みそ文

包丁生活

 前回の日記「爪と絆創膏」に書いたとおり、料理中に爪を怪我して以来、なにやら、食事のしたくをしていると、夫が妙に傍に近寄ってくる。私はごくふつうに、日常的に、洗ったり切ったりの作業をしているだけなのだけれど、夫は「替わろうか? 俺が切ろうか?」と何度も私に言ってくる。

「なんで、そんなに替わろうか、って言うん? わたくし、何か、手際がよろしくなくなってますでしょうか? それとも、どうやらくん、お腹ぺこぺこで飢え(かつえ)てて、私の料理速度での出来上がりが待てない、とか?」
「ちがうよ。今日は別に飢えてない。だって、みそきち、自分の爪を切り落とすじゃん。怖いじゃん。」
「それはご心配おかけしまして。でも、この爪切ったのって、結婚してから初めてじゃん。生まれてからも初めてだし。そういえば、小さい頃には、指本体の親指の爪の下辺りをぶっすりと切ったことがあるけど、爪を削いだのは初めてじゃけん。たぶん、もうせん(もうしない)と思うよ。いくら私が鳥頭(いろんなことをすぐに忘れる脳みそ)でも、身の危険に関することは、ちゃんと記憶できるはず。」
「そうかなあ。だいじょうぶかなあ。パソコン使うからつけといて、って頼んでも、うん、わかったー、って言いながら、パソコン消したりするじゃん。それで自分でびっくりしたりしてるじゃん。だいじょうぶかなあ、鳥頭。」
「大丈夫じゃなさそうだったら、そのときにまた考えようや。それよりも、そんなに手持ち無沙汰なら、私が切った材料を、順番にフライパンで炒めてくれる?」
「よっしゃ。まかせろ。」

 と、ただでさえ簡単な料理に二人がかりで取り組んで、よりいっそう素早く仕上げる。「いただきます」と唱えてから、向かい合って食事する。
 こうして毎日おいしく食べて、元気に生きている分だけ、爪は少しずつ伸びてくれる。
 もう少し(一週間か十日くらい)したら、「異様に深爪した人」くらいの状態にはなれそう。よかった。頑張ろうね、私の爪。     押し葉

爪と絆創膏

 数日前、夕ご飯を作っているときに、しゅぱっ、と、自分の左手薬指の爪を、少し(爪面積の四分の一くらい)、削ぎ落とすという出来事があった。
削ぎ落とす、とは言っても、切れ味のよいモリブデン包丁だったこともあり、すぱっと切れた後も、しばらく痛みはなく、浮き上がった爪と出血を見て、やはり切れていたか、と、落ち着いて認識した。

 夫に「指、切ってしまった。続き、お願いするね。」と料理の作業継続を頼んでから、患部を流水で洗い、アルコール消毒する。そして、ぐっと圧迫して止血する。
 よく見ると、爪の一部が剥がれてはいるものの、そのごく一部はまだ、残りの爪と繋がっている。
 このまま、この剥がれた爪を蓋として指に乗せておいたほうが、きっと治りがいいはず、と判断する。ちぎれそうな爪を指に乗せて、絆創膏で固定する。
 痛みもなく、途中から夫が作ってくれたご飯を、おいしくぱくぱくと食べる。

 翌日の仕事中。夏の冷却企画売り場の作成中。売り場作りのための道具を、バックヤードに取りに行く。まずは、90cm幅の棚板を資材置き場に片付けてから、金属フック(商品をひっかけて展示する道具)を、数十本取り出す。
 そのときに、金属フックの何本かが、絆創膏の上から、左手薬指にあたる。剥がれかけている爪に引っかかるような方向に、ぐぐっと圧がかかる。痛い。思わず「うぐっ。うががっ。」と声が漏れる。

 数メートル離れたところで、別の作業をしていた同僚が、私の声に気づいて、「どうしたんですか? なんか痛そうな声ですけど。」と声をかけてくれる。「いや、実は、昨日料理してるときに、包丁で、自分の爪を削いでしまったんですけど、そこに金属フックがあたったのが、痛くて。」と説明する。
 同僚は「うぎゃあっ。いやあっ!」と、自分で自分の腕を両手で抱きながら、小さな叫び声をあげる。

 そこに、売り場からバックヤードに入ってきた別の同僚が、「どうしたんですか? そんなところで。」と声をかけてくる。先に私の話を聞いていた同僚が、「どうやら先生がね、かくかくしかじかで」と説明してくれる。二人目の同僚は、「うわあっ! やめてー! そんなに詳しく説明せんといてー。どうしたですかって、聞かんかったらよかったー!」と足早にその場を去ろうとする。

私「まあ、まあ。大丈夫ですから。今みたいに、変な方向に圧や力がかからなければ、他の時には、別に痛くないですし。」
同僚その一「でも、絆創膏で固定してるのって、ずっと張り替えずにそのままなんですか?」
私「いえいえ。絆創膏も汚れますし、はがれますし、一日に何回か貼り替えますよ。」
同僚そのニ「それよ! そのとき、絆創膏貼り替えるときに、絶対、痛いでしょ?」
私「それが、そうでもないんですよ。」
その一「だって、絆創膏はがすときに、蓋にしてる爪がくっついてくるんじゃないですか?」
その二「そうよ。そうしたら、生の爪が剥き出しになって。うぎゃあ。痛い!」
私「あ。爪がはがれたといっても、剥がれた爪の一部は、まだ、爪本体と繋がってるんで、そこがちぎれないように気をつけながら、そおっと絆創膏をはがせば、別に痛くないんですよ。」
その二「うぎゃあ。一部だけ繋がってるとか。なんか益々怖いじゃないですか。想像しただけで、ぞわぞわしてくるー! ああっ。もうっ。仕事して、熱くなったー、と思ってたのに、話聞いて、いっきに、寒くなったー。」
私「あはは。思いがけず、納涼でしたね。」
その二「ほんとやわ。納涼、納涼。くー。こわいー。」
その一「ああー。もうー。こわいー。どうやら先生、怪我のところ、気をつけながら仕事してくださいよ。」
私「はい。」

 同僚はそれぞれに、自分の腕を抱きながら、寒そうな怖そうな様子で、各自の仕事に戻っていく。

 売り場作りの作業をすると、汗をたくさんかくし、白衣の前側も汚れやすい。帰宅してから、数日分の白衣をまとめて洗いましょ、と、洗濯の準備をする。洗濯機に入れる前に、襟首のところに石鹸をつけて、手でもみ洗いする。あと一枚、と思いながら、もみもみ、ぎゅっぎゅっ、と洗っていたら、左手薬指の絆創膏が、するり、と外れた。みゅみゅ。うがが。くうっ。ちょっと痛い。
 あれ? 蓋にしてた爪が、ない。ついにちぎれてしまったのか? はずれた絆創膏にくっついてるかなー? 
 ちらり。ううっ。ない。
 水道水の流れと一緒に、下水道へと旅立たれたようである。
 仕方ない。なくなったものは仕方ない。
 それまでちゃんと蓋として、旅立った爪をのせておいたおかげで、生身の爪の表面も、少し丈夫になったみたいだし。石鹸を洗い流して、アルコールで消毒して、絆創膏で覆っておけば、そのうち新しい爪が生えてきてくれるよ。だいじょうぶ。だいじょうぶ。絆創膏が使い放題の世の中でよかった。     押し葉

