みそ文

パジャマじゃない!

甥っ子のむむぎーが、まだ幼稚園児だった頃。夏に帰省した私は、いつものように実家の二階の部屋で寝ていた。

どったん。どったん。どったん。どったん。むむぎーが階段を一段一段上がってくる音がする。

「みそちゃん、おはよー。あさです。おきてください。あそびますよ」
「うーんー。まだ眠いけど、ちょっとずつ起きるけん、窓いっぱい開けてくれる? 新しい空気を通したら、早く目が覚めるかもしれんけん、ドアも大きく開けてくれる?」

小さな体で指令に従うむむぎー。小さな体はエネルギーがいっぱいなので、頼まれた動き以外にも、むやみやたらにぐるぐると動き回る。

「暑いのに、元気じゃねえ。そんな動いたら、汗汗になるじゃん。ところで、みみがー(むむぎーの妹)はどうしょうるん?」
「みみは、まだ小さいけん、ねようる(寝ている)」

少しずつ目覚めながら、そんな話をしていたら、たんたんたんたん、と、階段を駆け上がる音がして、弟が現れた。「ねーちゃん。朝はよーからわりいんじゃけど(早くから悪いんだけど)、なんとかかんとか」と、内容は忘れたけれど、何か用事を話し始めた。「はい、はい。わかった。何何しとけばええんじゃね?」「うん。頼んだけん」と、弟との会話はさくさくと終了した。

そこで弟が、ふと、「むむぎー。おまえ、なんで、パジャマ着とるんな? みそちゃんに遊んでもらうんなら、ちゃんと着替えて来いや」と言う。むむぎーは「これはパジャマじゃない!」と抗議する。

「えー? この生地の感じと言い、全体の形と言い、色柄具合と言い、どう見てもパジャマじゃろう。着替ええや」
「パジャマじゃないもん。さっききたばっかりじゃもん!」
「むむぎー、私は別に、パジャマでもなんでもええんじゃけど、さっきから、むむぎーが汗だらけなのが気になるわあ。いっぺん汗拭いて、乾いた服に着替えてきたら?」
「ちがうもん! さっききがえたばっかりじゃもん! パジャマじゃないもん!」
「おまえ、おかあさんに言うて、新しい服出してもらええや。パジャマじゃないやつ」
「おかあさんが、きょうはこれきなさい、いうたんじゃけん。パジャマじゃなくて、ふだんぎって、いうとったもん」
「おかしいのお。ゆな(むむぎーの母、弟の妻)は、なんでこれを選んだんじゃろうのお」
「んー。それはようわからんけど、私はむむぎーが汗だくなのが気になるんじゃけど」
「おい、むむぎー。いっぺん家帰って(弟夫婦の家は、同じ敷地内で、実家とは別棟にある)、おかあさんに言うて、新しい服出してもらえや。もうちょっとパジャマに見えんようなやつを」
「もう! パジャマじゃないようるじゃん(パジャマじゃないと言っているではないか)。これはふだんぎー!」だん! だん! だん! だん! むむぎーが地団太を踏む音。
「こらこら、むむぎー。そんな暴れて泣いたら、ますます汗が出るけん、そうっと動きんちゃい」
「ぼく、あせなんか、かいてないもん!」
不本意に不本意が重なったからなのか、甥は汗をかいていることすら、認めたくない気分になってしまったようだ。
「まあ、とりあえず、下、降りようや」と、三人で一階に下りる。

そこに、赤子のみみがーを連れたゆなさんがやってきた。むむぎーが「おかあさん! ぼくのふく、パジャマじゃないよね! ふだんぎ、よね!」と訴える。

「そうよー。なんで?」
「おとうさんがパジャマじゃけんきがええ、ゆう(言う)!」
「あははははー。しめじさん(弟)(むむぎーの父)。これでええんよ。これ一応普段着じゃけん」
「これが普段着か? わしゃあ、パジャマか思うたで。相変わらず、ようわからんファッションセンスじゃのお。普段着じゃいうんなら、まあ、ええけど、この格好で買い物行くなよ」
夫婦と親子の会話は、これで成立したらしい。

ここで私が、「ねえ、ねえ。私は、パジャマでも普段着でも、気にせんほうじゃけど、汗ばんでるのは、着替えた方がいいと思うんじゃけど。君たち、そのへんはどうなん?」と、きいてみる。

「あははははー。お姉さん、ええんですよ。このままで。どうせ、まだまだ、これから汗かくけん、今はまだ着替えるには早い」

そうか。そういうものなのか。私は汗の不快に弱いので、すぐすぐ着替えてしまうのだけど。旅先でも、睡眠中でも、人んちでも、場合によっては勤務先でも。だから洗濯物が多いんだな。本人と母親がいいっていうならいいのだろう。納得。

そんなことがあったのと、たぶんそう違わない時期に、当時、駅前の調剤薬局まで、バス通勤していた私は、とある大雨の日の朝、「バス停から職場まで歩く間に、傘をさしてても、間違いなく、かなりぬれるな、ぬれたままで仕事するのは気持ち悪いから、着替えを持っていこう」と計画して、いつもの通勤荷物とは別に、着替えのズボンとTシャツと靴下とタオルとを鞄に入れて出勤した。

案の定、ずぶぬれになって、職場に着いて、仕事の準備を一通り終えてから、持参したものに着替える。ぬれた服はハンガーにかけて、靴下はビニールに入れて、体全体タオルで拭いて、ああ、さっぱりー。

そんな私を見て、同僚が「どうやらさん。今日は白衣の下、パジャマで仕事するんですか?」と訊いてくる。

「ちがいます! これはパジャマじゃありません! ちょっとだらりとしたリゾートウェアです!」
「ええ? そうなんですか? てっきりパジャマかと」
「仕事中にパジャマは着ません! 鞄に入れて持ってくるのに、一番かさばらなかったから、これにしただけです!」
「うーん、でも、やっぱり、パジャマに見えますねえ。それにしても、どうやらさんて、雨でも汗でも、すごくまめに着替えますよねえ。私は着替えの面倒くささを思ったら、気持ち悪いの我慢する方がいいです」

パジャマじゃないって言ってるのに。ああ。あのときの、むむぎーは、こんな気分だったのかしら。でも、汗だくになっても着替えないのは、むむぎーと同僚は仲間みたい。

その少しだらりとゆったりとしたリゾートウェアは、全体的に黄色っぽくて、大柄の向日葵模様で、綿100%で着心地よく、暑い南国リゾート地でも、快適に過ごせるのだ。でも、さすがに、何年も経過して、何十回も着用して、だらだらがぼろぼろになってしまったので、近いうちにボロ布としてチョキチョキハサミで切りましょう、と、準備用引き出しに片づけていた。

それが最近、ふたたび、復活することになった。なぜなら、私ががちょくちょく行くようになった岩盤浴屋のメニューに、「マイガウン持参コース」というのができたから。タオル、バスタオル、岩盤浴用甚平(というのだろうか。膝下丈のゆったりコットンパンツと、上着の前を紐で結ぶタイプの七部袖の揃いの上着のセット)をお店で借りると、時間制限なし、利用料1300円なのが、岩盤浴着、タオル、バスタオルを持参すると、時間制限なし、利用料が1000円になるのだ。持って行くさ、それくらい。

そういうわけで、岩盤浴用ズボンとして、その向日葵柄のリゾートウェアを再利用することにしたのだ。もう全く行かなくなったリゾート地で履くには、あまりにボロボロであっても、薄暗い岩盤浴室で着るには、十分に使用可だ。上には、同じかんじの色合いの、だいだい色や黄色の、これまたクタクタになったTシャツを着て、汗をいっぱいかくのだ。

そのマイガウンを持参で、岩盤浴屋に行ったとき。私が汗だくになりながら、ごろりと、温熱鉱石の上に、うつぶせたり、寝転んだり、していたら、「失礼しまーす」というささやき声と共に、お店の人が入ってきて、「湿度調整用のオゾン水をちょっと撒かせてくださいね」と言いながら、散水作業を少しされた。「はい、はい、どうぞ。お願いします」と言っただけで、そのままくつろぐ私を見つつ、作業を終えたお店の人が、浴室を出て行きながら私に向かってこう言われた。

「私も、岩盤浴に来る時は、マイガウン持参なんですけど、着古したパジャマが、ちょうど具合がいいんですよねー。お客様も私と同じだーと思って嬉しくなっちゃいましたー」

やはり、この、向日葵ズボン、どうしてもパジャマに見えるのか? 汗だくなのは、あの頃のむむぎーと今の私は同じだけど、もしかすると当時の彼以上に今の私は汗だくだけど、地団太を踏むには、岩盤浴室は熱過ぎて、地団太を踏むには、温熱鉱石の砂利たちが足の裏に痛すぎて、ただじっと「ちがうのに。パジャマじゃないのに」と、一人きりの浴室内でつぶやく休日。     押し葉

下着泥棒捕獲作戦

実家の近所に住むめいちゃんは、保育園の頃からの大の仲よし。

もうずいぶん前のこと、めいちゃんちに連日、下着泥棒が現れたのだという。洗濯物を干す場所から下着だけが毎日毎日、なくなっていくのだと。たまりかねためいちゃんのお母さんは、「下着泥棒捕獲作戦」に出ることにした。洗濯物干し場がよく見える(でも物干し場からはよく見えない)物陰に、じっと隠れて、犯人を現行犯で捕らえる作戦だ。めいちゃんのお母さんは、洗濯物を干した後、物陰にずっと潜んで、じっと待つ。

そこに、のこのこと、犯人現る。いつものように下着を手に取った瞬間、すかさず、めいちゃんのお母さんは飛び出して、がしっと犯人につかみかかる。その犯人は、少年というには大きくなりすぎた、でも青年というにはまだ若すぎる、町内のどこの家の、なんという名前の子なのかは、知ってる人物であったらしい。

