みそ文

値引きの学習

まだ実家に住んでいた頃。仕事を終えて帰宅してみたら、食卓の上が、刺身だらけ、になっていたことがあった。別に何の祝いでもない普通の日のはずなのに、どうしたのだろう。

父が珍しくスーパーに立ち寄り、買い物をしたという。夕方訪れたスーパーで、「刺身でも」と思い近寄ったら、パックにシールが貼ってある。見てみると、「150円」やら「200円」やら、ものによっては「100円」「50円」なんていうのもある。「刺身なのになんて安いんだー! これは買わねばー!!」と張り切って、たくさんカゴに入れていく。いくらなんでもこれ以上は食べられんじゃろう、と思い、一応加減はしてみたつもり。レジを通してもらう。あれ? あれれれれ? あんなに安いはずの刺身なのに、合計金額、妙に高いのはなぜなんだ?

父は、レジの女性に問うてみる。「刺身の値段、このシールの値段?」
「いえいえお客様。これは値引きの金額ですので、こちらの表示金額からシールの値段を引いたものが、一パックの値段になります。」

なんてこったー! そうだったのかー! と思ったけど、もういい、買う買う!! ということで、大量(大漁)のお刺身お持ち帰りと、あいなった。

父は言う。「あんなふうにシールが貼ってあったら、誰でもシールに書いてある値段じゃと思うわあ。」
思わん思わん。

よく見れば、シールには、「50円」のその右に、小さな文字で「引き」と書いてある。父は言う。「こんな小さな字、誰も見んじゃろう。」
見る見る。

今にして思えば、あの頃から、少しずつ、父には糖尿病の眼の症状が出ていたのかなあ。何はともあれ、お刺身はたいへん美味しくいただきました。

教訓。大人になっても、もっと大人になっても、社会勉強は、続く。     押し葉

おいしそうなトド肉

ある日の仕事帰りに、一緒に仕事をしている薬種商のおじちゃんが、ふと、私に向かって、「どうやらさんのご両親はご健在なんですか?」と尋ねてこられた。

はい。おかげさまで。二人ともとても元気で、まあ、年齢なりに、いろいろはあるんですけど、あちこち旅行に行くくらいには元気で、少し前にも北海道旅行に行ってきてました。

「ほう。それは、ええことや。」

それで、旅行のお土産を送ってきてくれたんですけど、利尻の昆布は、ねらいどおりで大喜びなんですけどね、トド肉の缶詰というのも入ってて。

「トドの肉かあ、それは、ちょっと、そんなには、ほしくないなあ、なんでやろうなあ」

でしょう? うちの親も何を思ったんでしょう。やっぱり旅の高揚感でしょうか。現地で食べて「うまい!」と思ったわけではないと思うんですけどねえ。「話のネタにどうだ!」くらいのつもりでしょうか。

と、しばし、土産の愚痴(?)を聞いてもらい、駐車場で、「お疲れ様でしたー」と別れた。

そのトドの缶詰。まだ開けずに置いてある。近々、いや、生きてるうちに、「これが食べたい!」と思うときが来るだろうか。人間が養殖をしてまで食べようとしていない、ということは、世の中の食の世界で天下を取っていない、ということは、そういう味、つまりそれほどたいそうにはおいしいわけではない、ということなのだと思うのだ。

人間にとって、それほどおいしくない身(肉)をまとう、ということは、生き物として、生存率を高める上では、大切な作戦だよね、きっと、と、夫と話す。その夫が言うには、今回もらった缶詰の、トドの親子(たぶん)が微笑むイラストが妙にあまりにも可愛くて、食べる意欲がさらにそがれる、のだそうだ。食品製造業として、それはパッケージデザインの失敗なのではないか。しかし、トドを、活きよく、おいしそうに描くのは、なんか難しそうだよなあ。「おいしそうなトド」が、どんなのかもわからないし。     押し葉

交通安全の神さま

お盆に、広島へ向かう帰省道中の高速道路。琵琶湖の横を走りながら、うーん、こんなにスピード出したいわけじゃないのになあ、もっとゆっくり時速100kmくらいで走りたいのになあ、と思いながら運転していたら、夫が「飛ばしすぎー」と言い、私も「うん。そう思う」と応えたとき、ひゅうーん、と、ぱおーん、と、私の車を追い越しながら、助手席から手を振って、左に寄れ、と誘導する車が現れた。屋根には赤いくるくるランプもついている。

私の前側を走行し始めたその車は、滋賀県警の覆面パトカーで、後部の窓ガラスが、おもむろに電光掲示板に変わり、「パトカーに続け」「減速せよ」「左によれ」というお知らせが表示される。おお! 覆面パトカーとはこういうしかけになっていたのか。高速道路でつかまるのは初めてだ。それにしても、これでまた、ゴールドカードじゃなくなるなあ。

路肩が充分に広いところで車を停める。パトカーの中にて所定の手続きを済ませる。覆面パトカーの内部には、通常の車ならオーディオやナビや快適走行のための物置などが装備されている位置に、警察お仕事専用のいろんな装置が装備されていて、先ほどの後部窓ガラスの表示も、ボタン一つでいろんな内容に変更できるようになっている。なかなかに興味深い。

罰金は一万八千円。点数は三点。今後三ヶ月無事故無違反だと、点数は元に戻るらしい。おまわりさんは、「これから先も、覆面パトカー、たくさん出動してますし、長い道中のようですし、くれぐれも安全運転で、目的地まで走行してください」と言われる。はい。そうします。

おかげでその後は、常に落ち着いて走行。一万八千円も、厄落としのお布施と思えば、まあ適切な金額だ(ろうか?)。つかまって、罰金を支払ったことで(支払いはその場ではなく、後日金融機関にて振り込みで行う)、大きな事故を避けることができたような、何かが何かから護ってくれたような、そうなるべくしてなったような、なんだかそんなかんじがして、気持ち的には落ち込みもなく、むしろ清々しくすらあった。

という話を、実家の近所に住む、幼馴染のめいちゃんに会った時に話したら、「私も何年か前に、一時停止するところで、停止してなくて、つかまったことがあるんよ。あのときは、パトカーの中でごねたねえ。」
「え。めいちゃんがごねるなんて珍しい。なんていうてごねたん?」
「一時停止無視って、罰金は七千円なわけよ。点数は一点。それまでずっと免許証ゴールドカードだったのに、これでゴールドじゃなくなるかと思うと不本意で不本意で、罰金と減点はしかたないとしても、色だけゴールドのままにできませんか? って訊いてみたんだけど、だめだって。」
「そりゃあ、だめじゃろう。」
「もう、くやしくてねえ。毎日通勤で仕事帰りに通るとこで、三叉路で、すごく交通量少ないところで、その日につかまるまで、そこに一時停止の標識があることすら知らんかったけん、私今まで一度だってここで停まったことなんかないんですよ!!! って強めの語気で言ってみたら、警察の人が、それはいけませんね。って言うちゃった。」
「そりゃあ、いけんじゃろう。」
「まあ、それ以来、とまれ、の標識には、すっごい敏感よー。ぜったい見逃さんよ。」
「標識がよく見えるようになってよかったねえ。めいちゃんも私も、お互い、それくらいで済んで、よかった。こういうことは、どっちにしても、気をつけなさいよ、いうことじゃろうけん、違反はそういうお告げじゃけん。とにかく、気をつけていこうやー。」
「うん。そうじゃね。」

交通安全強化キャンペーンなお盆の日。交通安全の神さま、ありがとうございます。     押し葉

お墓参りのそのあとに

何年か前の夏、実家に帰省したときに、お墓参りにでかけた。夫と私と、甥っ子のむむぎーと、姪っ子のみみがーと、私の弟が車を運転してくれて、お墓のある山へ向かう。お花を飾って、お線香たいて、手を合わせる。お墓参りを終えて帰宅する。それぞれが、手を洗ったり、トイレに行ったり、お仏壇に参ったりする。

実家の廊下を歩きながら、小さい人をからかうことを愉しむ癖がある夫が、みみがーに向かって言う。
「うわ! みみがーさん! たいへんじゃ。背中になんか憑いとる!」

みみは怯えて、自分の背中に手を回しながら、くるくるまわる。
「えーっ? なにがー? どこ? ここ?」

「うーん。みみがーさんの背中の真ん中らへん。残念じゃけど、みみがーさんの手じゃあ、たわん(届かん)わあ。」
「えー! いやー! とってやー。なにがついとるん? ねえ、なに?」
「うーん。たぶん、ここの家のお祖母さん、みみがーさんの曾お祖母さん。」
「どうやらさんー。とってよー。とってー。」
「うーん。だめじゃ。とれんわ。残念じゃけど。たいへんじゃあ。どうする?」
と無責任につぶやいて(つぶやいたふりをして)、夫はすたすたと居間に向かって去ってゆく。

みみがーが大慌てで、私のところに来て訴える。
「みそちゃん! どうやらさんが、みみのせなかに、ひいばあちゃんがついとるゆう(言う)。こわいけん、とって!」
「みみー、何ようるんねー(何言ってるの)? ひいばあちゃんは、みみのこと、護ってくれてんじゃけん、大丈夫じゃわいね。」
「えー、でも、ついとるんじゃろ? こわくないん?」
「怖くないわいねー。みみのひいばあちゃん、なんじゃけん。みそちゃんのおばあちゃん、なんじゃけん。」
「ほんまに、こわいことせんのん?」
「大丈夫。ひいばあちゃんも他のご先祖様たちも、みんな、私らのことを護ってくれて(くださる)んじゃけん。」
「どうやってまもってくれてん?」
「んー、例えばね、みみが走って転んでね、大怪我しそうになったときに、ふわっと護ってくれちゃって(くださって)、大怪我じゃなくて、小さな怪我で済んだりね。あんまり痛くなかったりね。それとか、私らにとって、必要なものや大切なものが見つかるように、導いてくれちゃったりするんよ。」
「えー、そうなん? じゃあ、みみのせなかに、ひいばあちゃん、ついとってもええん?」
「そうよ。ついてくれとってん方がいいんよ。ほんでね(それでね)、あー、今護ってもらったなー、ってときには、ちゃんとありがとうございます、ってお礼をゆうんよ。お仏壇やお墓にお参りするときには、普段言い忘れてるお礼を、まとめていっぱいゆうてもええんよ。」
「へー。そうなんじゃー。じゃあ、こわくないんじゃねー。このままでええんじゃ。どうやらさんにおしえてあげてくる!」
みみがーは嬉しそうに、居間に向かって走り去る。

なかなかに、お盆らしい出来事。     押し葉

パラダイス孔雀

お盆に義弟がおごってくれた銭湯。サウナも露天も利用できる高額入館料金での入浴。露天風呂には、「打たせ湯」もついている。

姪っ子のみみがーと私が、露天風呂の湯船の中の岩に腰掛けて、半身浴をしているとき、妹は、その「打たせ湯」を背中にあてていた。 びちびちっ、ばちばちっ、と飛び散る湯しぶき。それを見てみみがーが言う。

「今、やぎちゃん(私の妹)が、たきのしゅぎょう、しょうるじゃろう?」

たきのしゅぎょう? タキノシュギョウ?