おかあさんはゆみちゃん

 職場で、売り場作成作業かなにかをしていたとき。
 小さな男の子(ニ歳くらい)が、ぱたぱたぱたぱた、とてとてとてとて、と、あっちに走っては途方にくれ、こっちに走っては途方にくれている様子。
 わたしはその小さな男の子に「こんにちは。だいじょうぶですか」と声をかけてみる。男児は明らかに助けを求める表情で、「おかあさんが、いない! おかあさんが、いない!」と訴える。「そうですか。では、一緒に探してみましょうね。」と応えたときに、今度はもう少しだけ大きくなった女の子(五歳くらい)が、「どうしよう! おかあさんが、どこにいるかわからない!」と、泣き出しそうな顔で私に言ってくる。その女の子は、男児のお姉ちゃんのようで、姉と弟二人して、大人からはぐれたご様子。

「だいじょうぶですよ。きっとお店の中のどこかにいらっしゃいます。一緒に探してみましょうね。」
こくこく、と頷く二人。

「お店の中は広いので、お名前呼びながら歩きましょう。きっと気づいてもらえますよ。よかったら、お母さんのお名前を教えていただけますか。」と、お二方(小さな男の子と女の子)に訊いてみる。

 個人情報保護法的には、ややいかがなものだろうか、かもしれないけれど、それが問題になったときには、そのときに考えよう。
 店内放送をかけることもできるけれど、大人の足と声であれば、さくっと見て回れる広さだ。だから、たとえば「高橋様」なら、売り場の数列ごとに、「高橋様。いらっしゃいますでしょうか。」と、お名前を呼びかけてみるだけで、おそらく気づいていだだけるはず。そう予想して、お母さんのお名前の回答を待つ。

 女の子は、もう、これ以上何か喋ったら、きっと、泣き出してしまいそうな、そんな呼吸をしながら、「おかあさんは、ゆみちゃん」と教えてくれる。

「お母さんは、ゆみちゃん、ですか。」

 私は一瞬途方に暮れる。店内で、お子様のお母様を捜し歩くのに、「ゆみちゃーん。ゆみちゃーん。」と呼ぶのも、呼ばれるのも、少しばかり、ううむむむ、なんだかなあ、な気がするような気がするのだ。

「おかあさんのお名前、苗字は、上の名前は、なんでしょう?」と問い直してみるのだが、号泣直前の女の子は、「おかあさんは、ゆみちゃん、です。おかあさんのおともだちは、みんな、おかあさんのこと、ゆみちゃん、て、よぶ。」と一気に説明してくれる。

「そうですか。わかりました。お母さんは、ゆみちゃん、ですね。一緒に歩きながら呼んでみましょう。」と決定する。お姉ちゃんと弟くんが、二人一緒に、私の両手にしがみつく。

 さて、では、歩き出しましょうかね、と思ったそのときに、「あんたたち、そんなとこで、何してるの。勝手に離れたらだめでしょう。」と、女性の方が声をかけてくださる。「あ。お母様でいらっしゃいますか? お子様たち、お母様のこと、ずいぶんとお捜しでした。」と言いながら、子どもたちの手をお母様に引き渡す。

 子どもたちは、「あ! おかあさん!!」「うわーん。うわーん。」と、それまで半泣きだったのが、いっきに本泣きに突入する。

「あんたたちが、勝手にお菓子のところに行くって言うから、ほら、子どものお菓子のところで、お父さん、待ってくれてるじゃん。二人とも、どこにいたの?」
「だってー。おとうさんもおかあさんもみえんかったもんー。さみしかったもんー。こわかったもんー。」
「だから、勝手に行きなさんな、言うたでしょ。」
「だってー、うわーん。」

 子どもたちと妻の声に気づいた男性のお客様が、「ああ、こんなとこに、いたのか。」と言いながら近づいてこられる。子どもたちは、「うわーん。」「うわーん。」と言いながら父に抱きつく。

 お姉ちゃんと弟くんのご両親にあたるお客様方は、私に向かって、「どうも、すみませんでした。ありがとうございました。」と言いながら、それぞれ一人ずつ、子どもの手をとる。お姉ちゃんと弟くんに、「よかったですね。お父さんとお母さんの手をしっかり握っててくださいね。」と声をかける。二人は、ひくひく泣きながら、でも、こくこく、こくこく、と、何度も頷く。

 再会できて、よかったね。     押し葉

字幕と吹き替え

 実家の祖母がまだ生きてきた頃。祖母は映画を見るのが好きで、自室のテレビで映画の放映をよく見ていた。

 しかし晩年になると、目の機能や耳の機能が少しずつ低下してくる。すると、映画の字幕を読み取ったり音声を聞き取ったりする際の円滑さも少しずつ低下する。
 けれど祖母は、自分の機能低下のことなどまったく思いつかないようすで、「最近の映画は、字幕の字が小そうなった。」「字幕の字が多ゆうなった。」「字幕が替わるのが早うなった。」「最近は俳優さんも、吹き替えの声優さんも、早口で喋りすぎじゃ。皆、もうちいと(もう少し)ゆっくり話さんにゃあ。あれじゃあ、映画を見てくれるお客さんに聞いてもらわりゃあせんじゃろう。」と、堂々と真顔で言っていた。

 祖母の言葉を聞いた父が、「何を言いようるんな(何を言っているのだ)。そりゃあ、ばあさんが年(とし)をとったけん、そう感じるんじゃろう。」と返すが、祖母は、「何を言いようるんね。年をとるいうてから(年をとると言っても)、年は一年にいっこずつしかとらんのんじゃけん。そんなにようけい(たくさん)はとっとりゃあせん(とってはいない)。そりゃあ、わしもちいたあ(少しは)目も耳も弱うなっとるかもしれんけどの。でも、映画を作る人らは、見る人に、よう見てもらおう、楽しんでもらおう、思うんじゃったら、もうちいとよう考えんにゃあいけまあ(もう少しよく考えなくてはならないであろう)。」と言い切る。

 当時の祖母は、おそらく八十歳前後だった。     押し葉

夫の感想(「劒岳」)

 休日の日曜日。夫が一人で映画を観に行った。「劒岳(つるぎだけ)、点の記」。

 観に行く前は、「東映はもっと興行成績を取れる映画を撮るべきなのに、売れない映画が多すぎる。」とやや否定的だった夫。
 「そうは言っても、映画というものは、売れるかどうかということよりも、世の中や時代や俳優さんの記録をとる、という側面も持っているんじゃないかな。」と言う私に、「でもやっぱり売れてこそじゃろう。」と夫は言っていた。

