みそ文

愛しの記念写真

夫は近々、通勤用の車を買い換える予定だ。夫が乗る軽自動車は、熊本に住んでいた頃購入したものだ。熊本から福井への転勤が決まり、福井での通勤には自家用車が必須だと知った夫は、自分専用の車を購入することにした。それ以来、その軽自動車は、ずいぶんと長い期間、夫の通勤を支えてくれた。雨の日も風の日も、雪の日も晴れの日も。この軽自動車に対して、私が何より感謝しているのは、夫の車の運転力を、普通以上にしてくれたことだ。

自動車通勤するようになるまでは、夫は車に関しては、いわゆるペーパードライバーだった。運転免許は持っていたし、自動二輪に関しては限定解除の免許保持者で、バイクならばいつでも気軽に自由自在に運転できていたけれど、車の運転に関しては、非常に危険な人であった。だから、大阪や熊本から広島へ帰省をするときも、運転するのは私の仕事で、夫は助手席でナビと睡眠を担当していた。私があまりに疲れたときには、交代してもらってみたりもしたのだけれど、運転する夫も、助手席に座る私も、あまりに過度に緊張して、全くドライブを楽しめず、二人とも息も絶え絶えになり、やはり車の運転は私がするね、うんそうしよう、ということになる。

当時一人で長距離を運転していた私は、目的地に到着すると、精も根も尽き果てたような状態になっていた。夫の実家では義母が、「みそさんはえらいねえ。よう遠くから、ずっと運転してくるねえ」と感心してくれ、「なんもせんでええけん、座っときんさい。寝ときんさい」と、英気を養わせてくれていた。それでも、長距離運転疲労のあまり、私は夜中に何度も、びくっと痙攣するような衝撃で目を覚ますことがあった。

それが今では、どこへ行くにも、二人で乗る普通自動車は、かわり番こで運転できる。目的地でも安眠だ。毎日通勤で車を運転するようになった夫は、車の運転が格段に上手になった。今では、半分ずつどころではなく、場合によっては、道中の大半を、夫が運転してくれて、私は助手席で歌をうたって上半身だけ踊ることだってできるし、安心しておにぎりを食べたりお茶を飲んだりもできるし、座席を倒して本気で寝ることもできようになった。本当にすばらしい。だから私は、「熊本で買った軽自動車くんありがとう」「福井転勤ありがとう」と、何度も天を仰いでは、心の底から手を合わせる。一人で運転して疲れ果て、夜中の痙攣で息を飲んでいた、当時の私に教えてあげたい。「だいじょうぶだよ。もうじき、車の運転は交替でできるようになるからね。夢みたいに快適だよ」と。

そして、その軽自動車を、近々買い換える予定の夫は、長年お世話になった記念に、写真を撮っておく、という。今日、二人で食材の買出しに出たときに、夫はいつも旅に連れてゆくカメラを手に持っていた。駐車場にいる軽自動車の傍に寄り、少しばかり腰をかがめて、いとおしそうに、シャッターを押す。対象物をきちんと撮影できたとき、このカメラは、ちょっと威勢良く「シャクン!」という音を奏でるのだけど、今日の音は違っていた。「シャウン」というような「ショウン」というような、「すんません、仕事できなくて」というかんじの、なんとなく申し訳なさげな音だった。

夫は、「あれ? あれ?」と言いながら、カメラを観察してみて、「あ、フィルムが入ってなかった。がっくし」と言う。フィルムが入っていなかったり、入っていても既にすべて使い終えていたりして、夫が写真を撮り損ねるのは、今回が初めてではない(みそ記「首里城」参照)。「どうやらくん、すごいねー。過去の学習が全然役に立ってないねー」と、私は心底感心した。     押し葉

みんな、じゃない

小さい頃、妹が、何かをねだったり主張したりするときに、「だって、みんな、持っとるもん」「学校のみんなが、そう言いようるもん」という言い方での理由付けをよくしていた。

そのたびに、私が、「みんなって、誰と誰と誰?」と問い返す。それに対して妹が、「だれちゃんと、だれくんと、だれさんの、みんなが、そういうて、言いようた」と言う。すると今度は、弟が、「それは、みんな、じゃないじゃろう。みんな、いうんは、クラスの人全員なのが確認できてからじゃ。そうじゃないんなら、みんな、じゃない」と言う。

妹は、「ひーん。でも、みんなじゃもん。ひとりひとり全員に聞いてなくても、みんなそう思いようると思うもん」と半泣きになる。「やぎ(妹)が勝手に、みんながそう思うとる、いうて思うとっても、実際にみんながそう思いようるかどうかは、それぞれの人に聞いて、たしかめてみんとわからんじゃろ。クラス二十五人中三人しか確認できてないんじゃったら、みんな、いうのは、言わんほうがええよ」と私が畳み掛ける。

