みそ文

お年玉で運試し

 夫の実家に帰省すると、夫の甥っ子たち二名がやってくる。夫の妹の子らである。上の「たるる」は中学一年生になり、下の「かるる」は小学四年生になった。これまでは、夏に会っても、冬に会っても、一度も彼らが、宿題なり、勉強道具なりを持ってきたのを見たことがなく、君たちは本当に義務教育を受けているのか、と、思っていた。しかし、今回はなんと、二人とも、冬休みの宿題持参で、しかも、「これが終わるまでちょっと待って。」とまで言えるようになっていて、ああ、彼らもちゃんと、成長しているのねえ、と感心する私の隣で、義母は「ほんまに、あんたら、えろうなって。大きゅうなって。」と本気で孫を褒め称えている。

 そんな「たるる」と「かるる」へのお年玉は、数年前までは、一律二千円だったのだが、たるるの中学進学を前に、二人とも大きくなったから、という夫の判断で、前回から三千円に昇給させていたらしい。今回も三千円ずつ渡すつもりで、夫は千円札を何枚も用意していた。けれど夫は、小さい人たちをからかうことが好きなので、帰宅して、二人に会うなり、「うわ。どうしよう。お年玉のお金もポチ袋も、持って帰ってくるの忘れてしもうた。二人とも、悪いけど、今回は、お年玉なし、でも、ええか?」と訊く。

 たるるとかるるは、「えー!」と驚く。夫はさらに「うーん。なんとか、一人千円ずつなら財布にあるけど、この機会に、今年から、二人とも、お年玉千円ずつでええじゃろ?」とたたみかける。二人は「ええー!」「だめー!」と抗議する。「だって、もう、三千円もらえる思うて、計算して、買いたいもの決めとるんじゃけん!」ということらしい。

 それから少し時間がたってから、夫は、「お金はおろしてきた。二人にお年玉を選ばせてやろう。ひとつは、中身が三千円と決まってるやつ。もうひとつは、三つの中から一個だけ選ぶやつ。三つの袋の中には、千円、三千円、五千円、のどれかが入っとる。運がよければ、五千円の大金が入る可能性もあり。でも、千円しかもらえん危険性もある。予定通りの三千円になるかもしれん。そういうくじ引き制じゃ。さあ、どっちがいい?」と二人に言う。

 たるるは手堅い堅実くんで、「僕は、三千円、ってわかっとるのが、いい。」と言う。かるるは猪突猛進くんなので、「ぼくは、くじ、したい! 五千円をあててみせる!」と鼻息を荒くする。

 夫は面白がりながら、私たちが寝る部屋で、ポチ袋を四個用意する。ひとつは、たるる用に三千円入れたもの。あとは、千円入り、三千円入り、そして「5000円」と書いたメモ用紙一枚入り。三つの見た目や厚みで中身がバレないように、夫は工夫するのだそうだ。一番軽くて薄いこのメモ入りを選べば五千円やろうではないか。しかし、かるるは、まだ半分サルなので、そこまでの知恵と勇気と気合はないやろう、と、夫は予想している。明日(元旦)が楽しみやな、と低く笑う夫。

 しかし、それから少しして、鼻息の荒いかるるが、「ぼく、もう、明日まで待ちきれんけん、まだ、明日まで三時間あるけど、お年玉選びたい。今選びたい。選ばせて!」と訴え出した。夫は「仕方ないなあ。」と言いながら、四つのポチ袋を居間へ持ってゆく。ひとつは三千円確定のたるる用。たるるは「ありがとう。」と堅実にお礼を述べて、予定の金額を重ねた。一方かるるは、「コタツの上の三つのポチ袋を、『触ってもダメ、透かして見てもダメ』という条件付きの中、テーブル水平ごしに見たり、立って上から中めたり、いろいろ観察してみる。「一番厚みがある分が、五千円じゃと思う。」と予想するが、「三千円は千円札三枚じゃけど、五千円は五千円札一枚なんじゃないんかのう。」という義父(かるるの祖父)の声に「はっ!」として「あ、そうか。えーと、じゃあ、どっちかが千円で、どっちかが五千円? 千円札と五千円札はどっちが厚いんじゃろう。えー、どうしよう。」と考えれば考えるほど、疑心暗鬼になるようで、「ほんまは(本当は)、ぼくのことだまして、空っぽと、千円と、三千円で、ゼロ円を選ばせようとしょうるんかもしれん。きっとそうじゃ。俺はだまされないぜ!」と、一番厚みのあるポチ袋に決定した。

「ええんやな? ほんまにそれでええんやな?」と念を押す夫に、「いい。これにする!」と叫ぶかるる。義母が「ちゃんとお礼を言わんにゃあ。」と忠告してくれるのを聞いて、素早く「ありがと!」と言いながら、ポチ袋の中身を確認する。

「うわ! やっぱり三千円じゃ。そうじゃ思うたー。五千円くれるわけない思うたもん。」
「残念やったな。実はこの中に、五千円と書いた紙が入っとったんで。勇気を出して、一番薄いこれを選んだら、五千円だったのになあ。」
「ええ? ほんまに、五千円、用意してくれとったん? うそじゃろ? これ選んでも、うっそー、なっしー、ただの紙ー、言うてなるんじゃったんじゃろ?」
「疑い深いやつやなあ。そんなに言うなら仕方ない。ほら、ちゃんとここに(郵便局の封筒を出して)、千円札を、もう5枚、用意しといたのになあ。」
「うわー、やられたー!」と叫ぶかるる。大笑いする兄と祖父母と伯父夫婦に囲まれて、悔しさで畳の上で転げまわる。

 ご先祖様。私たちに、このような、時をくださり、本当にありがとうございます。お年玉文化を、こんなふうに愉しむことができて、私たちは、この地に生まれ育ったことを、とても嬉しく思います。     押し葉

回転寿司の壁

 昨日の日記「気の合う話」に書いたお隣さんは、その後、大阪に引越していったため、現在は、たまに、メールのやりとりをしたり、年賀状を交換したり、している。

 今年の年賀状に、私が「今年の目標は、回転寿司で、夫婦二人で15皿の壁を超えることです(赤だし等の単品含む)。15皿の壁はなかなかに厚いです。でも無理しない程度で頑張ってみます。」と書いたら、元お隣さんが、お返事のメールを送ってきてくれた。

「我が家の目標は、大人一人、15皿以内に納めることです。単品は含みません。本当に15皿の壁は厚い!」」

 うわーん。同じ話題で、一見話が合ってるように見えるけど、やっぱりベクトルが逆向きだー。     押し葉

気の合う話

 以前、お隣に住んでいた人と親しくなり始めた頃のこと。食べ物を食べる量について話す機会があった。私はあまり大飯喰らいではないようで、外食の食べ放題サービスでは、まず勝利できない。たとえ量を自分としてはたくさん食べたとしても、そのときには、お腹の苦しさに敗北感を覚えてしまう。それに比べて、お隣の方は、「食べ放題で負けたことは一度もない。」というツワモノであった。

「私はどうもあんまりたくさん食べられないみたいで。外食のときも、よく、あーしまったー、また、ご飯少なくしてください、って頼むの忘れたー、って思う。」と言う私に対して、「わかるわかるー! 私もですー。外食の時、いつも、あーしまったー、また、ご飯大盛にしてください、って頼むの忘れたー、って思うんですー!」と、手を握る勢いで首を縦に振ってくれている。だがしかし、この人と私、今、すごく話が合っているみたいだけれども、でもなんか、ベクトルの矢印の向きが違う気がする。

 素麺をひとり一束(50g)ゆでようか、それとも二束(100g)ゆでようか、迷いに迷って、夫と二人で結局三束(150g)ゆでることにする私とは異なり、彼女は素麺は一人分6束(300g)ゆでるのだそうだ。ほんとはもっと、それ以上食べられるけど、気を付けて控えめにしているので、とも。

 なんだかよくわからないけれど、かっこいいなあ、と、うっとりした。     押し葉

ぱんつの行く末

 衣類には、毎日お世話になっている。その中でも、もっとも装用時間が長いのは、たぶん、ぱんつ(おしり用の下着)だ。

 お風呂に入るときにも、脱ぐのはだいたい最後だし、お風呂上りに着るのも、ぱんつが一番最初。トイレに行くたびに脱ぎ穿きするし。生地として伸び縮みする機会も、一番多いのかもしれない。そのせいか、他の衣類に比べると、消耗するのが、たぶん、早い。それでもいったん着心地よくなったぱんつは、その着心地よさゆえに、けっこう長い期間活躍する。生地が薄くなったり、ゴムがへろへろになったり、いい加減もう、いい加減にしようよ、と思うようになった頃には、もうかなり、くたくた、だ。