 お昼過ぎに映画から帰ってきた夫は、妙ににこやか。「どうだった? 面白かった?」と訊くと、「うん! すっごく面白かった。」と興奮気味。

「お客さんは多かった?」
「広いほうの劇場だったから、それでもすーすーだったけど、でも30人くらいはいたと思う。」
「へえ、それは、多いね。他の映画の時には、いつも10人いないくらいって言ってるのにね。」
「うん。あれは、面白かったわー。あまりの面白さに、ほら、パンフレットまで買ってきた。こんなこと、今までにないことだ。」
「うわー。パンフレットなんて珍しい。どんなお話だったの?」
「ストーリー自体は、そんなにあるようなないような、どちらかというと記録映画っぽいというか。」
「へえ。そうなんだ。」
「あれなら、もう一回観に行ってもいいなあ。面白かったー。また観に行こうかなー。」
「それは大絶賛じゃん。じゃあ、DVDを買おうかっていう気になる?」
「DVDかあ。それはないな。あれは映画館の大画面で観るからこそ、山の景色が迫ってくるんだと思う。家のテレビじゃ、たぶん半減する。音楽もよかった。あれも映画館のちゃんとした音響装置で聞くからいいんだと思う。」

 そうかそうか。それはよかった。その後私は、ニ時間ほどお昼寝をして、目が覚めてから、ヤクルトをクピクピと飲み、夫が買ってきたパンフレットを眺める。
 山の景色が雄大で、空も雲も稜線も、思わず手を合わせて拝んでしまいそうな美しさ。
 あんまりストーリーはないと夫は言っていたけど、パンフレットを読んでみたら、明治時代に日本地図を完成させるため、剣岳測量の任を受けた当時の人たちが命がけで山に挑むという、私好みのストーリーが書いてある。

 「ブックオフで剣岳の原作本を探したけどなかったー。」と言いながら帰って来た夫に、「この映画、すごく面白そうじゃん。前に広告を見ただけでは、こんなに雄大な作品であることは伝わってこなかったけど。私もこれなら観てみたい。」と言ってみる。

「うん。みそきちも、ぜひ観に行ったらいいよ。」
「じゃあ、今度、一緒に観に行こうよ。」
「え? また観るん? なんで? 平日休みの日でも、一人で行ってきたらいいじゃん。」
「え? どうやらくん、この映画面白かったから、また観に行きたいって言ってたじゃん。」
「ああ。それは、まあ。」
「なんなん、なんなん? また観に行きたいけど、私と一緒にはいやなん? そうなん? もう仲良しじゃないん?」
「いやいや。はいはい。演技はええけん(いいから。必要ないから。)」
「え、じゃあ、なんなん? また観に行きたい、というのは、たいへん面白かったことの比喩的表現であって、実際の願望とは別物なん?」
「そうかなあ、まあ、うーん。」
「そんなの、私には難しいよ。また観に行く気がないんだったら、また観に行こうか、なんて言わないでー。」
「あーあ。脳みそがご不自由な方は、いろいろたいへんですなあ。」
「そうよー。たいへんなんだからー。私の脳みそが混乱するようなことは言っちゃだめー。」
「はいはい。まあ、そういうわけで、観に行ったらいいよ。あれくらい広い部屋なら、密室でも、みそきちも酸素不足にならないと思うし。」
「わかった。映画は好きだけど、映画館って、密室というか、新鮮な空気で換気が思い通りにできんのがいけんよね。」
「お客さん、映画上映中ですから、勝手に窓なんか開けないでくださいよ。」
「窓なんかないもん。開けられんもん。私が観に行ったとき、お客さんが私一人だったらいいな。」
「お客さん、うちも商売なんで、営業のことも考えたいんですけど。」
「そうだよねえ。たぶん映画館って、明かりが入らないように、でも今よりももっと十分、私が満足するくらいに、換気できる設備にするか、お客さんに酸素ボンベか酸素スプレー缶を配るようにしたらいいのにね。そうしたら、もっとたくさん、お客さん入るようになるんじゃないかな?」
「映画観ながら、皆が、しゅーっ、しゅーっ、って、酸素吸うんか?」
「うん。そうしたら、密室でも快適に、常にクリアな脳みそで、映画を観れるんじゃないかな。」
「必要なお客さんは自分で持って入るほうがいいんじゃない? 俺全然必要ないし。そんなんほしいと思ったことないし。配ってもらわんでいいし。それにそういう危険物は、やっぱり持ち込みご遠慮なんちゃう?」
「うーん。そうかあ。やっぱり映画館って敷居高いよねー。」
「酸素問題で敷居が高いのは、みそきちくらいだと思うけど。」
「そうかなあ。」

 休日、夫婦で、たくさん語り合えて、よかった。ありがとう、東映。ありがとう、劒岳。     押し葉

破傷風と過食症

 職場の休憩室でふと、同僚が私に声をかけてくる。「どうやら先生。同級生の友達が、破傷風になったんですよ。」

「まあ。それは、たいへんですね。でもいまどき、破傷風なんて、少し珍しいですね。」
「そうなんですか?」
「お友達は、どこか怪我をされて、そこからばい菌が入ったんですか?」
「え? 私、何か言い間違えてます?」
「え? 私、何か聞き間違えてます? お友達の病気は、なんでしたか?」
「すっごくいっぱい食べるんです。食べても食べても止まらなくて食べ続けるんです。友達は、過食症だ、って言ってたから、私もそう思ってたんですけど。」
「うわー、すみません。過食症(かしょくしょう)でしたか。私、破傷風(はしょうふう)だとばかり。失礼しました。」
「過食症でいいんですよね? いっぱい食べ続けてしまうのは。」
「はい、はい。合ってます。過食症です。摂食障害の過食のほうですね。それにしても、それは、ご本人さんも周りの方たちも、力の要ることですね。」
「そうなんですよ。」

 その後、休憩の間中、過食症談義は続いたのだが、過食症と破傷風が、こんなに音が似ているとは。意外な発見であった。気をつけようっと。     押し葉

朝に「おかえり」と言って見送る

 夫は毎朝、私よりも早く起きて、出勤準備を行う。

 結婚してからの数年間は、私のほうが先に起きて、朝食をテーブルに並べていた。当時の夫は朝食を食べる習慣がなく、なんだかいろいろ効率がよろしくなさそうだった。
 朝ごはんを食べたら、出勤通勤時の疲労感も、午前中の集中力も、きっと違うよ、と説明し、あまり乗り気でない夫に、バナナとヨーグルトと牛乳を並べ続けた。朝食を習慣化するミッションだ。最初はあまり食も気もすすまなかった夫だが、しばらくすると、必ず、朝食を摂るようになった。そして、朝食摂取を習慣化する以前の午前中の自分は、実はほとんど仕事していなかったのかもしれない、と、振り返ったりもしていた。
 そんな夫も現在では、食料買出しのときには、自分の朝食用に、必ず、バナナと、りんごジュースと、ヨーグルトと、牛乳と、パンかシリアルを、忘れることなくカゴに入れる。ミッションは大成功といえるだろう。

 夫は朝起きると、お湯を沸かし、朝食用のインスタントコーヒーを入れて少し牛乳を加える。会社で飲む用の紅茶も作ってペットボトルに入れる。
 昨夜のうちにお米を洗い、しかけておいたタイマー炊飯で炊き立てのご飯を、小さなお弁当箱に詰めて、朝食の間冷ましておく。おかずは会社で業者さんが配達してくれるものを利用する。業者さんが持ってくるご飯はあまりに量が多いからと、夫は自分にちょうどよい量のご飯を自分で用意する。
 身支度を整えてから、ゆっくりと新聞を読みながら食事を摂る。食後歯磨きをしたら、居間にしばらく横になって、NHKの朝のニュースを見る。出勤時間直前に、湯気を飛ばしたご飯に蓋をして、お弁当包み用の布で包む。