妹は、「でも、だれちゃんと、だれくんと、だれさんの、三人の中では、みんなじゃもん」と断言したのち、「うわーん。かあちゃーん。ねえちゃんとにいちゃんが、やぎ(妹)がわりい、っていうー」と、母に泣きつく。けれど、母は、「何を言いようるんね。誰も、あんたが悪いなんて言うてないでしょうが。よう調べもせんと、みんなが言うとる、やら、みんなが思いようる、やら、言うけんでしょうが」と、面白そうに応える。

毎回そういうやり取りをするにもかかわらず、妹は、不屈の闘志の持ち主なのか、それとも忘れっぽいだけなのか、何かにつけては「みんなが」という言い回しを、折々に使い続けた。そして、そのたびに、私と弟からのツッコミを全身に浴びては半泣きになる、ということを繰り返す根気のよい人だった。けれど、気がついたときには、妹は大きくなり、いつのまにか、「みんなが」という言い回しや理由付けはしない人になっていた。

そして、今では妹は、姪っ子(弟の子)が何かを主張したいときに、「だって、みんなが、そういうて、言いようるもん」というような類のことを少しでも言おうものなら、「ちょっと、みみ(姪っ子の名)、みんないうて、誰と誰のことなんね。言うてみんさい」「そこにおった人全員がそう言うたのをちゃんと確認したわけじゃないんじゃったら、みんな、いうて、言いんさんな。みんな、じゃないじゃろ」と、ぴしゃりと、厳しく言い渡す叔母として活躍中だ。     押し葉

繋がる万歳

季節の変わり目ということもあるのか、職場の売り場編成の変更や、商品のリニューアルや、なんやらかんやらいろいろで、毎日、仕事をこなしてもこなしても、やるべきことが際限なく、目の前に現われる。商いは止まらない列車、という言い回しがあるけれど、止まらなくてもいいからせめて、ちょっと速度を落としてはいかがかしら、と思いそうになることがある。

私だけでなく、同僚皆が、息切れ気味に、それでも、その日のキリのよいところまで、時間内に、精一杯の仕事を片付けて帰ってゆく。そして各自、少しでも手が空いたなら、自分の担当部署以外の売り場作業のお手伝いに励む。それぞれがそれぞれの勤務時間を終えて帰ってゆくときには、皆一様に、もうこれ以上は働けません、な疲労した空気を身にまとい、「お疲れ様でした。お先に失礼します」と挨拶する。けれど、各自、その直後には、各家庭での日常業務に取り掛かるのだ。子どもの習い事などの送り迎えをしたり、食材の買出しをしたり、掃除をしたり、洗濯物を片付けたり、夕ご飯を作ったり家族に食べさせたり、宿題を見てやったり、学校での話を聞いて相槌を打ったり、夫婦で会話したりいろんな相談をしたり、身内のままならない様々な事情に頭を抱えてみたり。商いが「止まらない列車」であるように、各自の日常も、やはり、「止まらない毎日」なのだ。それでも、各自が話す事情と、話さない事情の、両方に思いをはせながら、嬉しい出来事には喜び、たいへんな事情には応援と見守りの気持ちを送る。

先日は、私が売り場の作成作業をしていたら、三時半で勤務を終えた同僚が、「プライベートなことなんですけど、ちょっと聞いてもらっていいですか」と話しかけてきた。同僚の説明によれば、彼女の夫の勤務先も、不景気の影響で、賞与や給与の減額や、場合によっては解雇もあり、従業員皆がセンシティブになっているとのこと。中には抑うつ症状を呈する従業員も少なくない状況に至り、会社としてもこのままではいけないと、幹部従業員に対する、心理学研修が義務化されたのだそうだ。彼女の夫も、幹部従業員の一人として、企業カウンセラーからの講習を定期的に受けて、自宅では宿題を行う。習ったことの実践を、部下たち同僚たちに対して、積み重ね行う。そうして、部下たちと職場全体の集中力や生産性が保てるような環境作りに励んでいるのだそうだ。けれど、その話の内容の厳しさとは裏腹に、同僚の表情は柔らく、むしろやや上気していて、少々興奮気味に語る。

