みそ文

黒い服の女

大学生の時。自分の部屋で眠っていた。ふと気がつくと、なんだか体全体が重い。く、くるしい、気がする。うーん、うーん、と、目を開けようとしてみる。目はぱっちりとは開かない。薄目でなんとなく見えるだけだ。そんな私の体の上には、掛け布団がかかっており、そのかけ布団のさらに上に、女の人が馬乗りになっている。この人がこんなふうに乗っているから動けないんだ。髪は長めの直毛で、黒っぽいワンピースを着ている。

でも私はとっさに、自分の上に馬乗りになってる人は親しい友人だと判断して安心した。そして「ごめん。今すごい眠いけん、あとで電話するね。」と言って、そのまま再び寝てしまう。ぐう。

ぐっすりよく寝て、すっきりさっぱり目が覚めて、さっそく友人に電話する。「さっきはごめんねー。せっかく来てくれたのにー。寝てて起きられんかったー。今起きたー。」

彼女は不審気に、「えー。行ってないけど」と言う。

あれー、おかしいなあ。うーん。髪型もその友人と同じだったし、彼女はその頃よく黒っぽいワンピース着ていてそれがよく似合っていたし、絶対彼女だと思いこんでいたのだけど、違っていたのか。そうかあ、そうだよねえ。部屋の鍵閉めて寝てたのに、勝手に鍵開けて入ってくるわけないよねえ。

はっ。もしかすると、あれは「金縛り」の仲間だったのかしら。あるいは「幽霊」の仲間? ま、いいや。今度また金縛りにあったら、やっぱり「眠いけん、またあとで連絡する。ぐう。」ってことにしよう、と、心に決めた。でも、それっきり、金縛りの仲間の到来は、ない。     押し葉

立派なお嬢様

「あまりに立派なお嬢様なので、うちの息子になどもったいない。」というのは、お見合いを男性側から断る場合の常套句であるらしい。

私が結婚する前に、夫と私、双方の親顔合わせの機会を持ったとき、「こんなに立派に育てられたお嬢さんを、うちの息子になどもったいないことですが、息子がどうしても結婚させてもらいたいと言っておりますので、どうかよろしくお願いします。」と、義母(夫の母)が私の両親に挨拶していた。

常套句も、それに続く台詞次第で、お断りになることもあれば、お願いになることもあるのだろう。

それはともかく、夫は絶対に「どうしても結婚させてもらいたい」などとは言っていないはずだが(結婚相手の私でさえ、そんな話は聞いたことがない)、そんなホラをつるりと口走れる義母には、その場で、惚れた。

教訓。場合によっては、嘘でも、言った者勝ち。
    押し葉

八つ橋の夢叶う

仕事をしながら、「ああー。生八つ橋食べたいなー。今度生協のカタログに載ったら注文しよう。」と思っていた。何度となく「やつはしー」「やつはしー」と頭の中にイメージが湧く。なにやらよほど食べたいのねえ、そういうときってあるよね、と思いながらも、この辺ではそう簡単には手に入らないしね、まあ、また今度ね、と自分に言い聞かせながら仕事に励む。

夕方の休憩時間に休憩室に上がってみたら、なんと、コタツの上に生八つ橋(夕子)が! 同僚が京都旅行のお土産に買ってきてくれたものらしく「皆さんでどうぞ」とメモが付けてある。

ああ! 夢が叶ってしまった。しかもこんなに早く。いいのか? いいのだ! むっちむっちむっち、と、生八つ橋をおいしくいただいて、大満足で仕事に戻る。

八つ橋を買って来てくれた同僚に「ご馳走様でした。おいしかったです。」とお礼を伝える。「さっきまで仕事しながら、ああ、生八つ橋食べたいなあー、と思ってたんです。いきなり夢が叶ってしまいました。」とも。すると同僚は「それはよかったが、また、なんともおおげさな。」と呆れるので、「いやいや。本当なんですよ。欲望は満たされましたが、私はこんなことで運を使い果たしていいんだろうか、とも思います。」と応える。

八つ橋の皮のもちもちと、粒あんの甘さで、血糖値も満たされて、夕方から夜の仕事は、妙にしゃきしゃきとこなせた。

そして帰宅して、生協さんの配達の箱を整理してたら、生八つ橋が、出てきた。どうやら注文していたらしい。まったく記憶にないのだが。そういうわけで、本日二度目の八つ橋欲成就。

運を使い果たしている、と思うと、けちけちした気分になるので、ここは「運を呼び込んで蓄積している」と表現することにしよう。

でも、八つ橋はもうごちそうさま。しばらく食べなてく大丈夫です。     押し葉

「おのろい」の力

友人「みかえる」の夫「どうだくん」(二人と私は大学の同級生)は、私の「祈り願い念じる力」をなぜか高く評価してくれているらしく、以前は、「みそさんの、のろい」と呼んで恐れてくれていた。それが少し前から、「みそさんのは、のろい、と呼ぶのはやめることにした。これからは、おのろい、と、お、を付けて、呼ぶ。」と宣言して、珍重してくれるようになった。

今年に入ってまだ寒い季節だった頃、みかえる宅に泊めてもらい、夕ご飯をいただいていたときのこと。二号くん(どうだ家の息子。当時小二。)が、「ぼく、雪が、たくさん降って、いっぱい積もるところに住みたい!!」と言い出した。

そうだねー。四国では、なかなかあんまり積もらないもんねー。と話して、私は彼に言ってみた。

「だいじょうぶ! 今からその調子で、そうやって、思って願い続けてたら、そのうちに、きっとね、雪国に住めるようになるよ。」

二号くんの顔が輝く。「やったー! かまくらも作りたいし、大きい雪だるまも作りたい!」

お姉ちゃんの一号ちゃんも「私は雪でウサギ作りたい。」とつぶやく。

「うん。うん。だいじょうぶよー。私もね、小さい頃には、ずっとずっとそう思っててね、そしたら大きくなってからだけど、今住んでる福井に住むことになってね、もう毎年冬には雪だらけ。」

「うおー!」どどどど、と足を踏み鳴らし、興奮する二号くん。

本当は、話の続きとしては、「大きくなってから、と言ってもね、すっごく大人になってからで、雪が積もると、出勤前に車の上の雪下ろしをして、車の周りの雪かきをしなくちゃいけないから、普段よりも最低でも十分は早く家を出なくちゃならなくて、雪が多いと、時間もかかるし、腰も痛くなるしでね、雪だるまや、かまくらを、作ってる場合じゃ、ないのよ。雪国が愉しいのは、自分で雪下ろしや雪かきをしなくていい、小さい人の特権よねー。大きくなると、雪の中で暮らすために、しなくちゃならないことが多くて、雪が大量に降って積もると、やったー! じゃなくて、げっげー! になるんだよねー。二号くんも、大人になって、就職したら、北国に配属されるかもよ。そういえば、小倉出身の新卒くんも、高松出身の新卒くんも、「北陸配属になって、生まれて初めてこちらに来ました。雪道運転と、雪かきだけが、気がかりです!」と、営業成績のことよりも、そちらを心配していたしね。」と、教えてあげたいところだが、当時小学二年生に話しても、それはせんないことだしね、そういうことで、そこは端折りましょうね。と思ってニコニコしていたら、どうだくんが息子に諭す。

「二号! やめとけ!! みそさんの、おのろい、はなあ、よく効いて恐ろしいんやから。そんな気軽に願いを叶えてもらったら、どんなんなるかわからんぞ!」

二号くんは、父の言うことの意味がわからず、雪国の妄想に興奮し続けている。どどどどどど。

うん、うん、いいよ、その調子。君の願いはきっと叶う。

どうだくんも、しかたないなあ。そんなに私の「おのろい」ファンなら、特に、どうだくんには、たくさん、いっぱい「おのろい」飛ばしてあげるね。と言ってみたら、「うおー! こわいぞー!」と興奮。興奮する父と息子。熱い。     押し葉

