みそ文

双方が気持よくあるように

 なにかをしようとするときに、「こうしないように」「ああしないように」「こうでないように」と意識して行うよりも、「こうするように」「ああするように」「こうであるように」をイメージしながら行うほうがやりやすく、やる気を保ちやすいよね、という話は、以前もみそ文で書いたことがあるように思う。

 走りまわることが適切でないお店の中を走り回る小さな子どもに「走るな」と言ってもうまくできなくても「ゆっくり歩いて」と言えばそうできるみたいに。

 雪道で「転ばない」ように気をつけるよりも、転ばないためには具体的にどういう歩き方をすると転びにくいのか、足裏全体で雪面を捉えて、大地を踏みしめるように、左右の足にのる体重がまあまあ均等を保つかんじで歩くことを意識する方が、なにをどうしたらよいのかがイメージしやすい。

 何かをしないようにすることが、同時に何かをすることであり、そのするべき何かが瞬時にわかって実行できるような内容の場合には、情報共有上の省エネとして「なになにしないように」という短い言い回しを活用するのもありなのだろう。
 たとえば「風邪をひかないように」と言うとき、そこには「適切な手洗いうがいを励行する」「適切で十分な栄養と睡眠をとる」「喉鼻粘膜の保湿に努める」「全身の保温を行う」「身体清浄を保つ」など一連の情報が共有されているという前提があるのだろう。前提はなくても、とりあえず「あなたの健康を願っていますよ」の婉曲な慣用句として「風邪を引かないように」を用いる場合もあるだろうが。

 今回、いまさらながらに思いついたのは、「できるだけ迷惑をかけない」という言い回しを、否定形表現から肯定形表現に言い換え翻訳するとしたらなんと言うのだろう、ということ。
 「迷惑をかけたらいけん」「迷惑だけはかけないように」といった言い回しはよく見聞きするけれど、はてさて、ではそれは実際にはいったいどのように「する」ことなのだろうか。
 なにかをしないようにするよりも、なにかをするように思い描くことで、その実現化をより促進できるならば、それは、しめしめ、なのではないか。

 そうして、しばらく考えてみて、今のところ思いついた日日翻訳は「可能な限り、双方が気持ちよくあるように」。

 自分が「迷惑をかけないようにする」ときにその視線の先にあるのは、自分以外の誰か他人の思いであり、その他人が嫌な思いをしないように不愉快な気持ちを持たないように自分の在り方を加減する、といったかんじだろうか。相手が嫌がるなら自分にとって正当で適切な必要事項も制限し我慢したほうが「迷惑をかけない」目的を達成しやすいのかもしれない。

 けれど、人間、なにかをしようとするときに、自分にとってうれしくないことをイメージしながら考えながら行うよりも、自分にとって多少なりともうれしくておもしろい気持ちを抱いて取り組むほうが、動機も実働も保ちやすいのではないだろうか。

 だから、「できるだけ迷惑をかけないように」と思うことで、本来自分に提供して自分が味わうべき自分の人生の快適やよろこびや豊かさを回避するのではなくて、自分以外の他人も自分も「可能な限り、双方が気持よくあるように」と思うことで、相手の安寧と自分の安心や嬉しい気持ちの両方を得るための工夫を始めることができるとしたら。

 実際には折り合いや加減がいろいろあって、どちらかを立てればどちらかが立たずになることもあるだろうし、究極の選択をせざるを得ないこともあるだろうし、いつでもなんでもうまくいくわけではないだろうとは思う。
 けれど、それは「できるだけ迷惑をかけないように」気をつけた場合でもそうであり、どちらにしても人生はままならないものなのだ。
 
 どうせままならない人生の中にいるのであれば、せめて何かをしようとするときに、それはおもしろそうだなやってみたいな、それならしたいな、とたのしみになるような言い回しを意識したほうが、なんだろうなあ、自分の心身健康上望ましいことが多いのではないかな。

 人様に対して「できるだけ迷惑をかけないように」と意識するところに、たのしい気持ちやおもしろい思いやよろこびはどんな形で存在するのだろう。「迷惑をかけない」という言い回しには、どちらかというとやや萎縮気味に他人の顔色をうかがい自分の自尊心を後回しに蔑ろにすることもよしとするようなイメージを私は個人的に想起する傾向がある。

 だけど「可能な限り、双方が気持ちよくあるように」であるならば、そこでイメージするのは誰かの不愉快や不機嫌ではなくて、相手と自分の愉快と上機嫌になってくる。卑屈でもなく萎縮もしておらず、清々しく堂々と双方の好意と厚意を交換したいという正当で健全な思いが基盤になってくるような気がする。
 「可能な限り」ではあるから、常にある程度の限界のようなものがたとえ伴うのだとしても。

 どちらかに身をおいて生きていくことを選ぶのだとしたら、私に関してはできるだけ、自分や自分の大切な人やご縁に恵まれた人たちの気持ちよい感覚や表情を思い描きながら何かをすることを選びたい。
 誰かの不機嫌を「避ける」のではなくて、誰かとそして必ず自分も加えた双方が機嫌よく気持ちよくあることを「目指す」。

 実際に行うことの形は同じであるとしても、そこに込められる気持ちが、何かを避けようとしているもの、か、何かを目指そうとしているものか、によって、そのことが帯びるエネルギーになんらかの差が生じるようにも感じる。
 そしてそのエネルギーの差は、そこに関わる人々生き物のすこやかさや健康状態にも影響してくるのではないかなあ。