 この一連の作業を、夫は一人で、静かに、行いたい。私があれこれ手を出したり、声をかけたりしないほうが快適らしい。
 だから私は目が覚めても目が覚めなくても、夫が出かけるまでは、お布団に入っている。夫が全ての仕度を終えて、お布団の中の私に「いってきます。」と声をかける。私はお布団から抜け出して、玄関まで見送りに出る。手を振って、静かにドアを閉めて鍵をかける。

 このときに、普通に目覚めていることもあれば、寝ぼけていることもあるし、完全に寝ていることもある。完全に寝ているときには、見送りもできないので、夫は自分でドアの外から鍵をかけて出かけるのだが、寝ぼけている場合には、寝ぼけながらも起き出して、玄関で手を振って見送り、私がドアを閉めて内側から鍵をかける。

 先日の夕食後、夫がふと「今朝のこと憶えてる?」と言う。

「今朝は玄関で見送った記憶があるけど、あれは私の夢だった?」
「ううん。一応玄関には来たけど、その前。布団の中のみそきちどんさんの頭をさわって、いってきます、って言ったときのこと、憶えてない?」
「うーん。あれ? 全然記憶がないなあ。玄関のところからしか、今日の記憶がないぞ。」
「そうやろうなあ。あのとき、みそきち、なんて言ったか知ってる?」
「え? なんか、とんちんかんだった?」
「うん。『おかえり! わかった! おかえり!』って言いながら、布団から出てきた。」
「それは。脳内の挨拶言葉の引き出し、見送りの引き出しを開けるはずが、出迎えの引き出しを開けてしまったのかな?」
「そんなかんじ。おかしかった。あのー、おかえりってー、まだこれから行くとこなんですけどー、どこへ帰れ言うんですかー、って思いながら出かけた。いやあ、あれは、新しい芸だった。前に、玄関で、『じゃ。そういうことで!』って言いながら見送られたときも、そういうことってどういうことやー、と思いながら運転したけど、『おかえり!』って言いながら見送るのもなあ。ええ寝ぼけでしたわ。」

 ふう。私の中の寝ぼけ担当部門も、夫婦仲がだれないように、見送り行事も飽きないように、いろいろ考えたり工夫したりしているのね、きっと。     押し葉

ラーメンはネギ抜きで

 ここ数年、私はネギを食べない。ネギの仲間である玉葱もニンニクも苦しい。味や香りは大好きだし、それぞれの食感も好みであるにもかかわらず、食べると必ず具合がよろしくないのだ。

 胃から食道にかけての粘膜が熱いような痛いような感覚になり、胸焼け状態になる。うまく消化代謝できていない化学物質のにおいが、頭皮から立ち昇る。お酒を飲みすぎたときに、アルコールがスムーズに消化代謝されないと、アセトアルデヒドのにおいがするが、あのにおいのネギバージョンとでも言えるだろうか。決しておいしそうな食品のにおいではなく、代謝や発酵に失敗した、どちらかというと腐敗に近い、快くないにおいだ。

 食道粘膜胃粘膜の熱感と胸焼けと異臭に続いて、ひどい頭痛もやってくる。二日酔いのネギ版、当日食後編。その症状は、食後しばらくから始まり、一晩中苦しさが続く。翌朝、大量の排尿と排便に至って、しばらくすると、ようやく症状はおさまるが、腸や肛門にも若干のひりひり感をおぼえる。
 お酒が飲めない人の体内に「アルコール分解酵素」がないように、私の体内では現在「アリシン(硫化アリル)(ネギや玉葱などに多く含まれる成分)分解酵素」が長期休職中なのだろう。

 だから、近年、自宅では、玉葱もネギもニンニクも、料理にまったく使わない。ここはネギの小口切りがほしいところだ、と思うときには、青紫蘇やミョウガを利用する。おかげで、自炊ご飯に関しては、ほぼまったく、問題がない。

 しかし、外食だとそうはいかない。むしろ、これらのものが入っていないメニューを探すほうが難しいくらいだ。薬味にネギが入ってるだろうな、と、予想できるものに関しては、あらかじめ、注文のときに、「ネギ抜きで」とお願いする。思いがけず出てきたときには、よけられる状態であればよける。分別不可能な状態の時には、思い切って食べてしまう。味としてはおいしいから、食べること自体はしあわせだ。ただ、そのあとの苦しさを覚悟して、少しだけ命と気合をかける。少しでも症状が軽くて済むように、食後に豆乳か牛乳を飲み、胃薬とシャンピニオンエキスと頭痛薬を飲み、歯磨きのときに歯茎も念入りにブラッシングして、デンタルフロスも使う。

 何年か前に、飛騨高山に旅行して、夜入ったラーメン屋にて。夫と私と、ラーメンを一杯ずつ食べることに。
 私のほうはネギ抜きでお願いします、と、注文のときに声をかける。するとラーメン屋のおばちゃんが、「あら、まあ。ネギ嫌いなの?」と訊くので、「いえ、味は大好きなんですけど、上手に消化できないので。」と答える。

「ネギはちゃんと食べんと、頭よくならんよ。毎日食べ続けんと。ネギは体にいいのに。おいしいのに。私なんか、ネギを食べない日はないわ。」
「おいしいし、体にもいいですよねえ。私も以前は、ほとんど毎日、食べていたんですけどねえ。お酒が飲めなくなった頃から、ネギ類もだめになってしまって。」
「あらあ。かわいそうに。こんなおいしいもん、食べられないだなんて。じゃあ、奥さん(私)はネギなしで、だんなさん(夫)はネギ入りのラーメンでいいのね?」
「はい。お願いします。」

 そして、しばし、ラーメンのできあがりを待つ。そうしてる間に、常連風のおじちゃんたちが、お店に入ってきて、おばちゃんと馴染みの会話を交わす。

「はい。おまちどおさま。」と、おばちゃんが、カウンター越しに置いてくれたラーメンには、夫のにも私のにも、薬味のネギが山盛りにのっている。おばちゃんは、すぐに、おじちゃんが注文した品の調理の続きに没頭し、おじちゃんとの会話も忙しくなる。「すみません。ネギ抜きで注文したのに、ネギが入っています。」と言う隙が、そこには、ない。

「どうやらくん。私、ネギ抜きでオーダーした、よ、ね? あれは夢? 私ネギ食べてないから、記憶が不安定?」
「ネギ抜きオーダー、したした。ちゃんと頼んでたって。そのネギ、こっちの丼に入れたら? 食べられるだけ食べるし。」
「うん。そうする。ありがとう。」
「しかし、これで、毎日ネギを食べていても、頭がよくなるわけじゃない、少なくとも、毎日ネギを食べてるおばちゃんの頭は、客の注文したことを忘れる、いうことは、わかったな。」