「それがですね、夫がその講習を受けてからというもの、私に対しても、子どもたちに対しても、物の言い方や表情が、これまでと全然違うんです。今まで、私がいくら注意しても、言うことを聞かなかった人が、これまで私が注意してきたこと全て直したかんじなんですよ。私は、同じことを言うのでも、言い方や間の取り方や声の勢いを気をつけるだけで、聞くほうの気分は全然違うんだから、って言ってたんですけど、夫は、とげとげしい言葉の使い方をすることがちょくちょくあって、私も子どもたちも、夫が仕事から帰ってくると、知らず知らずのうちに警戒する、というか、ひどいときには、げんなりしたりもしてたんです。それが、今は、夫の物言いの穏やかさに、私も子どもたちも和む、というか。今までは何か言うと、すぐに攻撃的な物言いをする人だったから、なんとなく、話をしないようにしないようにしていたところがあったのが、今は、私も子どもたちも、なんでもないことで、おとうさん、おとうさん、って話しかけるようになって、それに対して夫が返してくる言葉も穏やかだから、ちゃんと会話が続くんです。なんか、うれしくて、うれしくて。私の言うことは聞けなくても、カウンセラーの先生に言われると、真に受けることができたんですかね。金銭的には、うちも年収減ってるし、つらくないわけじゃないんですけど、そのつらさを補って余りある、っていうんですか、心の平安が得られている気がして、不謹慎かとは思うんですけど、私としては、不景気万歳! リストラありがとう! っていう気分なんです」
「そうなんですよねえ。不景気やリストラや、それ以外にもいろんな不本意な種類の出来事って、資本主義経済的観点中心で見るとデメリット中心に見えやすいんですけど、大局的な視点っていうんでしょうか、ちょっと俯瞰を意識するというんでしょうか、そういう見方も踏まえて捉えると、メリットとしてのエネルギーもそこにはちゃんとあるというか、そのデメリットがある程度極まってこそ生じたり存在したりするメリットのようなものって、けっこうあるんですよねえ」
「ああ。やっぱり、そうなんですか。どうやら先生ならこういうことに詳しいかと思って、確認してみたかったんです。やっぱりそうなんですねー。なんかうれしい。安心しました。今回のことで、そう思って、これまでのいろんなことを振り返ってみたら、なんとなく、あれ、そういえば、あのときも、あのときも、嫌だ嫌だと思ってばかりいたことと、そのあとに起こった自分にとってメリット的な出来事は、実は繋がっていたんじゃないかって、思って。あのときには、自分では気づいてなかったけど、今にして思うと、あれがあったからこそっていうような、自分にとってのメリットも見えてきたような気がして。まるで電気が電線を伝わるみたいに、パズルがいっきにぱぱぱんって解けたみたいに、自分の中で繋がった気がしたんです」
「あらまあ、そこまで、わかっちゃいましたか。バレちゃあ、しょうがないですね。そうなんです。実はエネルギーってそういう特性があるみたいなんです。という私もまだまだ研究中なんですけどね」
「やっぱり? やっぱり! でも、そのことを、出来事や感情のエネルギーの特性のようなものを知った上で、出来事や感情に向き合うのと、知らずに出来事や感情の中にいるのでは、気持ちの余裕とか、自信というか丈夫さみたいなものが、全然違うんじゃないかと思ったんですよ。仕事するにしても、プライベートの生活をするにしても」
「そのとおりだと思います。実際違うと思います。余裕のような、落ち着きのような、根拠のない安心感のような、ハッタリも含めて、なんかそういうものたちが、ある意味力強さを持ちます」
「ですよねー。あー、すっきりー。聞いてくださってありがとうございました。もやもやしてたものが腑に落ちるって、面白くって気持ちがいいんですね。そうか、そうか、そうかー。納得、納得ー。なんか、年をとるっていいですねー。時間が経つことで見えてくることやわかることって、きっとたくさんあるんですねー。じゃ、お先に失礼します。お疲れ様でしたー」

と、同僚は、晴れ晴れとした表情で、家族に供する大量の食材の袋を両腕に抱えながら、にこやかに帰っていった。同僚が独自に体験し、勝手に気づいて腑に落ちて得た、ある種の人生の喜びの、その瞬間に立ち会えるのは、全然派手ではないけれど、かなり打ち震える感動を伴う事態であるのだなあ、と、私の中でも何かが繋がり貫くような感覚を、四肢全身で感じながら、黙々と作業を続けた。     押し葉

近視矯正安寧祈願

明日二月二十六日に、おさななじみのめいちゃんが、レーシックの手術を受ける。以前の日記「杞憂」で書いたように、めいちゃんは、手術中の地震のことを、とても心配していた。けれども、実際眼科で何度か検査を受けるうちに、めいちゃんは、自分が眼科で一度も、地震のことについて質問していないことに気づいたのだそうだ。毎回、眼科から帰宅して、「あー、しまったー。今回も地震のことを質問するのを忘れたー」とは思うものの、「メガネもコンタクトも要らなくなったら、旅行の荷造りも、きっとラクになるよね。旅先でもレンズケアのこと考えなくていいんだよね。仕事中に目にごみが入っても、ハードコンタクトを使ってる今みたいな痛みはなくて、もっと落ち着いて対処できるよね」ということに、うきうきわくわくして、地震のことは、まあ、いいかあ、と、いうことになるらしい。

「術後はけっこう疲れるから、帰ったらすぐに寝れるように、寝床と寝間着を部屋に用意しておいてから、手術に出かけたほうがいいよ。応援してるねー」と、メールで情報提供してみたら、めいちゃんからは、「応援ありがとねー。今までの検査通院は、自分で運転して行ってたけど、手術の日はバスで行ってバスで帰ってくるつもり。でも、しんどかったら、眼科の近くのホテルで泊まることにする」と、なかなかに慎重で堅実な返信が送られてきた。

