みそ文

そして炊きたてのご飯を

 今は他界中の友人が自宅療養していた頃、がん疼痛を軽減する目的で彼女の身体をアロマオイルトリートメントしに通っていた時期がある。鎮痛剤を使いつつも彼女は「痛みが思い通りになくなるわけじゃないのに痛み止めの副作用で眠たくなるのが嫌だから」と言う。私が「それは私がアロマで身体を触ってるときにも痛みがなくなるわけじゃないし眠たくなって寝てるじゃん。でも私のトリートメントを求めてくれるでしょ。痛み止めのことも同等に捉えて求めていいのではないかしら」と言うと彼女は「うーん、痛みが完全になくならないとしても、みそさんに触ってもらっている間は鎮痛剤を入れた時の何倍もらくだから。それで眠くなって寝たとしてもその眠りも気持ちいいの。薬のほうは使った割には痛いままで、それで眠くなって寝てる時も痛いのは痛いのよねえ」と言う。私は「んあー、そうなんだー、それは痛いねえ。でも事前に鎮痛剤を使ってくれていればこそ、私のアロマトリートメントの手技も薬と一緒に身体のお手伝いができてるんだと思うよー」と言う。

 和室のふすまを閉めて半裸の彼女にバスタオルをかける。手のひらであたためたアロマトリートメントオイルを彼女の身体に塗り伸ばす。彼女の呼吸に合わせて上下左右にオイルのついた手のひらを広げる。少しずつ少しずつペースをゆるやかにしてそれからリズミカルにそののちまたゆるやかに。彼女の呼吸が私の手のひらのリズムに合わせて少しずつゆるやかにそして深くなる。彼女は「痛いときってどうしても呼吸が浅くなるけど、意識して深呼吸をしたくらいではなかなか自力だけではこの呼吸の深さが取り戻せないんよねえ、ああーきもちがいい、痛みがまぎれるー」と空気を吐いては吸い、また吐いては吸う。背中、足の裏と太ももの裏側とふくらはぎ、足の甲すね膝と太ももの表側、腕と手のひらと手の甲。デコルテと顔と頭。90分前後経過して「ひととおり終わったけど、もうちょっと触ったほうがいいかんじのところがあれば」と言うと彼女は自分の身体に意識を集中して「坐骨の内側につながってるところあたりかなあ」などの希望を伝えてきてくれる。では、と、その部位にまず手を当て、そこからもう片方の手を滑らせて彼女の身体が「ここから始めよ」と伝えてくる場所をさぐる。いきなり指定の部位をほぐすのではなく、指定の部位を両手で覆ってから『あとでまた戻ってくるから準備をよろしくね』と思いを込めたのちに『ここから始めよ』の部位から順番にゆるめていく。

 台所で夕餉のしたくをしているお姑さん(彼女の夫のおかあさん)が「あれー、うーん、あれれー」となにやらお困りの気配がふすまごしに聞こえる。彼女が「ああ、たぶん部品が」と言う。私は手をタオルでふいてからふすまを開ける。「おかあさん、どうかされましたー? 私に何かお手伝いできそうでしょうかー」と言いながら台所に近寄ると「炊飯器がねえ、うまくスイッチが入らないの」とおっしゃる。

「はてさて、どうしたんでしょうね。ではまずはパーツのチェックをしてみましょうか。お米とお水の入ったお釜はおっけー。蓋の内蓋もおっけー。外蓋のこの部分のここも大丈夫そうですけど、うーん、どうなんでしょう、この部品のさらに中にある小さい部品が水切りカゴかどこかに残ってるとかないですかねえ」
「そう思って見たんだけど全部大丈夫そうでしょう。水切りカゴになにか残ってるかねえ…、あっ、あった、みそさん、これだわ。これをつけてないからスイッチが入らんかったんだわ」
「ああ、見つかってよかったですねー。この部品をここに入れれば」
「ああ、スイッチ入った入った。よかった」
「おおー、めでたしー。解決してよかったですねー。今ならまだまだ夕ごはんの時間までに余裕で炊きあがりますよ。早い時間に気づいてよかったですね」
「ありがとう。じゃ、みそさんは戻ってまたアロマの続きしてあげて。私ちょっと買い物に行ってくるから」
「はーい。いってらっしゃい。よろしくお願いしまーす(炊飯器の中のご飯はその日の私の夕ごはんでもある)」

 それから私は和室に戻りまたオイルを手のひらで温めて彼女の身体を触る。彼女はおもむろに「ああー、みそさんみたいに言うたらいいんよねえ」と言う。

「なにが?」
「さっきの、いまの、ううん、いっつも。おかあさんの炊飯器のスイッチが入らないときとか。私ね、おかあさんが私の看病のために毎日ずっとここにいてすごくよくしてくれてるのはわかってるしすごく感謝してるのに、ああいうときとっさについ、なんで何度もやってることなのにまたそんなこともできないのよ、っていうような責め心が湧いてくるん。おかあさんだけでなくてどうだくん(彼女の夫)に対しても、やってくれていることよりもしてもらえてないことに目が行くの。でもさ、そういうのって実際に言うわけでもないし、それをいま責めても仕方のないことやん。それなら解決してよかったことに着目したほうがお互いに平和やん。ご飯が炊けるのは食事に間に合えばいいことなんやけん、ちょっとくらい遅くなってもたいした問題じゃないんやけん。早く気づいてよかったって、部品が見つかればすむことなんやけん、部品の入れ忘れがこれまでにもあったとしても、それでも見つかってよかったって、スイッチ入ってよかったって、そう思ってそう言えばそれで済むことやん」
「うーん、まあ、人それぞれ認知に関しては得手不得手の分野があるのはあるけんねえ。おかあさんにとってはあの炊飯器のパーツが微妙に何度でも難しいんかもしれんね。そもそもおかあさんにとってはあの炊飯器は普段自分ちで使いようてのものとはちがうしねえ、自分で選んで自分で買った炊飯器でもないしねえ、息子夫婦の家とはいえよそのおうちの家電製品を使いこなすのはちょっと力がいることではある。でもさ、からだが痛いときには気持ちの余裕が少なくなるじゃん。自分の円滑や快適がそがれる要素や要因に対しては責め心だって湧くよ。それはまっとうでそういうもんじゃないかなあ」
「ううん、そういうもんじゃないと思う。こういうのは習慣なの。たぶん私は普段から、この病気になる前から、具合がいいときでもずっと、とっさにそういうふうに思って捉える習慣があったんだと思う。元気なときにはちょっとでも誰かに対して責め心の尻尾を感知した時点で自分でちゃっちゃと動いて解決して、それでいいと思ってたんじゃないかな。で、そういう感情や思考の習慣はいざ自分がこういう思い通りにならないからだになったときにすごく自分で自分のこころを蝕むというかね、こころだけじゃないのからだも、ただでさえ痛いからだを自分の感情や思考がさらに傷つけて痛くしているのが今は本当によくわかる」
「ああ、それは、相当に痛いのよ。なでなで」
「うん、痛いのは痛いけど、たぶんね、おかあさんやどうだくんに対する責め心が湧くたびに私はそういう責め心が湧く自分を自分ですごく責めてしまうん。それが本当にすごくつらくてイヤなん」
「うーん、ただでさえ痛いのに、それはさらに痛みが増すじゃろう」
「そうなんよ。おかあさんやどうだくんをこころの中で責めて、そうやって責めたことで自分を責めて、それで自分で自分のからだをいためつけて痛みを大きくして、それで誰にもなんにもいいこといっこもないじゃん。だから誰かや何かを責めるんじゃなくてさー」
「んー、そうかー。でもさ、痛くないときはそういう責め心が湧くことで自分を責める心情はそんなに湧いてなかったわけでしょ」
「どうかなー、そうかなー。そういえばそうかなー」
「ということはよ、やっぱりね、他者に対する責め心も、その責め心が湧く自分に対する責め心も、痛みや不調の目安というか指標なんじゃないかなあ。自分に対する責め心まで湧いてくるときというのは、それは『自責の念』とか『自責感』っていう症状だから、やっぱりそれだけ具合がよくないっていうことなのよ。だからそういう自分の感情や思考に気づいたら『ああ、これは、相当痛みが強いんだな、具合がよくないんだな』と判断してだね、使える薬はさくっと使って養生して、そしておかあさんにもどうだくんにも各自至らぬ点はそれはそれとしてありがとうはありがとうねと思ってリクエストできそうなことはリクエストする方向で考えられそうなら考えつつ、一連の自分の労をねぎらうパターンでいくのはどうかな。他人や自分を責めないようにするのもいいけど、自動で責め心が湧く時にはそれはそれで仕方がないじゃん、具合がよくないんじゃもん。責めるのは責めてもそのあとの展開を手動で双方ねぎらいでよりきるパターンを新たにくっつけるかんじではどうじゃろ」
「でもそれだといったん自責の念で自分が傷つかんといけんやん。それでがん細胞を自分でがしがし作って増やすことになるんだよ、それが今はわかるもん。そんなん自分が損やん。家族にもなんにもいいことがない。それなら最初から、お、そこで気づいて解決してよかったね、って、無理矢理にでもそういうことにしたほうが自責も湧かず自分も傷つかず相手も傷つけず相手を傷つけたことで自分のこころが痛むこともなくて、からだの損傷も少なくて、私はそっちのほうがいいと思う」
「そうか。そういうことなら、そこまで言うなら、止めない。存分に行きたい方向に行ってくれ」
「ねえ、ほんとうにねえ」
「でもね、私の具合がよくないときに、どうやらくんにしてもらいたいことがなかなかしてもらえないときには、やっぱり『なんですぐにいいぐあいにしてくれないの』って責め心が湧いてると思うなあ」
「だからってそれでみそさんは自分がそう思ったこと責めないでしょ」
「ああー、そうかなー、そこは自責の念が湧くべきところなんかなあ」
「ううん。いいんよ。湧かんでいいん。それにそもそもどうやらくんのことは責めていいと思う」
「え、それは、なにゆえ。だったら、おかあさんやどうだくんのことも責めていいんじゃ」
「ちがうん。どうやらくんはね、なぜそこでそれをする、それを言う、なことがよくあるやん。なぜそこでそういう要らんことをっていうような。だからみそさんはどうやらくんのことを責めたいときにはいつでも責めていいよ。私がゆるす」
「あのー、一応私の配偶者の名誉のために言っておくとね、どうやらくんは要らんことをしようと思って何か言ったりしたりしてるわけじゃないと思うの」
「そうかもしれんけど、だから余計によー。結果的にそれでみそさんが『ああっ、もうっ』って思うってことはそういうことなのよ。だからみそさんはどうやらくんを好きなだけ責めていいけん」
「なにやら私に対してたいそう寛大なことで本当にどうもありがとうだけど、その寛大さをぜひあなたにも」
「あれー、ほんとねえ」

