みそ文

杞憂の達人

前回書いた「杞憂」を読んでくださった方々のうち何人かの方がコメントを寄せてくださったのだが、こんなところにもあんなところもにも、おっと、そんなところにも、というかんじで、この世の中には、「杞憂の達人」とでも呼ぶべき人々が、私が思うよりも、ずっと多く、存在しているようである、と、私はこのたび学習した。

「レーシックを受けることで、白内障になるのでは、老眼になるのでは、緑内障になるのでは、と、いろいろ考えて、ずっとできないでいるのだ」という人には、「レーシックとは関係なく、近視を矯正してもしなくても、加齢によって、白内障にも老眼にも、ちゃんとなるから大丈夫だよ」と知らせてみた。「近視矯正手術の種類によっては、一時的に眼圧が高めになることはありうるけれど、そのための検査も対策もきちんとするから、そのままずっと緑内障になる心配はしなくて大丈夫だよ」ということも。

また別の人は、「手術の時の麻酔はどうするんだろう。眼球に注射針を刺すのかな」と心配していたとのこと。施設や手術方法によって若干差はあるのかもしれないが、夫がレーシックを受けたときには、麻酔は点眼麻酔(目薬)のみ。私がICLを受けたときには、軽い精神安定剤の飲み薬で気持ちと筋肉と神経をほぐして、ソファでゆったりとくつろいでいるところに、目薬の麻酔薬をぴちゅっぴちゅっと点眼され、さらにやさしく清浄綿で眼の周りをぬぐってもらえた。弟も妹も何人かの友人も、レーシック経験者だが、眼球に麻酔のための注射針を刺したという話も、それが怖かったという話も、今のところ、聞いていない。眼は粘膜でできていて、厚い皮膚に覆われていない部位なので、麻酔薬も注射で深く差し込まなくても、点眼すればそれだけでちゃんと吸収されるんだろうな、と、勝手にイメージしているのだけれど、どうだろう。

そしてさらに別の方は、「地震の揺れで眼球にメスがぶすり」と刺さったらどうしよう、という不安で、あっさりと手術を断念したというお話を聞かせてくださった。私は、「レーシックはレーザーで手術するものなのでメスの出番はないでありましょう」ということと、レーザー機械も人間も装置によって固定されておりますゆえ、揺れで手元が狂って、という心配はきっと無用、ということをお伝えしてみた。(「みそ語り」の「地震の揺れ」をご参照ください。)その方は、「メスでなくてレーザーということは、地震の揺れの勢いで、目玉の中心を、じゅんっ、と焼き切ってしまうのでは」という心配後、「でも、機械も人間も装置で固定されていればその心配もないかな」と思い直し、「だけど、固定されているということは、地震が起こって、眼科のスタッフも他の患者さんたちも、皆我先にと、次々と逃げる中、自分だけが固定されていて動けなくて、逃げ出せなくて、「待ってー!私を置いて行かないでー!誰か、この固定装置を外してー!」と叫びつつ一人取り残される、ということ?」と心細くなってから、「でも、そこまで強固な固定ってわけじゃないのかな」と、逡巡を重ねられたご様子。さらに、手術前には、まつげを抜くか剃るかするものだと勘違いしていた友人の話から(「みそ文」の「まつげ」をご参照ください)、ピンセットが目の前に迫ってきて、恐怖と痛みの中、一本一本まつげが抜かれる状況は、生爪はがしに匹敵する拷問、というイメージまで湧く様子。怖いことを想像しようと思って、意図的に想像しているわけではなく、何もしなくても自然に、ふうっと、うにょっと、恐怖を伴う状況のイメージが湧いてくるものなのだろう。「杞憂」といえども、ここまでくれば、なんというか、あっぱれ!だ。私は、今後この方のことを、誠に勝手にではあるが、「杞憂道の達人」とお呼びして、密かに崇めることにした。

ちなみに、手術中の固定装置は、瞼が勝手に閉じないように、目の部分に施されるもの。全身は、手術台に横たわった状態ではあるものの、手も足も自由である(むやみに動いたりはしない)。近視矯正に限らず、殆どの手術がそうだろうが、手術中、拘束衣で包まれるわけでも、手錠や足枷をかけられるわけでもない。     押し葉

杞憂

お彼岸連休に帰省したとき。仲良しのめいちゃんに会う。めいちゃんの当面の考え事は、近視矯正手術のレーシックを受けるかどうか。ネットで検索してみたり、県内の実施施設(眼科)の資料も取り寄せて検討中。そんなめいちゃんの心配事は、「手術中に停電になったらどうしようか、と思うんじゃけど、それはバックアップ電源があるけん大丈夫です、って資料にも書いてあって、でも、もし、手術中に大きな地震が来て、角膜はがしかけのまま避難せんといけんようになったらどうしようか、と思うんよ。」ということらしい。