「あ。もしかして、滝の修行? 滝に打たれて厳しい修行をするやつ?」
「そうよ。テレビでしようたけん(テレビで放映していたから)、わたし知っとるよ。」
「みみー。それは、テレビの人たちは、白い着物みたいなの着て、両手を胸の前にこうして合掌したりしてなかった?」
「白い着物きとった。がっしょうしようた。」
「あれはね、露天風呂じゃなくて、川なんかにある本当の滝で、冷たいお水を身体にあてて、お祈りしたり精神統一したりするんよ。あれは寒くて冷たくて痛いんよ。今やぎちゃんがしょうるのは、ぬくくて気持ちがいいじゃろ。あれは滝の修行じゃなくて、打たせ湯、ゆうんよ。」
「ふうん。やぎちゃんのは、おゆがあちこちバラバラじゃけど、わたしのお母さんはいちばんじょうずと思う。他の人よりいちばんじょうずと思う。くじゃくみたいできれいじゃけん。」

打たせ湯上手? 孔雀??

「孔雀みたいって、あ、え、もしかして、背中にあたったお湯が飛び散るしぶきが、ゆなさん(みみがーの母)だと、孔雀の羽が広がったみたいにきれいに丸く広がるってこと?」
「そうよ。すごいきれいなんじゃけん。他の人はみんなバラバラじゃけど、お母さんはじょうずじゃけん。お母さんだけがくじゃくみたいにきれいなんじゃけん。」
「そうなんじゃあ。それはすごいねえ。でもね、みみ。打たせ湯はね、背中のしぶきをきれいな形で飛ばすのが目的じゃないんよ。今やぎちゃんがしょうるみたいに、自分の肩や背中や腰の、こってるなー、と思うところにお湯をあててマッサージするものじゃけん。しぶきの形はバラバラでもいいんよ。」
「そうなん? じゃあ、やぎちゃんは、今おゆをあてようるところが、こっとるん?」
「こっとるかどうかはわからんけど、お湯をあてたら気持ちいいけん、そうしょうるんじゃと思うよ。」
「ふうん。」

ゆなさんは、背中の真ん中の一点に、コリが集中しているのだろうか。湯しぶきが放射状を描きその形を保つほど、打たせ湯の間、微動だにしないのだろうか。もしも今度いつか一緒に露天に入る機会に恵まれたら、孔雀打たせ湯を見せてもらおう。手を合わせて拝んでおくと、何かいいことがあるかもしれない。

みみがーの学習その一
銭湯でするのは「滝の修行」ではなく「打たせ湯」。

みみがーの学習その二
「打たせ湯」は、湯しぶきの形を競うものではない。     押し葉

パラダイスサウナ

お盆に帰省したときに、義弟がおごってくれた銭湯。特別料金での入館だから、特別施設も利用可能。安い入館料金の人とは、リストバンドの色が違うのだ。

お風呂からあがると、甥っ子のむむぎーが、「ぼく七回サウナに入った!」という。

「七回って、ミスト(蒸気)の方? ドライの方? 両方合わせて?」
「けむり、じゃないほう(けむり、とは、ミストのこと)。タオルが敷いてあってあついほう。」
「どうやって七回も? 熱いのに。」
「ぼく、あれくらい、ぜんぜん、あつくない。サウナ入って、少しして、ぬくもったら、外に出て、水風呂入るじゃろ。そしたら、また、サウナに入るじゃろ。そうしようたら、すぐ七回くらいなるよ。」
「そうなんじゃ。むむぎーはサウナの熱さ平気なんじゃね。」
「平気、ゆうより、すごい好きかも。」
「そうかあ。じゃあ、男湯は、みなさん、ゆっくり、サウナも愉しんだんじゃね。女湯はね、みみがー(姪っ子)がサウナを怖がって、「むり。むり。わたしはむり。みそちゃんとやぎちゃんだけ行ってきて。まちょうるけん(待っているから)。でもすぐ出てきて。」って言うけんね、ドライサウナもミストサウナも、ちょっと見学しただけ、いうかんじなんよ。サウナの部屋で、やぎ(妹)が「みみがーと来ると、せわしないじゃろ。どうせ怖がってサウナにも入らんし、露天に入ってもすぐ出たがるし、あの人には特別施設は必要ないのに、なのに、高額入館料の、色が違うリストバンドに、憧れがあるらしいんよねー。」いうて話してくれたのを聞いただけで出たきたけんねえ。」
「ぼくは、また、サウナに入りたい!」
「むむぎーは、相当サウナが好きなんじゃねえ。」

ここで妹が、「じゃあ、むむぎー。サウナあり2回と、サウナなし3回と、どっちがええ?」と訊く。むむぎーは、「サウナあり2回がいい!」。

妹「じゃあ、3回のうち1回はお留守番になるけど、いいん?」
むむぎー、少し考えて、「うん。いい。ぼく、サウナに入りたいもん。」

小3男児を「とりこ」にするサウナ。あっぱれあっぱれ。     押し葉

さんさい

毎年八月四日が近づくと、いつも必ず思い出す。小さな弟が、八月四日の朝に、「おねえちゃん。ぼく、さんさいになった。」と嬉しそうに報告してきたことを。まんまるい顔いっぱいに笑顔をたたえて、この上なく誇らしそうに、まだ小さな指を三本立てて見せてくれながら、三歳の報告をしてくれたこと。

私が「よかったね。おめでとう。」と言うと、弟は、今度は、一歳になったばかりの妹のところへ行って、「さんさいになった。」と言う。そしてまた、私のところにやってきて言う。「おねえちゃん。ぼく、さんさいになったよ。」

お誕生日は、その人が生まれた日で、年齢は、その人が、寝て起きて寝て起きて、寝て起きて寝て起きてを繰り返した年の数で、それはとても嬉しいことで、それはとてもおめでたいことだと、六歳になったばかりの私はちゃんと知っていた。保育園でも毎月必ず、「今月お誕生日のおともだち」の誕生会が開催された。いつもなら、イチゴミルク飴ひとつずつのおやつの時間が、誕生会の日はちがうのだ。一センチ幅くらいに薄く切ったパウンドケーキが配られたりするのだから、どれだけ特別なことなのか、幼児だって痛感する。

弟がそうやって、なんどもなんども自分が三歳になったと言うのを聞いて、姉としては、とても嬉しいはずなのに、お誕生日はおめでとうであることはちゃんと知ってるはずなのに、なのに何故だか、どうしてなのか、体の奥から、かなしいような、くるしいような、吐きそうな、泣きそうな、気持ちになってしまったのだ。そんなふうに感じる自分が、どうしても腑に落ちなくて、でもどうしてもそう感じて、弟の誕生日が嬉しくないのかと考えてみるけれど、そんなことは全然なくて、あのときは本当に、なにがなんだかわからなかった。

それからも、毎年弟が誕生日を迎えるたびに、あの「さんさい」を思い出す。そして同じ、かなしいような、くるしいような、吐きそうな(吐かないけど)、泣きそうな(泣かないけど)、あのときの気持ちを思い出す。六歳の時もその後もずっと、あの気持ちの理由は全くわからないままだった。けれど、大人になって、年をとった今ならもう、ちゃんとわかる。いや、わかる、というのは語弊がある。大人になって、年をとって、いろんな語彙や概念を獲得して、自分が腑に落ちるように、理由付けをすることができるようになったのだ。

あのときあんなに、うれしいのに、かなしくて、くるしくて、吐きそうで、泣きそうだったのは、彼がこの世でそうやって、三歳、になった、そのことが、奇跡だったからなのだ。この世に何度も生まれてきて、彼と何度も家族になって、私が年上の役柄の時、きっと、彼はいつも毎回、幼くして亡くなったのだ。小さくて、やっと一緒に、歩いたり走ったりして、遊べるようになったのに、小さいままで、小さなうちに、この世から去ったのだ。そして私は、何度も何度も、そんな彼を見送って、それがかなしくて、くるしくて、吐きそうで(吐いたのかも)、泣きそうで(泣いただろう)、だけどどうにもできなくて、あきらめて、生きたのだ。

けれど此度の人生では、彼はちゃんと、三歳、になった。私の弟として。だから教えてくれたのだ。なんどもなんども。だいじょうぶだと。ちゃんとここにいるのだと。これからも、一緒に歩いたり走ったり、遊んだりできるのだと。

だから私は、あのとき、それがすごくうれしくて、泣きそうになったのだ。そして、それまでの、何十人もの、何百人もの、何千人もの私がずっと、あきらめるしかなかった思いを、あのときようやく弔ったのだ。

そう。奇跡。死なずに、三歳、になってくれた。

今はもう、くるしくないし、かなしくないし、吐きそうでもない。それでもやはり、今でも、毎年八月四日が近づくたびに、息がつまりそうになる。今回の、奇跡のような出来事に。今回の、奇跡のような幸運に。それがとてもうれしくて、そしてとてもありがたくて、そして少し、泣いてしまう。     押し葉