 たいていの飲み物や食べ物は、それぞれに有用な成分を持っていて、それらを摂取することは、健康のためによいのだろう。
 しかし、それらの成分が有用に働くよりも、不要で苦痛な働きをするときには、無理に摂取しないほうがよいはず。それらの成分で得られるはずの健康は、別の何かで補えば問題のないことだ。
 私の体内に、「アルコール分解酵素」と「アリシン分解酵素」が、復職してくれるかどうかは、わからない。復帰してくれたらうれしいなあ、とは思うけれど、不在なら不在なりに、おいしく快適にいただけるものをいただく。体には体の都合があるのだろうし。
 
 おいしさへの欲望や欲求と折り合いつけながら、食べて生きてゆきましょう。つややかな新玉葱がおいしそうだなあ、と、思う、梅雨の合間の晴れた日。


 追記。
 当時は、ネギや玉ねぎやニンニクを食べた後の頭痛は、一晩中苦しんだのち翌日までくらいでおさまっていたようであるが、その後、これらのものを食したときの頭痛は、平均的に約72時間の人生をつぶすことが判明するに至った。
 できるだけ人生をつぶさずに余生を送りたい。     押し葉

少し大きくなったから

 これから夏が本格的になり、お盆が過ぎる頃までの間、多くのお客様が手にとってくださるのが、虫刺されに使う薬だ。
 虫よけ製品も殺虫剤も活躍するが、それでも、虫には刺されてしまう。そんなときの痒みや腫れを緩和する薬は、早めに使うのがコツだ。かきむしって傷になってからでは、薬がしみたり、傷口が化膿しやすくなったりする。む、かゆい、と感じたら、掻く前に塗るべし。

 それでも小さなお子様は、手が届くと掻いてしまうため、パッチタイプの痒み止め貼り薬もおすすめだ。この痒み止めパッチは、直径3cm弱の丸いシールで、肌に貼り付ける面に痒みと炎症を止める薬がついている。
 ただのシールだとはがしてしまうお子様でも、シールの一枚一枚にアンパンマンの絵が描いてあると、そう簡単にははがさない。だからアンパンマンのパッチは、夏の間とてもよく売れる。

 痒いところにパッチは貼りたいけれど、子どもじゃないし、アンパンマンファンでもないし、という方たちのために、無地のパッチもちゃんとある。アンパンマンパッチに比べると地味ではあるが、こちらも夏にはよく活躍する。

 そして今日、小さな女の子(四歳か五歳くらいだろうか)を連れた女性のお客様が、女の子に「お店の人に訊いてみてごらん。このお薬は、子どもでも大丈夫ですか、って。」と促しておられた。
 小さな女の子は、片手にアンパンマン痒み止めパッチを、もう片手にハローキティのポケムヒ(痒み止めの液体塗り薬。キティのイラストがついたピンク色のスティック容器に入っている。)を持って、私のほうに振り向いて近寄る。

「このおくすりは、こどもも、つかって、いいですか。」
「はい。両方とも、大丈夫です。」
「おかあさん、だいじょうぶ、って。」

 女の子は、お母さんのほうに振り向いて報告する。

「そう。よかったね。じゃあ、どっちでもいいから、どっちかひとつ選びなさい。」
「えーと、えーと。」
「どっちでもいいけど、掻きむしったあとだと、塗り薬はちょっとしみるかもよ。」
「うーん、えーっと。」

 両足で床をがしりと踏みしめて、両手の品を見比べ迷う女の子に、私からも声をかける。

「そうですね。掻いてしまったあとだと、塗り薬は、ちょっとだけ、しみるかもしれませんね。」
「ほら、やっぱり、ちょっとしみるかも、ってよ。大丈夫? これまでどおり、アンパンマンのパッチにしといたら? どっちでもいいけど、どっちか一個よ。どっちにする?」

 お母さんと私の後押しが効いたのか、「自分はもう小さい子じゃないもん」という子ども心に火がついたのか、小さな女の子は「これにする!」と、ハローキティのポケムヒ(ポケットサイズの液体ムヒ)をお母さんの前に差し出す。

「本当にこれでいいの?」
「うん。これにする。」
「じゃあ、アンパンマンパッチは、元のところに返しておこうね。」
「うん。」
「蚊に刺されたら、すぐに塗ろうね。少し大きくなったしね。もうパッチじゃなくても大丈夫かもね。掻く前に塗れば、たぶんそんなにしみないよ。」
「うん。ぬる。だいじょうぶ!」

 アンパンマンのパッチは、棚の元の位置に戻される。そして、ピンク色のハローキティのポケムヒが、母娘とともにレジに向かう。

 少し大きくなったもんね。塗り薬がしみるかもしれないことなんて、ちょっと頑張れば平気なくらい、大きくなったんだもんね。ピンクのキティのポケムヒさん、あの子のことを、夏の間、よろしくね。     押し葉

いごねり

 数年前に旅行した佐渡島。自家用車ごとフェリーに乗って島へ渡る。

 佐渡島で食べた物で、生まれて初めて食べて、とても気に入ったものがある。「いごねり」だ。
 いごねりとは、佐渡島周辺の海で採れるイゴという名の海草から作る食品。見た目は「色付きのところてん」といったかんじなのだが、ところてんよりも滋味深い味がする。食感もところてんに比べると、つるりとしつつもほっくりとしている。よく似たものを九州北部では「おきうと(おきゅうと)」と呼ぶらしい。

 佐渡島滞在中は、何度も「いごねり」を求める。しかしメニューに書いてあっても、どこでも常にあるわけではなく、「ごめんなさいねえ。今日はないのよ。」と断られることもある。お店のおばちゃんの説明によれば、昔に比べると、イゴ自体の採取量も減っていて、いごねりの生産量も少なくなっているのだそうだ。その希少感が、さらに、私のいごねり欲を刺激する。

 運良く注文できても、実際に出てくるいごねりは、小鉢にちょろりんと、上品で可愛らしい量だ。丼いっぱい、とは言わないけど、お椀にいっぱいくらいは、思う存分食べたいなあ。

 そんなふうに思うときには、夜空に向かって小声で叫ぶ。すると数ヶ月か数年か、あるいは十年以内くらいに、たいていの夢は、なんらかの形で叶う。

 だから、小声で叫んでみる。いごねりー! いごねりー! お取り寄せ、しようかな、いごねりー。     押し葉

夫の日記(Weblog)

 夫は、ときどき、私の日記を読む。
 そして自分のことが書いてあると、「また嘘が書かれてる!」だとか「俺の悪口ばっかり書くなー!」と言う。
 あんまり夫ネタが続くと、「みそきちが寝てる間に、勝手にみそ文に、『皆さん。こいつに騙されないでください。』って書きこんでやるー!」と息巻いたりもする。
 夫婦といえども、人のアカウントに許可なく勝手に入って勝手に書くのは犯罪です、と、たしなめる。すると夫が「じゃあ、どうすればいいんだ? どうすれば、俺の言い分を聞いてもらうことができるんだ?」と訴えるので、「どうやらくんも自分のブログを開設したらいいんじゃない?」と提案する。