めいちゃんとは40年近い付き合いになるはずなのだが、彼女がそんなに何かを心配するタチだったとは、私は、迂闊にも、全く知らずにいた。私は、不謹慎ではあるものの、とりあえず、「手術中、大きな地震が来たときには、がんばって、ぽっくり逝こう。」と言ってみる。めいちゃんは「ぽっくりも、いやなんよねえ。」と言う。それは、まあ、そうだろう。

「でもね、めいちゃん。地震の心配をするのは、まずはレーシックが適合するかどうかの検査を受けてみて、実際手術可能なことがわかってからでいいんじゃないかなあ。」
「えー?そうかなー?」
「えーとね、私みたいに角膜が薄い体質(眼質)でレーシックができない場合もあるし、他にも眼圧が高い場合も手術できないし、いろんな理由でレーシックが適合しない人って、けっこういるらしいよ。」
「そういえば、みそちゃんは、レーシックじゃない方法で手術したって言ってたよね。」
「うん。フェイキックIOLの中のICLっていうタイプの手術。角膜はそのままで、眼球の虹彩の内側にレンズを入れるん。」
「うわあ。じゃあ、それって、レンズを取り出せば、元通りになるってこと?」
「そうなんよ。元通りにもできるし、まあ、あんまりせんとは思うけど、必要ならば、度を変更することもできる。年をとって老人性白内障になったときには、近視矯正してるレンズを取り出して、そのまま、自分の白濁した水晶体と新しい人工水晶体を入れ替えてもらえばいいの。」
「なんかようわからんけど、いいねー。」
「でね、私が最初に検査してもらった眼科では、レーシックを希望する近視人口の三割くらいが、いろんな事情でレーシック不適合なんだって教えてもらったよ。で、まあ、私はレーシック不適合だったから、別の術式可能な眼科を探して、そこで別の手術を受けたんじゃけどね。」
「どうやらくんもレーシックしちゃったんじゃろ(レーシックなさったのでしょう)?」
「うん。どうやらくんがレーシックの検査を受けたときもね、どうやらくんは大丈夫だったけど、同時に同じ検査を受けていた別の若い女の子は、眼圧が高くて手術できないですね、眼圧を下げる治療をしてから、あらためて考えてください、って説明を受けて、がーん、って放心状態になってたらしいよ。」
「ええー、そうなんじゃー。」
「じゃけん、めいちゃんも、まずは、地震の心配の前に、めいちゃんの眼がレーシックに適合するかどうかを心配して、不適合だったときにも、がーん、と放心しとらんと、さっさと次にいけるよう心づもりしとくのがええんじゃないかねえ(心づもりしておくのがよいのではないかしら)。それにね、検査を受けて、レーシック適合だとしても、そんなにすぐに手術できるわけじゃないけん。手術の予約が取れるのって、早くても数週間後、普通は数ヵ月後とか半年後とかなかんじじゃけん。地震の心配は、その日程が決まってからにしようやあ。」
「そうかあ。そうなんじゃあ。私、なんとなく、眼科に行ったら、すぐにその場でってことはなくても、何日後かにはすぐ手術、みたいな気分だったかも。地震の前に、手術可能かどうかじゃね。その前に私は、検査を受ける眼科を決める段階をまずクリアせんにゃあいけんね(まずクリアしなくてはいけないね)。」
「うん。それに、めいちゃん、実際、眼科に行ってみて、病院の雰囲気やスタッフの人との相性なんかがイマイチだったら、別のところにも行ってみるほうがいいよ。」
「そうじゃねえ。地震よりも、考えること、いろいろあるねえ。みそちゃんに、聞いてもらってよかったー。」

そんな話を、めいちゃんとしたんだよ、と、夫に話してみたところ、夫は、すぐさま、「レーシック中の地震って。それは、ぜひ、めいさんに、メールして教えてあげて。そういうのを、まさに、杞憂、って言う、って。」と、助言をしてくれた。     押し葉

湯島の白梅

私と、3才年下の弟と、5歳年下(弟よりも2歳年下)の妹は、3人きょうだいだ。三人の中で、人に何かを頼んだり、何かをしてもらうことに一番抵抗が少なくて、おねだりも享受も上手に滑らかにするのは、妹だろうと思う。