 くたくたになっても、そのままでは捨てない。ぱんつとしての活躍に、ありがとう、ご苦労様、と、ねぎらいの挨拶をしたあと、裁ちばさみで切る。ざっくりざっくりざっくりと。適当な大きさの布きれにしておいて、お風呂場(脱衣所)の棚の隅においておく。お風呂の排水溝の網目にたまった髪の毛を取るときに、この布で包み取る。自分の指で直接触るよりも気持ち悪くないし、きれいにとれるし、捨てるときにも指に髪の毛やねばねばが付かない。

 布がないときには、ティッシュペーパーを使ったりするけれど、なんとなくもったいなくて。口をふけるほどにきれいな紙(ティッシュ)で、排水溝をふき取ることもないかな、と。洗面台に髪の毛が落ちた時も、布きれでふきとる。元ぱんつがあればそれで、なければ、いろいろ、元パジャマとか、元Tシャツとか。

 台所にも、元シャツ系の布きれを置いておく。食事の後に、食器の汚れを、特に油汚れを、布で拭いてから食器を水で流す。布は新聞紙に包んで捨てる。けれど、元Tシャツくらいになると、肌さわりがとてもよくて、汚れ物拭きにはもったいない気分になる。それで、春先の花粉症の季節には、ティッシュペーパーの代わりに、この綿100%の布きれで鼻をかむ。すると、鼻が痛くならず快適だ。あるいは、切った布を何分の一かの大きさに折りたたんで、オリモノシート代わりにすると、ライナーかぶれをしなくてすむし、生殖器系が冷えず、ぽかぽかとあたたかくて快適。

 と、こんなふうに、大活躍の布ともなると、もともとは、「ティッシュがもったいないからティッシュの代わりにボロ布を。」と思って使っていたのが、いつのまにか、「布がもったいないからティッシュを使おう。」という気分になってくる。そのたびに、「いかん、いかん。ちがう、ちがう。」と、自分に言い聞かせる。「衣類をそのまま捨てるのが嫌で、はぎれにしたのだから、そのはぎれは、はぎれとして、ちゃんと使おうよ。」と。でも、うっかり、自分に言い聞かせるのを忘れると、もう着ない衣類をはぎれにすることすらもったいない気分になる。「この古Tシャツは結構いいから、いざ、という時のはぎれにするまで、大切にとっておこう。」なんてことを思うのだ。だから「いざ、ってなんだ!」「いざ、っていつだ!」という自分ツッコミは欠かせない。

 夫のパンツは、縦方向のシマシマ(ストライプというのかな)のトランクスなのだが、彼のパンツがそのお役目を終えるときには、「ぱんつ供養」なる儀式が執り行われる。へろへろのくたくたになった、既にかなりだいぶん前から充分に「元ぱんつ」と成り果てていたパンツの前に、正座して、両手を挙げて、両手をついて、「ご苦労様でした。ありがとうございました。」と、お礼を言うのだ。この儀式を終えて初めて、ちょきちょきと鋏を入れることが可能となる。そして、はぎれにしたならば、お風呂場(脱衣所)に。シマシマはぎれも、大活躍。

 元ぱんつも元シャツも、みんな最後までしっかりと、働いてくれて、ありがとう。     押し葉

コンドロイチン

 年配ご夫婦のお客様。声をかけてくださったのは、女性の方。「コンドロイチンちょうだい。」とおっしゃるので、「はい。コンドロイチンですね。お薬のものと、健康食品やサプリメントのものとございますが、どちらをお求めでしょうか。」とおたずねしてみる。

「薬よ、薬。」
「はい。では、こちらにどうぞ。」

 てくてくてく。医薬品のコンドロイチンコーナーに、ご案内する。

「これじゃない。こんなんじゃない。ちがうちがう。」
「えーと、お薬のコンドロイチンですよね。」
「ちがうわ。サプリよ。」

 さっき、薬や、いうたやん。と思いつつも、にこやかに、
「あ、サプリでしたか。失礼いたしました。では、こちらにどうぞ。」

 てくてくてく。サプリメントや健康食品のコーナーで、コンドロイチン製品を、いくつか手に取り、お見せしてみる。

「サプリメントのコンドロイチンは、いろんな会社が出してまして、容れ物の形も、こういう袋入りのものや、こちらのような瓶入りのものなどがあります。成分的にも、コンドロイチン単品のもの、他のものと混ぜてあるもの、いろいろです。お客様は、どのようなタイプをお求めでしょうか。」
「えー、なんか、こんなんじゃないわ。私らがいつも飲んでるのは、こう、壺に入ってるぶんよ。」
「壺ですか。ガラスの瓶ではなくて、プラスチックのボトルでしょうか。」
「そうよ。プラッチックの壺、壺。」
「でしたら、このあたりでしょうか。」

 と、心当たりのあるあたりの棚を、手でざあーっと、なぞってみる。

「あ。これ、これ!」と、お客様が手に取られたのは、「グルコサミン」。

「お客様。そちらはグルコサミンです。コンドロイチンではないんですが。」
「あ。いいの。いいの。コンドロイチンも買うけど、グルコサミンも買うんや。」
「グルコサミンもコンドロイチンも、別々に、両方ともお求めなんですね。」
「そうよ。いつも飲んでるコンドロイチンは、どこにあるのよ? いつも買って飲んでるのに、どうして私らのコンドロイチンがどれなんかおぼえてくれてないん?」

 そんなん、知らんがな、と思いつつ、

「いつもありがとうございます。プラスチックの壺のような容れ物に入ったコンドロイチンなんですよね。メーカーはどこのものか、あるいはシリーズ名か何か、ご記憶ではないですか?」
「そんなん知らんわ。」
「うーん。ではですね、壺の色や形や大きさは、いかがでしょう。」
「白っぽくて、でっぷりしてて。あ、これ、これ。あったわ、あった。ここにあるじゃない、コラーゲン!」

 ええええっ。コラーゲン?

「お客様。こちらは、コラーゲンなんですよ。コンドロイチンではなくて。」
「わははははー。私ら、もう年寄りやけんねー。自分が欲しいもんの名前も、すぐに忘れたり、間違えたりするのよー。これ、これ、コラーゲン。グルコサミンとコラーゲン。これでいいわ。」
「あの、コンドロイチンは?」
「私ら、コンドロイチンは、飲んでないから。買ったことないから。」
「そうですか。お求めのものがみつかって、よかったです。グルコサミンとコラーゲンとコンドロイチンは、なんとなく仲間ですもんね。うっかり間違えますよね。お体に合うものを、ぜひ続けてみてくださいね。ありがとうございました。」

 とは、言ってみたものの、「ううっ、おばちゃん、たのむわ。」と、こころの中で、かなり激しく、思った。     押し葉

伯母の電話

 年明けに実家で母と話していたら、母の姉(私の伯母)から電話がかかってきた。新年の挨拶と、昨年末に母が印刷して送った「みそ文」を読んで、その感想を連絡してきてくれたようだ。母が「ちょうど今ここに、みそもいるのよ。」と電話を代わってくれたので、私も久しぶりに伯母と話す。妹の結婚式以来だろうか。

「まあ。みそちゃん。みそ文は、たいそう面白いが。あんまり面白くて、気がついたら、三時間ぶっ通しで、読んじょったが。」
「おばちゃん。ありがとう。でも、三時間ぶっ通しでなくても。ちょびっとずつ読んでくれたら。」
「それが、みそ文は、一個一個のお話しが短めだが。それで、ついつい、あともう一個、あともう一個、と思いながら読んだら、三時間経っちょったみたいだわ。」
「みそ文を印刷したものは、文字が小さいけん、目を休ませながら読んでくれたほうがいいと思う。」
「今度は、そうするわ。でもね、これまで、なんだかもうひとつよくわからんなあ、と、ずっと思ってたのに、みそ文を読んだら、薬剤師がどんなことをする仕事なのかが、よくわかって面白くてねえ。」
「薬剤師にも、いろんな仕事があるけんねえ。」

 それから、また、母に受話器を渡し、母が伯母と話した。伯母は、「久しぶりに大量の活字を読んだら、くたびれてしまって、今回の年末年始は息子達(私にとっては従兄たち)家族も帰ってこないのをいいことに、ずっと寝正月しとった。」のだそうだ。おばちゃん。そんな、寝込むほどに、読み込まなくても。