「もうしません。絶対しません。ごめんなさい。許してください」と犯人は謝る。

めいちゃんのお母さんは、「今度見つけたら警察を呼ぶ。あんたの家の人にも言う。二度としなさんな」ときつく諭す。

「わかりました。ごめんなさい。本当にごめんなさい」と謝り続ける犯人に、めいちゃんのお母さんは問いかける。

「いっこだけ、どうしても聞きたいことがある。うちには若い娘が二人いるのに、その子たちの下着じゃなく、私の下着だけとっていくのは、なんでなんね?」

犯人は「すみません。小さいより大きい方がいいと思って」と答える。

めいちゃんは、「母には悪いんだけどねえ」と言いながら、「その話聞いたとき、妹とげらげら笑ってねえ」と思い出し笑いしながら、話して聞かせてくれたけど、おばちゃん無事でよかったけど、その作戦は危ないから、ちゃんともっと力のある大人の男性に協力してもらうなど、安全策を講じてほしい、と切に願った日であった。     押し葉

見据える

自分が選んだことも、自分が選ばなかったことも、責任を持って受け容れる。

何かを選ぶということは、殆んどの場合、何かを選ばないということと、セットになっているものなのだ。そのどちらにも、自分の意思と責任を意識すると、それだけで、お腹の下の、お臍の下に、温かくて強くて柔軟な力の玉が膨らんで大きくなる。大地を踏みしめる両足の力がぐっとぐっと強くなる。天を見上げる眼の力が鋭くなる。この世を味わうこころの力が丈夫になる。

砂をかむような不安感や、くやしさや、なさけなさや、自分のしょぼさや、ままならなさも、すべてを引き受け味わった結果、辿り着くところを静かに目指す。

誰かや何かにどうにかしてもらおうと思っているあいだは、お腹の力の温かな玉は、存在しない。誰かや何かがどうにかしてくれるはずだと思っている間は、自分の責任で何かを選ぶということとの縁は薄い。

選ぶことも、選ばないことも、どちらもせずに過ごす方法も、たぶんある。あいまいな不安感の、漠然とした不快感の、その本質を見極めることなく、ずっとずっと、胸のザワザワを抱える方が得意な人もきっといる。そのやり方しかできない状態の人もいる。それはそれで、力も勇気も必要なことなのだ。

けれども、それとは別に、何がつらくて、何が苦しくて、何がどうしてザワザワしているのか、そのことをつまびらかに見極めて知った上で、ああ、だから苦しいのか、ああ、だからつらいのか、と理解して味わった後、打開策があるかもと、探したり、試したりするのが得意な人もやはりいる。

何が怖いか、は、人それぞれ。真実を知るのが怖い人。真実がぼやけているのが怖い人。どちらの恐怖がより強いか。

何が安心か、は、人それぞれ。真実を見据えることが安心な人。真実から目をそらすほうが安心な人。どちらの安心がより強いか。どちらを選んで、どちらを選ばないか。

どちらかがよいでもなく、よくないでもなく、どちらを選んで、どちらを選ばないか。ただ、それだけなのだ。     押し葉

鍵の受難

三重県の四日市市に、日帰り出張してきた夫。高速道路で2時間半。順調に運転したらしい。

ところが。帰宅したときに、いつもなら、自分で玄関の鍵を開けて入ってくるのに、インターホンを鳴らすので、両手が荷物で塞がっているのかと思い、私がドアを開けに出た。すると夫は、「家の鍵がない。出張先で落としたかもしれん。」と言う。いつも作業着ズボンのポケットに入れていて、今日は現場で、軍手を何度も、ポケットから、出したり入れたりしたからきっと、そのときに、つるりと落ちたのではないか、と。念のために、現場の人に、見つかったら連絡してもらえるように頼んで帰ってきたらしい。

「しかたないね。明日、不動産屋さんに電話して、新しいのを頼むことにしようね。はい、これが、不動産屋さんの電話番号ね。」と、紙切れに番号を書いて渡す。

だけれども。夫は、その少し前に、車の鍵も、ジーンズのポケットに入れてて、旅先の温泉の脱衣所で、なくした実績がある。鍵をズボンのポケットに入れるの、やめた方がいいんじゃないかな。「うん。そう思う。今度から胸ポケット(蓋付き)にする。」

そして、翌日。いつものように、夕ご飯のしたくをしていたら、玄関で、がちゃがちゃと音がして、夫が「ただいま~」と言いながら入ってきた。

おかえりー。不動産屋さんに連絡ついた?

夫は小物置きの棚の上を軽く叩いて音を立てる。コツコツ。

ん?で、不動産屋さんは?

コツコツ。

いや、コツコツは、いいから、鍵の連絡、ついたの?

「いつになったら気付くんだ?」と夫。

え?なにが?その棚、コツコツして、どうしたの?なにかあるの?あれ?そこにあるのは、あ、鍵じゃん。わあ。見つかったんだ。よかったね。

「鍵がなかったら、どうやって、自分でうちに入るんだ?」

あ。そうか。自分で入ってきたよね。そういえば。

「よう、ここまで、気がつかんなあ。」

いやあ、よかったよかった。それで、どこにあったの?

「昨日出張で使ったレンタカーを、今日返すのに、乗ったとき、もしかしたら、この車の中に落ちてないかな、と思って見てみたら、サイドブレーキのそばにあった。」

うわあ。よかったねえ。うれしいねえ。ちゃんとありがとうって言った?

「うん。言った。」

誰に?

「誰にとはなく、出来事に。」

うん。きっとね。どうやらくんを護ってくれてる存在が、いいぐあいに采配してくれたんだね。いっぱいお礼を伝えておくと、また今度も、いいぐあいにしてもらえるよ。

「いいぐあいにしてくれるなら、最初っから、鍵を落とさないようにはしてくれんのかなあ。」

それはね。殆んど毎日そうしてくれてるけど、ここぞってときにもそうしてもらえるようにするには、常日頃から、小さなことでも、いい具合にしてくださってありがとうございます、ってお礼を重ねてないとね。護ってくれる人の力は、感謝の積み重ねで大きくなるからね。鍵もね、きっと一晩ひとりぼっちで、淋しかったと思うよ。このままお家に帰れないのかと思って、ドキドキしてたと思うから、よく帰ってきたね、って、大切にするからね、って、話して安心させてあげたほうがいいよ。

「そう、やな。そう、かな。ま。やっぱり日頃の行いがいい人間は、ちがうな。」

夫よ。いままでの私の話を聞いていたか?     押し葉

防犯対策

ある日のこと。外出先から戻った私を、JRの駅まで夫が車で迎えにきてくれて、外で食事も済ませて帰宅した。マンション一階にある郵便受けを確認して、郵便物を取り出す。そのまま、夫と一緒に二階へと、階段を上がりながら、ふと気づく。郵便受けに付けている錠を、そのまま持って来てしまった。私用の家の鍵のキーホルダーには、郵便受けの錠を開ける鍵もつけているのだけど、ときどき、鍵と錠をくっつけたまま持って帰ってしまうことがあるのだ。いかんいかん。郵便受けの防犯のために施錠しているというのに、施錠せずに持ち歩いては、錠の意味がないではないか。

錠前だけを手にとって、夫に「またやってしまった。郵便受けに行ってくる」と伝える。家の鍵のキーホルダーを夫に預けて、「先に家に入ってて」と、階段の途中で分かれる。もう一度一階に下りて、郵便受けを施錠して、階段で二階に上がり、我が家に向かう。玄関は夫が開けてくれてるので、そのまま入って、家の中から玄関扉に鍵をかける。がちゃん。

翌日。朝、夫を見送る。お昼になって、出勤しましょう、と思って、あれ? いつものところに、私のキーホルダーがない。えーと。えーと。そうだ。昨夜、夫に手渡して、そのあと返してもらってない。どこに置いてくれたのか、確認しなかった。どこだろう。彼ならどこに置きそうだろう。家中あちこち探してみるが、みつからない。くう。しまった。彼は彼でちゃんと鍵を持っているのだから、昨日のあのとき、私の鍵を渡さなくてもよかったのだ。

しかし。出勤時間は迫っている。一応、携帯電話をかけてみる。出るわけないなあ。私達、携帯不携帯夫婦だもんなあ。ああ。もう出かけなくては。しかし、このままでは、玄関の鍵をかけずに出かけることになってしまう。どうしたものか。そうだ。せめて、少しでも、泥棒さんが入りにくいように、玄関の扉に、ダンボール箱をたてかけよう。ダンボール箱なら、回収に出し損ねてたくさんたまってるのがある。浅知恵なことくらい十分重々承知だが、出勤直前ぎりぎりで思いつけることなんて、どうせたかが知れている。

家計の財布や、通帳や、印鑑や、もろもろあるけど、置いていく。全財産全部持って出勤して、職場のロッカーに置いたまま、仕事するのは、いやだ。それに、全財産をかき集める、その作業をする時間がもう、私には残っていない。

玄関を出て、扉を閉めて、ダンボールを折りたたんで紙紐で縛ったものを、よいしょ、うんしょ、と、玄関前に立てかける。どうぞ無事でありますように。とほほほほ。郵便受けの防犯はできてても、家がこれじゃあ、なんだかなあ。

出勤して、一通り仕事して、落ち着いて、休憩時間を利用して、私の職場のパソコンから、夫の職場のパソコン宛にメールしてみる。「件名:かぎ」「昨夜鍵を渡した後、どこに置いてもらったのか聞いてなくて、私の鍵が行方不明です。どこにあるかわかりますか? そのため、本日、我が家の玄関開いたままで出勤しました。できるだけ早く帰宅してもらえますよう、よろしくお願いします。」送信。

またしばらく仕事してから、メールチェックしてみる。夫からのメールが来ている。「件名:Reかぎ」「ポケットにあります。早く帰ります。」

くううう。彼のポケットにあったのでは、家中探してもないはずだ。その後の仕事も終えて、夜帰宅。夫が既に帰っていて、こたつでくつろいでいる。

彼が私に言う。「昨日、みそきちの鍵で玄関開けて、そのままいつもの癖で、自分の作業服の胸ポケットに鍵を片づけてしまった」
さらに続けて言う。「帰ってみたら玄関に、ダンボールがいっぱいあって、すごく怪しい家だった。この家絶対何か怪しい! 泥棒さん、ここでっせ! の空気が漂っていた。あれならむしろ何もせずに、そのままのほうがよろしいのではないかなあ」

とりあえず、家計の財布も、通帳も、印鑑も、皆さん全員無事でよかった。     押し葉

しやくしょ

まだ大阪に住んでいたころ。

同じ社宅に住む仲良しさんと、何かの用事で市役所に出かけた。車を運転してくれた「ひららちゃん」と助手席に私、そして後部座席には「なるみちゃん」とその第一子「ぴろろ(男子)」。