人生の実験

何かをこころがけるとき、何かを「しないように」こころがけるよりも、何かを「するように」こころがけるほうが、たぶん、きっと、やりやすい。

「無理しないように」するよりも、「積極的にセルフメンテナンスして、こまめに養生するように」こころがける。
「忘れないように」するよりも、「思い出すように」こころがける。
「無理したこと」を悔やむよりは、「我が身の暴走に気づいたこと」を、よっしゃよっしゃと褒めちぎる。
「忘れたこと」を責めるよりは、「ちょっとでも思い出したこと」を、その調子その調子と応援する。
「食べ過ぎないように」するよりは、「適食」をこころがける。
「エネルギー不足にならないように」するよりは、「適切なエネルギー補給と調整」をこころがける。

ちょっとできたらしっかり賞賛。もっとできたらがっつり賞賛。

そうするうちに、そうすることが、いつのまにか、癖になり、簡単にラクにできるようになったなら、こっちのもんで、もうけもん。かもしれない。

自分の脳をだまし続ける心意気で、「すること」を思い続ける。危機管理としての「しないこと」ももちろん大切なのだけど、それよりももっとたくさんの「すること」を思い描いてみる。人生、実験。
    押し葉

お年玉の掟

実家の近所の仲良しのめいちゃんは、お正月になるとめいちゃんの姪っ子たちに、毎年お年玉をあげる。

「めいちゃんは、姪っ子さんたちに、いくらずつ、あげることにしてるん?」と訊いてみた。するとめいちゃんは、「ふふふ」と低く笑う。「なになに? なんなん?」

「姪っ子たちへのお年玉ね、一人千円にしてるの。でね、毎年必ず、あの子達にお年玉を手渡す時に聞くの。このお年玉の袋に、今なら千円札が一枚入ってるよ。もちろんこのまま持って帰ってもええけどね、持って帰らずに、一年間私に預けたら、来年のお正月に、五百円玉二枚にして返してあげるよ。来年のお年玉は、それとは別にちゃんとあるよ。って。」

「へえ。ほほう。で、姪っ子さんたちは、なんて?」

「ふふふふふ。それがね。あの子らまだまだ算数の世界が短いけん、二人ともすごく悩むの。下の子なんて、また小学校入ってないから、だって、いっこ、が、にこ、になるんじゃろ? そっちのほうがとくなんじゃないん? って、お姉ちゃんを説得しようとするんだけど、上の子は、一応小学校で算数しょうるけん、ちょっと、んんん? と思うみたいで、でもまだ、あんまり大きな桁の数字はもうひとつ難しいんかしらんけど、ゆっくりじっくり考えてる。」

「めいちゃん、それ見て、にやにやしてるの?」

「うん、そう。にやにや。でも、せっかくにやにやしてるのに、必ず、そこにすかさず妹(姪っ子たちの母)が来て、ちょっと、おねえちゃん、またー、もうー。あんたたちも、毎年同じことで悩みんさんなや。そのままもらって帰ったらええんよねー。って言って、ポチ袋を取り上げて持ち去るんよねー。」

めいちゃん一家のお正月、毎年うららかで、なによりなにより。
    押し葉

脳内こびとくん

夫の脳内には、どういうわけか「妻の言説をいったん否定したいこびとさん」がお住まいのようである。そのため我が家には、私が何か言うと、夫がすかさず「それはちがうだろう。こうだろう。」という会話パターンが存在する。だがそれは決して、お約束の芸でも掟でもなく、私は推奨もしていない。

たとえば、通りすがりのケーキ屋さんの看板に「手作りケーキ」と書いてあるのを見たとき。「手作りって書いてあるのは、機械作りじゃないよ、だから心がこもってておいしいよ、っていうメッセージかな。」と他愛なく言う私。そこですかさず夫が言うのだ。「それはちがうやろ。手作りって書いた方が、足作り、って書くよりも売れそうだとお店の人が思ったからやろ。」と。

夫に告ぐ。ちがうのは、君だ。
    押し葉

とんこつを求めて

あれは私が小学生のときだったと記憶している。家族で鹿児島旅行にでかけた。あまりよくは憶えていないが、鹿児島の桜島を見て、どこかで食事をしたときに、てろりとして、こくのある、茶色い塊がとてもおいしかった。母と私はその茶色い塊がとても気に入り、食事を給仕してくださる方に「これは何ですか?」と訊ねた。

「とんこつです。」と給仕の方は教えてくださる。豚の軟骨を何時間もことことと柔らかくなるまで煮込んだものなのだそうだ。味は甘辛いしょうゆ味。母と鹿児島旅行の思い出話をするときには、かならず、「とんこつ、おいしかったね。」と言い合った。「また食べたいね。」「でも鹿児島に行かないと無理だね。」「こっちのへん(広島地方)で見たことないもんね。」と。

私が大学生になって、鹿児島出身の友人と知り合った。「とんこつが好きなんだけど、作り方教えて。」と言ってみたが、彼女は「知らない。」という。「でも、うちのお母さんなら知ってるかなあ。」とも言ってくれたので、「じゃあ、鹿児島に帰省した時に、憶えてたら、お母さんに聞いてきてくれる? それか、もしもお母さんに私が会えたときには、作り方教えてもらえるように頼んでおいてくれるかなあ。」とお願いしておく。

その後も「とんこつ、とんこつ」と念じていたからだろうか。大学の保護者会のようなもの(学生の保護者と大学の先生が懇談会できるというもの)が、広島で開催されたときに、その友人のご両親が、はるばる鹿児島から参加されることになった。母と私は喜び勇んで、友人のご両親に会いに行く。お昼ごはんをご一緒しながら、あの「とんこつ」のレシピを伝授してもらうのだ。友人の母上は、にこにこと、「私にわかることなら、なんでもきいてください。」と、たいへんに頼もしい。

では、まずは、豚の軟骨を、どこで手に入れるか、だ。「あの豚の軟骨は、どういうところで、買えばいいんですか?」「あんなのどこでも売ってますよ。スーパーでもお肉屋さんでも。」

母と私は顔を見合わせる。「いや、それが、売ってないんです。やはり鹿児島から取り寄せないとだめでしょうか。」

友人の母上は、「いいや、そんなことはないですよ。あんなものどこでも売っていますから、お店でよく見てみてください。ぜったいありますって。」とおっしゃる。あまりに堂々と、自信満々におっしゃるので、母も私も、そうにちがいない、とそう思う。

では、お店で探すことにして、味付けはいかに? 「んー、砂糖と醤油とみりんですかねー。」
分量の割合などは? 「適当です。」
ではでは、加熱時間などは? 「柔らかくなるまでです。」
あの柔らかさは圧力鍋でしょうか? 「いや、普通の鍋で時間をかけますねえ。」
どのくらいかかりますか? 「柔らかくなるまでですね。」

まとめ。豚の軟骨はそのへんの店で手に入る。味付けは砂糖と醤油とみりん。鍋で煮る。柔らかくなったらできあがり。友人の母上殿。ご指導ありがとうございました。鹿児島の給仕さんが教えてくださったこととほとんど同じではあるけれど。豚の軟骨はどこにでも売られているという情報は、今回の大収穫だ。やっぱり地元の人に教えてもらうと違うねえ。

というわけで、帰り道さっそくスーパーによる。これまでは、母も私も見落としていたらしい豚の軟骨を探してみる。
どこにあるのか、どこにでもあるらしいはずなのに、精肉コーナーを行ったりきたり。見つからないのでついに、お店の人に訊いてみる。「ありません。」
やっぱりないね。
うん、きっと、鹿児島じゃないからだよ。

それから何年も経過して、もっとずっと大人になって、結婚して、転勤して、熊本に住むようになって、鹿児島に行ってみたときに、スーパーにも行ってみた。懸案だった豚の軟骨。
ある。
ふつうにある。
豚のこま切れと同じ存在感だ。
友人の母上は正しかったのだ。

けれど友人の母上殿。豚の軟骨の販売は、今なおやはり、全国的ではないようにござります。     押し葉

だんじり血圧

雪が降る前の福井に、大阪から友人が遊びに来てくれた。夫と息子と一緒に。

二年ぶりに再会してみると、友人は、妊娠前よりもずいぶんと痩せていて、すっきり軽やかな様子。妊娠前には「ダイエットのためにビールを減らさなあかんねん」と言っていたが、ビールを減らさなくても、毎日授乳活動するのが、彼女に適したダイエット方法であったようだ。

