みそ文

弁当の代わり

 職場のバックヤードで作業をしていたら、薬剤師呼び出しチャイムが聞こえる。はいはい、と、小走りに売り場に出てゆく。レジ担当の同僚が、「すみませーん。こちらのお客様が、大正製薬か大鵬薬品の商品をお探しとのことなので、ご案内お願いします。」と言う。お客様は、かなり年輩の男性の方である。

「はい。大正か大鵬の、どんな商品をお探しでしょうか。」
「大正製薬か、大鵬薬品のなんや。」
「はい。お薬ですか?」
「いいや。薬じゃあなしに、でも、栄養補給になる菓子みたいなもので、弁当の代わりになる、いうて聞いてきた。」
「ああ、はい。お菓子みたいなもので、栄養補給になるものですね。」
「ビスケットみたいなんや。」
「はい。おそらく、こちらのカロリーメイトのことではないかと思うのですが、ご覧いただけますか?」

ゆっくりと、ゆっくりとした足取りのおじいちゃんを、機能性食品コーナーへご案内する。

「こちらの段が、カロリーメイトなんですが。」
「おお。これこれ。黄色い箱。これを食べれば、弁当の代わりになる、いうのは、本当か?」
「弁当の代わり、といっても、毎日朝昼晩これだけ、なのはお奨めしません。」
「でも、これは、カロリーいうのも、栄養のバランスも、いいぐあいにしてあるんやろ?」
「そうです。」
「だったら、これを食べておけば、食事はせんでもええんやろ?」
「いえいえ。そういうわけにはいきません。どうしても、ちゃんと食事を摂ることが難しいときや、事情があって、栄養やカロリーを調整する必要があるときには、カロリーメイトを補助として使いますが、食事はきちんと摂ってください。」
「でも、これ一箱でええんやったら、弁当買うより安いやろ。」
「安くても、毎日、これだけにしてはいけません。食事は食事で召し上がってください。」
「でも、弁当の代わりになるんやろ。」

 だ、だめだ、じいちゃん、耳も遠いご様子だ。

「では、ですね、とりあえず、お好みに合うかどうか、味見してみられてから、考えてはどうでしょうか。」
「そうやな。食べたことないもんやし、とりあえず、いっぺん、どんなもんか食べてみるわ。」
「はい。ぜひ。こちらはチョコレート味です。他には、チーズ味、フルーツ味、それから、ジャガイモのポテト味もございます。」
「ひととおり、味見してみることにしよう。四種類で全部か? じゃあ、これ全部一個ずつもらうわ。」
「ありがとうございます。」
「お金は向こうか?」
「はい。レジにてお願いいたします。」

 じいちゃんが「大正製薬か大鵬薬品」と言ったから、同僚は薬剤師呼び出しチャイムを鳴らしてくれたのだろうけれど、薬ではなくカロリーメイトをご所望であると最初からわかっていれば、案内はきっと私でなくてもよかったことなのだろうなあ。

 ところで、カロリーメイトは「大塚製薬」で、「大」の漢字は共通だけど、読みは「たいしょう」「たいほう」「おおつか」と、「たい」か、「おお」かが、違うのだ。けれども、「大塚製薬」を「大正製薬」や「大鵬薬品」と言い間違える心情は、実は私もよくわかる。 
 
 数ヶ月前に、夕方遅い時間というか、もう夜になった時間帯に、あるメーカーの営業さんが来店されたことがある。その日の私は作業が混んでいて、絶え間なく歩き続けて、体もけっこう疲れていたが、脳もだいぶんお疲れになっていた。そのときに、その営業の方が、「今日は、男性化粧品ウルオスの件でうかがいました。」とおっしゃった。あ、薬じゃないのね、でもなんか、この顔の営業さんは、薬に関係ある会社の人だったような記憶があるんだけど、一般コスメ担当の同僚はもう帰った後だし、とりあえず、店長に代わりに話を聞いてもらいましょうかね、と、事務所に店長を呼びに行く。

「店長。大正製薬さんが来られてます。」
「大正さんが僕にですか? どうやら先生のほうが話わかりやすくないですか?」
「あれ? ちがったかも? 大鵬薬品さんだったでしょうか。」
「だとしても、先生のほうが。」
「あ。違います。大鵬の営業さんは女性の方です。今日の方は男性で、ウルオスの人です。」
「先生、それ、大塚さんですわ。」
「あ。ほんまですね。それです、それです、大塚さんです。ああ、すんません。なんかもう疲れてて、大の漢字のイメージだけで、適当に口走ってるみたいです。」
「ウルオスのことなら、僕が聞いて、明日部門担当者に伝えます。」
「はい。そのつもりで呼びに来ました。お願いします。」

 というふうに、「大塚製薬」の営業さんを、たいそうお待たせしたのだ。だから、じいちゃんの間違いは、それはあるよね、あるあるあるある、と、たいへん共感できたのであった。

 けれども、ということは、年をとるということは、あの日のあの時間帯の私のように、体も頭も疲れて思い通りにまわらない、あの感じが、毎日ずっと続くということなのだろうなあ。こころして、年を重ねていきましょう。     押し葉

おたずね

 私の働く職場では、この商品を売るために、この販売促進用品を使ってください、ということで、本部で作成したPOPなどが、全店舗に配布されるシステムがある。今日も、とあるPOPが届いた。そのPOPの縁の余白をハサミで切り取る作業をしていて、私の例のセンサーが、ピピ、パパ、ポポ、と鳴る。おかしいぞ。内容としては、「この商品のサンプルを差し上げますので、ご希望のお客様は店員に声をかけてください。」というものであるのだが。

「一度、飲んでみてください! お試し期間中!! *従業員にお訪ねしてください。その場で一袋の実体験!」

 うーん。だめですね。このPOPを店頭に貼るわけにはいきません。事務所にてメールソフトを起動して、このPOPを作成した本部商品部の担当バイヤーにメールを書く。

「お疲れ様です。今回送ってくださったPOPに誤字があり、店頭掲示できません。(誤)お訪ねしてください。→(正)おたずね(お尋ね)ください。お訪ね=訪問する。訪れる。お尋ね=質問する。さがし求める。どちらの場合も、おたずねください、であり、おたずねしてください、ではありません。お手数おかけいたしますが、訂正後、再度POP配送手配していただけますよう、よろしくお願いいたします。」

 基本的に、本部からの返答は遅いのが相場だ。今日のうちに返信はないだろう。数日中か、来週になってからか、返信があればあるだろうけれど、ときには、何の返信もないまま、それっきりー、ということも、ちょくちょくある。どちらにしても、もしも私が不在の時に、返信で何らかの連絡指示があった場合には、対応お願いしますね、と、店長に報告しておく。店長は「またですか。どわーはっはっ。」と笑う。せっかくなので、「しつこいですけど、解説させてもらいますと、お訪ね、は、visit、で、訪問です。お店で何をどう、visit、訪問しろと言うんですか。この場合の、おたずね、は、ask、で、お尋ね、でしょう。質問や要望を表明するんですから。まったくもう。」と付け加える。店長は、「まあ、まあ、どうやら先生、まあ、まあ。」と、短気な従業員をなだめる仕事も忘れない。

 ところが、その数十分後、メールの返信が届いた。早い。びっくりだ。なんだ、やりゃあできるんじゃん。

「POPの件は……すいません……気付きませんでした……恥ずかしいので……今、作成しなおします。でも、時間がかかりそうなので……出来れば簡単なPOPですし、出来上がるまでは、店舗で作成してもらってもOKです。よろしくお願いします。」

 うおりゃあ。どりゃあ。(私の脳内道場で、バイヤーを背負い投げした音。)

 まずもって、文語においては、「すいません」じゃなく「すみません」だ。そして、本題。「簡単なPOP」なら、「今、作成しなおし」ているなら、さっさとそれを作って送って来なさい。再び、まったくもう、と思いながら、店長に報告する。店長も返信の早さに、「うわ。はや。めずらし。」と驚く。

「で、バイヤーはなんと?」
「恥ずかしいので、今、POPを作り直しているそうです。」
「どわーはっはっ。」
「でも、作り直しに時間がかかりそうで、でも簡単なPOPなので、出来上がるまでは、店舗で作成してもらってもOKだそうです。急ぎで表示したほうがよいようであれば、店長、作成お願いします。」
「いいえ。待ちましょう。甘やかしたらいけません。」
「はい。わかりました。では、待ちます。」

 こうして、今日も、また、私の貴重な「志気」が、危うく損なわれるところであった。職場というところでは、薬剤師としての仕事だけをしていればよいわけではなく、ときどき国語の先生もするものなのだな。きっと、私も、かつて若い頃、職場の上司や先輩に、その人の立場や専門分野とは関係なく、国語の先生になってもらったり、社会の先生になってもらったりしていたのだろう。そのことを思えば、ポロリと床に落ちてしまった自分の志気を拾い直すことくらいは、簡単なことだ。そうやって拾いなおした志気を携えて、少しばかり手間がかかることであっても、その手間をかけてでも、指摘することは指摘して、伝えることは伝えてゆこう。そして、できるだけ、よりよい仕事を現場に反映させよう、と、そう思う。     押し葉

イリュージョン

 私の母が印刷して郵送した「みそ文」を読んでくれている伯父(母の兄)が、ファクスで母に手紙を送って来てくれたようだ。母が、それをコピーしたものを、私に郵便で送ってきてくれた。一枚目上部には伯父からの手書きのメッセージが書かれていて、下部にはおば(伯父の妻)からの手書きメッセージ。内容を要約すれば、「みそ文」が脳の活性化に役立っていますよ、という肯定的な評価であるのだが、それがやや全体的に度を越して表現されているものと思っていただければ。

 一枚目の書き出しは、母の名前(こよみ)を呼びかけるところから始まる。

「こよみさんへ
「みそ文」いつもありがとう。
「みそ文」には、読む人を引きつけるいろいろな魅力があるので、読みっ放しにできないという心持ちになりました。」

 おじちゃん。読みっぱなしで、いいと、私は思うんだけど。

「そこで、その(魅力の)イリュージョンを解析してやろうと取り組んでみました。」

 イリュージョン、て。解析、て。取り組む、て。そりゃあ、たしかに、編集と推敲で、ネタ元とはずいぶん形が変わって、夫からは「みそ文は、捏造だー。俺は冤罪の被害者だー!」と揶揄されることもままあるけれど、今度夫がそう言ったら、小首をかしげて「んふふ。これはね、マジックなの。イリュージョンよ。」と微笑むことにしよう。