当時のぴろろは、たしか一歳よりも少しだけ大きいくらいで、歩いたり走ったりし始めたのはずいぶん早く、小さい割りには足捌きの上手な子であった。けれど、なるみちゃんとしては、ぴろろが同月齢の他の子たちに比べると、「言葉」の発達面において、少しばかり遅れをとっているような、ちょっとした焦りのような、もどかしいような気持ちが、ほんのちょびっとだけあるような、そんな時期でもあったと思う。けれどその「遅れ」は、なるみちゃん以外の人にはまったく感じられないほどの、ごくわずかな、微々たるもので、実際のところは、十分に「成長の個人差」の範囲内で、なんの遅れも、なんの問題も、なかったとおもう。

そんな四人での車中。市役所の駐車場に着いて、なるみちゃんが言う。「ぴろろ。ここは市役所よ。しやくしょ。し・や・く・しょ。ほら、ぴろろ、言ってごらん」

ぴろろは嬉しそうに「あんぱっ、あんぱんっ、あんぱんまん!」と声を出す。

わあ。上手に元気よく「あんぱんまん」って言えたねえ。と私が言おうと思ったところに、なるみちゃんが諭すように言う。
「ぴろちゃん。ちがうでしょ。あんぱんまんじゃなくて、しやくしょ、よ。し・や・く・しょ」
「あんぱ、あんぱ、あんぱんっ!」
「もうー、ぴろちゃんー、ちがうー。あんぱんじゃなくて、市役所よー」

ここでたまらず、ひららちゃんが言う。「なるみちゃんー。そんなん無理やってー。いきなり市役所は難しすぎるってー。もうちょっと簡単な発音のものにしたりーなー」

「えー、そうかなー。難しいかなー」と、なるみちゃん、ちょびっとだけ考えて、「じゃあ、ぴろろ。河内長野市役所の、かわちながの、言ってごらん。か・わ・ち・な・が・の」

なるみちゃん。難易度上げ過ぎ。一歳児にはもっと無理。     押し葉

チラシ特売

チラシ特売の週になると、広告掲載商品を求めてのお客様が、ややたくさんご来店くださり、忙しさが少しばかり倍増する。ありがたいことである。ご自宅で印をつけたチラシを持参してくださる方もあり、ご来店後にチラシを見ながら店内一巡してくださる方もあり。

とある男性のお客様は、チラシの一部を切り取って、本日の特売品のところだけ、握りしめてご来店くださった。「これが欲しいんだけど、どこ?」

ティッシュ五箱で百五十円! うお。安い! だけど。

「お客様、わざわざご来店くださり、ありがとうございます。けれど、申し訳ございません。このチラシは、当店のものではなくて、ライバル会社のお店の新規オープンセールのものみたいです」
「なんや。薬屋はどこも同じと違うんか? ここには、これは、この値段ではないのか?」
「ごめんなさいねー。別の会社なんですよ。今日はうちのティッシュは普通の値段なんです。昨日は安かったんですけれど。でも百五十円にはなりませんでした」
「じゃあ、買って帰られんなー。これを買って来てって頼まれたからなー。仕方ない。がんばって行き直すかー」
「そうですねー。すっごく安いですもんねー。頼まれものは、それじゃなくちゃ、ですもんねー」

お客様へのおすすめ。
お買い物時は、チラシのお店がどこなのか、今一度よく確認してから、どうぞ、おでかけくださいませ。     押し葉

オロナミンD

ドリンクネタを書いて思い出したのだが、以前私の友人(薬剤師)が勤務先にてお客様から、「オロナミンDくれ」と言われた、と話してくれたことがあった。

友人が「オロナミンC、でしょうか? リポビタンD、でしょうか?」と確認してみたところ、そのおじちゃんは、やはり「オロナミンD」だという。

困った友人が「ファイト一発! ですか?」と訊いてみたところ、そのおじちゃんは、「そうそう! ファイト一発! オロナミンD!」と拳を突き上げられたので、リポビタンDを売った、とのこと。

それで、めでたし、めでたし、ということにしたけれど、もしかするとあのおじちゃん、「元気ハツラツ! ですか?」と訊いてたら、「そうそう! 元気ハツラツ! オロナミンD!」と答えたのかもしれない。     押し葉

総称

私が働く職場には、呼び出しチャイムの音が三種類ある。ひとつは「レジが混んできたので、レジのヘルプに入ってください」を意味する音。もうひとつは「正社員の対応が必要なので、正社員の人はレジまで来てください」を意味する音。そして三つ目が「薬、介護、健康食品の相談なので、薬剤師が接客してください」を意味する音である。

売り場の奥のほうだったか、バックヤードでだったか、何か作業をしていたら、その三つ目の音が店内に鳴り響いた。はいはい、と、小走りで、チャイムボタンの近くまで行く。

チャイムボタンを押したのは、レジ打ち中の同僚(女性)で、レジの前に立つ相当にご高齢のお客様(女性)の接客をお願いします、とのこと。「こちらのお客様が、チオビタドリンクをお求めなのですが、チオビタにはいろんな種類があるけど、どう違うのか説明してほしい、ということです」

はい。かしこまりました。では、チオビタドリンクの全種類持ってまいりますね。

その間にその同僚は、丸椅子をどこかから持って来てくれて、レジ前に杖をついて立つお客様に、「こちらに腰掛けてお待ちください」と促してくれていた。

私の職場にあるチオビタは全部で三種類。医薬部外品のチオビタドリンク、医薬品のチオビタ1000、さらに効き目が強力なチオビタゴールド。価格もこの順にだんだんと高くなる。この三本をレジにお持ちして、成分や味や効き目や値段の違いを説明する。

すると、丸椅子に座るそのおばあちゃん、チオビタドリンクを指差して、「これはいくらか?」とおたずねになる。

一本128円です。と、先ほどもご説明さしあげているのだが、耳からの情報だけでは難しいようなので、メモ用紙に「128円」と書いて商品の前に置きながら、指差しながら、もう一度、「128円です」と言ってみる。

「じゃあ、これ、五本ちょうだい。」と言われるので、「ありがとうございます。ただ、こちらを五本お買い上げくださいますと、それだけで六百円超えてしまうんですが、こちらのチオビタ十本入りの箱の値段が六百九十八円なんです。十本は必要ないですか?」とおたずねしてみる。

「私は年寄りで重たいものは持てないから、十本は持てない。五本でも持って帰れるかどうか」とおっしゃる。「そうですか。なんだか、割高で申し訳ないのですが、ではチオビタ五本お持ちしますね。」と、バラで四本追加で持ってきて、合計五本用意した。

すると、丸椅子に座るそのばあちゃん、チオビタドリンクを指差して、「私がほしいのはこれじゃない。瓶の真ん中に大きな字で、ジー、いうて書いてあるぶんがほしい」とおっしゃる。

「ジー、Gですか。うちで置いてるチオビタで、Gの文字がつくのは、この小さなチオビタGOLDだけなんですけれど、こちらではないんですね?」
「こんな小さな瓶じゃない。こっちのえっけえ(福井弁で「大きい」の意味)瓶の真ん中に、ジー、いうて書いてある」
「うーん。申し訳ございません。当店のチオビタは、この三種類だけなんです」
「うーん、じゃあ、これでええわ」とお買い上げくださり、丸椅子から立ち上がって、レジ周りの棚を手すりにしながら歩いて、全ての商品をなぎ倒して、足取りゆるやかに帰って行かれた。

丸椅子は、ビューティーカウンセリングコーナーで、お客様にメイクしてさしあげるときに使うものだったので、化粧品コーナーへ戻して、私はやりかけの作業に戻る。

そこで、はた、と気づく。あ。さっきのおばあちゃんが欲しかったのは、「チオビタドリンク」ではなくて、「リポビタンD」だったんだ。

その気づきを、先ほどレジしてくれた同僚に伝えたくなり、菓子補充作業中の彼女のところに出向いて「聞いてください」と話しかける。

「さっきのチオビタ五本のおばあちゃん。Gって大きく書いてあるチオビタっていうのは、きっと、リポビタンDのことだったんですよ」
「えー? でもあの人、チオビタくれ、って言われましたよ」
「はい。あのおばあちゃんにとって、チオビタ、っていうのは、栄養ドリンクの総称なんです、たぶん。チオビタもリポビタンもエスカップも新グロモントも、みんなチオビタなんです、きっと」
「えー、でもGとDは、違いませんか?」
「違うんですけど、おばあちゃんにとっては、GもDも同じなんですよ。それか、ディーもジーも発音が同じか」
「えー、それは、難しい。チオビタくれ、って言われて、Gがついてるって言われて、Gがつくものないのになあ、と思いながら、リポビタンDは、思いつけない」
「ちょっと難しかったですね。今度また、あのおばあちゃんが来てくださったら、今度は、リポDも一緒にお見せしてみます。それで、これこれ、って言われたら、あのおばあちゃんがチオビタって言う時はリポDだって判明しますね。レジでお話しながら気づけなかったのが不覚です」
「お客様ってけっこう、いろいろと、好きなこと、言われますよね。お求めのものを売って差し上げたくても、お求めのものとは別の名前を言われると、難しいですよね」

ほんとうにねえ。     押し葉

肩までお風呂

お盆に義弟がおごってくれた銭湯で、姪っ子のみみがーが、湯船に入ってもすぐに出たがる話をしたら、夫は、「小さい人は、容積が小さいから、すぐに全体が温まるんやろうな」と言い、ある知人は、「大人になればこそ、お風呂でゆっくりほっこりできるようになる。大人になってよかった、と思う瞬間」だと話してくれた。

そうなのか。お風呂でゆっくりできるのは、大人になったからこそ、なのか。そういえば、子どもの頃には、私自身も大人から、「ちゃんと肩まで湯船につかって、五十(寒い日は百)数えなさい。」と指導を受けていた。

だからなのか、テレビの温泉番組で、女優さんが、ちょうど肩とデコルテ(胸元の首に近い部分)が湯船から出るような高さで座って入浴しながら、片手でお湯をすくって肩にちょろちょろーっとかける映像を見ると、「なぜちゃんと肩までつからんのだ!」と叱責したくなる。「半身浴なら半身浴で、ウエストから上は湯から出せ。それじゃあお湯に入りすぎだろう!」とも。

まあ、実際は、上半身丸見えでは、いろんな兼ね合いでやや問題があるのかもしれないし、女優さんが肩までしっかりお湯に浸かって、首から上だけが生首のように水面(湯面)から出てるよりは、胸元や肩も見える映像の方が、きっと美しいのだろう、と、自分に言い聞かせながら、じっと、おとなしくテレビを見るようにしている。     押し葉

幻の栗ご飯

秋だから、栗ご飯をしましょう、と、生協で生の「剥き栗」を注文した。「栗が来たら栗ご飯しようね」と夫に話して楽しみにしていた。

今回の生協さんの配達は、栗以外には何が来るんだったかな、と、注文控えのメモを見て、ぎょっとする。

栗の配達日、今週だと思っていたが、メモでは先週の日付になっている。

えーっと。念のため冷蔵庫を見てみるが、栗の姿も気配もない。

えーっと。生協さんの納品明細を見てみよう。「剥き栗」。配達されたことになっている。他にも、冷蔵庫にない「ブロッコリー新芽」と「ビオダノンベリーヨーグルト」も明細に載っている。
えーっと、えーっと、私、配達用スチロール箱から取り出すのを忘れた?