「ブログを開設したら、みそ文からリンクで見に行けるようにしてくれる?」
「もちろん。みそ文だけじゃなくて、みそ記からも、みそ語りからも、リンクするよ。」
「そしたら、みそきちの日記を見に来た人が、読みに来てくれるかな?」
「うーん。それはわからんけど、見に行ってみて、面白いなあ、と思った人は、また見に来てくれるんじゃないかな。」
「みそ文で、夫が裏日記書いてます、って宣伝してくれる?」
「うん。書く書く。私も見に行くし。」
「だいじょうぶかなあ。みんな見に来てくれるかなあ。」

 私の記述に対して、物申し、正すことが目的だったはずなのに、いつの間にか、自分の日記を読んでもらえるかどうかに、興味が移ったようだ。
 いつのことになるやら、だけど、無事に開設に辿り着いた暁には、愛読して、更新を楽しみに、できるようになるといいなあ。     押し葉

ポイントカード

 お買い物をするときに、ポイントがつくシステムがある。多くの場合は、そのお店専用の会員カードを用いるもので、購入金額に応じてポイントが加算されてゆく。累積したポイントは、ある程度貯まった時点で、そのお店で買い物するときの金額の一部として充当できることが多い。

 私が働く職場でも、ポイントカードシステムがある。たまにポイントニ倍セールをしたりすると、それだけで客足が伸びる。ポイントが二倍だからって、わざわざご来店くださるなんて、みなさん偉いなあ、マメだなあ、と他人事のように感心する。

 私は、ポイントを貯めたり使ったりする、管理と、お世話が、どうにもあまり得意でない。ひとつのお店に拘束されているような気分も苦手だ。

 けれど夫は、ことのほか、ポイント集めを好む。彼はポイントに限らず、小さなものをちまちまと集めて貯める行為に快楽を覚えるようだ。昔の銀貨収集も好きだし、集めるとプレゼントがもらえるような商品の外箱などを保管しておくのも得意だ。

 夫によれば、ポイントを貯めるのは、ある種のエンターテイメントなのだそうだ。私が嫌がる「そのお店に拘束されている感覚」も、お店にとっては狙い通りなのだから、それでいいのだ、とも言う。
 ポイントが、どーん、と、いっきに貯まるのではなく、ちまちまと貯まってゆくのも、なんだかわくわく楽しいし、いつの間にかいっぱい貯まったポイントを使って、本来の表示価格よりもぐっとお安く買い物するのも、お得で嬉しい気分なのだそうだ。
 そう言って、夫はとてもうれしそうに、ポイントを貯めてゆく。だから私も結婚してからは、夫の嬉しそうな顔見たさに、ポイント収集に協力するようになった。

 私が働く職場では、マイバッグ(エコバッグ)ポイントが、一回につき1ポイント(1円分)つく。
 だが、飲み物一本やガムひとつなど、もともと袋が必要でないような小さなお買い物には、マイバッグポイントをつけなくていいです、というお達しが本社から来ている。もちろん「マイバッグポイントをつけてください。」と所望するお客様にはすぐにつけてあげてください、との指示もある。けれど、小さな買い物で、マイバッグポイントを所望しない人には、無理してつけないように、ということだ。
 このマイバッグポイントシステム、今はまだ存続しているが、このシステムも近々なくすということだ。会社としては経費削減の工夫のひとつなのだろう。
 そういえば、今はもうない、とあるスーパーのサービスでは、「マイバッグポイントは500円以上の買い物時に限りおつけします。」だったような気がするなあ。なんでもかんでもマイバッグポイントをつけていたら、そのポイントを狙って、小さな買い物をさらに小分けにして、お買い上げ点数分のマイバッグポイントを獲得しようとするような人も、いるのかもしれないなあ。

 そしてこのマイバッグポイント。休憩時間や仕事からの帰り際に買い物するとき、私もときどきつけてもらう。買い物袋は常に持参しているし、袋がなくてもバッグに入る程度の買い物で済むことが殆どだから、ときどきではなく、ほぼ毎回だ。
 うっかりすると、会員カードを出すことすら忘れてしまいそうになるけれど、レジをしてくれる人たちが、毎回必ず「すこやか堂カードはお持ちですか?」と声をかけてくれるので、忘れず出すことができている。
 袋はこれに入れてください、と、持参の袋を差し出すと、「では、マイバッグポイントを加算しておきますね。」と教えてくれる。あるいは「袋は要らないです。バッグに入れます。」と言ったときには、会計済みの印になるテープを貼って、マイバッグポイントをつけてくれる。
 「もうじき、このマイバッグポイント、なくなるんですよね。」と言うと、「そうらしいですね。でもつく間はつけますね。」と、忘れずにつけてくれる。

 ポイントが500ポイント貯まると、500円券が出てくる。ポイントがそれだけ貯まったことと、500円券が出てきたことを、夫に報告したときの、彼の嬉しそうな顔が好きだ。「やったね。」とか「お得じゃろ。」と、彼が嬉しそうに言うのも好きだ。
 自分のために貯めることは面倒くさくてできなくても、夫の嬉しそうな顔を見るためになら、こつこつと頑張れるから不思議だ。愛の力は偉大だな。


 追記。
 その後、マイバッグポイントサービスはいったんなくなったのだけど、その後またしばらくして復活した。復活の理由は、競合他社がそうしているから。各種方針変更の理由のほとんどが、この「競合他社がそうしているから」であることが多い。従業員各位としては「他社を真似してそうするくらいなら、他社より先にそうすればもっとかっこいいのになあ」と感じるポイントなのであった。     押し葉

じーまみ豆腐

 私が好きな食べ物は、いろいろたくさんあるけれど、てろてろとぅるん、としたものは、中でもかなりの好物だ。

 五月に旅した沖縄でも、なによりたくさん食べたのは、じーまみ豆腐。
 じーまみ豆腐とは、ピーナツ澱粉で作った豆腐。胡麻豆腐とも似ているけれど、香りと味が、ほのかにピーナツなのだ。
 そのあまりのおいしさに、毎日毎日繰り返し食べる。こんなにおいしい食べ物なのに、全国流通していないのはなぜだろうか、と不思議になる。

 私があまりにも、「おいしい。おいしい。」と繰り返し食べるのを見て、夫が国際通りのお店で、お土産用のじーまみ豆腐を買ってくれた。
 それを自宅に帰宅してからの夕食の一品にする。7cm×7cmくらいのプラスチックケースに入ったじーまみ豆腐を、ひとつずつ開けて、小さな小鉢に移す。添付の甘からい茶色いタレをかける。
 夫が「これ一個は多いなあ。二人で一個でよかったのに。」と言う。夫にとってじーまみ豆腐は、別段嫌いなわけではないが、特別好きというわけでもなく、まああればおいしく食べるけど、そんなに言うほどのものではない、どっちでもいい存在らしい。

「だいじょうぶ。心配しなくても。どうやらくんが食べきれないのは、私が残さず食べるから。」
「え? みそきち、自分のを一個食べた上に、まだ食べるつもりなんか?」
「そうよ。一個じゃ全然足りないもん。二個でも足りないくらいよ。できることなら、丼いっぱい、なみなみと作った、特製じーまみ豆腐を食べたいくらい。」
「わかった。じゃあ、三分の一か半分くらいまで食べるから、残り食べて。」
「うん。やったあ。わかった。」