 そして炊きたてのご飯は極上においしかった。     押し葉

問うてそして笑い合う

 薬学部の学生だった大学一年生のときに私は寮で暮らしていた。大学に付属する女子専用の学生寮で、部屋の作りは四人部屋。勉強机がよっつと、二段ベッドがふたつ、つまり寝台がよっつと、衣類用の開き戸と引き出しセットになったクローゼットがよっつ。私は二人部屋利用だったから、勉強机をふたつとクローゼットをふたつとベッドを上下二段使う。ルームメイトも同じように反対側の壁に面した勉強机をふたつとクローゼットをふたつとベッドを二段使う。

 彼女と同室になったのは秋の学園祭のあとからだ。彼女の同室だった人と私と同室だった人が同時に退寮して一人暮らしを始めたため彼女と私は寮の部屋を一人で使う状態となった。いくら退寮者が多くて部屋がたくさん空いていても、二人部屋利用である限り一人部屋利用はできない。そもそも一人部屋利用という設定がない。

 彼女は定期的に福岡のおかあさんに宛ててハガキを書く。福岡のおかあさまからもちょくちょくハガキが届く。私は毎月月初めになるとその前の月のお小遣い帳の頁をコピーして両親に宛てて封筒で送る。たまに広島の母から電話がかかってくる。母は私に「お昼ごはんはちゃんと食べてるの? 朝ごはんと夕ごはんは寮で出してもらえるけん大丈夫じゃろうけど。お小遣い帳にコアラのマーチばっかりが書いてあるのはなんなの。他のものもちゃんと買って食べなさいよ」と言う。電話は寮の代表電話にかかってくる。電話回線は複数あるものの数本と少ないため外部からの電話はかかりにくい。運良くかかれば寮監さんが取り次いでくれて学生各部屋の受信専用電話につないで呼び出してくれる。かかってきた電話を部屋で受けて通話するが、あんまり長く話すと他の人にかかってくる電話が寮につながらなくなるからそんなに長くは話さない。

 後期試験の試験勉強を夜遅くまでしていた寒い時期だったように思う。気管支拡張剤の成分に関する勉強中だったんだろうか。同室の彼女が自分の喘息歴について話を始める。小児喘息の病歴がある彼女は十九歳のそのときにも、まだごくたまに発作というほどではないけれど呼吸が少し苦しくなることがあり、念の為に吸入器を手元に持っていたと思う。

「喘息の吸入器ってさ、吸入したあとすぐにうがいせんとね、心臓がバクバクするん」
「そうなんだー、そうだとは習ったけどほんとにそうなんじゃね。でも、この部屋のそこのベッドの中で吸入したときって、廊下歩いて洗面室までうがいに行ってたっけ?」
「行ってないけど、そのまま寝ればいいときはまあいいんよ」
「いいんかー?」
「それは置いといて。私ね、大学生になるまでは今よりも発作が出る回数が多くてね、学校にも吸入器を持って行ってたん。それで、吸入器使ったあとにうがいをせずにいると心臓がバクバクするのは知ってたん。でさあ、まあ、ほら、若気の至りってやつやけど、放課後に学校で友達の前でね『吸入器って使ったら心臓がバクバクするっちゃ。見せちゃるけん、バクバクするとこ触らしちゃるけん、見とって』って、発作も起こってないのに遊びで吸入器を吸ったん。そしたらね、心臓のバクバクがいつものバクバクよりもすっごく大きくてね、しかもバクバクだけじゃなくて、手や腕もブルブル震えだしたん。顔も全身もなんとなく全体的に青っぽくなってたらしくて、友達はびっくりして、私も自分が動けんようになって相当まずいと思ったん」
「それは、まずいじゃろう」
「保健室行く? とか、いや動かさんほうがいいやろ、とか、友達はいろいろ言ってたけど、私はうずくまってて動けんし歩けんのん。そのときには保健室に行って学校から親に連絡がいってもまずいと思ってるやん。私としてはこんなことお父さん(職業開業医)に知られるわけにはいかんと思ってるやん」
「お父さんが処方してくれた吸入器じゃろ?」
「だからよ。吸入した後うがいせんのもまずいけど、遊びで吸入器使うのはもっとまずいやん」
「うん、まずいよ」
「やけんね、じっとしてたら大丈夫やけん、ってなんとか言って、じっとやり過ごして自分の復活を待ったん。でね、それ以来、私は吸入器を使って心臓バクバクの芸を披露するのは封じたん。あれ一回きりやったん。いい子になったん。えらいやろ」
「うんうん、いい子。えらいよ。だけどそれは一回で十分じゃろう。そんな自分の身を挺して命がけで芸せんでも」
「なんかねー、ときどきエンターテイナーとして、自分がここで何かせんと、って思ってしまうん」
「ええっ、ただの学生じゃなくてエンターテイナーなん? たしかに、モノマネも歌も上手じゃもんねえ、お話も上手じゃと思う。でもそんな命がけのじゃなくて安全な方向のエンターテインメントを選んだほうがいいと思う」
「うん、みそさんの言うとおり、本当にそのとおりー」

 昨日仕事に行く時に、信号待ちの交差点で車を一旦停止した。車の中からなんとなく周りを見まわしたときに、歩行者信号を待つ場所に自転車に乗った若い女性がいることに気づく。その人の姿形があまりにもルームメイトだった彼女の容貌に似ていて、車の中で私はひとり、思わず彼女の名を呼ぶ。自転車に乗るその人の、骨組み全体の華奢な作りも、すべらかでなめらかな肉付きも、肩から首そして頭骨にかけてのしなやかな曲線も、そののびやかな手脚も、身にまとう衣類のデザインと色合いも、後頭部の少し高めの位置で結った髪の毛のおくれ毛を片手で整える仕草の動きもその間のようななにもかもが、私の記憶の中の彼女と酷似していて、私の鼻と目の奥はくるると熱を帯びて潤む。

 十九歳の私たちが、夜の十時で暖房が切れる寮のあの寒い部屋で、そんな話をしたことを、少しはおぼえているかしらと、彼女に問うことも笑い合うことも今の私たちにはできない。けれども彼女がそうしたように、私が自分の天寿をまっとうして他界した暁には、またお互いにいろんなことを問うて笑い合うつもり。     押し葉