先日も、おもむろに、「ねーちゃん、おねがい」というメールが私に届く。何の「お願い」かというと、近々妹が披露する日本舞踊に使う曲の紹介文を書いてほしい、というもの。妹が私に作文を依頼することは、まったく珍しくない。今回妹が踊る曲は、「湯島の白梅」という名前の、やや古典的歌曲。私は妹に、「曲の紹介に使える時間や必要な文字数はどれくらい?その紹介を聞く人たちはどういう人たち?いつまでに仕上げればいいの?」と、作文に必要なことを、メールにて確認する。

私に作文を依頼した妹からの返信には、だいたいいつも、「実際使うのは何月何日で、でも、早ければ早いほうがうれしい」ということと、「文章自体は短いほうがうれしい」ということが書いてある。それは今回もいつもどおり。そして今回の対象は、とあるディナーショーに集まった、ちょっと酔っ払い気味の、年配のおじさまおばさまがた。「じゃけん、その人たちにわかりやすくて、なおかつ、ちょっと気を引く内容でおねがい」という要望付き。

私も昔、日本舞踊を習っていた頃に、「湯島の白梅」は、何度も聞いてはいるはずなのだけど、歌詞は全くおぼえていなくて、今回あらためて、その歌詞と、原作(というのだろうか)の物語を調べてみた。へへえ、ほほう、こんな内容だったんだ、と思いながら、4百字弱程度の文章にまとめる。酔っ払い気味のおじちゃんやおばちゃんたちに呼びかけるように、文章の最後は、「今宵、どうぞ、おたのしみください。」と閉じる。妹には「こんなかんじでどう?」という件名でメール送信。

この類のお願い事は、これまでも、年に一回くらいずつ、あった。いつでも、ある日突然、「ねーちゃん、おねがい」と作文お願いメールが届く。作文の内容は、今回のような紹介文のこともあれば、妹自身がスピーチする挨拶文のこともある。何月何日に必要で、短いほうがうれしくて、盛り込んでほしいのはこういう内容で、というリクエストに応じて、書いた文章を妹にメールで送る。

妹が妹である特徴が発揮されるのは、このあとからなのだけれども、「こんなかんじでどう?」と私が送ったメールに対して、妹からは、「これでいい」とも「ありがとう」とも返信が来ることなく、その作文が活用されたはずの何月何日が終わっても、「うまくいったよ」とも「助かったよ」とも連絡がない。それから何ヶ月か経って、私が実家に帰省したときに、「あんた(妹)ねえ、人に何か頼んだらねー、お礼くらい言いんさいや(言いなさいよ)。」と教育すると、「ねーちゃんが帰ってきたら会えるけん、そのときにと思うてー。ごめーん、ありがとー。」と、さらりと、軽やかに、言い訳と侘びと礼を述べる。「ごめーん」とは言っても、私が指導したそのことが、妹の中で学習となり、次回再現されるかというと、なかなかそういうわけではない。前回も、今回も、次回も、次々回もまた、私が帰省したときに、同じ説教をたれて、妹が「ごめーん、ありがとー。」と言うのが、これはもはやお約束なのだろう、と思うほどにパターン化していた。

近年は、大きくなってきた姪っ子(弟の子ども)に対して妹が、「みみがー(姪っ子)、あんたねえ、人に世話になったら、ちゃんとお礼を言いんさいや。」と説教する現場に遭遇するようにもなった。私は内心、「みみがーの前に、おまえ(妹)じゃ!」と、ツッコミを入れまくりつつ、しかしながら現場では、伯母として、「そうそう。やぎちゃん(妹)の言うとおりよ。」というかんじで、頷くにとどめておく。その後、姪っ子がいなくなってから、妹に、「あんたねー、みみがー(姪っ子)に偉そうなこと言うんじゃったら、あんたもちゃんとしんさいや(ちゃんとしなさいよ)。」と教育を行う。もはやこれも何かのお決まり芸かもしれないと思うほどに、近年パターン化していた。

だから、今回、「湯島の白梅」の紹介文を書いて、妹に「こんなかんじでどう?」のメールを送り終えたあとも、「どうせ来週には帰省するし、妹にもそのときに会うし、妹のことだから、そのときに、ねーちゃんありがとー、と言えばいいと思っているだろうな。」と思っていた。思っていた、というよりも、かなり固く確信していた。どのくらい固く確信していたかというと、「妹ってこういうやつでね、今回もお礼を言ってこないほうに100円!」と、ウェブ上でつぶやいて、一人賭け事をしたくらい。