むむぎーが釣ったカワハギくん

広島の実家の母は趣味で細密画を描く。

この夏帰省したとき、母の部屋に行ってみると、画材が置いてある机の上に、最近のものと思われる作品が数枚。母がよく描く植物が一枚と、母には珍しく魚の絵が二枚。へえ。めずらしい。魚だ。と、思いながら見ると、画用紙の右下に「むむぎーが釣ったカワハギくん」と書いてある。大きさは、体長二十センチというところだろうか。けっこう大きいな。実物大かな。拡大かな。

そんなことを思いながら、母のパソコンを借りて、メールチェックなどをしてたら、廊下のほうから、どたどたどたどたー、と、複数の小さな人間の足音が母の部屋に近づいてきた。

「やっほー」と、甥っ子のむむぎー。「みそちゃん、きょうとまるん?」と、姪っ子のみみがー。私は「やっほー。泊まるよ。」と応える。

「ねえ。ねえ。むむぎー。このカワハギくん、ずいぶん大きいけど、実際の大きさはどれくらいじゃったん?」
「え? この大きさ。」
「それは、すごいじゃん。ずいぶん大きかったんじゃね。」
「うん。ちょうどこの絵の大きさで、ばあちゃんが、しゅううっ、しゅううっ、って切って、みんなで、ぱくぱくうって、しょうゆ付けて食べた。」
「むむぎー、それは、刺身にして食べた、という意味?」
「そう。そう。刺身。」
「わたし(みみがー)もたべたよ。」
「そう。美味しかった?」
「うん。まあね。わたしはマグロのほうがもっとすきじゃけど。」
「で、むむぎーは、このカワハギくんを、釣竿で釣ったん? それとも釣り糸を手で持って釣るやり方でしたん?」
「手で持つやつ。でも、ぼくが釣ったんじゃないんよ。」
「え? でも、この絵には、むむぎーが釣ったって書いてあるよ。」
「釣り糸を持っとったのはぼくじゃけど、釣ったんじゃなくて、海の中に糸を入れたら、くんっ! て、カワハギくんが勝手にひっかかって来たんじゃもん。」
「それは、カワハギくん、どうしたんじゃろうね。」
「たぶん、泳ぎようたら、ちょうど口のところに針が下りてきて、ひっかかってしもうたんじゃと思う。」
「そうじゃろうか。そうじゃったら、カワハギくん、びっくりしたじゃろうか。」
「そうでもなかったみたい。びっくりしたのはぼくの方。だって、糸入れてすぐに、ぐん、ぐん、って、何もしてないのに、ぐん、ぐん、って、なったんじゃけん。」
「へえ。そうなんじゃ。でも、これくらい大きかったら、だいぶん食べるところあったじゃろ。」
「うん。みんなで食べた。他にもいっぱい釣れたけん、みんなでいろいろ食べた。」
「よかったねー。」

カワハギくん、こんなに大きく成長して、みんなのお腹に入ってくれて、ありがとうございました。     押し葉

パラダイス銭湯

お盆に帰省した時に、義弟(妹の夫)のおごりで、銭湯に入りに行った。銭湯と言っても、露天風呂もあり、ドライサウナもあり、ミストサウナもあり、打たせ湯もあり、の、なかなか豪華な施設である。ただし料金体系が二種類あって、露天風呂などの特別施設を使うには高い入館料を払う必要があり、安い入館料の場合は特別施設の利用不可。せっかくなら露天にも入りたいという私と夫のリクエストが叶い、高額チケットでの入館とあいなった。男湯の参加者は、義弟と夫と甥っ子のむむぎー。女湯の参加者は、妹と私と姪っ子のみみがー。

みみがーは身体が小さいからなのか、頭を洗うのも体を洗うのも、すぐに済んでしまう。
「やぎちゃん(妹)、まだなん?」
「みそちゃんは、あとどこを、あらわんと、いけんのん?」
「わたし、ひとりで、さきにおゆにはいってくる。」
と、ちょろっと湯船に入っては、またすぐに洗い場に戻ってきて、「まだなん? まだなん?」と、私と妹を問い詰める。

そんな問い詰めに負けることなく、私はゆっくり頭を洗って、髪と頭皮にトリートメントを浸透させる間に、体を洗って、さらにもう少し浸透させる時間を利用して、歯磨きもしましょう、と、かしかし、と歯磨きに励んでいたら、みみがーが近寄って来て、私にたずねる。

「みそちゃん、はみがきしょうるん?」
「ほうよー(そうよー)」
「みそちゃん、おふろやさんではみがきするん?」
「うん」

自信満々な私に、これ以上問うても無駄だと思ったのか、みみがーは、妹のところに移動して、

「ねえ、やぎちゃん。みそちゃん、はみがきしょうるよ。」
「あ。ほんまじゃね。」
「ねえ、おふろやさんではみがきしてもええん?」
「さあ。ええかどうかは知らんけど、みそちゃんはしょうるね。」

妹よ。それはそうかもしれないが、そんな不安を煽らずとも、「ちゃんときれいにお行儀よくできるんじゃったら、お風呂屋さんで歯磨きしてもええわいねえ」と断言して、姪っ子を安心させてやるのがよいと思うのだが。

浴場浴室での歯磨きは、賛否両論あるところであろうが、身体が温まって歯茎の血行もよくなった状態で、歯と歯茎をマッサージするように磨くのは、歯肉健康上、理にかなっているはずなのだ。もちろん歯磨きして「かあーっ、ぺっ!」などの音を立てるのは美しくないし、好ましくない。ブラッシング中のしぶきを周りに飛ばしたり、歯磨き中のよだれを垂れるがままにするのもよろしくない。しかし、それは洗面台での歯磨きでも同様のマナーであろう。

みみがーは、誰に教えられたわけでもないのに、「規範」のようなものや、多数の人たちとの行動と似通っているかどうかが、自動で気になるタイプなのか、こそこそと「でも、ほかのひとは、はみがき、しょうてんないよ」と、引き続き気になる模様。

しかし、「風呂屋で歯磨きする伯母は間違っているのではないか」ということが気になるみみがーは、不思議なことに、自分が人前でおならをするのは平気、というよりも、堂々と、むしろ得意、としており、そのことにとても寛容だ。

「みそちゃん。わたし、おしりのしゃっくり、じょうずなんよ。」
「はあ? おしりのしゃっくり、ってなんなん?」
「おなら、のことよ。お、な、ら。」

みみがーは、居間でも戸外でも、ぷうーっ、ぷっぷっぷっぷぷー、とおならをしては、「はい! はい! わたし! おならしたよ。しつれい!」と手を挙げて自己申告する。

ううむ。たしかに、体内ガスをきちんと出してやることは、身体健康上とても大切なことだし、ガスがちゃんと出るということは、健康でめでたいことであるし、人前でガスが出た後には名乗り出て一言謝る、というマナーはおさえているのだが、もう少しコソコソとしているほうが、おならには似つかわしい気がするのは、私の思い込みだろうか。私は世の規範を気にしすぎだろうか。

何はともあれ、「人前でのおなら(とりあえず出てしまったもの)」も「風呂屋での歯磨き」も、どちらも、社会的マナーの範囲内であれば、堂々と行うのがよかろう、ということにしておこう。     押し葉

カイロとイビキ

カイロといっても、あっためるカイロではなくて、整体の仲間の、カイロプラクティクのカイロのはなし。

少し前の日記で、夫のイビキ自慢をしていたが、少し状況が変わったので、訂正を兼ねて記録。

ある土曜日、私は仕事だったけど、夫は休みで、しきりに「カイロに行こうかなあ。どうしようかなあ」と言うので、「行こうかなあ、と思うときには、行きなさい、って体が言ってるってことよ」と、ずいずいと、あとおししてみた。その結果、夫は、以前にもお世話になったことのある治療院に、数年ぶりに行くことに。数年前に一度調整してもらって以来、それまで必ず破れていた靴下のかかとの上のところ(アキレス腱の下のところ)が全く破れなくなって、靴下の寿命が伸びたのだが、今回調整してもらったところ、なんと、イビキが小さくなったのだ。そして、夕食後のうたた寝がなくなった。本人の自覚としては、胸がしっかり開いた感じで、呼吸が深くて楽な感じが、起きてるときにも寝ているときにもあるらしい。イビキは、なくなったわけではなく、しているのはしているのだけど、私は耳栓をすれば聞こえない。これは画期的。これまでは、耳栓をしていても、その耳栓を乗り越えて、いびきの音が入ってきて、夜中に何度か彼を蹴り、「いびきしてるよ」と注意したりしてたのが、耳栓してれば、朝までぐっすり。ありがたや。本人も深い呼吸で、ちゃんと空気を入れ替えながら、しかも夜中に私に蹴られて眠りを邪魔されることなく、眠れるようになったからなのか、朝の目覚めもすっきりで、昼間も眠くならなくて、夕食後も別にうたた寝したい気にならないらしい。カイロ屋さん、いい仕事をしてくださって、ほんとうにありがとう。

夫のイビキが耳栓を越えて来たり、夕食後にうたた寝し始めたり、外出時の車中助手席で「寝てもいい? 寝るね!」を連発し始めたら、今度からは、「そろそろカイロに行ったら?」と奨めることにしようと思う。

私の日記「夫のいびき」を読んだ夫が、「もう、うたた寝してないし、いびきもひどくなくなったんだから、訂正しといてください」と言うので、訂正を兼ねて記録。     押し葉

こどもだまし

三月の下旬に、友人親子が連れ立って、福井に遊びに来てくれた。息子くんは鉄道博士でもあり、恐竜博士でもある。夏場には昆虫博士にもなるようだ。

大阪から「特急雷鳥」に乗るために、その雷鳥の旧式車両に乗るために、早朝から張り切って、早起きして、家を出て来たということだ。携帯電話のカメラ機能で、雷鳥の前側写真、雷鳥の後ろ側写真、雷鳥の横側写真も撮ってきた。雷鳥制覇のそのあとは、福井恐竜博物館だ。

恐竜博物館に関しては、私はすでに何度目かの見学だし、恐竜に対する興味はどちらかというと「ふつう」なので、「思う存分、ゆっくり見てね」と声をかけて、館内では別行動。私は一人、ライブラリーで手紙を書いてゆっくり過ごす。