あの夏、ハムのサラダを

 あの夏、キッチンでわたしたち三人が並んで作業しているのを見て、一号ちゃんが「わたしも料理できるんだけどなあ」「料理したいなあ」「エプロンも持っとるよ」と言って、丸亀友人に「ねえねえ、おかあさん、わたしも何か作りたい」と言う。一号ちゃんとしては、小学校入学前の男児ふたりの相手をするのにも少し飽きてきた頃だったのだろう。
 丸亀友人が「うーん。一号にできることがあるかなあ」と言うから、わたしが「あ、じゃあ、わたしの代わりに、ハムのサラダ作ってくれるかな」と提案する。ハムのサラダは、丸亀友人が「冷蔵庫にいただきもののおいしいハムがあるやつで、ハムサラダも作りたいんだけど、わたしそこまで手がまわりそうにないけん、みそさんと芦屋友人にお願いしてもいいかな」と言っていたメニュー。

 一号ちゃんはすごくはりきって、「わたし、それ作る。できる」と言って、自分のエプロンを引き出しから取り出して身につける。「では、まず手をしっかりと洗ってきてください。指の間も手首もしっかりね」というわたしの指示に従って、一号ちゃんは、洗面台でハンドソープを使って、丁寧に丁寧に手を洗い終える。「洗ってきた」とぴょんぴょん飛ぶみたいにしてやってきた一号ちゃんに、「では、まず、レタスを洗ってください。わたしが先に一枚一枚にするところまではしたから、それを一枚一枚表も裏も水道の水(細く出す)で洗い流して、こっちのザルに入れてね」と説明する。
 一号ちゃんは、神妙に、一枚洗ってはまた一枚と、指定のザルにレタスを入れる。洗ってる途中で「ふう。いっぱいあるなあ」とつぶやきながら。

 一号ちゃんがレタスを洗っている途中で、わたしは丸亀友人に「レタスは、ザルごと水を切っただけでいいかな。それともキッチンペーパーでふきとる? わたし流だと水滴も一緒に食べちゃえになるけど」と確認する。丸亀友人が「キッチンペーパーでふいてほしい」と言うから、「はい。了解。ということで、一号ちゃん、洗い終わったら、一枚一枚今度はキッチンペーパーで水気を拭くよ」と伝える。
 一号ちゃんは「ふう。お料理ってたいへんよねえ」と、なんだかとってもうれしそう。

 洗い終えたレタスが入ったザルを少し傾けて軽くゆすって水をきってから、一号ちゃんと手分けをして、キッチンペーパーでレタスを拭く。拭くといっても、実際は軽く挟んで、水滴をとるだけなのだけど、一号ちゃんがあまりに真剣にレタスを挟むから、「軽くでいいんよ。レタスの葉っぱのシャキシャキがそのまま残るくらいにしてね」と言うと、一号ちゃんは「なるほど。なるほど」と言いながら、少し力を抜いて、でもやはり丁寧に拭いてから、乾いたお皿にのせてゆく。

 わたしが「では、ハムを切りましょう。まな板と包丁を使うけど、だいじょぶかな」と訊くと、一号ちゃんは「うんうんうんうん」と大きく頷く。丸亀友人には「包丁を使う間は、わたしと芦屋友人で、一号ちゃんの手元ずっと見てるから、安心して」と伝える。芦屋友人も「うん。見ようるよ」と重ねて言う。
 大きなハムの塊を冷蔵庫から取り出して、「最初に半分に切るところだけ、わたしがするね」と言って、半分に切ったハムをまな板の上に残す。「じゃあ、わたしは、残りの半分をラップで包んで冷蔵庫にお片づけするから、一号ちゃんは、ハムのまわりのビニールと皮みたいなところを取るほうをしてください」と伝える。
 一号ちゃんは真剣にハムを裸の状態にする。芦屋友人が「周りの部分は、とりあえず三角コーナーに捨てとくといいよ」と説明して、一号ちゃんはそのとおりにする。

 わたしが「では、これから包丁を使うから、一号ちゃん、集中してよ」と言うと、一号ちゃんは「だいじょうぶ、だいじょうぶ、まかせて」と言って、ぽんと自分の胸をたたく。

「んとね、じゃあ、まず、幅は、もう、算数でセンチは習ってるんだっけ? 一センチかなあ、これくらい(親指と人差指の間に空間を作って)。だいたいこの幅に切ってください」
「はい。わかりました」

「あ。上手に全部切れたね。じゃあ、次は、そのハムを一枚ずつ、縦と横の両方に切るんだけど、一個ずつがサイコロみたいになるように切ります。はしっこの丸いところは、丸いまんまでいいよ」
「はい。むむ。これくらいかな」

 元来なんでも丁寧に行う一号ちゃんは、ハムをサイコロ状に切るのも、できるだけすべての形と大きさが整うようにきちんと切り分ける。途中で何度か額の汗をぬぐうようなふりだけをして「ふう。ほんとうにお料理ってたいへんねえ」とときどきつぶやく。
 すべてのハムを切り終えたら、すでに軽くつぶしてあるじゃがいもにざっくりと混ぜ込む。一号ちゃんの身体には、少し大きなボウルを抱えて、ハムがじゃがいもの中に均等に散らばるように。

「わあ。きれいに混ぜられたねえ。では、人数分の小鉢を出して、それぞれのぶんを少しずつ入れていきます。それから大きな器に残りを盛りつけておかわりできるようにしておきます」
「はい。小さい器を、いち、に、さん、九個ですね」
「先にレタスを三枚くらいかなあ。葉っぱの大きさによって枚数は調節してね、大きすぎるのはちぎってもいいよ、ぐるっと一周でもいいし、半周になるかんじでもいいかな。お皿の縁に少し葉っぱの端が出るように敷くかんじで並べてください。どっちがいいかは、一号ちゃんのセンスに任せるよ」
「おおー。わたしのセンスかー。どうしよう。えーと、じゃあ、レタスぐるりにする」
「はい。お願いします」

「ふう。できたー」
「じゃあ、ハムの入ったポテトをレタスの真ん中にかっこよく盛りつけてください」
「かっこよく、ですね」
「多すぎず少なすぎずね」
「こんなかんじかなー」
「あ。上手上手。ちょっと鮮やかな赤色を飾るときっときれいだから、プチトマトをそばにのせよう」

 冷蔵庫の野菜室からプチトマトを取り出して、洗って、軽く水気を拭き取る。一号ちゃんが「あのね。学校でね、ミニトマト栽培したの食べた。ミニトマトでしょ、これ。みそさんプチトマトって言ったけど」と疑問を呈する。

「ミニトマトとも言うし、プチトマトとも言うの。ミニは英語で小さいっていう意味で、プチはフランス語で小さいの意味だから。ほんとはプチじゃなくてプティに近い発音かもだけど」
「へえー、そうなんだー」

 丸亀友人が「一号、いいなあ。みそさんに訊くと、いろんなことがくわしくわかるねえ」と微笑む。芦屋友人が「ほんと、ほんと。みそさん、昨日のしおかぜ(瀬戸大橋を渡る特急列車)の中でも、息子のネバーエンディングな質問に応え続けるの根気あるなあ、と思ったもん」と言う。

 夕食が始まると、一号ちゃんは二号くんと息子くんに「わたしが作ったハムのサラダ、どう? どう?」と訊く、ふたりは「おいしい」「おいしい」と応えて熱心に食べ続ける。一号ちゃんは続けて「おとうさん、ハムのサラダ、もう食べた? わたしが作ったんだけど」と言う。どうだくんは「まだやけど、食べるで」と応える。一号ちゃんは「カンくんはもう食べた? このハムのサラダ、わたしが作ったんよ」「みっちゃんは、ハムのサラダまだ食べないん?」と訊く。
 丸亀友人が「一号ちゃん。そんなにせっつかないの。みんなそれぞれに食べたい時に食べるのがおいしいんやけん。いいから、あなたも座って食べなさい」と促す。
 一号ちゃんは「わたしが作ったハムのサラダ、どうかな」と言って、自分で一口食べてみて、「おいしいー!」とこぶしをにぎる。
 芦屋友人が「一号ちゃん、がんばって作ってたもんね。ハムの大きさがそろっててきれいで食べやすくておいしいよ」と伝える。
 みっちゃんが「わあ、そうなんや。このハム一号ちゃんが切ったん? 一号ちゃん、もう包丁が使えるん? すごいやん。ハムもポテトもトマトもレタスも全部おいしいよ」と言う。それに対して一号ちゃんは「てへへ」と笑ってから、またサラダを一口食べて「おいしいー!」とこぶしをにぎる。
 
 それから一号ちゃんは冷や汁を口に運び、「あ。芦屋友人ちゃん、これ、すごくおいしい。芦屋友人ちゃん、がんばって作ってたもんね」と言う。芦屋友人は「おいしい? よかった。てへへ」と、一号ちゃんを真似る。
 ひとしきり「てへへ」「てへへ」を繰り返して笑い合う二人に向かって、丸亀友人が「一号ちゃん、よかったねえ。料理を作りたくてうずうずしてたんだもんねえ」と微笑んで見つめる。