「ユニークなあだ名(愛称)と家系図のような絆と本名のつながりは、これで正しいのか、この次、教えてください。マ行がきれいに揃っているのは驚きでした。」

 はて。なんのことだろう。みそ文の登場人物につけている偽名のことみたいだけど、と、手紙の二枚目を見てみる。「みそ文の解析1 愛称と絆」というタイトルの下に、パソコンで図化した家計図が描かれている。父方の祖父母、母方の祖父母から始まって、ツリー(樹木)状に、私の父母、私と弟と妹と、それぞれの配偶者、義実家、甥っ子姪っ子たち、友人欄には友人とその家族の、それぞれの名前が、「みそ文」中の登場人物名で書き込まれている。そして、「まんまんちゃん(お仏壇)」「みそ(私)」「みみがー(姪っ子)」「むむぎー(甥っ子)」「めいちゃん(幼馴染の友人)」「もっきゅん(義弟=妹の夫)」の頭文字が丸で囲まれていて、それが「まみみむめも」で繋がっていて、「マ行が揃っている」のだそうだ。

 知らなかった。日記を書いている本人も気づいていないようなことを解析してくださるとは、おじちゃん「読者の鑑」すぎるよ。マ行が揃っていることも、そんなことに気づいてくださることも、驚きではあるのだが、手紙の続きの一文もさらに驚きだ。

「この調子で、みそ文から、いろいろな手がかりを発見して、解析を試みようと思って、手ぐすね引いています。」

 うわーん。手ぐすね、ってー。こんなところで引くものなのかー。

 そういえば、素人の日記と同列に並べるのははばかられるけれども、昔読んだ、原田宗典さんのエッセイで、原田さんの小説の一部が国語の試験問題に使われたとき、原田さんも実際に自分で問題を解いてみようとしたところ、あまりにも難しすぎて回答困難であった、という話があったような気がする。試験問題の中の「この文における作者(主人公だったかも)の意図を次の中から選びなさい」に至っては、「次の中」の選択肢に原田さん(作者)ご本人の思う内容のものはなく、それでもあえて一番近いものを選ぶならこれかなあ、と選んだものは不正解で、正解として模範解答となっている内容は、「俺も主人公も、そんなことは、これっぽっちも思ってないぜ!」というものであった、とか、そんな話。

 母にメールで「おじちゃんからの手紙を見せてくれてありがとう。登場人物の名前がマ行で揃っていることなど、考えたこともなかったので、たまげました。」と書いたところ、母からは、「年寄りが暇に任せてすることだから、好きにさせてあげてちょうだい。兄さんと姉さん(伯父夫婦)が二人で頭付き合わせて、ああでもない、こうでもない、と、みそ文を繰り返し読んでは、頭を鍛えてくれてるのだとしたら、老化防止にも役立つだろうし、私も嬉しい。」と返事が来た。

 はい。わかりました。伯父夫婦が「おじばか道」「おばばか道」を驀進してくれる、そのことに安心して、私はただ、ひたすらに書くこと、イリュージョンを繰りひろげることが、「姪っ子道」を究めることであるのだろう、ということにいたしとうございます。     押し葉

うがいぐすり

 うがい薬の成分には、いろんな種類のものがあるのだが、一番の売れ行きを誇るのは、やはりポピドンヨードを主成分とするイソジン系のものだろう。私は個人的には、ポピドンヨードの味は、あまり得意ではなく、通常は緑茶でうがいをしている。どうしてもうがい薬を使うなら、アズレン系のものを選ぶ「アンチイソジン派」だ。けれどポピドンヨードのうがい薬は市販薬としても人気が高く、医療用医薬品として処方されることも多い。それを販売したり調剤してお渡したりする時には、できるだけ丁寧にうがいに励んでもらえるようにという思いをこめて、説明するよう心がける。

 熊本の調剤薬局で働いていた頃には、イソジンガーグルをお渡しするたびに、「こちらのうがい薬は、少し独特な味がしますが、効き目はとてもよいので、頑張ってうがいしてくださいね。喉の粘膜にくっついてるばい菌を、しっかりやっつけてくれますよ。」というようなかんじで説明していた。「少し独特な味がしますが」と言う時には、自分の味覚記憶が毎回蘇り、おいしくなさそうな、気持ち悪そうな、表情と声色をしていたと思う。そんな私を見て、同僚が「どうやら先生は、イソジンガーグルの味、苦手なんですか?」と言うので、「はい。かなり苦手です。あれが好きな人なんているんでしょうか。」と答える。

「ええ? どうやら先生は、本当に苦手だったんですか。イソジンの味は、おいしいですよ。世の中の味の中では、私、かなり好きなほうです。イソジンって、コーラみたいな味がして、おいしいじゃないですか。うがいするときも、あまりのおいしさに、いつも飲み込まないように注意しているくらいですよ。」
「ええええっ。イソジンがおいしい、って、そんなことがあるんですか?」
「おいしいですって。実を言うと、私、あまりのおいしさに、うがい中に、何度か、ごっくん、って、飲んでしまったことありますよ。」
「ひょえー。でも、ということは、おいしいと感じる人がいるということは、服薬指導の説明の時の、少し独特な味がします、も、頑張ってうがいしてください、も、必要ない、ってことでしょうか?」
「はい。どうやら先生、いっつも、そう言って説明されてるから、患者さんが、あんまり味に期待しないようにしておいて、実際口に入れてみたら、なーんだ、すっごく、おいしいじゃん、いくらでもうがいしちゃうぞー、って思うようにする作戦かと思ってました。表情も声の感じも不味そうにしてらっしゃるから、そこまでの演技力を服薬指導に投入するとは、さすがプロだ、といつも感心してました。」
「ちがいます。本当に不味いと思ってるので、こんなに不味い薬でごめんなさいね、という気持ちが、顔と声に出てしまってました。でも、おいしいと感じる人もいるのなら、不味い薬でごめんなさいね、の情報は必要ないですね。下手に不味いイメージを強く与えて、うがいに対する抵抗感を持たせてはいけませんしね。」
「どうせなら、すっごくおいしですよー、って言ってあげてください。」
「すみません。それは、自分の舌を裏切る気がして、言えません。今度からは、さらっと、使い方と液体の色の説明だけして、患者さんから、どんな味なんですか、って質問された時だけ、苦手な人もいますが、人によってはコーラみたいでおいしいって言う人もいるんですよ、でも飲み込まないでくださいね、って言うようにします。」

 そういうわけで、私が個人的には「アンチイソジン派」であることは、相変わらずではあるものの、それ以来、患者さんやお客様に、自分の主義主張や感覚を押し付けるような説明はしなくなったのであった。薬剤師も人間も、こうやって成長してゆくのねえ。     押し葉

便通改善

 やや年輩の女性のお客様が、「ノニを探しているのだけど。」と、声をかけてくださった。

「はい。ノニでしたら、こちらです。一本入りと三本入りとございます。」
「いや。こんなんじゃないわ。容れ物が違う。」
「ああ。ノニはですね、以前は、全体が濃い紺色の箱に入っていたのですが、このたびパッケージ変更で、このデザインになったんです。以前のデザインのは、もう入ってこないんです。」
「うーん。それにしても、これって中身は瓶に入った液体やろ? 私が探しているノニは、こんな液体のものじゃないのよ。」
「液体でなければ、もしかしてカプセルでしょうか。以前はノニのカプセルも置いていたんですが、今は置いていないんです。お求めのノニはカプセルのものですか?」
「いいや。液体でもないし、カプセルでもない。なんかこう、牛乳に混ぜて飲んだり食べたりするもので、お通じを助ける効果があるのよ。」
「そうですか。たしかに、ノニも、便通対策でお使いになる方も多いのですが、牛乳に混ぜて飲むには、味が難しいかもしれませんねえ。他のもので、牛乳に混ぜて摂取できて、お通じを助ける効果があるものとなると、玄米から作った『ぬか玄』の粉のタイプか、大麦若葉など青汁系のものでしょうか。」
「いやいや。玄米でもないし、大麦若葉でもないし、青汁でもなくて。」
「お客様がお求めのものの名前が、ノニであることは、お間違いないでしょうか?」
「それが、ちょっと怪しいのよ。ノニだと思って来たけど、ノニじゃないかもしれんわ。」
「そうですか。ノニではないかもしれないんですね。うちにあるノニですと、この液体のタイプだけになりますから、これでない、ということは、ノニではないかもしれませんね。」
「なんかね。友達が、ここで買ったって言ってたのよ。便通にいいって。すごくいいから三個くらいまとめて買うんだって。あの友達がまとめ買いするくらいだから、そんなに高いものじゃあないと思うのよ。ここにあるものは、安くても980円くらいでしょう。ノニは、一本で何千円もするでしょ。だから絶対違うのよ。たぶん、友達が買ったのは、三個で980円かそれくらいの値段のもののはずなのよ。ここのお店に来て、便通にいいもの、って言ったら、すぐわかる、って教えてくれて、そのものの名前も何にもちゃんと憶えてないのよ。」
「そうですか。便通にいいものも、いろいろ種類がありますので、どれがそれなのか、すぐにわからなくてすみません。そのものは、お通じを助ける効果があるものなんですよね。中身の形はどんなものなんでしょうか? 粉でしょうか?」
「うーん。私も、こんなにいろんなものがあるとは思っていなくて、ちゃんと見とけばよかったねえ。やっぱりちゃんとほしいものの名前を聞くか書くかしてこんといけんねえ。ノニやと思ったんやけどねえ。なんかね。こう、コーンフレークみたいなのを食べるときに、牛乳と一緒にかけて食べるらしいの。」
「では、お求めのものをそのまま食べるわけではないんですかねえ。そのまま食べるような、こちらのダイエットビスケットでしたら、一箱300円くらいでお求めのものの予算と近いかと思ったんですが。」
「ダイエット用ではないし、ビスケットでもないわ。なんか、ざらざらーっと出すものよ。」
「では、お求めのもののメーカーなど、他に何か情報はお持ちでないでしょうか?」
「麦からできてる、って、聞いてるわ。」
「麦、ですね。玄米でもなく、ビール酵母でもなく、大麦若葉でもなく。麦、ですか。麦の健康食品は、ないですねえ。」
「うん、麦よ。間違いない。麦からできてるの。玄米やビール酵母や大麦若葉の健康食品は、ここにあるぶんでしょ? 値段はこんなに高くないの。なんかね、大きめの茶色い箱に入ってた。でね、ざらざらーって出すの。」
「は! お客様。もしかして、それは、健康食品、ではなくて、一般食品のシリアルそのものではないでしょうか。」