友人と息子くんは、丁寧に丁寧に、展示物ひとつにつき三分以上かけていそうな丁寧さで、ゆっくりと、ゆっくりと、展示物を見て周る。

うん。うん。せっかくだからね、閉館まで堪能してね。と思いながら、大きな大きなガラス窓の、春の日差しを眺めながら、周りの空気の温かさを細胞のひとつひとつで感じて、うれしいなあ、しあわせだなあ、と、しみじみと時を味わう。

入館から四時間弱経った頃だろうか。全館閲覧し終えて、へとへとになった友人と、嬉々とした息子くんとが、ライブラリーにやってきた。「あら。もういいの? 閉館までいてもいいのに」と訊く私に、母である友人は「もう許してください」とつぶやき、息子くんは「また来たい!」と力強く言う。友人は、「次回は私も、ライブラリーで待ってるよ」とお疲れだ。

建物を出た後も、息子くんは、恐竜のオブジェに触り、恐竜公園で走り、恐竜滑り台を滑っては、滑り台の振動で「おしりがかゆいー」と笑う。

うん。もうね。そんなにね、愉しんでもらえたら、恐竜達も絶滅した甲斐があるし、化石を掘った人たちも、博物館を作った人たちも、報われるってものだろう。

お宿「どうやら」(我が家)での宿泊は、二人とも初めてだ。親子ともに、場所が変わると、上手に眠れなくなるのだと聞いてたけれど、少しでも、ゆっくりと、ぐっすりと、眠れるといいねえ。息子くんに、「おやすみなさい」と言ってから、ほんの少し経ったときに、息子くんが友人を呼ぶ声がした。「おかあさん、おかあさん、あのね、おかあさん、コンセント、抜いてもいい?」

「抜きなさい。自分で好きにしなさい」と友人が声をかける。私も横から顔を出して、「この部屋では、ほとんどなんでも好きなようにして大丈夫だからね。安心して眠ってね」とささやき声で言ってみる。友人が、お布団の枕元に近いコンセントを抜いてから、「はい。抜いたよ。もう寝なさいね。おやすみ」と言って、部屋を出てきた。

その後しばらく、居間でふたりで、あれこれお喋りしたあとで、友人に訊いてみる。「息子くんは、コンセントが繋がってるジーって音が気になるん?」

「そうなんよ。まあね。私もそうだから、彼の気持ちはよくわかる」
「私も私も。耳栓して寝るようになって、やっと気にならなくなったよ。でもさ、それなら、枕元のだけじゃなくて、足元の方のコンセントも、抜いておいてあげたら?」
「ううん。大丈夫大丈夫。さっきコンセント抜いたけど、お母さん、まだ音が聞こえる、って言うから、コンセントの音はね、抜いてから、だんだんと、少しずつ、小さくなって、聞こえなくなるのよー。ほぉらー、だんだんとー、小さくなってきたでしょー、って言っておいたから大丈夫」
「ええええ? そんなあ。微弱で微細な振動音の聴覚疲労はけっこうしんどいのに。そんな子ども騙しでいいの?」
「みそさん。いいんよ。彼は子どもなんじゃけん。いいんよ。子ども騙しで。さっきちらっとのぞいてみたら、案の定、超熟睡してるし。あんだけ早起きして、あんなに活動したら、そらあ、寝るよ。コンセントなんか関係ないない」

そうかあ。こどもだましって、いい仕事するんだなあ。     押し葉

縁戚関係

小さい頃の甥っ子のむむぎーと姪っ子のみみがーにとって、お盆と正月に突如現れる私達夫婦は、長らく謎の存在だった。会えば、「みそちゃん、みそちゃん」とまとわりつき、夫のことも「どうやらさん、どうやらさん」と日に何度も呼んでは、追いかけてもらうのを喜んでいるが、ときどきふと、「みそちゃんのお父さんはどこにおるん?」「どうやらさんは、みそちゃんのお父さん?」「みそちゃんのだんなさんはどこ?」と言ったりする。

その都度、子ども達の母であるゆなさんは、「あんたたちのおじいちゃんがみそちゃんのおとうさんでしょ」「どうやらさんは、みそちゃんのだんなさん」「みそちゃんのだんなさんは、どうやらさんでしょ」と何度も何度も根気よく応える。

私に向かって、「みそちゃんのおとうさんとおかあさんはどこにおるん?」という、みみがーの質問に、「みみのじーちゃんとばーちゃんが、私の父ちゃんと母ちゃんだ」と応えたら、みみがーは、しばらくじっと考えてから、「それならみそちゃんは、ここで、おじいちゃんとおばあちゃんといっしょにすんだほうがいいとおもう」と、真顔で真剣に言う。

私が弟の名前を呼んで何か話しかけようとすると、みみがーがすごい剣幕でやってきて、「みそちゃん! みみのおとうさんのこと、よびすてにしないで!!」と抗議をしてきたこともある。「みみー。みみのお父さんは、私の弟なんだから、私は呼び捨てにしてもいいんよ」と言うと、「あ、そうか。え? そうなん?」と腑に落ちたような落ちないような顔になったりもしていた。

それが今回帰省してみたら、みみがーが妙に張り切って、「みそちゃん。みそちゃんとおとうさん(私の弟)とやぎちゃん(私の妹)がちいさいときにうつっとるしゃしんみせてあげようか?」と言う。見せてあげようか、って、それは私のアルバムではないか。それなのに、私に向けて、一枚一枚事細かにいちいち解説してくれる。

むむぎーとみみがーが、この写真(私や弟や妹が小さい頃の写真)を見るようになってから、二人は、私達きょうだいの関係や、私の両親(彼らにとっては祖父母)との関係などなどが、うっすらわかってきたようだ。

私が、「みみのお父さんの小さいころって、むむぎーにそっくりと思わん?」と言いながら、小さな弟の写真を指差すと、みみがーは、「おもう。おもう。わたしでも、そうおもう。」と、妙な日本語用法で応えてくれる。「わたしでも」なんていう表現、どこでおぼえてきたのだろう。

親戚、の、その関係性を、把握し理解するのには、たくさんの訓練が要るのだなあ。きっと私も他の人も、みんなみんな、たくさんの時間と訓練を重ねて、縁戚関係をおぼえていったのだろうなあ。と、しみじみしていたら、しばらくして、母による大特訓開催中の場面に遭遇した。

母「むむぎーとみみがーにとって、みそちゃんは何ですか?」
子ら「えーっと、えーっと、おばちゃん?」
母「あたりです。じゃ、じめいさんは?」
子ら「じめいさん、って?」
母「どうやらさん、のことよね。どうやらさんの下の名前は、じめいさん、なんよ。おぼえんさい」
子ら「じゃあ、どうやらさん、じゃなくて、じめいさんは、えーっと、おじちゃん?」
母「そのとおりー。なら、やぎちゃんは?」
子ら「おばちゃんの妹のおばちゃん?」
母「みそちゃんもやぎちゃんも、両方とも、おばちゃんでいいんよ」
むむぎー「じゃあ、もっきゅん(妹の夫)は、どうやらさんの弟のおじちゃんなん?」
みみがー「でも、もっきゅんのほうが、どうやらさんより、からだがおおきいけん、おにいさんなん?」
母「もりおかくん(もっきゅん)もおじちゃんなのは正解じゃけど、どうやらさんともりおかくんは、もともとは兄弟ではありません。でも、みそちゃんややぎちゃんと結婚して親戚になって、関係性上、兄弟になりました」
子ら、理解不能。

少しずつ、大きくなりながら、がんばろう。     押し葉

濁点の位置

高校生の時。学校帰りにどこかで、友人と話していた。そのときは、もっぱら私が話していて、友人は適度にあいづちは打ちながらも、聞き役に徹してくれる。起承転結でいうと、話が「転」の途中に来た頃だろうか。ふと、私は何かの光景に目を奪われる。話をするのをすっかり忘れて、その何かを見つめる。その光景が通り過ぎても、余韻に浸って、話の再開を忘れて黙っていた。聞き上手な友人は、私に話を続けるように、さりげなく促してくれる。「つづきは?」

『はて。なんだ? なんのこと?』という表情をする私に、友人は、もう一度同じことを言ってくれる。「つづきは?」しかし、やはり、なんのことやら思い出せなくなっている私に、友人は再度「だから、つづきは?」と問うてくれる。

その間私は、私なりに一応いろいろ考えてみて、今この状況でできることは、これしかないだろう、と思い至り、『ううむ。そんなに言うなら仕方がない』と、思い切って、友人の胴体に、自分の頭頂部をぶつけてみる。ごいん、というかんじで。すると友人は、「なななな、なにすんの?」驚く。私は、「え? なんで? おどろくの?」訊ねる。「なんで急に頭で攻撃するん?」と問う友に、私はかなり堂々と、「何回も、頭突き頭突き、って言うから、頭で突いてほしいのかと思って」と答える。友人は、「づつき、じゃないよ。つづきは? って言ったんよ。話の続きは? って」

ひゃあ。

発見その一
つづき、と 、づつき、は、よく似ているけど、「つ、てんてん」の位置が違う。

発見その二
「頭痛(ずつう)」の「頭」の字は、ひらがなで書くと「ず」だけれど、本当はやっぱり「づ」だとおもう。     押し葉

ふく袋の活躍

肌触りと着心地のよい服が私のお気に入りだ。いったん気に入った服は、何度も何度も繰り返し着る。最近は、これは、と思うと、同じ生地、同じデザイン、色違いで、複数枚購入して、着回すようになった。色違いの制服のような私服体制だ。

少し前までは、実家の父や弟が私に、「ちいたあ(少しは)新しい服、買ええやあ(買えよ)」とよく言っていた。法事で久しぶりに会う親戚のおじちゃんが私に、「みそちゃんは、なんか全然変わらんねえ」と言う。するとそこで弟が、「ねえちゃん。わかっとるか? おっちゃんは、ねえちゃんに、いっつも、おんなじ服ばかり着とるのお、ゆうて、言いようてんで」と、私に解説する。それを聞いた親戚のおじちゃんは、「そ、そんなこと、はっはっはー」と、笑いながら、でも逃げる。

弟に言う。「服買うてるじゃん」
弟が言う。「言い直す。ええ服を買ええやあ」
弟に言う。「肌さわりのいいのを選んでるよ」
弟が言う。「言い直す。ちいと高くて、カッコええのを買いんさい」

