みそ文

花嫁の祖母

私の結婚式の日、祖母はとてもはりきっていた。早朝から着物をびしっと着付けて、化粧もぱりっと整えて。まだ寝ている私のところに、母が起こしにやってきて、「おばあちゃんが、みそちゃんと庭で写真を撮る、言うて庭で待ちようるけん、早う起きて庭にきんさい(庭に来なさい)。」と言う。時計を見ると、まだ、もう1時間かそれ以上は、眠れそうな時間帯なのに。自室のある二階の窓から庭を見下ろすと、たしかに祖母が庭石に、ちょこんと座って待機している。私は寝ぼけたまま、とりあえず、口をゆすいで顔を洗い、パジャマからワンピースに着替えただけで、庭に出てゆく。「ばあちゃん。私、まだ起きたばっかりじゃけん、もうちょっと待ってくれる?化粧もしてないし。」と言うが、祖母は「ええけん、ええけん、早うきんさい(いいから、いいから、早くきなさい)。」と、自分が腰掛けている石の隣半分に私をいざなう。母も「ええけん、ええけん。」と言って、さっさと撮影し終えたそうにしている。私は、本当にいいのか?と思いながら、ぼさつく頭髪を押さえてなでつけながら、そのままカメラに向かう。できあがった写真は、明らかに祖母が主人公として悠然と微笑み、花嫁のはずの私は、「この娘さん、どうしちゃったんじゃろうか、寝ぼけとってんじゃろうか」状態。

そして、何時間か後の結婚式会場。式の前だったか、後だったか、新郎新婦親族の自己紹介をしあう時間。皆、さらさらりと、簡単に、新郎にとって、新婦にとって、どういう続柄なのかを静かに述べる中で、祖母だけは妙にいそいそとはりきっている。祖母は話し出す前に、嬉しくてたまらないみたいに、「うふふふ」だか「えへへへ」だか、なんだか少し、そんなふうに笑ってから、「私はみそちゃんのおばあちゃんです。みなさん(夫の親族席の人たちに向かって)、みそちゃんはええ子ですけん、ほんまにええ子ですけん、ようしちゃってくださいね(よくしてやってくださいね)。よろしゅうお願いしますね。」と、とうとうと語る。それだけいっきに言い終えると、満足そうに席について、またニコニコと私を眺める。

結婚式も、披露宴も、ウェディングドレスを着て髪を結いティアラを飾って花束を抱えることも、準備の段階はいろいろと面倒で、なんだか毎日必要以上にエネルギーを消耗しているような気がして、いっそのこと、もう、何もせずに済ませようか、なんだったら、もう、結婚そのものもとりやめてしまおうか、と、思うこともあったけど、あきらめなくてよかった。がんばってよかった。     押し葉

みそ文の目次

当日記「みそ文」の左側「プロフィール欄」の下のところに、「リンク」という場所があることをご存知だろうか。ここは「みそ文」関連のサイトに飛ぶための装置である。この場所にある一番上の「みそ記」は、「みそ文」とはやや異なる、私の生活記録的な日記。二番目の「みそ語り」は、「みそ文」にくださった感想などへのお返事コーナー。「みそ記」と「みそ語り」の二つはこれまでも設置していた。

そして、このたび、新しいリンク先を追加してみることに。実は私は以前から、「みそ文」のカテゴリ別目次があったらいいのになあ、と、思ってはいたものの、FC2(「みそ文」を掲載しているブログ屋さん)には標準装備されておらず、標準装備されていないものを自力で作るような電脳力はなく、ひたすら、「カテゴリ別目次がFC2に標準装備される時代がきますように。」と念を飛ばし続けていた。その念が、どこをどう飛んでくれたのか、ある日突然、親切で電脳力の高い魔法使いの人が現れて、「みそ文」のカテゴリ別目次を手作りしてくださった。それだけでもびっくりなのだが、その魔法使いの人の周りには、さらに別の魔法使いの方々もいらして、たぶんこうしたらもっと便利になるよ、というようなやりとりをしてくださるらしく(そのへんの詳しいことは私の電脳力ではよくわからないのだが)、そのおかげで「みそ文」目次は、私が何もしないうちに(寝たり仕事したりしてるうちに)、進化を遂げていた。それがあまりに立派なもので、私一人で利用するのは、いくらなんでももったいない。そこで、物好きゆえに「みそ文」好きでいてくださる方々のうち、「実は我も、みそ文の、全部の目次やカテゴリ別目次があったら便利なのになあ、と思っていた。」という奇特な方がいらっしゃれば、どうぞご利用いただきたく、新しい目次の紹介とご案内をしてみる。ただし、携帯でご覧くださっている方には、もしかするとアクセス困難かもしれない。その場合はどうかご容赦くださいますように。

リンク先三番目の「みそ録」は、「みそ文」全記事をカテゴリ別に分類した状態で、各カテゴリ毎に、上のほうに新しい記事、下のほうに古い記事が表示される。右上の「Home」を押すと「みそ文」本文トップページに移動する。その右の「contact」というところを押すと、twitterというサービスの私のページに飛ぶ。ここは、私が、140文字以内の短い文章を書き捨てている場所だ。書き捨てではあるけれど、私にとっては、短文力養成所でもある。メッセージ機能もあるので、140文字以内の短いお便りを下さる場合は、ここを利用くださっても(要twitterアカウント)。

その下の四番目「みそ文全記事一覧」は、そのまま押すと、カテゴリ分類関係なく、「みそ文」の記事が古い日付順(新しい日付のものが上)に出てくる。これはFC2に標準装備されているもので、どのブラウザからも閲覧可能。

この「みそ文全記事一覧」がカテゴリ別に分類されたら便利なのになあ、と思う方は、その下の五番目「みそ文全記事をカテゴリ別表示するには」を押してもらうと、魔法使いの人が書いてくださった「カテゴライザ導入手順書(業務連絡「みそ文カテゴライザ」の導入方法について)」に辿り着く。その手順書に従って操作すると、上記の「みそ文全記事一覧」がカテゴリ別に変身する。ただし、変身のためには、Firefoxという名前のブラウザの導入と、そのあとでGreasemonkeyという名前の謎のもの(拡張機能、アドオン、というものらしい)を導入する必要がある。その作業も全てこの手順書に従えば大丈夫。その導入が済んだ状態で(すでに導入が済んでいる方であればそのままで)、さらに手順書に従って「みそ文カテゴライザ」というものを、ぽんっと、インストールすると、あーら不思議、「みそ文全記事」は魔法により、ぱららららー、と、カテゴリ別に、日付もついた状態で、表示される。