どれどれ。見てみましょう。と、玄関前の出窓に置いてある回収前のスチロール箱をひとつひとつ開けてみる。合計4箱。そのうちの一箱に、あった。「生の剥き栗」と「ブロッコリー新芽」と「ヨーグルト」が、あった。一週間、秋の気温の中に放置され、やや腐敗したにおいも、あった。るーるるー(悲しいとき心の中に流れる音)。

自分が注文した商品を取り出し忘れていることに、一週間も気づかなかったとは。それに気づかず、栗を待ち、栗ご飯を楽しみにしていたとは。

自分よ。健脳サプリ、しのごの言わずに、続けるべし。     押し葉

水力発電

三月末に、友人とその息子くんが福井に遊びに来てくれたとき。

友人親子は、目的地に向かう道中も、いろんなものを目に留めては、旅の行程を愉しむ。山に雪が残っていれば、「富士山みたいだね」と語り合い、道端の看板に恐竜の絵を見つければ、「さすが福井」と感嘆する。そんな友人親子の姿に、「旅人」としての心意気を感じる。

福井市内から恐竜博物館のある勝山市へと向かう道中、山肌に大きくて太い管がはわせてあるのが見える場所がある。小学二年生(小学三年生目前)の息子くんは、「きかぬは一生の恥」を実践しているおりこうさんで、目にしてすぐに「あれはなに?」と質問してくる。

私は「ああ、あれ? あれはね。たぶん水力発電の施設だと思う」と応える。

「すいりょくはつでん、って?」

今度は友人が応える。「水の力で電気を作るの」

息子くんは「ふうん」と言った後、小二(小三目前)として、さらに正しい姿を披露する。「すいりょくはつでん、は、水(みず)の、すい、に、力(ちから)の、りょく、に、発表(はっぴょう)の、はつ、に、電車(でんしゃ)の、でん?」

「はい。正解。そのとおり」

「そうか、水力発電か」もうすでに、息子くんが発音する、その言葉のその音は、きちんと漢字になっていて、水と電気のイメージが、その輪郭をなしている。

言葉や、概念や、その漢字は、こんなふうに、取り込んでいくものなのだなあ、と、そんな過程をいくつも経て、私も大きくなったのだなあ、と、しみじみとした春の日。

この話を夫にしたら、夫は私に「そんなときには、水力発電だとか、本当のことは教えずに、あれはね、秘密のロケット発射基地だよ、って、言わんといかんやろう」と言う。

そうなのか? いかんのか? あんなに山肌にモロ見えで、いったい何が秘密なんだ?     押し葉

ポイント三十倍

私の働く職場では、以前は毎週月曜日が「ポイント三倍」の日であった。ポイントというのは、会員登録をしてくださったお客様のカードに、百円お買い上げにつき一ポイントが貯まって、五百ポイントたまったら五百円として使える、というものである。 通常は百円につき一ポイントなのが、三倍ポイントの日は百円につき三ポイントつくため、お客様もこの日を狙ってお買い物に来て下さる方が多かった。しかしながら、お店としても会社としても、経費的にだんだんつらくなったらしく、八月末の月曜日で、ポイント三倍は終了となった。

つい先日ご来店くださった年配女性のお客様が、おもむろにこうおっしゃる。「ねえ。今日は、ポイント、三十倍?」
「三十倍、ですか。申し訳ございません。三十倍はしてないです」
「えー、でも、外のお知らせに、九月二十一日からいつやらまでは超お得! とかなんとか、って、書いてあったけど」
「お客様。それは、こちらの「超得クーポン」のお知らせなんです。店内のいくつかの商品に、こういうかんじで(と実物の商品とクーポン券をお見せしながら)、五十円引きや百円引きやいろいろ、値引きクーポンが付いているんです。ご入用のものがあれば、ぜひ値引き期間の間に、お買い求めいただければ」
「えー、なんだー。ただの値引きなの? ポイント三十倍じゃないの?」

ここからは私の心の声。
おばちゃーん! 三倍でさえつらくてやめたポイントなのに、三十倍なんてするわけないじゃん!     押し葉

ヤンキーあがり

以前一緒に仕事をしていたアルバイトの女の子と、当時、休憩室で一緒になったときの会話。

女子「どうやら先生(薬剤師はときどき先生と呼ばれることがある)。私、よく、老けて見られるのが悩みなんです。」
私「実際の年齢はいくつで、それがいくつくらいに見られるんですか?」
女子「いくつに見えますか?」
私「そうですねえ。十代半ばから二十代いっぱいまで、というところでしょうか。」
女子「どうやら先生。それは幅ありすぎです。あたりですけど。十八です。でも、だいたい二十代半ばから後半に見られるんです。」
私「ほほう。そうなんですか。」
女子「それにね。私、ヤンキーあがりに見られることも多いんです。私、ヤンキーあがりに見えますか?」

ここで、それまで無言でパンを食べながら携帯電話を触っていた、高校生アルバイト男子が「あ。見える。」と口を挟む。

女子「ほらあ。やっぱり、見えるんですよ。私それが嫌なんです。」
私「それは、ヤンキーあがり、じゃなくて、それよりも若い、現役ヤンキーに見られたい、ってことですか?」
女子「ちがいます。現役でもなく、あがりでもなく、ヤンキーとは無関係な見た目になりたいんです。」
私「そうか。どこがどうヤンキー風なのか、私にはよくわからないけど、実年齢よりもときどき年上に見えるという点に関しては、女子さんの場合は、たぶんすっごく年とっても、今の見た目でおばあさんになるタイプなんじゃないかな。女の子のときも、娘さんのときも、おばさんのときも、おばあさんのときも、同じ顔の人って、ときどきいるんですよ。そういうタイプの顔の人は、年をとってから妙に若く見えるもんなんです。」
女子「そうなんですか。そうでしょうか。それまで待つしかないんでしょうか。」
私「気長に長生きしてみてください。きっとすっごく若々しいおばあちゃんになると思いますよ。あと、ヤンキー風の見た目に関しては、私はビジュアルには疎いから、何か対策をと思うなら、ここのお店のビューティー担当の人に相談した方がいいと思いますよ。」
女子「いや、そこまでじゃ、ないと、思うんで。」

なんだかよくわからないけれど、乙女心は、いろいろ、思うもの、なのねえ。がんばれ。     押し葉

記念日レストラン

来月十一月四日は、広島に住む妹夫婦の結婚記念日。結婚二周年を迎える。

一年半くらい前に、夫と二人で食事に行ったレストラン(我が家の近く。妹宅からは六百キロメートル近く離れている)で、会員登録するときに、結婚記念日を書く欄があり、そこに「十一月四日」と書いた。私自身の結婚記念日(五月)よりも、十一月の方が美味しいものが多そうな気がしたから。それで、十月も半ばになるとそのレストランから、結婚記念日お祝いメニューの案内ハガキがやってくる。なかなかうまいぐあいに、おお、これは食べたいぞ、というメニューとは巡り会えないが、ハガキがやってくるおかげで、「そうそう、妹夫婦の記念日よね」と、あらためて思い出すことができる。

二年前、妹の結婚披露宴では、妹の夫である新郎が、友人たちによる「胴上げ」から「落下」して、腰の骨が折れ、お開きとともに救急車で病院に搬送されるという出来事があった。結婚式前も当日の朝も、義弟は妹に何度も、「やぎちゃん。俺、絶対(すっごく感動して)泣くと思う!」と宣言していたらしいのだが、お色直しのドレス姿で夫と救急隊員が乗る救急車を見送りながら妹は、「宣言どおり泣いたけど、別の意味(打撲痛)でじゃったね」と淡々とつぶやいていた。義弟は、その後約二ヶ月間休職療養することになり、時とともに完全復活。一年経って二年経って、どんどんよくなって、でもまた冷える季節になると、また少し痛むだろうけど、痛くても、ハーレーに乗って遠出したり、カープ(広島の野球チーム)のユニフォームを着用して球場で応援三昧するくらいには元気になっているから、本当によかった。     押し葉

歯磨きの記憶

「私の職場の人はね、トリートメントを流さずにお風呂からあがってしまったり、自分が歯磨きしたかどうか思い出せなくなることがあるんだって。でも彼女は全然、健脳サプリ飲まなくちゃ、とは思ってなくて、ということは、ほんとは私も別にまだ飲まなくてもいいのかな?」と、夫に話してみたところ、「歯磨きは、みそきちも、ときどき、したかどうか思いだせん、とか言って、磨きなおしてることがあるじゃん」と言うので、少し驚く。「ええ? 私は、歯磨きしたかどうか、忘れたことないよ」と言うと、「うーん。自分が忘れていたことを憶えていないあたりがもう、サプリお飲みになったほうがよろしいということなんやろ。職場の人は自覚がある分まだマシなんちゃう?」

げげ。そうなのか。     押し葉

黄金のカステラ

広島の実家の両親が、長崎旅行のお土産に、カステラを送ってきてくれるという。母の説明によれば、なんでも「全国的にはそんなに有名ではないけど、地元の人たちに人気があるカステラ屋さんなんだって。」ということらしい。「なんだって。」ということは、きっと母も誰かから聞いた話なのだろう。案内してくれたタクシーの運転手さんからなのか、誰かから。

その話を夫にしたら、夫はいたく感心して、「そのキャッチコピーの組み合わせは黄金やな。」と言う。組み合わせ? 黄金?