むう。カッコよさと肌さわりのよさを同時に求めるのは、結構難しいのだ。

ある年のお正月に、父が福袋を買ってきた。中身は女性用の冬物衣類。父から、義妹(弟の妻)への「お年玉」としてプレゼントらしい。義妹は、「え、私だけ? おねえさんや、やぎさん(妹)には?」と落ち着かなさそう。私と妹は、「それは、ゆなさん(義妹)の。とーちゃんは、ゆなさんにプレゼントしたいんじゃけん、もろうといたらええんよ」と受け取りを促す。ゆなさんは、「ありがとうございます。開けてみます。でも、なんか、私だけが、ええんじゃろうか」などと言いながら、ごそごそと、中身を順に取り出す。

ゆなさんが、「あ。これ、私よりもおねえさんに似合うと思う」と言いながら、一枚のエンジ色のセーターをひろげる。「ああ、もう、だからー。全部ゆなさんが着たらいいんじゃけん。私ややぎに分けてくれようとせんでいいんだってば」と言う私の膝の上に、エンジ色のセーターをのせて、義妹は撤退する気のないやや強い意思を含んだ口調になって、「でも、おねえさん、いっつも同じ服着とってじゃけん、新しい服、着てほしいんです!」と言う。弟が、「ほら、みてみいや、ねえちゃん、ゆなにまで心配されとるじゃないか。ゆなも、ねえちゃんも、ちいたあ、ええ服を着いやあ」と言う。

義妹からありがたく分けてもらったエンジ色のセーターは、その後、何冬も何冬も繰り返し活躍することとなる。     押し葉

熱い情熱(ぱっしょん)

お正月、元日からの三日間、広島の私の実家で過ごしたとき。義妹(弟の妻)のゆなさんが、子ども達(私にとっては甥っ子姪っ子)の、いろんなビデオを見せてくれる。まだ夏の暑い時期にプールで泳ぐ映像もあれば、豪雪の中スキーに励む映像もある。学習発表会の映像も。

甥っ子むむぎーは「アリババ」で、宝を目指すという設定で、独特のステップで歩む演技をするのであるが、そのステップが誰より上手。身内びいきというわけではなく、他の四人「イリババ」「ウリババ」「エリババ」「オリババ」は、音楽にあわせたステップがどういうわけだかできていなくて、「むむぎーだけがちゃんとステップできとるね」と淡々とつぶやいた私の言葉に、ゆなさんが嬉々とする。「そうでしょー。やっぱり、おねえさんもそう思うてですー(思われますかー)」

姪っ子みみがーの担任の先生は、とても若い女性で、合言葉(スローガンかも)は、「スマイル&パッション」。発表会の舞台に映し出される「思い出の一年間」回想映像タイトルも、「smile&passion」。芸と芸の間にも、一年生全員が、折々に、「すまいる&ぱっしょん!!」と右手を挙げて叫んでる。

「へえー、なんか、えらいあつい先生なんじゃね。笑顔と情熱がテーマなんじゃ」と私が言うと、みみがーが「そうよ」と言う。するとゆなさんが、「え? 情熱? パッションじゃったん? お母さん、ずっと、発表会で、一年生が叫びようるのは、わっしょい、だと思っとった。元気よくニコニコとワッショイなんだとばかり」と、初めて知ったように言う。実際初めて知ったのだろうけど。「スマイル&ワッショイ!!」は、もうひとつ、なんとなく、うーん。

ビデオの続きを見てゆく。一年生一人一人が順番に、自分のことを発表する。「おおのゆうたです! ぼくのもくひょうは、なんとかなんやらなんやらです! がんばります!」といったかんじで、続いてゆくのだが、なにせ小学一年生、みなさん、たいへんに、滑舌が、よくなさ過ぎ。目標であるところの「なんやらなんやらなんやら」が、どうにもよく聞き取れず、「えいあんをおおゆにすることです! がんばります!」と、私には、「がんばります!」しか聞き取れない。名前すら聞き取れない。しかし、さすが、同級生のみみがーと、日々小学一年生の発声と発音を聞きなれているゆなさんは、難なく聞き取っているようだ。「え? この子、なんて言うたん?」と、いちいち疑問を挟む私に、「計算を、上手にするの、頑張ります」だと教えてくれる。他にも、「漢字の練習頑張ります」もあれば、「鉄棒の練習するの頑張ります」もある。さてさて。みみがーはなんと言うのかな。

「どてら みみがーです!」ふむふむ、名前は上手に言えたね。
「わたしのもくひょうは!」これもちゃんと聞き取れた。
「おやないおさくさんらめることれす。がんばります!」はあ???

「ビデオのみみがー、今、なんて言うたん?」と問うてみる。すると、ゆなさんが、「がんばります! って言うたけど、あんまり頑張ってないんよね?」と、みみがーに向かって確認するように問い返す。みみがー本人は、映像の中ではあんなに果敢な様子だったのに、居間では、ごにょごにょ、はっきりしない。結局、「私の目標は、お野菜をたくさん食べることです。頑張ります!」であったことが判明。みみがーの主張によれば、野菜は味が全部一緒で、食べてて面白くないから美味しくない、とのこと。刺身好きのみみがーは、魚の味の違いにはとても敏感なのに、野菜の味覚は発達途上にあるのだろうか。

そうやって、ビデオを堪能した翌日。みみがーと二人で仏壇に参る。仏壇参りは、みみがーの趣味だ(たぶん)。二人並んで手を合わせて目を閉じる。目を開けて、ふと、みみがーに聞いてみる。

「ねえ、みみがーは、お仏壇で手を合わせて目をつむってる時、どんなことを考えようるん?」
「えー、みそちゃんは?」
「私は、そうじゃねえ、いつも皆を護ってくださって、ありがとうございます、が一番多いかなあ。みみは?」
「わたしは、おやさいたべるのがんばります、ゆうて、おもようる(と、思っている)」
「そうなんじゃー。野菜食べるの、がんばるんかあ」

そのあとのお昼ご飯。なぜか他の人たちは、いろいろで皆出かけてしまい、母と私とみみがーの三人だけの食卓。いろんなお野菜のおひたしや、切ったトマトなどなど、野菜好きの実家メニュー。皆がいるならというつもりで、母が張り切って買ってきたマグロとタイのお刺身も食卓にのっている。けれど三人で食べきるのは無理そうな量。「でもお刺身、おいしいうちに食べようよ」と、母がお刺身をご飯にのせて鯛茶漬けを作ってくれる。三人で「いただきます」と手を合わせてから、はむはむと食べる。「おいしいねー、おいしいねー」と言い合いながら。刺身好きのみみがーは、「おちゃづけのおさしみ、おかわりください」と所望する。はいはい、と、のせてやる。マグロの刺身は刺身のままでいただく。醤油が美味しい「日田醤油」なので、美味しい刺身がさらに美味しい。みみがーが「まぐろ、もっとください」と、食べては所望し、食べては所望し、かなりの量を食す。三人で食べきるのは無理、と思っていた量の刺身を、みみは大半食べてしまう。

「みみ、ちょっとは、ホウレン草も食べとこうや」と声をかけてみる。
「えー、それはちょっと」
「何がちょっとなん。さっきもお仏壇でご先祖様に、お野菜食べるの頑張ります、ゆうて言うたんじゃろ?」
「あら、みみがーは、仏壇で、そんなことお話しょうるんね」と、母も興味深げである。「それなら、やっぱり、ちょっとくらいは、頑張ってお野菜食べた方がいいんじゃないん?」
「うーん、でも、また、こんどにする」と気概のない、みみがー。
「まあまあ、このホウレン草は、格別に美味しいけん、食べてみんさい」と言いながら、みみがーの小皿に入れてやる。みみがーは、ちょびっ、ちょびっ、とずつ、つまみ、ぐぐっというかんじで飲み込む。そして、「はあ。たべた。きょうはこれだけ!」と宣言する。

その必死さが、なんだかおかしくて、ついつい、突っ込みを入れてしまう。「発表会の、スマイル&パッションで言ってた、お野菜食べるの頑張ります!! は?」
みみは、照れるでもなく、真顔で言う。「またこんどでいいとおもう」

みみがー。あんたのパッション(情熱)、薄。     押し葉

被害届けは力を抜いて

大学生のときの夏休み。帰省先の実家から四国のアパートに戻った。ルームメイトはもうすこし実家でゆっくりするらしい。夜になって、さてお風呂に入りましょう、と、着替えを出そうとしたところ、ない。下着がない。パンツがない。今一度、気持ちを落ち着けて、下着を片付けてある場所を、もう一度よく見てみる。やっぱりない。えーと、これは困ったが、どうしたものか。もしかすると、これが噂に聞く「下着泥棒」というやつか。気持ち悪くて、気持ちがわさわさどきどきする。とりあえず、誰かに話を聞いてもらって、気持ちを落ち着けよう、と決めて、近所の友人に電話する。友人は、「ひとりでいるのは危ないから、今夜はうちにとまったら?」と提案してくれる。「夜道はひとりじゃ危ないから、今から、どうだくん(友人の彼氏)に迎えに行ってもらうね」とも。

どうだくんが来てくれて、友人の部屋に移動して、ひと息ついて、ようやく、警察に被害を届け出ることを思いつく。警察に電話をしたら、すぐに捜査(という呼び名で合っているのだろうか)に来るとのこと。自宅で待っていてください、との指示を受けて、また自分のアパートに戻っていく。どうだくんと友人も一緒に来てくれることになった。

警察の人たちは、思ったよりも大人数だ。家中あちこちの指紋を採取する作業が行われる。被害届けに記入するため、おまわりさんらしき装束の人の質問に答えていく。住所と名前と、被害に遭った物の名前と個数と素材と色と模様と、ことこまかに聞かれる。が、日常生活の中で私は、自分のパンツの枚数をきちんと把握したことがない。素材となればさらに記憶していない。色柄をとっさに正確に書き出せるほど、観察も記憶もしていない。それでも、だいたいでよいからと、説明されて、書類に書く自分の下着の枚数と素材と色柄を決定した。