 と、お客様を誘導しながら、シリアルコーナーへ移動する。

「コーンフレークに牛乳と一緒にかけて食べるもの、ではなくて、コーンフレークのようなもの、そのものではないでしょうか?」
「あ! 箱の大きさはこんなかんじよ。そうそう。食物繊維、って書いてあるの。」
「ああ。ではきっと、シリアルですね。最近は、食物繊維強化タイプが人気なんです。食物繊維はお通じにもいいですしね。」
「あ。箱のデザイン、これとすごく似てるけど、ちょっと違う。」
「お客様。先ほど、麦のもの、っておっしゃってましたよね。このシリーズで、本当はいつも、この商品の隣に置いてるシリアルがあるんですけど、今売り切れてしまってます。それが、麦100%の、オールブラン、という名前のシリアルなんです。」
「え? それは、このフレークとは違うの? これも食物繊維、って書いてあるけど。」
「このフレークは、絵にも描いてあるように、こう、花びらみたいな、一枚一枚平べったいものが入ってるんです。原料も麦だけでなくトウモロコシとの混合です。でも、麦100%タイプのオールブランは、もっと濃い茶色をしていて、一本一本細い小枝のような形をしているんです。」
「ああ! それよ、それ! 小枝みたいな形だったわ、友達が見せてくれたのも。それで、たしか、友達も、ここに買いに来た時に、売り切れていたって。」
「そうなんです。こちらの商品が、最近どういうわけか人気が高くて、よく売り切れてしまう上に、メーカーからの入荷も不安定で、注文しても入ってきたり入らなかったりするんです。」
「それよ、それ。友達もそう聞いて、その日は買えなくて、また別の日に買いに来て、またないとイヤだからって、三個まとめ買いしたって。今ないなら、私の分、入ってきたら取っておいてもらおうかなあ。」
「お取り置きですね。では、こちらの商品が入荷しましたら、お取り置きして、すぐにお電話さしあげるようにいたしましょうか?」
「うーん、どうしよう、電話かけてもらっても、いないとダメだし、いるときには孫を寝かしつけてるから、電話が鳴るのはいやだし。」
「あ。お客様、少しだけお待ちいただいてもよろしいですか? 先ほど、食品の荷物をトラックが運んで来ていましたから、もしかすると、その荷物の中に、オールブランも入荷して入っているかもしれません。少しお時間いただいて、パソコンで確認してきてもよろしいでしょうか?」
「わあ。そうしてくれる? 待ってる待ってる。」
「ありがとうございます。では、少々、失礼いたします。」

 と、事務所のパソコンで在庫数と入荷状況を調べる。現在店内在庫数は6個で、最新入荷日が今日の日付だ。ということは、やはりさっきやってきたトラックの入荷荷物の中のどこかだ。バックヤードいっぱいに山積みになっている荷物の中のどこかだ。見つけることができるだろうか、と考えながら、たたたたた、と、小走りで、お客様の元に赴く。

「お客様。お待たせしてしまって申し訳ございません。只今調べてみましたところ、今日の日付で入荷していることになっておりました。やはり、先ほど入荷して、後ろの倉庫に置いてある荷物の中にありそうです。もう少しだけお待ちいただいて、荷物の中から探してみてもよろしいでしょうか?」
「うんうん。探してきてー。あー、よかったー。訊いてよかったー。他のもの見て待ってるから、見つけてきてー。」
「はい。では、再び少々お待ちくださいね。」

 と、今度はバックヤードへ。ちょうど、食品担当の男性社員が、段ボール箱とオリコンに入った大量の食品群を、台車に下ろしなおして、仕分けの作業中であった。私が探すよりも、食品を見慣れている担当者に見てもらうほうが、きっと早く見つかるはず、と思って声をかけてみる。

「すみませーん。お客様が、オールブランをお求めなんです。パソコン上は、今日6個入荷してることになってるので、この荷物の中のどこかにあると思うんですが、仕分け中に見た憶えはないですか?」
「ああ、オールブラン、最近よく動いて、入ってきたり入らなかったりするぶんですよね。あったかなー、どうだったかなー、えーっと、たしか、このへんに。」
「あ! ありました。これですよね? オールブラン。」
「あ。それです、それです。」
「じゃあ、これ持って出て、お客様お買い上げの後、残った分は、売り場に補充しますね。」
「はい。よろしくお願いします。」
「はい。がってん、です。お任せください。」

 再び、たたたたた、と、小走りに、売り場に戻る。

「お客様。たいへんたいへんお待たせいたしまして、本当に申し訳ございません。やはり先ほど入荷した荷物の中にありました。こちらの商品で間違いありませんでしょうか?」と、段ボール箱を開けて、中身を取り出してお見せする。

「ああ!これよ、これ。間違いないわ。あー、よかった。これは、健康食品じゃなくて、普通の食品なんやね。どおりで、いくら、健康食品コーナーを見てもないはずだわ。あー、よかった。訊いてよかった。じゃあ、私も、三個買って帰っていい? 本当は全部ほしいくらいだけど、私が全部買ったら、また、売り場になくて、他のお客さんが悲しむやろ。」
「お心遣いありがとうございます。助かります。」
「じゃあ、これは、このまま食べても、牛乳かけても、いいんやね?」
「はい。どちらでも大丈夫です。」
「おやつにも食べていいんやろうか?」
「はい。おやつでも、朝ごはんでも、お好きなときにお好きなようにお召し上がりください。」
「ありがとう。じゃあ、レジでお金払うねー。」
「はい。どうもありがとうございました。」

 ああ。よかった。お求めのものに辿り着けて。でも、最初にお探しのはずだった「ノニ」は、いったいなんだったんだろうなあ。「オールブラン」とは、一文字もかぶっていないのだけれども。あの「ノニ」で結構混乱したよなあ。でも、気にしない、気にしない。一休さんなら、ここで一休みするところだろうけど、私は一休みもなく、接客前にやりかけていた仕事の続きをするよ。おー!     押し葉

入水禁止

 京都の平等院鳳凰堂というところに、初めて行ってみた。十円玉のデザインになっている建物だ。その鳳凰堂の中には、金色の大仏様が座っていらっしゃる。お堂の中の壁上部には、雲に乗った小さな仏様たち数十名が、楽器を奏でたり、舞を舞ったりしておられる。その方たちは、この世を終えた人々が浄土に向かうそのときに、そうやって賑やかに、出迎え導いてくれているのだそうだ。

 建物正面の前にある大きな池を隔てた場所から眺めると、建物の全景が見える。中央の屋根の両側には鳳凰が一羽ずつとまっている。建物の中央にいらっしゃる大仏様のお顔がちょうど、池のこちら側からも見えるようになっている。

夫はジーンズのポケットから十円玉を取り出して、しきりに実物と見比べる。「この十円玉の絵みたいに鳳凰堂を見ようと思ったら、ここの場所からじゃあ、こうは見えない。もっともっと後ろに下がらないと。でもこれ以上は後ろに下がる場所がない。誰がどこから見て、十円玉の絵を描いたんだろう。」と、ずいぶん気にする。なぜそんなに気になるのかな。

 私が鳳凰を見て「あ、ほんとだね。鳥がとまってる。十円玉と同じだ。」と気軽に言うと、「気軽に鳥、鳥、言うな。わしゃあ鳳凰じゃ。偉い鳥なんじゃ。」と、鳳凰の代わりにいさめてくれる。そうだね。鳳凰だもんね。何かがきっと偉いよね。

 平等院の後は、宇治上神社に向かう。宇治川という大きな川を越える。橋を渡って歩いて行く。しかし、その川が、とんでもない濁流なのだ。傾斜はそれほど急でもないのに、水の流れは急流で、橋の上を歩く時には、帽子をしっかり押さえておかないと、水の流れと共に流れる急な風で飛ばされそう。こんなに流れが急な川が、自宅の近所にあったら、子どもの頃の私はきっと叱られるたびに、「言うこと聞かない悪い子は、宇治川に流すよ!」と脅されて、びーびー泣いたのだろうと思う。それほどに、大人が眺めても恐ろしい流れの川なのに、まるで普通の川のように、「遊泳禁止」の看板がある。「ながれがはやい」とも書いてある。書いてなくてもわかるから。看板なくても、絶対に入らないから。だって、すっごく怖いじゃん。

 川岸に、とある碑が建ててある。「先陣の碑」だそうだ。いつの時代のものなのだろうか。説明文の横には、鎧兜を身にまとった武士の人が馬に乗り、戦に挑む姿が勇ましく絵に描かれている。どこの誰と誰が戦ったのか、どちらが勝ってどちらが負けたのか、そんなことはわからない。(本当は、真面目に碑の説明文を読めば、わかることなのかもしれない。)けれども、馬に乗って、とはいえ、この川に入っていったこと、しかも誰よりも先に、その先陣を切ったこと、そのことが、碑を建てるほどに称えられる、それほどに勇気のいることなのだ。誰と戦ったのかよりも、勝ったかどうかということよりも、この川に入ったことだけで、称えられるほどなのだ。そんな恐ろしい川に、一般人が好んで入るわけがなかろう。何百年、もしかすると千年以上も昔の、とある先人の勇気が、時を経て、時を超えて、称えられ続けるほどに、急な流れの川なのだ。

 あそこに看板を掲げるとしたら、「遊泳禁止」よりも、「転落注意」あるいは「入水禁止」のほうが、ふさわしい、気がするけれど、日常的にあの川の側で暮らしていたら、うっかり泳いでしまいそうな気になるのだろうか。不思議だ。     押し葉

いっしょにやくざいし

 友人の子「一号ちゃん」が、保育園児だったころ。その日は夕方から夜にかけての四時間程度を、一号ちゃんと私の二人だけで過ごすことになっていた。たしか、友人夫婦はテニスサークルに出かけて、弟のニ号くんは、おばあちゃんちにお泊りで、それぞれに不在だった。

 一号ちゃんと二人で、美味しく夕ご飯を食べた後、居間のカーペットの上でくつろぐ。二人で並んで、一緒にテレビ観る。ときどき「めろんぱんなちゃん描いて」と、一号ちゃんが私に、紙とクレヨンを手渡してくる。はいはい、と、絵本の絵をお手本にしてそっくりに、スケッチブックに描く。