同じく二年ぶりに会う友人の夫は、見た目は別段変わらないのだが、年齢的に中高年にさしかかり、健康診断の結果、血圧と中性脂肪の値が高いことが判明したとのことだった。

幼い息子の成長を見守るためにも支えるためにも長生きしてもらわなくては、と友人は決意し、これまで夫婦で毎日大瓶数本のビールを消費していた生活から、平日のビールは二人で350mlに変更。自分のダイエットのためよりも、母上の病気快癒願掛けのときよりも、熱意の伺えるビール量変化だ。

でもね。私、思うんだけれどもね、中性脂肪はともかく、血圧が高いのは、友人の夫の場合は、「だんじり」のせいなんじゃないかなあ。年中「だんじり」を楽しみに待ってワクワク興奮してるせいで常時血圧高めで、秋になると「だんじり」本番でハッピ着てハチマキして、連日だんじりを愛で続けるウヒャウヒャの興奮で血圧上昇してると思うの。その余韻とまた来年の楽しみで、ずっと興奮してるから、血圧下がる暇がないのではないかしら。見た目もたたずまいも穏やかな人だけど、そのこころの内には、いつだって、だんじりへの熱い思いがたぎっているみたいだもの。

いざとなったら、ビールを止めることはできるかもしれなくても、彼にとっては「だんじり」を減らしたり止めたりすることは、相当に無理難題で不可能だろうなあ。     押し葉

鼻風邪と花粉症

毎年、季節の花粉が飛ぶ時期になると、「鼻風邪」の相談を受けることが多くなる。鼻水、鼻づまり、くしゃみ、などの鼻特有の症状だけで、鼻以外の症状はない。痛みも熱も咳もない。そういう場合は、鼻炎薬を紹介する。そうすると、お客様は「鼻炎ではなく、鼻風邪なのだから、鼻炎薬ではなく、鼻風邪の薬のほうがいい」と言われる。

「鼻炎薬の成分は、風邪薬の中に入っている鼻の症状対策の成分だけ抜き出して量を少し多めにしたようなものです。ですから、鼻だけの症状であれば、咳止めも熱さましも痛み止めも飲まなくてもよいので、鼻だけの成分のほうが、ぱしっと効いたかんじがすることが多いです。でも、そうなりますと、お薬の分類は、鼻炎薬、になってしまうんですが、鼻風邪でもアレルギー性鼻炎でも花粉症の鼻症状でも、使う薬は同じなんです。あとは漢方系のものか、そうでないか、も選択肢になりますね。お薬の箱に書けるのは、効能効果としての「症状」だけなので、「鼻水、鼻づまり」とは書けても、「鼻風邪」とは書けないんです」と説明してみる。けれど、それでも、たいていの多くのお客様は、「自分は鼻炎でも花粉症でもない。鼻風邪だ。ほしいのは鼻風邪の薬だ」とおっしゃられる。

「それでは、どうでしょう。総合の風邪薬の中でも、特に、鼻のための成分を、強化してるということを、売りにしているような、こちらや、こちらの、お薬ではいかがですか?」ときいてみながら、そのお薬をお見せする。箱の表には、「鼻水、鼻づまり」の文字が先に大きめに書いてあり、 「ねつ、いたみ、せき」の文字は、小さく控えめに書いてある。あるいは、「鼻水、鼻づまりに」と大きく書いてあり、そのあとに続いて小さく「ねつに効く」、そして再び大きく「かぜ薬」、と書いてあるものも。箱の裏には、「かぜの諸症状(いろいろ)の緩和」と書いてある。これは総合感冒薬のお約束。

「ああ、これがいい。鼻風邪だから」と、熱さましも痛み止めも咳止めも入っているものを選ばれる。それでいながら、「これ飲んだからって、体に悪いことはないんやろ? いらんものは入ってないんやろ?」と訊ねられる。

「お客様の症状の場合は、熱も痛みも咳もなくて、鼻の症状だけが強いので、できれば、鼻の成分だけにした方が、体にとっては、不必要な成分を入れなくて済みますし、代謝の負担も少ないですし、体のためにはよいはずですが、鼻炎薬よりも総合の風邪薬がお好みであれば、必要のない成分については、体に頑張って代謝してもらいましょう。それに、もしかすると、お気づきでないだけで、どこかに少しは、炎症や痛みがあるのかもしれないですし、知らず知らずのうちに軽い咳も出ているのかもしれませんし、だとしたら、熱さましや痛み止めや咳止めが入ったものを飲むことで、ふうっとラクに軽くなったかんじがするかもしれません」と、若干くどめに説明してさしあげてみる。

また別のお客様は、「毎年春先になると鼻風邪を引く」とおっしゃる。「お客様。それは、花粉症ということはないですか?」と、訊いてみると、どうしてか、「いいや。自分は今まで一度も花粉症にはなったことがない。だから花粉症じゃない」と自信を持って言われる。「花粉症は、今までなったことがなくても、あるとき突然症状が出るんですよ」と説明してみても、「いいや。絶対に、花粉症じゃない。今までなったことがないから。春先恒例の鼻風邪だ」と、かたくなに否定される。しかし症状をきいて見ると、鼻水、鼻づまり、くしゃみ、目のかゆみ、目の充血、皮膚の痒み。けれど、その方にとっては、「春先の鼻風邪の特徴であって、花粉症ではない」のだそうだ。あくまでも、風邪なのだ。「アレルギー性鼻炎」等、風邪以外の意味の文字が箱に書いてあるお薬はちがうのだ。薬の箱には、「かぜの諸症状」と書いてある必要があるのだ。

この話を夫にすると、彼はなぜか、「そのお客さんの気持ちはよくわかる。自分が花粉症であることは、なかなか認めたくないものなんだ」と、共感を示す。物心付いた頃には既に花粉症症状を自覚していた私には、理解が難しい感覚ではあるが、御意見ありがたく参考にする。それで、最近は、少し言い方を変えてみることにした。いきなり鼻炎薬にいくのではなく、風邪を自称する方には、まずは、風邪薬コーナーを通りながら、「総合の風邪の薬で、鼻のことが書いてあるものなら、どれを使っていただいても、だいたいは、大丈夫なんですけどね」と言ってから、鼻炎薬のコーナーにさしかかり、「症状が鼻だけならば、鼻炎薬を使った方が、効きがいいかもしれません。症状が鼻だけならば、ですね」と言ってみる。そして、総合感冒薬も鼻炎薬も両方紹介した上で、「場合によっては、花粉症の可能性もある時期ですので、しばらく様子をみていただいて、あまり長く続くようでしたら、花粉対策もご検討くださいね」と案内する方法で、お客様の反応を観察中。

ちなみに、風邪を自称するわけではなく、「鼻の薬ください」とおっしゃる方には、最初から、鼻炎薬コーナーをご案内しています。どうぞご安心ください。     押し葉

雑念

ヨガのクラスに行ってみたら、その日は代講の先生で、初めてお会いする方だった。しかも、他の生徒さん、なぜか全員お休みで、生徒は私ひとり。完全個人指導。

ポーズをチェックするときも、こまめに私の名前を呼んでくださっては、「どうやらさんは、体柔らかいみたいなので、もう少しいけそうなら、手をこっちにおいてみてください。無理そうなら無理せずにー」と指導してくださる。

濃いなあ。と思いながら一時間。レッスン終わって、ありがとうございましたー、お疲れ様でしたー、の挨拶のあと、先生がふとおっしゃる。

「どうやらさんって、森口博子さん、タレントさんの、に似てますよね? 似てるって言われませんか?」

いえ、一度も、ない、です。

「そうですかあ。おかしいなあ。レッスンの間、ずーっと、うーん、どうやらさん、誰かに似てるなあ、誰だろう、と思ってて、先日テレビで久しぶりに、森口博子さん見たのを思い出して、あ、そうだ、森口博子さんに似てるんだ! そうだ、そうだ、あーすっきりー! と思ったんですけどねー。ぜったい似てますよー」