ルームメイトの下着もおそらく被害に遭っているのだろうが、どこに片づけてあるのかも、数が減ってるのか増えているのかも、私ではわからない。彼女の分は、また後日、被害があれば届け出て、被害がなくても、指紋照会のために一度、警察に出向いてもらえるよう伝えてください、とのことだ。

私の分の指紋を用紙にとる作業が始まる。指先に朱肉かインクのようなものをつける。おまわりさんが私の手首と手の甲を軽くつかんで用紙の規定枠に誘導してくれる。おまわりさんは、緊張してこわばり気味の私に、「緊張せずに、力を抜いてください」と言う。だから私は素直に力を抜いた。そうしたら、ちょっとした沈黙が訪れたあと、おまわりさんが今度はこう言い直してくれる。「えーとですね、力を抜くのは、指先だけでいいです。体の力は入れたままでいてください」

はっ。そうだったのか。それもそうだよな。私はどういうわけか全身の力を抜いていた。正座をした畳の上で、片方の手首だけおまわりさんにつかまれた状態で、へなへなへたへたと、上半身から頭の先まで倒れこんでしまっていた。けれどよく考えてみなくても、この場面と状況において、私が全身を弛緩させる必要は、どこにもないのだ。いや、びっくり、びっくり、ああびっくり、と思いながら、こそこそと、なにごともなかったかのように起き上がり、指先だけの力を抜いて、所定の枠に指紋をきれいに押す。その後も指示通りに作業を続けて、被害届け作成終了。それからしっかり戸締りをして、再び友人の部屋に戻る。そこで一晩泊めてもらって目が覚めて、私はようやく落ち着いた気持ちを取り戻した。

後日、アパートに戻ってきたルームメイトに、自分の下着を確認してもらう。やはりルームメイトの下着も盗まれていた。「こんな書類をこんなふうに作るんだよ」と口頭で説明しながら、私もいっしょに警察まで出向く。警察では、彼女の指紋の届出と、彼女の分の被害届けを作成する作業を行う。それらの書類は、私の分の被害届けと一緒にまとめてファイリングされた。そのファイルはとても分厚くて、私たち以外の被害届けも大量に綴られている。同様のファイルは一冊だけではなく何冊も山のように積んである。膨大な量の被害届けを目の前にして、ルームメイトと私は、「このうちのほとんどは、犯人が見つからないままなんじゃろうね」「私らのも、わからんまんまになるんかもしれんね」と話しながら帰る。結局、その予想通り、私達が被害に遭った事件の犯人は見つからないままであった。けれど、その後に被害の再発がなかったのは、あのとき、すかさず警察を呼んで来てもらったのがよかったのかもしれないな、と思う。

教訓その一
力は全身全部抜くと体が倒れるようになっている。

教訓その二
下着を一度に買い揃えようとすると、けっこうな金額と労力が必要で、財布の力も気持ちの力も必要だ。     押し葉

夫のいびき

夫はいびきをかく。夜間睡眠中でも、うたた寝でも。

いびき外来を受診して、睡眠時無呼吸の有無も調べてみたのだが、特別治療が必要なレベルではない、ということで、そのまま現在に至っている。治療は必要ないレベルでも、迷惑は十分なレベルだ。

最近は、夕食後のうたた寝が彼の習慣と化している。私はその傍で、ケーブルテレビのドラマを見たり、パソコンでメールを書いたり、いろいろと過ごすわけだが、ときに、彼のいびきの音が、その作業を妨げる。そんなときには声をかける。「どうやらくん、いびきしてるよ」。すると、彼のいびきはおさまり、静寂が訪れる。けれど、場合によっては、数分後に再び、いびきの音が聞こえてきて、いろいろ妨げが生じるため、私は夫に何度か繰り返して「いびきー」と声をかける。私が声をかけたその後は、彼は無言で無音になって静かに眠り続けてみたり、さも私の声に気づいたかのように「はっ!」と目を見開いてみたり、あるいは、まるで、自分はそれまで全然寝てなんかいませんでしたよ、というような所作をとったりする。後に夫が目を覚ましてから、「さっきのどうやらくん、おかしかったね」と話してみても、彼はうたた寝中の自分の一切を全く記憶していない。

先日も、夕食後のうたた寝で、夫がいびきをしはじめて、うるさいなあ、と思ったので、「いびきしてるよ」 と声をかけた。そのときの夫の私への反応。まず、私に握手を求めるしぐさをする。そして、「えらいねっ。よく気がついたね!」と言う。夫は自分のこの反応(言動ではない。反応だ)を、当然まったく憶えていない。眠ったままで、「えらいねっ。よく気がついたね!」と、私を賞賛してから、夫は再び、すやすやと、うたた寝の世界にお戻りになる。

「えらいねっ」って、何がだ? 「よく気がついたね!」って、誰がだ? それだけいびきがうるさければ、イヤでも気がつくと思うのだけど。「気づくべきは君だよ、夫」と、心の中で彼の頭部をチョップする夜。     押し葉

磨きで勝負

仕事中、何かしようと思いながら、その目的の場所に行きながら、「そうそう、私は別のところで、あれもしなくちゃならないんだった。忘れないようにメモしておこう」と思いついて、紙切れに別の用事を書き出す。そして、まずは最初の目的場所に着くのだが、そこで、「あれれー、私は、ここで、なにをしようと思っていたのか、忘れてるぞー」になっていることがよくある。メモに書いたのは、ここでの用事ではなくて、別のところでの用事だから、ここでは役に立たない。はて、困った。若い頃からその傾向はあったけど、最近さらに磨きがかかったような気がする。

先日も職場で「あれれー」と佇んでたら、同僚がやってきたので、「何するつもりだったのか忘れてしまった」と話したところ、「私なんかしょっちゅうですよ。夕ご飯食べた後も、食器持ってそのまま風呂場の洗面台の前まで行って、こんなところで食器持って何してるんだ私、って、よく思いますから」

慰めか。返り討ちか。勝ち負けで言うと負けた気がするのはなぜだ。     押し葉

ごみぶくろを求めて

仕事場では、基本的には、自分の担当部門エリアで過ごすことが多いのだが、それ以外の部門エリアにも遠征することはままある。お客様がおたずねくださった商品のある場所までご案内して、てくてくと、ということもよくある。先日たまたま、自治体指定ゴミ袋の近くを通りがかったついでに、ゴミ袋とその仲間たちの商品の「前出し」(奥のほうに引っ込んでいる商品を手前に引っ張り出して見栄え良くする作業)と「ほこりとり」(掃除の一種)をしていたら、お客様が私に声をかけてくださった。

「すみませんー。おみず、どこにありますか?」
「はいはい。お水ですね。ミネラルウォーターは、飲料コーナーにございます。ご案内いたしますね。」
「えええっ(たいへん驚かれた様子で)。あの、お水ではなくて、ゴミ袋、どこにありますか、って言ったんですけど」
「はっ(私も少々驚いて)。申し訳ございません。失礼いたしました。 ゴミ袋は」と続きを喋ろうとしたときに、お客さまが、叫ぶように話された。
「ああっ。ここに。目の前に、ゴミ袋、あるんですね。今私がいるところが、ゴミ袋の場所なんですね。」
「はい。そのとおりでございます。自治体指定のはこちらで、無地のものはこちらになります。」
「私遠くの方ばかり見て探してました。近くを見ればよかったんですね。」

そういうことってありますよね。えーと。こういうときの諺は、「森を見て木を見ず。木を見て森を見ず。」だっけ? 「灯台下暗し」「見えぬはまつげ」もそうかな。     押し葉

しりとりパッド

お客様(年配の男性)が、大人用紙おむつのコーナーで、おっしゃる。「しりとりパッドはどれか? これか?」

「あ、はい。そちらは男性用の尿とりパッドですけれど、男性用でよろしいですか?」
「そう。男性用。男性用のしりとりパッドはこれでいいか?」
「ええ。これは、おちんちんにかぷっとかぶせるタイプの尿とりパッドです。これで大丈夫そうですか?」
「これが、しりとりパッド、なんやな?」

ここで男性の息子さんと思われる方が、「しりとり、やなくて、尿とりパッドやけど、ええんか? ちんちん覆う形のやつでええんか?」と確認を入れてくださった。

「ええんや。これや。しりとりパッドがほしいんや。」

男性用尿とりパッド72枚入り、お買い上げくださいました。ありがとうございました。     押し葉

とんびに大判焼き

「とんびに油揚げ」というのは、これまでそこにいなかった者が突然現れて、誰かのものを横取りすること、であったらしい。であったらしい、というのは何故かと言うと、私はどういうわけなのか、この言葉は「豚に真珠」の仲間で、「似つかわしくないもの」「役に立たないもの」の意味を持つような気がしていたからである。でもちがった。とんび、という鳥は、人のものを横取りする能力に優れているのだ。

このたび訪れた輪島の朝市から少し離れた食堂で、お昼ご飯にあら汁を食べた後、大判焼きが食べたいなあ、と思ったので、再び朝市エリアに向かった。右前方に駐車場があり、左前方に朝市がある。その間を通る道路沿いの電信柱のてっぺんに、鳶がずっととまっていて、「ぴーひょろろー、ぴーひょろろー」と鳴いている。夫が「観光客の買ったものを狙ってるんやなあ」と言いながら鳶を見上げる。駐車場には大きな看板に「とんびに注意!!」と書いてある。私は「ふーん」と思いながらも、心は大判焼きに占領されていた。

大判焼き屋さんで、夫用に「あんこ入り」を、私用に「クリーム入り」を買う。焼きたてのあつあつを、ひとつずつ紙袋に入れてくれたので、駐車場までの小道を、ほくほくはぐはぐ甘さとあたたかさを味わいながら歩く。夫は食べるのが早いので、駐車場に着くまでに完食。私は食べるのがあまり早くないので、車の近くに来てもまだ、あと少しをはぐはぐ。でも車の鍵を開けなくちゃ。そう思って、大判焼きを左手に持ち、かばんの中の車の鍵を右手でまさぐっていたら、突然、左手に衝撃を感じた。