 可能な限り、双方が気持よくあるように、そう思うとなんだか少しわくわくしてくるのは私だけだろうか。

 そりゃあ、社会的対外的な社交技術として「この度はご迷惑をおかけしまして本当にすみません」「今後はこのようなご迷惑をおかけすることがないように」などという表現を用いることはあるだろうな、とは思う。社会的なスキルとしてそうするほうが円滑な現場ではきちんとそうしたいと思う。

 けれども、自分個人のこころの中で自分の在り方を創造していくときには、「双方が気持ちよくあるようにするにはどうしたらいいかな」と自分が「おもしろそうだな」「わくわくするな」と思いながら工夫を重ねて何かをするほうが、取り組みやすくて続けやすくて、結果的に「迷惑をかけない」ことの実現にもつながりやすいのではないかなあ。     押し葉

非日常への祈りと日常の中での覚悟

どこかでのたいへんななにかを知るたびに、誰かが大きく本意ではない境遇に身を置いていることを思うたびに、そのときそんなに言うほどにはたいへんというわけではないと思える自分は、不本意よりも本意が多い境遇にあると思える自分は、自分の手元のこの「日常」を守って回し続ける責任と責務があるのだと、いつも強くそう思う。思いもよらず過酷な境遇に遭遇した人たちが、よりすみやかに日常を回復し日常に戻ってゆけるように、彼らの日常とどこかで繋がっているはずの自分のこの日常を、いつも以上に丁寧に取り扱いながら紡いで生きてゆくのだと誓う。

自分が本意でない上にどうにも抗いようのない境遇にあるときには、自分以外の人たちがその人たちの日常を保ち続けてくれていることが、自分のそのときの境遇をなんとかやり過ごす勇気と、ふたたび自分を日常の中へと運んで連れてゆく気概を、支えてくれるものだから。

自分の日常を回しながらただ見守るしかすべのない立場において、自分の中に湧きあがる「歯がゆさ」や「もどかしさ」や「違和感のようななにか」などのさまざまな感情のエネルギーは、嘆くことを主体として用いるのではなくて、真に必要な力を生み出す別のエネルギーに転換してから意識する。嘆きが嘆きを呼ぶ導線の存在を知る者としては、自分の不用意な嘆きは極力控えなければならない。しかるべきときにしかるべきものがしかるべきところと人にきっとたしかに届くように、目に見えるものも見えないものも、直接のものも間接のものも、円滑に必要十分に運ばれ促される力の一助となるように。

渦中において、非日常の中において、あるいは一見日常に埋もれているようであってもそれが日常であってはならないものの中において、直接誰かの助けとなる目に見える実働を担い果たす立場にある人々とその働きに、おおいなる感謝を抱き、そして敬意を払う。どうぞお体とこころを強く丈夫に保ち整えてその任にあたってくださいますようにと頭を垂れて手を合わせる。

それでもこころがざわついて、胸の奥に冷たい痛みがある感触を否めなくて、かなしいようなくやしいような、脳や喉がぎゅうっと絞めつけられるような、ぬぐいきれないこころもとなさがいくつも感じられるとしても、だからこそ、自分は自分の日常を丁寧に回さなくてはならない、それが自分の任であり務めなのだと、それをまっとうすることこそが自分のなすべきことなのだと、強く深く決意する。

市場も経済も流通も、その他のあらゆる日常を、けっして放棄することなく、ないがしろにすることもなく、保ち続けてゆくことで、誰かやどこかにとって必要な要請に、必要なときに可能なかぎり十全に応える準備を重ねる。そして、渦中にある人々が安心してこの日常の輪に戻ってきてくださることを、入ってきてくださることを、ともに回してくださることを、祈り願い、こころをこめて、自分の日常をいとなむ。     押し葉

抱き合う関係

女性が男性と性交渉を持つことを「抱かれる」と表現する文化が、どうもあまり得意ではない。「抱かれる」女性の前に仁王立ちになり「抱かれるな。抱け」「抱けないなら、せめて抱き合え」と諭したくなってくる。いやいや、理屈や想像力では理解している。「抱かれる」と表現することに伴う抒情のような奥行きのような様々は。

それでも、なお、「彼に抱かれたい」と思うよりは、「彼と抱き合いたい」と思う、合意だけではなくそこに明確な自主性を認識する、そういう子に育ってほしいと願うのは、王様の仕事のひとつなのだろうな、きっと。     押し葉

長次郎さんと義務教育

昨夜放映の「龍馬伝」の中で、亀山社中内で会計経理的業務を担当していた長次郎さんが亡くなられた。彼の悲しみや徒労感や後悔や彼の人生に対する満足感やそういういろいろな思いは、現代の中でどう昇華されているのだろうか。

「わしは難しいことはようわからんきい、長次郎に任せるきい」という龍馬さんの言葉に従って、グラバーさんと長州藩の武器お買いもの係の人との間に立って交渉を成した長次郎さん。けれど、そのお買い上げ品目のひとつである船の所有者名義と使用可能者についての契約内容はなかったことにしろという指示が出る。

おそらく交渉の現場にいた長州藩のお買いもの係の人は、グラバーさんにぼったくられることなくお買い物ができたのは、ひとえに長次郎さんの商い能力のおかげだと痛感したのだろう。だからこそ、亀山社中が「交渉手数料」をとらないというのであれば、せめて、船の使用権を認めることで、払わない手数料と同等以上の利益を得てもらえたら、と思うほどに感謝した。だから、船の使用権を亀山社中にも認めることに同意した。船籍を薩摩藩にすることについても、そのほうが政治上安全な背景があるのではなかったのか。