ところが。100円を賭けてしばらくして、ふと受信トレイを見てみたら、妹からのメールが届いている。メールの内容は、「さんきゅー」。おおおおおおっ!これまで、何年も何回も、小さい頃からずっと、姉として教育し続けてきたことが、この年になってようやく、なんとか、実を結んだのだろうか。「さんきゅー」が、ちゃんとしたお礼かどうかはともかくとしても、おおいなる成長を感じるではないか。賭けの勝ち負けはともかくとしても、なんとも感慨深いではないか。これまでずっとあきらめずに、かつ期待しすぎることもなく、お願いされた文章作成と、その後の説教とを、繰り返してきた私の日々が、一気に報われた気すらしてくるではないか。

ちなみに、一応妹の名誉のためにも、付け加えておくなら、今回は、ディナーショーでの日本舞踊終了後にも、妹から、「好評で大盛況じゃったよ」という報告メールが届き、姉は、妹のさらなる成長に、おおいに感動している。ううっ、やりゃあできるじゃん、大きくなったねえ、という気分だ。しかし、さすがに、いくら妹といえども、おそらく、身内以外の人に対しては、きちんと、その都度、お礼を述べているはず。いや、ぜひとも、頼むから、なんとか、そうであってほしい。

というわけで、身内以外の方々には、お手数をおかけいたすことなれど、もしも当方の妹が、たとえうっかりであっても、あるいはちょっと後回しであっても、本来お礼を言うべきときに、ちゃんとお礼を言わないという、困った事態に遭遇なさった場合には、どうか、妹本人に、びしびし、ばしばしと、厳しく説教してくださるか、あるいは私に告げ口してくださる等々、ご指導ご鞭撻ご協力を請い願いたてまつりて候。     押し葉

今日の宿泊費

この夏義弟が訪れた高野山は、世界遺産になったということもあってか、外国からのお客さんがたくさん旅行に来ていたという。義弟が行きに乗った特急「こうや」の車内で知り合ったクリスくんは、日本在住13年目の日本語堪能な英語圏出身の青年。お山の上で知り合ったアイリーンさんは、毎年日本に旅行に来るほどに日本大好きだという女性。アイリーンさんは、自分に興味のある分野の日本語固有名詞ならば理解できるけれど、日本語はまったく話せない(英語だけ話せる)という、やや偏った日本通ぶりなのも特徴だ。

高野山旅行のあとは、西日本に移動して、広島のネットカフェに泊まり、山口県の萩市まで、萩焼きの器を買いに行くのだというアイリーンに、義弟は、「それならうちに泊まれば?広島だし。タダ(無料)だし。ネットカフェに泊まるお金を節約できるよ。」と提案。アイリーンは、「いやいや、それは悪いよ。突然行ったら、奥さん(妹)にも迷惑だろうし。いい、いい。」と最初は遠慮していた。けれど、「そんなん、大丈夫だって。うちの奥さんなら僕よりも、英語も上手に話せるし。ネットカフェに泊まるの、もったいないじゃん。ご飯もうちで食べればいいじゃん。」と、義弟が重ねて招待した(ことをクリスが通訳してくれた)ことで、アイリーンもようやく、旅先でたまたま遭遇した日本人のにいちゃんの家にホームステイすることを決意。

高野山を下りて、大阪から広島までの新幹線の中ではずっと、アイリーンと義弟は、英語の筆談で意思疎通しながら帰ってきた。妹の説明によると、義弟の英語は「過去現在未来が常にぐちゃぐちゃ」で「思わぬところで思わぬ語彙が出てくる」らしい。英語に限らずそれは大人の言語として、致命的な何かを背負っているのではないかと思わないでもないのだが、義弟は「でも、ちゃんと通じたよ。」と言っているので、本人にとっては、意外とたいした問題ではないのかもしれない。

妹夫婦の自宅にて、本当に二人(妹も義弟も)が、自分のことを歓迎してくれていることを知り、アイリーンは安心して広島滞在を始める。義弟とアイリーンとの会話も、妹の通訳が介在し始めたことにより、お山(高野山)でクリスが通訳してくれていたときのように、意思疎通度が高まる。妹と義弟と三人で、ゆっくりとくつろいで、夕食をとるアイリーン。高野山はああだったこうだった、と、義弟の視点とはまた異なる視点の話を、アイリーンから聞く妹。宿坊の様子やサービス内容や宿泊料金等について、アイリーンと妹が話をしているのを聞いた義弟は、二人が話している内容が、高野山の宿坊の話であることを理解して、英語会話への参入を試みる。きっと、義弟が言いたかったのは、「自分が今日チェックアウトした宿坊は、一泊七千円だったよ。」ということだったのだろう。けれど、彼が英語で言ったのは、「今日の宿泊費は七千円です」。