この「みそ文全記事一覧」と「みそ文カテゴライザ導入方法」については、「みそ録」の一番下の部分からも飛んで行けるようになっているので、必要な方は、どちらからでもどうぞ。

今回の日記カテゴリは「学習」にしてみたが、私がいったい何を学習したかというと、自分ができないことを頑張ってできるようになることも立派で大切なことだけれども、自分以外に上手にできる誰かが快く手を貸してくださるときには、ありがたく感謝しつつ頼ったり委ねたり託したりお願いしたりするほうがずっと速くて便利で円滑で快適な場合もおおいにある、ということ。そして、そこでたくさんお世話になったぶんは、私はまた別のところで、私が少しだけ速く上手に円滑にできるかもしれない分野の何かで、どこかや誰かに、少しずつでもいっぱい還元するように努めればよいはずだ、ということ。

以上、夏の終わりのとある日の、みそ文からのお知らせでした。     押し葉

小姑の出家

私が二十代の半ばだった頃。その頃の私は、とにかく仕事が面白くて、とても熱心に働いていた、といえば聞こえがよいけれども、実際には、ややワーカホリック気味であった。働くか、休みには、昏々と眠るか、ふらりと一人旅に出かけるか。これといった色恋沙汰もない、平和で地味な毎日を満喫していた。

ある日のこと。今日も元気に働いてきましょう、と、玄関で靴を履いて、出勤しようとしていたら、祖母が、ふふーっと、やってきて、「ちょっと、みそちゃん。」と、私に声をかける。帰りに何か買ってきてほしいものでもあるのかな、と、思った私は、「ん?なあに?ばあちゃん。」と応える。

「みそちゃん。しめじちゃん(弟)がお嫁さんをもらうまでには、結婚しんさいよ。」
「はあ?」
「どうしても、ええ結婚相手がおらんかったら、結婚せんでもええけど、この家はちゃんと出ていきんさい。」
「はあ。」
「しめじちゃんのお嫁さんも、小姑がおるところへは嫁ぎとうないもんじゃけんね(小姑がいるところへは嫁ぎたくないものだからね)。しめじちゃんのお嫁さんが来るまでには、結婚するか、一人暮らしするか、とにかく家を出んさいよ。」

祖母は、そう、自分が言いたいことだけ言うと、私の返事を聞くでもなく、「じゃあ、仕事がんばってきんさい。いってらっしゃい。」と言いながら、自室に引き上げていった。

たしかに祖母は、当時既に老女だったし、いつ死ぬかわからんけん、と、口癖のように言っていたから、言いたいことは言いたいときに言っておかねば、だったのかもしれない。老婆だから、思いついたときに言っておかないと、忘れてしまうのかもしれない。だけど、ばあちゃん、その話、朝の出勤前の今、聞いても私もなんとなく、どうしようもないかんじだよ、と、不思議な気持ちを抱えつつ、私は職場に向かった。     押し葉

お台場ガンダム

7月の下旬頃、8月の勤務予定表を見た同僚が「あ。どうやら先生。お盆出勤になってる。今年は広島帰らないんですか?」と訊いてきた。「あ。今年は、9月のお彼岸連休に帰省しようと思って。お盆の暑い盛りに、長距離運転するのも、暑い土地に長期滞在するのも、寄る年波とともにだんだんとつらくなってきたんで、ちょっと涼しくなったころを狙ってみることにしました。」と応える。以下、同僚と私との会話。(同僚→私→同僚→私、の順で会話している。)

「広島までって、高速で、どれくらいかかるんですか?」
「時間ですか?」
「はい。」
「順調に走って、普通に休憩もして、運転も交替して、7時間が目安かなあ。」
「うわ。そんなにかかるんですか。」
「7時間はスムーズなときなんで、ちょっと渋滞したりすると13時間くらいかかっても仕方ないですかねえ。」
「げー。それって、距離はどれくらいなんですか?」
「550kmくらい。」
「えー。じゃあ、500kmを5時間で行くのは無理かなあ。」
「ずーっと高速道路で、一般道なしで、時速100km維持できて、休憩なしで、5時間ですね。」
「はあ。やっぱり無理じゃん。5時間なんて。」
「近々どこか行くんですか?」
「はい。お台場へ。」
「え?お台場?」
「お台場です。先生、お台場って知ってます?」
「はあ。でも、なんで?」
「ガンダムって知ってます?お台場に実物大のガンダムがいるらしいんですけど。」
「はい。知ってます。でも、なんでお台場でガンダムなんですか?ガンダム好きなんですか?」
「いいえ、私は全然。ただ、うちのだんなが・・・」
「もしかして、ガンダムおたく、なんですか?」
「はああああ、そうなんですよ。そうだったらしいんですよ。知らなかったわけじゃなけど、そこまでとは知らなかった、というか。」
「それは、仕方ないですね。それにしても、7月の沖縄に続いて、旅先、暑いところばかりですね。」
「でしょ?いやなんですよ、私。うちは、山の高原のキャンプ場で、長袖着て、寒い寒い、って言いながら過ごすのが、夏休みの恒例で、私も子どもたちも、今年もそれ、すごく楽しみにしてたんです。なのに、だんなが・・・」
「それは、ガンダムおたく、としては、キャンプに行ってる場合じゃないんでしょう。」
「って、言ってました。「俺は、お台場でガンダムを見るまで、死んでも死にきれん!」とも言ってました。」
「あはははは。いいですねえ。」
「だから、私、「それなら行かんでよろしい。行って満足して死んだら困るし。家買ったばっかりで、まだまだローンもあるんやし。死なずに元気に働いてもらわんと。キャンプ行こう。涼しいところ行こう。」って言ったんですよ。そしたら、だんなが、「ちがう!言い間違えた!お台場でガンダムを見たら、元気に働けるんだ!元気に働くためにも、俺にはガンダムが必要なんだ!」って言い出して、さらには、「俺は!子どもたちに!ガンダムの素晴らしさを伝えるんだ!!これは!俺の使命なんだ!!」ってもう、暑苦しくて。」
「いいですねえ。素敵ですねえ。」
「はあ。もう。で、だんなが、お台場までは500kmだから、5時間で行ける、って言ってたけど、どう考えても無理ですよね。」
「ああ。お子さん二人とも小学生ですもんねえ。子どもはそんなにいろんなことをさっさとできないですからねえ。休憩も余裕を見たほうがいいし。」
「うちの子酔うから、吐いたりして、水道で口ゆすいだりしてたら、もっと時間かかるし。」
「それは、さらに余裕を見たほうがいいですね。」
「ですよねえ。だんな、私を説得したいあまり、時間短めに言ったんやろうなあ。はあ。まあ、もう、行くって決めたし、がんばってみます。」
「まあ、せっかくなら、楽しんできてください。長距離移動の道中が、あんまり暑くないといいですね。」
「ほんとに。思い切り曇っててほしいです。なんなら雨降ってくれてもいいくらい。暑くて眩しいと、私、偏頭痛ひどくなるし、ほんと暑いの苦手なんです。」