先生、それって、ヨガ的には、かなり雑念、なのでは。いいのか?     押し葉

成長アルバム

先週末、大阪の友人が、福井に遊びに来てくれた。夫と息子とともに。

息子は一歳と五ヶ月。歩くことも、話すことも、自在度が増してきて、現世堪能中のご様子。

そんな一歳児の成長アルバムを、友人が持ってきて見せてくれる。写真をいろんな大きさや形にカットして、貼り付けて、手書きのコメントを添えて、至れり尽くせりな構成。

成長過程の順に、時系列に見ようとする私の前に一歳児がやってきて、手を出して、写真の中の人物を指差し、「じいー!」と言う。「はい。はい。じいちゃんね。大好きなんやね」

するとまるで、我意を得たり、という表情で、私が見ようとするページを無視して、彼はまた別のページをめくり(自分の指先で何かをめくる、という行為も満喫中のご様子)写真の中の人物を指差して「じいー!」と言う。「おお。ここにもじいちゃんが。じいちゃんと一緒の写真いっぱいでうれしいね。ところで、もう少し戻って二ページ目を見てもいいかしら?」

そんな私の問いかけに怯むことも揺らぐこともなく、アルバムに覆いかぶさらんばかりの姿勢で、自分の見せたい(見たい)ページを開いては、「じいー!」。「じいー!」。「じいー!」。そんなに「じいー」ばかり指し示してくれたのでは、写真の中の君の姿が、君の指で隠れて、見えないではないか。

あ。そうか。わかった。このアルバムは、君の成長記録かと思っていたけれど、実は、孫を溺愛するじいちゃんの姿を記録したものであったのだな。そして今の君のように、見る人が「じい」に耽溺するのにも使える、と。このアルバムの主人公が君じゃなくて「じい」ならば、表紙には、君の名前ではなくて、「じい」と書くことにしたらどうだろう。     押し葉

だんだんだんだん

島根の祖母(母方)(故人)の口癖は「だんだんだんだん」であった。

だんだん、とは、ありがとう、を意味する、島根県東部の言葉。だんだん、だけでも十分にありがとうの意味はあるのだけれど、祖母は必ず、だんだん、を二つ重ねて、だんだんだんだん、と言っていた。

「遊びに来たよ」と言えば、「よう来てごしなった(よく来てくれた)。だんだんだんだん」と言ってくれ、「お豆さん(祖母が作る黒豆の煮たやつが、私は大好きだった)おいしかった」と言えば、「そげかね(そうかい。そうかい。)。だんだんだんだん」と返してくれる。

だから、島根の祖母は、私の中ではいつも、いつでも、「だんだん、の、おばあちゃん」だ。     押し葉

宿便からのお知らせ

少し年配の女性のお客様が、お買い物カートを押しながら、声をかけてくださった。「ここのへんは何のあたり?」

私はちょうどそのとき「貼るカイロ三十枚入り」の補充作業をしていたので、「はい。こちらは、冬の間、カイロなど温めるもの関係にしております」と、明確にお答えした。

すると、そのお客様は、「いやいや。カイロじゃなくて、ここの場所じゃなくて、私の体のここのへん」と、右手のひらで、右下腹部をぐりぐりと押して見せてくださった。

「わあ。たいへん失礼いたしました。そのあたりですと、中に入っている臓器は腸ですが、女性の場合は、子宮の違和感をそのあたりで感じることもあります」
「あ、私はそれは大丈夫。もう子宮は癌で摘出してるから、子宮はないの。だから大丈夫。そうかあ。腸かあ」
「何か違和感がありますか?」
「うーん。便秘というわけではないのだけど、毎日便は出てるんだけど、なにかこう便秘みたいな感覚かなあ。つい最近胃癌健診も大腸癌検診も受けて異常なしだったから、ガンの心配はないと思うのよ」
「がん検診で異常なしなら一安心ですね。でしたら、便秘、というわけでなくても、体はときどき宿便をまとめて出したいタイミングがあるみたいなので、それかもしれませんよ」
「あら。まあ。そうなの。それならたぶんそうやわ。そんな感じやもん」
「そういうときには、ビオフェルミンなどのような整腸剤を使ってみてもいいですし、最近召し上がってないのであれば、ヨーグルトを食べてみたり」
「あ! それやわ。最近ヨーグルト食べてないわ。」
「ヨーグルト以外にも、納豆やヌカ漬けもよろしければ」
「あ。だめだめ。私、納豆は食べられん。ヨーグルトよ。ヨーグルトやわ」
「そうですか。では、ぜひヨーグルトを少し続けて食べてみてください」
「うん。そうするわ。それでももうひとつやったら、整腸剤買いに来るわ」
「ヨーグルト召し上がって、水分多めに摂って、お腹をのの字マッサージしてあげてください。たぶんそれでスッキリいっぱい出るはずです」
「はあー、よかった。解決、解決」

いやいや。お客様。解決は、出し切ってから、です。     押し葉

サンタさんへの手紙

はてなハイクで、「サンタさんへ」のお願い事を書くお題があったので、何かお願いしたいことがあるだろうか、と、考えてみた。

すべては揃っているように思えるし、年齢を重ねるまでは叶わないこと(長生きしたときには、「すこやかなお年寄り」になること)は、今はそれに向けて精進するしかないことだし、他のことは、サンタさんの手を煩わせずとも、自力でぼちぼち取り組めばいいと思っている。

それでも何か願望はないだろうか、と、頑張って考えてみたところ、なんとなくたぶんやや不十分で、なおかつ、私の努力や頑張りでどうにかできるわけでないことを、ひとつだけ発見した。それで、ようやく「サンタさんへ」の手紙を投稿。

「私は特別何もいらないのですが、夫がたぶんほしがっている毛髪力(商品名ではなくて)をいただけると、きっとすごく喜ぶと思います。」

よしよし。いいお願い事ができた、と、ご満悦でいたのだが、今になって、ふと思い出したことがある。

夫が多毛至上主義的発言をするたびに、私はいつも、「どうやらくんは、頭つるつるになって、チベット仏教のお坊さんみたいな橙色の袈裟をまとったら、絶対すっごくカッコイイはず! だから髪は減るに任せて、そっちを目指したらどう?」とお奨めしてきた。実際、夫には、そのスタイルは、間違いなく、よく似合うと思うのだ。

けれど夫は、了承も合意もすることなく、あからさまにきっぱりと拒否をし、頭皮マッサージに勤しんできた。

それなのに、相も変わらず、「夫がつるつるのカッコイイ人になったらいいなあ」と、なんとなくとはいえ、思っていた、その、私の思念が、夫の毛髪力発動を阻害していたのかもしれないと、ようやく反省に至る。

サンタさん。私の「つるつる袈裟願望」は、もう無視してくださってかまいません。夫が剛毛の多毛になっても耐えられると思います。なのでどうぞ安心して、夫の「毛髪力」を運んできていただけますように。遠慮は無用にございます。
    押し葉

お見送り

ときどき、朝、玄関で、出勤する夫に向かって手を振りながら、「いってらっしゃい」と言うつもりが、口が勝手に「じゃあ、そういうことで」と言う。そのときにはなぜか、手も「バイバイ」の形ではなく、やや「チョップ」なかんじ(お相撲さんが賞金を受け取る前にする手の形)になる。夜、帰宅した夫が、「今朝のことをおぼえているか?」「そういうこととはどういうことか?」と、出勤前には訊けなかったことを、矢継ぎ早に問うてくる。

なんにせよ、今日もまた、朝も夜も、元気に会えて、よかったね。     押し葉

母心娘心

大学生の時、ルームメイトがダイエットを始めた。数ヶ月のうちに、するすると痩せてゆき、すっきり身軽に軽やかになり、本人も快適そうであった。夏休みか、冬休みか、春休みか、を挟んだ後も、リバウンドすることもなく、彼女は、軽やかな体型を維持して、相変わらず快適そうであった。

ある日のこと、アパートに私一人がいるときに、彼女のお母さんから電話がかかってきた。「今外出中なので、帰ってきたら、お母さんに電話するよう伝えますねー」という私に、お母さんは慌てて、「いやいや、いい、いい。あの子には言わんといて。今日は、折り入って、みそさんに相談したいことがあって、思い切って電話することにしたんじゃけん。うちの子は、何か悩みでもあるんじゃないじゃろうか、と心配でたまらんようになったけん。この休みに帰ってきた姿を見たら、あまりにも痩せとるじゃろう。あんなに急に痩せるなんて。いったい何があったんじゃろうかと心配で心配で」とおっしゃる。