「だって、ほら。『全国的に有名ではない、けれど、地元の人には人気がある』んやろ? これが、『全国的にも有名だけど、地元の人にも人気がある』じゃあ、ありがたみが半減するじゃん。」
「ほっほう。なるほど。」
「これが、さらに、『全国的には有名だけど、地元の人には人気がない』だと、駄目な感じになってくるし、『全国的にも無名だけど、地元の人にも人気がない』だと、もう全然駄目じゃん。」
「そうだねえ。」
「全国的に有名か無名か、ってことと、地元の人に人気があるかないか、の、キーワードの組み合わせで、印象が全然違うけど、その中でも一番ぐっとくる組み合わせにしてあるのが、すごいじゃん。」
「ふんふん。」
「で、全国的には有名じゃないけど、地元の人には人気がある、という表現だと、観光客としては、一番、いい買い物をした気分になれる。有名も人気も数値測定したものじゃないんじゃろうけど、たぶん、言ってしまえばこっちのもんだし。」
「案内する方もされるほうも、売るほうも買うほうも、ご機嫌でいられるよね。魔法の言葉みたい。長崎は観光上手な土地だから、タクシーの運転手さんにも、きっといい仕込みをしてるんだよ。」

実際に届いた荷物の中には、有名店のカステラと、無名店のカステラと、両方が入っていた。せっかくなので、食べ比べてみたところ、無名店のカステラのほうが、生地のきめが細かくてふんわり感大であった。ご馳走様でございました。     押し葉

朝礼前の音楽家

少し昔、大阪の、小さな小さな製薬会社で、毎日とても気持ちよく、働いていた頃のこと。

朝は八時半に朝礼がある。私は朝、会社には、八時二十分前後には着くようにしていた。私が仕事をする部屋は二階にある。そこで行う品質管理のための分析作業と、製造管理のための書類作成と保管が、私の主な仕事である。出勤したら、荷物を置いて、白衣に着替える。朝礼は一階の充填室(できあがった製剤を瓶詰めしたあと、紙箱に充填する部屋で、ここが一番広い)で行われる。工場長以下全員が毎朝ここに集合する。一階の作業ラインに入室するためには、髪の毛を全部全部、紙製のシャワーキャップに押し込める必要がある。二階では、このキャップは必要ない。

その日は、いつもより、早く着き、ほんの少し、朝礼までの時間に余裕があるような気がした。実際余裕があったとおもう。だから、いつもよりも、丁寧に、髪の毛をキャップにおさめましょう、と思い立ち、階段の踊り場の大きな大きな鏡の前で、自慢の剛毛を押し込める。時間に余裕があったので、気持ちにも余裕があったのか、たぶんちょびっと唄ったら、ちょうどいい時間になるはず、と、なぜか、思いつく。我ながらいい思いつきだ。そこで一人、大きな大きな鏡の前で、身なりをさらに整えながら、ご機嫌で唄い始める。

わーたっしゃ、おんがーくか、やーまっのー、こっとりー、じょおずに、ふるーとっ、ふーいって、みっましょー、ぴぴぴっぴっぴ、ぴぴぴっぴっぴ、ぴぴぴっぴっぴ、ぴぴぴっぴっぴ、いーかーがっでっすー

ぴぴぴっぴっぴ、のところにきたら、片脚でケンケン跳びながら、鏡の前で両手を広げて、小鳥の真似もしてみる。そこまで唄い終えた段階で、一度時計を確認して、む、まだ少し時間が早いか、と、二番の「山の子リス(バイオリン)」と三番の「山の狸(太鼓)」も追加で唄うことにする。鏡の前で、踵でリズムをとりながらバイオリンの真似したり、両足でぴょんぴょん飛びながら太鼓の真似をしたりするのも、なかなか愉しいではないか。最後のところは、歌詞の一音一音に合わせて、一段ごとにケンケンしつつ階段を降りながら、一階フロアに両足が着くと同時に、最後の音も終わるように唄い終えて、それはなんとも完璧だった。

ふう。朝少し、余裕があると、仕事前に、こんなこともできるのねえ、と、上機嫌。そんな特上のご機嫌な気分で、しかも余裕で、充填室に入室すると、すでに私以外の社員全員が、揃って私を待っていた。みなさん少しうつむき加減で、笑いをこらえていらっしゃる。工場長が「お待ちしておりました。今日は全員早く揃ったので、少し早く朝礼を始めようと思ったのですが、どうやらさんの声もしてるし、もう来られるだろうもう来られるだろうと思いながら、歌が終わるまで待ちました。」とおっしゃる。

うひゃあ。すみません。すみません。たいへんお待たせいたしました。しかも歌の三番まで待ってもらってすみません。一番の小鳥だけでやめておくべきでした。

今日の作業予定を確認して、本日の無事故安全を意識して、各自作業に入っていく。私も二階の部屋に戻り、前日エーテルにつけておいた成分の分離分析作業を開始。

おかしいなあ。聞こえてたとは。小声でハミングくらいの声で唄っていたつもりだったのに。ドア三枚を隔てた向こうまで(製造ラインに至る通路には外部からの埃の侵入を防ぐための扉が何重にもつけてあるのに)聞こえていたとは、どんな大声だったのか。しかも、その歌がもう終わったかと思っても、延々と唄い続ける私の声に、「まだ唄うんかい!」と皆さんずっとツッコミ続けたことだろう。

というわけで、もう皆さんをお待たせしてはいけないので、それ以降は、朝礼前の歌は自粛。朝はさっさと朝礼場所に行き、私が皆さんを待つことに決定。その代わり、仕事を終えて帰るときの階段で、その日の気分で時々何か、唄いながら帰ることに。踊り場の、大きな大きな鏡の前で、歌詞に合わせてポーズを決めて唄うのが、上機嫌のコツ。     押し葉

物忘れ道

職場の休憩室にて、同僚(二十代後半、女性)と話したとき。

私「最近、物忘れ対策系のサプリを増やしたんですけど、それを飲んだか飲んでないかが思い出せなくて、どうしたものか、と、ときどき思うんですよ。」

同僚「ああ。薬関係は、特に忘れやすい気がします。私も薬やサプリは、飲んだかどうか、しょっちゅう、あれ? ってなってます。特に夜が忘れやすいですね。」

私「あらら。二十代でも、そんなことありますか。」

同僚「私、昔から、けっこう、しょっちゅうあります。夜お布団に入って寝ましょ、と思ったのに、えーと、私、歯磨きしたっけ、してなかったっけ、と考えても口の中舌で触ってみてもわからなくて、しかたないなあ、と思いながら、また歯磨きしに起き出したりしますよ。あと、お風呂からあがって、タオルで拭きながら、なんか髪の毛ベタベタしてるなあ、あ、トリートメント洗い流すの忘れてたって思い出して、またお風呂に入りなおして頭を流したり、よくします。」

私「そ、そうなんですか。」

まだまだ私ごときが、健脳サプリに手を出すなど、おこがましいような気がしてきた。     押し葉

みづ

若い女性のお客様がたずねてくださる。「ミヅ ドコデスカ。」日本語が第一言語ではない方のようである。

ミヅ、とくれば、水、だろうか。今日はチラシ特売のミネラルウォーターが大好評で、もうじき完売しそうな勢い。「ミネラルウォーターでしょうか。」と、ペットボトル入りミネラルウォーター売り場にご案内してみる。
「ミズ デハナクテ、ミヅ。みづ。みづっ。みづっっ、です。みづっっっ。」
これは、もしや。「失礼致しました。蜜、蜂蜜、ハニー、でしょうか?」
お客様の表情が、「きっと、それ!」と言っている。

蜂蜜売り場にご案内する。「こういうかんじの蜂蜜でよろしいでしょうか? 大きいの、中くらいの、小さいの、とあります。」
「コレ。コレデス。これです。アリガトウゴザイマシタ。ありがとう。」

発声が、外国語ぽかったり、日本語ぽかったり。日本語勉強中なのかな。きっと「つ」の発音が難しいのね。がんばって練習して上手に「ツ」を発音できるようになるか、それとも、蜜に関しては頑張るのをやめて、「ミヅ」の前に「ハチ」を付けて「ハチミヅ」といっちゃえば、きっとそのままで大丈夫。がんばって入手した蜂蜜、どうぞ美味しく召し上がってくださいね。     押し葉

翻訳大会「とりえ」

ご注意:今回の日記は、やや面倒くさい内容なので、そのつもりで読むなり読まないなりしてください。


翻訳にときどき困ることばがある。といっても、外国語から日本語への翻訳ではなくて、日本語から日本語への翻訳(日日翻訳)。こういうことはよくある。翻訳がうまくできないばかりに、毎回毎回脳が詰まる。

脳が詰まる、というのは、思考がそこでひっかかって、あれ? あれれ? と戸惑ったり、繰り返し同じことを考えたりして滞ったかんじがすること。

けれど、地道にこつこつと日日翻訳に取り組めば、あるときふと、脳の詰まりがとれてなくなり、すんなりと快適にこの世を過ごせるようになる、こともある。というわけで、自分の健やかな脳みそのために、ときどき翻訳作業にいそしむ。

前々から取り組んではいるのだけど、未だになかなかよい翻訳に至らないのが、「元気な(丈夫な)だけがとりえ」ということば。他にも翻訳に困っていることばはたくさんあるけれど、常に上位に入るのはこれ。

念のために言っておくが、実際誰かがこう言うのを目の前で聞いたからと言って、その人のことを咎めたり、異議を唱えたり、質問攻めにしたり、はしていないので、ご安心いただきたい。ただ勝手に、自分の脳みその中が、ぐるぐるぐるぐるするだけだ。

「元気な(丈夫な)だけがとりえ」。このことば。一見謙遜に見えるのだけれど、実は自慢なのだろうか。「元気なだけが」と限定することで、さも、「とりえ」が少ないような、一個だけしかないような、印象を与えている。けれど、実際のところ、「とりえ」が一個だけ、なんて、どんな人なんだろう。(「とりえ」とは「役に立つ点」「よい点」「長所」と国語辞典には書いてある。)しかもその「とりえ」が「元気」なら、元気をベースにして、さらに「とりえ」が増えるではないか。世の中、元気だからできること、元気じゃないとできないことは本当にたくさんある。元気ならば、おそらく、よりたくさんの活動ができる。ということは、「元気なだけがとりえ」というのは、「私はたくさんの活動ができるよ」という意味なのか?