義弟の突然の言葉を聞いたアイリーンは、「ひっ、ひえーっ、ひょえーっ!」とおののく。「ええっ!泊めてもらうの、な、な、ななせんえん、なのですか?無料ホームステイではないのですか?私、七千円、払えません!ネットカフェに泊まります。漫画喫茶でもいいから連れて行ってください。まんがきっさ、まんがきっさ、まんがきっさ!」と、英語なのに、動揺のあまり、英語が不自由な人のような喋りになる。妹が「落ち着け、アイリーン、だいじょうぶだから。うちはタダだから。今彼が言いたかったのは、たぶん昨日泊まった宿坊のことで、時制と語彙を間違えてるだけだから。」と説明する。それを聞いて、アイリーンは、はっと、我に返る。

常に時制がぐちゃぐちゃの、思いがけない語彙を使って、英語を話す義弟の、11月、ブラジルとペルー一人旅。飛行機乗り換えはアメリカのダラス。どんな旅になるのか。無事帰国した義弟から、お正月に話を聞くのが、今からとても楽しみ。     押し葉

義弟のおつとめ

今年の夏、義弟は、生まれて初めての、高野山旅行にでかけた。宿坊に二泊して、朝のおつとめに参加したのち、ゆっくりと観光する。生胡麻豆腐好きな私のために、現地からクール便で送る手配もくれる。弟のしめじ(義弟にとっては義兄)も生胡麻豆腐が好きなので、弟用にも買ってくれる。そうして義弟が送ってくれた生胡麻豆腐はもちろんたいそうおいしくいただいたのだが、義弟情報によれば、今回地方発送してくれた有名な胡麻豆腐屋さんのよりも、別の場所のあんまり有名じゃないお店の胡麻豆腐のほうが、ずっと安くて、義弟の口にはずっとおいしかった、とのこと。

そんな義弟が、今度は11月に、ブラジル旅行にでかける、という。ブラジルに住む日系ブラジル人の友人宅を基点にして、隣国などにも足を伸ばす予定だとか。お彼岸帰省したときに、実家にて、義弟から、その話を詳しく聞く。「うわあ、たのしみじゃねー。」と、わくわくする私と異なり、妹は「もっきゅん(義弟)は、よそさまの国にお邪魔させてもらう、という感覚がなさすぎる。もっきゅん、むこうで一人でふらふらするときに、失くしたらいけんけん、いうて、パスポートを友達んちに置いて、コピーを持ち歩く、って言うんよ。一人でふらふらしようたら(ふらふらしていたら)職務質問されることだってあるのに、どうするつもりなんじゃろうか。警察の人も、そんなん、ちゃんとした身分証明書(パスポート)も持たずに、怪しいコピーしか持ってないような人のこと、信用できるわけないじゃん。英語もスペイン語もポルトガル語もできんのに。日本語だって、ときどきちょっと怪しいのに。」と辛辣に心配中。

義弟と私たちの話を聞いていた両親は、「まあ、元気で生きて帰ってくれば、それでよし、にしようや。」と、ややなだめ加減に言う。義弟も、「大丈夫じゃけん。やぎちゃん(妹)(義弟の妻)、そんなに心配せんでも。」と、自信ありげだ。

私が、「まあ、職務質問されたときに、ちゃんとパスポート持ってなくて、そのまま拘置所に収監、とか、現地の友達に連絡つかなかったりして、いろんな行き違いで刑務所行き、ってことになっても、結果元気に帰ってくれば、それはそれで、ネタになるし、ええことにしようや。」と言うと、妹も、「まあ、そうじゃね。もっきゅん、どうせよそさまの国でご迷惑おかけするんなら、せめて、姉ちゃんのブログネタになるぐらいのことはしてきんさい(してきなさい)。」と思考の方向転換をする。

その会話を聞いていた夫が、「うわっ。こいつ(私)、もう既に、頭の中で、ネタを転がし始めてるじゃろ。あることないこと面白おかしく書かれるんじゃけん。もっきゅん、かわいそうに。」と、同情しつつ、つぶやく。それを受けて私が、「タイトルは、とりあえず、義弟のおつとめ、かね。高野山のおつとめに続いて、ブラジル刑務所でのおつとめ。どうじゃろ。」と言ってみる。すると妹が、「ねえちゃん、それなら、もっきゅんのブラジル刑務所のおつとめ、たぶん、一日じゃ終わらんじゃろうけん、ちょっと続き物のシリーズにできるかもよ。ブラジルの刑務所にはスカイプ(インターネット回線を使ったテレビ電話のような装置)設置されとるらしいし、うちのスカイプから、私が、刑務所におる(居る)もっきゅんに面会して、いろいろ現地の刑務所の話を聞くけん。ねーちゃん、それを書いたらええんじゃないん。」と提案してくれる。「うん。じゃあ、そうする。でも、義弟のおつとめブラジル編(刑務所シリーズ)、は、タイトルとしてはちょっと長いなあ。うーん・・・」と考え込む。