「いやいや、おかあさん。あれは、ダイエットに成功しただけです。本人も体調いいみたいですし、大丈夫ですよー」
「もうー。どうして、ダイエットなんかするんじゃろう。あの子はなんにもしなくても、そのままで、もうじゅうぶんに可愛いんだから、もうダイエットなんかしないように、みそさんからも言ってやって。あんなに急に痩せてしまったら、もう心配で心配で。本当に何も悩んでないんならいいんだけど。何かあったら、すぐ相談にのってやってくださいね。お願いしますね」

ルームメイトの、あのすこやかで、のびやかな心根は、このおかあさんの、底なしの愛情が育んだものなのだなあ。と、母の愛に、うっとりとしたひととき。

教訓。乙女心と親心を、同時に満たすのは、少しばかり難しい。     押し葉

赤い十字

やや年配女性のお客様が、風邪薬コーナーの前を、何度も何度も、行ったり来たりしながら、商品をご覧になっていたので、「お探しのものはありそうですか」と声をかけてみる。

「それを探してるのよ。」

何をお探しですか?

「痛み止め。」

鎮痛剤はこちらですが、どこが痛いときの痛み止めでしょうか。頭でしょうか。

「違う。頭じゃない。怪我をしたときの薬よ。」

それでしたら、飲み薬じゃなくて塗り薬でしょうか?

「そうよ。だからここを見てるんだけど。」

こちらは風邪関係の飲み薬の場所なんですよ。うがい薬もありますが。塗り薬は、あちらの皮膚薬コーナーにまとめてありますので、ご案内いたしますね。怪我のときに塗る薬ですと、このあたり、でしょうか。薬の名前はご記憶ですか?

「うちでは、赤い十字、とか、赤の十字、と呼んでる。」

赤い十字、ですか。(そんな名前のものはないけど)キズ薬で赤色っぽい外箱は、これなどでしょうか。

「あ。これこれ。赤い十字。あるじゃない。赤い十字。ねえ。これ小さいのしかないの? 大きい容れ物のはないの?」

申し訳ございません。このお薬はこのサイズしか置いてないんです。

「そうなん? 大きいのが欲しいのに。赤い十字。前はあっちの風邪薬のところに置いてあったやろ。赤い十字は痛み止めやし。ここに置いとくのはおかしいやろ。ちゃんと前のところに置いといてほしいわ」

人の話をあまり聞く気のないお客様へ(私の心の中の声)。
このお薬の名前は「キップパイロール」でございます。
痛み止めではなく、キズ薬です。
風邪薬のコーナーに置いたことは、未だかつてないはず。     押し葉

用法は正しく

わりとお若い女性二人組みのお客様。そのうちのお一人の方から「お腹が痛いのを止めたい」とのご相談。

お話をうかがってみたところ、下痢でもなく、お腹とは言っても、どちらかというと痛いのは胃のよう。やや胃酸過多気味か、軽い胃痙攣気味なのか、という症状だったので、対応方法はいくつかありますが、と、ブスコパン(鎮痙薬。胃腸の痛みと緊張を和らげる薬)を使う方法と、胃液分泌を調整して胃粘膜の荒れを修復するタイプの胃腸薬と、漢方タイプのお薬とをご紹介してみる。

このうちのどれかで様子を見られてはいかがでしょう。あとは、お腹周りが冷えないように、胴体にスカーフかなにかを一枚巻くか、腹巻したり、カイロで温めたり、工夫してみてくださいね。たいていの痛みは温めるだけで、ずいぶんとラクになりますから。

お客様が「胃が痛いときに、生理痛の痛み止めの薬を飲むんでは、だめですか?」とおたずねくださる。

はい。だめです。生理痛や頭痛のお薬は、胃腸の痛み用ではないので、効きません。それに薬の成分によっては、かえって、副作用の胃腸障害で胃の痛みがひどくなることが多いです。

ここで、お連れ様の方が、「え? そうなんですか? 私、いっつも、胃が痛くなったら、前に病院でもらって残ってるロキソニンを飲んでました」とおっしゃる。

ひゃあ。それは、いけません。ロキソニンは頭痛や生理痛や歯痛や打撲痛や外科的な痛みには、本当によく効くよいお薬なんですけれど、胃腸には優しくなくて、むしろ厳しいので、胃が痛いときに飲むとよけいに胃が痛くなるはずです。ですから、胃炎や胃潰瘍治療中の方には通常はロキソニンは厳禁です。

「そうかー。いつもそうでした。胃が痛いから、と思って、ロキソニンを飲んで、更に痛くなってました。痛み止めなのに、どうして胃の痛みに効かないんだろう、って思って、足りないのかもと思って、追加して飲んでました」

うわあ。それはやめてください。胃がかわいそうすぎます。一般的に「鎮痛剤」「痛み止め」と呼ぶものは、胃の痛みには効かないんです。胃や腸の痛みは、頭痛や生理痛の痛みとは、痛みの種類が別なので、使うお薬も別で、「鎮痙薬(ちんけいやく)」を使うんです。「鎮痛剤」「痛み止め」の箱に書いてあるのを、よくご覧いただくとわかるのですが、「頭痛・生理痛・歯痛・筋肉痛・咽頭痛」などなどいっぱい書いてありますが、「胃痛腹痛」は書いてないんですよ。

「わあ。本当だー。そうだったんだー。知らなかったー。危なかったね。訊いてよかったね。今も私、ナロンエース(鎮痛剤)を買えば? って言おうと思ってたもん。」

そうですね。ナロンエースはロキソニンと同じ仲間の痛み止めですね。ナロンエースも、胃が痛いときには、飲まないようにしてくださいね。

「わあ。あぶない。あぶないー」

という経緯の後、お客様は無事に適切と思われるお薬をお選びになった。

胃腸のお薬飲んで、胃腸を温めて、それでも痛みが長く続く時には、ちゃんと病院で診てもらってくださいね。

声をかけてくださって、相談してくださって、本当によかった。     押し葉

山を慕う

もう五年くらい前のことになるだろうか。母のお供、という役割で、オーストリアのウィーンに行ったことがある。母と私と、母の妹二人(この二人は双子)とその夫たち、母の姪っ子(私にとっては年上の従姉)とその母親(母の亡き兄の妻)という総勢大人八名のご一行様。従姉は以前ウィーンに住んでいたことがあり、ドイツ語も使えるので、まるでツアーコンダクターのように張り切って皆のお世話をしてくれる。広いアパートの一室を共同で借りて、自炊したり外食したり洗濯したりしながら、そのアパートを基点に、滞在と観光を愉しむ毎日。

そんな八名で、ウィーンから少し離れた街まで、電車とバスを乗り継いで、ワイン農家のレストラン(ホイリゲ)へ夕食に行き、その帰り道もまたバスと電車を乗り継いでアパートに戻る。夕食を済ませてもまだ、長い夕方が続いていて、薄明るい世の中を、バスの中からほうっと眺める。遠くに見える山の緑も、路面に植わる街路樹の緑も、私がそれまで訪れたどこの緑ともちがう緑で、深くしとやかに美しく目に映る。「山の緑も街の緑も、ここならではのきれいさだねー」と、隣に立つ叔母(母の妹)に向かって、言うとはなしに言ったら、叔母はくすくすと笑って「ちっちゃいときと同じだが」と言う。

「ちっちゃいとき?」
「そうだが。みそちゃんは、ちっちゃいとき(2歳前後)、松江で一緒にバスに乗っても、今宮(母の実家がある東出雲の集落)で一緒に散歩しても、いつも、みてー! やまがー! やまだー! きがー! きれいー! って、山と木のことを、何回も何回も言うちょっただが(言っていたでしょう)」
「いや。それは、さすがに憶えてない」
「まあ。おぼえとらんがね(おぼえていないのですか)。私と一緒に島根の山を見たのを憶えちょって、今そう言うとぅだぁ(言っている)と思ったわね。大きくなっても目に留まるものやこころに留まるものは、そうは変わらんもんなんだあかあ(そうは変わらないものなのだろうか)」