 その後、母は、「私が、9月、10月、11月分と、3か月分まとめて送ったのがいけんかった。今度から一か月分ずつ送ることにする。」と、反省していた。

 それでも、いくつになっても、何かに対して、「ああ、そうなのか!」「わかった!」「面白い!」と感じることは、とても大切なことであるような気がするし、「みそ文」がそういう部分でのお手伝いをできるのは、とても嬉しいことである。

 けれども。特に、高齢読者に告ぐ。寝込むほどの、過去記事一気読み禁止。たとえ、明日をもわからぬ命であろうとも、どうか気合いを整えて、体調を整えて、長生きをして、少しずつ、読んでくださいますように。     押し葉

休憩の魔力

 昨日の日記「いつも空室」を読んでくれた友人が、すかさず、拍手コメントを送って来てくれた。書き出しは「わかるー!」となっている。それによれば、その友人も、自分が小さい子どもだった頃、「休憩」という文字に、とても心惹かれていたのだそうだ。その、なんとなく「ちょびっとだけ」なかんじが、なんだか「たまらないお楽しみとくつろぎ」のような気がしていたらしい。そのイメージは、それはそれで、間違ってはいない、ような気はするが。

 それで、小さい頃の友人は、家族で出かけるたびに、ご両親やお姉さんに、「泊まるんじゃないんだからいいじゃん。休憩くらいしていこうよ。」と、ねだっては、受け流され、どうして連れて行ってくれないんだろう、と、いつも不満に思っていたのだそうだ。

 しかし、その友人も、今は男子二人の母。上の男子は、すでに、漢字で「休憩(きゅうけい)」が読めるので、出かけた先でこの文字を見つけると、「お母さん。休憩したい。疲れた。」とリクエストするのだそうだ。下の男子は、「休憩」はまだ読めないが、「空室」なら読めるので、「お母さん。くうしつ、いうことは、空いてる、いうことやろ。空いてるんなら、入れるやん。」と言ってくる。

 そして友人は、息子達の言葉を、全力で、受け流しているらしい。     押し葉

いつも空室

 あれはたぶん、私は高校生か大学生で、五つ年下の妹は、まだ小学生か中学生だったのだと思う。母が運転してくれる車に、私と妹が乗っていて、どこかからうちに向かう、帰り道の道中。

 妹が、窓の外を指差しながら、嬉しそうに、いいことを思いついたときの顔をした。
「ねえねえ! うちんがた(うちの家)はけっこう広いけど、うちんがたに全員泊まりきれんくらいに、たくさんのお客さんが来ちゃった(来られた)ときには、ここの旅館に泊まってもろうたらええね。ここ、いっつも『空室』いうて看板が出とるけん。安心じゃね。」

 空室看板の旅館とは、いわゆる、ラブホテル、出逢い茶屋。国道から少し奥まったところに建物はあるらしいのだが、看板だけは、国道沿いにいつも出ていて、夜になるとちゃんと電気がつけてあって、看板の「空室」の文字が、暗い中でも、はっきりと見える。

「ほんとうじゃね。いっつも空室じゃね。でも、お客さんに泊まってもらうのは、ここよりも、もっといいところにしてあげようね。」と、母が笑いながら、妹に言う。

 妹は、「ここよりもいいところって、どこ? だって、ここの旅館なら、うちからもそんなに遠くないし、いっつも空室があるくらいに部屋がいっぱいあるんじゃろ。じゃあ、うちんがたも、ここよりもいい旅館も、全部いっぱいになって困ったときには、あぶれた人はここに泊まってもろうたらええね。」と、算段をする。さらに、「ほら。宿泊だけじゃなくて、休憩だけでもいいんてよ(いいんだってよ)。すごいいいじゃん。便利じゃん。」と、気に入った様子だ。

 その後、数十年が経つが、私の実家に来た人を、この、いつも空室があるホテル、にお泊めする機会は、まだ、ない。     押し葉

外国語はわからない

 年の頃は、大学生くらいだろうか。若い男の人と、そのおばあちゃんなのだろうなあと思われる女性との、お二人連れでのお客様。おばあちゃんのお買い物に、お孫さんがついてきてくださっている感じ。おばあちゃんは、買いたいものがいろいろとおありのようで、買うものを箇条書きにしたメモ用紙を握りしめながら、これと、それと、あれと、と、ゆっくりながらも確実に、買い物かごに入れてゆく。「お。そうそう。アリナミンも買うんや。」と言うおばあちゃんと一緒に、お孫さんと二人、錠剤のアリナミンコーナーの前に立つ。しばらくして、お孫さんが、私に声をかけてくださる。「すみません。アリナミンAとアリナミンEXは違うものなんですか?」

「はい。どちらも、ビタミンB1、B6、B12配合剤なのは同じなんですが、あえて使い分けるとすれば、Aのほうは体全体がなんとなく重いような疲れたような感じのとき用で、EXのほうは特に目や肩や背中や腰がひどく疲れた感じのとき用です。EXのほうがより強力なかんじ、と思っていただければよろしいかと。」
「ほら。ばあちゃん。やっぱりちょっと違うものなんやて。ばあちゃんが飲んでるのは、Aなんか?EXなんか?」
「私は、外国語はわからん。アリナミンいうのは読めるけど、その後に書いてある外国語は、読めんし憶えられん。」
「ばあちゃん。そうは言うても、憶えとかんと、自分が要るものが買えんやん。」
「私は日本語しかわからん。」
「じゃあ、ばあちゃん。家で飲んでるアリナミンの後に書いてあるは、こういうバツ(×)みたいなんやったか? それとも鉛筆の先みたいにとがってるやつ(Aのことか)やったか?」
「わからん。憶えとらん。中身は黄色い粒じゃった。」
「ああ。お客様。実は、こちらは、両方とも、黄色い粒なんです。そして両方とも、透明の瓶に入ってるんです。」
「ばあちゃん。両方とも黄色いんやって。いっぺん家で見てから、どっちか確認してから、また買いに来たほうがええと思う。」
「あ。じゃあ、お客様。こちらの箱を開けたときの、中身の写真ならあるのでお持ちします。一応ご覧いただいて、もしもそれで思い出せそうでしたら。」
(と、タケダ製品一覧集を持ってきて)
「こちらの写真がアリナミンA、で、こちらがアリナミンEXです。どうでしょう? ご自宅でお使いのものと同じかどうかわかりそうでしょうか?」
「わからん。」
「やっぱり、ばあちゃん。家でいっぺん見たほうがええって。」
「そうですね。せっかく、今お飲みのもので調子がよいようでしたら、ぜひそれで続けていただいた方がいいですし。」
「でも、私は、アリナミンを買って帰らんと。」

 と、おばあちゃんは、なんとか今日のうちに、アリナミンのお買い物を済ませたいようである。しかし、求めるものが明確でないお買い物は難しい。

 ここでお孫さんが、「ばあちゃん。またちゃんと連れてきてやるし、俺の車で乗せてきてやるから、今日はアリナミン以外のものだけにしといたら?AなんかEXなんか、家に帰って、俺が見てやるし。」と、提案してくださる。おばあちゃんは、とても安心した様子で、そして、とてもうれしそうな様子で、「ん。じゃあ、そうする。」と応えられる。

 おばあちゃんにとっては、お孫さんの車に乗せてもらって買い物に出かけるということは、きっととても楽しみで、貴重なひと時なんだな。また再びその機会を得られるのなら、お買い物を延期してもいいくらいに。そして外国語がわかる賢いお孫さんのことが、とても誇らしいに違いない。     押し葉

闘う男児

「きず薬を探してるんですけど、どれがいいでしょうか。」というご相談を受ける。

「どこが、どれくらいの、傷になってますか?」と、おたずねしてみる。
「もう、ほんの、少し、なんですけど、けっこう、ちょこちょこと、あちこち、再々なので、常備薬に持っておきたいんです。」