そこで、おもむろに、義弟が、「ちょっと、もう、みそちゃんもやぎちゃんもやめてえや(やめてください)。人がちゃんと無事に元気に、行って帰ってこよう、思いようるのに(思っているのに)、帰ってこられんようになる話をせんといてや(帰ってこられなくなる話をしないでおいてください)。ブラジルにもペルーにも迷惑かけるつもりないのに。」と、物申す。

このタイトルを使うのが、今回限りとなるといいな、と、いう願いと祈りを込めつつ、今回の記事タイトルを「義弟のおつとめ」にしてみた。旅のかみさま、どうか義弟の道中を、手厚くお護りくださいますように。     押し葉

みずまんじゅう

日曜日に日帰りで、夫が一人旅に出かけた。行き先は、立山の「みくりが池温泉」。日本で一番標高が高いところにある温泉で、晴れていれば立山連峰も見渡すことができる場所らしい。

土曜の夜まで、夫は私に向かって、何度も、「一緒に行こうよ。お山の上はたのしいよ。みそきちは運転しなくていいから、ずっと助手席で寝てていいよ。」と誘ってくれるのだけれども、「私、おうちでゆっくり寝たいから。」と断る。それでも夫は、「だから、助手席で、ずっと寝てていいって言ってるじゃん。」と同行を推奨。私は「平べったいところで、お布団にくるまって寝たいの。」と具体的に希望を述べるも、「助手席を倒してフラットにして、毛布も持ち込んだらいいじゃん。」と提案される。「えーとね。振動のないところで、寝たいの。それにね、車にムアツ布団は持ち込めないでしょ。」と言ってようやく、「そうか。車にムアツ布団は持ち込めんなあ。」と納得してもらえた。(私が愛用しているムアツ布団は、110ニュートン2層式アコハード・ムアツ)

夫は朝7時前に出かけて行ったらしく、私がたっぷりと眠って11時頃目覚めたときには、すっかり気配がなくなっていた。

夕方5時前に帰って来た夫を出迎える。夫が「これ、お土産。」と小さな和菓子の包みを手渡してくれる。私は、「わあ。みずまんじゅうだあ。冷やしといたらいいね。夕ご飯の後で食べたらいいね。」と、喜びながら、冷蔵庫に片付ける。

夜になって、その日の出来事をメモ的に書き記しているネット上の媒体に、「夫が一人旅に行ってきた。お土産は水饅頭。」と、私が書こうとしていたら、夫がそれを覗き込んで、「字が違う。みずまんじゅうは、一部平仮名じゃん。」と教えてくれる。「あ、そうか。」と言ってから、「みず饅頭」と書き直してみる。夫は、「違う!饅頭が漢字じゃ重いじゃん。全然おいしそうじゃないじゃん。」と、再度指摘してくれる。それで、私は、もう一度、「あ、そうか。」と言い、「水まんじゅう」と書き直す。私が書き直している間に、夫は実物のお菓子を持ってきて、「ほら。これ。水まんじゅう。水が漢字で、まんじゅうが平仮名だからこそ、つるりと喉ごしがよくて爽やかなかんじが出るんじゃん。全部漢字で水饅頭とか、だめじゃろ。」と言いながら見せてくれる。私は、「本当だねえ。不思議だねえ。」と言いながら、「お土産は水まんじゅう。」と正しく書いてから、投稿ボタンをクリックする。

同じ「みずまんじゅう」という音でも、「水饅頭」と「みず饅頭」と「水まんじゅう」では、感じが全然違うんだね、不思議だね、と、二人で語り合う。そして、ふと、顔を見合わせて、「カタカナだったらどうだろう。」と思いつく。「書いてみよう、書いてみよう。」と、キーボードで「水マンジュウ」と書いてみる。私は「なんだろうねえ。全然おいしそうじゃなくなったね。」と言い、夫は「なんか中華っぽい気がする。平仮名がカタカナになっただけで、爽やかさがなくなる。」と言う。ディスプレイの文字を見て、二人並んで、リビングに、ごろごろ、と寝転び、げらげら、と笑う。