幼少期の私の細胞のすべてを育んでくれた島根県東部の方言を、耳で聞いて意味をとることは問題なくできるのだけど、そしてその音もリズムも心底愛しているのだけど、話したり文字に起こしたりするのは全くもって自信がない。ゆえに、不自然な島根言葉表記に関しては、ご容赦お見逃しいただきたい。

話をもとに戻す。そう言われれば、私は、どこに行っても、どこで過ごしても、どこで暮らしても、山と木の存在とその緑に(緑以外にも)魅せられる。できることなら、緑濃い大きな木の下か木の側でこの世を去れたら、と願うほどに。

けれども、密林での遭難死は望んでいない。暑くもなく寒くもなく、温かくて涼しい快適な状態で、痛くもなく痒くもなく苦しくもなく、穏やかに気持ちよく、緑濃い大きな木の下か木の側で、深く静かな呼吸とともに、息を引き取れたらと思う。そしてもしも叶うなら、私がこの世に来る時に、降り立つ地として選んだ、八雲立つ出雲の地を、あの世に逝くときにも必ず何らかの形で通過しようと思う。

こういうことは細かく願っておかないと、かみさまは、わりとけっこうおおざっぱに願いを聞いてくださる傾向がおありなので、注意しなくてはならない。とりあえず密林遭難死は禁止。     押し葉

商品名は正確に

お客様がお求めの商品の、その名前を正確にご記憶でないことは、それはよくあることである。

先日、あるお客様が、「石けんはどこでしょう?」と訊ねられた。

洗顔用石けんでしょうか?

「はい。ピルピーリ、とかなんとかいう名前で、マスカットの匂いがするんです。同じ会社の人が、すごくいいよ、って教えてくれたから、私も使ってみようかと思って」

ピルピーリが商品名でしょうか?

「うーん。それが。会社の人もあんまりはっきり憶えてなくて、なんとなくこんなかんじの名前で、マスカットの匂いがするってことしか」

では、メーカーがどこか、なんてことは、わからないです、よね?

「ああ。わからないです」

有名な化粧品会社のでは、なさそうですか?

「ああ。それはちがうみたいです」

それでしたら、ビューティーカウンセリングではなく、一般コスメのコーナーを見てみますね。他には何か特徴をご記憶でないですか? 透明の固形石けんでしょうか? それともチューブに入ったクリームタイプでしょうか?

「固形です。マスカットの匂いです」

コスメの洗顔コーナーをざあっと見る。緑色の透明固形石けんで、透明プラスティックで覆われた容器に入った石けんを発見。外容器の台紙には葡萄(マスカット)の絵が描いてある。商品名は、「グレーピア ピーリングソープ」。葡萄のグレープのグレーピアかな。

「あ! これ! マスカット! ピルピーリって書いてある」

いえいえ。お客様。ピルピーリ、ではなくて、グレーピアピーリング、ですが、お探しの名前のものとは、一部しか合ってないですけど、だいじょうぶでしょうか? これがお探しのもので間違いないとよいのですが。

「たぶんこれだと思います! ああ! マスカットだし。くんくん、って、外からはにおわないか。絶対これです。これ買って行きます。ありがとうございます」

グレーピア ピーリング。その真ん中あたりを取り出して、ピアピーリ。ピルピーリと一文字違い。うーん。省略としては見事だが、他人に何かを奨めるときの、その奨めるものの名前の情報提供としては、あまりにもこころもとなくないか。けれど、それで、こうやって、求めるものが手に入る、ということは、情報の正確さ、というものは、その程度でもだいじょうぶ、ということなのかもしれないなあ。     押し葉

狸(たぬき)の岩魚(いわな)

以前、熊本に住んでいた頃、何回か、温泉付きのキャンプ場に泊まりがけで遊びに行ったことがある。屋外で汗をかいて疲れても、ゆっくりしっかりお風呂に入ると、すっきりさっぱり快適に、テントの中で眠りにつくことができると知った。そのキャンプ場は、たいへんよく整備されていて、各テントサイトまで、各自の車で乗り付けられる。その奥に平坦な芝生サイトがあって、テントやタープはそこに設置する。水道も流し台もある。レンガで組んだカマドもある。なんと、電源まである。本格的なアウトドア派には、へなちょこでちょこざいなキャンプ場かもしれないけれど、へなちょこでちょこざいな私には、なかなか適した場所だった。

初めて遊びに行ったときには、下界の暖かさに油断して、山の寒さを甘く見ていて、寝具が足りず寒くて困った。でも、焚き付け用の新聞紙をばらして、それを体に重ねてかければ、ちゃんと温かく眠れるということも知った。だけど、じきに暑くなりすぎて、汗だくになってしまうということも、そのときに学習した。

そのキャンプ場に、何度目に行ったときだろう。飯盒で炊いたごはんと肉や野菜を炭火焼きにした食事もすんで、温泉のお風呂もすませて、夜空も心底満喫して、じゃあ、寝る前に、トイレに行っておきましょう、ということで、夜道をてくてくと歩く。テントサイトからトイレまでは、十数メートルから数十メートルの距離だろうか。

トイレから先に出てきた私は一人、濃く深い夜の空と星を見上げながら、夫が出てくるのを待つた。そうしたら、見知らぬ男性が何か声をかけてきた。年のころは、二十代前半だろうか。十代後半だろうか。わりと小柄な男性だ。男性は「シオナカトデスカ」と言う。何を意味する言葉なのかとっさに判断できなくて、「え?」と聞き返す。「シオナカトデスカ」「は?」何度言い直してもらっても、やはり聞き返してしまう。でも、そのおにいちゃんは、とてもとても根気よく、でも言い方を変えることもなく、「シオナカトデスカ」を繰り返してくれる。何度か聞き返しているうちに、「塩なかとですか?(塩ありませんか?)」であることが判明した。

そこで夫がトイレから戻ってきて、「どうしたの?」と聞いてくる。「あのね、塩がほしいんだって」「塩?」「はい。すみません。下の川で、友達といっしょに、岩魚をとってきたんですけど、炊事場で炭火で焼いて食べるのに、塩がないことに気がついて。もしもあれば分けてください」という意味のことを、濃い熊本弁で話してくれる。

「いいですよ。テントサイト、ちょっと遠いんですけど、取りに来てもらえますか?」ということで、三人でテントサイトまで歩いて、塩の瓶を手渡してあげる。「ありがとうございます! 使い終わったらすぐ返しに来ます!」「明日の朝ご飯までに返してくれればいいですよ。私達、もう寝ちゃうんで、返しに来てくれた時に、もう寝てたら、この辺に置いておいてくださいね。」と場所を指定しておく。

おにいちゃんは、嬉しそうに、塩を片手に去ってゆく。おにいちゃんが立ち去りきったのを確認して、夫が言う。「狸(たぬき)だ!」

「え? 別に狸顔の人じゃなかったよ」
「違う! 本物の狸だ! おかしいじゃろう。こんな夜中に川で魚とってくるって」
「でも、狸なら、生で食べるんじゃないの?」
「人間が魚を焼いて食べてるの見て、やってみたくなったんじゃないか?」
「塩もそれで真似するの?」
「そうに違いない」
「じゃ、友達っていうのは、仲間の狸?」
「そうだ」
「へえ。地元の狸じゃけん、熊本弁も上手なんじゃね」

テントの中で毛布にもぐりこんで、ランプも消して、静かに夜の音を聴く。くすくすと笑いながら。「しおなかとですか?」って、すぐには聞き取れなかったよ。熊本弁の道は険しいね。と話しながら。

どれくらい経っただろう。少し眠気が訪れた頃、「すみませーん。すみませーん」と小さな声が聞こえてきた。あ。塩返しに来てくれたんだ、と思って起き上がろうとしたら、夫が肘で私を制する。そして、声を出さずに、口の形だけで言う。「出るな。ばかされる」