長次郎さんはほんとうは、亀山社中の経済状況に関して、龍馬さんや他の仲間たちに会計報告を行って各種協力を得た上で各種業務を行えたら、もっと円滑で安心だったのかもしれない。けれど、あの社中の中で、算術が必要十分にできるのは、おそらく長次郎さんだけで、他の「武士」の人たちは、あの時点では会計に関する話についていけるレベルの算術は身についていなかったのかもしれなくて、だから、長次郎さんの会計報告を聴いて理解するだけの能力はなかったのかもしれない。わざわざ「勘定方」という役割を置く背景には、そういった教育事情や実情があったのかもしれないなあ。そしてまた長次郎さん自身も、算術は得意であっても、自分が代表として任されて行った業務に関する報告連絡相談の必要性は知らなかったということなのか。

「こんな仕事をしました」「これだけお金を使いました」「現在と今後の自分たちの生活と業務継続のためには少なくともこれだけのお金が必要です」龍馬さんと長次郎さんが長州に向かう道中で、そういう話をする時間がなかったわけではなくて、そういう話をすることを思いつかなかったということなのかなあ。せめて道中でそういうような話をして、「船籍は薩摩に、使用権は亀山社中にも、ということで話をつけてありますきい。長州藩の人の同意も得ちょりますきい」という報告が、長次郎さんからなされていたら、龍馬さんも「そうか。もしそのことに関して、桂さんや他の長州藩士の人たちからの反発があるときには、場合によっては、そこは曲げにゃあならんときがあるかもしれんが、そういうこともあるかもしれん、いう、心づもりは、わしらも一応しちょくぜよ」と、意志の確認と共有作業を行うことができたかもしれない。

「社中の生計を成り立たせるにはお金が必要なのだ」という、現代社会に生きる者にとっては、ごくあたりまえでまっとうとされていることを考えている長次郎さんと、「社中が私利私欲に走ったら信頼を失うがぜよ」という龍馬さん(そして社中の他のメンバー)との間に横たわる溝は、おそらくそう小さくはない。お買いもの交渉の席で決めた船籍と使用者に関する条項は破棄せよ、という指示も、「あんさん、ビジネスにおける、契約いうもんを、必要経費いうもんを、なんやと思うてはりますのん」と、誰か言える人はいないのか、と、登場人物を見渡してみても、誰もいない。いや、グラバーさんや、小曾根さんや、おけいさん、などの豪商の方々ならば、そのあたりのことはよくご存じかもしれないけれど、彼らには「武士」に商いの手ほどきをする義務も必要性もない。龍馬さんもこの時点では「ビジネス」や「契約」の概念のない人だし、交渉役を担当した商業能力の高い長次郎さんすらも、「ビジネス」や「契約」を概念として持ち、その有用性や重要性を言葉で説明するには至っていない(ドラマ上の設定として)。

何かを概念として獲得し、そのことについて具体的に考えたり工夫したり落ち着いて話し合ったり相談したりできるのは、そのために必要な訓練を重ねていればこそなのだろうなあ。少なくとも、自分たちの生活費について具体的に計算したり計画したりできるくらいの算術技術は身につけて、他人が会計報告をしてくれるときには、その話についていけるようにはしておこうよ、そういうことができる人たちがごく一部の「勘定専門職」の人ではないように、できるだけたくさんの殆どの人がそうできるように、学校でこれくらいの算術はできるようにしておこうよ、そうして築き上げられたのが、きっと公教育なのだ。

算術だけではなくて、連絡も大切だよね、ということで、学校教育の特に初期の段階には「連絡ノート」を用いて、連絡事項を確認することの重要性を学んで訓練を重ねる。学級会やホームルームという場所で、連絡の仕方、報告や相談の仕方、怒鳴り合うのではなくて静かに会議する方法の訓練を重ねる。もちろん各教科で身につけば身につくはずの、観察力や思考力や考察力や判断力や行動力の元となる各種の力と基本回線を個人個人の中に設置することも重要だ。

そして、現在、わたしたちの多くは、その恩恵に与っている。その気になれば、会計報告を聴いたり報告書を読んだりして、それなりに理解することは、できる世の中になっていると思う。ある程度の得手不得手はあるとしても、家計のやりくりも団体経費のやりくりも、特別な算術の訓練を受けた人でなければできないわけではない。会計士さんや税理士さん等の活躍が必要な場合は、もちろんあるのだけれども。

大勢の人の中には、勉強が嫌いな人もいるだろうし、その必要性がわからない人もいるだろう。でも、仲間の会計報告や各種業務連絡をきちんと聴くことができないために、聴くために必要な基礎力を養っていないがために、その会計や業務を特定の人に任せきり、でも、任せたからといって全てを任せるわけではなくて文句は言うし批判もする、というような行為の積み重ねの結果、その人の志気が低下して、途方もない脱力感とあきらめの気持ちで苦しくそして悲しくなり、その流れや様々な事情で、その人の命を失うような哀しいめに遭うくらいなら、嫌でも苦手でも面倒くさくても、基本的な勉強くらいはするほうがずっとマシなように感じる。知識と教養を身につけるということは、場合によっては必要以上の悲しみを回避する力や、必要十分なよろこびを相当相応に味わう力を、高める側面を持つのかもしれないなあ。

ドラマの中の長次郎さんのような無念が繰り返されなくて済むように、そしてその他の多くの人々の無念や果たしきれなかった志を昇華するべく、先人たちは時間をかけて、公教育というシステムを整備した。整備されてもその中には、常に問題や課題があるだろう。けれども、公教育の整備によって、繰り返されなくてすんでいる無念や、果たすことができている志が、多くあるのもたしかなはずだ。

公教育の中だけではなくて、世の中全般、世界全般、疑問や不安や不満をおぼえれば際限がないけれど、それと同じかそれ以上に、ほんとうは、よろこびも安心も安堵も際限なくおぼえられるはずだ。だから、現代のシステムやサービスの中で享受している恩恵を、常に強くよろこんだり感謝したりする。それでも成長や向上の糧としておぼえる不満や不安については、必要に応じて適切に表出するけれど、常にその量と同等以上の満足と安心を表出する気概を持ちたい。