 自分が作った料理を誰かとともに「おいしいね」と言い合いながら食べるのはうれしい。それは人類としての食事というものの醍醐味であると同時に自由のひとつでもあると思う。     押し葉

あの夏、宮崎の冷や汁

 あの夏の土曜日の夕ごはんは、いろいろとごちそうだったのだけれど、印象に残っているのは、宮崎出身の芦屋友人が作った「冷や汁」と、丸亀友人ちの一号ちゃんが作った「ハムのサラダ」。ハムのサラダは、一号ちゃんと芦屋友人とわたしの合作だけれども、一号ちゃんが「わたしが作ったハムのサラダ」とその後ずっと言っていたから、あれは一号ちゃんが作ったハムのサラダだと思う。

 わたしは今でも夏になると「冷や汁風」をよく作る。しかし、わたしが作るものとは異なり、芦屋友人が作る冷や汁は、本場宮崎仕込みならではのちゃんとした作り方だ。

 わたしが最初に「冷や汁」なるものを食べたのは、二十歳を過ぎて間もないころ、宮崎旅行に行ったとき。そのころ大学生だった丸亀友人とわたしは、大阪からブルートレインという寝台夜行列車に乗って、宮崎にたどり着いた。当時宮崎に帰省中の芦屋友人が宮崎駅に迎えにきてくれて、彼女の自宅に泊めてもらう。そのとき宮崎のおうちには、彼女のお母様と、まだ小学生の弟くんがいて、学生をしているお兄さんと妹さんは帰省中ではなかったらしく、そのときにはお目にかかっていない。友人の母上様が、わたしたちを宮崎の観光地あちこちに案内してくださる。夕ごはんには郷土料理屋さんに連れて行ってくださり、そこで、いろいろごちそうになった宮崎料理の中に「冷や汁」があった。
 それらの宮崎料理をおいしくいただいているときに、友人の母上様が思い出話を語ってくださる。当時既に他界中であった友人のお父様がまだご存命であられたころに、父上様と母上様がお二人で旅行に出かけられたときのおはなし。旅先のとある町の道沿いに大きな畑があり、その畑のお野菜たちがどれもそれは立派に実っていたのだそうだ。その畑のお野菜たちの立派な育ちぶりに感心した母上様は、畑で作業中の農家の方に、その上手な野菜の育てぶりを賞賛せずにはいられなくなり、思い切って声をかけたところ、母上様の賞賛のことばを農家の方は非常に喜んでくださって、母上様と父上様に大量のお野菜を持たせてくださる。
 友人の母上様は「お野菜を分けてもらおうだなんて、そんなこと思ったわけじゃないのよ。タダでもらおうと思って褒めたわけではないのよ。結果的にはそうなっちゃったけど」と、そのとき農家の方にいただいたお野菜がどれほど立派でおいしかったかを話してくださった。

 という大学生当時のはなしを、冷や汁を作る芦屋友人とその横で別のものを作る丸亀友人にしたところ、ふたりともが「そうやったっけー。みそさん、むかしのことをようおぼえとるねえ」と、ちっともおぼえていない様子。おかしいなあ。わたしの捏造記憶なのだろうか。いやいや、たとえ細部に若干の脚色や記憶違いが入っているとしても、大筋の内容はきっと殆どそうだったはず。

 わたしはその宮崎旅行で大好きになった冷や汁を、わたしが作る冷や汁風ではなくて本当の冷や汁をまた食べられることがうれしくて、芦屋友人の作る手間ひまを、にまにまと見学する。見学はするけれどおぼえる気はない。作ってもらえることがただうれしくて、にまにまとのぞきこむだけだ。

 丸亀友人は「うれしいなあ。冷や汁。わたし、宮崎で最初に冷や汁を食べたときには、あのときは、ちょっと苦手な食べ物かも、と思っていたんだけど、何年かしたら、いやあれはおいしかったよ、と思い出して、今はすごく好きになった。やけん、わたしちょっとたくさん食べるかもしれん。足りるやろうか」と言う。
 宮崎出身の芦屋友人が「だいじょうぶ。いっぱい作ってるけん。残ったら冷蔵庫に入れといて明日また食べてもいいし、と思って。でも、こんなにたくさん作って、他のみんなは食べられるんやろうか。食べてもらえるんやろうか」と気にかける。
 丸亀友人が「だいじょうぶ。どうだくん(丸亀友人の夫)は汁のかかったご飯があんまり得意じゃないけんたぶん食べんと思うけど、そのぶんわたしが食べるけん、わたしにはたっぷり入れてね。うちの子らもすんごい食べるはずやし、カンくんとみっちゃんは冷や汁初体験をたのしみにしてるらしいよ」と言う。
 芦屋友人は「そうか。それなら、これくらいの量、作ってもいいね」と、安心して作業を続ける。

 結局、冷や汁は、あんなにたっぷりあったけど、「芦屋友人ごめんな。せっかく作ってくれたのに冷や汁得意じゃなくて」とわびるどうだくんを除く全ての人に大好評で、小さな丼に一杯分くらいだけが残る。丸亀友人は「うれしい。また明日も冷や汁が食べられる。これ、明日のわたしの朝ごはんだからね。ちゃんと残しといてよ」とみなみなに宣言して、冷や汁を冷蔵庫に片付ける。
 芦屋友人は「おいしくできてよかった。みんなに食べてもらえてよかった」と満足そう。

 おいしくて、そして、にぎやかでたのしくて、だから、あの夏の冷や汁は、特別で格別な記憶。     押し葉

あの夏、婚約指輪が

 あの夏、土曜日の夕方に、丸亀友人が暮らすマンションには、大人が六人と子どもが三人いた。子どもは、丸亀友人の上の子一号ちゃんと下の子二号くんと、芦屋友人の息子くん。大人は丸亀友人とその夫(どうだくん)、芦屋友人とわたし、それから、丸亀友人夫婦が勤務する調剤薬局の若手男性薬剤師と医療事務の若い女性。若手薬剤師の「カンくん」と医療事務の「みっちゃん」は、もうじき結婚する予定の婚約者同士。

 夕食時の歓談中、どうだくんとカンくんがそれぞれのパートナー(丸亀友人とみっちゃん)について、彼女たちの物忘れぶりはどうしたものだろうか、という話をしていた。丸亀友人とみっちゃんは「仕事や生活に重大な支障がない範囲のことは、そういう脳の仕様なのだと、あきらめていただきたい」という趣旨のことを、各自のパートナーに伝える。

 その日は、夕食を終えてしばらくしたら、みっちゃんの身体を貸してもらって、丸亀友人にアロマオイルによる全身トリートメントの手技を伝授する予定。丸亀友人夫婦の勤務先の経営者の方からお借りしたカイロプラクティック用のベッドをひろげて、シーツ代わりのバスタオルを敷く。みっちゃんには、丸亀友人の部屋着であるタンクトップとショートパンツに着替えてから、ベッドの上にうつ伏せに寝てもらえるようお願いする。

 みっちゃんがベッドに横になる前に「わたし、どうしたらいいんでしょう」と言うから、「えーと、その都度、触る場所を言うので、そのつもりでいてもらえれば。それで、もし、痛いとか気持ち悪いかんじがあったらすぐに言ってね。それから、貴金属がアロマオイルで汚れるといけないから、もし身につけてるものがあれば、はずしておいてもらったほうがいいかな」と説明する。
 丸亀友人は、「どのオイルにしようかなあ。みっちゃん、このにおい、好き? 平気?」と言って、精油配合済みアロマオイルの瓶を何本かみっちゃんの鼻に近づけて確認してから、半袖Tシャツの腕をまくる。いや半袖だから肩をまくるなのかな。

 芦屋友人は同じ部屋にあるパソコンの前に座っていて、「なんだか、わたし、自宅にパソコンがない子なのがバレバレなくらい、ここに来てずーっとパソコンばっかり見てるよね」と言いながら、「へえ、このにおいもいいにおいやねえ。あ、これも好きかも」と、いろんな精油の香りを比べる。

 みっちゃんの身体のうち背中、足の裏、ふくらはぎ、太ももの裏側まで触り終えたところで、みっちゃんにお願いして今度は仰向けになってもらう。足の甲、膝下、太もも、膝、そして、手のひら、手の甲、指、腕、肩と順に触り、それから最後にデコルテ(首筋と胸元)と頭部。