実際の用例を出して考えてみよう。

用例その一。
誰かが忙しそうにしているときの、応援とそれに対する応え。
「忙しそうやねえ。体には気いつけやー。」
「だいじょうぶー。私、元気なだけがとりえやから。ありがとねー。」

合ってるか? この用例。まあ、合ってるとしよう。この場合は、自分の忙しさをねぎらい応援してくれる人に対して安心感を与えたい、という思いがあるのだな。「わたくし、今のところは、充分に体調が整っています。余裕もたっぷりあるので、心身ともに健康状態は上々です。だから高速で動いて、エネルギーの大量消費をしても大丈夫なんです。ご安心ください。」ということだろうか。ついでに言うなら、「あなたがいつもそうやって、ふとしたときに私の健康を思って念じてくださるから、おかげさまで、元気に人生楽しんでいます。感謝してます。ありがとう。」という気持ちもあるかもしれないな。


用例その二。
誰かが思いがけず何かの病気、しかも結構重めの病気にかかったときの本人談。
「私は元気なだけがとりえだったのに。」

この場合は、元気が過去形になっている。ということは、今はもう、そのたった一つのとりえがなくなってしまった。だから自分の価値はひどく低下してしまった。とりえがない自分なんて、なんの存在意義もない。わけはないんだけど、うっかりと、そう思いそうになるくらい、今の自分は不幸な気持ちだ。ということなのか。それとも、元気がとりえなのだから、自分は病気になるはずはないのだ。なのに病気の診断を受けるのは、予想外で想定外で困惑している。ということか。あるいは、病気になるはずないと思い込んでいた、過信していた、だからセルフケアもメンテナンスも怠っていた、けれど自分は何も悪くない、過失もない、けれど後悔してしまう。そんな気持ちのあらわれなのか。それとも、そこまで思考の段階を踏んだ意味はなくて、ただ単に、「不本意である」という意味の比喩なのか。

不本意に関する表現は、実はけっこう奥が深い。
「どうして私(だけ)がこんな目に」=「とにかくひたすら不本意です。その気持ちを発露中です。」
この日日翻訳は、すでに完了したものである。これに関しては、もう脳の詰まりはない。
この場合の「どうして」は、本当に本当の理由が知りたくて用いる疑問詞ではない。不本意であることを表明する時の枕詞的用法である。なので、この人がこんな目に遭う背景を鑑みたり、原因と思われる理由を予想して提言したりするのは、多くの場合適切ではない。
「私だけが」というのは、何十億人もの地球人口の中で、本当に自分一人だけだ、と、言っているわけではない。「少数派で孤独で不安な気持ち」であることを表現する比喩的用法である。だから、これに対して、「あなたと同じ境遇の人やもっと厳しい境遇の人はいっぱいいる。」と当たり前のことを言うのは、適切さに欠ける言動となる。もし何かするのであれば、少し落ち着いた頃を見計らい、「同じ境遇の人たちが情報交換できるところがあるみたいだよ。」などの、情報提供するにとどめたい。

不本意であることの発露、は、発露だから、ただ、発露するしかないのだ。その行為により何かが解決改善するわけでなくとも、人にとって「発露」という行為そのものが必要な時もあるのだ。


用例その三。
「君はいっつも元気やなあ。」
「はっはっはー。元気なだけがとりえなんですよー。」

この場合は、謙遜の効果を狙っている、と思われる。
元気なのはとりえなんですけどね、頭はわりかしばかなんで(あくまでも例として)。それに続く言葉はなんだろう。
「あんまり期待しないでください。」ちがうなあ。
「充分お役にたてないかもしれません。」これもちがうなあ。
「全然偉くないんです。」これだ! これだな。


ということは、用例一は感謝、用例二は発露、用例三は謙遜、となるのか。

けれど、感謝や謙遜として使うときは、少し注意が必要かもしれない。。闘病中の患者さんや、その周りの人に対しては、「元気なだけがとりえ」という言葉の使用は控える配慮が適切なこともある。元気の定義は人それぞれだろうけれど、元気を渇望している人にとっては、あるいは、渇望しても元気というものを完全に充分に得られそうにない人にとっては、そして渇望のあまり心身の余裕が低下している人には、「元気なだけがとりえ」だと言うその「元気さ」も「あどけなさ」も、まぶしすぎて痛すぎる場合がきっとあるから。感謝ならば「おかげさまで。ありがとうございます。」と、謙遜ならば「いや実は、なかなかそれほどでもないんです。」と言うほうがよいときもありそうだ。

でもどんなに苦しい状況でも、どんなに重篤な病状でも、どんなに死期が迫っていても、気持ちがすこやかな人や、何かを悟るような境地にある人や、枕詞的用法や比喩表現を上手に日常使いできる人は、そんな自慢も謙遜も発露も感謝も、どんな自慢も謙遜も発露も感謝も、あどけなさも、まぶしさも、痛さも、愛らしいと、元気はとても大切だからこれからもだいじにしなさいと、慈しむものなのかもしれない。     押し葉

巡回

昨日の健康診断は、詳しい結果はまた後日だが、その場でわかる範囲では、異常なしであった。血液検査の結果も、GOTやGPTなど肝機能数値も、昔肝臓を患ったことがあるとは思えないほどに、美しいまでの標準値。

夫に結果を報告しながら「どうやらくんも、私も、毎年毎年、本当に健康な結果だよね。」と言うと、彼は「それはやっぱり、食生活が、うちはこんなだからじゃないかな。たいして運動もしてないのに、体重も変わらないし、血液にも問題ないし。」と言う。

食生活がこんなだから、の、こんな、とは、まあ、量があんまり多くない、とか、野菜中心だとか、そんな意味だと思う。

夫の言葉を受けて、私が、「でも私は、ほら、ほぼ毎日、仕事で一万歩前後歩いてるから、運動はけっこうそれでいけてるんじゃないかな。」と言ってみる。 すると夫は、「毎日一万歩って、おかしいんちゃうか。仕事と称して、実は職場でウォーキングしてるんちゃうん。店内巡回と称して、てくてくてくてく。仕事もせずに。絶対そうや。ちゃんと仕事してるんか?」と言う。

いやいや。たぶん一万歩でも少ない方だと思うよ。私の担当売り場はバックヤードから一番近い場所にあるし。他の売り場の人たちは、もっとたくさん歩いてると思う。それにうちのお店は、店舗面積があんまり広くない方だから、他の広いお店だったら、もっとたくさん歩いているんだろうなあ。

そうか。たまーに、今日はお客様少ないし、入荷もないし、売り場作りも一段落してるし、前出しと清掃中心の仕事だなあ、と思う日があるけど、そういうときには、巡回、と称して、テクテクすればいいのか。いいのか? いいのだ。
    押し葉

あれちょうだい

少しだけご年配の女性のお客様。

「あれちょうだい。あれ。」
はい。なんでしょう。
「あれよ。あれ。あれいうたら、あれよ。こう、腰に、キュウーっとするやつ。」
腰にキュウーっとですか。腰痛用の骨盤ベルトでしょうか?
「違う。違う。ベルトじゃない。こう(と言いながら、両手の親指を腰にあてて)するやつ。ツボにするやつ。」
ツボにするといえば、何かこう、貼るものでしょうか?
「違う。貼るんじゃない。えーっと、そうよ!ぼんぼん、よ。ぼんぼん!」
ぼんぼん、ですか?
「そう。ぼんぼん、いうんじゃったわ。ぼんぼん、いう名前よ。」
ぼんぼん。(商品名「ぼんぼん」を一応脳内検索。うーん。ないなあ。)
「ほらあ!こう、球(たま)の上に寝て、その球でツボを押すやつ!」
あ。それは、中山式快癒器の快癒球のことですね!
「そうよ。それそれ。あれ? じゃあ、名前は、ぼんぼん、じゃ、ないね。」
はい。ぼんぼん、ではなくて、中山式快癒器です。でも申し訳ございません。当店では取り扱いしていないんです。
「あらあ。ないの? ぼんぼん。じゃあ、ぼんぼんは、どこで探せばいいの? どこなら、ぼんぼん、取り扱ってるの?」

「あれ」が「ぼんぼん」であることを思い出すのはわりと簡単でも、「ぼんぼん」が「中山式快癒器(正式名称)」であることを記憶する道のりは険しいようだ。

自社商品が「ぼんぼん」と呼ばれているとは、中山式の会社の皆さんも、きっとご存知ないはず。     押し葉

脳健活動

ボケ対策、物忘れ対策、手際対策、などなど、脳のすこやかさが必要ないろいろを鑑みて、数年前から、GABA(ギャバ)というサプリメントを摂取している。それまでは、旅支度が思うようにはかどらないことが多かったのだが、ギャバを摂るようになってからは、出発前がスムーズになった。

夫は、数年前から、イチョウの葉エキスとDHAのサプリメントを併用摂取している。仕事の手際がよい気がするから、というのと、飲んでると冬場の冷えが気にならないから、というのが、継続の理由だ。

私は玄米(GABAの原料)好きだし、やっぱりGABA派かしらね、と思っていたのだが、数ヶ月前より、ふとしたときの物忘れが、おおいに気になるようになり、イチョウとDHAにもお世話になることに決めた。

職場で、同僚が、お客様から血圧計の注文と取り置きの御希望を承った。ちょうどそのとき、その商品は、私の勤務先店舗では欠品中で、次の発注日と入荷予定日を待つと、四日から五日ほどかかることが予想された。私の勤務先と私の自宅の間にある系列店の在庫を調べてみたところ、在庫数に余裕があったので、店間移動を依頼した。では、本日、私が仕事帰りに、立ち寄って、商品受け取りますので、よろしくお願いします、と、依頼先店舗にも、同僚にも、連絡報告しておいた。

翌日、出勤して、いつもどおり仕事前に客注ノート(お客様からの注文を書いておくノート)を確認して、「ぎゃあ!」とヘンな声を出してしまう。

「ど、どうしたんですか?」という店長の声で我に返り、「すみません。私、昨日、店間移動で血圧計を取って来るはずだったのに、思いっきり忘れ去っていました。あとで取りに行って来ます」と答える。客注ノートには、「血圧計 店間移動 ドウヤラ 取りに行く」と記載してあった(自分が記載したのだが)。