めいちゃんは、いろんなことが、丁寧な人だから、術後の養生も上手にするだろう。安心。だいじょうぶ。地面もまったく揺れることなく、めいちゃんも眼科の先生もスタッフの人たちも手術機材も体調よく、すべてが安全に順調に、明日の手術に臨めますように。     押し葉

義姉の毛布

何年か前のお正月に、実家で過ごしていたとき。居間に皆が集まって、飲んだり食べたり喋ったり。午後の日差しはうららかで、部屋の中はいつにない人の多さで、少しむせかえるような空気。新鮮な空気命の私としては、換気せずにはいられなくなり、「ちょっと寒くなるけど、窓開けて、空気入れ替えるね」と家族たちに声をかけて、居間のサッシも窓も大きく開け放つ。すうーっと外の空気が、部屋の中を通り抜ける。呼吸がふうっと深くなる。乾いて冷たい空気なのに、お日様にちゃんと温められた匂いがする。そうそう、広島の冬の匂いはこんなだった、と思い出しながら、日向にじっと正座して、うつむいて風の動きに身を委ねる。

「ううっ、さむいっ」と真っ先に声を出したのは義弟(妹の夫)だ。「あ、もう、寒くなった? もうちょっと待ってね。部屋のすみっこの空気まで入れ替えてしまうけんね。あとちょっとじゃけん」と言いながら、ソファのところに置いてある小さな毛布をとってきて、義弟の肩に、ふうわりと、かける。

義弟は、なぜだか、その、ふうわり毛布、に、ずいぶんと感激して、「みそちゃん、やさしい! 俺、やぎちゃん(妹)とじゃなくて、みそちゃんと結婚するべきじゃったかもしれん」と言い出す。隣にいた妹が、「もっきゅん(義弟)、よう考えんさいよ。今、もっきゅんが寒い思いをしょうるのは、ねえちゃんが、真冬にこうやって、窓を開けたりするけんじゃろ」と、覚醒を促す口調で言う。けれど、義弟は、もう、だいぶんお酒を飲んで酔っているせいもあるのか、「でも、やぎちゃんは、俺が寒くても、毛布かけてくれたりせんじゃん。放っとくじゃん。みそちゃんは、毛布かけてくれるけん、やさしいじゃん」と主張する。

妹が、「もっきゅんに毛布かけたりしたら、そこから動かんようになるじゃん。何かせんといけんことがあっても、動かんようになるじゃん。それにもっきゅんは、真冬に窓を開け放った部屋で寝る寒さを知らんじゃろう。寒いけん窓を閉めようとしたら、ねえちゃんに、ぴしっと、閉めちゃだめっ、息苦しいんじゃけんっ、て言われて、仕方なく、そのまま、お布団の中にもぐりこんだことがないけん、そんなこと言うんよ」と語りだす。すると、夫がいきなり、「そう、そう、そのとおり。吹雪の夜に隙間風の中で眠る寒さを、もっきゅんは知らんじゃろう。新鮮な空気ってそんなに重要か? 人間、一晩くらい、部屋の中にある空気で十分呼吸できるはずじゃろう」と同調をし始める。

だけど、義弟は、あいかわらず、「でも、みそちゃんは、毛布をかけてくれた。やぎちゃんはかけてくれん」と言い続ける。酔っ払い相手なのだから、妹も、適当に、わかったわかった、今度は毛布をかけてあげるけん、くらい言えばいいのに、と、思いながら、そのまま風を浴びていたら、妹がふいに「わかった! もっきゅん、ひとりだけ太っとるけん、そんなに、寒い寒い、言うんよ。他の人らを見てみんさい。みんな別に太ってないけん、ねえちゃんが窓を開けて、室内温度が下がっても、今はまだ昼間じゃし、そんなに寒がってないじゃん。もっきゅんだけよ、そんな、寒い寒い、言うのは。たぶん、皮下脂肪が多いのが、蓄冷になって寒いんよ。やっぱりダイエットしたほうがいいってことなんよ」と言い出す。

そして、今年のお正月に、実家で再会したときには、義弟は秋の南米下痢旅行で、すっかりスリムになっていて、南米のお土産話を熱心に話して聞かせてくれた。特に、夫が「お土産に持って帰ってきてほしい」と頼んでいた「現地のコイン」入手に至る経緯については、「国境沿いの売店で、お店の人たちが協力して、いろんな国のコインを集めてくれたのだ」と、詳しく話してくれて、夫も愉しそうに聞いていた。そのときに、私は、居間のサッシを開けて空気を入れ替えたりしたけれど、彼らは何も気づいてないみたいに、南米話に夢中だった。