ところで、話は少し長次郎さんから離れるけれど、「龍馬伝」をこれまで見てきて、幕末歴史に関して、気になって気になってしかたがないことがある。

以前、海軍総連所が運営されていた頃に、その運営資金を、越前の松平春嶽さんに出資してもらうため、勝海舟さんからの特命により、龍馬さんが越前へと赴いたことがあった。あのとき、たしか、龍馬さんは、お金には「生き金」と「死に金」とがあって、春嶽さんに出資してもらうお金は、必ず「生き金」にしてみせますきに、と豪語して説得したように記憶している。

ドラマ用に作られた台詞とはいえ、松平春嶽さんから出資してもらったのが史実であるとするならば、という前提での気がかりなのだけれども、その後、海軍総連所は閉鎖となり、戻るところがある者は戻り、戻るところがない者たちは、亀山社中でカステラを焼いたり、薩長同盟のコーディネイトをしたり、している。それはそれでいいのだけれど、あのとき、松平春嶽さんに出資してもらったお金は、「生き金」になったと言えるのだろうか、というのがまず一点目の気がかり。

そしてもうひとつの気がかりは、あの出資金はきちんと返済されたのだろうか、あれは「借りた」お金ではなくて、「もらった」お金だったのだろうか、だとしたら返さなくても何の問題もないということなのだろうか、という疑問が二点目。

私が貸したお金ではないのだから、私が気にする筋合いは別段まったくないのだけれど、気になるものは気になるのである。松平春嶽さんは、おそらく視野の大きな方で、海軍総連所そのものが華々しく活躍せずとも、そこに関わった人物たちがのちに大きく活躍したことをもって、「生き金」となったと捉えて逝かれたのかもしれない。いや、私が知っていないだけで、実は、その後、勝海舟さんからきちんと返済されたのかもしれないし、返済はされなくても返済に相当する何かを得たのかもしれないし、私がそんなに心配しなくても誰も困りはしないのだけど、気になるものは気になるのだ。

もしかすると、私が知らないだけで、龍馬さんは、その後、亀山社中や海援隊で稼いだお金を持参して返金して、松平春嶽さんに「あのときはたいそうお世話になりました」と挨拶済みなのかもしれない。その話は、今後残り数か月の放映予定の脚本には書き込み済みなのかもしれない。

けれど、なんとなく、大きな仕組みを大きく変えるような仕事にかかわる「さだめ」や「天命」のような下にある人というのは、借りたお金は返したほうがいいのではないか、返すべきなのではないか、など、そういうある種の「瑣末なこと」は超越して気にしないところが必要なのかもしれない、のか、な、そうなのか、な、そうかなあ、と思ってみたり。

大きな仕組みが大きく変わる。そう、パラダイムがシフトする「とき」に立ち会った人たちの話が、私はきっと好きなのだ。だから、幕末の、いろんな立場のいろんな正義の中で生きた人々の物語に魅かれるのかも。「龍馬伝」も「篤姫」も「新撰組」も「徳川慶喜」も。これらの大河ドラマDVDドリル(繰り返し視聴)を、老後の楽しみのひとつとして、そろそろ、始められるところからでも始めれば、わたしがこの世を終えるまでには、十分に、あるいは十分の八割か六割くらいは、満喫することができるだろうか。DVD購入のために投資するその「上等な金額」は、私の人生において、「生き金」となるだろうか。     押し葉

たいへん合戦開催地

誰かが「自分はこんなにたいへんだ」という意味の話をするときには、ただ話を聞いて共感してできればついでに少しねぎらってくれたら気持ちの発露が完了するからそれに協力してほしいのだ、という場合がおそらく多い。けれども、本人の表層的には発露だけのつもりでいても、実は、潜在的な心身の力としては適切な知恵や工夫や行動で問題を解決してゆく方向での対応を求めていることもある。

そこを絶妙に見極めて(感知して)、自分の立場をわきまえた範囲内において、都度都度対応することが、自分の仕事であり役割であることを、わたしは知っている。だから、できるときにはそうして、できないときにはできるようになるつもりでこつこつと練習と精進を重ね、その精進と練習に必要な体力気力を毎日気長に根気よく整える。

誰かが「自分はこんなにたいへんなのだ」という意味の話をしたときに、もっとも適切でない対応は、「そんなこというなら自分だってこんなことがもっとこんなにたいへんだ」というような、「たいへん合戦」を始めることだろう。そこでいきなり勝負に挑んでどうするのだ。

いや、しかし、もしかすると、私が気づいていないだけで、「自分はこんなにたいへんなのだ」と言い募っている人たちの何割かや、あるいはその人のこころのうちの何割かでは、実は、「ヘイ、カモーン、ベイビー、たいへん合戦しようぜ。ゲームを楽しもうぜ」と積極的に誘ってきているのだろうか。闘争心を満たしたくて、勝負欲を満足させてやるために、たいへん合戦開催のゴングを鳴らしてゲームの開催をしたくて、自分のたいへんさを表出している場合が実はあるのだろうか。だとしても、おつきあいはできないけれど、それならそれで対応の仕方は多少変わってくるかもしれない。具体的にどんな対応かというと、たいへん合戦の戦闘能力に恵まれた人材を紹介するなど、だろうか。だとしたら、人材を見極める眼を、私は今以上に意識して養わねばならない。たいへん合戦を得意としたり、たいへん合戦に向いている、血気盛んなタイプの人とのおつきあいは制限してきたおかげで、自分の知り合いの中にすぐにそういう人材を見出せない。しかし、必要とあらば、発掘することは可能であろう。ただし、それが、本当に必要かどうかを、まずは自分によく問うてみたい。     押し葉