お客様からの注文を受けた同僚にも、事情を話して、夕方までには取りに行ってきます、と伝える。同僚は「別に今日中でなくても、今日の帰りに取りに寄って、明日持って来てもらっても、かまわないことやと思いますよ。お客様には、四五日かかる予定とお伝えしてありますし」と言ってくれるが、早いほうが、お客様も喜ばれるだろうし、血圧測定生活を早く始めていただけるし、何よりもう、そうしなくては、私の気がすまないではないか。同僚は微笑みながら「どうやらさんも、ぼちぼちと、我々物忘れ世代仲間の世界に、足を踏み入れつつあるんですかね」となぐさめてくれる。

結局は、勤務中、仕事に差し支えのない時間帯に外出して、昨夜立ち寄るはずだった系列店に出向いて、血圧計を受け取って、お店に戻って、お客様に、入荷しましたの電話をかけ、お客様はすぐにご来店ご購入くださった。

今回は、この程度のことで済んだからよかったけれど、忘れていたことを思い出したときの、あの、「ぎゃあ!」の、びっくりは、たいへん心身によろしくない。

同僚に、「私、これまで、GABAを飲んでいましたが、今日から、イチョウもDHAも飲み始めることにします!」と宣言する。同僚は「そんなに気にしなくても」と言ってくれるが、「でも、私、昨日の帰り道、車の中で、なっすー、なっすー、茄子の味噌炒めー、って歌うばかりで、帰って茄子の味噌炒めを作ることしか頭になかったんです。車に乗るまでは、血圧計取りに寄る、と思ってたのにですよ。血圧計は茄子に負けてはいけないと思うんです!」と話して、イチョウとDHA追加摂取の決意を固める。

帰宅後、夫に経緯(いきさつ)を話して、イチョウとDHAのサプリメントを分けてくれるように頼む。そうやって飲み始めて、しばらくが経つのだが、心なしか、物忘れが気にならなくなった気がする。もしかすると、忘れていること自体に気がつかないほど進行したのかもしれないが。それでも、このまま続けようと思うので、イチョウとDHAのサプリメント、今回購入分からは、夫用と自分用とに今までの倍量注文。

ただ一点だけ、ちょっと気になることがある。GABAとDHAに関してはそうでもないのだが、イチョウに関しては、どういうわけか、つい今しがた飲んだかどうかが、ふと思い出せなくなることがあるのだ。「サプリたち、君たち本当にちゃんと仕事してくれてる?」と訊きたくなるひと時だ。我ながら、「え? 今、今のことだよ!」と思って、自分を問い詰めるのだけど、飲んだような飲んでいないような、うーん、わからないやー、まあ念のため一粒飲んでおきましょう、とあいなる。ゆえに、もしかすると過量摂取になっているかもしれないのが、やや気になるところではあるが、まあよしとすることにして、いいことにしよう。     押し葉

働き者

今日は私がよく働いたのか、それとも歩数計が働き者だったのか、出勤から帰宅するまでの歩数が、一万四千四百五十一歩。

私の実感としては、先日の「十二歩」の日と、労働量は変わらないのだが、歩数計は今日はやや過労かもしれない。

明日は健康診断で、朝から空腹で病院に出向かなくてはならない。歩数計も私も、明日に備えて、今夜は早く寝よう。     押し葉

おやつに注意

私が通う職場では、更衣室の扉の前に、買い物カゴがひとつ置いてある。カゴにはメモ用紙が貼ってあり、「ご自由にどうぞ」と書いてある。普段は何も入っていない。でもときどき、期限の切れた商品は廃棄処分にするけれど、期限切れ間近の商品で、見切り販売できないものや、期限は大丈夫なんだけど、返品もできなくて、いろんな事情で販売できなくなった物を、在庫上はゼロと計上した後に、でも捨てるのはもったいないから、職員なら持ち帰ってもいいよ、と、いうことになったものが、このカゴに入れてある。

ある日出勤してみたら、そのカゴの中に、アーモンドか、ピスタチオか、小袋に入ったものが、いくつか、ざくっと入っていた。今日は作業で体をたくさん動かす予定だし、お腹がすきそうだな。夕方休憩時間のときに、まだカゴに残っていたら、一つもらっておやつにいただこうっと、と、なんとなく嬉しい気持ちで、白衣に着替えて仕事を開始。

夕方休憩時間になって、休憩室に行く時に、カゴの中を見てみたら、中身が全然減ってない。あれー、めずらしいー。夕方までのアルバイトさんもパートさんも誰も持って帰らなかったんだー。じゃあ、ひとついただこーっと。一袋つかんで休憩室へ。一袋、といっても小さい。飛行機に乗ったときに、ドリンクサービスでアルコールを頼むと自動的についてくるおつまみの袋の大きさくらい。おっやつーおっやつー、と歌いながら、休憩室までの階段を上っていく。これくらいの大きさがおやつにはちょうどいいんだよねー、と思いながら、威勢良く袋を開ける。

その瞬間。むむ、これはナッツのニオイとはちがう! ついでに言うなら、人間の食べ物のニオイともちがう!!

そこでやっと、袋の表示を見てみる。「モンプチ」。うう。ペット用のスナックだったか。しかし開けてしまったとは言え、食べるわけにはいかないよ、なあ。いや、食べられるか、と、しばし、まじまじと見てみるが、やっぱり食べない方がよさそうだ。「ごめんなさーい」と一人で大きくつぶやいて、紙で包んでゴミ箱へ。食べてないけど、ご馳走様の手も合わせる。開けてなければ、カゴにそのまま返せたのに。ああ。だから。誰も、誰一人、持って帰ってなかったのか。

教訓。食べ物は、食べる前に、開ける前に、外装表示をよく見ること。

という話を夫にしたら、「今度また持ち帰り可のカゴに動物用食品があったら、もらって帰って来て。いま会社で現場のおじちゃんたちが、工場の隅っこで、ネコを飼ってるから」と言う。ああ、それなら、紙に包んで捨てたやつも、捨てずに持って帰ればよかったよ。と思ったけれど、仕方ない。またこんど。またこんど。     押し葉

えいが

弟(しめじ)が、たしか小学三年生のときのこと。学校の課題で、絵本を作ったことがある。お話も絵も、全部、生徒一人一人独自の創作。弟の作品は、小さな男の子が、空にハシゴをかけて、月や星を磨きに行く、だったか、月や星を取ってくる、だったか、夜空に関するお話だったような気がする。絵のイメージは、紺色と黄色。

生徒それぞれの作品は、参観日の日に、発表することになっていて、弟も、自分の絵本を、みんなの前で、めくって読む。各自、自分の作品について、思う所(感想)を書いた紙を先生には提出してあり、ひとりひとりの発表が終了すると、先生が、その作品と感想文に対して、評をくださる、という授業構成だったそうだ。

だったそうだ、と伝聞形で書いているが、伝聞を伝え聞かせてくれたのは、弟ではなくて、授業参観をした母。

弟の絵本の発表が終わって、先生が、弟が提出した感想の紙を見ながら、やや興奮気味に、こうおっしゃったのだそうだ。「すばらしいですね! しめじくんは、自分が作った絵本が、いつか映画になったらいいと、考えているだなんて、夢があって、たいへんに素晴らしいことです!」

参観しているお母様方も、「おおおおお!」と、ややどよめく。子どもたちは、意外に冷静に、「へえー」というかんじ。ところが弟本人が、すごく腑に落ちない顔をして、「先生。ぼく、自分の絵本が、映画になったらいいなんて、思うてません」と言う。

先生は、「え? でも、しめじくん。先生に出した紙に、ぼくは、この絵本が、ええがになりゃあええと思います。って書いてありますよ」
「はい。ええがになりゃあええと思いました」
「映画の読み仮名は、ええが、じゃなくて、えいが、だけど、えいが、を書き間違って、ええが、って書いたんじゃないんですか?」
「えいが、は、大きい画面で見るぶんじゃろ? ぼくの絵本がなりゃあええのは、えいが、じゃなくて、ええが、です」

今度は先生が腑に落ちない。先生の周りいっぱいに飛び交う疑問符に、子ども達がまず先に、ぴん、ときて、口々に答えを出す。
「あ! 先生! ええがあ、よ。ええがあ!」
「ちがうよーねー。えーがー。えーがー」
「えいがあ、じゃないん? えいがあ」
「えーぐゎー、じゃわ。えーぐゎー」
「いいがい、じゃ。いいがい」
「いいぐぁい?」
と、子ども達それぞれが、先生にわかってもらおうと、一生懸命発音する。さすがに先生も、ぴん、と来たらしく、「しめじくん。それは、もしかして、自分の絵本が、いい具合に出来上がったらいいなあ、ということが書きたかったのですか?」と訊いてくださる。弟は、さもあたりまえそうに、「そうです。だから、そう書きました」と応える。

先生が、「しめじくん。お友達や家族の人や親しい人とお話しするときには、ええがになりゃあええ。と話しても大丈夫だけど、こんなふうに人の前で発表したり、何かに書いたりするときは、いいぐあいになったらいいと思います。と書くようにしましょう。みんなもおぼえておいてくださいね。発表したり何かに書いたりするときには、ええが、えーがー、いーがー、ではなくて、よいぐあい、いいぐあい、うまいぐあい、ですよ」

広島の田舎の小学三年生たちは、「うわー、そうなんじゃー。しらんかったー」「えーが、は、えーが、じゃ思うとったー」と口々に感嘆する。世の中には、公用語(共通語)と方言とがあることを知る、ということは、教育を受ける機会に恵まれたものとして、新鮮かつ極上の喜びであっただろう、と推察する。教師として、保護者として、その場に居合わせるということも、実に豊かで味わい深い。

その後約三十年が経過して、書き言葉は、おそらくもう、大丈夫だろうと思うのだが、弟の話し言葉は相変わらず、「ええがになりゃあええがのう」だ。     押し葉

空飛ぶ十二歩

私が毎日ポケットに入れて歩いてる歩数計は、たいへんに働き者なのだが、たまにどういうわけなのか、自主休業なさることがある。

今日も一日働いて帰宅して、さて何歩だったかしらね、たぶん一万歩超えてるね、と、思いながら、ポケットから歩数計を出して見たら、表示は、「十二歩」。

え? 十二歩?