 そんな会話のあと、じっくりと、口から鼻に抜けるピーナツの香りに酔いしれつつ、自分のじーまみ豆腐を食べ終える。では、夫の残りのじーまみ豆腐をいただきましょう、と、夫の器を覗き込む。

「えっ。なんで。どうやらくん。じーまみ豆腐が、ないよ。」
「あ。あれ。いつの間にか、全部食べてしまった。」
「……。」
「だめなん? 全部食べたらいけんのん?」
「いや。いいんよ。いいんよ。いいんじゃけど、それならそれで、半分くれるとか、そういうことは、最初から言わんかったらいいのにー。期待したら、がっかりするじゃん。最初から一個ずつって思ってれば、期待もがっかりもしないのにー。」
「まあ、まあ。あと箱に残ってるやつは、全部みそきちが食べていいけん。」
「わかった。」

 夫は本当に親切ないいやつ、なのだけど、たまにときどき、こういう技で、私に「大きな期待」と「小さな失望」を、提供してくれるのであった。     押し葉

皮膚の治癒力

 長野県野沢温泉に逗留中の涼しい夜。数日前の仕事中に、紙箱と対決して、名誉の負傷を負った手指が、またたくまに治ってゆく。野沢のお湯の治癒力にしみじみと感心しつつ、あのときの弟を、ここに連れてきてやりたいなあと、思い出したことがある。

 保育園からの帰り道、弟と二人、手をつないで歩く。空色のスモックを着て、黄色い帽子をかぶって。
 私たちが住む集落の入り口は、道が三叉路になっていて、ときどき母がそこまで、出迎えに来てくれる。母の姿が見えると、弟も私も、駆けてゆきたい衝動にかられる。だから母の姿が見えると、二人とも「あ、おかあちゃんじゃ!」と叫んで走り出す。
 急がなくても、そこに母はいるのに。駆け寄って、飛びついて、保育園での今日のおやつが何だったのか、どんな絵を描いたのか、あれもこれも話さなくては、という意気込みに突き動かされる。

 その風景も、そのときの気持ちも、私はとてもよくおぼえている。だけど、弟はさらにもっとよくおぼえている。
 彼の記憶によれば、母の姿が見えて走り出すときに、私が弟の手を離さず、手をつないだままだったと言うのだ。そのおかげで、年齢が三才ちがうため、当時は私に比べると、ずいぶんと体の小さな弟は、私と同じ速さで走ることなどできなくて、足がもつれて倒れたまま、私に引きずられたのだという。

「それなのに、ねえちゃんは、わしを引きずったまんまで、ずっと走り続けるんじゃけん。わしはねえちゃんに引きずられたまま、ひざが道路でこすれて、すりむけて、血が出て、ずるずるになったんで。わしはわしで走るけん、手を離してくれりゃあええのに。ねえちゃんは手を離さんと、しかもわしが倒れとることに全然気づかず走りつづけるんじゃけん。ひどいじゃろ。ひどすぎると思わんか?」

 それはひどいよ。あんまりだ。でも、本当に、ねえちゃんは、そんなこと全然おぼえとらんのんよ(おぼえていないのよ)。
 弟が誘拐されたら嫌だから、おうちに帰るまでは絶対に、手を離したらいけんと思っていたんじゃないかな。それにきっと、そのあとの処置もずいぶんとよかったんじゃろうね。ひざの傷も今見たら、もう全然わからないし。とりあえず、まあ無事に、こんなに大きくなったしね。本当によかったよ。

 ここの温泉に入るとね、すぐに怪我が治るんだよ。今度は一緒に、野沢温泉に来ようね、と、小さな弟の膝小僧を思い出す。     押し葉

視力検査

 数年前、とある眼科でのこと。
 そこの眼科は、常に満員御礼の大繁盛。年配の患者さんもいらっしゃれば、若者もたくさんいる。診察の前に、順番に、各種検査が行われる。
 視力検査のコーナーでは、同時に三人くらいが、検査できるようになっている。片目を隠して検査板の表示を見て答えるタイプのものだ。
 私の隣で検査を受けるおばあちゃんは、七十歳はゆうにこえていらっしゃるかんじで、もしかすると八十歳もこえてらっしゃるのかもしれない。眼科スタッフの若い女性が、検査について説明する。相手がお年寄りなので、ゆっくりと、少し大きめの声で、検査方法を伝える。

「田坂さん(おばあちゃんの仮名)。これから視力の検査をします。どれくらいよく見えてるか、見えていないかを調べます。これで、片方の目を隠してくださいね。あちらの白い板のところに、丸いわっかが並んでいるのがわかりますか?」
「おお。いっぱい並んでるなあ。」
「あそこに並んでいる丸の、見てもらいたいところを電気で照らしますから、そこに見えている丸の、どちら側が切れているか、答えてくださいね。」
「電気がつくんやね。」
「そうです。私がつけます。じゃあ、始めますね。」

 田坂さんは片目を隠す。女性スタッフは、検査板の真ん中より少し上あたりの適当な丸を選んで明るくする。

「田坂さん、これはどうですか? 見えますか? 見えたら答えてください。見えないときには、見えないって言ってくださいね。」
「うーん。つ!」
「つ? ああ。つ、ですかー、田坂さん。これは、丸ですからねー。つ、に見えるということは、左側に穴が開いてるのがわかるんですねー。そのときには、左、って教えてくださいねー。」
「ほっほっほ。左か。そうか。ほっほっほ。」
「じゃあ、田坂さん、次いきますよ。これはどうですか?」
「えーと。し!」
「田坂さーん。ひらがなじゃなくて、丸ですよー。」
「おお、そうやったね。でも、し、に見えるよ。」
「そうですね。上が切れてますからね。あたりです。でも、田坂さん。丸の切れ目の方向を教えてくださいねー。これはどうですかー?」
「うーん、うーん。こっち(右手を横に伸ばしながら)がわの、つ!」
「田坂さん。わかりました。じゃあ、手の方向で教えてください。今のは右側であたってますよ。では、これは見えますか?」
「の!」
「の、に、見えますか。下が切れてますからね。では、これは?」
「んん? んん? (と言いながら、体がどんどん右に傾く。だいぶん右斜めに傾いてから、ぴたりと止まる。)つ!」
「田坂さーん。これは左斜め上ですねー。田坂さんは、傾かなくていいんですよ。まっすぐなままで見える方向を言ってくださいねー。」
「ありゃ、ありゃ。」

 この調子で検査は続き、その結果、田坂さんは、相当下まで見えるらしいことが判明。

 もしも、私も長生きして、見るからに、どこから見ても、おばあちゃんに見えるようなおばあちゃんになれたときには、田坂さんみたいな芸風のおばあちゃんになりたいなあ。     押し葉

爪水虫は病院へ

 「爪水虫は病院へ」というテレビコマーシャルを見て、「テレビでやってたから来てみた。どの薬がそれなの?」と、尋ねてくださるお客様が、ときどき、いや、けっこう、いらっしゃる。