だれにもまけない

「なにかひとつだけでいいから、これだけは誰にも負けない、というものを見つけなさい」。どこで誰が言った言葉なのか、全然思い出せないけれど、子どもの頃に、この言葉を聞いた私が感じたことはよく憶えている。『誰にも負けない、って、この地球上の三十八億人(当時地球人口は三十八億人だったのだ)全員と、競い合うのも、その頂点に立つのも、そんなの無理だし、面倒くさいし、いやだよ』。

「誰にも負けない」というのは、そういう意味ではなかったのだな、ということが、今ならばたぶんわかる。「誰にも負けない」というのは、他人と競い合った結果、というよりは、自分自身の鍛錬や修練の結果、自分自身がある程度、じっくりとその何かを行うことも味わうことも可能なレベルに達した状態をいうのだ。

「これだけは」というときの「これ」とは、何かが上手にできることや、何かの役に立つことや、広く知られることや、何らかの形で褒め称えられることをいうのでもなかったのだな、と、今ならば理解できる。だけど、小さかったあの頃は、上手にできて、役に立って、他人から認められて、高得点や好成績を修めることこそが、「誰にも負けない」といえる条件であるかのように思っていた。もちろんそれも、そうであってもよいのだけれど、それだけが目指すところではないことを、今の私は知っている。

だから、私にっての、「これだけは誰にも負けない」ことは、今では、けっこうたくさんある。「これだけ」限定ではなく、たぶん「あれも」「これも」「それも」、私は誰にも負けなあ、と思うことがいろいろある。つまり、ある程度の鍛錬や修練を積んだのかもしれない結果、そうしたくてそうしようと思うときにはそうできて、そうすることにもそうしたことにも喜びに似た感覚を抱く。

けれど、そのことは、私の場合においては、他人と比べるようなことではないから、競い合う方法もなければ、評定する基準もない。他の人よりも自分が、勝っているのか負けているのかは、まったく知りようがない。それでも、こういうことが、「誰にも負けない」ということなのだな、と、思う存分腑に落ちる。

私にとって、「これは」と思っていることのひとつは、「庭を眺めて、じいいん、とすること」。きれいに丁寧に手入れされた庭を目の前にしたときには、ほぼ必ず迷うことなく、しばしその場に身を置いて、庭の姿に目を見張る。自分が手入れをしたわけでもなく、手間や時間をかけたわけでもない。私の知らないところで、私以外の誰かが、極上の技術と上質の冷静さと熱意で整えたのであろう結果を、全身全霊で感じる。

庭の姿の美しさと、そこに在る風と空気の静謐さを、全身全霊で感じる私の、じいいん、とした感動は、きっと誰にも負けない。そのときの、その季節の、その時間帯の、その庭に接しているのは、この星の上に生きる人間の数を思えば、ごくわずかな人数のみだ。同じときにその庭を眺める私以外の人たちの、こころの振動の様子と、比べあうことや競い合うことは、できないししないけれど、それでも私は間違いなく、誰にも負けていない。     押し葉

なにものでもなく

自分が好きなこと、自分がせずにはいられないこと、何かに突き動かされるようにそうしてしまうこと、などが、私には何かあるだろうか。ないから残念、というわけでも、ある人がうらやましい、というわけでも、自分にもあったらいいな、というわけでもないのだけれど。どちらかというと、私は、折々に、私には、そういうものが特別見つかっていなくて、よかったなあ、と思うのだ。

そうせずにはいられないものが、たまたま、個人的にも家庭的にも社会的にも受け容れられやすい種類のものであれば、問題なく平穏に過ごしやすいのだろうけれど、必要以上に手を洗わずにはいられなかったり、自分の髪の毛を抜かずにはいられなかったりする「強迫性障害」的な表れ方をしたときには、それはそれで本人も周りもいろいろとつらいものがあり、その治療にも折り合いにも手間や時間が多く必要だ。あるいは、自分の中から、止めようのない犯罪傾向が突き上げてくるとしたら、ただの「残念」や「途方に暮れる」ではすませることなどできないほどの断続的な絶望と無縁でいられる自信がない。自分の中から突き上げてくる何かが、常に自分にとっても周りにとっても望ましいものばかりであるとは限らないことや、その内容が選び放題なわけではないことを思うと、「突き動かされるもの」という大雑把な分類のものを、自主的に召喚するような願いを発動することには、慎重にならざるを得ない。

木々や葉緑の佇まいに、空と稜線の境に、ふと、こころ奪われてしまうとき、乾いた空気と風がさあっと身を清めてくれるとき、しっとりとした雨音に全身がそばだつとき、もしも自分が絵を描く人だったら、こんなときも脳内では絵筆が自動で動くのだろうか、詩を詠む人ならば、歌を詠う人ならば、ことばが体を駆け巡るのであろうか、音楽を奏でる人であれば、そこには常に音とメロディがセットになっているのだろうか、などと、知らない世界を想像する。けれど、私は、ほぼいつでも、どんなときにおいても、なにものでもない。だから、その場に、その空間に、その時に、身を任せ、こころを委ね、そこにある様々なものを浴び、そこに存在する自分を感じる。いつでも、ただそれだけのことに、専念できるのだ。

私は常になにものでもなく、別段何も突き上げてはこず、穏やかに和やかに、ときには激情の波風とともに、ひたすらに自分と周りのあらゆる存在を味わう。エネルギーの流れる様や、それらが繋がり離れては、また別のところで繋がる様を、飽きることなく堪能する。そうするとき、そうなるとき、私はいつも、自分には何も特筆すべき各種才能が備わっていないことに、完全なよろこびと安堵と悦楽を、そして、もしかすると若干の優越を、覚える。