 丸亀友人は近々本格的にアロマオイルトリートメントの受講を予定していたから、たいそう熱心に、わたしの手と身体の動きを真似て、「みっちゃん、力加減は、どのくらいかな。これくらいでみそさんと同じくらいになってるかな。圧の方向はどう?」とみっちゃんにこまかく確認しては、ふむふむと学習を重ねる。
 そして、丸亀友人は「みそさんがわたしにしてくれてたのって、こういうふうにしてたんやねえ。実際は手のひら二つだけなのに、やってもらってるときには、千手観音の手みたいに大量の手が触ってくれてるみたいに感じるんよ。あれは、流れるようなリズミカルな動きで触ってるけんだったんじゃねえ」と感慨深げに納得する。

 ひととおりの手技を終えて「みっちゃん、長時間の身体の提供ありがとうございました」と、お礼を伝える。みっちゃんは「初めて体験したけど、すっごい気持ちがよかったー。今のわたし、すべすべー。それに全身がなんかポカポカあったかくて新陳代謝高まってますってかんじ」とニコニコと自分を撫でる。
 「あ、みっちゃん、新陳代謝が高まってるのはほんとうだから、たぶん、ちょっとトイレが近くなると思うけど、どんどん出して、必要な水分を補給してね」と説明する。

 それからしばらく、大人みんなでかなり遅くまでいろんな話をして過ごす。でももういい加減そろそろ帰ります、と、カンくんとみっちゃんが帰ってゆく。そのあと、丸亀友人は、「ちょっと、復習がしたいから、芦屋友人、ここにあがって。身体触らせて。とりあえず脚だけでいいけん」と言って、ベッドの上に座った芦屋友人の足と脚にアロマオイルを塗って「こうだったかな。こんなかんじかな」と復習に励む。
 芦屋友人は「ああー、みっちゃんが言ってたとおり、これは気持ちがいいわあー」と言い、丸亀友人は「芦屋友人、かかとがガサガサのままで放置してて、身体がかわいそうすぎる。もっと自分で自分を手入れしてあげんといかん」と諭す。
 それから芦屋友人と丸亀友人とわたしの三人は順番にベッドの上に座って、触る側になったり触られる側になったりを三人で繰り返す。三人とも体液がぎゅんぎゅん流れる勢いにのって、気持よくぐっすりと眠る。

 翌朝、ゆっくりとした朝ごはんを食べていたら、丸亀友人の携帯にみっちゃんから電話がかかってくる。みっちゃんは「朝早くにすみません。昨日はごちそうさまでした。あの、実は、ごにょごにょごにょ」となにごとかを丸亀友人に相談する。
 丸亀友人が「ええっ。ちょ、ちょっと待ってよ」と、みっちゃんにいったん言いおいて、あちこちを目視確認してから、さらになお何か探しながら、「みそさん。みっちゃんに昨日身体貸してもらったときに、アクセサリーしてたら外して、って言って、そのあと、みっちゃんが指輪をどこに置いたか、おぼえてない?」と言う。

「指輪、してたんだ、みっちゃん。いや、手を触ったときには、指輪はなかったよ。みっちゃんが準備してくれてる時にはマジマジ見ないようにして、バスタオルでみっちゃんを隠すみたいにしてたから、指輪をはずしてる姿の記憶もないけど。みっちゃんの指輪、行方不明なん?」
「それが。(ささささっと、どうだくんの姿が近くにないのを確認してから小声で)みっちゃん、昨日、婚約指輪をしてうちに来てたんだって」
「えええっ。じゃあ、行方不明の指輪は婚約指輪? ちょっと待って、ちょっと待って。えーと、えーと、指輪をはずしてどこかに置いたとしたら、カイロのベッドがあるこの部屋で、でも、ないねえ。ってことは、あっ、昨日、みっちゃんに着てもらってた部屋着にポケットが付いてるとか?」
「あ。そうだっ。(今度は電話に向かって)みっちゃん。みっちゃんが昨日着た短パンのポケット見てみるけん、いま洗濯物見てみるけん」

 丸亀友人が、脱衣所の洗濯かごの中から、昨日みっちゃんに着てもらった短パンを探り出し、「あ、あ、あ、あ、あったー」としゃがみ込む。
 丸亀友人が「みっちゃんー。あったよー。どうしよう、これ、預かっておいて、仕事のときに渡したらいいんかな」と言うと、みっちゃんは「あ、あ、あ、あ、ありがとうございますー、ありましたかー、よかったー。ああー、ううー、よかったー。実は、わたし、いま、マンションの下まで来てるんですけど、お部屋まで取りにうかがってもいいですか」と言う。
 丸亀友人は「みっちゃん。待って。そこにいるんなら、わたしが下に降りるけん、下で待っとって。うちに来てくれてももちろんいいけど、この件は、どうだくんとカンくんには内緒にしよう。昨日あれだけ、わたしらの物忘れがどうのこうの言われて、仕事や生活に支障がない範囲のことは、って開き直ったけど、これはちょっと開き直るのはまずいと思うん。ね、すぐ降りるけん、みっちゃん、そこにいて」と小声で早口に言って、電話を切る。

「じゃ、みそさん、わたしちょっとだけ、下で、みっちゃんに指輪渡してくるけん。どうだくんがなんか訊いてきたら、訊いてこんとは思うけど」
「だいじょうぶ。お向かいのパン屋さんにパンを買いに行った、って言っとくから。携帯電話だけ持って行って」
「うん。わかった。パンも買ってくる。携帯とお財布持って、いってくる」

 そうして、みっちゃんとカンくんの大切な婚約指輪は、みっちゃんの指に戻った。     押し葉

あの夏、白杖の人と

 あらためて数えてみると、今から六年前のことになるのだな、と気づく。当時のわたしは、今のわたしと同じように、無職の旅人で、その夏、四国の香川県丸亀市にいた。友人(丸亀友人)宅に居候し、讃岐うどん三昧な毎日を過ごすという至福の日々。

 丸亀で暮らす友人家族は、当時マンションを新しく購入して引っ越して間もない時期だった。わたしは丸亀に行く前日に、兵庫県芦屋市在住の友人宅に一泊させてもらう。そこで芦屋の友人(芦屋友人)親子と合流して、翌日一緒に瀬戸大橋を渡り、丸亀に向かう。

 当時、芦屋友人の息子くんは、幼稚園の年長さんだった。丸亀友人の子どもたちは、上の一号ちゃんが小学校二年生、下の二号くんは保育園の年長さんで、芦屋友人の息子くんと同級生だ。
 丸亀で過ごす週末は、子どもたちは子どもたちで、三人いることで、普段はできない遊びができ、わたしたち大人も、久しぶりに会って直接話して、みんなたくさん笑って過ごす。

 わたしは無職の旅人だから、特に期間を決めた旅ではなかった。けれど、まだ夏休み前の世の中では、芦屋友人の息子くんには、月曜日には「幼稚園通園」という重大な任務がある。だから、芦屋友人と息子くんは、金土日を丸亀でわたしたちとともに過ごしたら、日曜日のうちに芦屋に帰る。
 日曜日の午後、JR丸亀駅から岡山まで行く特急に乗る芦屋友人と息子くんをみんなで見送る。入場券を購入して、ホームで一緒に列車が来るのを待って、二人が列車に乗るのを見届けて、またねー、と手を振る。

 岡山に向かって発車した特急を、二号くんと一号ちゃんが、ホームの端まで疾走しながら手を振って見送る。丸亀友人とわたしは、「にぎやかでたのしかったね」と話しながら、ホームの中央辺りに立って、ホームの端から子どもたちが戻ってくるのを待つ。一号ちゃんと二号くんがホームの中央まで戻ってきたら、階段をおりて改札に向かう。

 そのときに、わたしたちがいるホームの階段の手前のところに、白い杖を持った男性が立っておられることに気づく。年の頃は、六十歳にはなってらっしゃるか、もう少し上かな、というくらい。
 数秒その姿を見てから、わたしは「こんにちは。もし、よろしければ、わたしの腕をご利用ください。改札までご案内いたします」と声をかける。その男性は「ああ、ありがとうございます。では、お願いします」とわたしの右腕を軽くつかんでくださる。

「では、こちらが点字ブロックです。点字ブロックに沿って階段をおります」
「いったん、おどりば、です」
「ふたたび、階段です」
「これで階段は、おしまい、です」
「改札は、前方、斜め右方向、です」
「まもなく改札に到着します」
「改札です」

 そう順番に案内して、改札につくと、その男性は手慣れた様子で定期券を駅員さんに提示する。改札の駅員さんがその男性に「いつもよりも、遅かったが」と顔見知りの親しさをこめて話しかけられる。