「あのコマーシャルは、爪水虫は、病院で飲み薬を出してもらって飲む必要がありますから、病院へ行ってくださいね、と、言ってるんですよ。」
「そんなわけないやろ。テレビで言ってるってことは、そういう薬を売ってる、いうことやろ。」
「いえいえ、違うんです。爪水虫なのに、市販の塗り薬だけで治そうとして治らない人が多いので、爪水虫の人は、ちゃんと病院に行って治してくださいね、ということです。」
「おかしいなあ。テレビでやってるのに。でも、じゃあ、その飲み薬はどれなの?」
「はい。その飲み薬は、病院でないと出せない種類のものなので、病院に行ってくださいね、ってコマーシャルしてるんですよ。」
「なんで?」
「爪水虫の飲み薬は、飲んだ後、体の中で分解して排泄するのに、人によっては、肝臓に少し負担がかかることがあるんです。ですから、必ず、定期的に、血液検査で肝臓の状態を確認しながら飲むためにも、病院で診てもらいながら、ということになるんですよ。」
「うーん。おかしいなあ。黒柳さんや高橋英樹さんがテレビに出てきて、薬屋に行ったらあるって言ってるのに。」
「それはまた別の、ジェネリックの広告ですね。あれは、病院で処方するお薬には、同じ成分の安いお薬もありますからね、選ぶことができますよ、病院で先生に、ジェネリックにしたいです、とリクエストしてくださいね、というお知らせです。爪水虫の広告には、有名な人は出てなかったと思いますよ。」
「おかしいなあ。あ。たぶん、テレビであなたが見てるのと、私が見てるのと、ものが違うんやわ。あなた、ちゃんとテレビ見てないでしょ。だから知らないのよ。きっとそうやわ。ならいいわ。仕方ないわ。よその薬屋に行って訊くから。テレビでやってるんだから、絶対に売ってるって。」
「そうですか。私が不勉強なのかもしれません。では、新しく何かわかったら、また教えてくださいね。」
「そうよ。もっと、ちゃんとテレビ見たほうがいいよ。ぱっと見れば、わかるんだからね。ちゃんとテレビ見て、その爪水虫の薬、入れといたほうがいいよ。」

 テレビの力は、偉大だ。けれど、思い込みの力は、それ以上に強大だ。     押し葉

プッピテレキバン

 職場で作業をしていたら、レジ担当の同僚が、「どうやら先生、すみませーん。肩こりのご相談のお客様を、ご案内お願いします。」と声をかけてくれる。はい。いらっしゃいませ。肩こりはどのように対応なさいますか?

「あれよあれ。プッピテレキバン。プッピテレキバンがほしいの。」
「あ、それは、ピップエレキバンのことですね。」
「ああ。それそれ。あれ? プッピじゃなくてピップだっけ? あははー。そうそう。ピップテレキバン。」
「おしいです。エレキバンです。」
「あれ? まだ違う? もう。テレキバンじゃなくて、エレキバンなの? 紛らわしいわねえ。」
「ピップエレキバンはこちらになりますが、磁気の強さはどのくらいのものがよろしいですか?」
「あら、種類がいろいろあるの?」
「はい。標準の強さのものと、強力タイプのものと、少し緩やかなものと、ございます。」
「うーん。どうなんやろう。私が使うんじゃないのよ。私ね、静岡から旅行でこっちに来たんだけど、運転手さんが肩がこってつらいって言うから、買ってあげようと思って立ち寄ったの。」
「旅の途中に、お立ち寄りありがとうございます。運転手さんも、お客さんからエレキバンでねぎらってもらえるなんて、きっと喜ばれますね。」
「あ、運転手さん、いうても、うちの息子なんやけどね。」
「あら。バスの運転手さんじゃないんですね。息子さんでしたか。それは運転手さんはお疲れ様ですね。」
「バスじゃなくて、普通の車なんだけど、やかましいおばさんたちばっかり乗せてるから、疲れるみたいで。どれがいいんやろう? あ、あんた、ここよ、ここ。ちょっとこっち来て。テレキバンは種類がいろいろあるんだってよ。どれがいいの?」

 そこに、運転手さんである息子さん登場。年の頃は30歳前後だろうか。「だから、テレキバンじゃなくて、エレキバンやって、さっきから何遍も言ってるのに、おぼえん人やなあ。」

「いいじゃない。テレキバンのほうが効きそうだし。みんな、もう、テレキバンって呼べばいいのよ。で、どれがいいの? あれ。これは? なんで安いの?」
「はい。こちらは、他の会社が作って売ってる磁気絆創膏なんです。広告も何もしていない、あまり有名じゃない会社なので、そのぶんお値段が安いんです。」
「効き目は、ちがうの?」
「いいえ。ピップエレキバンの標準タイプと磁気の強さは同じですので、効き目も同じなんです。」
「じゃあ、これにしよう。同じくらいの値段で、数がたくさん入ってるし。あんたが使わず残った分は、私らがみんなで使えばいいし。ここで、このお姉さん(私)に貼ってもらったら?」
「いいって。自分で貼れるから。」
「そんなん言わず、貼ってもらったらいいじゃない。車に戻ってから年寄りに貼ってもらうより、若い人(お客様比)に貼ってもらったほうがいいじゃない?」
「だから、自分で貼れるって、言ってるじゃん。お店の人の手を煩わせるんじゃない。」

 私としても、お客様に、貼り薬を貼って差し上げるサービスは、基本業務に入っていない。すかさず、「だいじょうぶですよ。肩こりならば、人に貼ってもらわなくても、自分でこう、肩を押さえてみて、ここだな、と感じるところに、自分で簡単に貼っていただけますので。」と申し上げる。

「あらあ、そうなの。せっかくなら貼ってもらったらいいのに。肩くらい、お店の人に見られても、別に恥ずかしくもないのに。ところで、ねえ、マスクはある?」
「はい。まだ入荷が不安定で、種類が少ないのですけれど、こちらに、いくつかありますので、よろしければ、どうぞ。」
「ああ、よかった。旅行に来る前に買って来ようと思ったんだけど、どこでも手に入らなくてねえ。今更だけど、あるんなら買って、つけておこうと思うのよ。ほら、このへんもやっぱり、一応関西に近いでしょ。危ないでしょ。気持ち悪いでしょ。」
「いろいろとご心配ですよね。」
「うらぁ! 自分が勝手に遊びに来ておいて、地元の人に向かって、失礼なこと言うんじゃない! ほら、もう行くぞ。みんな車の中で待ってるし。」
「はいはい、そうね。行きましょうね。もう、この子はすぐに怒るんだから。でも、私たち、こっちを旅行してても、ほんとうに、大丈夫かしらね、インフルエンザ。やっぱり、こっちに旅行に来たのは、間違いだったかしら。怖いわあ。」
「マスクもお買い上げくださいますし、手を洗ってうがいして、エレキバンでコリや疲れもとっていただいて、おいしいもの召し上がって、ゆっくり眠って、楽しい旅行をしてくださいね。」
「ほら! 行くって、言ってるのに。インフルエンザにかかるかどうか、お店の人にわかるわけないだろ。ちゃんと予防して、かかったら治せ。」

 旅の道中、どうぞお気をつけてくださいね。安全で楽しい旅行となりますように。ありがとうございました。母とその他のおばさんたちの旅行のために、静岡から遠路はるばる長距離運転を担うだなんて、よくできた息子さんだなあ。     押し葉

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プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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