その同僚のお台場行きの有給休暇は今日から。そして今日は、北陸にしては、ほんとうに珍しく、よく晴れて空が眩しく、残暑厳しい一日だった。ここ何日か、もうすっかり、秋になったかんじだったのに、今日は何かを思い出したみたいに、夏が本気を出していた。職場では、出勤した皆が口々に、「今日の高速道路は、暑くてたいへんそうねえ。」と、彼女を想った。     押し葉

ともに老齢化を目指して

 仮病とお粥のおかげで、力を得た私は、大晦日の夜、誰もいない神社に一人で詣でた。無人の神社で手を合わせ、夫の実家の布団で眠る。

 元旦には、私の実家へ移動して、実家の人々と過ごす。
 その後、実家での滞在を、いつもよりも短めにして、友人宅に立ち寄ることにした。
 実家の母は、私の説明を聞いて、ほんの少しだけ息を飲み、「本人も痛くて苦しくてたいへんじゃろうけど、九州のお母さん(友人は九州の出身)はどれほど悲しまれることじゃろうか。」と、小さくつぶやいてから、「早めに行ってあげなさい。」と、友人宅へ持って行くようにと、いろんな手土産をあれこれと用意してくれる。

 穏やかな波がきらめく瀬戸大橋を渡って、友人に会いに行く。
 ひとしきり一緒に泣き、彼女の体の痛むところをアロマオイルでゆっくりと撫でる。 それから、友人が話してくれる当面の方向性に頷く。
 そのとき聴いた内容をもとに、友人たちに送る予定のメール文面を考える。
 数日後、自宅に帰宅してから、一文一文、一語一語を、吟味しながらしたためる。書いては消し、書いては消し、できるだけ衝撃や動揺が少なくてすむように、少なくともそういうものが過剰にはならないように、少なくとも私自身が自分の文章に溺れないように、細心の注意を払う。
 けれども、私がいくらそう気をつけても、今回の事実に、皆それぞれ、おおいに心痛めて、しばし放心するだろう。
 でももうここから先のことは、各自の受けとめる力に任せるしかないのだから、と、心を決めて送信する。

 当時友人たちにあてて実際送信したメールのうち、個人名は仮名もしくは代名詞とし、一部助詞や句読点等を修正したものを下に綴る。


「あけましておめでとうございます。本年も、ひきつづき、やっぱりよろしくお願いします。

三月に皆で集まる件につき、おりいって相談があり、おたよりします。多少気の重い内容になりますので、少々落ち着いて、しばし深呼吸してから、読んでもらえたらと思います。少々長い文章になります。携帯で受信してくれたとき、もしも途中でとぎれていたら、途中から送りなおしますので、お手数ですが連絡ください。

どのように説明するのが、もっとも適切だろうかと、いろいろ考えてみたのですが、私なりの理解の範囲で、事実以上でも以下でもない情報をお伝えしてみることにしました。

三月の集まりについては、早くから予約して、たいへん楽しみにしていたのですが、みーしゃ(友人の名)が、十二月の定期健診で異常が見つかり、年末に精密検査を受けた結果、下腹部にがんの再発と転移があることがわかりました。本人は「元気なら(三月に)行きたい。」と言っていますが、今現在は、疼痛がひどく、麻薬で鎮痛している状態で、痛みがおさまっている間は、副作用の眠気が強く、近々の日程の長距離遠出は控えた方が無難なように、私は感じています。

担当ドクターの診断では、病変部位が広範囲なことと、片方の腎臓がすでに機能していないことなどから、抗がん剤での治癒は期待できない状態だということです。こういう状態での前例からすると、予想される生存期間は、六ヶ月なのだそうです。でも、彼女の感覚では、ドクターは長めに言ってくださっていて、実際は三ヶ月なのではないかと、感じるのだと言っていました。

彼女自身も、これ以上の抗がん剤治療をすることは望まないし、実際それは心身ともに無理であろうと判断して、今後は自宅にて、麻薬による疼痛コントロールを行いつつ、東洋医学やその他のアプローチを、できることを、できるだけ行い、緩解を目指すことにしているそうです。それでやっていってみて、どうしても、早期に、今回のこの世を修了しなければならなくなったときには、末期疼痛緩和ケア(ホスピス)の利用も考えることにするそうです。

今は、彼女の夫とお姑さんの協力を仰ぎながら、日常をこなしつつ、今後おいおいに、彼女の実家の皆様との連携についても相談していくことにする、そういう段階であるようです。

以上のことから鑑みて、三月の集まりは、いったん、キャンセルの方向で考えた方がよいだろうかと思っています。でも、せっかくの春休みなので、予定通りの日程で、集合予定宿泊施設利用希望の家庭があれば、グループではなくなりますが、個人の予約として残すように手配しますので、どうぞ気軽に連絡ください。

それから、これは、まだ、私の個人的な思いつきでしかないのですが、三月末の集合よりも早い時期に、といってこれまた急なのですが、できれば、ニ月の中頃の週末か連休を利用して、泊りがけでも日帰りでも、皆で集まれないだろうか、と考えています。

ただ、現状では、みーしゃの対人エネルギーが、十分な状態ではないように感じることと、私達にとっても、衰弱しながらも痛みと格闘する彼女と向き合うことは、本人ほどではないとしても、苦しく厳しい状況であることを思うと、可能であれば、各自のお子様たちは、各夫かその他の大人に託して、単身で来てもらったほうが、大人にとっても子どもにとっても、よいかもしれない、と感じます。

もちろん、各自、都合も事情もあるでしょうから、各家庭で十分相談していただいた上で、他の日程や、他の方法がよいようであれば、その方向で計画しますし、お子様同行での宿泊が都合よいようであれば、そのように部屋の手配をさせてもらいますので、ぜひ連絡をください。