「そうなんや。いつもの列車で、ひと駅寝過ごしてしもうて。折り返して帰ってきたけん」
「ありゃあ。それは、寝過ごしたのがひと駅でよかったなあ」
「ほんとや。それで、引き返して帰ってきたら、いつも朝、乗るときに使うほうのホームに着くやろ。今のホームから毎朝電車に乗るのには慣れてても、こっちがわで降りることってないけんなあ。いつも降りるほうの向かい側のホームやったら、何両目のどこの扉で降りてどれくらいで階段になるかもわかっとるけど、いつも乗るほうのホームを降りるほうで使うとなると、とっさにホームの感覚がわからんでなあ」
「ああ、それはそうかもしれんなあ。点字ブロック、すぐにわかったか?」
「まあ、そのうちわかったんやろうけど、この人が声かけて、点字ブロックのところまで腕を貸してくれたけん、無駄がなかった」

 改札の駅員さんは、「ああ、それは、よかったな」と白杖のおじちゃんに言ってから、わたしに向かって「ありがとうございまいした」と声をかけられる。わたしは駅員さんに会釈して「ありがとうございました」と伝える。
 改札を出て、白杖のおじちゃんとわたしは、ほんの少し話をする。ホームから改札まで歩く間にも少ししていた話のつづき。

「言葉のかんじが、香川の人ではないようですが、どこか遠くからいらっしゃったんか?」
「あ、はい。北陸地方の福井県から来ました。でも、言葉は、実家が広島なので、広島弁が出やすいです」
「ああ、そうですか。こちらにはご旅行で?」
「はい。大学の時の友人が、こちらに住んでいるものですから、その友達の家に泊めてもらって、讃岐うどんや一鶴のひなどりを食べたりして過ごしてるんです。今の特急で別の友だちが帰るのを見送りに来て、またこっちの友達の家に戻るところです」
「ほう。そうか。それはいい。もう丸亀城公園には行かれたか?」
「何度か丸亀には来てるんですけど、お城はまだなんですよ。今回は行ってみるつもりです」
「そうか、ぜひそうしたらええ。丸亀城公園の他にも、どこどこや、どこそこも、いいけんな。よかったら、行ってみたらええよ」
「はい。ありがとうございます」
「じゃ、ありがとな。気をつけて帰りなさいよ」
「はい。失礼いたします」
「丸亀旅行、たのしんで行ってな」

 白杖のおじちゃんは、スタスタスタスタスタスタター、と、かなりの高速歩行で、改札前から駅の建物南側出口をいっきに抜けて、駅前広場もあっというまに通りすぎて、そのむこうの横断歩道をわたって、姿がどんどん小さくなる。きっと、ほとんど毎日のように、通勤か何かでこの駅をご利用の方で、駅と駅周辺からご自宅までの道順は完璧に把握されていて、足の裏の感覚と杖による確認だけで、問題なく移動できるということなのだなあ。

 わたしがそう感心しながら、白杖のおじちゃんを見送っていたら、丸亀友人ちの一号ちゃんが、「おかあさん。みそさん、やさしいね」と友人に向かって言う。丸亀友人が「うん。そうよ。みそさんはやさしいよ」と応える。

 それを聞いたわたしが「やさしい、ん、か、なー」と、やさしい、のとはちょっと違うような気がするなあ、と考え始めたら、友人が一号ちゃんに向かって「一号ちゃん。だいじょうぶよ。今のは、やさしい、で合ってるよ」と言う。一号ちゃんは安心した表情になり「よかった。そうだよね。みそさん、やさしいよね。やさしいし、えーと、えらいよね」と言う。友人は「うん。えらい、も、合ってるよ。知らない人をお手伝いするのに、さっと声をかけるのは、えらい、と、おかあさんも思うよ」と言う。

 それから、友人は今度はわたしに向かって「みそさん。一般ピーポー(一般の人々)の感覚では、今のはやさしい、でいいんよ。みそさん的には、親切のほうが近いんじゃないかな、とか、気づいたことをできる範囲でただしただけ、だとか、考えとるかもしれんけど、考えとるじゃろ、ほらやっぱりね、でも、ああいう状況で、すっと声をかける人は、そうはおらんのんじゃけん、やさしい、でいいんよ」と言う。

「そうなん? まあ、えらいのは、もともとわたしは何をしてもしなくてもえらいとしても、でもさ、ほら、わたしは、点字の通信講座を受けたけん、白い杖を持っている人がいたら、まず、その人がすでに歩数カウント中じゃないかどうかを見定めてから、声をかけても邪魔にならなさそうじゃったら、腕をどうぞ、って声をかけるように、って習っとるけん。やさしいけんそうするというよりは、そう習ったけんそうするかんじなんじゃけど」
「習ったかもしれんけど、習ったからって簡単にそうできるわけじゃないと思うよ。そもそも、自分に必要性があるわけじゃないのに点字とか習ってること自体がめずらしいんじゃけん。まあ、文字が好きなみそさんとしては、点字も文字のひとつとして外せんかっただけなんじゃろうけど」
「うん。文字好き。でも、点字じゃったら、誰々さんも誰々ちゃんもできるよ」
「だとしても、わたしらの知ってる人の中にそれくらいしかおらんじゃん。誰々さんのほうは、みそさんがシカゴで泊まってたおうちのお友達じゃろ。点字人口、全然、多いわけじゃないけん」
「それにしても、さっきのおじちゃん、思いきり、地元の人やったね。腕貸して案内したつもりが、逆に観光案内してもらっちゃった。階段の説明も、あんなに詳しくせんでもよかったんやろうね。既にこの駅の構造を知ってる人にとっては、ちょっとくどい説明やったねえ」
「でも、おじちゃん、それは別にいやじゃなかったと思うよ。おじちゃん、観光案内するくらいウェルカムな気分になったんやし」

 それから、わたしたちは、友人宅に戻り、日曜日の夕方と夜を過ごす。芦屋友人の息子くんが置き忘れた車のおもちゃを発見して、芦屋友人の携帯電話に「息子くんのおもちゃが居残っています」のショートメッセージを送信する。芦屋友人から「みんなと別れた寂しさと、おもちゃを忘れた悲しさで、息子は新幹線の中でずっとさめざめと泣いています」と返信が届く。

 あの夏の、いくつかの記憶たちを、きっと、また、ここに書く。     押し葉

本堂と心臓

元旦の日に、同級生の天竜くんちに遊びに行ったとき。例年であれば、玄関の呼び鈴を鳴らすと、天竜くんが「はい、はい、はい、はい」と出迎えてくれて、年に一度しか会わないけれど、お互いに「今年もよろしく」と挨拶し、「まあ、まあ、まあ、まあ」と招いてくれる天竜くんについて部屋に入っていく。それが今年は到着したときに、お寺の本堂が開いていて、初詣の参拝者の人たちが続々と出てこられたから、私たちもお参りさせてもらおうよ、と本堂の階段下で靴を脱いで、本堂に入ってゆく。

本堂中央の仏様と向かい合い、立派だねえ、と感心しながら、夫と並んで手を合わせる。他の参拝者の方たちがすべてお帰りになったところで、天竜くんのお父様(前ご住職)に新年のご挨拶をする。天竜くんのお父様はにこやかに対応してくださりつつも、「申し訳ないことなのですが、どちらか県外からおいでのお方でいらっしゃいますか。檀家の方々のお顔の中には記憶がないものですから」とおっしゃる。

