みそ文

まごころを繰り返す

 自分としてはどちらかというとわりと日常的な繰り返しの話法で特段の変哲もない薬の説明だったのに、中学生の女の子と一緒に来ていたおかあさんが「わぁ、すごくわかりやすく説明してくださってありがとうございます。今の説明なら中学生のこの子でも自分の薬のことがよくわかります。(娘にむかって)な?」とおっしゃり女の子が「うん!」と大きく頷いてくれて、ああ、こんなふうにひとの仕事を肯定的に捉えてとっさにその場で感謝の言葉を述べることができるのはなんと聡いことであろうかとじんわりと感心する。そしてそんな母の柔軟で俊敏な対人対話の姿勢と術を見て育つこの女の子はきっと自分のまごころも他人のまごころも丁寧に取り扱うことができるひとに育っている最中なのであろうとまぶしいような気持ちがあたたかくなるようなそんな思いを懐きつつ「ありがとうございます」と伝える。

 日常的な繰り返しのなかでも自分の仕事と暮らしにできるだけ常にまごころを忍び込ませつつ生きてゆけますことを。     押し葉

結婚式のお菓子

 先週の日曜日に職場の同僚が結婚式を挙げた。彼女は今年21歳の医療事務で医療事務の専門学校在学中に実務研修という形で私達の職場に来た。そして卒業後そのまま入社。結婚相手の方は4年おつきあいしてきたひとだというから学生時代もしかすると高校生だった頃からの恋人なのかもしれない。

 彼女の結婚式に列席した薬局長が祝日あけの火曜日に「引き出物でいっぱいもらったからおすそ分け」と小さな個包装のおまんじゅうとスイートポテトを職場で配ってくれた。火曜日の夕方閉店後に翌日配達用の薬を調剤する前の血糖値補給に私がいただいたおまんじゅうは皮がしっとりもっちりとしていて餡までもちもちとした上品な味と食感のそれはおいしいおまんじゅうだった。

 このおまんじゅうは医療事務さん本人の好きなおまんじゅうなのかしら、それとも結婚相手の方の好みなのかな、あるいはどちらかの親御さんのセンスだろうか、まだ20歳そこそこなのにこんなふうに品物をえらんで用意して挙式できるなんてえらいねえ、と感心する。彼女がまだ20歳ちょっとということは親御さんだって私とそう年のちがわない同年代かちょっと年上くらいの方たちだろうにこういう品をセンスよくきちんと選んで我が子の挙式にあたれるなんてえらいなあ、とも思う。しかし彼女が20歳すぎということは彼女のおじいちゃんおばあちゃんもまだまだお若いはずで、ということは結婚式における各種作法についても求められればいくらでも口を出して指南してやれる立場でおられるのかもしれない。

 私がおまんじゅうをいただいたときに一緒にシフトに入っていた別の医療事務さんはスイートポテトをもらった。というよりはスイートポテトとおまんじゅう1個ずつを「ふたりで好きなのを選んで分けて」ともらったときにその医療事務さんが「どうぞ先に選んでください」と言うから「いつも私がチョコやチーズが食べられないからって洋菓子は優先的に選ばせてくださるので和菓子のときはどうぞお先に選んでください、これは私どっちでもいけます」と言うと「いやいや、お願いですから先に選んでください、私選ぶの苦手なんです、どっちにしようか迷い過ぎて疲れ果ててしまうんです、私はどっちも好きで食べられるものなのでどっちでもうれしいから、先に選んでー」と言われて、じゃあお言葉に甘えますと言いどっちにしようかなとちょっとだけ迷ったあと「ではこちらをください」とおまんじゅうをいただいた。