 テレビに動物が出てくると、一号ちゃんの動きが止まる。食い入るように観る。動物が消えると再び普通に動く。

「一号ちゃんは動物が好きなの?」
「うん。だいすき。どうぶつとなら、ずっといっしょにいたい。」
「そうかあ。じゃあ、大きくなったら、動物のお医者さんになるのもいいかもね。」
「どうぶつのおいしゃさんてなに?」
「動物が怪我したり病気したりしたときに治してあげる病院の先生。」
「すごくいいけど、わたし、おかあさんとおなじ、やくざいしになろうとおもっとるけん、どうしよう。」
「へえ。そうやったんや。まあ、一号ちゃんならどっちにでもなれるだろうから、勉強しながら考えて、大きくなったそのときに、すごくしたい方を選んだらいいんじゃないかな。」
「うーん、でも、おかあさんがやっきょくではたらいてて、わたしがどうぶつのびょういんではたらくんだったら、おかあさんとわたし、いっしょにしごとできない?」
「そうかあ、お母さんと一緒に仕事したいのかー。じゃあさ、もしも一号ちゃんが動物のお医者さんになって、お薬のことでわからないことがあったら、そのときにはお母さんに聞いて教えてもらうのはどう?」
「それいい。それがいい。それにする!」
「お母さんが忙しい時には、お父さんに聞いてもいいしね。」
「え? おとうさんも、やくざいしなん?」
「そうよー。」
「しらんかった。」
「お母さんもお父さんも忙しくて答えられない時には、私に聞いてくれたら手伝うよ。」
「え? みそさん、やくざいしになったん?」
「なったというか、そうなんですが。」
「みそさん、いつのまに、やくざいしに、なったん?」
「いつのまに、って。」

 このへんから、一号ちゃんは私に対して「対抗意識」のようなものを感じていたのかもしれない。その後テレビは温泉旅行番組。私が行ったことのある温泉だ。

「くー、ここの○○温泉ねー、お湯がよくてねー、おすすめー。一号ちゃんも大きくなったら、いつか行ってみてー。」
「わたしも、あちこちいってるけど、みそさん、はなのゆ、ってしってる? おすすめだから、こんどいってみて。」
「そうかあ、一号ちゃんは、花の湯がお気に入りなんやね。」
「そうよ。わたしもけっこうあちこちいってるもん。」
「そうか。そうか。じゃあ、今度、花の湯(友人宅近所の銭湯)に連れてってね。」
「いいよ。」

 一号ちゃんは、その頃から、いや、もっと小さな赤子だった頃から、眼差しも面差しも、賢さと繊細さとおおらかさに満ちている子で、現在も、私の予想に違うことなく立派に成長している。きちんと丁寧に努力を積み重ね、発揮するべき実力をきちんと発揮できる人だ。彼女なら、医師でも獣医師でも薬剤師でも、その他なんでも、勉強や、体調管理や、いろんな努力が、たくさん必要などんな仕事でも、きちんと辿り着き、よい仕事をするだろう。

 ただひとつ、私が個人的に、残念なことがあるとすれば、一号ちゃんが共に働きたいと、同じ職場で働きたいと、あれほど願っていた「やくざいしのおかあさん」は、昨夏にこの世を終えて、この世にいなくなったこと。母であることも、妻であることも、娘であることも、姉であることも、薬剤師であることも、友人であることも、この世でのあらゆることをまっとうしつくして。まっとう、しつくして。     押し葉

ゆったりうっかり

 少し前のことになるのだが、その日はなんだか時間的に余裕があった。何かを忘れているような気がしないではないけれど、特にこれといって思いつかない。出勤前に、夕食の下ごしらえもしてしまおうか、と思ったけれど、まあ、それはやめておこう。でもせっかくだから、出勤前に、パン屋さんでパンを買って、今夜はパンで夕食をいただきましょう、と決める。パン屋さんの中には香ばしいにおいが満ちている。その香りに包まれて、ほうっと、しあわせな気分になる。

 なんだかよくわからないけれど、こんなにゆったり出勤できる日もあるのねえ、と、ひとりごちる。職場までの道のりを、いつもよりも余裕のある時間配分で運転する。あれ?

 後方確認のために、ふと見たルームミラーの中に写った自分をもう一度見る。あれ?

 えーっと。あらら。何か忘れている、と思ったのは、気のせいではなかったらしい。忘れていたのは化粧だ。うーん。どうしよう。これから自宅に引き返して、化粧をしてから再び、出勤しなおすほどには、時間的余裕はない。かといって、このままでは、顔色がよくなさすぎる。どうしたものか。考える。よし、決めた。今日はいつもより少し早く到着するから、そのままお客さんのふりをして、化粧品売り場に直行して、テスターを使って、顔色だけ整えよう。いつも自宅で使っている敏感肌用化粧品ではないから、もしかすると痒くなるかもしれないけれど、それも覚悟して、そう決める。

 予定通り、売り場にて、口紅と頬紅とアイシャドウを借りる。色味が入ってくるだけで、気もちも「きりっ」としてくる。粉おしろいで顔全体をさらっとしたかんじにする。できあがり。

 数十秒の化粧作業をしなかっただけで、出勤前に、あんなにゆとりがあったのだろうか。不思議だ。とにかく、あまりにも、ゆったりしていると感じる日には、自分が化粧し忘れていないか、今一度確認することしましょう。     押し葉

化粧の早さ

 友人の子「一号ちゃん」が、小学校低学年だったころ。その日は、友人夫婦の出勤と、ニ号くんの保育園登園を、一号ちゃんと私の二人で、見送る。そして、ひとりだけ学校休み(休日にあった学校行事の代休か何か)の一号ちゃんは、近所のお城の公園に、私を案内してくれることになっている。前の日から、その計画を思っては、「くふふ。」と、楽しみでたまらない様子の一号ちゃんであったが、弟のニ号くんが羨ましがって、保育園を休むと言い出すといけないから、と、公園に行くことは、ニ号くんには内緒にしてある。だから、一号ちゃんが「くふふ。」と声を漏らすたびに、母である友人は唇の前に指を立てて、「内緒」という合図を目で送り、そのたびに、一号ちゃんは「はっ」として、「わかってる」の合図を母に返して、「くふふ」を自制していた。みんながちゃんと出かけたあとで、マンションの窓から見える保育園に、ニ号くんが元気に到着した様子も確認する。一号ちゃんは、ニ号くんに秘密を保持していることが、少し苦労だったのだろう。片腕で額の汗をぬぐう格好をしながら、「ふう。やっと行ってくれたー。みそさんー、早く、お城行こうー。」と元気に誘ってくれる。

 私が、「一号ちゃん。申し訳ないけど、ちょっとだけ待ってくれる?出かける前に化粧するから。」と言うと、一号ちゃんは、「えーーーー、いいけどー。」と、不満げである。私はいつものように、約五十秒で、さらさらと、化粧を終え、「たいへんお待たせいたしましたー。行きましょー。」と声をかける。すると一号ちゃんは、「え? もう化粧すんだの?」と非常にびっくりした様子になる。そして、「みそさんのお化粧道具これだけ?」と、私の手のひらサイズのポーチをしげしげ触ったり眺めたり。そのあとで、「私のお母さんのお化粧道具はね、こーんな大きな(膝上サイズ)入れ物に入っててね、時間もすっごくいっぱいかかるのにー。みそさん、早すぎー。」との評。

 お城の公園では、一号ちゃんがブランコに乗ったり、小さな動物園の動物達に釘付けになる様子を、眺めながら、陽の光に目を細めて、ほよよんとした時を過ごす。二人とも、水筒にお茶を入れて持参したものを、ときどき飲んでは、喉を潤す。

 化粧に時間がかかる人もいれば、時間のかからない人もいる。人間は、こうやって、「人それぞれ」を、少しずつ少しずつ、いろんな場面に遭遇しながら、学習していくのかもしれないなあ。     押し葉

ジャンプ教育

 ズボンを穿く時にジャンプするかどうかという話を、「ズボンでジャンプ」と「ジャンプ遺伝子」でした。それを読んだ実家の母が、「ズボンを穿く時ジャンプするとは。そんなことを教えたおぼえはない。それにしても、みそ以外にもジャンプする人がいたとは驚き。どちらにしても気をつけなさい。」と、書いて送ってきてくれた。

 これで、私のズボン穿き時のジャンプは、母の教育によるものではないことが判明。

 もしも、この日記をよんでくださった方の中に、「自分はズボンを穿く時には、ちゃんとジャンプするようにという教育付きで養育された。」という方や、「自分は現在子育て中だが、子どもには必ず、ズボンを穿く時にはジャンプしなさい、と教育している。そんなの子育ての基本の基だ。」という方がおられたら、ぜひ教えていただけますでしょうか。拍手コメントからでも、メールフォームからでも、ご協力いただけると助かります。

 と、上の文章を書いていたまさにそのとき、とある方が拍手コメントをくださった。「ではデータの足しに。」という書き出しで。その方のお宅では、ご夫婦お二人とも、ジャンプしないのだそうだ。

 うーん。そうかあ。やはりジャンプしない派のほうが多数派なのかなあ。

 お子様三人も、たぶんジャンプはしていないと思う、とのことだ。お子様たちは現在同居なさっていないため、「大きくなってから始めたのならわかりませんが、電話してまで聞くこともないので。」とも。

 仰るとおりにございます。ズボンジャンプのことでわざわざ、お子様に電話をかけてくださらずとも、大丈夫でございます。そんなことで電話して、お子様に、「うちの母ちゃん、もしかして、ちょっとボケてきたのか?」と、ご心配をかけてもいけませんし。
 でも、もしも、今後何かの折に、お子様方の着替えに遭遇したときには、今一度、そうっと、ジャンプしているかどうかの偵察をお願いいたします。ご協力を、本当にありがとうございました。     押し葉

ジャンプ遺伝子

 昨日書いた「ズボンでジャンプ」を読んで、友人が拍手コメントを送って来てくれた。その友人自身は、ズボンを穿く時にジャンプは「しない派」らしいのだが、彼女の息子二人が、そういえばジャンプしている、と。友人は、確認のために、息子たちを呼びつけて、「あんたたち、ズボン穿く時に、ジャンプしてることない?」と訊いたそうだ。

 これまで一度も、ズボンの穿き方についてなど言及したことのない母に問われ、彼らは、少し驚いたのだろう。「そうよ。いけんのん? 悪いことじゃったん?」と、やや不安げに問い返してくる。