「それでしたら、軽い抗生物質入りの、炎症を和らげる効果と化膿止め効果のある軟膏が便利でしょうか。」と、「ドルマイシン軟膏」という商品をお見せしてみる。「傷だけでなく、ちょっとしたやけどでも、できものでも、夏場のトビヒにも、お使いいただけます。」
「虫刺されにも使えますか?」
「もちろん使っていただいていいんですけれど、痒み止め成分は入ってないので、痒みはすぐには止まりません。まず痒み止めを塗ってから、こちらの軟膏を重ね塗りしていただければ、虫に刺された痕の腫れがはやくひきますね。」
「うーん。他に何か、もう少し、気軽なかんじのってありますか?」
「気軽なのがよろしければ、オロナインでもいいですし、メンタームやメンソレータムでもいいんですけれど、スースーするのは?」
「スースーはだめですね。でも、オロナインでは、ちょっと頼りなくて。」
「では、こちらはどうでしょう。私が個人的に好きな軟膏なんですけど。アロエ軟膏です。ワセリンにアロエエキスを練りこんであるだけの、簡単な内容なんですけど、結構頼りになるんです。スースーしませんし、傷にはもちろん、やけどにも、痔にも、ひびにもあかぎれにも、打ち身にも使えます。気軽にちょいちょいと塗ってください。」
「さっきの化膿止めのよりも、こっちのほうがいいですか?」
「塗る回数少なくて、早く効くかんじがするのは、ドルマイシンのほうかもしれませんが、小さなお子様は、自己治癒力がしっかりしてますから、そんなにしっかりした薬でなくても、何かちょびっと助けてやるだけで、すぐにきれいに治りますよ。症状が気になるときには、ちょっとこまめに、回数多めに塗れば、十分効きます。大丈夫です。」
「そうですよね。今回の傷は、ほら、ちょっと、見せてみねって。」と、お子様の肘を持って、見せてくださる。
「ああ。ほんとだ。軽い擦り傷ですね。でも、もう、かさぶたもきれいにできてますし、これならすぐによくなりますね。」

 すると、お子様(男児)(推定四歳)が、「ここだけじゃない。ここもっ。ここもっ。」と、やや誇らしげに脚の方を指差す。
「そうなんです。肘の他にも、膝のところも、同じかんじの傷になっちゃって。」と、お母様と思われる女性の方。

 あらあら。ほんとあちこちですね。と思いながら見ていたら、「たたかった!」と、お子様が力強く言う。

 たたかった?
「ああ。闘ったんですね。それは、がんばったんですね。」
「みずきくんとたたかった!」
「そうですか。みずきくんと闘ったんですか。たいへんでしたね。」
「そうなんですよ。みずきくんと闘って、しかも、あっけなく負けてしまったから、余計に痛く感じるみたいで。」
「ああ。そんなもんかもしれませんねえ。」
「これにします。アロエ軟膏にします。ドルマイシン軟膏は、6gでこの値段だけど、アロエ軟膏は、15gも入ってて500円しないってとこが気に入りました。」
「そうですか。ぜひ、どうぞ、お試しください。もしも、これからも、ちょくちょく、闘いがあるようでしたら、傷になったら、すぐに水で、砂や埃を洗い流して、アロエ軟膏を塗ってくださいね。それと、もしも、今後の闘いで、傷以外にも、パンチとか、キックとか、転んだりとかで、打ち身になったときにも、アロエ軟膏塗ってください。」
「まちがいなく、やります。ちょっとしたことは、とりあえず、これ塗ります。塗らなくてもいいくらいなんでしょうけど、塗ると納得する、というか、気分的に落ち着くみたいなので。」
「ぼくの? ぼくのくすり?」
「そうそう。あんたが闘うからね。」
「ぼくの! ぼくのくすり!」

 なんだかとっても嬉しそうだ。ありがとうございました。

 男児というのは、みずきくんとも、世の中のいろんなものとも、闘わなくちゃならなくて、何かとたいへんなものなのねえ。がんばれ、男児。がんばれ、アロエ軟膏。     押し葉

温泉入浴の撮影

 実家に帰省したときには、母と一緒にお風呂に入る。

 二人とも、背中のある一ヶ所に、「痒い場所」を持っていて、互いに背中を洗い流しあいこしながら、この「痒い場所」を入浴用タオルでこする。背中全体を広く洗い、「痒い場所」は小刻みに刺激する。「気持ちいいねえ。」「甘露だねえ。」「極楽。極楽。」「くう。たまらん。」と言い合いながら。自分で洗ったときとは異なる、きゅるきゅるとした洗い上がりにうっとりする。二人で湯船に浸かって、よくあったまってからあがろうね、と話していたら、母が、「そういえば、知ってた?」と私に聞いてきた。

「何を?」
「テレビの温泉番組なんかで、お風呂に入る仕事をする俳優さんや女優さんがおってじゃろ(いらっしゃるでしょ)。」
「うん。私は特に女優さんは、なんでちゃんと肩までお湯に入らんのんかと思うんよ。以前みそ文にも書いたけど(「肩までお風呂」)。」
「あれね。ああいう仕事は、何回も何回も撮りなおしたり、日によっては何ヶ所も、お風呂に入らんといけんじゃろ。そうしたらね、肩までお湯に浸かってしまうと、すぐに疲れて仕事ができんようになるんだって。じゃけん、肩まで入らずに、胸より上は出しとくんと(出しておくんだって)。そうせんにゃあ、仕事が数こなせんけん、言うて、テレビで話しょうちゃったよ。」
「へえ。そうなんじゃ。なるほどね。私、今まで、なんでちゃんと肩まで入ってぬくもらんのんじゃろう、と思って、テレビで温泉に入ってる女優さんに向かって、内心いつも説教してたけど、もう説教せんでええんじゃね。」
「そうよね。でね、胸より上をお湯から出しとくのもそうじゃけど、両腕もね、お湯の中に浸けてしまうと、すぐに疲れてしまうんだってよ。じゃけん両腕もお湯から上に出しといて、こう、お湯の上を泳ぐようにゆらゆらさせてみたり、お湯をすくって肩にかけたりしとくんじゃ、いうてようちゃったわ(と言っておられたわ)。」
「そうなんじゃ。いろいろちゃんと理由があったんじゃね。よかった。これで、無駄に立腹して説教しなくて済むようになるよ。」
「あんたは、へんなことで腹立てたり、文句言うたりするけんねえ。余計なことで腹立てんさんなや(腹立てないようにしなさいよ)。」

 母は娘に、腹を立てなさい、と言ってみたり(「おでこ自慢」「立腹発露の道」)、腹を立てるのはやめなさい、と言ってみたり、いくつになっても、いろいろと、教育をするものなのだなあ。     押し葉

立腹発露の道

 昨日の日記「おでこ自慢」で、夫の足裏によって、私のおでこが踏まれた事件を書いたところ、それを読んだ実家の母が、拍手コメントを送ってきて、こう書いてくれていた。

「もっと腹を立てなさい!」

 そうだったか。あれは、立腹すべき事件だったのか。立腹というのは、なかなかにタイミングが難しい。今更あの日の「おでこ踏み」を、夫に訴えて暴れるのは遅すぎるし。夫も自分のしたことに、たいそうびっくりしていたし。踏んだというよりも、ちょっと謝った部位を使ってスキンシップしてしまった、というかんじであったし。

 ともあれ、いろんなことを、特に立腹関係は、その場で瞬時に速やかに発露したいものであるのだが、そう願い続けて数十年、いつ何時でも立腹発露達人の域に辿り着くのは、いつのことになるのだろう。どうかできれば、生きてる間でありますように。     押し葉

おでこ自慢

 ある夜、お風呂あがりのほてった体をさまそうと、お布団の上に、大の字で、仰向けになって寝転んでいた。そうしたら、お風呂をあがって寝室に入って来た夫が、通りすがりに、ふと、私の「おでこ」の上に、彼の足の裏を、ぴたあっ、と、のせてきた。

 自分のおでこに誰かの素足が乗ってきたのは初めてで、おそらく生まれて初めてで、ずいぶんと驚く。「な、な、なんで、踏むの?」と、一応夫に尋ねてみる。

 私の驚く様子を見て、夫も自分の所業にびっくりしていた。そして、「い、いや。あまりのおでこの立派さについ」と、言い訳のような説明をしてくれた。
 
 誰かのおでこが立派でも、人は人のおでこは、踏まない方がいいとおもう。     押し葉

ラブラブホテル

 年末年始に帰省した実家で、自分の荷物を整理していたら、傍らで、姪っ子のみみがーが、私の荷物を見ては、これなに? それなに? と質問してくる。
 ビニール製の巾着袋(ホテルや旅館で歯ブラシやタオルなどを入れて用意してある袋。それをもらって帰って再利用している)には、石けんや歯ブラシや歯磨きなどをまとめて入れているのだが、それを見つけたみみがーが「みそちゃん。みそちゃんは、どうやらくん(夫)と二人だけで、ホテルに泊まったこと、あるん?」と、訊いてくる。

 それはまあねえ。夫婦だし。二人とも旅が好きで、あちこち旅行に出かけるし。外泊は多いほうかもしれないねえ。二人とも、できれば野宿ではなくて、できれば車中泊ではなくて、ある程度、清潔な部屋の、清潔なお布団で、眠りたい欲望があるからなあ。
 と思ったから、「うん。あるよ」と応えたら、みみがーは、自分の両腕を自分の胸の前でぎゅっと抱きしめるようにして、「きゃあっ。アイラブユウ!」と、やや叫び気味に声を出して興奮。

 ひと昔前の言い方であれば、「うわあ、ラブラブー」「ひゅーひゅー、アツイねー」などと言って、はやしたてる文化があったものだが、あれに似ているのか?それの現代小学生版、なのか?