 私におまんじゅうを選ばせてくれた医療事務さんが翌日「昨日もらったスイートポテトめっちゃおいしかったんですよう」と仕事からの帰り道で話す。「わあ、そうなんですか、よかったですね、私がいただいたおまんじゅうもたいそうおいしかったです」と言うともうひとりの別の医療事務さんが「私がいただいたのもおまんじゅうでした、たしかにあれはおいしかった」と続ける。スイートポテトを食べた医療事務さんは「昨日仕事が終わって家に帰る前にお腹が空いて我慢できなくなって制服のポケットに入れてたスイートポテトを取り出して車の中で食べたんですね、うわなにこれおいしいスイートポテトー、とすっごく満足して、昨日はドラッグストアとかいろいろ寄って買い物しないといけない用事があったけどおいしいスイートポテトのおかげでちゃきちゃきと用事を済ませてうちに帰って手を洗うときに洗面台の鏡をふと見たら口の周りにスイートポテトのかけらがポロポロパホパホいっぱいついてて口の周りぐるっと泥棒の髭みたいについてて明らかに『あなた何か食べてきましたね』状態で、ドラッグストアでもスーパーでもレジのひとも誰もなんにも言わなかったけどきっと対面している間『うわ、このひと口の周りになんかいっぱいつけてる』って思っただろうなあと思ってひとりでうわーーーってなって」と言う。
 それを聞いた私達は口々に「うわーっ、それはー」とおののき、薬局長は「いったいどんな食べ方したらそうなるの? それ、さいあくやん」と言い、おまんじゅうをもらった医療事務さんは「ドラッグストアのひととか、ぜったい気づいてますよね」と言い、私は「お店のひと、教えてあげようか黙っとこうかどうしようどうしようと思いながら黙ってることにしたんでしょうねえ」と言う。
 スイートポテトの医療事務さんは「昼間なら車を出る前にささっと鏡を見て確認するのに、夜は暗くて見えないからってそのままにしたのがまずかった、見えなくても念のためにせめて口元を手で払うかティッシュで拭いておいたらよかった」と反省する。

 結婚した医療事務さんは医療事務や調剤助手としての仕事はとてもよくでき患者さんが少々なにかイレギュラーなことを言ってきても落ち着いて対処できて皆彼女ことを頼もしく思っているのだけれど、入社間もない頃は薬局業務そのものではない業務たとえば環境を快適に保つために灯油ファンヒーターに灯油を補給するであるとか洗い場のシンクの下水管に漂白剤を入れてしばらくつけ置きしそれを流したあとでシンクと排水口を掃除するなどの作業をお願いしたときに彼女は「はい」とすぐに取り組んでくれるのだけどファンヒーター内蔵の灯油タンクを取り出して持っていくのではなく灯油置き場の灯油がなみなみと入っているポリタンクを「お、重い…」と言いながら運んできてファンヒーターの横で給油しようとするなど『ああ、そうか、おうちではおとながやってくれるからこういう作業をすることがなかったのね、学校でも習わないよね、こういう作業をするのは今回が生まれて初めてなのね』と思うことがありその都度誰かが「これはこうやってするんやよ」と教えると「ああ、そうか、そうなんですね」と素直に瞬時にやり方をおぼえて今ではなんでもこなしてくれるようになりいつでも安心して任せられるようになった。
 そういう出来事があるたびに彼女よりも少し年下の子を持つ親である同僚は「そうやんなあ、考えてみたらうちの子もまだ自分で灯油入れたことないしシンクや排水管の掃除もさせたことないわ、今のうちからやらせといたほうがいいんやねえ」と言い彼女よりも少し年上の子を持つ親である同僚は「そういえばたぶんうちの子にもそういう仕事をさせたことがないままだったけどうちの子は会社に入ってそういうのちゃんとできたんやろうか、会社で教えてもらったときにこんなふうに素直に習えてたらいいけどどうだったんだろう」と言い、私にもしも子がいれば彼女と同じくらいの年の子がいてもおかしくないと思うとその子を彼女のように働き者で仕事が早く気が利く素直な子に育てることができただろうかと思い、皆がそれぞれにその医療事務さんのことは我が娘ではないけれどなんとなく娘を思うような気持ちで見守ってきたこともあり、そんな各自の感慨と慈しみの気持ちをこめて彼女の結婚を寿ぐのであった。     押し葉