当日彼女の体調がよければ、そのときの私達の滞在宿に泊まってもらって、一緒の時間をすごしてもいいかもしれないし、私達が彼女の自宅に会いに行ってもよいかもしれないし、このへんは、そのときの、彼女の体調次第になるとは思うのですが、なにかあっても、すぐ彼女の夫に来てもらえて、すぐに自宅にも病院にも移動できる状態で会うほうが、彼女の夫も私達も多少なりとも安心だろうか、と考えています。

ただ、今後の展開によっては、彼女の家族たちだけで濃密な時間を過ごす必要が出るかもしれない、とも思います。今はまだ、子ども達には、痛みがひどいこと以外は、特別何も話していないようですが、場合によっては、長い時間をかけて子ども達に伝えるつもりでいた人生指導のいろいろを、短期間に要約して伝える作業に集中する必要が生じるかもしれません。そのときには、私達が、家族の時間を邪魔することがないように、そのときどきのちょうどよい距離で、見守り思い続けることができたら、と願っています。

もちろん、東洋医学やその他の手法もあなどれないものなので、私の希望だけではなく、根拠はない予想としてですが、彼女は、かなり治癒に近い緩解(寛解)に到達するような気がしています。そうしたらまた、親子連れで、子どもたちが親離れ年齢になってからは、年を重ねた大人たちだけで、ゆっくり集まって大笑いできるようになるでしょう。

取り急ぎ、報告と相談という形をとらせてもらいましたが、私もまだまだ不安や混乱を抱えている状態なので、とんちんかんな提案をしているようであれば、どうかいろいろアドバイスをください。

私達が、彼女に出会えたこと、彼女と遊んでたくさん面白かったこと、これからも彼女とのつきあいはやっぱり面白いはずであること、そういったもろもろに感謝を重ねて、みんながともにそれぞれに老齢化していくことを目指したいと思います。

以上、幹事、どうやらみそからのお知らせと相談でした。どうぞよろしくお願いします。」


 そうして、二月、私たちは再会した。     押し葉

仮病とお粥

 おととしの年末、私はやさぐれていた。やさぐれたまま高速道路を運転し、夫の実家へと向かう。助手席の夫に、私がやさぐれている理由と事情の要点は伝えてある。

 年末の仕事を終えて帰宅した私に、友人からの電話がかかってきた。
 秋頃から次第にひどくなった腰痛に関して、詳しい検査を受けた結果を知らせてきてくれたのだ。
「結論から言えば、愉快な結果ではなかった。」と、友人は、まず、ことわりを入れる。そして、「やはり再発していた。」「余命は半年とドクターは言ったけど、実際は三ヶ月だろうと思えるかなり厳しい状況だ。」「今後の方向性については、これから夫と相談する。」と簡潔に説明してくれた。
 私は「わかった。私がしてもいいことがあるならするから。」と伝える。
「それなら」と、友人は、「他の皆に伝えるかどうか、伝えるとしたらどう伝えるか、を、みそさんに任せたい。」と言う。「自分の今後の身の振り方と、実家の家族たちにどう伝えるかを、考えるので精一杯やけん。」と。

 「他の皆」というのは、大学の寮で知り合って以来、ずっと仲良くつきあっている共通の親しい友人たちのことだ。
「わかった。考えてみる。任せて。」と、静かに、でも、たしかに、請合う。電話口では二人とももう、嗚咽で、声が出ない。
 それでも友人は気丈に「難しいことを頼んでごめんね、じゃなくて、ありがとう。気をつけて広島に帰ってね。」と、私を気遣う言葉を紡ぐ。「ごめんね、じゃなくて、ありがとう。」は、私が彼女に対して発布している「ごめんね禁止令」を遵守してくれてのことだ。
 そして彼女は、「じゃあね。」と電話を切った。

 電話を終えた私は夫に、彼女のがんが再発したことと、がんセンターの診断ではあと半年と言われたらしいこと、を、さくっと、淡々と、伝えた。

 それから、帰省の荷造りをしながらも、お風呂に入りながらも、翌日高速道路を運転しながらも、私は、延々と、「いったいどうすればいいのだ。」と、ぐるぐるぐるぐる考えていた。
 目の前にある現実が存在していることは知ってても、理解はできていないというのか、その現実を認識することを全身が拒否しているような、まったくもって愉快ではない、非常に混乱した状態だ。夫の実家に近づく頃には、混乱度合いはさらに高まる。
 私は夫に、「私、風邪を引いたことにして寝込むから。悪いけど、おとうさんとおかあさんがあんまり心配しないように、適当に話しといて。」と頼む。

 夫の実家に到着して、ただいまかえりました、の挨拶をすませるなり、「ごめんなさい。私ちょっと風邪ひいたみたいなんで、このまま布団に横になりますね。」と伝えて、夫と私用に供される部屋にひきこもる。
 義母は、「ありゃあ。みそさん、かわいそうに。こっちに帰ってきて寒かったんじゃろう。遠くから運転してきたけん疲れたんじゃろう。寝んさい。寝んさい。」と、こころよく、私の寝込みを応援してくれる。

 自室にひきこもった私は、現状認識を拒む自分の気持ちを汲み取る作業に励む。
 できることならゆっくりと、汲み取ってやりたいところだけれども、時間はあまりないのだ。
 急がなくてもいいし、焦ってはならないけれど、先延ばしにはできない、そういう状況にあることだけは、ちゃんと認識していた。
 とにかく、とりあえず、感じることは感じつつ、それとはまた別に、するべきことを考えよう。

 夫の実家は山に囲まれた田舎だ。冬の乾燥した空気越しに見える夜空はいつも澄んでいて、星の明かりも月の光も存分に浴び放題だ。
 布団の中で煮詰まると、部屋のサッシを開け放ち、自分の頭を外に出す。
 頭を半分だけ外に出し寝転んで、天の川を見上げる。それからふうっと目を閉じて、じいっと静かに夜を浴びる。腕を伸ばし、手のひらを開き、宙に漂うあらゆる力を、我が身に引き寄せる。自分の中にある迷いや不本意や不都合や不愉快を、いったん天に預ける。
 十二分にそうしてから、再び布団にひきこもる。

 ひきつづき、ぐずぐずと、絶賛ひきこもり仮病嘘寝大会に勤しんでいたら、部屋の扉を、こつこつと、ノックする音が聞こえる。
 ノックと同時に、義母の、「みそさん。お粥さん作ったら食べれそうな?」という、控えめで柔らかい声が聞こえる。
 私は、お布団から這い出て、部屋の内側から扉を開ける。
 義母は、今度は、「みそさん。お粥さん作ってあげようか。お粥さんなら食べられるかもしれんよ。」と、言い方を変えて、同じ情報を伝えてくれる。
「はい。いただきます。」と、こくこくと頷きなら、私はしゃがんだまま、義母を見上げて応える。
 義母は、「そうね。よかった。じゃあ、できたら、また呼びにきてあげるけん。もうちいと寝ときんさい(もう少し寝ていなさい)。」と、言いながら扉を閉める。