 その後、他にも、なにかというと、「みそちゃんは、どうやらくんと二人で」の質問をしてきては、飽きることなく、「きゃあっ。アイラブユウ!」を繰り返す。なんだか「アイラブユウ」の念を大量に浴びた気分だ。

 おかげさまで、基本仲良く、概ね夫婦円満に、暮らしております。ありがたや。     押し葉

目玉みくじ

 十二月の中頃に、夫が映画「ゲゲゲの鬼太郎」を観に行った。そのときに、鑑賞に来た人たちに、配られた手土産を自宅に持ち帰ってきて、私に見せてくれた。一見ただの「目玉おやじ」のおもちゃなのであるが、夫が片手でしゃらしゃらと音をたてて「はっ!」と言うと、目玉から黄色い札が出てくる。よく見ると小さな赤い文字で「大吉」と書いてある。なんと「おみくじ」だったのか。
 夫は何度も、しゃらしゃら「はっ!」を繰り返しては、黄色い札を見せてくれるが、出てくる札は毎回「大吉」。私が「ねえ。どうやらくん。これ、大吉、しか入ってないん?」と訊くと、「いいや。そんなことはないはず。中吉も小吉も入っているはず。ほら」と言って、また、しゃらしゃら「はっ!」としてくれるが、またもや「大吉」。まあ、大吉続きででよかったね。

 「でも、こんなもんどうせい言うんや。要らんやろう」と夫が言うので、「あ。じゃあ、ゆなさん(義妹。弟の妻)に、あげていい?」と尋ねてみる。

「いいけど、なんで?」
「ゆなさんね、みくじ好き、なんだって」
「はあ? みくじ好き? そんな人が世の中におるんか?」
「うん。おみくじのためにお参りに行くくらいらしいよ」
「ふうん。まあええけど。好きな人がおるならあげて」

 ということで、目玉おやじのおみくじは、広島帰省したときに、実家でゆなさんにプレゼントすることにして、帰省の荷物に同梱した。

 実家に着くと、実家には、ゆなさんと、むむぎー(甥っ子)と、みみがー(姪っ子)の三人だけ在宅中で、両親と弟は外出中であった。さっそく、「ゆなさんにお土産がある」と言って、目玉おやじを取り出す。子どもらが「あー! 目玉おやじじゃー! なんで、みそちゃん、これ持っとるん?」と聞いてくるので、「どうやらくん(夫)が映画を見に行って、もろうてきた(貰って来た)」と説明する。「えー? なんで、目玉おやじ、お母さんにあげるん?」とも聞いてくるので、「ゆなさんが、おみくじ好き、じゃけん」と説明。
 そこで、むむぎーが、「あ! ほんまじゃ。何か中に入っとる。!」と言って、構造を確かめる。みみがーは、「えー? お母さん、おみくじ好きじゃったん?」となぜか問い詰める。ゆなさんは「そうよー。好きよー。でも、そんな話ししたの、ずいぶん昔のことなのに、おねえさん、ようおぼえとってじゃ」と感心する。むむぎーとみみがーが「お母さんが、おみくじ好きって、知らんかった!」と初めて知る情報に興奮する。
 むむぎーは、目玉おやじをしゃらしゃら振って、「ほっ!」と言いながら、黄色い札を出す。札の文字は「地獄」。

「え? 地獄なんてあった?どうやらくんがした時には、大吉しか出てこんかったけん、このみくじは、めでたいことば限定みくじかと思っとったのに」
「おねえさん。それじゃあ、みくじにならんじゃないですか」

 むむぎーは引き続き、しゃらしゃら、「ほっ!」。何度も「ほっ!」「ほっ!」を繰り返して繰り返して、「みそちゃん。ぼく、何回やっても、地獄ばっかりじゃ。これ地獄しか入ってないん?」 と訊いてくる。「小吉も凶」も通り越して、地獄を当てるあたりが、さすがむむぎーじゃね」とゆなさんが感心する。

 みみがーが「私にやらせて!」と手に取り、しゃらしゃら、「ほいっ!」。
「やったー!地獄じゃない!」と喜ぶ札は「小吉」。
「へえ。ちゃんと、小吉もあったんじゃ」と、少なくとも、大吉、小吉、地獄、の三種類の札が別々にあることに、私は納得し安心する。

 「ぼく、もう一回する!」と、むむぎーがまた、しゃらしゃら、「ほっ!」。出てきた札はまた「地獄」。

 「ね。ゆなさん。これでいつでも、みくじ、引き放題じゃろ」と言ってみる。「おかあさん。おみくじ好きなら、いつでも引けるけんよかったね」と、子どもたちも言うが、相変わらず二人で、目玉おやじを取り合って、しゃらしゃら、「ほっ!」、しゃらしゃら「ほいっ!」を繰り返す。
 ゆなさんは、「おねえさん。ありがとうございます。この調子だと、いつ私の手元にまわってくるか、あやしいですけど」と子らを見守る。

 その日の夜。仕事から帰って来た弟にみみがーが、「おとうさん! おかあさんは、おみくじが好きなんじゃって!」と報告する。弟は「ほうで(そうだよ)。おかあさんは、みくじ好きで(みくじ好きだよ)」と応える。するとみみがーは、「じゃあ、なんで、おとうさん、今まで、おかあさんがおみくじ好きって、私らに教えてくれんかったん? 私全然知らんかったんよ! なんで、もっと、おかあさんに、おみくじ買ってあげんのん?」と訴える。

 「なんで」と言われてもねえ。みくじ趣味は、あんまり普段、日常会話に出てこないしねえ。おみくじは、買ってプレゼントしてあげるものでもないらしいし。
 弟夫婦が新婚の頃、ゆなさんの「みくじ好き」を知ったときに、私も弟も妹も、「じゃあ、今度から旅先では、ゆなさんに、おみくじをひいて、お土産に持って帰ってきてあげる」と言ったけど、ゆなさん本人が、「いやいや。みくじは、自分でひかんと意味がない。たくさんある中から自分でひくけん、おみくじはええんじゃん」と言うから、「じゃあ、一本じゃなくて、六本くらい買うて来ちゃるけん、その中からひけえや」と、弟も私も妹も提案してみたけれど、「それもダメ」と、ゆなさんが言うから、なるほどね、現地で自費でひくからこそ、みくじのエンターテイメント性があるのね、と、きょうだい三人納得したのだ。

 だからみみがーも、父を責めずともよいし、みくじ好きの母のために、母の代わりにみくじをひいて、持って帰ってあげなくてもよいのだよ。     押し葉

鼻腔拡張テープその後

 私の勤務先での仕事の連絡書類に、「鼻腔」と書いてあるべきところが、「鼻膣」と書かれていた話を、少し前に書いた(「鼻腔拡張テープ」参照)。しかし、私の職場では、この誤字について気にする人が、私の他にはいなくて、店長は「まあまあ、気にせずに」と私をなだめてくださるし、同僚の薬種商のおじちゃんは「字が小さくて老眼鏡をかけても違いがよく見えない」とおっしゃるし、ビューティーカウンセラーの女性は「言われたらガックリするけど、言われないとわからない」と言うしで、なんだか私一人が怒りん坊な気分であった。

 しかし、その日記を読んでくださった方の中には、「その誤字はひどい!」と同意してくださる方もいて、「そうよね、そうよね、そうだよね」と、心強く感じたことであった。その方がくださった感想に、「お客様から指摘されて気がついたのではなくてよかったですよね」ということが書いてあり、「うん、うん、ほんとうにねえ。でもまあ、仕事関係の書類がお客様の目に触れることはないから、大丈夫なんだけどね」と安堵して、ふと、「いや、待てよ。書類は大丈夫だけれども、売り場のPOP。たしか、テープで鼻腔を拡張! と書いてあったぞ。もしかして、あの腔の字も、間違いで、膣(ちつ)と書いてあったか?」と、心配になり始めた。「いや、でも、売り場作成の時点で、私の誤字センサーが作動しなかったということは、正しい表記だったということか? ドキドキするよう」と思いながら、次の出社日に、そそくさと、売り場のPOPを確認してみた。