じーっと、静かに過ごす。「すみませーん。塩、ありがとうございました。ここにおいておきまーす」

した、した、した、と、去って行く気配。「このまま寝よう」と夫が言う。

「塩は? 湿気ないかな?」
「いい。いい。明日の朝見ればいい」

ちょっとだけなら、ばかされてみてもいいのにな、と思いながら眠りに就く。

翌朝。塩は湿気ることもなく、指定の場所にちゃんと無事に置いてあり、朝ごはんのゆで卵に、問題なくかけて食べられる。と、思っていたら、園内放送が。「みなさま、おはようございます。忘れ物のお知らせです。協同炊事場に、岩魚が置いてありました。心当たりのある方は、管理事務所に取りに来てください。くりかえします、共同炊事場に岩魚が置いてありました」

「うわ。きっと昨日の夜の岩魚だね」
「なー。狸だろうー?」
「じゃあ、泊まらずに帰ったのかな」
「そりゃあ、狸じゃもん。自分の巣があるじゃろう。あんな夜中に来たら、管理事務所も開いてないから、入園料なしで入れるし。タダで日帰り利用したんじゃろう」
「でも、岩魚、全部食べられなかったんだね」
「狸と言えども、乱獲は、いかんやろう」
「それかあまりに美味しくて、キャンプ場の利用料として置いていったか、キャンプ場の皆に食べてね、っておすそ分けかもよ」
「といっても、そんな放置してある魚、今時だし、真夏だし、食べられんわなあ。昨日の夜も、塩のお礼だとか言って、岩魚を葉っぱに乗せて持ってきてくれてたら、どうしようかと思ってた」

こうして、あのおにいちゃんは、狸、ということで、私達に記憶されることとなった。

その後も、そのキャンプ場に行く度に、「また、あの狸に会えるかな」と楽しみしていたけれど、狸もその仲間達も、岩魚の塩焼きは、あのときだけで満足したのか、もう会うことはなかった。     押し葉

黒酢の継続

年配のお客さま(男性)に声をかけられた。「梅酢、くれ。梅酢。」

梅酢、ですか?

「そうや、梅酢や。」

申し訳ございません。梅酢は置いていないんです。

「なんや、それ? 今までずっと続けて飲んでたのに、ないと困るやないか! いっつもここで買ってるのに、なんで置かんようになったんや!」と、かなり、プンプンカンカン、ご立腹。

申し訳ございません。代わりに梅酢に近いもの、似たもの、に、なってしまうかもしれませんが、今うちで置いているものですと、梅酒か、梅肉エキスか、黒酢やもろみ酢でしたら、ご用意できるんですが。

「あ! 黒酢や。梅酢ちゃうわ。黒酢やったわ。わはは。ごめんごめん。そう、これこれ。いつも飲んでるのこれこれ。梅酢じゃ、しょっぱいやんなあ。黒酢。黒酢。」おっちゃん、もう、プンプンカンカンしていない。

聞き間違いもあるけれど、言い間違いも、ある、よね。     押し葉

胸焼けのご相談

お客様からのご相談。「胸焼けの薬がほしいのだけど」

「そうですか。胸焼けは、ご飯食べる前、ご飯食べた後、どちらかにひどくなるなど、何か特徴がありますか? あるいは、何か、胸やけになるような、心当たりはありますか?」
「心当たりはないんだけど。ご飯の前とか後じゃなくて、寝る前に甘い物をたくさん食べると、起きた時に重くて焼けたかんじがするんです」
「お客様。それは、重くて焼けるのが正しいです。そしてそれは間違いなく、心当たりだと思います」
「そ、そうかな? んー、でも、寝る前に、甘いもの、食べないわけにいかないしなあ」

な、な、なぜだ。いや、まてまて。人それぞれ何か事情が、特殊な事情が、あるのかもしれない。

「でしたら、お客様、とりあえず、甘い物を食べた後は、何かちょっと、消化酵素で、消化を助けてやりませんか? そうすれば、目が覚めたときの重い感じは、ずいぶん違うと思いますよ」
「あ、じゃあ、これにします。粉はイヤだから、錠剤で」
「食べたら飲んでくださいね。でも、あんまり重いのが続くようであれば、寝る前に食べるのは止めたり少なくしたりして、胃腸を休めてあげてくださいね」
「わかった。これで様子を見てみるわ。ありがとう」

寝る前に甘いものを食べないわけにいかない事情ってなんだろうなあ。気になる。     押し葉

みんな「さちこ」

友人「ゆふちゃん」の父上は、現役世代だった頃、長い間、女子ソフトボールチームの監督さんをしておられた。試合の時にはビデオ撮影もしておいて、自宅でそれを見直して、その後の指導に役立てる、熱心なお父ちゃんなのだ。その日も熱心なお父ちゃんは、試合のビデオを再生していて、そのときたまたま自宅にいたゆふちゃんもそれを一緒に見ることに。

お父ちゃんのチームの何回目かの攻撃。打者の選手がバッターボックスに入る。味方ベンチから声援が飛ぶ。「さっちこー!」「さっちこー!」

ゆふちゃんは、へえ、この子「さちこちゃん」なんや、と思いながら、心の中で応援した。「さちこちゃーん。がんばれー」

場面変わり、次の打者がボックスへと入る。またベンチから声援が飛ぶ。「さっちこー!」「さっちこー!」

へえ。今度も「さちこちゃん」なんや。同じ名前の子が続くねんなあ。と思いながら、ゆふちゃんは引き続き観戦。そして心の中で応援。「二番目のさちこちゃんもがんばれー」

さらに場面は変わって、また次の打者がボックスに。やはり味方からの声援。「さっちこー!」「さっちこー!」

ええええ? 三人目もまた「さちこちゃん」か?  不思議に思ったゆふちゃんは、お父ちゃんに訊いてみる。「バッターの子ら、今の子ら、たまたま全員、さちこちゃんなん?」

お父ちゃんはいぶかしげに、「なんや、それ? だれが、さちこや?」
「ほら、だって、さっきから、ベンチのみんなが、さちこー、さちこー、言うて応援してるやん」
「はあ? そんなん言うてないぞ」
「言うてたって。ほらー」と、ゆふちゃんはビデオを巻き戻し、先ほどの場面を再生する。

「さっちこー!」「さっちこー!」

「ほらな。さっちこー、言うてるやん?」
「ゆふ。それ、さちこ、ちゃうぞ。さあっ、行こー! 言うて、気合入れてるんや」
「さあっ、いこー?」

「さっちこー!」は、「さあっ、行こー!」

お父ちゃんもー。ゆふちゃんもー。みんなー。がんばれー。     押し葉

耳のにおい

私の好きなことは、いろいろとあるけれど、夫の耳のにおいをかぐことも、かなり好きなことのひとつ。右耳はそれほどでもないのに、左耳のにおいがたいへんによいのだ。 香ばしいようなにおいと、生き物の細胞独特の生々しいにおいとが、絶妙に調和している、ように私には思える。

鼻を夫の左耳にすりよせて、くんかくんかくんか、とにおいを嗅ぐ。そのにおいをさらに深く味わおうと、すー、はー、すー、はー、と、深い呼吸とともに嗅ぐ。

しかし、夫にとって、このスキンシップというのか、仲良き形というのか、は、あまり快適でないらしく、「さ、さぶいぼ(鳥肌)が出る。怖い」と不快を訴え、軽く体をよじらせて、こころもち逃げようとする。

「怖くないよー。夫婦のスキンシップは大切よー」と言うと、「じゃあ、頑張って我慢してみる」と言ってくれるが、三呼吸もしないうちに、「だあー、だめだー! 鼻息が台風みたいで怖い!」と泣きを入れてくる。

だから、あんまり頻繁にしては気の毒かもしれないと思い、ときどき、や、たまに、にするように、こころがけている、つもり。     押し葉

修業道場

ちょうど一年前の十一月の終わりごろ。北海道に住む友人が、福井に遊びに来てくれた。彼女に会うのは久しぶりで、うれしくて、たのしくて、わくわくうきうき。せっかく福井に来てくれたなら、と、永平寺にご案内。誰かが来るたびに訪れて、もう何度目にもなるけれど、何度行っても気持ちのいい永平寺。