 それからしばらくの間、私は今度は、嘘寝ではなく、本当にすこっと眠った。
 そして目が覚めたときには、けっして爽やかではないけれど、ほんのちょびっと少しだけ、自分の中の何かが、火打石を打ち始めていた。
 ごそごそと布団から抜け出し、真冬でも開けて眠る窓をさらに大きく広く開けて、息をしっかりと吐き出す。そして、冬の空気を、ゆっくり、ゆっくりと、全身の細胞のひとつひとつの隅々にまで、届くように吸い込む。
 ドアがこつこつと鳴って、義母の声が聞こえる。
「みそさん。お粥さんできたよ。持ってきてあげようか? それともむこうのコタツ(夫の実家では食卓でもある)で食べる?」
「あ。はい。ありがとうございます。コタツに行きます。」

 居間のコタツには、お椀についだお粥と箸と、梅干と塩昆布が、小さくまとめて置いてある。
「梅は体にええんよ。食べられるんじゃったら、食べんさい。」と義母が促してくれる。
「いただきます。おかあさん、塩昆布ももらいますね。」と手を合わせる。梅干ひとつと塩昆布少しを、お粥にのせる。
 ふうふう、と、少し冷ましつつ、お粥を口へと運ぶ。
 おいしい。内臓が、ゆっくりと、温かくなる。だいじょうぶだ。おいしいと思える、ということは、私はだいじょうぶだ。
「おかあさん。おいしいです。」と言う私に、義母は、「そうね。そりゃあ、よかった。まだあるけん、おかわりしたらええけん。お粥さん食べて、またゆっくり寝たらええけん。」と返してくれる。

 そして、私は、「おかあさん。私、この鍋のお粥、一人で全部食べていいですか。」と、質問ではなく、意思表明をして、鍋のお粥を次々食べる。
 義母は、「ありゃあ。よかったわあ。食べんさい、食べんさい。それだけ食べられるんじゃったら、風邪もすぐに治るわ。食べたら、そのまま置いといたらええけん。私があとで洗うけん。みそさんは、またすぐ横になりんさい。」と、うれしそうに言ってくれる。

 仮病なのに、おかあさん、ごめんなさい、おかあさん、ありがとう、と、心の中で手を合わせる。
 はぐはぐ、がっしがっし、と、お粥をたいらげる頃には、自分の中の火打石が、かなり高速で、力強く、打ち始めているのがわかる。
 だいじょうぶだ。私はだいじょうぶだ。ちゃんと考えることができる。みんなにも伝えられる。みんなにきちんと伝えよう。

 今度は心の中ではなく、実際に手を合わせる。おかあさん、ごちそうさまでした。ほんとうにおいしかったです。     押し葉

先の見えない安心

 十代の後半や二十代前半のあの頃、体も心も若くて、ぴちぴち、というよりは、何かをもてあますほどに、たぶん、体も頭も、すべてが、むちむち、としていて、そのもてあます何かを、消費して吐き出すかのように、ああ、そうだ、小さな子どもが意味もなく、走り回ってひたすらにエネルギー放出するみたいに、あの頃の私達は、しょっちゅうどこかに集まっては、夜遅くまで、食べたり飲んだり、喋ったり笑ったり、何かで落ち込んでみたり、びーびーと泣いてみたり、誰かの誕生日が近いといっては、手料理を持ち寄って、誕生日パーティーを行い、誰かの誕生日だといっては、また料理を持ち寄って、再びお祝いパーティーを開き、何もなければ、ただそれぞれが住む部屋に互いに遊びに訪れて、食べて飲んで、喋って笑って、そして眠くなったなら、昏々と眠リ続けて、英気を養い、目を覚まし、また食べて飲んで、喋って笑う。

 あの頃の私達は、あの頃の出来事とそれに伴う感情で、殆どの時間手一杯で、二十数年後の今のことも、その前のことも後のことも、何ひとつ知ることなく、何ひとつ怯えることなく、それでも多少はいろいろと想像して、それなりに覚悟する部分があったとしても、それはあくまでも、たくさんある可能性をただ、あんなこともあるかもしれない、こんなこともあるかもしれない、と、たぶんそれなりになんとなく、いろいろ思っていただけで、むしろ期待を抱いて、楽しみにしていたはずで、具体的に、こんなふうに、現実を生きてゆくことを、嗚咽こみ上げる思いを抱えてそれでも日常を生きることを、抱えきれるとは思えない悲しみや苦しみをそれでも抱えるしかないことを、そのことにただひたすらに呆然とすることを、ままならぬことに遭遇して脳を絞り続けることを、それでも呼吸を整えて、お腹に力を蓄えて、日常を整えて、日々を味わい、丁寧に生きてゆくことを、あの頃の私達は、そんなことは、いつだって、何ひとつ知ることなく、何ひとつ怯えることなく、おそらくかなりほとんどの時間を、心の底から安心して、日々を重ねていたようにおもう。
 そうやって、心底安心した上で、食べたり飲んだり、喋ったり笑ったりを、飽くことなく、繰り返し、重ねていたようにおもう。

 あの頃の私達が、未来にある悲しみや苦しみを、何ひとつ知ることなく、何ひとつ怯えることなく、安心して生きていた、そのことをただひたすらに、いとおしく、ありがたく、腕の中に引き寄せて、柔らかく、力強く、抱きしめる。
 あの頃の、そしていくつもの、安心を重ねた時間があるから、あの頃の、そしていくつもの、思い出の蓄積があるから、おぼえることなく忘れ去った数多くの出来事の蓄積があるから、その後の、現在(いま)の、これからの、あらゆることを、いろんなことを、それがたとえつらくても、それがたとえ苦しくても、それがたとえ悲しくても、それでも丁寧に向き合って、ひとつひとつ感じて、思って、考えて、選んで、動いて、したいことと、するべきことを、重ねて、歩んでゆける。

 あの頃の私達に、「先(未来)」のことは、いつだって、何ひとつ、見えていなかったけれども、そしてそれは、今だって、いつだって、見えることはないけれど、きっとあの頃の私達は、「先(未来)が見えない」からこそ、いつも心底安心して、あんなふうに、泣いたり笑ったりすることができたのだ。