「いやいや。悪くはないんよ。みそさんも飛ぶんじゃー、って知ったけん。」
「え? みそさんがすることは、同じこと、したらいけんのん? 悪いことなん?」
「そんなことない。そんなことない。ジャンプしてもいいんよ。」
「悪いことじゃないん? してもいいん?」
「いい。いい。ただね、みそさんは、ジャンプして膝が痛くなったんだって。」
「えー? なんで、ジャンプで膝が痛くなるん?」
「うーん。それはね、年をとると、いろいろと、あちこち、痛くなりやすくなるんよ。だから、あんたらも大きくなったら、気をつけてジャンプしなさいね。」
「ふーん。そうなんかあ。うん。わかった。あー、よかった。」

 そういうやり取りがあった、と、拍手コメントに書いて送って来てくれたんだよ、と、夫に話したら、「よかったね。ジャンプ仲間がいて。」と言う。そこで私は、ふと、疑問に思ったことを口にしてみる。

「ねえ。彼らもジャンプするけど、でも、母親から習ったわけじゃないってことでしょ。」
「そうみたいやな。」
「私も親の教育なしに、勝手にジャンプしてきたのだとしたら、これは、教育によるものではなく、本人の明確な意思(「ズボン穿く時はジャンプするぞ」という意思)でもなく、体が勝手にすることなんかな?」
「そうなんちゃう?」
「ということは、これって、もしかして、ズボンを穿く時に出現する、ジャンプ遺伝子?」
「ありえん。」
「えー、どうしてー? なんで、そんなにあっさりと、ありえん、って言うの? どうやらくんは、もっと科学に対して謙虚になったほうがいいと思う。」
「はい。はい。謙虚になったほうがいいのは、そっちやろ、と言いたいけどね。もう夜遅いからね。早く寝ようね。」

 むう。寝ぼけて言ってるわけじゃないのに。それにしても、世の中、ジャンプしない派が多いらしいのにも驚いたが、少数派ながらもジャンプする人が私以外にもちゃんといて、しかも養育者からの教育なしにジャンプしている、というのは、興味深いではないか。今後は会う人会う人に、ジャンプするかどうか尋ねて、データを蓄積していこう。そして、その後、分析もしてみよう。なにか「からくり」がわかるかもしれないぞ。     押し葉

ズボンでジャンプ

 私が働く職場では、会社として「今期はこれを頑張って売りましょう。」という商品が何種類かある。その中のひとつに、医薬品の「コンドロイチン」もある。私は個人的に、コンドロイチンに限らず、お客様に推奨するからには、自分でも一応飲んでみて、その風味や飲み心地や効き具合を確認しておくことを心がけている。幸いなことに、順調に年を重ねてきたおかげで、私もそれなりに、関節の滑らかさが低下している自覚もあるし、人体実験をするにはちょうどいい。そう考えて、コンドロイチンの錠剤を購入して、思い出したら飲むようにしてみていた。

 けれども、飲み始めた背景に、どこかに劇的な苦痛があったわけではないので、実験で飲むコンドロイチンの効き目は、そういえば、効いてるのかなあ、そういえば、世の中がこれだけ冷えている割りには、昔何度も捻挫で傷めた足首の痛みが軽いような気がするかなあ、というかんじで、すばらしくたいへんよく効く実感は、もうひとつないままに過ごしていた。

 そんなある日。出勤準備をしていて、着替えている時のこと。いつものようにズボン(最近なら「パンツ」というのか)を穿こうと、両脚を、右側左側と、きゅっきゅっと、ズボンの中に通して、そしてやはりいつものように、ズボンのウエスト部分を両手で持って、ぴょん! とジャンプする。そのとき、異変が起きた。ジャンプから着地したそのときの、脚の開き具合と、足の向きの加減が、少しばかり「何かが迂闊(うかつ)」だったのだろう。片方の膝に、「バチバチバリバリ」という音とともに痛みを感じる。その音は、骨付き鶏肉を食べるときに、関節部分をバリバリ言わせて、軟骨をちぎるときと同じ音。あまりの痛みにうずくまる。一人で「痛いよう。痛いよう。」と、しばし呻く。膝の中身が、なんだか、「くきくき」としている。動き方も怪しいよう。はっ。そうだ。こんなときの治療薬が「コンドロイチン」なのではないか。いそいそと、コンドロイチンの瓶を出して、錠剤を取り出す。膝の中で変形した軟骨や関節液たちが、その形を整える姿を想像して、滑らかな膝であることの願いを込めて、ごくんと飲む。

 それまでは、なんとなく思い出したときにだけ、一粒か二粒、気まぐれみたいに飲んでいたけれど、こんなふうに気になる症状があるときには、規定の量をきちんと続けて飲んでみる。そうしてみたところ、膝の痛みと違和感は、三日もしないうちに、全く気にならなくなった。おお。コンドロイチン、偉いじゃん。こんなにいい仕事をしてくれるのか。

 その感動を、職場にて、同僚の薬種商のおじちゃんに報告する。おじちゃんは、「よく効いて治ってきて、それはよかったことだが、なぜズボンを穿く時に、ジャンプなどするのか?」と訊いてこられた。

「え? ズボン穿くときって、ジャンプしないんですか?」
「ジャンプなんかしたことない。特にこれくらい年とると、そんな迂闊なことをしたら、いつ脚を傷めるかわからんから、ズボンを穿く時も、こう、座って、片脚ずつ、しずかーに、しなーっと(福井弁で「気づかないような静けさで」「ひっそり」「こっそり」などの意味がある言葉。)、ゆーっくり、穿くなあ。」
「ええっ。そうなんですか? でも、ズボンのウエストのところを、こう、しっかり持ち上げて、軽くジャンプして降りると、こう、ストンと、ズボンの中に体がおさまり、ませんか?」
「うーん。ジャンプしなくても、普通に、おさまってるように思うがなあ。」
「そ、そうなんですか。」

 そんなとんちんかんな会話が職場であったのよ、と、帰宅してから夫に報告する。すると夫が、「あーあ。この人(私)、また、なんか、どこかで、間違ったことをおぼえて、大きゅうなっとってじゃわ(大きくなっていらっしゃるなあ)。」と言うのだ。

「え? どうやらくんも、ズボン穿く時、ジャンプしないの?」
「そんなこと、したことないし、する必要もないやろ。」
「でも、だって、ちょっとジャンプして降りてきたら、その勢いで、ズボンの中に体がちゃんと入るじゃん。」
「ジャンプしなくても、十分ちゃんと入るけど。」
「ええっ。そうなん? なんでじゃろ? 小さいときに、着替えの仕方をおぼえるときに、うちの親が、はい、ジャンプして、ほら、きちんと穿けたでしょ、って、教えてくれてたんじゃろうか?」
「いや。たぶん、違うと思う。しめじくん(弟)も、やぎちゃん(妹)も、同じ人に育てられてても、たぶん、ジャンプはしてないと思う。みそきちは、ときどき、自分で勝手に、妙なことを思い込んで習慣にしとるけん、ジャンプもたぶんそれじゃろ。お母さんやお父さんには、何の責任もないと思う。」
「そ、そうなのか。」

 四十路の学び。えーと。ズボンを穿く時に、ジャンプは必要ない模様。ズボンを穿く時にジャンプしなくていいのであれば、ジャンプと着地の失敗による膝の損傷も起こらなくて安全。でも、もしも、ズボンのジャンプで膝を痛めても、コンドロイチンを飲めば、すぐに治ってくれることもわかったから、さらに安心。

 そして実際にやってみると、たしかに、ジャンプしなくてもズボンは穿ける。穿けるが、やはりジャンプしたほうが、ぴったりしっかり穿けたような気がする。だけどそれは、長年の習慣による感覚的なものだけで、実際の装用には問題はないような気がすることを、認めないわけにはいかない、ようだ。     押し葉

本格的旅籠

 昨年の三月末に、友人と息子くんが、福井に遊びに来てくれたことがある。(「こどもだまし」「水力発電」参照。)

 そのとき二人には、我が家の六畳の和室に泊まってもらった。友人の「あんたはもう寝なさい。」という促しの言葉に応じて、息子くんは、ごそごそとお布団にもぐりこむ。しばらく、もぞもぞと体勢を整えてから、ふと、「お母さん。コタツの上のティッシュの箱、枕元に置いておきたいから取って。」と所望する。そこで私が、「あ。それなら、ほら、そこ、枕元の先にある低い棚のところに、千代紙模様のティッシュケース、あるでしょ。コタツの上のティッシュでも、棚の上のティッシュでも、どっちでも、手の届きやすいほうを使ったらいいよ。」とお知らせする。

「あ。ほんとだ。棚のほうが近い。ここにあるなら安心。」
「でしょ。でね。ゴミ箱は、一応、この茶色のカゴみたいなやつのほうが燃やせるゴミ用で、こっちの金属のバケツみたいなのが燃やせないゴミ用のつもりなんだけど、実際は、あんまり気にせず、どっちにでも捨てていいからね。最後に捨てるときにちゃんと分別するから。」
「お母さん。お母さん。みそさんちって、なんか、本格的!」

本格的?

 友人の「ほんとやね。よかったね。あんたの好きなティッシュも二ヶ所も置いてあるし、ゴミも分別できるし。あんた分別も好きやもんね。」という言葉で、ああ、宿泊施設として快適だという意味だったのか、と気づく。

 そういえば、私自身も、外泊先のホテルで、机のとこにも、枕元にも、ティッシュが用意してあると嬉しくなるなあ。室内のゴミ箱も、可燃用と不燃用と複数用意してあると、「混ぜこぜで捨てていいのかな。」のドキドキ感が少なくて、安心快適度が高まる。

 本格的な旅籠(はたご)として、お気に召していただけたなら、よかった。快適にくつろいでいただけたなら、極上の喜びだ。ぜひまたご利用いただきたい。     押し葉

記憶の管理

 八十代半ばだろうか、という年頃の、女性のお客様。

 ご自分用に、大人用紙おむつの、「パンツタイプ」と、「尿とりパッド」と、もうひとつ何か、オムツ関係のものを買いに来られたとのこと。しかし、パンツタイプは、以前買ったものがどこのメーカーのなんという商品だったか、サイズはMだったか、Lだったか、どうしても思い出せない。尿取りパッドは、現在お使いのものの現物を数枚、持参して見せてくださるが、現物では、メーカーはわかっても、どのタイプのものかまではわからない。

「パンツタイプの紙おむつをお使いでしたら、中のパッドもパンツ専用のもののほうが使い勝手がよいですよ。」と、お奨めしてみる。けれど、多くのお客様が、パンツタイプ紙おむつ専用の尿取りパッドは、枚数が少なく割高だからと、専用タイプでないものをお求めくださる。今回のお客様も、やはり割安な大容量のものをお選びになった。