「なんだか今日は、歩数計、うまく動いてなかったみたい」と、夫に話したら、「何歩だったの?」と訊くから、「えーとね、十二歩」と伝える。

すると夫は、突然、自分の両手両腕を、左右に広げて、肩の高さに上げる。

はて? 彼は何をしているのだ? これで片脚になったら「かかし」の形だけれども。

夫は、今度は、両腕の形はそのまま、「ひゅうー」と言う。

ひゅうー? なんなんだ。これは会話か? なぞめく表情の私に、やっと夫は言葉らしい言葉で、自身の形の意味を説明してくれる。

「今日は一日空を飛んでいたんじゃないか?」

仕事から疲れて帰ってきた夜は、夫婦の会話、もう少し、簡単でわかりやすいほうが、嬉しいような気がする気がする。     押し葉

サンタさんがくれたピアノ

私の実家にはピアノがある。

私の両親は、私が四歳になってまもなくの頃だろうか、近所のピアノの先生のところへ、私を通わせてくれた。小さな子供の足でも、徒歩五分で行ける距離に、ピアノ教室でもある、先生のご自宅はあった。最初の数回こそ、母か祖母が付き添ってくれたが、当時はたぶん、たいへんにおおらかで、私は誘拐されることもなく、田んぼ畑仕事中の近所の大人の人たちがいつでも見守っていてくれて、じきに四歳児は一人で、徒歩五分を往復して、毎週か、もしかすると週に二回、先生のところへピアノを習いに行った。

ピアノのというものは、先生のところでのレッスン以外にも、習った曲を、自宅で繰り返し繰り返し、練習することが必要なものだ。私が自宅でも練習できるようにと、でも、たぶん、いきなりピアノは経済的にも無理だし、この子のピアノへの興味がどれくらい続くかもわからないから、と、両親は電気オルガンをどこかから調達してきて家に設置してくれた。ピアノを弾くことが、たのしくてたのしくて、うれしくてうれしくて、仕方のなかった私は、毎日、毎日、毎日、毎日、いくらでも、そのオルガンを弾いていた。

ピアノを習い始めて、何年が経った頃だろう、四年か、五年経ったのか、小学校三年生にはなっていたような気がする。その年の冬、私はたしか、「大きな森の小さな家」や「大草原の小さな家」といったローラ・インガルス・ワイルダー作の本がとても気に入っていて、作中でローラが大切に使っている「ブリキのカップ」というものになぜかとても憧れていた。ブリキ、ってなんだろう。カップはコップのことみたいだけど、金物の茶碗かなあ。自分もローラと同じものを使ってみたいなあ。ローラみたいにコップのことを大切に思ってみたいなあ。そんな気持ちがあったので、その冬のサンタクロースへの手紙には、「ブリキのカップをください」と丁寧に書いてみた。

クリスマスの日の朝、ブリキのカップ、ブリキのカップ、と思いながら目を覚ます。あれ? 枕元に何もない。「サンタさん、来てんなかったんじゃろうか」そう思う私に、母だったか、父だったかが、「サンタさん、プレゼントは、離れに置いとく、いうて、ようちゃったよ(言っておられたよ)。行って見てきんさい」と促す。

離れ? なにゆえ? たぶんパジャマを着たままで、寒いけど、さらに寒い離れに行く。なんで、サンタさん、ブリキのカップを離れなんかに置いてんじゃろう。

「離れ」といっても、今どき流行りの「露天風呂つき離れの宿」をイメージするのは間違いである。田舎の農村における「離れ」とは、主に農機具置き場としての建物のことである。そこに付属して存在する休憩や作業のための小部屋のことも同様に「離れ」と呼ぶ。たいていの場合造りは簡素で、冷暖房などは当然なく、だから冬はとても寒い。そして夏はかなり暑い。

その離れに、ピアノがあった。サンタさんは、私にピアノを持って来てくれた。頼んだのは「ブリキのカップ」だったけど、頼んだものとは全然違っているけれど、その頃の私はもう、電気オルガンではも既に、習った曲を練習するには、鍵盤数が足りなくなっていた。鍵盤が足りない部分を空や宙で弾く私を見て、私のオルガンのとびとびの音を聴いて、両親は、こんなに弾くならピアノを買ってやってもいいだろう、と思ったのか。とにかく、その年のクリスマスプレゼントは、ピアノだった。

母屋に戻って、両親に、「ピアノがあった」と報告する。両親は「ほう、よかったねえ」と言い、私の様子を見て「なんねえ、嬉しゅうないんね?」と訊く。

「サンタさんにブリキのカップください、いうて手紙書いたんじゃけど、手紙は持って行っとってんじゃけど、ピアノじゃったのは、なんでじゃろう」
「みそがピアノをよう練習するけん、サンタさんがもっとしっかり練習しんさい、いうて、ピアノ持ってきてくれちゃったんよ。ブリキのカップは、次のクリスマスに持ってきてくれてじゃわいね」
「ほうじゃろうか」
「今度から、しめじ(弟)とやぎ(妹)も、ピアノ習い始めることになったけん、家で練習するときには、みそのピアノを一緒に使わしちゃりんさいよ」
「ほうなんじゃ」

今にして思えば、プレゼントというものは、贈る人が贈りたいものを贈るもの、なのだなあ、高価な買い物の元を取るためにも、私一人にではなく、きょうだい三人用に買い与えてくれたのだなあ、と、わかるのだけど、当時の小さな私には、とても不思議な出来事だった。

それでも。離れはとても寒いけど、家でも全部の曲をちゃんと鍵盤で音を出して弾けることは、とてもとても嬉しくて、離れはとても寒いけど、私はいっぱいいっぱいいっぱいピアノを弾いて練習した。

そのピアノが、実家には、今もある。当時の「離れ」はもうなくて、建て替えた家の玄関の壁際に置いてある。帰省したときに、そのピアノを、今もたまに弾いている。私がピアノを弾き始めると、甥っ子のむむぎーと姪っ子のみみがーが、わらわら、と、群がってくる。「ぼくもひく」「わたしもひく」というけれど、ぽんぽんと鍵盤を押す以外には弾き方を知らなくて、結局「みそちゃんがひいて」という。なので、せっかく弾こうと思っていた楽譜をいったん置いておいて、簡単な童謡や唱歌を弾き始める。むむぎーやみみがーが知ってるであろう曲をいくつか弾いてみる。当時二人が幼稚園で習ったらしいお遊戯つきで歌ったり、一緒に鍵盤を叩いていれば、一緒に弾いてる気分になれるのか、音の調和は全く無視して、適当な鍵盤を押したり、と、二人ともやりたい放題。うかれたむむぎーは踊り疲れてへろへろになって、居間でぜえぜえうつぶせる。愉快なひと時。

しかし。鍵盤の何箇所かに、謎のシールが貼ってある。この手のシールを持ってるのは、そして、この手のシールを貼るのは、間違いなく、みみがー、だ。

「ねえ、みみ。みみは、このピアノがみそちゃんのだって知ってる?」
「ええ? でもこのぴあの、わたしがうまれたときから、ずっとここにあったよ。じゃけん、みみのじゃとおもう」
「それがねー、ちがうんよー。このピアノはね、私が小さいときにね、サンタさんが持ってきてくれちゃったんよ」
「ええ? じゃあ、なんで、みそちゃんのいえじゃなしに、ここにあるん?」
「ええとね、私はね、ずっと前はね、ここで、みみのおじいちゃんと、みみのおばあちゃんと、しめじと、やぎと、それから、お仏壇の中のおばあちゃん、つまり、みみのひいばあちゃんと、六人で住んどったんよ」
「みそちゃんは、ひっこしたん?」
「そうなんよ。大人になって、結婚して、引越して、ここには住まんようになったけど、ピアノは大きすぎて重すぎて、よう運ばれんかったけん、ずっとここに置いといてもらっとるんよ」
「ええっ、じゃあ、このぴあのは、みみのじゃあないん」
「うん。これは、私と、みみのお父さんと、やぎちゃんが、小さいときに、ピアノを習ってたときに、いっぱい練習したピアノなんよ」
「ええええ? わたしのおとうさん、ぴあのひけるん?」
「そうよ。大きくなってからは、たぶん全然弾いてないけどね」
「しらんかった」
「そういうわけでね、このピアノは私のなんじゃけん、勝手にこういうシールをベタベタ貼らないこと! わかった?」
「えー、でもー、はったほうがかわいいよ」
「みみやむむぎーがピアノを弾きたくて、大切に弾くんだったら、貸してあげるけど、シールが貼ってあると指の滑りが悪くなって、私が弾きにくくなるから、もう貼ったらだめです」

がきんちょ相手に難しすぎる説明だけど、がきんちょなりに納得して、「わかった」と言うから、「じゃあ、私がいないときには、ピアノのこと、大切にしててね。ときどき拭いてあげたりしてね」と頼んでおく。

だから私の実家には、今も私のピアノがある。そして今でもたまに弾く。サンタさんがくれたピアノ。     押し葉

貼り薬

成人男性のお客さまが「湿布はどこですか?」とおたずねくださる。

はい。このあたりになります。
「あ、ありがとうございます。見てみます」

いろいろ比べてご覧になってらっしゃる間、私は別の仕事をする。少ししてから、「すみません。これ、湿布ですか?」と、再び声をかけてくださる。

はい。こちらのは、湿布というよりは、貼り薬、でして、普通の湿布だと少し厚みのある白いブヨブヨとしたシートなんですが、こちらのお薬は薄手の肌色の伸縮性のある布なんです。でもお薬の成分自体は、痛みや炎症を和らげる効果の高いものが使ってあるので、痛みが強い場合でも、早く痛みを抑えることができるんです。
「そうですか。これにします。でも、そう簡単にはとれませんよね?」

痛みですか? それは痛みの程度や原因にもよりますが。
「いえいえ。痛みではなくて、この貼り薬自体が、すぐにとれてしまう、ということはないかなあ、と思って」
ああ。うう。すみません。大丈夫です。このタイプの貼り薬は、関節など動きやすい部分に貼っても、はがれにくいように、薄手にして、くっつきや伸びがよいつくりにしてあるんです。
「そうなんですか。じゃあ、使ってみます。」
はい。おだいじになさってください。ありがとうございました。


とれてほしいのは、痛み。
とれてほしくないのは、貼り薬。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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