 結果からお伝えするなら、概ね問題はなかった。概ね問題はないのだが、しかし、これは、いかがなものか。

「テープで鼻こうを拡張!」

 「鼻腔」の「腔」が平仮名。なぜ、どうして、ひらがな。まがりなりにも薬屋としては、鼻腔の腔の字くらいは、漢字で表記したいのだが。本部でPOP作成していて、「腔」と「膣」の、見分けも、使い分けも、わけわからなくなってしまって、ええい、いいや、平仮名にしちゃえ! になったのだろうか。気になるけど、気にしない。気にしない。がんばる。     押し葉

聞き間違い道

 年が明けてから、広島の実家で、みんなで食事をしていて、おかずもご飯も一通り食べて、なんとなく、ほうっとしたかんじになったので、私が、「ねえ。みんな。アイスがあるよ」と声をかけた。私が買い込んできたハーゲンダッツのアイスクリームが、冷凍庫に貯蔵してあったのだ。
 すると、隣の席に座っていた義妹(弟の妻)のゆなさんが「え? お姉さん、どうかしちゃったんですか? なんかあったんですか?」とわたしに訊く。

「え? どうって? なにが?」
「だって、おねえさん、みんなに挨拶がある、言うてじゃけん」
「挨拶?」
「今さっき、みんな、挨拶があるよ、って」
「ゆなさん。挨拶、じゃなくて、アイス。アイスクリーム。ハーゲンダッツ。買うて来たけん」
「あれ? あいさつ? アイス? アイス、でしたか。あはははは」

 私も、この手の間違いに関しては、才能に恵まれているほうだと思っていたが、もしかすると義妹には、少しだけ負けるかもしれない。     押し葉

読み間違い道

 広島帰省時の手土産は、和菓子にすることが多い。今回は、生協さんのカタログから、中村屋の「うすあわせ」という、パイ饅頭三種のあんこセットを選んだ。どちらの実家でも「おいしい!」と好評で、よかったよかった、であった。

 私の実家には、弟夫婦用にひとつと、両親用にひとつと、妹夫婦用にひとつ、合計三個、用意する。両親用のお菓子は、まずお仏壇にお供えして、お仏壇に手を合わせる。道中の無事をありがとうございました。おかげさまで、無事に帰ってくることができました。また、これからも、どうぞよろしくお願いします。と、ご先祖様にご挨拶する。

 弟夫婦用のお菓子は、むむぎー(甥っ子)が「今食べたい!」と、すぐに開けて、いっきに二個食べた。ほう。そんなにおいしかったのなら、よかったね。ゆなさん(義妹。弟の妻。むむぎーの母)が、「よかったら、うちに頂いた分、おねえさんも食べちゃったら」と、菓子箱を持って来て、奨めてくれたので、「いやいや、お仏壇にまだあるんよ。それは、ゆなさんちで子ども達と食べて。じゃあ、私は、お仏壇のお菓子をおろしてきて、開けようかしらね」と、お仏壇のある和室に行こうとしたら、みみがー(姪っ子)が、「私も一緒に行く!」と、はりきってついて来て、一緒に座って手を合わせる。目を開けて、お菓子の箱を手に取る。みみがーが、ふと、おもむろに、「ねえ。みそちゃん。かっぱら、って何?」と聞いてくる。

「かっぱら?」
「うん。かっぱら」
「うーん。私が知ってる言葉の中で、その音に一番近いのは、かっぱらい、なんじゃけど」
「かっぱらい、は、何?」
「えーとね、人が持っているものを、素早く盗んで行くことを、かっぱらい、って言うんよ」
「うーん。やっぱり、かっぱらい、とは、違うと思う。だってね、かっぱら、っていうのはね、みそちゃんがくれたお菓子に、そう書いてあったんじゃけん」
「ええ? このお菓子に、かっぱら、って書いてあったん?」
「うん。私、さっき、見たもん。おにいちゃんが食べようた(食べていた)のが、かっぱら、じゃったもん」
「うーん。それは、どれじゃろう?」
「こっち、こっち」

 と、みみがーが誘導してくれる居間に戻り、既に開いている菓子箱の中のひとつ(一列)を指さして、「ほら、これ、見てみて」とみみがーが言うところを、見てみる。

「ねえ、みみ。これは、かっぱら、とは、書いてない、と思うんよ。もう一回、ゆっくりでいいけん、落ち着いて、字を一個一個、読んでみんちゃい」
「これよ。かっぱら。いいよ。読んであげる。聞いとってよ。か・ぼ・ち・や・あ・ん。あれ? かぼちゃあん、って書いてある。かっぱら、じゃない」
「そうみたいじゃね。かぼちゃあんの意味はわかる?」
「うん。かぼちゃのあんこじゃろ?」
「そうそう」
「なんで私、かっぱら、って、思うたんじゃろう」
「それはね、読み間違い、じゃね。言い間違いや、聞き間違い、の仲間で、読み間違い、っていうのも、あるんよ」

 世の中には、いろんな間違いがあるけれど、この手の間違いは、芸としては悪くないと思うよ。     押し葉

言い間違い道

 今回の年末年始帰省の手土産は、中村屋のパイ饅頭にした。さつまいもあん、かぼちゃあん、あずきあんの三種の詰め合わせ。そのお菓子の名前は、薄めのパイ生地の軽い口あたりにちなんでなのか、「うすあわせ」であった。

 受け取ってまもなく、いっきに二個食べた甥っ子のむむぎーが、「みそちゃん! この、ふしあわせ、おいしい!」と、うれしそうに言う。

 うーん。むむぎー。菓子の名として、手土産の名として、「ふしあわせ」というのは、いかがなものであろうか。     押し葉

ちびちゃん禁止令

 ときどき、「うちの子の、下の子の、ちびちゃんの方の薬を買いに来た」とおっしゃるお客様の接客をすることがある。

 薬の種類や服薬量の選択および確認のために、「お子様は何歳になられてますか?」と訊いてみるのだが、「ちびちゃん」は十八歳や二十五歳や、ひどいときには、三十七歳や四十三歳だったりする。

 末っ子を愛でる親心はわからないではないが、医薬品選択の場においては、十五歳以上に対する「ちびちゃん」の呼称は禁止だ。     押し葉

かぶとむし

 年末年始に帰省した実家で、姪っ子のみみがーの部屋で二人でおしゃべりしていたら、ふと、みみがーが、「わたし、はいくで、賞、もらったんよ」と教えてくれる。

「へえ。はいく、って、五、七、五、の俳句?」
「そうよ。げいのうさいで賞状もらった」
「へえ。すごいじゃん。よかったね。俳句は、なんて、詠んだん?」
「かぶとむし、もらってこまる、ははのかお」
「わはは。それは、困るね、たしかに」
「わたしは、こまらんよ」

 そして、その夜、みみがーの母のゆなさんが、賞状の授与式の様子をビデオに撮影したものを、実家のテレビで見せてくれる。授与式が終了した後の画像には、縦に細長い色紙に毛筆で書かれた俳句たちが、芸能祭会場に展示されている様子。

 かぶとむし もらってこまる ははのかお

 ゆなさんは「ほんまにねえ、困るんですよ。カブトムシだけじゃないですからね。カタツムリやらなんやら、いろいろですからね」と回想モードに入る。

 母親も、カブトムシもデンデンも、みなそれぞれに、どうもありがとう。     押し葉

だしは大切

 年末から元旦まで、夫の実家で、いろいろと料理をするのだが、今回は、夫のリクエストにより、「鶏釜めし」と「豚汁」を作ることになった。
 お野菜類は買わなくてもたっぷりあるけど、肉類と油揚げとこんにゃくがないから、買い出しに出かけよう。せっかくだから出かけている間に出汁(だし)を取っておきましょう、と計画する。
 昆布と干しシイタケと、豚汁用に切った大根と人参と牛蒡と白菜とシメジを、鍋いっぱいのたっぷりの水につけてから、出発。
 最寄りのスーパーマーケットまでは、車で片道十五分かそれ以上かかるので、その往復と買物作業とを合わせると、一時間前後はかかる。ということは、その間に「いいだし」が出るはず。

 買い物から帰ってくると、予想通り、鍋の水は、いい出汁色に変身している。加熱して、さらにしっかり出汁を出す。その出汁だけを、計量カップに600ccくらいとっておき、あとでこれで鶏釜めしを炊きましょう、と、炊飯器の横に置いておく。
 残りの出汁には、豚肉と蒟蒻と油揚げを追加して、加熱して、灰汁をとり、味噌と白だしと牡蠣醤油とで味を調えて出来上がり。お昼御飯は、この豚汁と、炊飯器に残っている白いご飯でいいね、と、いうことにした。