思い出し笑いのままでいたかった

 二十代半ばの頃、私は広島の調剤薬局に勤務していた。当時の勤務先では年末になると会社の忘年会がありその食事会は普段は別々の店舗に勤務するスタッフが一堂に会する数少ない機会だ。その年は私の勤務先に新しく医療事務のひとが入社した年で、その事務さんは私よりも少し年上で新婚まもない方だった。忘年会当日は私の勤務先薬局がなにかおたのしみ行事を担当する当番になっていたのか別に当番でもなんでもないのに自主的にゲームの主催をするすると言って企画したのかはおぼえていないのだがゆで卵を使ったゲームを参加者全員にしてもらうことにして勤務時間の合間に休憩室の電熱器と鍋を用い作ったゆで卵を持って忘年会会場に向かった。全員仕事を終えてからの開催だから定時で閉店できれば夕方6時の終業だけどそれから移動しての会となると始まるのはどうしても7時すぎになる。それでも各店それぞれ業務を無事に終え全員が集う。ゆで卵のゲームはたのしく催され(どんなゲームだったのかは思い出せない)宴も酣でおひらきとなる。その年の忘年会会場は少し遠い場所にあり会社で送迎バスを一台借りてほぼ全員がそのバスに乗って移動する形だった。私は行きも帰りも新しく入社された事務さんと隣の席に座りわいわいわいわいおしゃべりをした。その事務さんは結婚されるまでは九州生まれの九州育ちで海(関門海峡)を超えた土地に住むのは初めてと言っておられたように記憶していてまだその頃の事務さんにとっては客地(アウェイな土地)に違いない広島という土地での暮らしに慣れるのには時間も気力もそのほかにもいろんなものが必要であっただろうと今は当時の何十倍もそう思う。そんな時期であったはずなのに忘年会からの帰りのバスの中で事務さんは「普段は仕事の電話でしか話したことのない他の薬局のひとたちとも直に会えたし、たのしかったー、食事もぜんぶおいしかったー」と話して「お疲れ様でしたー」とにこやかに帰って行かれた。

 その忘年会を終えたのちの勤務の日の朝、職場でその事務さんが「ねえ、もう、ちょっとー、聞いてー」と言われたので私は挙手をして「はーい、聞きまーす」と応える。

「忘年会あんなにたのしくて、たのしかったねー、たのしかったねー、って話しながら帰ったやん」
「うん、たのしかった、たのしかった」
「それなのに、ただいまーって家に帰ったら旦那がぶすーっとしてお酒飲んでて」
「どうなさったんでしょう、なにかあったんですか」
「ねえ、なにかあったんかなー、と思うやん、『なんかあったん?』って訊いても『べつに』って言うし、それなら私は自分がたのしかった話をしたいから『今日ね、すっごくたのしかったのー』って話し始めたら旦那が『今何時やと思ってるんや』って言うん。『何時って、えーと(時計見て)10時?』って言ったら『こんなに遅く帰ってきて何時やと思ってるんや』って」
「事務さん、ご主人に忘年会のこと伝えてなかったんですか」
「そんなんちゃんと伝えてるにきまってるやん。何日も前にも前日にも。だから『今日は会社の忘年会だから遅くなるって前から言うてたやん』って言ったら旦那『…あっ』って」
「え、それは、ええと、事前に連絡しても連絡が連絡として機能していなかったということですか」
「そうよ、もう、せっかくたのしくていい気分で家に帰って、たのしかった話をしようと思ってたのに。しかもよ、忘年会で私がいないから旦那の食事は私が出勤前に作って冷蔵庫に置いとくからそれをレンジで温めて食べればいいという話もしておいたのにそれも忘れて怒ってお酒だけ飲んでてなんも食べてないし。なんかもうたのしい話する気分じゃなくなってお風呂に入って寝たけど、せっかくのたのしい気分がおかげでだいなしよう」
「ええー、旦那様、前の日に妻が話したことを翌日に忘れるんですかー」
「びっくりやろー」
「うーん、うーん、事前にも前日にも口頭で伝えるけど当日もさらに手紙で『今日は会社の忘年会で遅くなります。冷蔵庫の中のものを温めて食べてね、はあと(マーク)』って書いて食卓の上に置いとくとかー? そこまでせんとだめー?」
「そこに、はあと、は要らん、はあと、は。あれだけ前もって言うてるんやもん、当日の朝になってそんな手間なことするわけないやん」

 その事務さんご夫妻はおふたりとも当時30代になるかどうかの年頃でいらしたと思うから中高年老年特有の物忘れというわけではなく本当にうっかりすっこりと妻との会話を思い出しそこねただけなのだろうと思う。当時のあの日の忘年会とその後の事務さんの「もうー、きいてー、がっかりー」の話までの一連の流れは折にふれては私の中の脳内劇場で再生され、あのときはあんなことがあったなー、と、ひとりで思い出し笑いをしては二十数年が過ぎた。