数年前に、妹が、義弟は太っているからそんなに寒がるのだという説を唱えたときには、えらく無理やりこじつけた理屈でダイエットを促すなあ、と、少しばかりあきれながら思っていたのだけれども、こうしてみると、実はあの説は、あながち間違っていなかったのかもしれない、ということと、南米はダイエットに適した旅先であるらしい、ということに、密かに感心した、新春。     押し葉

大人も飛ぼう

先日肋骨を骨折した同僚に、私は今日「ごめん。私、まちがっとった」と話しかけてみた。同僚は「え? なにが?」と首をかしげる。

「私、これまで、もう、椅子の上から飛んで遊ぶのはやめたほうがいい、ってばっかり言うとったけど」
「うん。私も、もう、あれは、せんほうがええ、って思っとるよ」
「うん、でもね、やっぱり、人間として、飛びたいとき、ってあると思ったん。やっぱり飛びたいときには飛ぶほうがええと思う」
「ええー? そうじゃろうか。でも、私が今回気をつけんといけんかったのは、自分の身長と体重が、子どものとは違う、いうことを考えんにゃいけんのに、それをしてなかったとこじゃと思う」
「うん、じゃけん、大切なのは、飛ばんようにすることじゃなくて、安全対策を十分にしてから飛ぶことじゃと思うんよ」
「そうじゃろうか。飛ばんかったら済むことなんじゃないんじゃろうか」
「まあ、飛びたくないのを、無理に飛ぶ必要はないんじゃけど、なんか、飛びたい! って思うときが、やっぱりあると思うんよ。そう思ったけん、今回、飛んだんじゃろ?」
「そうか。まあ、そうじゃわいねえ。だんなが止めるのも聞かずに飛んだんじゃけん、そうじゃろう」
「じゃけん、飛びたい! と思ったときには、自分の身長と体重と、飛んだ結果起こる振動や衝撃や、そういういろいろを考えて、広くて安全なところで安全に飛ぶのがいいと思う。子どもさんたちみたいに、だんなさんに抱きとめてもらうのは、やっぱり、よっぽど、ジャンプとキャッチの訓練を重ねてたペアの競技者でもない限り、大人同士は、けっこう危ないと思うんじゃ」
「そうなんよ。あのとき、だんなにぶつかりさえせんかったら、ただジャンプしただけのことで、こんなことにはならんかったと思う」
「じゃろ? じゃけんね。今度飛びたくなったときには、安全な状態を確認してから、だんなさんと子どもさんたちには、これから、私、飛ぶけん、横によけて、見ようてよ、って言うてから、華麗なジャンプと完璧な着地を披露して、拍手喝采してもろうたらええと思うん。そうしたら、飛びたい欲望も満たせるし、子どもさんたちに、飛行と着地のお手本も見せてあげられるし」
「あはははは。でも、ああ、そうか、そうじゃね。そうする。今回もそうすりゃあよかったんよ、私」
「でも、まあ、人生、何事も、やってみんにゃあわからんことってあるけんね」
「うん。ほんまに、ようわかった。もう、今回のこの怪我で、何がいや、って、怪我をした経緯を、病院で先生に説明するときの、なんともいえん恥ずかしさ。でも、ちゃんと本当のことを説明せんにゃあ、夫婦間の虐待を疑われて通報されても、だんながかわいそうなし、思うけん、頑張って言うんじゃけど、先生も看護士さんらも、なんか、あきれようてんような、笑いようてんような、そんなかんじなんよ」
「そりゃあ、そうじゃろうねえ。それで、痛みのかんじは、マシになりようる?」
「ああ、それは、もう、すっごいマシ。ただ、私、皮膚がカブレやすいけん、湿布を貼っとったところがカブレて、皮がむけて痛くなったけん、もう貼ってないんよ」
「コルセットは?」
「コルセットはしとる。四週間は必ず続けてください、って言われとるけん」
「それなら、まあ、いいと思う。でも、そういえば、カブレやすいのは、今に始まったことじゃないんじゃけん、今度から病院にかかるときには、カブレやすい体質ってことも話して、湿布だけじゃなくて、塗り薬も希望するようにしたら?」
「ええ? そんなことできるん?」
「できるに決まってるじゃん」
「いやあ、そんなん知らんけん、湿布出されたら、それを貼るしかない思うとるけん。塗り薬って、バンテリンみたいなやつのことじゃろ? 塗り薬なら、私も、カブレんのんよ」
「そうじゃろ。塗り薬は、液体でも、絞りだしのチューブのでも、固形糊みたいなチックタイプでも、好きなのを希望したらいいよ。そのかわり、湿布に比べたら、少しこまめに塗りなおさんにゃあいけんのが、ちょっと面倒くさいといえば面倒くさいけど、カブレて、皮膚がむけるよりはいいと思う」
「そうなんじゃ。ああいうのって、病院にはないけん、こういうお店で買うしかないんかと思っとった。でも、病院で出してもらえるんなら、助かるよねえ。でも、塗りなおしは、たしかに、面倒くさいねえ。けど、一番痛いときは、湿布で、がーっと、ラクにしてから、落ち着いたら、カブレる前に、塗り薬に変えたらいいっていうことじゃけん。痛ければ、朝昼晩とか塗ればいいけど、そうでもなかったら、そんなに塗らんでもええいうことじゃろ」
「うん。痛みがそうでもなければ、一日一回でも二回でも、痛みが気になるときとか、まあ塗っとこうかな、と思うときに塗っとけば。あとは、骨がくっついたり炎症や痛みが治まるまでには、どっちにしても、日にち薬が要るけんね」
「うんうん。あとは日にちようねえ。でも、ええこと聞いたわ。今度から、自分がカブレやすいことも、ちゃんと、病院で言うようにする」