 どうやらの実家では、私が何かを作る先から、義母が洗い物をしてくれる。ザルもボウルも鍋も。食後のお皿洗いも全部。「上げ膳で極楽なんじゃけん、洗い物くらいせんにゃあ、バチがあたる」と言って、義母はすべてを洗いあげてくれる。

 お昼ごはんを食べ終えて、美味しかったね、お腹いっぱいだね、の状態で、夫と、「じゃあ、夕ごはん用に鶏釜めしの準備をしようかな」「あの出汁で炊いたご飯なら美味しくなるな」と話していたら、母の「ありゃ!」という、驚いたような声が聞こえた。

「みそさん。もしかして、計量カップの中に、だしをとっておいたんじゃったん?」
「はい。そうですよー。炊き込みごはん用に」
「うわー、ごめんー。今、流しに捨ててしもうたー。じゃっ、って、したときに、あんまりいいにおいがしたけん、はじめて、出汁じゃいうて、気がついたが、遅かったわ。ごめんー、ごめんー」

 夫はショックのあまり、固まっている。私は、「うはははは。私も何も伝えてなかったし、ラップもしてなかったし、黙って置いとったけん、おかあさん、全部洗うてくれちゃった(洗ってくださった)んでしょ。すみません。ありがとうございます」と笑う。

 野菜エキスが染み出た濃厚な出汁ではなくなったけど、また、あらためて、昆布と干しシイタケで出汁をとり、その出汁で、鶏釜めしを炊きあげる。
 炊きあがった鶏釜めしも、もちろん美味しかったけど、炊ける最中の湯気の香り、たぶん牛蒡と油揚げと出汁の香りが、何とも言えずあたたかくて香ばしく、昼寝中の母は目を覚まして「いいにおいがしてきた」と言い、風呂上りの父もは炊飯炊きあがりのメロディを聞いて「炊けた、炊けた」と言っていた。

 家族みんなでいただく食事は、食事自体のおいしさもあるけれど、食事の用意が整う過程の、整うまでを待つ時間と、少し空腹で穏やかなこころもちが、特別なご馳走だ。     押し葉

鼻腔拡張テープ

 私の職場では、お店の、そして会社全体の、売り上げをよくするため、あるいは、売り場をより整えるため(これもやはり売り上げをよくするためなのだけれども)、ある程度定期的に、本部から各店舗に、「完全実施事項」という指示書が送られてくる。その内容は主に、季節の商品を目立たせる指示が中心となっている。

 今の季節なら風邪、そしてもう少ししたら花粉症の時期になるので、鼻の通りをよくして、呼吸をラクにする「鼻腔拡張テープ」の人気が高くなる。だから先日は、その「鼻腔拡張テープ」の場所を、主通路沿いの目立つサイドネット(各棚の横にある網状の壁)にするように、お客様によく見える形とするように、という内容の指示書が来た。
 指示書には、「鼻膣拡張テープのサイドネット展開の徹底。(POPはイントラからダウンロードしてください。)」と書いてある。この指示書を受け取ったとき、とっさに、「何かが違う!」と感じる。手書き文字の誤字脱字誤用法には寛容寛大な私だが、仕事の指示や連絡などの、特に活字の、誤字脱字誤用法には厳しい。自分だって誤字脱字誤用法しまくりなのは棚に上げて、厳しい。なぜなら、仕事におけるそういう間違いを見ると、どういうわけか、どうしても、私の志気が下がるから。
 とはいえ、仕事は仕事であるから、志気が上がろうが下がろうが、ちゃんとちゃんと指示書通り、鼻腔拡張テープのサイドネット展開はするとして、指示書に書いてあるPOPを、事務所のパソコンでダウンロードしなくては。

 事務所に出向いて、パソコンでダウンロードしたPOPを、プリンターで印刷して、ラミネートフィルムでパウチする。印刷を待つ時間とラミネートフィルムを待つ時間は意外と長い。その時間を利用して、私は店長に訴える。

「店長に言っても仕方のないことなんですが、さっきくださった本部からの指示書ですけど、この漢字、見てもらえますか」
「ん? 何か違ってますか?」
「今の季節展開するのは、鼻腔(びこう・びくう)拡張テープ、です。でもこの漢字は、鼻のあとが、腔(くう)ではなくて、膣(ちつ)、になってます。鼻膣(びちつ)拡張テープですか? 鼻には膣はありません!」
「あれ? ほんとだ。どはははは。まあ、先生、落ち着いて、気にせずに。この書類は、本部の○○さんの作成ですね」
「鼻腔を、鼻孔、だとか、備考、だとかの、同じ読みで変換し間違えた、というんなら、まだわかるんですよ。でも、ここで、この漢字を、打ち出そうと思ったら、鼻(はな)と膣(ちつ)とを別々に入力して漢字変換しないと出てこないでしょ。はなちつ拡張テープって、いったい何なんですか」
「まあまあ、気にせず気にせず」
「いいや。気にします。私は他のことは気にしませんが、こういうことは気にします。すみませんが、うるさいんです」
「うははははは。まあ、まあ、先生、うちの会社では、よくあることですから」
「知ってます。よくあることですが、これは見るに見かねました。聞いてくださってありがとうございました。じゃ、印刷もパウチも済んだんで、売り場に戻って作業の続きをします。あとで売り場チェックお願いしますね」
「はい。了解です。よろしくお願いします」

 まったくもう。漢字間違いひとつで、余分なエネルギーを消費してしまった。ま、いいか。ややお餅食べすぎで、エネルギーを余分に消費したいかんじだし。もしかして、私の余分なお餅エネルギーを消費することができるように、何者かが采配してくれて、こんな脱力誤字を見せてくれたのか。だとしたら、お天道さま、ありがとう。     押し葉

廻すカイロ

 私が働く職場には、高校生や短大生や大学生やその年頃のアルバイトくんたち(男子も女子も)がたくさん勤務している。

 先日もアルバイト高校生の女の子が、ぱたぱたぱた、と、小走りに近寄ってきて、「すみません。どうやら先生。お客様が、カイロまわしていいか、っておたずねなんですけど、カイロってまわしていいんですか?」と聞いてきた。その女の子の頭の中には、使い捨てカイロを指先に乗せて、皿回しのようにくるくる廻すお客様の姿が浮かんでは消え、混乱している様子がうかがえる。
 はいはい。お客様に詳しくおたずねしてみましょうね。と、アルバイトの女の子と一緒に、カイロ売り場のお客様のところに出向いてみる。お客様はだいぶ年配の女性の方で、「貼らないカイロ三十枚入り」を一箱片手に抱えて、「これは、くるくるまわしていいカイロやろ?」とおっしゃる。

「こちらのカイロは、貼らない、のほうなので、ノリが付いていません。なので、下着にペタっと貼ることはできませんが、大丈夫ですか?」
「ええんや。貼るのは、片面にノリが付いとるんやろ? ノリのついてないほうがええんや。ノリがついてないのやったら、くるくるまわしてええんやろ?」
「くるくる、ですか?」
「そうや。こうやって、腹巻に挟んで、お腹のところにあてたり、くるくるとまわして、腰のところにあてたり、また、くるくるまわして、脇腹にあてたりしてええんやろ?」
「ああ! はい。腹巻でもポケットでも、お好きな場所に、温めたいところに、順々にあててみてください。そのほうが低温やけどの心配も少なくておすすめです」
「それじゃあ、これと同じぶんの、小さいやつももらっていくわ。」
「小さいミニサイズの方は、三十枚入りがなくて、十枚入りになるんですけど、いいですかね?」
「うん、うん。小さいのは十枚あれば十分やわ」
「はい。ありがとうございます」

 お客様は、貼らないカイロ三十枚入りと、貼らないカイロミニ十枚入りをレジにお持ちくださった。高校生の女の子も、カイロがちゃんと腹部腰部脇腹と胴体周りを移動しながら活躍するイメージを正しく持てたようで、安心げな表情だ。