存在が、限りなく静謐で、建物や空気の佇まいを見るだけで、ただそこにいるだけで、身も心も、清浄に穏やかになってゆく。永平寺の山門から、お山のてっぺんの本堂まで、ゆるやかでなだらかな階段で繋がっているのだけど、その傾斜を見るだけで、これまた気持ちが和むのだ。その階段を雲水(修行僧)さんが、静かに速やかに小走りに駆け下りながら、振袖のような袈裟の袖に風はらませる姿は、たいへんに美しい。

永平寺のこの階段には、ところどころ隅っこに、網状の飾り彫りの金属の蓋のようなものが付いている。いまでこそ、ガラス窓もはめこまれ、雨も雪も風も中に吹き込まないようになったけど、その昔には、窓もなく、ふきっさらしだったので、雨や雪が入り込み、階段を濡らしていたそうである。その水が多すぎるとき、この飾り彫りの蓋のところに水を流してやるための排水溝、雨樋、なのだ。

と、ここで、友人に訊いてみた。「さて、質問です。この飾り彫りの金属の蓋は、なんのためのものでしょう?」

友人は、ちょびっとだけ考えて、でもすぐに、「あ、わかった!」と言う。「ここから温風が出てくるんでしょ? それか、全館床暖房の装置?」

げほげほげほ。あまりの思いがけない返答に、咳が出る。ここは北海道じゃないので、全館床暖房設備は一般的ではありません。それに今私達、思いっきり寒いじゃん。階段に床暖房だあ? そんなぬるい修行道場、おねえさんは、ゆるしませんよ。     押し葉

雷様のおへそ

友人とその息子くん。

梅雨の季節とはいえ、あまりにもあまりな豪雨が降りしきり、雷もぴかぴかごろごろ。けれど普通の日であるし、いつもどおりに、朝ご飯を食べて、着替えて、登校の準備をすすめる。いつもなら、さくさく着替えて支度する息子くんが、その日はなにやら、ごそごそもぞもぞ、いつまでたっても着替え終わらない。しかも友人のそばに、ぴたあっ、と、くっついて、もぞもぞごそごそ。

友人は見かねて、「いいかげんに早く着替えなさい。学校に間に合わんようになるやないね」と声をかける。すると息子くんは、真剣なまなざしで「おへそが。おへそをかくしたまま、きがえられへん」

「はあ? おへそ?」
「かみなりさまは、おへそとるんやろう? かくしとかんと、とるんやろう?」

息子よ。君は小学三年になっても、雷のへそ取りを信じていたのか。君がいまだに、雷様を怖がってたとは、お母さん知らなかったよ。と思いつつ、「大丈夫。しゃっと着替えたら、雷さん、おへそ取れへんから。しゃっと着替え」
「ほんとうに? おかあさんのおへそはだいじょうぶ? ちゃんとある?」
「ん? どうかな? あった。あった。大丈夫やわ。お母さん、しゃっと着替えたし」
「わかった。ぼくも、しゃっときがえる」

そして息子くんは、無事に着替えて、元気に登校。おへそも無事に元気に登校。なによりなにより。     押し葉

廻る孫寿司

以前、富山の、とある町の「回転寿司屋」さんにてお昼ご飯を食べたとき。

富山のお魚は「きときと」(新鮮で活きがよくておいしいこと)。富山に限らず北陸地方は、回転寿司のレベルが非常に高い。もちろん回転寿司だけではなく、鮮魚全般のレベルが高い。

けれど、私は油揚げが好物で、お寿司屋さんでも「いなり寿司」を食べたくなる。夫は「いなり寿司は寿司屋で食べるものじゃない」という主義主張の持ち主で、私がいなり寿司を食べようとすると阻止する癖を持っている。しかし、その日は、思う存分いなり寿司を食べたかったから、お店に入る前からずっと、「私は今日はいなり寿司をいっぱい食べるから。止めても食べるから」と宣言しておいた。

海鮮ネタの握り寿司ももちろんおいしくいただきつつ、回転レーンで廻っているお皿に乗るいなり寿司にも手を伸ばす。夫は「こんなところで、いなりを食べなくても」とやはりやや不満げであるが、「おいしいよーしあわせだよー」と、ご機嫌攻撃で返しておく。

そんな私達の右隣に、おばあちゃんとそのお孫さんと思われる二人連れが座った。私の右におばあちゃん。その右に二十代前半くらいの青年。

おばあちゃんは、嬉しそうにちょこんと座って、お茶を飲んだり、生姜を食べたり。若者が「好きなもの取って食べやー」と声をかけると、さらに嬉しそうになって、でも手に取るお寿司はいなり寿司。若者は「そんな安いのじゃなしに、値段気にせず、食べたい魚食べやー」と言うけれど、おばあちゃんは「私はいなりが好きなんや」と、一皿目も二皿目も三皿目もいなり寿司。

左隣に座る私も、いなり寿司を二皿連続で食べていたら、おばあちゃんがそれを見つけて、「お。おねえさんも、いなり好きなんやね。私もなんや。ここのいなりはおいしいね」と声をかけてくださる。「ほんとですね。おいしいですね」と、たまたま隣に居合わせたいなり寿司好き二人して、はぐはぐと、いなり寿司を頬張る。

おばあちゃんは、大きくなった孫と一緒に、孫が運転する車に乗って、お昼ご飯に出かけたことだけで、きっと、気持ちのお腹がいっぱいなんだろうな。値段の高いお魚を食べなくても、連続いなり寿司だけで、十二分に満足なんだろうな。いなり寿司と、お茶と、生姜を、孫にご馳走してもらって(お茶と生姜は無料だけれど)、おばあちゃんはすごく幸せそうで、たまたま隣に居合わせた私まで嬉しくなって、気持ちのお腹がいっぱいになる。

でも私は、いなり寿司以外にも「ばい貝煮つけ」もたらふく食べて、きときとのお魚もちゃんと食べて、あさり汁も頼んで、体のお腹もいっぱいで、体もこころも両方のお腹がとてもいっぱいになって、「ご機嫌長者道」(私が精進中の道のひとつ)をさらに邁進した日であった。よかった。     押し葉

毎日の手紙

姪っ子みみがーのひと昔前の話。みみがーが小学生になってしばらくした頃。彼女はもう、ひらがなに関しては、書くのも読むのも、完全に自由自在になった。書くことの自由自在を彼女は謳歌している。

学校から家に帰ると手紙を書く。クラスメイトひとりひとりにあてて。
「だれだれちゃんは、いつもやさしくにこにこしてるのがとてもいいね。」
「だれだれくんは、はやくはしるのがじょうずだね。」
「だれだれさん。いつもよくあそんでくれてありがとう。」
翌日学校で各自に手渡す。みんな受け取ってくれるけど、返事はなかなかもらえない。

手紙の相手は、クラスメイトに限らない。各学年の上級生にもあてて書く。
「四ねんせいのみなさんへ」と書いた手紙は、通りすがりの適当な四年生に手渡す。上級生も受け取ってはくれるけど、返事はまだもらったことがないらしい。それでも彼女は書き続ける。

彼女と同じ年のころ、私はノートに書き続けたが、手紙に書いて誰かに渡す、という方法は、思いつかなかった。いや。手紙も結構書くほうではあったけど、ときどき誰かひとりにあてて書くことはあったけど、クラスメイト各自に向けて毎日書くということは、全く思いつかなかった。私が書くもののその多くは、よく知っている物語の、思い起こしで自分が語りなおしたものと、創作したその続編。国語ノートに宿題をしたあと、残りページに書き続ける。ノートがどんどんなくなっていく。ノートをいくら買ってもらっても買ってもらってもおいつかない。でもそれは、自分用のノートなので、人が読むことは殆んどない。宿題を採点する担任の先生だけが、唯一の読者だったとおもう。ああ。そうか。そうだったのか。だからだったのか。あの先生が、とあるとき、私に、とある作文コンクールのようなものに応募するように、ほぼ無理やりに作文を書かせてくださったのは、私の止まらぬ書き癖や書き欲のようなものの発露を考えてくださってのことだったのかもしれない。

みみがーの書き癖は、いつまで続くのだろうか。手紙という手段が、彼女の中の何かの発露として、うまく機能していることを静かに願う。ひらがな以外の文字もこれから、少しずつ身につけて、自由自在に使いこなして、「文字の世界」をさらに彼女が味わうことを深く永く期待する。     押し葉

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プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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