同僚も、私も、全国の大人のみんなも、飛びたいときには、安全を確認して、思う存分、飛ぼう。あと、もしも、何かで怪我したり、病気になったりして、病院にかかるときには、自分に対してより適切な治療を施してやるためにも、必要な情報を、医療関係者と共有することをこころがけよう。     押し葉

飛ばない大人を目指して

先日書いた「大人も子どもも気をつけて」の同僚が、「どうやら先生。この近くで、どこかいい整形外科知らん?」と訊くので、「私がお世話になったことのあるあそこの整形外科はどうかな」と提案してみる。同僚は「ああ。あそこの整形外科なら遠くないけん、行けるわ。このまえ診てもろうた話を、地元の人らに話したら、みんなが、その整形外科はちょっと、うーん、どこかもう少し診たての上手なところに行ったほうがええんじゃないじゃろうか、言うてじゃけん。別のところに行って診てもろうてみようか思うて」と言いながら、仕事を終えて帰っていった。

その数日後、また、その同僚と仕事で会ったときに、「どうでした? あそこの整形外科」と尋ねたら、同僚はやや興奮気味に、「ちょっと、聞いてえやあ。私の骨、折れとったんよ」と語る。

「あらあら。でも、ちゃんとわかってよかったですね。治療方法は変わらんでも、治るイメージの仕方も、心構えも違うてくるし」
「そうなんよ。治し方は、なんも変わらん、おんなじなんよ。湿布とコルセット。でも、自分でも痛いなあ、思うたときに、折れとるんじゃったら、ほんまに痛いんじゃ思うて、おとなしゅうしとくけど、折れとらんのんじゃったら、痛いのも気のせいか思うけん、無理するじゃん」
「いやいやいやいや。折れてなくても、骨と軟骨がずれただけでも、やっぱり痛いものは痛いんじゃけん、無理はしたらいけん」
「そうなんじゃけどよ。ついつい、よ」
「まあ、とにかく、やっぱり、もう、大人は椅子の上から飛んで遊んじゃあいけん、いうことじゃね」
「わかっとるようねえ。もう、せんけん、もう、せんけん」

同僚が、家庭内での激しい遊びも、痛みがあるときの激しい動きも、自粛する人になってくれるといいなあ。     押し葉

繋がる願いと役割と

大河ドラマ「龍馬伝」を見ていたら、龍馬さんが「黒船を造ったら、自分の家族皆を乗せて、世界旅行に出かけたいのだ」という意味のことを家族に語り、彼の家族の人たちが皆、「それはいいね。たのしみだね。行ってみたいね」という主旨の反応をしていた。

これがどうも、私の泣きのツボに、ずっぽし、と、はまったらしく、涙腺から大量の涙が噴き出す。ドライアイの治療をしたくなったときには、このドラマのこの回のこの場面を見れば大丈夫だ、と思うくらいに大量に。

ドラマの中のことだから、当時の実際の人たちが、龍馬さんとご家族が、異国への旅を夢見たかどうか、今となってはわからない。けれど、現代に生きる私たちは、そうしようと思うならば、家族揃って異国への旅を実現することは、ある程度以上に可能だ。旅の同行者の組み合わせも、家族だったり、親戚だったり、友達だったり、いろいろ選ぶこともできる。旅の計画を前にして、「どうしよう」「こうしようか」と話し合うことも、旅行当日をわくわくと待ちわびつつ、荷造りや準備をすることも、旅先で目にするもの口にするものに感嘆しあい、笑い合うことも、できる。そんなひとときひとときが、当時の彼らの思いの多くを、叶えて実現化したものであることを、今宵、突如、唐突に思い知る。今までだって、それなりに、そういういろんなできごとを、いつだって、ありがたいなあ、と、思い感謝していたけれど、連綿と続く人類の中では、いつも、誰かが、いつかの誰かの、思いを叶えていることを、思いを満たしていることを、強く噛み締めて、安堵する。そして、人類と人生に、安心と信頼を覚える。私が生きている間には、自分の願いが叶った形を、この体と、このこころで、感じることはできないことも、きっと少なくないだろう。けれども、おそらく必ず、私ではない、いつかの誰かが、叶った思いを体感し、その喜びを十分に味わってくれるはず。実現化したものが十二分に行き渡り、もはや、体感も味わいも喜びも、彼らの意識から外れ去ってしまうほどに、願いは叶うのだ。だから、私はいつでも、憂うことなく、ひたすらに、生きてゆけばよいのだ。