痛みの走る左人差し指を見る。大丈夫。傷も出血もない。何だったのだ? 夫が「大丈夫か? 怪我ないか?」と言う。「うん。大丈夫みたい」と応える。前方に目をやると、私の二メートルほど先に、私の大判焼きが落ちている。その手前には紙袋も。夫が「今の鳶、速かったなー」と感心しながら言うのを聞いて、ようやく、「そうか、私は鳶に大判焼きをとられたのか」と気がつく。でも、ごみは拾って捨てなくちゃ、と、落ちた紙袋を拾って、かじり残しの大判焼きも拾おうとして、ふと、「このままにしといたら、とんびが食べに来るのかな」と考えてたら、夫が「とんびが取りに来るよ」と言う。「そっか」と私がつぶやいて一歩引いたその瞬間、鳶が「すぁーっ!!」と低空飛行でやってきて、地面の大判焼きを拾って飛び去る。うわあ、速い。もうあんな遠くの海の上だ。

知らなかった。鳶は大判焼きも食べるんだ。知らなかった。鳶は口ばしではなくて、足で獲物(大判焼き)をつかむのか。私が育った地域には、とてもたくさんの鳶が、しょっちゅう飛んでいたけれど、歩行中の人間が持つ食べ物を奪う習性はなかったなあ。とんびに油揚げを盗られた人は、油揚げをざるに入れて蓋をせずに運んでいたのかなあ。昔のお豆腐は、お鍋のような容器に入れて買ってたはずだけど、油揚げはどうやって運んでいたんだろう。

とりあえず、学習したこと。「鳶に油揚げ」は、「豚に真珠」とは別の意味。鳶は油揚げだけではなくて、大判焼きも横取りする。それから、看板の注意書きには意味があるから気をつける。
    押し葉

魔法の相槌

慣れない土地で仕事をするとき、その地の方言にしばしとまどう。それでも仕事の部分では、脳みその「語学モード」を最大限にして、張り切って対応する。気分は毎日「留学生」だ。そんな私に配慮して、できるだけ共通語風に話そうとしてくださる地元の方々の存在は、なんとも実にありがたい。コミュニケーションに対する双方の意気込みが働き合うその様をうっとりと感じるひとときだ。

しかし、仕事部分が終了して、ただの世間話になったとき、私の「方言理解するぞモード」はほんの少し緩み、それと同時に、相手の「方言話すぞモード」が急激に上昇する。

以前、熊本の調剤薬局で働いていたある日のこと。お薬を渡し終えた患者さん(じいちゃん)が、「家族が迎えに来るまで、ここで待たせてください。」とおっしゃった。「どうぞどうぞ。ごゆっくり。」と世間話開始。世間話になったとたん、じいちゃんの方言モードが炸裂する。「……とですよ。……ばってん、……ごた。……ですたい。……ですけん、……と? ……でですね、……たいねー。」

だめだ、「……」部分が全然聞き取れない。でも大丈夫! こんなときには! 私には! 「魔法の相槌」があるんだー! 悠然と微笑みながら、「魔法の相槌」を繰り返す。「そうですねー。そうでしょうかー。そうかもしれませんねー。なるほどー。」これを順不同に繰り返せば大丈夫。

「……たったいねー。」
「そうですねー。」

「……ごたるよー。」
「ほー、なるほどー。」

じいちゃんもご機嫌で話している。何を言ってるか全然わからんが、話はかみ合っているようだ。

「お。迎えがきたごた(迎えが来たようだ)。」
「おだいじにどうぞ。お気をつけてお帰りくださいねー。」
「ありがとー。また二週間後に。」

じいちゃんは足取り軽く帰っていった。ふう、一仕事終わったぜ。

「くくくくくくくく」。ん? どこかから笑い声が聞こえる。どこだ? どこだ? ときょろきょろ見回すと、隣で事務仕事をする同僚が、「おかしすぎる」と笑っている。「どうしたんですか?」と訊ねてみたところ、「さっきの患者さん、ずーっと、自分はこんなにたくさん薬を飲まないといけない体になってしまって、このままじゃもう、棺おけに入るしかないかもしれない。死なないと治らないんだろう。死んでも治らないかもしれない。もうどうしようもないみたいだ。って話されてるのに、どうやら先生ずっと、にこにこして、そうですねー、そうかもしれませんねー、って合いの手入れてるんですもんー。」

なんてことだ。「おねがい。そういう時は、その場で私をすぐに止めて。」

しかし。じいちゃん、よかったのか? それとも、私の相槌なんか、全然聞いちゃあいなかったのか。そんなに自分の世界に入って語っていたのか。

教訓。「魔法の相槌」は万能ではないので注意が必要。     押し葉

いろう

出勤して、連絡事項を確認しようと、事務室に出向く。そこで同僚の女性社員(当時推定20才代)が、「わたし、いろうになったんですよ」と言う。

いろう、といえば、胃瘻? 胃に穴を開けるやつ? 嚥下困難やいろんな事情で、口から栄養を摂取できなくなった人が、鼻からのチューブではなくて、お腹に穴をあけてチューブを通して、栄養を摂れるようにする「胃瘻」? 鼻からのチューブに比べると、鼻や喉の違和感がなく、嚥下の練習もしやすいし、会話もラクだという胃瘻(別名:PEG)。

でも、彼女は、まだ若いし、毎日すごく元気に仕事しているし、ふくよかでぴちぴちしてるし、胃瘻が必要な状況だったなんて、今まで全然気付かなかった。毎日一緒に仕事してたのに、全然全然気付かなかった。私の顔がどんどん心配顔に変わっていくのを見た彼女が、「そんな、まだ大丈夫ですよー。来月になってからのことですし」と、私を安心させるような口調で言う。私はたまらず、「でも、痛いとか苦しいとか何か、今までなんともなかったんですか?」と問い返す。

彼女の表情が「あれ?」になる。「えーと、そんな遠くじゃないですし。またここにも寄りますし。異動先は○○店ですから」

「え? へ? いどう? イドウ? 異動? ですか? ああー、よかったー。いろう、胃瘻かと、病気か何かで胃に穴をあけるのかと、勘違いしました。で、え? 異動ですか? いつですか?」
「十月一日付けです。だから仕事ご一緒できるのも、今月までなんです」
「うわあ。そうなんですかあ。じゃあ、あと十日くらいですけど、いろいろよろしくお願いしますね」
「私のほうこそ、よろしくお願いします」

と、同僚同士、語り合う秋の日。私の「聞き違い」は、相変わらず絶好調。     押し葉

被害妄想くん

日記「しずかに」を読んだ夫の姿を、日記「極悪非道くん」に書いたわけだが、それを読んだ夫が「ひどすぎる。これを読んだ人には、この旦那さんそんなに言うほど悪い人じゃないよね、という印象が残るじゃないか!俺は何にも悪くないのに!」と、再び不本意を表明した。

おかしいなあ。夫が悪いだなんてこと、私は一言も書いていないのに、どうして彼はそう思うのだろう。

「極悪非道くん、というタイトルがよくない!」と夫は言うのだが、私はこのタイトル、とても可愛らしくて気に入っている。アニメ「怪物くん」を思い出すカワイさだ。これを超えるタイトルは、今のところ思いつかないので、変更不可能。
    押し葉

おまけつき

お客様(年配の男性)が、薬の空箱を持参して、「これと同じものをくれ」とおっしゃる。

はい。どうぞ。こちらのお薬ですね。

「前にここで、これだと思って買ったのに、持って帰ったら違う薬だったことがあるんや。せやから、一応、見て確認してもらおうと思ってな。」

あらまあ、何が違ってたんでしょう。

「おまけの飴がついとって、そしたら薬の効きが違ってなー。」

ああ、あの飴はですね、メーカーさんがときどき来て、おまけに付けて行かれるんです。でも、お薬自体は、今飴がついてない、このぶんと同じですよ。

「いいや。違う。飲んでみたけど、効きが違うんじゃ。飴が付いとると、効きがもうひとつじゃった。それで今度からは、飴が付いとるのは、買わんことにしたんじゃ。」

ううーんんん。そうなんですかー。不思議ですねー。

「不思議じゃない!効き目が違うのはたしかなんじゃ。効かん薬を飲んでも仕方ないやろう。せやから、飴が付いてないやつも、ちゃんと置いとくようにしてくれ。」

では、飴付きと、飴なしと、両方並べておくようにしますね。でも、もしもメーカーさんがうっかり全部におまけの飴をつけてしまったときには、飴付きばっかりになってるかもしれませんが、お客様がお求めくださる時には、飴をはずすようにしますので、声をかけてくださいね。

「そうしてくれ。飴が付いとると効きが悪いんじゃ。」


おまけの有無で、薬の効きに差が出るとは。薬剤師も長くやってると、いろんな現象に出会うなあ。     押し葉

緑茶

広島に帰省したとき、どうやら(夫)の実家の母が、「このお茶おいしいんよ。お父さんが、静岡で買うてきちゃって(買ってこられて)、飲んでみたら、まあ、おいしい、おいしい。みそさんも、よかったら、飲みんさい。」と、お茶の葉の袋を見せてくださる。

「わあ! やったあ。静岡のお茶、おいしいですよねえ。お母さん。このお茶の葉っぱ、さっき買い物で買ってきたミネラルウォーターに泳がせて、水出し緑茶作ってもいいですか?」

「水で緑茶? そんなん、ちゃんとお茶出るん?」

「それが出るんですよ。お湯を沸かして入れるお茶も、もちろんすごく美味しいけど、水に泳がせて、一晩くらい置いて出したお茶も、これまた美味しいんですわ。」

「まあ、わたしゃあ、そんなことしたことないわ。」

「ぜひ。ぜひ。じゃ、さっそく、入れますね。」

と、お茶の袋を開けてみる。ふうわりと、お茶の香りがたちのぼる。お茶の葉は、美しい小さな針金状。2リットルのペットボトルに、「これくらいかな」と入れてみる。それを見た夫が、「うーん。もう少し入れたほうがいいと思う。」と言うので、「じゃあ、もう少し。」と追加してみる。蓋をして、気持ちかるーく、わっしわっし、とゆさぶって、冷蔵庫へ。