「まあ、名乗りもせずに失礼いたしました。天竜くんの同級生のどうやらです。今は北陸の方に住んでいるのですが、年末年始に帰省してまして、天竜くんに会いに来ました」
「ああ! どうやらさんだ。ほんとうだ。毎年おいでくださるどうやらさんだ。そうでしたか。先ほどお電話いただいて、天竜が準備して待ちようりました。奥の部屋におりますけん、本堂の横から出て、ぐるっと回ったところの部屋に行ってやってください」
「ありがとうございます。それにしても、相変わらず、立派なご本堂ですねえ」
「いえいえ、今年は、掃除も十分に行き届いておりませんで。実は、昨年、わたくしが、二度ほど倒れたものですから」
「ええっ。どこかお具合でも」
「ええ、そうなんですよ。最初はまず脳のほうで倒れまして、その手術が終わってからもどうにも具合がよくなくてまた倒れまして」
「まあ」
「それで、ようよう検査してもろうたら、心臓がよくないことになってまして、そのせいで肺もだめになとったらしく、そのせいで脳にいく血液も酸素が少ない状態で、脳の血管のほうの問題もそれと関係があったらしい、いうことでしたわ」
「うわあ、それは、たいへんなことでしたねえ。ずいぶんおつらかったんじゃないんですか」
「そうなんですよ。体がつらくてつらくてしんどうて、でも、去年の夏は暑かったでしょう。じゃけん、暑さのせいでしんどいんじゃろうと思うとりましたから、まさか、自分の心臓や肺や脳がどうにかなっとるせいだとは思うてもおらんかったんですよ」
「いやいや、たしかに、去年の夏は暑かったですけど、でも、暑いだけのしんどさとは違うしんどさだったのではないですか」
「今にして思えば、たしかに、ふつうのしんどさではなかったんですけど、なんかおかしいのう、しんどいのう、言うたら、天竜が、この暑さで、自分ら若いもんでもしんどいんじゃけん、おやじくらい年寄りじゃったらしんどいに決まっとるじゃろう、寝ときんさい、寝ときんさい、言いますけん、寝とったんですが、どうにもこうにも起きられんようになりまして」
「どの時点で、病院に行ってくださったんですか」
「それがですねえ、起きられんようになったところに、嫁のまりもが様子を見に来てくれまして、そしたら、こりゃあいけん、天竜さん、お父さんの顔が歪んどってよ、言うて、二人ともたまげて、すぐに病院へ運んでくれたんです」
「ああ、おつらいのはよくないんですけど、ちゃんと診てもらってくださって、よかったです」
「それでまあ、脳の治療の後、心臓の手術で、そのあとリハビリにしばらくかかりまして」
「ですよねえ。でも、こうしてお話ししてくださらなければ、そんなことがあったなんて全然わからないです」
「おかげさまで、最初は、体の半分が完全に麻痺状態じゃったのが、最近のリハビリいうのは、ようできとるものなんですのう、毎日毎日で、きついのはきついんですが、やっただけの成果が見えると、どんどんようなって、今はもう、こうやって(両手の指を折り曲げたり開いたりしながら)、左右の手はおんなじように動きますし、茶碗を持つのも箸を使うのも不自由なく、こうして対面でお話しするのもできるようになったんですよ。最初は、あ、あ、あ、あ、いう音しか出せんようになっとったんですけどねえ」
「そうだったんですか。リハビリの力ってすごいですねえ」
「ただ、こうやって普通に話すのは、問題なくできるんですが、いっこだけどうしてもできんままなのは、お経が詠めんことなんですよ」
「ああ、普通の会話とお経とでは、口や喉の筋肉や声帯の使い方が違うのかもしれないですねえ」
「そうなんですよ。そうらしいですわ。こうなってみるまで、そのようなこと考えたこともなかったんですが、どうしてもお経が詠めんのんですよ」
「でもまあ、それは、もう、天竜くんたちにおまかせになって、聞いてあげるだけにしてくださってもいいんじゃないでしょうか」
「そうですねえ、そうしますわ。リハビリもようできとりますが、心臓の手術も、最近は、そんなに胸を大きく切らんでもようなっとるらしゅうて、傷も、これくらいで済んだんですよ(と法衣の胸元を開いて手術痕を見せてくださる)」

夫は生々しい映像に対してびびる習性があるため「うおっ」と一歩引く。私は生々しい映像に対して深く興味を覚える傾向があるため「うわっ」と一歩覗き込む。

「わあ、きれいな傷痕ですねえ。切った痕も縫った痕もくっつき方も美しいですねえ」
「そうでしょう。なんでも、この心臓の手術をしてくれちゃった先生は、ずいぶん腕のいい先生だったらしいですわ」
「ええ、ええ。手術自体も上手でいらっしゃるんでしょうけれど、皮膚の細胞たちの頑張り具合が素晴らしいです」
「ほう、そうですか、そう見えますか」

ここで夫が「あの、本堂は冷えますから、胸、それ以上、冷やさないほうがいいんじゃないでしょうか」と気の利いたことを言い、天竜くんのお父様も「おお、ここじゃなんですから、天竜のおる部屋へ行ってやってください。あの部屋には、暖房も入っとりますけん」と、もう一度、本堂から部屋への行き方を説明してくださる。「ありがとうございます」とお礼を述べて、奥の部屋へと移動する。

部屋に入ると天竜くんと生後二週間の赤ちゃんがいて、天竜くんが「まあ、まあ、まあ、まあ、今年は本堂も家も掃除が行き届いておりませんが。実は、おやじが昨年倒れたものですから」と説明をしてくれようとするのを、「そうなんだってね。たいへんじゃったね。さっき、お父さんが心臓の手術の痕を見せてくれちゃったんよ」と返したら、「なんでまた。わたしら家族もまだ見たことのないものを」と天竜くんが驚く。「こうやって、着物の前を、がばり、と開けて、ようよう見せてくれちゃったよ」と言う私と、「俺はよう見んかったけど。怖いじゃん」と言う夫に、天竜くんは「そういうわけで、いや、もう、ほんま、おおごと、じゃったわ。暑いけんしんどいんじゃわいのう、寝ときんさい、寝ときんさい、言うとったのが、寝とるだけじゃいけんかったとは。まりもが、天竜さん、おかしいよ、おおごとじゃ、お父さん顔が歪んどってよ、いうて気づいたけん、そこで病院へ運ぶことができたけど、あそこで気づいてなかったら、どうなっとったかわからんいうことじゃけん。いやいやいやいや、びっくりよ」と、天竜くん視点での説明を始める。

その後、天竜くんの妻であるまりもさんが、今度は彼女の視点での、経緯説明を聞かせてくれる。

全体としての大筋は、どれも、本堂でお父様ご本人から聞いたとおりだったけれども、全体的に思ったのは、猛暑のつらさと、心臓と肺と脳の機能が低下しているときのつらさは、かなり異なるのではないかな、ということと、やはり、まりもさんの言うとおり(前記事「僧侶とトナカイ」参照)、天竜くんの「寝ときんさい、寝ときんさい」は、真に受けないほうがいいんだな、ということだった。     押し葉

僧侶とトナカイ

私の同級生の天竜(てんりゅう)くんの職業は僧侶、浄土真宗のお寺の住職さんだ。天竜くんと私は中学と高校が同じだった。天竜くんと夫は高校が同じで、その後大学は異なるものの天竜くんも夫も京都の大学に進学したという共通の要素があり、高校卒業後も大学卒業後も親しくしている。最近は、夫と私が、広島に帰省したときに、元旦にどうやらの実家から私の実家へ移動する途中で、天竜くん宅を訪問するのが恒例になっている。

夫は年末になると、天竜くんと一緒に飲むための日本酒を入手して、元旦の日に持っていく。天竜くんも天竜くんで夫と一緒に飲もうと思って保存していた日本酒を出してくれるから、二人は飲み比べを愉しみつつ語り合う。私は車を運転するから、おいしそうにたのしそうにお酒を飲む二人を眺めてお茶をいただく。

今年の元旦に天竜くんちに行ってみたら、いつものように「まあまあまあまあ、入って入って、そっちの部屋へ」と案内され、入った部屋には赤子がいた。「わあわあ。赤ちゃんだー。何ヶ月? いや、何ヶ月も経ってないかこの大きさは」と尋ねる私に天竜くんは「生後二週間。四人目。今度こそ、最後」と説明してくれる。

「そうかあ、二週間かあ。それにしてはこの人、落ち着いているというか、って、それよりも、まりもさん(天竜くんの妻)、さっきからずっと動きつづけて、いろんな料理作って出したりいろいろしてくれて、さらに上の三人の子どもたちをだっこしたり、追いかけたり、隙あらば赤ちゃんの上に乗りあげる上の子たちを引っ張りあげたりしてるけど、産後二週間であんなに動いて大丈夫なの?」
「本人が動きようるんじゃけん、大丈夫なんじゃろう。なんかもう、四人目ともなると、たいていのことは、大丈夫大丈夫、生きてればそれでよし、いうかんじになるんじゃ」

まりもさんは少し手の込んだ料理を気軽に作ってくれる人で、これまでごちそうになったいろんなメニューを思い出すだけで、うっとりとした気持ちになる。クワイの素揚げもおいしいし、卵黄の味噌漬けもおいしいし、穴子の白焼きを入れたお雑煮のすまし汁もおいしい。

まりもさんの手料理をごちそうになりつつ、天竜くんと夫はお酒を飲みつつ、傍らにいる生後二週間の赤ちゃんに見とれつつ、あれこれ話をしていたら、天竜くんがまりもさんに「今度から、保育園の役員を受けるときには、気をつけんといけんで」と諭し始めた。天竜くんとまりもさんの二番目の子が現在通う保育園(一番上の子もその保育園には通ったが、上の子はすでに卒園して小学生になっている)では、保護者が持ち回りで役員を請け負う。役員ごとに仕事の内容は決まっていて、この役員さんはこの時期のこの仕事をする、などということはセットとしてほとんど固定されていて、年ごとに変わることはない。天竜くんは「どの役員が何をするかはわかっとることなんじゃけん、できんことはそのときに断っとかんと。その仕事をする時期になってから、急に、できません、いうて、他の人に代わりをお願いします、いうても、頼まれた人も困るじゃろうが」と言い、まりもさんは「そうよねえ。今回は、誰々さんが、ええですよ、しますよ、言うてくれちゃったけんえかったけど、あの役は受けんようにするか、どうしてもあの役のときには、役を受けたときにすぐ、できんことだけは他の人に代わってもらえるようにお願いして、その人の仕事の一部を代わりにしますから、いうような話をしたほうがええね」と応える。