「じゃあ、今回は、これにするわ。」と、72枚入りの尿取りパッドを選ばれて、カートに乗せて、今度はパンツタイプはどれにしましょうかね、と、商品を見る。そのとき、ふと、お客様が、「えーと、パッドはどれにしよう?」とおっしゃる。

「お客様。尿取りパッドは、先ほど、72枚入りのものを選んでくださって、こちらのカートに、このように乗せてくださいましたよ。」
「ああ。ほんまや。乗ってるな。そうやった。乗せたのを忘れてた。今のこともすぐ忘れる。パンツのサイズも、おぼえておこうと思ったのにやっぱり忘れた。本当は、買いたいものをメモに書いてこようと思ったけど、メモに書くことを忘れた。パンツのオムツと、パッドと、もうひとつ買いたいものがあったのに、書いてないから思い出せない。おねえさん(私)、お願いだから、代わりに思い出して!」
「うーん、うーん。うーん。お力になりたい気持ちは山々ですが、それは無理にございます。」
「じゃあ、えーと、パッドはどれにしよう?」

 という接客が、繰り返し、同じパターンで、45分くらい続くと、少しばかりヘトヘトになりますね。うふふ。     押し葉

トイレのご案内

 チラシ初日はお客様がたくさんご来店くださる。ありがたいことである。通常業務もこなしつつ、特売商品のご案内や補充もしつつ、接客もしつつ。だがやはり、通常業務がややおいつかない感のうちに疲労が蓄積してゆく。

 それでも、ご相談くださる内容が、薬剤師冥利に尽きるようなものであれば、その冥利の力で少々の疲労は飛んでゆく。薬剤師冥利ではなくとも、商いの喜びに繋がるような内容も、爽やかな充実感をもたらしてくれる。

 けれども、他のお客様のお薬相談接客中であるにも関わらず、間に割り込んで来られて、「トイレどこ?」と訊かれると、もちろんお答えはするのだが、相談中のお客様にも「お話の途中で申し訳ありませんね。」な気持ちになるし、実際そう申し上げる。お客様も「あんな堂々と割り込んできて、話し中なのがわからないのかしらねえ?」とご不満そう。しかしながら、尿意や便意は、他人への配慮を奪ってしまうほど、ときに、切羽詰った力を発揮してしまうのだろう。

 他にも店員はいるのだが、トイレに関する質問は、白衣を着ている人間相手の方が訊きやすいのか。いやいや。たまたま私が担当する売り場が、一番トイレに近い位置にあるからだろう。一日にいったい何度トイレをご案内するだろうか。それでも、そんなトイレのご案内も、結果的によかったよかった、と思えると、ご案内してよかったな、と安堵する。

 とある年輩女性のお客様が、私に、トイレの場所を訊いてからトイレに行かれたものの、トイレから出てこられて、「おねえさん。トイレの水の流し方がわからんのんやけどなー。」とおっしゃる。仕事をさっさと進めるには、「いいですよ。私が流しておきますよ。」と、トイレに入って全部の個室の水を流せば早く済むことではあるのだが、今後もこのおばあちゃんに、安心して当店のトイレもご利用いただきつつ、お買い物もお楽しみいただくためには、それではいかんであろう、と、思いなおす。

「トイレは、洋式と和式とありますけど、洋式をご利用でしたか?」
「うん。腰掛けてするほうを使った。」
「ではですね。こう腰掛けていただいたときに、背中側にあたるところに、水がたまる四角い箱の形をしたタンクがあるんですが、そのタンクに向かって立った時に、そのタンクの右側のところに、こう、ヘラみたいな取っ手が付いてるんです。」
「そこに、大、とか、小、って書いてあるの?」
「どうだったでしょうか。大小は書いてあったかもしれないし、書いてなかったかもしれませんが、手前側でも奥側でも、どちらに回してもらっても流れますので、お試しいただけますか? もしもうまくいかないときには、わたくしが参りますので、お呼びいただけますか。」
「ん。わかった。やってみる。」

 おばあちゃんは、一人でトイレに戻られる。どうかなあ。どうかなあ。と思いながら売り場で待つが、なかなか戻ってこられない。念のため、バックヤードに入って、トイレに近づいてみる。お。水が流れる音が聞こえてきた。大丈夫だ。さっさと売り場に戻っておく。

 ゆっくりとおばあちゃんがトイレから戻ってこられて、「だいじょうぶやったわ。わかったわ。流れた。よかった。ありがと。」と、声をかけてくださった。

 それはよかったです。ありがとうございました。またいつでも、お気軽に、ご利用くださいね。     押し葉

お見送り

 朝、玄関で、出勤する夫に向かって手を振りながら、「いってらっしゃい。」と言うつもり、言ってるつもりなのだが、ときどき、口が勝手に「じゃあ、そういうことで。」と言い、手も「バイバイ」の形ではなく、やや「チョップ」なかんじ(お相撲さんが賞金を受け取る前にする手の形)になっていることが、ある、らしい。

 夜帰宅した夫が、「今朝のことをおぼえているか?」「そういうこと、とはどういうことや?」と、出勤時には訊けなかったことを、矢継ぎ早に問うてくる。

 そんな、寝ぼけた人がしたことを、寝ぼけた人が、おぼえているわけがなかろう。なんにせよ、今日もまた、朝も夜も、元気に会えて、よかったよね。生きてるうちに、あと何回、こうして元気に会えるかな。いっぱいたくさん会えるといいね。     押し葉

目をいたわろう

 以前一緒に仕事をしていたアルバイトの女の子が、お客様が途絶えたレジにて、「ふう」とため息をつきながら、両目をぐりぐり押さえていた。「お疲れ様ですね。大丈夫ですか?」と声をかけてみる。

女子「あ。お疲れ様です。なんだか目の疲れがひどくて。」
私「最近のことですか? 前からですか?」
女子「前々からですけど、最近特にひどくなりました。」
私「何か原因に心当たりはありますか?」
女子「うーん。一番の原因は携帯画面をけっこう長い時間見るからかなあ。あと、私、バンドしてて、暗い部屋で楽譜見ながらベース弾いてるせいかなあ。」
私「それは両方とも目に負担かかりそうですね。」
女子「でも、一番の原因は、両目の視力差が大きいせいだと思います。私、眼鏡してますけど、片目は0.7くらいで裸眼でもまあまあ見えるのに、もう片目が0.1なくて、ひどいガチャメなんです。」
私「そうかあ。それは疲れるかもしれませんね。でもですね、左右の視力差があるのは、モノビジョンという見方には適した目なんですよ。」
女子「モノビジョンって、なんですか?」
私「えーとですね。よく見えるほうの目で遠距離や中距離を見て、視力の弱い方の目で近距離を見る方法です。手元の小さな文字なんかは、近視の強いほうで見るようにすれば、老眼鏡をかけなくても見えて、40代50代60代70代になっても若々しい印象で過ごせる、というメリットがあるんですよ。それでアメリカなんかでは、わざわざ、両目の視力にある程度差が出るように、手術の時に調整したりするらしいですよ。日本でもモノビジョンをお奨めする眼科医の先生もいらっしゃいますね。」
女子「先生、それ、なんかすっごく、魅力的な話ですけど、私の場合、まだ18だから、もう30年くらいは、関係ないってことでしょうか?」
私「そうですね。でも左右に視力差があるのも悪くない気分になりません? 老眼世代になってゆくのも楽しみな気がしませんか?」
女子「それはたしかに。なんとなく、自分の目、偉いような気がしてきました。」
私「でしょ? まあ、あとは、携帯画面見る時間を減らしたり、楽譜は暗譜するか明るい場所で見るようにするか、気をつけてみてくださいね。あと、まばたきもしっかりとしてくださいね。何かに集中してるとまばたきし忘れて、目の表面が乾いてよけいに疲れますからね。」
女子「そうなんだあ。わかりました。」

 若者よ。目をいたわれ。     押し葉

きこり用マスク

 私が勤務する職場では、マスクも販売している。先日、本社商品部から、「不織布マスク60枚入りにおいて、商品の印字ミスが発覚しました。店舗にある全ての在庫で印字ミスがないか確認後、該当商品は返品してください。」という連絡書がきた。

 私の勤務先店舗では、すでにこのメーカーのこのタイプの商品は完売して、店頭にはなくなっていたので、確認する必要もないが、確認することもできない。すでにお買い上げくださったお客様のお手元に、印字ミスの商品があるのかもしれないことが、たとえどれほど気になるとしても。

 ところで、その印字ミスとは、どんな内容だったのか。ちなみにこの商品は、中国製だ。現地従業員の方が、印字用活字を選ぶ時に、どうしても違いがわからなかったのだろうか。最終チェックを行う日本語が自由自在なはずのスタッフも、老眼がひどくて気づけなかったのだろうか。そういう私も販売中に、そんなところ一度も読みもしなかったけれど、こういうチェックは販売者としても担う仕事なのだろうか。

「花粉、木コリを強力にシャットアウト。(誤)木コリ→(正)ホコリ」
「息苦レさが無く、鼻のラインにフィット。(誤)息苦レさ→(正)息苦しさ」
「万一、皮膚にカコミ、カブし等異常があらわれた時は使用を中止してください。(誤)カコミ、カブし→(正)カユミ、カブレ」

 マスクで「きこり」を防ぐのは、きっと無理。

 もうすでに、売れてしまったものは仕方ないけれど、もしもお客様がご自宅にて、この印字ミスに気がついて、気持ち悪いよう、と思われて、こんな印字ミスをする会社のマスクは怖くて使いたくないなあ、と思われたときには、返品返金に応じましょうね、と、いうことにしている。が、いまのところ、その申し出はない。     押し葉

R指定

 六年くらい前のことになるだろうか。香川県に住む友人宅に遊びに行って、泊めてもらったときのこと。私は自分で持参した漫画の本をお布団の中で読んで、枕元に置いて寝た。翌朝になり、友人の本を、いろいろ貸してもらいましょうと、彼女の本棚を物色していたら、私が持参したのと同じ漫画があった。「あー、同じの買ってたんだー。私達、ときどき好みが似てるもんねー。」と、思っただけで、すぐに他の本に目を移す。「それにしても、私が持ってきたのと同じ漫画は、本棚のえらく高い場所に置いてあるな。」と、うっすら思いはしたものの、読みたい本を漁るのに夢中で、そんなことはすぐに忘れる。そして、これと、これと、これを借りて順番に読みましょ、と、ほくほく気分で、朝の紅茶を飲みながら、本をぱらぱらめくりながら、窓越しの陽の光を浴びて、ほうっと、和む。