 「不安」というものは、先が見えても、見えなくても、生じる時には生じるし、感じるときには感じるもので、その不安の真の理由が、まだ明確に、つまびらかになっていないとき、まだ明確に、つまびらかにしようとしていないとき、まだ具体的な対策にとりかかってはいないとき、具体的な対策のための力を蓄えている時、一時的に、便宜的に、とりあえず、今手元に既にある「不安」の「原因理由」として「先が見えない」ということを、目の前にあげてみて、それが理由だと、だから不安なのだと、そんな気分になっておく、あるいは、「こんなに大丈夫な未来がたしかにここにありますよ」と、誰かに、何かに、保証して、保障して、補償してほしい気持ちが、「先の見えない不安」という表現を紡ぎ出す、そういうものなのかもしれない。

 でもほんとうは、いつだって、「先」は「見えない」からこそ、安心していられるのだ。安心だとか、不安だとか、そういうことを意識しないくらいに、心の底から安心して、食べて飲んで、喋って笑って、あの頃の私達が、いつもそうしていたことに、ずっとそうできていたことに、迷わずそうしてくれていたことに、泣き出しそうないとおしさと、息が止まりそうなありがたさが、とめどなく溢れ続ける。
 だから今も、これからも、「先の見えない」そのことに、安心して、感謝して、いつか必ずおとずれる、自らの死のときを、しかと迎えるそのときまでを、丁寧に、丁寧に、食べて飲んで、喋って笑って、生きてゆく。決意。     押し葉

地震と眠り

 先日の朝方の地震で目が覚めたときに、思い出したことがある。それは、自分の身は自分で護るのだという決意。

 昔、大阪で暮らしていた頃、阪神淡路大震災に遭遇した。当時住んでいた社宅は、たしか十二階建てで、私たちは六階に住んでいた。
 あの日の朝、あの振動と、あの揺れで、瞬時に私は目を覚ました。それまで生きてきて体感したどの地震よりも、大きくて激しい。ただごとではない事態であることを、動物として生き物として、間違いなく察知する。
 寝室にしている和室の隣の洋間から、食器棚の食器が壊れる音が聞こえる。天井からぶらさがる蛍光灯が、ゆらんゆらん、ゆうらゆうら、と、大きく激しく揺れる。
 お布団に身を伏して、未だ眠り続ける夫に、この緊急事態を告げる。夫の体を揺すって、「地震だよ! どうやらくん、起きて。地震よ。」と声をかける。

 しかし、何度揺すっても、夫は起きようとせず、「うーん」と唸って寝返りを打っては眠り続ける。それでもしつこく声をかけ揺すり続ける私に、ついに夫は反応した。私の頭を彼の胸元に引き寄せて、「よしよし。だいじょうぶだいじょうぶ。おいでおいで。」と、私の頭をなでたのだ。これは妻の愛らしさにたまりかねての行動ではなく、うるさい目覚まし時計を止めるときと全く同じ手つきだったことを、あの緊急事態の中でも、私は見逃していない。
 そして、そのまま頭を布団に押さえ込まれつつ、「大丈夫じゃないじゃん。地震じゃん。」と、ばたばた、ふがふが、と、もがく。

 結果的には、私たちが当時住んでいた地域は、小さな被害で済んだ。食器棚の中で数枚、食器が割れて壊れたのと、天井と床にひび割れ状の長い亀裂ができた程度の被害だ。

 先に起きて、テレビで繰り返し流れる同じ情報(地震が発生したことと、被害状況はまだわからないこと)を見ていたら、いつもどおりの時間に夫が起きてきた。いつもどおりにトイレに行き、顔を洗い、居間に戻ってきた夫は、珍しく朝からテレビを見ている私に向かって、「どうしたん? 何かあったん?」と言う。

「ええっ? 地震。かなり大きかったじゃん。だからニュース見てるの。地震よ、って、あんなに揺すって起こしたじゃん。」
「え? あれ、ほんとだったんだ。また、この人、寝ぼけとってじゃわ、と思ったけど、ほんとだったんか。」
「寝ぼけてないよ。あんなにひどく揺れてたじゃん。食器が落ちる音もしたじゃん。」
「みそきちに揺らされたのは知ってるけど、地震には気づかんかった。」
「気づくよ。気づこうよ。あんなに揺らして起こしたのに、どうやらくん、よしよし、だいじょうぶだいじょうぶ、おいでおいで、って、私を布団に封じ込めた。」
「いや、ああしたら、止まるかな、と思って。でも、実際、大丈夫じゃったじゃん。」

 しかし、その後、刻一刻と明らかになる被害状況をテレビで知り、通勤に使用している交通機関も全て不通であることを知り、そうしてテレビを見ている間にも、余震で何度も揺れを感じて、ようやく夫も「けっこう大きな地震やったんやなあ。」と現実を認め始める。

 あのときに、私は心に誓ったのだ。この人に護ってもらおう、などとは、思わない、と。自分の身は自分で護ろう、と。そしてさらに余裕があれば、私がこの人を護るのだ、と。

 そして、つい先日の朝、大きな揺れ(といっても、阪神淡路大震災後の余震レベルではあったけれど)で、目が覚めた。体に感じる振動と、天井の蛍光灯が揺れる様子を確認したのち、私は夫のそばに寄る。「地震! どうやらくん、起きて。地震。」と、眠る夫の肩に手を置き、その手を強く押しながら伝える。
 すると夫は、まず寝顔のままでニコッと笑い、それから私の腕に手を乗せて、すりすり、すりすり、すりすり、と撫でたあと、くるりと寝返りを打ち、そして深く、いびきを奏でた。
「な、な、なんなんだー、今の反応は。」と思いつつ、私は身を低くして、布団に潜り気味になり、蛍光灯の揺れを見る。そして、揺れる蛍光灯を見続けていたら、なんだか眠たくなってきて、揺れるものを見ていたら、そういえば眠くなるよねえ、と思う。
 再び眠りに落ちながら、降下する眠りの淵沿いで、ああ、そうだった、この人は、地震に気づかない人だった、私が護らなくちゃならないんだった、私は、自分のことは自分で護ると決めたんだった、と、そう決意したんだった、と、思い出す。
 そう思い出しながらも、そのまま眠り、それでも大丈夫な状況で、二人とも無事に生きていて、ほんとうによかった。     押し葉