たぶん夫と私が「なんのことかな」というような表情をしていたからなのか、まりもさんが「保育園で季節ごとの催し物があるんですよ」と説明を開始してくれた。その説明によると、今年度、天竜くんとまりもさんが請け負った役員の仕事では「おとうさんがクリスマス会のサンタクロースの扮装をする」ことになっている。しかし、天竜くんは「おとうさん」ではあるけれど、浄土真宗のお寺の住職であり、サンタクロースが所属するであろうと思われるキリスト教文化とは異なる分野で活動する立場だ。天竜くんは公私ともに仏教徒ではあるものの、クリスマスケーキがそこにあればお菓子として食べるし、子どもたちが保育園や小学校でクリスマス会に参加したりケーキを食べたりプレゼント交換したりすることも、節分やひな祭りや鯉のぼりや七夕と同じ感覚で受け入れている。けれども天竜くんは「しかしながら、そうだとしても、わたくしが、サンタクロースの扮装を、するわけにはいかんじゃろう」と言う。

それでも天竜くん夫婦は彼らなりに考えて、保育園の先生に「サンタクロースの扮装は職業上宗教上の理由でどうしてもできませんが、トナカイの扮装なら、なんとかぎりぎりできるかと思います。ソリの鈴の音がするように首に鈴をつけるのも大丈夫ですので、なんとかそれでいけませんでしょうか」と代案を提案し相談してはみたらしい。しかし保育園の先生は「すみませんねえ。園の子どもたちが待っているのは「サンタクロース」であって「トナカイ」ではないんですよ」と申し訳なさそうに困惑なさる。

天竜くんは「そりゃあ、そうじゃわいのう。茶色いトナカイが来てプレゼント配ってくれてものう。そこはやっぱりサンタじゃろう」と言い、まりもさんも「うちがサンタができんのはわかっとることなんじゃけん、今度からは、サンタがセットになってない役を選ぶようにせんにゃあいけんね」と頷く。

そんな話をしたあとで、まりもさんにあらためて「産後二週間で、その軽やかな動きは素晴らしいとは思うけど、ほんとにそんなに動いて大丈夫なんですか」と訊くと、よくぞ聞いてくれました、という顔をして「天竜さんは、何かというと、私に向かって、まりもは産後なんじゃけん、寝とけ寝とけ、いうて言うてんです。じゃけん、私も、ありがたく、じゃあ、と横になって過ごしとっても、すぐに天竜さんが、おお、まりも、布団干しといて、だとか、本堂のあれをこうしといて、だとか、次々用事を言うてきてんです。じゃけん、天竜さんの、寝とけ、を真に受けたらいけんのんですよ」と言っていた。     押し葉

がんばるおじさん

十代の最後か二十代になって間もない頃かに、テレビを見ていたら、各地の「がんばるおじさん」たちにインタビューする番組が放映されていた。その日取り上げられていた地域は、同級生の友人の故郷の住所と同じで(その頃私たちは各自の故郷から離れた地域の大学に集っていた)、その「がんばるおじさん」の名前が、友人と同じ名字であることに気づく。その友人の名字はたいへんに珍しくて、その名字を持つ人を、私は、彼女の家族親族以外に知らない。その友人が以前見せてくれたことがあるような記憶の中の家族写真のお父さんに、その「がんばるおじさん」はなんとなく似ている気もする。

後日、学校で、その友人に会ったときに「ねえねえ。このまえ、テレビに出とっちゃったの、お父さん?」と話しかけると、友人は「えええええっ。どうしようっ。うちのお父さん、何で、何で捕まったん?」と真顔で訊いてくる。私の方が驚いて「ちがうよ、ちがうよ。がんばるおじさんとしてインタビューを受けようちゃったんよ。地域で活躍しようてん人を取り上げる番組じゃったんよ」と言うと、友人は「あああああ。よかったあ。うちのお父さん、何しでかすかわからんけん」と、ほんとうに大きく胸をなでおろす。

後日、その友人が「みそさん。ほんとじゃった。うちのお父さん、テレビの取材受けたんだって。みそさんが見たって言っとったのが、その日だったらしいわ。よかった。お父さんが捕まってなくて。お母さんも、大丈夫よ、お父さん捕まってないよ、って電話で言いようたけん、ほんとうに大丈夫と思う」と、確認事項を教えてくれる。

ある種の、地域や町の名士的な存在として活躍を成す人というのは、どこか「何をしでかすかわからない」ような部分が、その活動と活躍の原動力になっているものなのかもしれないなあ、と、乙女心に、あのときに、ちょびっと小さく、確信した。


本日の広島弁講座。
「何何しとっちゃった」「何何しようちゃった」は、両方とも「何何していらっしゃった」を表す敬語表現である。「しとっちゃった」のほうは過去完了の意味合いがやや強く、「しようちゃった」のほうは過去進行のイメージを伴う、か。
現在形で敬意を表す場合は、「何何しとって」「何何しようて」と言い、動詞の活用の後に「て」をつけることで敬語とし、「何何していらっしゃる」の意味を持たせる。ただし、同じ「何何しとって」「何何しようて」でも、敬語ではなく、自分が「何何していて」と理由やいきさつを表す場合もあるが、それは登場人物の格や前後の文脈で判断する。
敬語の「て」の前の部分の「しとる」「しようる」は、敬語ではない一般表現として自分や目下の人や親しい人の行動を表す場合に用いる。「しとる」「しようる」どちらとも現在進行のようではあるものの、「しとる」のほうは広義の「何何している」であり、対象として捉える時制の期間がやや広く長めな場合が若干多いだろうか。一方「しようる」のほうは、「何何している」という意味を表現しつつも「今まさに何かをしつつある」ことの躍動感や刻一刻と変化する様子を伴ったイメージを想起させる面がある、か。
関西地方で用いる「何何してはる」の「はる」によって、広く、場合によっては浅く、敬意を表現する言語文化に比べると、広島弁における「しとっちゃった」「しようちゃった」「しとって」「しようて」は敬語としての厳格性が高く、目上の人(身内ではない場合が多い)の行動に限定して用いる。     押し葉

雨に学ぶ

「雨に歌う」

おそらく上記記事のいきさつにより、傘をささずに雨に濡れて歌うことに味をしめた私は、気が向くと、雨が降っても傘をささずに帰宅して、熱いシャワーを浴びる至福を好む大人に成長した。

大学生のときに、授業が済んだ大学から、当時住んでいたアパートまで、その日はルームシェアしていたルームメイトと一緒に歩いて帰った。そのときに、彼女は傘を持っていて、私は傘を持っていなかった。たぶん、登校するときには、雨が降っていなくて、でも帰る頃には雨が降る予報があったから、彼女は傘を持っていたのではないかな。あるいは、もしかすると、私が私の時間割で登校した時には雨が降っていなくて、彼女が彼女の時間割で登校したときには既に雨が降っていたから傘を持っていたのかもしれない。

ルームメイトは、傘を持たない私に「みそさんも一緒に入ろう」と言いながら傘を開いてくれる。「ありがとう。でも、いいん。私、帰ってすぐに熱いシャワー浴びるけん、このまま濡れながら帰るけん」と応えると、「そうなん? じゃあ、わかった」と、しばらく、彼女は傘の中で、私は雨を浴びながら、二人で並んで、なんでもないことを、ああだこうだと笑いながら話しながら、てくてくと歩いて帰る。他に知り合いの誰か学生とすれ違えば「ばいばーい」と手を振ったりもする。

ところが、下校の道中の半分も来ないあたりになったとき、ルームメイトが「ああ。みそさん。私、もうダメ。お願いじゃけん、私の傘の中に入って。私一人が傘に入って、みそさん一人が濡れとったら、なんか私が意地悪しようるみたいなけん、お願いじゃけん入って」と言いながら、傘半分で私の頭上の雨を遮る。

「そうなん? そういうことなら、仕方ないか。ありがと。わかった。入る」と、すでにかなり濡れそぼった状態だけれども、おとなしく傘に入れてもらって歩く。あたりまえだけど、傘に入ると、あんまりそんなに濡れなくて、なんだか少し快適だ。

雨に濡れながら、小さな声で歌いながら、帰って熱いお風呂に入るのは、愉しくて気持ちいいけれど、誰かと一緒の時ではなくて、一人の時にするほうがいいね、と、少し学んだ雨の日。     押し葉

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プロフィール

どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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