 お客様もアルバイトの女の子も、安心に至って、よかったよかった。
    押し葉

歌がちがう

 年末年始に実家の母と「みそ文」について話したとき。母が私に「あんたの仕事の話は、おかしくて大笑いするよ」と言う。

「そう? 不思議と、なぜか、仕事ネタを好んで読んでくださる人が多いみたいで、さっきもめいちゃんに会った時に、めいちゃんが、『ねえ、みそちゃんの職場には、本当にあんな面白いお客さんが来るん?』って言うけん、『面白い人ばっかりじゃあないけど、みそ文に書いてるのは、本当に来た人たちのことよ』って話したとこじゃったんよ」
「え? お客さん? ああ。たしかに、お客さんも面白いけど、母ちゃんがおかしい思うのは、みそちゃん、あんたよね」
「え? 私? か?」
「そうよねえ。あの、階段を降りながら、あんたが歌を唄い終わるまで、会社の人らが朝礼するのを待ってくれとっちゃったぶんよ。なんでこの子は、仕事場で、仕事前に、歌おうなんて思いつくんじゃろうか。小鳥はとっても歌が好き、母さん呼ぶのも歌で呼ぶ、じゃったっけ?」
「かあちゃん、歌が違うよ。あれは、わったっしゃ、おんがーくか、やーまっの、こっとりー(私しゃ音楽家、山の小鳥)(「朝礼前の音楽家」参照)よ。会社の人も遠慮せずに呼んでくれちゃったらええのにねえ。まあ、まさか私が三番までは歌わんじゃろう、一番だけで終わるじゃろう、思うちゃったのに、私がいつまでも歌うてしもうたけん(歌ってしまったから)じゃろうけど」
「でも、なんで、あんたが歌うとるのが、会社の人に聞こえたんじゃろうか」
「それは、私が、思ったよりも大声で歌うとったけんじゃろうね。ふつーに聞こえたんじゃろう。ドア三四枚隔てて」
「ああー。もう、あれは、おかしくて、かあちゃん、パソコンの前で、お腹抱えて、涙流して笑うたんじゃけん」
「あら、そう、それは、よかったねえ」
「みそ文は、兄も喜んでくれたしね。あのあと、松江の姉にも、コピーして送ったんよ」
「お年寄りに、小さい活字はつらかろうに」
「私も姉さん(私の伯母)にそう言うたけど、ええんよねえ、虫眼鏡で見れば大丈夫じゃ、言うけん」
「こよりちゃん、と、こすえちゃん、(母の妹二人。私の叔母たち)には、一緒にウィーンに行ったときのこと(「山を慕う」参照)書いてるし、と、思って、年賀状に、みそ文アドレス書いてお知らせしたよ」
「そうね。それはありがと。あとは、今宮(島根の母の実家)の兄と、福山の兄だけじゃね」

 母よ。きょうだい全員に「みそ文」読ませる気なのか? 母のきょうだいは多いのに。しかも皆それなりにだんだんと活字がつらい高齢なのに。でもきっと、そうやって、「みそ文」紹介でもすれば、連絡をとる口実になるし、その連絡作業そのものが、母の脳の活性化にもなるのだろう。
 そういうわけで、母のきょうだい(私のおじおば)の皆様。母の「みそ文」押しかけ営業を、温かく見守っていただけますように。「みそ文」営業を口実に、きょうだい皆様の安否を確認したい気持ちと、皆様のご健康と安全を願う母の気持ちを、どうかくみ取ってくださいますように。
 「みそ文」を読んでくださる皆様へ、感謝の気持ちをこめつつ、そして、母の、母のきょうだいたちの、読んでくださる皆様の、ついでにわたしの、ボケ防止に繋がる力が、ボケるとしてもすこやかにボケてゆく力が、「みそ文」とともに養われてゆくことを夢見つつ、一文一文を重ねてゆく所存。     押し葉

おじの手紙

 年末年始に帰省した実家で、母が見せてくれたものがある。母が母の兄(私の伯父)に、このブログ「みそ文」九月分を印刷したものを、初めて送った時に添えた手紙の控え。そして「みそ文」九月分を読んだ伯父が感想を送ってきてくれた手紙。それに気をよくした母が、さらに十月分と十一月分を送ったときに添えた手紙の控え。そしてそのあまりの量の膨大さにたまげた伯父が「こんなにたくさんでは紙代も送料も大変だろうから、今度からは両面印刷でよい」と書いてきた手紙。さらにそれに対して、母が「上手に両面印刷できるかわからないけど練習してみます」と書いた手紙。その中の、伯父からの最初の手紙の中で、「みそ文」のことを、次のように評してあった。

 文章が実にのびやかで才色兼備の香りが立ち上る。

 うひゃっひゃっひゃ(腹を抱えて)。我がことながら、こんな表現でこんなふうに賞賛してもらえると、他人事のように思えてくる。「おじばか」もここまで究めれば、伯父としての役割は十分まっとうしつくしている。わたしも、むむぎー(甥っ子)やみみがー(姪っ子)の伯母として、生きている間に「おばばか」を究め尽くし、まっとうすることができるだろうか。そうできたら、と、こころから、そう願い、そう想う。     押し葉

オノマトペ

 十月頃のことだったか、私が書いた「みそ文」を、実家の母が印刷して、母の兄(私の伯父)に郵便で送ったことがある。十二月半ば頃に、その伯父から返事の手紙が届いたと、母が私に知らせてくれた。母はすぐにその手紙を、ファクスで私に送ろうとしてくれたのだが、我が家のファクスは、五年くらい前に壊れて以来、電話のみの暮らしで、その間、ファクスが必要になったことは、殆ど一度もなくて、ずっとファクスをつけないままでいて、だからファクスの受信はできない。それで母にそう説明したら、「じゃあ、とりあえず、要点をメールに書いて送るけど、手紙はコピーして郵送するか、なんか考えるわ」と言うから、「もうじき年末年始でそっちに帰るし、その時に見せてもらえればそれでいいよ」と私は言うが、母は「まあ、そう言わんと、おじちゃんから、みそに伝えたいことも書かれているし」と言うので、「まあ、そういうことなら、お好きなようになさってくださいませ」と伝える。
 その直後に届いたメールには、次のように書いてあった。ちなみに、母の兄は、兄なだけでなく、元校長先生なので、基本的に「偉そう」で、でも、それは「威張っている」「頑固じじい」という意味の「偉そう」ではなくて、「つい教育的指導に走ってしまう」という意味での「偉そう」で、きっと、実際そういう意味では「偉い」のだろうと思う。

 母から私に届いたメール。
「みそへ。兄からの手紙には、いろいろ書いてあったけど、とりあえずの要点は、次のとおり。
(一)オノマトペが適切で、たいへんに面白い。
(二)福井弁と広島弁の絡みなども盛り込まれると、さらに面白いのではないか。
(三)たいへんよくできた作品なので、文芸春秋社のエッセイストクラブ等に投稿したほうがよい。
また、兄は、とても面白いから、ぜひまた、続きの作品も、送ってきて見せてほしい、とも書いていたよ。母より」

 このメールの後、母が伯父からの手紙をコピーして私に送ってくることはないまま、年末年始の帰省とあいなった。私は実家で母の肩や背中をもみながら、「母ちゃんが送って来てくれたメールで、おじちゃんからの感想の手紙の要点を読んだけど、ああ、私はこうやって、『親ばか』や『おじばか』に囲まれて、すくすく育ってきたのねえ。そして今なお、すくすくと育まれているのねえ、と思って、しみじみしたよ」と話す。
 「オノマトペが適切って書いてあったじゃろ」と母が言うので、「うん。どれのことだろう? と思ったけど」と私が言いかけたら、「そうじゃろ。私(母)も、何のことか、わからんわ、思うたけん、兄にファクスで、『オノマトペとは何ですか?』いうて聞いたんよ」と言う。
「かあちゃん、そっちかいな。『どのオノマトペ』じゃなくて、『オノマトペって何』だったとは」
「え? みそは、オノマトペって、何のことか知っとったん?」
「はい。存じております」
「そうねえ。私は知らんかったけん、兄に聞いたら、擬態語じゃ、いうて、教えてくれた。ほら、よく、みそ文に、歩く時の足音なんかを、てくてくてく、とか、てててててー、とか、とてとてちて、とか、書いてあるじゃろ。あれが実にそういう感じがイメージできていいみたいよ」
「ああ。あれね。あれのことかあ。私は、『パラダイス孔雀』の、うたせ湯の、びちびちびち、のことかな、と思ってた」
「あ。それもじゃろ。とにかくいろいろよ」

 何はともあれ、母は新しい語彙「オノマトペ」を習得できて、脳が活性化したことだろう。何よりも、母は、伯父からの手紙を読み、その後ファクスでやりとりをして、兄の近況を知ることができ、母が思っていたよりもずっと、伯父がしゃきしゃきと元気に活動している様子に、心底安堵しただろう。そして、伯父が姪(私)の文章を丁寧に読んでくれ、それについていろいろ考えて、こうして感想を文に書いてくれるほどに、脳も手もしっかりしていることを知って、母はとても嬉しかったのだろう。

 というわけで、「みそ文」のボケ防止活動、なかなかに、まずまず、よい仕事をしているね、ということにしましょう。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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