何かを唐突に、思い知ったり思い至ったりしたときには、こころが大きく振動する。場合によっては涙も出る。今夜の私をこういう思いに至らせたという、それだけでもう、大河ドラマ「龍馬伝」に関わった全ての人たちは、この世における大役を果たしたことになると思う。私も、自分で気づくところでも、自分で気づかないところでも、この世における自分の役割を、ちゃんと果たして生きて死んでゆけますように。     押し葉

大人も子どもも気をつけて

職場の同僚が通りすがりに、「どうやら先生、きいてー!」と声をかけてきた。「はい、なになに?」と問うと、「私、今、胴体にコルセットしとるんじゃけど」と、相変わらずの濃い広島弁(北陸ではまず耳にすることのない)で話し始める。

「コルセットだなんて、どうしたんですか?」
「それがよね。一昨日の夜、うちの子どもら(小学校低学年と幼稚園児の女の子二人)が、椅子に登って立って、そこから、だんなに向かって、おとーさんーっ! いくよー! ジャンプするよー! うけとめてー! 言うてから、ジャーンプ、って飛んじゃあ、だんなに抱きかかえてもろうて遊びようるのが、あんまりにも面白そうじゃったけん、私もしちゃろう思うて」
「いや、それは、ちょっと、小さい子どもの体と、大人の体じゃあ、ずいぶん違うような気がする」
「もう、そのとおりよ。私が椅子に登って立って、おとうさん、いくよー、受けとめてねー、言うたときも、だんなは、おい、おまえ本気か、いうて驚きようたわ。でも、娘らも、きゃあ、おかあさん、がんばってー、ジャンプー、ジャンプー、言うて、まあ、あの子らは、もう、ようけいジャンプして興奮してラリったみたいになっとるけん、そう言うわいねー。ほいで、私も、いくよー、見とってよー、いうて、ジャーンプ、って飛んだところまではよかったんじゃけど、抱きかかえてもろうたつもりが、たぶん、だんなの肩かどこかの角に脇腹をぶつけたみたいで、ゴキ、みたいな、ゴリ、みたいな音がして、激痛がきて」
「うがあ。痛そう。ご主人の肩は大丈夫なんですか?」
「それが、なんともない、言うんよ。どこにぶつかったんかも、わからんのんじゃって。だんなはだんなで、一応は、私のことも、子どもらとおんなじように抱きとめてはくれたんじゃけど、私の体が大きかったんじゃろうねえ」
「うーん、それは、やっぱり、大きいじゃろう。で、ゴリ、とか、ゴキ、の音と痛みの後は、どうなったんですか?」
「もうねえ、うずくまって、痛い痛い痛い痛い、息ができん、言うて、じーっとしようたら、だんだん動けるようになったんじゃけど、昨日、仕事に来ても、あんまりにも痛うて、息しても痛いし、お菓子の補充をするのにも、お菓子の箱なんか軽いのに、持ち上げるたんびに、痛っ、痛っ、ってなるけん、みんなが、そんなんおかしいって、病院行きんさい、言うてじゃけん。昨日、どうやら先生休みじゃったじゃろ。おっちゃったら、どうしたらええか聞こう思うたんじゃけど」
「それは、私がおっても、やっぱり、整形外科に行きんさい、いうて、言うだけじゃったと思うけど、実際行ってみたら、どうなっとったんです?」
「レントゲン写真撮って診てもろうたんじゃけど、ここの肋骨一本とその周りの軟骨が、本来の位置からずれたところにきとるとかで、しかも、軟骨が骨の周りにおらんといけんのが、ずれてはがれたみたいになっとるんじゃって」
「うがあ。うがあ。痛そう。もう、椅子からジャンプとか、激しい遊びを家庭内でするのは、大人はやめましょう」
「ほんまよお。ええ勉強になったわ。大人の体と子どもの体は違うんじゃいうて、ようわかった」
「大人の遊びを子どもがするのもやめたほうがええんじゃろうけど、子どもの遊びを大人がするのも、気をつけたほうがええんじゃないんじゃろうか」
「ああっ、もうっ、そのとおりっ。子どもは子ども、大人は大人。それぞれに気をつけんにゃあいけんわ」
「で、しばらく通院するんですか?」
「あ、それが、湿布して、コルセットで固定して、どうしても痛いときには痛み止め飲むだけ、それだけしかしてもろうてないんじゃけど、それだけしかできんもんなん? なんかこう、もっと、すぐに治るようなことは、できんのん?」
「その、それだけ、が、重要なんじゃん。きちんと固定して、骨と軟骨を元の正しい位置に戻してやらんと。固定せずに放っといたら、痛いのをかばおうとして、無意識のうちにゆがんだ姿勢になるけん、骨や軟骨が元の位置に戻りにくうなるし、そのままへんな場所で固まってしもうたら、今回怪我したところだけじゃなくて、他の部分にも負担がかかるようになるけん。怪我するのは一瞬じゃけど、治すのには時間がかかるけん、気長に気長に」
「そうなんじゃ。ほんじゃあ、がんばって、コルセットで胴体をまっすぐにして、正しい位置に骨と軟骨を戻しちゃらんにゃあいけんのんじゃね」
「そうそう。もう椅子に登ったり、ジャンプしたりせんと、コルセットして、おとなしゅうしといて」
「わかった。もう、ほんまに、あの遊びは絶対せんわ。面白そうじゃ思うたんじゃけど、こがいなことになったんじゃあ、いけんわあ」
「仕事にも差し支えるし、他の生活にも不便じゃし」
「ほんま、ほんま」
「とりあえず、もう、椅子から飛ぶのはやめましょう」
「わかったけん、もう飛ばんけん。だいじょうぶじゃけん」