 友人には、当時保育園児の子どもが二人いて、上の女の子の「一号ちゃん」は、保育園児だけれども、日本語の読み書きが、すでにかなり上手で、次から次へといろんな本を読む子に育っていた。少しくらい難しくても気にしない。わからないことはお母さんに質問して、教えてもらいながら、どんどん読む。そんな一号ちゃんが、私の寝床の枕元に置いてある漫画を見つけて、しばらくじっと見つめている。友人の本棚の高いところに置いてあったのと同じ漫画だ。一号ちゃんは、憤懣(ふんまん)やるかたないという表情で、母である友人に訴え始める。

「お母さん! 私には、この本はまだ読んだらだめ、って言って、高いところに隠したのに、どうしてみそさんは読んでいいん?」

 一号ちゃんが立腹顔で指差す先には、私の枕もとの漫画が。友人は、その本をちらりと眺めただけで、「みそさんは大人やけん、なんでも読んでいいんよ。あんたはまだ子どもやろ。」と説明する。一号ちゃんは、とても不本意そうだけど、「大人はいいけど子どもはダメ、と、お母さんが言うものは、どうやったって、ダメなのだ。」ということも、きちんと理解しているおりこうさんだ。

 そんな友人宅において、当時R指定となっていた図書は、西原理恵子さんの「ぼくんち(全)」。作品全体としては、叙情豊かな名作だと思うのだが、友人としては、作中に出てくる「ピンサロ」だとか「ちんちんくわえて」といった語彙は、保育園児にはまだ不要、と判断したのだろう、きっと。

 そんな「ぼくんち」を、無造作に読んで、枕元に置いたままにしておいて悪かったかな。いやいや、私は大人なんだから、読むのは別にいいんだってば。「ぼくんち」でも、どんな耽美本でも。ただ、本の内容によっては、小さな子どもの目に付くところには、放置しないほうがいいよね、うん。と、その後ひとりで、ちょびっとだけ葛藤したり反省したり。

 教訓。小さな子供のいるおうちでは、その家のR指定基準にも配慮しながら過ごすこと。     押し葉

万能薬到達

 数日前の日記「万能薬」で、「中国人の女の子」が「にきび治療薬」としてお求めの「300円くらいの」「万能薬」は「オロナインH軟膏」であるらしい、と、気がついたところまで、お話しした。その後、あのお客様は、ご来店くださっただろうか、ご購入くださっただろうか、と、気にかけながら働いていた。そんな先日の作業中、ふと気がつくと、まさにそのお客様が、ビタミンB2製剤の前に立っておられる。たぶん、まちがいなく、あのときのお客様だ。お顔は覚えていないのだが、上着の色が同じだし、髪の毛をひとまとめにしておられる髪型も同じだ。ビタミンB2製剤の前で、やはりこれは違うなあ、というそぶりの後、塗り薬のコーナーに移動されて、あれかなあ、これかなあ、と探しておられる。ああ。きっと、まちがいなくあのお客様だ。

 お客様は、塗り薬のコーナーで、水虫の薬を、順番に手にとっては、ちがうなあ、という表情で、棚に戻しておられる。ああ、やはり、きっと、まちがいなく、あのお客様だ。水虫のお薬は必要ないはず。思い切って声をおかけしてみる。

「もしかして、お客様、こちらのお薬をお探してではないですか?」

 そう言って、オロナインH軟膏を目の前にお出ししてみる。お客様のお顔が、「ああ! これ!」の表情に変わる。

「これ、おろ、ですか。」
「こちらは、オロナインです。」
「おろ、おろ、あれ? おろは、おろないん、ですか。」
「はい。オロナインです。効き目のところに、にきび、とも書いてあります。」
「ああ。これです。これ、ほしかった。にきび、なおりますね。」
「はい。にきびにも、お使いいただけます。」
「わたし、ここ、なんかい、みた。これ、なかった。これ、ずっと、ここにあった?」

 つまり、「私はこの場所で何度もオロナインを探しましたが、見つけることができませんでした。オロナインは、以前からずっと、この場所に置いてあったのですか?」という、ご質問だ。

「はい。オロナインは、前から、ずっと、ここに置いております。」
「わたし。みなかった。(私には見えませんでした。)」
「はい。この場所は、少し、位置が低いので、見つけるのが難しいかもしれません。」
「ああ。はい。むずかしい、ですね。これと、これは、ちがいますか?」
「これは中の量が15gです。こちらは30gです。そしてこちらは100gです。」
「これは、ぜんぶ、おなじですか?」
「はい。中の薬は同じです。こちら(30g入り)はこちら(15g入り)よりも多いです。」
「ああ。おおい、は、おおきいですね。」
「はい。そして、こちら(100g入り)は、こちら(30g入り)よりも、もっと多いです。」
「きょう、わたし、これ(30g入り)かいます。」
「ありがとうございます。」
「おかねは、いくらですか?」
「はい。30gは398円です。」
「かいます。」
「はい。お支払いは、レジにてお願いいたしますね。」
「このくすり、ともだち、すき。わたしも、とてもいい、おもいます。みんな、いい、おもいます。ちゅうごく、かえる、そのとき、もっとたくさん、かいます。ちゅうごくの、かぞく、ともだち、プレゼント、かいます。(この薬は、私達知り合いの間でとても人気があります。帰国する時には、中国の家族や友人へのお土産用にたくさん買って帰る予定です。)」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」

 ああ。オロナインH軟膏に到達するまでの道のりは、長かったなあ。でも、なんとか辿り着けて、本当によかった。にきび治療上のお奨め度合は別にしても、とりあえず、よかった。     押し葉

インプラント後日談

 昨日の日記「イソフラボン」で、8本のインプラント(義歯。入れ歯ではない。)を入れたおじいちゃんは、その後、インプラントの素晴らしさを、あちこちで語り広めておられるそうだ。ふと隣り合わせた患者さんに、患者さんのご家族に、これはとてもいいものだから、必要な時には、ぜひ考えてみたほうがいい、と。

 しかし、「インプラント」のことを「イソフラボン」と呼び続けていたおじいちゃんにとって、「インプラント」が「インプラント」であることを記憶し再生することは、簡単なことではない。それでも、「インプラント」が「イソフラボン」ではないことは、きちんと学習なさったようで、「イソフラボン」とはおっしゃらなくなった。けれど「インプラント」への道は、険しく、遠い。その結果、ありがたいはずの宣伝活動の内容は、「インバットはすごくいいから。」だったり、「インプットしたほうがいいですよ。」だったりと、微妙に、その商品名が正しくない。

 けれど、こころ温かな歯科衛生士さんたちは、「イソフラボンに比べたら、だいぶんインプラントに近づいてきたよね。」と、おじいちゃんの学習過程を、にこやかに見守っておられるとのこと。うう。ええ話や。     押し葉

イソフラボン

 少し前に書いた日記「コンドロイチン」で、コンドロイチンとグルコサミンとコラーゲンが混同されることはよくあることだというような話を書いた。すると、ある方が、拍手コメントをくださり、その方の体験を教えてくださった。

 その方は、歯科に勤務する歯科衛生士さんである。その方の勤務先に、患者さんとして通ってこられる、ある年配の男性患者さん、80歳くらいのおじいちゃんが、来院されるたびに、同じ質問をなさるのだという。

「イソフラボンいうのは、高いんやろ?」

 イソフラボン、というのは、大豆などにも含まれる栄養成分で、近年は、女性ホルモン様の働きがあることや、その働きにより、中高年の肌のハリツヤを整えたり、女性の更年期障害症状の緩和も期待できることなどがわかってきている。そのイソフラボンを摂取するための健康食品なども、いろんな形で出回っている。

 しかし、その患者さんは男性だし、ここは歯科だし、なのに、なぜに、イソフラボンなのだろうか、と、歯科衛生士及び歯科スタッフの皆さんはいぶかしがる。もしかすると、このおじいちゃん、少しばかり「おボケ」になられたんだろうか、と心配にもなってくる。それでも、「イソフラボンいうのは、高いんやろ?」と毎回繰り返して質問するおじいちゃんに、「そうですねえ。いろいろなんでしょうけどねえ。」と、まあ、あいまいに、というのか、そつなく、というのか、歯科衛生士として可能な範囲での対応をしていた。

 ところが、ある日のこと。そのおじいちゃんが、意を決したかのようなご様子で、「このイソフラボン、いうのは、高いらしいが、できるんなら、してみたい。」と、おっしゃった。そのおじいちゃんが指し示しておられるのは、「インプラント(義歯埋没手術)」の資料。

「ああ! インプラントのことでしたか!」

 歯科衛生士さんたちは、長きに渡る謎が解けて、すっきり。だけど、おじいちゃん、「イ」しか合ってないよ、と、がっくり。そして同時に、おじいちゃんの、インプラントに対する興味の本気度合を、プロとして、受け止める。

「インプラント」。「イソフラボン」。

 うーん。たしかに。ぱっと見た目の字面はとてもよく似ている、気がする。日本語学習途上で、カタカナの読み書きに不自由があれば、読み分けに力が要るかもしれない。たとえ読み分けられたとしても、これだけ似ているということは、エタノールとメタノールくらいには、仲間なような気もしてくる。

 けれども、歯科において、「イソフラボンは高いんやろ?」とお訊ねくださる患者さんがいたとき。歯科で「イ」がつくものといえば、「インレー」か「インプラント」か。ということは、もしかして、「イソフラボン」は「インプラント」? と、推理して対応するのは、難しい。きっと、あまりにも、難しい。

 ところで、そのおじいちゃんは、その後、歯科衛生士さんと歯科医師の先生から、インプラントの詳しい説明を受けられた。金額的にも高額であるし、手間も時間も、体力や気力の維持も必要だ。しかし、そのおじいちゃんの決意が揺らぐことはなく、一本40万円のインプラントを8本入れられたとのこと。歯が、まるで生えてきたかのように、ぱりっと整い、シャキシャキ喋るようになったそのおじいちゃんは、ボケているどころか、とても矍鑠(かくしゃく)と溌剌(ハツラツ)としていらっしゃるとのことである。めでたし。     押し葉

万能薬

 私が勤務する職場には、中国語を話す若い女性の方たちが、よくご来店くださる。中国語とはいっても、たぶん北京語っぽいなあ、と私が思うだけで、実際は、広東語かもしれないし、福建語なのかもしれない。そのへんはわからないけれど、韓国語ではなくて、タイ語でもマレー語でもなくて、きっと中国語だと思う程度での中国語。