そのあと、私が夫に、「ところで、今朝はお見送りもせず寝てたけど、無事に出かけられてよかったね。朝7時に出かけて夕方5時に帰宅する日帰り一人旅ツアー、充実しててよかったね。」と言うと、夫は、「確かに充実感はあるけど、みそきちどんさん、今朝、俺が、起きて準備して出かけようとしたときに、布団の上に起き上がって、座って、にこにこして、俺に向かって、ひらひらと、手を振ってたけど、あれ、おぼえて、いないのか?」と、少し驚いたような顔をする。そんなことがあったとは。私が眠っている間に、私が何も知らないうちに、夫も、世の中の人々も、私も、いろんなことをしているらしい。     押し葉

ガンダムの思い出

8月後半に、「お台場ガンダム」見物のために、家族で出かけた同僚と、バックヤードですれ違い、「ガンダムオタクのご家族(同僚の夫)は、お台場に行って、満足されたみたいですか?」と声をかけてみたところ、「だんな本人は言葉では「満足してる」とは言わないんですけど、あれはどう見ても絶対に満足してる、あれで満足してなかったら嘘やわ、というかんじですね。」という答えがかえってきた。

「どう見てもって、どんなふうなんですか?」と問う私に、同僚は、「夜仕事から帰ってきたら、まず、お台場で買ってきたガンダムの人形を触ってニヤリとしてから、ご飯を食べて、そのあとは、延々、携帯の待ち受け画面のガンダム(お台場で撮影したもの)を見続けてニヤニヤしてます。携帯の画面って、しばらく見てると明かりが消えて暗くなるじゃないですか。そのたびに、またボタンを押して画面を明るくしては、ニヤッとしてます。」と教えてくれる。

ああ、それは、間違いなく、相当満足してますね。
    押し葉

円滑な新車

7月に妹夫婦が広島から遊びに来たとき、マンション前の駐車場を、妹の車用に、三日間だけ、一台分余分に借りるように手配した。

妹の以前の車は、「プジョー」という会社の車で、鮮やかな赤色の、スポーツカーのような形をしていた。車の後ろのトランクの真ん中には、シンガポールのマーライオンみたいな、でも口から水は噴き出していなくて、前脚を高々と上げる獣のマークが輝いていた。それはそれで、本人も気に入って乗っていたし、私も好きな車だった。けれど、その車も、使用年数も走行距離も長くなった結果、なんとなくあちこちに、不調を訴えるようになってきた。しかも外国(フランスかな)の車ということもあり、修理するとなるといろいろと手間がかかる。それよりも何よりも、何かの折に、妹が自分の車で、父を迎えに行くたびに、父が毎回、「乗り心地がようない(よくない)。プジョーには乗りとうない(乗りたくない)。」とごねるようになってきた。

そういういろんな背景があり、妹は車を買い換えた。「じゃけん、ねえちゃん。今度7月にそっちに行くときには、もうプジョーじゃないけん。」と、予告してくれていたとおり、妹夫婦を乗せて我が家にやってきた車は、トヨタのなんとか、という車であった。妹夫婦と一緒にあちこち出かけるにあたって、私も何度か乗せてもらってみたところ、座席の高さといい、硬さといい、走行中の振動といい、身体への負担が少ない。これなら高齢の父もさぞ、乗り心地がよくて快適であろう、と思える車だ。「ああ。これなら、長距離移動でも腰がラクそうだねえ。」と感嘆する私に、「そうじゃろ。なかなか、ええ車じゃろ。」と妹も満足げ。

ただ、妹が、一点だけ、この新車購入に関して、不満、というほどではないけれど、一言物申したい気分の話を、いっきに語って聞かせてくれた。

「最近、にいちゃん(私の弟のしめじ)、トヨタの車に凝っとって(凝っていて)、家族の車を、ことごとくトヨタ車にしょうるんじゃけど(しているのだけれど)、私の車も、にいちゃんが「わしが選んじゃるけん」言うて(「自分が選んでやるから」と言って)、これがええじゃろう、って選んでくれたんじゃ。最初は、ふうん、これかあ、いうかんじじゃったけど、実際乗り始めてみたら、かなりええなあ、と思うようになったけん、これにしてもろうたのはええんじゃ。でもね、じゃあ、車種はこれで、クラスはこれで、色はこれで、オプションはこれで、って、全部決めたときに、にいちゃんが「まあ、あとは、わしに任せとけえや(任せておきなさい)。支払いも、ええぐあいにしといちゃるけん(いい具合にしておいてやるから)。」って言うけん、そうなんじゃー、にいちゃんが買うて(こうて)くれるんじゃー、思うて(兄が買ってくれるのだと思って)、内心やったー!って思いながら、「そうなんじゃー、ありがとー。」言うたんよ。にいちゃんも「ええけん、遠慮すんなや、そんなことくらい。」って言うし。そしたら、しばらくしてから、かあちゃん(母)からメールが来て、「やぎ(妹)の車の代金は、やぎの口座から引き落とされるように手続きしておきました。」って書いてあってね。もう、なんじゃあ(なんだったのよ)、ええぐあいにしといてくれる、いうて、ええぐあいに引き落とされるよう手続きしといてくれる、いうことじゃったんかー、しかも、実際手続きしてくれたのも、そのあと私に連絡してきてくれたのも、にいちゃんじゃなくて、かあちゃんじゃし、もう、なんなんよー(なんなのよ、と)、思うたんよ。」