なににも突き動かされることなく、中途半端であることも、存分に集中することも、ある程度以上、自分で制御できる状況や境遇に、うっとりと酔いしれる。そして、なにかに突き動かされるようになにごとかを成す人々の、その躍動するエネルギーを、眺めたり浴びたりしては、その濃厚さにしびれる。私は、自分自身が躍動することや濃厚であることよりも、そこにいること、そこに在ることを、よろこぶことを担当する「なにものでもないもの」なのだろう。その「なにものでもないもの」として、その役割をまっとうする気概はいつだって十二分だ。     押し葉

よそはよそ、うちはうち

「みんながいうもん」と主張する小さな妹に対して、私も弟も、「みんな、じゃない」と言っていたのは、父と母からたびたび、「よそはよそ、うちはうち」という教育を仕込まれていた影響が大きいのかもしれないと、昨夜から考え続けている。

何かをしてはいけないとき、あるいは、何かをしたほうがよいとき、両親は、殆どの場合、「みんなしてないことなんだから」とも、「みんなそうしているのだから」とも、言わなかったように記憶している。そのときに説明可能な理由であれば、どうしてそれをしてはならないのか、なぜそれをしたほうがよいのか、子どもにもわかるような理屈で説明してくれていたし、説明が難しいことであれば、「大きくなって自分で考えてわかるようになるまでは言うとおりにしておきなさい」と言われていたように思う。

その教えは、子どもごころにも、まっとうに思えたし、他人や他家と比較して不満や不安を感じない生活習慣は、慣れれば実に快適で、私や弟や妹の基本思考として、十分に定着した。そして大きくなった現在でも、その習慣や思考は、やはり私たちきょうだいの、基本の一部のままであるような気がしている。

「よそはよそ、うちはうち」の教育が定着した子どもたちにとっては、他人や他家と比較して不満や不安も感じないことは既に自然なことだった。けれど同時に、「よそはよそ、うちはうち」だから、自分や自分ちが他人や他家より何かが恵まれているとしても、そのことにひどく安心もしなければ、大袈裟に喜びもしないことも、それなりに自然だった。特に私は、三人きょうだいの中で、一番長く、親からの教育を受けてきた身であればこそ、その教育は深く行き届いていたし、一度こうだと思い込んだことはなかなか変更の融通が利きにくい傾向も手伝って、「よそはよそ、うちはうち」教の教祖になれそうなくらいに、その点は徹底していた。

けれど、両親にとっては、たまに親として少し奮発して、上等なものや珍しいものを、食卓や家庭や各子どもに供したならば、子どもたちには、もっと派手に、にぎやかに、喜びを表現してほしかったのだろうなあ、と、今ならば想像できる。だけどあまりにも、「よそはよそ、うちはうち」の教育が行き届いていたため、子どもとしては、嬉しいなあとじんわりと喜んだり、ありがたいなあと地味に感謝はしても、よその誰かやどこかに比べて、いい思いをしているのだからと、優越感や大きな喜びを持つことも、その喜びと感謝を大きく表現することも、あんまり思いつかなくなっていた。それが普通だと思っているわけではないけれど、ことさらに恵まれていることに気づくには、やはりある程度の比較観察も、その研究を伴った成長も、必要なのだろうと思う。その比較観察さえ日常から手放した姿は、それはそれで、「よそはよそ、うちはうち」教の信者としては、かなり敬虔で信仰深いと言えるだろうし、両親の教育も大成功の部類と言えるだろう。

そんな子どもたちを見て、父が、なんとなく残念そうに、あるいは、やるかたなさそうに、「よその家では、こんなふうな贅沢は、そんなにできることじゃないんで。おまえらは、もっと、ありがたいと思わんにゃあいけんじゃろう」と言うことが、ときどき、あった。そのたびに、私は、父の言葉の真意を測りかね、内心やや混乱していた。「よそはよそ」で「うちはうち」ならば、こんなふうな贅沢も、「うちはうち」で「よそはよそ」だろうと、子どもとしては思うのだ。

そもそも、それが「贅沢」なのかどうかさえ、人生経験の浅い子どもには、たいしてわかりはしないのだ。自分のおかれた境遇が、「贅沢」に類するものなのか、「恵まれた境遇」のひとつなのか、判断できるようになるには、ある程度以上大人になることと、ある程度は「よそ」と「うち」を常時比較することが、たぶん、おそらく、必要だ。家庭と学校とほんの少しのその他だけが、殆ど全ての世界の中の小さな人間にとっては、目の前にある現実が、常に、ある種の標準で、比較を手放せば手放すほど、その標準はさらに標準度を増す。

我が家ではいつだって、「よそはよそ、うちはうち」のはずなのに、なにゆえ、たまに、こういうことに関しては、よそと比べろと言うのだろう、よそと比べてその豊かさを喜んだりありがたがったりするべきだと言うのだろうか、と、私は本気で不思議に思った。ありがたいし嬉しいけれど、そのありがたさやうれしさを、「よそと比べて」高位にあるか低位にあるかを判断したりすることは、「よそはよそ、うちはうち」教の教義においては、ありえないことだったのだ。