 どういうわけか、彼女達のコミュニティでは、ご購入くださるものに、流行のようなものがあるらしく、誰かが何かをお買い上げくださると、次から次へと同じものが、中国語を話す女の子達により購入されてゆく、という現象がある。

 最近の流行は「にきび治療薬」らしく、複数でご来店くださり、一人一瓶ずつ、ビタミンB2製剤を買ってくださる。その後も同じものを求めてご来店くださるケースが続くので、「中国人女性」「にきび」ときたら、もう、このお薬にご案内、というパターンができていた。

 ところが、その日にご相談くださったお客様は、「中国人女性」で「にきび」治療薬をお求めではあるのだが、お求めなのが、ビタミンB2製剤ではなく、かといって、にきび治療専用の外用薬でもないようなのだ。

「ともだち、ここでかった。ともだち、そのくすり、しってる。わたし、わからない。でも、みる、わかる。」

 つまり、「友達がここで購入して、その友達はその薬のことをよく知っているのだが、自分は詳しいことはわからない。しかし、実物を見れば、これ、とわかると思う。」ということであるようだ。

 店内のニキビ関係の商品を、一通り一緒に見てまわったが、そのお客様が条件としておられる「300円くらい」という点で、なかなか合致するものがない。お客様は「ともだち、くすり、もってる。ともだち、わかる。わたし、わからない。」を繰り返してくださるので、「そのお友達に、もう一度、お薬を見せてもらって、その薬の名前を、紙に書いて来てくださいますか。」と提案してみる。そうしたら、「わかりました。わたし、かきます。もってきます。つぎに。」とおっしゃりながら、お店を出てゆかれた。

 そういう接客がありましたので、私が不在の時に、その方がご来店くださったら、紙に書いてある名前のお薬を探してさしあげてくださいね、と、同僚の薬種商のおじちゃんに報告連絡してお願いした。

 私が休みの次の日に出勤して、外用薬売り場の商品たちをきれいに並べなおしていたら、その同僚のおじちゃんが、「あ! もしかして。」と声を出された。

「どうかしましたか?」
「昨日、どうやらさんが休みのときに、中国人の女の子が来たんや。にきび薬で、ビタミンB2製剤じゃなくて、300円くらいの薬の名前を紙に書いて来てくれる、いうて、どうやらさんから聞いてたから、ああ、この子か、思いながら、紙に書いてあるのを見せてもらったら、漢字で、『万能薬』いうて書いてあって、女の子は、ひたすら、おろ、おろ、言うばっかりで、どうしてもなんのことかわからなかったんや。でも、今、どうやらさんがそこで塗り薬触ってるのを見て、ようやく、ピンときた。昨日は、どうしても、そこまで辿りつけんかった。」
「あ。私も、今、ピンときました。」
「そうやろ?」
「300円くらい。万能薬。にきび。ああ。あのお客様がお求めだったのは、オロナインH軟膏だったんですね。これなら、一番小さいチューブ入りが228円です。」
「おろ、おろ、言うてたのは、オロナインのオロを言うてたんやなあ。そう思ったら、万能薬いうのもオロナインのことか、いうてわかるが、あのときは、わからんかったなあ。」
「ああ。その場では、難しいですよねえ。オロナインの効能効果に、たしかに、にきびは、書いてありますけど。にきびを治療するときの選択肢として、上位には来ませんもんねえ。」
「オロナインやなあ。こちらから、それをお奨めすることはないと思うが。今度また来てくれて、ニキビで、オロ、オロ、言いながら、万能薬くれ、言われたら、オロナインを案内できるなあ。」
「ほんとですねえ。私も、そう思って、オロナインをお見せしてみます。」
「そういえば、最近、このサイズのオロナイン、よく出てたんや。知らんうちに。」
「ああ。じゃあ、にきびの薬として流行してて、セルフで次々、買ってくださってたんですね、きっと。」
「にきびで、オロナイン、かあ。うーん。そうかあ。」
「うーん。間違ってはいないけれど、なんというか、もうひとつばっちりはっきりとは効かなさそうですよねえ。」
「でもなあ。本人達が欲しがるものを、売らんわけにはいかんしなあ。」
「集団で、『よく効く!』と思いこんで使ったら、予想外にすっごくよく効くのかもしれないですよ。」
「そうやな。とりあえず、300円のにきびの万能薬はオロナイン、いうことで、いってみよう。」
「そうしましょう。欠品させないように気をつけます。」

 たしかに私は「薬の名前を紙に書いて来てください。」とはお願いしたが、商品名カタカナでもなく、商品名アルファベットでもなく、別称とも通称ともいえない「万能薬」と書いてきてくださるのは、予想外であった。しかし、きっと、その「万能薬」の万能なところが、彼女達の界隈では、高く評価されているのだろうなあ。     押し葉

きれいですね

 むかしむかし。わりかしむかし。私が二十歳前後のころ。たぶん大学の春休みを利用して、福岡の友人宅に泊まりがけで遊びに行ったとき。友人の母上様作の、少しばかりおいしすぎる夕食をたらふくご馳走になった後、友人と友人の妹たちと居間で愉しく語り合う。

 当時、高校生や中学生であった妹さん二人は、大学から久しぶりに帰省した姉(友人)の存在を喜ぶと同時に、慣れない来客(私)に戸惑いながらも、精一杯歓迎しようと、にこやかに話し相手になってくれる。にこにこ、わいわい、話していて、ふと、上の妹さんが言う。

「みそさん、はがきれいですね。」

 音は耳に入ったが、すぐには意味が理解できない。でも、ほんの一瞬考えて、私はすぐに意味を理解したつもりになった。私の歯は、色も形も並びも、特別、褒められるほどの状態ではないのだが、中学生の時、バスケ部の練習中に前歯が折れたことがあり、それ以来、そこが差し歯になっていた。大学生になって、体の成長も止まったし、もう口も大きくならないだろう、ということで、上の前歯二本は、保険適用外の高価な差し歯にしつらえなおしたばかりだった。そのことを思い出して、褒められるとしたらこれしかないね、と判断し、友人の妹さんに向かって、にっこりと、自分の前歯を指差しながら、応える。

「は。歯。これね、差し歯なの。」
「……」

 妹さんが固まっている。その眼が必死に「おねえちゃん、どうしよう。」と訴えている。何があったのだろうか。私も友人を見つめてみる。突然に、妹さんと私の間で「日本語通訳」を担うことになった友人は、けらけらげらげら笑いながら、私に教えてくれる。

「みそさん、肌よ。肌。肌きれいですね、って言ったの。歯がきれいですね、じゃなくて。歯が、じゃなくて、肌。」
「ひゃー(私の驚きの声)」

 教訓。人の話は一音一音丁寧に聴こうね。それとね、他人の差し歯は、それがどんなに立派でも、たぶん、あんまり褒めないと思うよ。     押し葉

こそばゆいお年玉

 お年玉ネタの日記を続けて書いたところ、読んでくださったある方が、「自分が初めてお年玉をあげる側になったときの、こそばゆいような誇らしいような気持ちを思い出しました。」と、感想をくださった。

 そういえば、私も、社会人になって初めて迎えたお正月に、当時大学生の弟と高校生の妹に、それから、当時は生きていた祖母に、お年玉をあげて、あれは、なんとなく感慨深かったような気がするなあ、と、記憶が蘇ってきた。そういえば、あのとき、祖母はなぜか、私がお年玉を手渡してまもなく、私があげた倍の金額を入れたお年玉袋に「みそちゃんへ。おばあちゃんより。」と書いたものを持ってきて、私に手渡してくれた。

「え。ばあちゃん。私はもう、働きようるんじゃけん。私がおばあちゃんにあげたんじゃん。」
「まあ、そういわんと、受け取ったらええけん。しめじちゃん(弟)も、やぎちゃん(妹)も、まだお年玉もらうのに、みそちゃんだけ、お姉ちゃんじゃいうて、もらえんようになったら、かわいそうじゃろう。」
「いや。お姉ちゃんじゃけんじゃなくて、社会人じゃけんなんじゃけど。大きゅうなって、働いて稼げるようになったんじゃけん。今までもろうてばっかりじゃったけど、今度は私があげる番じゃけん。」
「ええけん。ええけん。みそちゃんからお年玉もろうたけん、お礼じゃ。」

 と、祖母は、わけのわからない理屈を言って、社会人の私に、お年玉をくれた。祖母にお年玉をあげて、私もなんとなく少し、こそばゆかったけれども、もしかすると祖母も、私からのお年玉を受け取ることが、ちょびっと、こそばゆくて、でも嬉しくて、謎の出血大サービスをしてしまったのかもしれないなあ。     押し葉

お年玉の愛と意気込み

 幼馴染のめいちゃんは、毎年姪っ子さんたちに、千円ずつ、お年玉をあげていたそうだ。これまでは、何の問題もなく、その千円ずつを、喜んでいたというのに、小学校で算数の知恵を授けてもらってきた昨今、昨年末におもむろに、「ねえ、めいちゃんって、けちんぼ、なん?」と、姪っ子達が聞いてきたらしい。「なんで?」と、問うめいちゃんに、姪っ子たちは、「だって、お年玉、他の人は、みんな、二千円くれるのに、めいちゃんだけ千円じゃもん。」と、応える。

 めいちゃんの両親(姪っ子達の祖父母)も妹夫婦(姪っ子達の親)も、二千円ずつやっていたのか、と、知ったのも初めてだが、「だからといって、それに合わせる気はないんじゃ!」と、息巻くめいちゃん。

「今回は、500円玉二枚+100円玉2枚のポチ袋と、100円玉12枚のポチ袋と、二種類用意して、二人にどっちがずつを選ばせてみるわ。どっちを選んでも1200円じゃけど、重さや感触が微妙に違うんよ。それか、金額に差をつけて、運試しさせてみるか。くう。どっちにしても、ふたりとも、もめるじゃろうねえ。私の母は何かと言うと、あの子ら二人がケンカせんように、同じようにしちゃらにゃあ(してやらなければ)いけん、言うんじゃけど、そうやって甘やかす人ばっかりじゃあ、あの子らも、世の中面白くないじゃろう思うんよ。まあ、それでやってみて、母と妹から、非難轟々禁止命令が出たら、次回からはまた別のやり方を考えるわ。」

 めいちゃんの、おばとしての、姪っ子さんたちに対する、愛と意気込みを感じた、帰省のひとときであった。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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