白髪の理由

 私の実家の家族たちは、どういうわけか、私の夫のことを、ずいぶんと、肯定的に評価してくれている。実家の家族たちが、自分の配偶者のことを、否定的に思うよりは、ずっと、ありがたく、うれしいことではあるのだが、肯定的に評価している理由が、「ねえちゃんと結婚しているから」であるというのは、ねえちゃん(私)本人にとっては、微妙で複雑なところだ。

 何年か前に帰省したときに、弟の脚(と足)をマッサージしていたら、仰向けに寝転んでいた弟がふと、私の頭を見て、「ねえちゃん。白髪増えたのう。年とったんかのう。」とつぶやいた。
私はなんとなく、「年は、常に、あんたより三つ上じゃけん、それなりじゃろ。でも、白髪は、あれじゃない? やっぱり、結婚生活で、私もいろいろ苦労が多いんじゃろう。」と返しながら、マッサージを続ける。
 すると、弟の足が、ぼすっ、と、私の手を蹴るように動く。そんなことしたらマッサージしにくいではないか。「ちょっと。何なん。」と不本意を表明する私に向かって弟は、「苦労とか、おにいさんが言うのはええけど(私の夫が言うのはかまわないけれど)、ねえちゃんは言うたらいけん。ねえちゃんと結婚して苦労しょうるのは、おにいさんなんじゃけん。」と、真顔で説教し始める。「じゃけん、おにいさんのほうが、ねえちゃんより、もっと白髪多いじゃろう。」と続ける弟に、「どうやらくんは、結婚する前から、白髪が多かったけんねえ。むしろ、結婚してから、白髪減ったんじゃないかな。私がご飯作りようるけん、食生活が改善されて、髪の毛も元気になったんじゃろう。やっぱり、よかったんじゃん。私と結婚して。どうやらくん、らっきー。」と返す。
 ぼすっ。またもや、弟の蹴りが入る。

 私の実家における夫は、父と一緒にお酒を飲むけれど、すぐに赤くなって寝てしまう人、という在り方が長年パターン化している。
 自宅でも、夫の実家でも、お酒を飲んでも飲まなくても、うたた寝は、夫の得意技なのだけれど、お酒を飲むと、それがさらに得意にはなるけれど、夫が眠れば眠るほど、私の実家の人々は、「やっぱり、ねえちゃんの相手をするのは、疲れて、たいへんなんじゃろう。」と、妙な納得を深める。
 その話を聞くたびに、夫はいかにもうれしそうに、「そのとおりっ!」と膝をたたく。

 なんだかよくはわからないけど、夫と実家の人々が、仲良きことは嬉しきことかな。     押し葉

結婚腹帯

 もう、だいぶん前のことになると思う。一年よりはもっと前、ニ年か三年くらい前だろうか。今の職場の、コンドームと妊娠検査薬を置いている売り場で、若い男性のお客様に声をかけられた。

「あのっ! すいませんっ!」
「はい。なんでしょう。」
「あのっ! 彼女がっ、妊娠したって言うんですけど、ぼくは、何を買ったらいいですか?」

 男性のお客様の年の頃は、二十歳になっているかどうか、少年というには幼さが少なく、青年というにはやや童顔すぎるような、でも、日々お仕事をされているのだろうな、職種は、左官さんか大工さんだろうか、といういでたち。
 お客様にとって、望ましい妊娠としてのご相談なのか、望ましくない妊娠としてのご相談なのか、こういう仕事では両方ともあることなので、どちらだろうかと探りつつ、お話をうかがう。

「妊娠なさったということは、もう検査薬で確認なさったということでしょうか?」
「はいっ! ここにある妊娠検査薬を買って検査したら、妊娠してたって、言ってました。」
「そうですか。では、産婦人科での受診は、もうなさいましたか?」
「え? 病院に行かないといけないんですか?」
「出産予定がいつ頃になりそうか、は、わかっていらっしゃいますか?」
「いいえっ! 検査薬で妊娠がわかっただけなんでっ!」
「そうですか。妊娠なさったのであれば、産婦人科を受診して、お腹の中の赤ちゃんの状態と、お母さんになる妊婦さんの健康状態を検査して確認するんですよ。それから、母子健康手帳、というものを作ってもらって、出産までの健康管理の記録をつけていくことになりますね。出産予定日を知って、いろんな準備やこころづもりもしていきます。」
「そうなんですかっ。じゃあ、彼女には、すぐに、病院に行くように言いますっ!」
「ぜひ、そうなさってください。病院では赤ちゃんの超音波写真などを撮影してもらって見ることができますし。妊娠中の注意事項もいろいろ教えてもらえますから。」
「ええっ! お腹の中の赤ちゃんの写真が見れるんですか? うわあっ! どうしようっ。ぼく、嬉しくて。ぼくは、何をしたらいいんでしょう? 何を買って帰ったらいいですか?」
「お父さんになられるの、たのしみですね。おめでとうございます。」
「はいっ! ありがとうございます! 彼女に病院に行ってもらう以外には、ぼくは……、あ! お酒とか煙草は、やめたほうがいいですよね?」
「お客様もお母さんになられる妊婦さんも、お酒飲んだり、煙草吸ったりなさいますか?」
「はいっ。でも、やめたほうがいいならやめます!」
「妊婦さんには、すぐにやめてもらってくださいね。お客様は、飲みすぎでなければ、おいしくお酒を飲んでくださっても大丈夫ですが、煙草は、煙が妊婦さんの体にかからないように、別の場所で吸って、その後の手洗いやうがいもしてから、妊婦さんと一緒に過ごすようにしてくださると、なお安心ですかね。」
「そうなんですか! だったら、やっぱり、やめます! お金も貯めないといけないし! 僕ら、まだ結婚してないんです!」
「そうですか。じゃあ、結婚の申し込みも、これからなんですか?」
「はいっ! 彼女はOKしてくれると思うんですが、彼女のお父さんとお母さんに挨拶するのが、めっちゃ緊張します!」
「それは、どきどき、ですね。でも、がんばってくださいね。では、ご結婚もおめでとうございます、ですね。」
「ありがとうございますっ! あの! ベビーフードとか、買ったらいいんでしょうか?」
「いえいえ。お客様。それはまだまだ先のことです。まずは、妊婦さんの健康状態を病院で確認してもらってください。その結果によって、必要なものがわかりますから。もしも少し貧血気味だったりするようであれば、そのときには、鉄を補うサプリメントも、妊婦さん用のがありますから、必要なときにはご利用ください。」
「それは、どこですか?」
「はい。ベビーコーナーになりますので、ご案内いたしますね。」