数時間後、「出具合はどうかなあ。」と言いながら冷蔵庫を開けてみる。適度に葉っぱが広がって、いいかんじに泳いでる。

「まあ、ほんまじゃ。お茶が出ようるが。ちょっと味見してみようっと。」と、母が湯飲みを取り出す。

夫が、「明日まで待ちんさいや。色は少し出とっても、味はまだ出てないんじゃけん。」と忠告するが、母は、「ちょびっとだけ。味見。味見。」と、とくとくと、湯飲みに注いで飲んでみて、「ありゃあ。ほんまじゃねえ。これは美味しいわ。水なのに、お茶の香りもちゃんとするねえ。もっと時間を置いたら、もっと味と香りが出るね。明日の朝に飲むのが楽しみじゃが。」と、えらく気に入った様子。「水でお茶が出せるなんて、知らんかったけん、いっぺんもしたことがなかった。これなら暑いときに熱いお湯を沸かさんでも飲めてええねえ。」とも。

「出すのに時間はかかるけど、放っときゃあええのがええんですよ。」

「ほんまじゃねえ。もう一本の買ってきた水にもお茶の葉入れて作っとこうか?」

「いやいや。おかあさん。それは、先にこっちを、飲み始めてからでええでしょう。」

「ほうじゃろうか。すぐに飲んでしもうてなくなりそうじゃが。」

「あんまり長く置きすぎんほうが、すっきり美味しい思うんですよ。まあ、おいおい、いろいろやってみてください。」

「うん。そうするわ。こりゃあ、ええことを教えてもろうた。」

そして翌日。

「どうでした? お茶、味、出てました?」と、母に尋ねてみたら、「おいしい! おいしい! 一晩置いたのが、ちょうど飲み頃! お茶の緑色も、水だときれいなままなんじゃねえ。」

「でしょう。きれいですよね。」

嫁姑。緑茶でしあわせな夏の日。
静岡緑茶。静岡から遠く離れた広島でも、いい仕事、してます。     押し葉

孫の手

かなり年配のお客様(男性)が、「孫の手が要る」とおっしゃる。

「申し訳ございません。以前は置いていたのですが、ずいぶん前から置かなくなって、今は取り寄せもできないんです。もしもよろしければ、100円ショップなどでよく置いてあるのを見たことがありますので、一度訊ねてみてくださるか、足をお運びになってみていただけますか」
「前に来たときにもなくて、入れときます、言うとったのに、またないとは、どういうことや!」
「孫の手は、もう長い間、置いてないんですが、それは、どれくらい以前のお話でしょうか」
「先月か先々月や」

あれれ。それはおかしいぞ。孫の手は、もう、一年以上置いていないはず。

「お客様、お求めなのは、孫の手、なんですよね?」
「そうや。孫の手や」
「えーと、背中なんかが痒いとき、こう、届きにくいところを、ぽりぽりと掻く孫の手ですよね?」
「いいや。違う。虫に刺されたときに塗る薬じゃ」
「え? 虫刺されの塗り薬で、孫の手、ですか?」
「そうじゃ。虫に刺された時に塗る薬で、水みたいなので、容れ物の先のところが、孫の手みたいに曲がった形ので、足が痒いときに塗るんじゃ。先がまっすぐの容れ物のも、何度か買ってみたが、塗りにくいけん、だめなんじゃ。曲がっとると、塗りやすいんじゃ」

もしかしたら(取りに走る)! 痒み止めの液体塗り薬で、容器の首のところの形が、アンメルツヨコヨコみたいに、ぐいっと曲がっているのがある!

「お客様。もしや、こちらのお薬でしょうか?」
「そうや。これや。なんや。あるんやないか。毎日使うから、2本買う」
「お客様。こちらは、孫の手ではないんです。せっかく『孫の手が要る』とお求めくださっても、それでは残念ながら、このお薬とはわかりません。このお薬は、年中置いておりますが。(この夏は、一度も欠品させていない。前回来た時には、いったいなんと言って、お求めくださったのだ?)ぜひ次回は、液体の痒み止めの塗り薬、とお申し付けくださるか、この容れ物か、外箱か、どちらかお持ちいただけると、すぐにご用意できますので、よろしくお願いいたします」
「この容れ物の先の形が、孫の手に似とるじゃないか。だからこれは孫の手なんじゃ。また孫の手を買いに来る」

う。う。う。
パジャマ着て、杖をついて、御来店のおじいちゃんが、「孫の手」と言ったときには、「虫刺されの液体塗り薬」を思い出すこと。     押し葉

あたり

妹も私もまだ小さかった頃のおはなし。

夏になると、お小遣いを握りしめ、農協か駄菓子屋さんで、アイスを買って食べるのが、小さな私たちきょうだいの大きな「おたのしみ」だった。ソーダバーは、味爽やかで、喉ごしもよく、何よりもそのお値段が、お子様のお財布にもお手頃で、しかも「あたり」が出たときには、もう一本タダ(無料)でもらえるという、さらなるお楽しみが付いていた。その日は小さな妹が、たぶん初めて自分で自分が食べたいアイスを選んだ日だったような気がする。ようやく一人でひとつのアイスを食べきれるくらいに大きくなって、自分用にひとつのアイスを買って食べるお許しが出たのではないかと思う。お店のアイスの冷蔵ケースをのぞきこんで、妹も私もそれぞれに同じソーダバーを選び、各自にひとつずつ購入する。もしかすると、そのときには、おつりのいらない金額を用意してきていて、妹も自分で自分の分のお金を、お店の人に手渡して、支払ったのかもしれない。そうして買ったソーダバーを、二人で並んで食べている間、妹はずっと嬉しそうだった。「わけっこ」じゃなくて一個全部まるまるだし、お金を払って物を手に入れるという経済活動に参加する体験もしたし。けれどアイスを食べ終わって、しばらくすると、妹は泣きそうな顔になり、なのに、ぷりぷりと怒ったみたいな口調で、いきなり言い放つ。

「このアイス、うそつきじゃ!」
「なんでアイスが嘘つきなん?」
「アイスのふくろに、あたりつき、ってかいてあるけん、このアイスをえらんだのに、あたりがついてない! このアイス、うそつきじゃ!」
「あのね。それは、はずれ」
「はずれ、って、なんなん?」
「くじ、にはね、あたり、と、はずれ、とあるんよ。あたり、って書いてあったらもう一本タダでもらえるけど、何も書いてなかったら、それは、はずれ、で、何ももらえんのんよ」

世の中には、妹のような勘違いさんが、きっと他にもたくさんいて、その後、アイスの袋の表記は、いつのまにか、「あたりつき」から、「あたりがでたらもう一本!」に変わっていた。     押し葉

肝油

実家の祖母が生きていた頃。

弟はときどき、「カワイの肝油ドロップ」を買ってきて、居間の棚に置いていた。そして居間を通るたびに、思い出すたびに、肝油ドロップを口に入れて、ビタミンAを補給する、というよりは、肝油の味を楽しんでいるようであった。ある日、いつものように、肝油の缶の蓋を開けて、肝油ドロップを摂取する弟に、ばあちゃんが声をかけた。

「おう。しめじちゃん(弟の名前)も、わしの肝油を食べようるんか。ええんで。気にせんと、いつでも食べたらええ。」
「ばあちゃん!! 言うとくが、この肝油は、わしが自分の金で、自分用に買うてきて、ここに置いとるんじゃけえ。ばあちゃんも食べてええけど、もともとわしのものなんで。」
「へっへっへ。そうかいね。まあ、そんなに気にせんと、好きなときに食べんさい。」
「ばあちゃん…」

聞いているのかいないのか。聞こえているのかいないのか。言いたいことは言うけれど、聞きたいことしか聞かないのが、きっと長生きのコツなのだな。     押し葉

絨毯

実家の祖母が生きていた頃。

居間の大きなテレビの前、ほんの1.5mくらい手前、つまり殆んどテレビのまん前に(といっても若干ななめ前なのだが)、ばあちゃんはちょこんと座って、テレビを見るのが常だった。テレビの画面は大きくて、ばあちゃんの顔は小さくて、ニュースキャスターの人の顔が、ばあちゃんの倍以上もあった。

ある日の夕方、ばあちゃんが、くるくると巻いた何かを、「よいしょよいしょ」と言いながら、居間に運んでやってきた。

「おとうちゃん(私の父)(祖母にとっては息子)の誕生日プレゼントに買うたんじゃ。」(広島弁では、買う「かう」を、買う「こう」と発音する。)
「へえ。絨毯?」
「シルクのペルシャ絨毯じゃ。」

くるくると絨毯を開く。大きさは、畳一畳分くらいだろうか。

「わあ。きれい。きっと、とーちゃん、喜ぶね。どこに使うことにするかな。」
「使う場所は、もう決まっとるんじゃ。」
「え? どこ? なんで?」
「テレビの前じゃ。みんなでご飯を食べるところからもよう見えるけんの。」

と言いながら、父へプレゼントするはずの絨毯を、テレビの前に敷く祖母。

「えー? ばあちゃん。とーちゃんまだ帰って来てないよ。」
「帰ってきたときに敷いてあるのもええじゃろう。」
「んー。そうかなー?」

ばあちゃんは、敷いたばかりの絨毯の上にちょこんと座り、絨毯の表面を撫で回す。

「やっぱり、ええ絨毯じゃ。」
「うん。模様もきれいだし、手触りもいいね。」
「じゃあ、テレビでも見ようかね。」

と、そのまま、いつもの定位置に、つまり新しい絨毯の上に、いつものようにちょこんと座って、テレビのリモコンでスイッチを入れる。そして、絨毯に座ったまま、じっくりテレビを見始める。夜になって、帰宅して、居間に入ってきた父に向かい、祖母が言う。

「おう。おとうちゃん、誕生日じゃろう。(祖母は自分が乗っている絨毯をぽんぽんと叩きながら)これはわしからのプレゼントじゃ。」
「そりゃあ、ありがたいが、なんでわしの祝いの上に、ばあさんが座っとるんか?」
「まあ、ええけえ。みんなで座ったらええんじゃけえ。おとうちゃんの誕生日じゃけん、奮発して上等なのを買うたんじゃ。」

だけど、ばあちゃん。そんな場所に座るのは、ばあちゃんしかおらんじゃん。と、ばあちゃんを除く家族みんなで思った冬の日の夜。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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