「ええぐあい」は、小さな頃からの、弟の口癖だ。(「えいが」参照)弟が言う「ええぐあい」には、それほどたいそうな意味はなく、なんとなく全般的にいろんなことが円滑に運ぶ状態を示すのだ。弟が誰かに何かをおごったり、特別にプレゼントしたりするときには、ちゃんと別に「おごっちゃるけん」や「金はわしが出すけん(お金は自分が出すから)」という表現を用いる。そんな弟が、いつものように軽やかに「ええぐあいにしといちゃるけん」と言ったからといって、「お兄ちゃんが車を買ってくれるんだ」と、勘違いとはいえ、瞬時に、思いつく妹は、さすが末っ子、あっぱれだ。弟と妹の、それぞれの特性に、しみじみと感じ入った夏の日の思い出。     押し葉

お姫様

私が暮らす集合住宅には、小学生もたくさん住んでいる。夏の日曜の午後になると、北側の階段に、小学生の女の子たちが集団で腰掛けて、話をしたり、手帳に何かを書いたりして、過ごしている現場に遭遇することがある。きっと、建物の中で、その位置が一番ひんやりと涼しくて、過ごしやすいのだろうなあ、と思いながら、横を通る。

ある日曜日の夕方に、夫と一緒に、食料の買出しに出かけて帰って来たときも、階段に少女たちが座っていた。二階に住む私たちは、エレベーターではなく階段を使う。その日の私は、広げると円になるような、丈が長めの巻きスカートを着ていた。食料を入れた布製のカバンを肩にかけ、片手でスカートを少しつまんで持ち上げて、裾を踏まないように、気をつけながら階段を上る。「こんにちは。通りますね。」と言う私たちに、少女たちは、「あ、こんにちは。」と口々に言いつつ、私たちが通りやすいように、階段の両端に、わらわらとよけてくれる。

私の歩行に合わせて揺れる、たっぷりとしたスカート生地の揺れを見て、一人の少女が、「わあ。きれいなスカート。お姫様みたい。」とつぶやいた。すると、他の女の子たちも、「あ、ほんとだ。お姫様。お姫様のスカートだ。」「ほんとだ。わあ。お姫様だ。お姫様だ。」と口々に言い出した。

少女というものは、何を思いついて、何を言い出すやら、わからなくて面白いなあ、と、くすくすと思いながら、通り過ぎる。階段の踊り場を経て、次の階段へと進む。すると、背後で女の子たちが、「でも、お姫様なのに、男の人(夫)は、ふつうの服だったよ。」「お姫様なら、一緒にいる人は、王子様なんじゃないの?」「うん。でも、ジーンズだったよね。」「いいんかなあ?」と、心配そう。

いいんかなあ、と言われてもねえ、いいもなにも・・・と思いつつ、次は何を言い出すのかなと、引き続き耳をそばだてながら、階段を上り、少女たちの声から遠ざかる。けれど、少女の声は高いので、離れてもよく聞こえる。少女たちは、「あ!わかった。たぶん、あの男の人、変身するんじゃない?」「あ。そうかも。変身して人間の王子様に戻る話の。」「そうそう。悪い魔法で姿が変わってたのが、人間に戻る話。あるある。」「ああ、あれか、そうか。」と、言うだけ言ったら納得したのか、いっきに静かになった。

しかし、私の夫は、現在すでに十分に人間のはず、なのだけど。私には、夫は人間であるように見えているのだけれども。これ以上、いったい何に変身するというのだ。蛙か。野獣か。それとも、王子様として、タイツをはかねばならぬのか。でも、夫は脛毛が多いから、タイツをはくと、繊維に脛毛がからまって、洗濯するのがきっとたいへんだと思う。だから、やっぱり、急に何かに変身したりすることなく、できることなら今のまま、ゆっくりと少しずつ、おじいさんに変化していってくれたら、それが一番嬉しいなあ。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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