 そうか、そうか。赤ちゃんを歓迎する気満々の態勢なのか。だから、嬉しくて、こんなに勢いよくお話なさるのか。と、少しばかり安堵しつつ、微笑ましい気持ちになりつつ、ベビーコーナーへと移動する。

「こちらが、妊婦さん用の健康食品です。あとは、そうですね、妊娠が進むと、妊娠線という線が体に出てくることがあるんですが、その予防に使うのが、こちらのクリームなどになりますね。でも、今はまだ、何が必要かわからない状態ですから、まずは、産婦人科で健診を受けて、それから、また、ご本人様とも相談なさって、それからご一緒に、こちらのコーナーを見に来てくださるとよいかと思います。」
「わあっ! いろいろ、あるんですね。赤ちゃんのミルクやベビーフードは、こっち側なんですね。あっ! あっちにオムツもある! うわー! どうしよう! ぼく、どれを買っていったらいいですか?」
「いえいえ、お客様。落ち着いてください。赤ちゃんのものは、赤ちゃんが生まれてからで大丈夫ですよ。」
「でもっ! ぼく、嬉しくて。何か彼女に買って帰りたいんです。赤ちゃんが生まれるまでに、必要なものって、ないんですか?」
「そうですねえ。もう少しお腹の赤ちゃんが大きくなって、妊婦さんのお腹も大きくなってきたときに、腹帯(はらおび)、という、お腹を保護するものを使う必要があれば使うでしょうか。」
「それはっ、どれですかっ?」
「はい。こちらに。昔ながらの、ぐるぐるっと巻きつけるのもありますが、最近は、マジックテープで簡単に着けたり外したりできるものもあります。こちらのタイプですと、MサイズとLサイズからお選びいただけます。けれど、それもまだ、もう少し先のことですから、妊婦さんご本人様と相談なさってからでよろしいかと思いますよ。」
「いいえっ! ぼく、これ、買います。彼女は、細い娘なんで、Mサイズでいいと思います! これ、買って帰って、結婚しよう、って言います! それから、病院、産婦人科ですよね、に行こうって話します!」
「そうですか。ありがとうございます。いろいろ頑張ってくださいね。では、レジにてお会計をお願いいたします。」
「はいっ! ぼく、よくわからなくて、また妊娠検査薬買ったほうがいいのかと思ってたんで。ありがとうございました!」

 あのとき、お腹の中にいた赤ちゃんは、もう歩いて食べて飲んで、元気に喋って笑っているだろうか。お母さんは、「あんたがお腹にできたとき、お父さんは大喜びで、なぜか腹帯買って来て、結婚しよう、って言ったのよ。プロポーズは腹帯ちゃうやろ、指輪やろ、って、言いたかったわ。」と笑いながら、話していらっしゃるのだろうか。

 あっ。もしかして。数年前のあのとき、私は、「お客様。プロポーズなさるのであれば、腹帯よりも、指輪か何か、花嫁さんがほしいと思われるものをプレゼントなさったほうがよくないですか?」と接客したほうがよかったのかな。     押し葉

家庭内の獣の毛

 妹夫婦が遊びにきたとき。うちの居間に四人で、三本川ならぬ四本川状態に並んで寝転び、大河ドラマを見る。ドラマが終了して、妹が、「ねえちゃん。見て。これ。知っとった?」と言いながら、手のひらにすくったもの私に見せる。

「ん? なんだ? それは?」
「もっきゅん(義弟。妹の夫。)が、こうやって、しばらく、ごろっと横になっとるとね、すね毛が抜けたのが、足元のあたりに、ふわふわーっと、たまるんよ。」
「うわ。そんなに?」
「そうなんよ。すごいじゃろ。うちは、とーちゃんも、にーちゃんも、すね毛が殆どない人らじゃけん、見慣れんじゃろ。もっきゅんやおにいさん(私の夫)みたいに、普通に毛深い男の人が、おらんかったけんねえ。」
「しめじ(弟。妹にとっては兄。)は、私の脛を見て、ねえちゃんは毛深いのぅ、いうて言うくらいじゃもんねえ。こんなの全然毛深くないのに。あ。そういえば、うちのバスマットとかトイレマットに、頭髪でも陰毛でもない、微妙な長さのよわよわしい毛がよく落ちてて、二人暮しだけど、いったい、誰のどこの毛だろうか、と思って、ずっと謎じゃったんよ。すっごい細くて短いけん、もしも頭髪だとしたら、それはそれで、どうやらくんの頭の毛髪力、ちょっと問題ありすぎかも、と思ったりして。あー。そうかー。どうやらくんのすね毛じゃったんじゃねー。すね毛なら納得じゃし、安心。でも、すね毛がそんなに抜けるっていう発想がなかったわー。」
「じゃろ。うちも結婚してすぐの頃は、ネズミを屋内で放し飼いにしようたけん、あちこちに落ちとる短い毛は、私、ずっと、ネズミのやつじゃと思っとったんよ。それが、ネズミがおらんようになっても、相変わらず毛が落ちとるけん、おかしいなあ、と思うて気にしようたら、もっきゅんの通り道や足元に落ちとるのがわかったんよ。」
「うわー。人間のすね毛って、けっこういっぱい抜けるんじゃねー。で、抜けたのがそんなにわからんくらいに、常に新しく生えてきとる、いうことなんじゃねえ。」
「もっきゅんが、玄関で靴を履くときに、座って、ジーンズの裾を持ち上げて、靴を履いてから、また裾をおろして、ってしたりするとね、いっきに抜けるみたいで、玄関に、ほわほわーほわほわーって、毛が舞うんよ。」
「なんかあっても、なんもなくても、抜け落ちたすね毛を追って鑑識したら、けっこういろんなことわかるかもね。」
「そうなんよ。私が仕事から帰ってきたときに、もっきゅんが、家におった日じゃったりすると、『今日は一日全然ごろごろしてなかった!』とかって、わざわざ教えてくれるんじゃけど、居間にしゃがんでみたら、すね毛の抜けたやつの密集してるところと、頭の毛がぱらぱら抜けて落ちてるところとが、もっきゅんの背の高さにぴったりでねー。今日、もっきゅんは、ここで長時間、横になって過ごしとったんじゃなー、いうのがわかるんよ。別に、ごろごろするのは全然かまわんのんじゃけど、全然ごろごろしてない、とかって、嘘つこうとするのはやめてほしいよね。」

 この夏の発見。人のすね毛は意外とたくさん抜け落ちて、頻繁に生え替わる。     押し葉

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プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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