それでも、大人になった今ならば、なんとなく、私もわかる。おそらく、あの頃の父、今の私よりももっと若かった父にとっては、父として、たくさん働いていることや、稼いだものを家族に還元することに関して、もっと、なんというのだろうか、家族から、賞賛に類するエネルギーのようなものを浴びる必要があったのだろうと思う。子どもであっても、大人であっても、自分に関する肯定感は、どんなときにも必要なもので、それは自分の在り方によっても、自分以外の誰かの言動によっても、補強されたり、削がれたりする。私たちきょうだいが、もっと派手に興奮して、「うわあ、とうちゃん、やったー、ありがとう!」と声高に喜べば、当時の父の中の何かは、もしかすると、もう少し豊かに、満たされたのかもしれない。

子どもを育てるということは、なんと、加減の難しいことだろうか、と、このことを思い出すたびに、一人で勝手に考え込む。「よそはよそ、うちはうち」でありつつも、うれしいことやありがたいことに、十分以上の喜びや感謝を「表現する」力を養うには、どんなふうにしたらいいのだろう。他人や他家と比べて、卑屈になることも不満をつのらせることもなく、傲慢になることも優越感に溺れることもない、絶妙に健全な加減で。自分や自分の周りの人に対する肯定感を自然に、かつ、十分以上に表現するには、どんなふうな教育を、自分にも子々孫々にも、心がけたらよいのだろう。

当時のことを思い返して、不遜にも、なんとなく私が思うのは、私たち子どもの喜び具合や興奮がそれほど派手でなかったのは、私の両親の私たちきょうだいに対する肯定の「表現」も、それほど派手でもなく、興奮も伴っていなかったことが関係しているのではないのだろうか、ということだ。両親ともに、私たちきょうだいに関しては、常に肯定的ではあったけれど、賞賛的だったかというと、それほどそういうわけではなかったような気がするのだ。いや、賞賛は十分にしてくれたのかもしれないけれど、それが賞賛であることに、受け手(私)が気づかないほどに、表現がフラットでナチュラルで、事実の伝達か何かのように感じていたような気もする。

ああ、それでなのか、と、気がついたことがある。私が誰かに何かを言ったり伝えたりしたときに、その人が「褒めてくれてありがとう」という種類の反応を表してくれると、私は、「いやいや、私は、別に褒めたつもりではなくて、そうである事実と感想を述べただけ」だと、思ったり言ったりするのは、そういう生育環境と感受性の個人的事情が関係しているのかもしれない。

「褒める」ということは、相手や相手の関係者に関する肯定的な事実内容を、「相手が喜ぶように」と少し意識して表現することらしいことに、最近私は気がついた。「賞賛」も、もしかすると、ただの「肯定大会」ではなく、その賞賛の受け手が喜ぶように意識して表現してこそ「賞賛」となるのだとしたら、私は少し意識改革を行わなくてはならない。

ところで、子どもに対しても、親に対しても、その他家族に対しても、自分に対しても、大切な他人に対しても、「賞賛する」ことを習慣化したいと思うときには、どうすればいいのだろう。私が受けた「よそはよそ、うちはうち」の教育と同等かそれ以上に、繰り返し繰り返し、家庭内でも自分ひとりでも、「賞賛」の実践を行うことは、とりあえず必須だろう。ラテン的な熱さもなく、感情表現地味めの文化で暮らす私たちにとっては、自分も含めて誰かの喜びを意図して狙った表現を行うことには、少々力を要することもあるだろうし、多少困難も伴うのだろうけれど。そうであるとしてもなお。

「よそはよそ、うちはうち」を、ちょうどよく、そして、より高度に、実践しつつ、自分に関しても、家族に関しても、友人知人に関しても、常時自然に、喜びと感謝を十分以上に表現し、賞賛を行う文化に至り、その文化に天下を取らせる(一定以上の多数の人が、その文化を受け容れて実践する)ことは、私にとっては、望みでもあると同時に、きっと必要なことなのだ。だから、今からでも、そうする。できる範囲で、気づく範囲で、縁(えにし)に恵まれた範囲で。     押し葉

繋がる願いと役割と

大河ドラマ「龍馬伝」を見ていたら、龍馬さんが「黒船を造ったら、自分の家族皆を乗せて、世界旅行に出かけたいのだ」という意味のことを家族に語り、彼の家族の人たちが皆、「それはいいね。たのしみだね。行ってみたいね」という主旨の反応をしていた。

これがどうも、私の泣きのツボに、ずっぽし、と、はまったらしく、涙腺から大量の涙が噴き出す。ドライアイの治療をしたくなったときには、このドラマのこの回のこの場面を見れば大丈夫だ、と思うくらいに大量に。

ドラマの中のことだから、当時の実際の人たちが、龍馬さんとご家族が、異国への旅を夢見たかどうか、今となってはわからない。けれど、現代に生きる私たちは、そうしようと思うならば、家族揃って異国への旅を実現することは、ある程度以上に可能だ。旅の同行者の組み合わせも、家族だったり、親戚だったり、友達だったり、いろいろ選ぶこともできる。旅の計画を前にして、「どうしよう」「こうしようか」と話し合うことも、旅行当日をわくわくと待ちわびつつ、荷造りや準備をすることも、旅先で目にするもの口にするものに感嘆しあい、笑い合うことも、できる。そんなひとときひとときが、当時の彼らの思いの多くを、叶えて実現化したものであることを、今宵、突如、唐突に思い知る。今までだって、それなりに、そういういろんなできごとを、いつだって、ありがたいなあ、と、思い感謝していたけれど、連綿と続く人類の中では、いつも、誰かが、いつかの誰かの、思いを叶えていることを、思いを満たしていることを、強く噛み締めて、安堵する。そして、人類と人生に、安心と信頼を覚える。私が生きている間には、自分の願いが叶った形を、この体と、このこころで、感じることはできないことも、きっと少なくないだろう。けれども、おそらく必ず、私ではない、いつかの誰かが、叶った思いを体感し、その喜びを十分に味わってくれるはず。実現化したものが十二分に行き渡り、もはや、体感も味わいも喜びも、彼らの意識から外れ去ってしまうほどに、願いは叶うのだ。だから、私はいつでも、憂うことなく、ひたすらに、生きてゆけばよいのだ。

