「うんうん。よかったね。ほら、おねえちゃんのところに行って」と待合コーナーへと女児を促す。

そのあと、私はひととおり、怪我の部分の各種処置方法と、これは病院で飲み薬を出してもらったり処置してもらったりしたほうがいいな、という見極めポイントとなる目安などをお話する。お母さんは、「じゃあ、これと、これと、これ」と買って帰るものを決めてカゴに入れ、レジへと向かわれる。

レジの前では、小さな子どもが、床にあおむけになっていて、そのそばで大人のお客様と職場の従業員女性がティッシュとコットンで子どもの鼻血を拭いているところだった。その子はどうやらお店のカートの下の部分に乗って遊んでいて、カートが転倒して転んだ拍子に鼻をどこかにぶつけたもよう(その子はそのしばらく後に、その子の母親から、「いっつもカートに乗って遊んだらダメって言ってるでしょ。その理由がよくわかったでしょ!」と丁寧に叱ってもらっていた)。

「もしかして、お客様のお子様のどちらかでしょうか」と私が接客していたお客さまに尋ねると、「いえ、うちの子じゃないです」と言われる。「では、うちのお子様を見つけましょう」と言って、お客様を待合コーナーへ案内する。

待合コーナーの丸テーブルに向かい合って、おねえちゃんと妹が座っている。ふたりとも、ちょこんと、お行儀よく、じいっと座っている。私はお子様二人に向けて「たいへんお待たせいたしました。たくさん待ってくださってありがとうございます」と声をかけてから、お母さんに「二人とも上手に待ってくださって、お行儀のよいおりこうさんなんですねえ」と伝える。お母さんは「ちいちゃん(妹女児)、こんな大人の椅子に一人で座って。おねえちゃんが座らせてくれたの?」と子どもたちに訊く。

妹女児は「ううん。ちいちゃん、じぶんですわった」と自己申告する。お母さんはちょっと信じられないといった表情をしながら「えー? ほんと?」と言う。今度はおねえちゃんのほうが「ほんとよ。ちいちゃん、自分で机と椅子の隙間によじ登って、一人で座ったよ」と説明する。妹女児も「ほんとよ」と繰り返す。

お母さんは「ちいちゃん、こんな大人の椅子に、いつの間にか自分ひとりで座れるようになってたんやねえ。お母さん、その瞬間見たかったなあ。おうちでも外でご飯食べる時も、いつも子ども用の小さな椅子だけど、もう、だんだんと、普通の椅子で大丈夫になっていくんやねえ。ほら、おいで」と言いながら、妹女児を抱きかかえて椅子から下ろす。

おねえちゃんも椅子から立って、三人そろってレジへと向かう。お母さんが「ありがとうございました」と言われて、私は「ありがとうございました。おだいじになさってくださいね」と見送る。妹女児はふたたび、「もっぺん、ばいばいたっち!」と私に向かって言うから、私は少し腰をかがめて、「ばいばーい、たーっち!」と、妹女児と声を合わせて言いながら、手を振ってから互いの手のひらを、ぱちんっ、と合わせる。

妹女児は満足そうに満面の笑顔になって、「もいっかい、ばいばいたっち、したー!」と言いながら母親のもとへ駆け寄る。おねえちゃんは、私のほうに向いてから、少し大きな子がそうするように「ありがとうございました」と、丁寧に会釈する。私も「ありがとうございました」と言いながら、お客様をお見送りするときの角度のお辞儀をする。そうして、そのあとすぐに、片手を小さくあげてから、「ばいばい」と手を振ってみる。

おねえちゃんの表情が「お姉ちゃんの顔」から「子どもの顔」に変わる。おねえちゃんは私に向かって小さく、ばいばい、と手を振る。そのあと私は宙で手のひらを、ぽんっ、としならせて、小さく「たっち!」と言ってみる。おねえちゃんも同じように、私に向かって、手のひらを空中でしならせて、にっこりしながら「たっち!」と言う。そうしてから、きびすを返して、お母さんと妹に追いつく。そして「お母さん、私、足、もう痛くないかも」と言う。