痛みは伴っているものの、欠勤せねばならぬほどの怪我でなくて、本当によかった。大人も子どももそれぞれに、気をつけるべきことを気をつけながら生きてゆこう。     押し葉

雪の願いと安寧と

正月に実家で母が、どういう話の流れでだったのか、「うちの子たち(私弟妹)は、小さい頃、広島から島根に里帰りする途中の峠の雪深いところあたりを車で通るたびに、なんでこのへんの子に生んでくれんかったんか、こんなに雪がいっぱいあるところの子どもに生まれたかった、って文句を言いようたよねえ」という思い出話を語り始めた。そういえば、そんなことを、言った記憶があるようなないような。その記憶があってもなくても、幼少の頃の私は、いつでも雪が大好きで、待ち焦がれていたのはたしかだ。雪がいっぱいあるところに住みたい、雪の降る様を飽きるほど見たい、雪景色を満喫したい、思う存分雪と戯れたい、と、何度も何度も強く思ったし、何度も何度もその思いを、いろんな表現で口にした。そうして、その夢は叶った。三十代も半ばになってから、北陸暮らしを始める、という形で。幼い頃に願い始めてから、おおよそ三十年以上の時を経て。

雪の夢が叶った現在は、何を願っているかというと、雪かきや雪道運転のためにエネルギーを使わなくてもよい暮らし。そのためならば、居住地周辺限定の地球温暖化だって腹黒く目論むし、冬将軍との交渉の手間も惜しまない。

母には、「うん。おかげさまで、当時の夢は叶ったよ。もう雪はおなかいっぱいです、雪かきも雪道運転も一生しなくても一切の心残りはありません、っていうくらい。強く強く願ったことは叶うんだなあ、というのはわかったけど、何かを強く願うときには、時期とかタイミングなんかを、より具体的にイメージしとかんと、こういうかんじになるんじゃねえ、というのがよくわかったよ」と話す。弟は「ねえちゃん、よかったよのう。雪、好きじゃったんじゃろ。わしら(弟と妹)の分の雪も、ねえちゃんにやるけん。ありがたいじゃろ」と言い、妹は「まあ、ねえちゃんのところに遊びに行くなら、ぬくいときじゃね」と言う。

雪が降ることを、積もることを、あんなに心待ちにしていた、かつての自分のことを思うと、今の自分はずいぶんと、素直さや純粋さのようなものが欠損したような気分になったり、それを残念なことのように感じるような気がしてきそうになったりする。テレビドラマの中で雪が降り、登場人物たちが「わあ、雪!」と感嘆したり喜んだりする姿を見ると、「けっ。どうせ雪下ろしや雪かきや雪道運転のことなんて全然なんにも考えてないんじゃろ!」と、まずいったん毒づいてから、その後、私の脳内道場で、登場人物たちを、男子も女子も次々と、背負い投げては床に叩きつけ、連続で何本も「一本(柔道用語の)」を決める。けれども、今夜みたいに、普段は降雪や積雪が少ない地域に住む人たちが、雪に対して、どちらかというと、わりとかなり好意的に肯定的に受けとめている様子や姿を垣間見たときに、「よかったねえ、せっかくなら満喫してね」と感じたり思ったりしている私は、素直さも純粋さも、必要十分十二分、これくらいあれば人として全然問題ないじゃん、というふうに思えてきて、安堵したり安心したり。そして、そもそも、人の素直さや純粋さというものは、そういうところ(雪に対する感情など)で測るものじゃないじゃろ、という当たり前のことに気づいたり。私の願いは叶うときにはちゃんと叶い、雪も降りたいときに降りたいところに降り、私の素直さも純粋さもどうこういうほどの問題もなく、とりあえずだいたいのことが安寧でよかったよね、と腕を組みながら頷く夜。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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