何かを唐突に、思い知ったり思い至ったりしたときには、こころが大きく振動する。場合によっては涙も出る。今夜の私をこういう思いに至らせたという、それだけでもう、大河ドラマ「龍馬伝」に関わった全ての人たちは、この世における大役を果たしたことになると思う。私も、自分で気づくところでも、自分で気づかないところでも、この世における自分の役割を、ちゃんと果たして生きて死んでゆけますように。     押し葉

先の見えない安心

 十代の後半や二十代前半のあの頃、体も心も若くて、ぴちぴち、というよりは、何かをもてあますほどに、たぶん、体も頭も、すべてが、むちむち、としていて、そのもてあます何かを、消費して吐き出すかのように、ああ、そうだ、小さな子どもが意味もなく、走り回ってひたすらにエネルギー放出するみたいに、あの頃の私達は、しょっちゅうどこかに集まっては、夜遅くまで、食べたり飲んだり、喋ったり笑ったり、何かで落ち込んでみたり、びーびーと泣いてみたり、誰かの誕生日が近いといっては、手料理を持ち寄って、誕生日パーティーを行い、誰かの誕生日だといっては、また料理を持ち寄って、再びお祝いパーティーを開き、何もなければ、ただそれぞれが住む部屋に互いに遊びに訪れて、食べて飲んで、喋って笑って、そして眠くなったなら、昏々と眠リ続けて、英気を養い、目を覚まし、また食べて飲んで、喋って笑う。

 あの頃の私達は、あの頃の出来事とそれに伴う感情で、殆どの時間手一杯で、二十数年後の今のことも、その前のことも後のことも、何ひとつ知ることなく、何ひとつ怯えることなく、それでも多少はいろいろと想像して、それなりに覚悟する部分があったとしても、それはあくまでも、たくさんある可能性をただ、あんなこともあるかもしれない、こんなこともあるかもしれない、と、たぶんそれなりになんとなく、いろいろ思っていただけで、むしろ期待を抱いて、楽しみにしていたはずで、具体的に、こんなふうに、現実を生きてゆくことを、嗚咽こみ上げる思いを抱えてそれでも日常を生きることを、抱えきれるとは思えない悲しみや苦しみをそれでも抱えるしかないことを、そのことにただひたすらに呆然とすることを、ままならぬことに遭遇して脳を絞り続けることを、それでも呼吸を整えて、お腹に力を蓄えて、日常を整えて、日々を味わい、丁寧に生きてゆくことを、あの頃の私達は、そんなことは、いつだって、何ひとつ知ることなく、何ひとつ怯えることなく、おそらくかなりほとんどの時間を、心の底から安心して、日々を重ねていたようにおもう。
 そうやって、心底安心した上で、食べたり飲んだり、喋ったり笑ったりを、飽くことなく、繰り返し、重ねていたようにおもう。

 あの頃の私達が、未来にある悲しみや苦しみを、何ひとつ知ることなく、何ひとつ怯えることなく、安心して生きていた、そのことをただひたすらに、いとおしく、ありがたく、腕の中に引き寄せて、柔らかく、力強く、抱きしめる。
 あの頃の、そしていくつもの、安心を重ねた時間があるから、あの頃の、そしていくつもの、思い出の蓄積があるから、おぼえることなく忘れ去った数多くの出来事の蓄積があるから、その後の、現在(いま)の、これからの、あらゆることを、いろんなことを、それがたとえつらくても、それがたとえ苦しくても、それがたとえ悲しくても、それでも丁寧に向き合って、ひとつひとつ感じて、思って、考えて、選んで、動いて、したいことと、するべきことを、重ねて、歩んでゆける。

 あの頃の私達に、「先(未来)」のことは、いつだって、何ひとつ、見えていなかったけれども、そしてそれは、今だって、いつだって、見えることはないけれど、きっとあの頃の私達は、「先(未来)が見えない」からこそ、いつも心底安心して、あんなふうに、泣いたり笑ったりすることができたのだ。

 「不安」というものは、先が見えても、見えなくても、生じる時には生じるし、感じるときには感じるもので、その不安の真の理由が、まだ明確に、つまびらかになっていないとき、まだ明確に、つまびらかにしようとしていないとき、まだ具体的な対策にとりかかってはいないとき、具体的な対策のための力を蓄えている時、一時的に、便宜的に、とりあえず、今手元に既にある「不安」の「原因理由」として「先が見えない」ということを、目の前にあげてみて、それが理由だと、だから不安なのだと、そんな気分になっておく、あるいは、「こんなに大丈夫な未来がたしかにここにありますよ」と、誰かに、何かに、保証して、保障して、補償してほしい気持ちが、「先の見えない不安」という表現を紡ぎ出す、そういうものなのかもしれない。

 でもほんとうは、いつだって、「先」は「見えない」からこそ、安心していられるのだ。安心だとか、不安だとか、そういうことを意識しないくらいに、心の底から安心して、食べて飲んで、喋って笑って、あの頃の私達が、いつもそうしていたことに、ずっとそうできていたことに、迷わずそうしてくれていたことに、泣き出しそうないとおしさと、息が止まりそうなありがたさが、とめどなく溢れ続ける。
 だから今も、これからも、「先の見えない」そのことに、安心して、感謝して、いつか必ずおとずれる、自らの死のときを、しかと迎えるそのときまでを、丁寧に、丁寧に、食べて飲んで、喋って笑って、生きてゆく。決意。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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