必要な手当てと養生は丁寧に行って、「ばいばいたっち」でときどき英気を養って、それから「子どもの顔」もして、足の怪我を治して、ゆっくりと少しずついっぱい大きくなっていこう。     押し葉

かえつておいで

お盆に広島へ帰省する予定について、どうやらの義母にメールを送る。義母と私は同じ携帯電話会社利用者なのと、私が携帯電話でのeメール機能は外しているという理由から、SMS(電話番号あてに送信する文字数の少ないメール)を利用する。「暑中お見舞い申し上げます。お盆は十五日と十六日に泊めてください。よろしくお願いします。安全運転で帰ります。」

以前、一時期は、こうして私がメールを送ると、義母はすぐに私の携帯に電話をかけてきて、「みそさん、暑いね。気をつけて帰ってきんさいよ。暑いんじゃけん無理しちゃあいけんよ」と、通話で了解を知らせてくれていた。それはそれで、もちろん、嬉しくはあった。けれど、私としては、「おかあさん、携帯メールするのが難しくなっちゃったんじゃろうか。メールのやり方、忘れちゃったんじゃろうか」ということが気がかりになった。だから、私は夫にそのことを話してみた。

その後まもなく、また何かの用事で、義母にメールを送った後、私は台所で何かをしていた。義母からであろう着信音が鳴っているのに気づいて、手が離せないから、夫に代わりに出てと頼む。私に電話したつもりの義母は、電話に出たのが夫だと気づくと、そそくさと電話を切ろうとする。夫が「そっちは二人とも(両親ともに)元気でやりようるん?」などと質問しても、適当に「うん、うん。みそさんにわかったいうて言うといてくれたらええけん」と、あまり多くを語ろうとしない。それでも夫が、「せっかく携帯メールできるようになったのに、メールに電話で返事しようたら、やり方忘れるんじゃけん、面倒くさがらんとメールもしたほうがええよ」と言うと、義母は「忘れとりゃあせんわいね。それなら、これからすぐにメールで返事しようか?」とちょっとムキになってみたりと、なかなかにかわいらしい。

けれど、夫が電話でそうやって話をしてくれて以来、義母はまた、携帯メールに取り組むようになり、メールにはメールで返事をくれるようになった。そうして、今回、義母が私に送ってきてくれたメールは、「毎日暑いね。お疲れ様~気をつけてかえつておいで(原文ママ)」。

そのメールを見て、「わあ。おかあさん、メール上手になっとってじゃが」と私は喜ぶ。どれどれと横から見た夫が、「上手って、どこが。かえつておいで、って、かえつて、って、小さい、っ、を入力するのを放棄しとるじゃん」と言う。

「そんなん、全然問題ないよ。お互い読めるし、意味わかるし。それに、ちゃんと、毎日暑いね、のあとに、丸(句点)がついてるじゃん。最初のころは、一切の句読点がなかったのに、すごい進歩。お疲れ様のあとの波形も、いつのまにか自力で習得しとってじゃし。あ、もしかしたら、たるるやかるる(夫の妹の息子たち)が教えてくれたんかもしれんね」
「まあ、ええけど。でも、帰っておいで、の、かえ、のところまで入れたら、たぶん画面の下のほうに、帰る、帰って、帰った、って変換候補が出とるんじゃろうに、そこは見えてないんやろうなあ」
「まあ、ええじゃん。そのうち気づいてかもしれんし。別に今のままでも、私とメールのやりとりする分には、何一つ問題ないよ」
「うーん。ええんかなあ」

息子として母に求めるレベルと、嫁として義母に求めるレベルは、少しばかり各種様相が異なるのかもしれないな。     押し葉

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プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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