 そして今日私の勤務先で年末の食事会があった。社内の楽隊の出し物に間に合えばと思い買ってみた人生初のテナーリコーダーは思ったよりも随分と躯体の大きな楽器で指をがばっと開いて持つところまではなんとかできたものの息の吹き込み方にソプラノリコーダーやアルトリコーダーとはまた違うコツが必要なようでテナーという低い音域の中でも特に低音部の音がたいへんに出しにくくとてもではないけどこれは人前で演奏するのは無理と判断し今回はアルトリコーダーにて伴奏参加することにした。ピアノや木琴での伴奏はしたことがあっても笛での伴奏は初めてでどうなるかなーと思ったけれど『エーデルワイス』と『荒野の果てに』を無事に吹き終え、一か所ちょびっと音がうまく出せなかったけど、でもまあほぼよくできたことにしよう、あーやっぱりハーモニーはたのしいねー、とまず自分が満足し、一緒に演奏した楽隊の同僚とは「たのしかったー、どうもありがとー」と言い合いながら楽器と譜面台を片付け、滑らかに聴けるときもあればお聞き苦しいときもあるではあろうのに毎回全曲お行儀よく耳を傾けてくれる同僚たちからは「低音が入るとまたいいねー」と肯定的に楽隊活動を評してもらい、私なりにいっぱい練習してよかったなーと思いながらの帰り道、運転していたら夫の携帯電話からの着信音が鳴る。夫からの着信音はかわいらしいマリンバ風の音色に設定してある。しかし我が家の携帯電話はふたりともあまり活用することがなく、私が夫に用事があって電話しても夫の携帯電話の充電が切れていてつながらないであるとかつながっても夫はまったく気が付かず出ないということはあっても夫が私に電話してくることはほぼない、つまりそのかわいらしいマリンバ風の音色を聴く機会はほとんどない。そんなだから私が仕事で遅くなるときには夫の携帯電話宛てにではなく自宅の一般電話宛に電話をかける。携帯電話同士なら通話料無料であるにもかかわらず。そんな携帯事情があるから今日運転していたときもつい「あ、夫からの電話が鳴ってる」と私がやや珍しそうにつぶやき私の車に一緒に乗っていた同僚2名が「それはちょっとそのへんに車停めて電話に出てあげて」と言ってくれ、私は、では、と車を路肩に寄せ停めてから「はい、今家に向かってるところです」と応答する。すると夫は「はいはい」と言い電話を切る。なんだったんだ。同僚たちは「ご主人、どうやらさん(私)の帰りが遅いから心配してるんちゃう?」と言い、私は「いやいや、今日食事会なのは知ってるし、帰りがこの時間なのは我々従業員みんなおんなじですし。なんだろう、私が今日出勤するよりもまえに夫は休みでどこかに出かけてそのときまだ私は家にいたから『鍵開けたままでいいよー、いってらっしゃーい』って声かけたんですね、夫あのとき家の鍵を持って出るの忘れてたのに私が出勤するときに鍵閉めて出たから彼が帰ってきても鍵がなくて家に入れないでいるのかな」と言ってみる。同僚たちは「ええー、それは、この時間まで家の中に入れんてあんまりやろう」と言い、私も「ですよねえ、なんでしょうねえ、夫が電話かけてくるなんてめったにないことなんで、なにかよからぬことがあったんじゃないかと気になりますねえ、でもまあもうすぐ家に着くしなにがあったかはじきにわかるでしょう」と続ける。私と同じ住宅街に暮らす同僚たちとは小声で「お疲れ様でしたー、おやすみなさーい」と声を掛け合い別れ各自帰宅する。それにしても夫がわざわざ私に電話をかけてくるということは、ああ、そうか、もしかすると親か身内の命や身体関係でなにかあったのかな、それだと明日急遽帰省ということになるだろうから急ぎで連絡したかったりするかも、とある程度の覚悟をして自宅の扉を開ける。

「ただいまー。どうやらくんが電話してくるなんて珍しいけど、なにか、あったの?」
「何時だと思ってるん?(詰問調)」
「何時って、えーと、この時間だけど、なにかあったん?」
「こんな時間に帰ってきて、何時だと思ってるん?(さらに詰問調)」
「うちの会社の職員全員この時間の帰宅だけど、いったいなにがあったん?」
「あ…。そういえば…」
「え」
「う。忘れてた。今日みそきち食事会だったんか」
「そうよ、昨日もそういうて話ししたじゃん、『明日私いないけど、どうやらくんは明日のご飯どうするん?』って訊いたらどうやらくん『王将で餃子三人前頼もうかなー』言うてたよ」
「それは今日の昼に食べた」
「ええー、でも、11月28日土曜日の夜は仕事が済んだあと会社の食事会だからね、って少し前にも昨日も話したよね」
「うん、今、思い出した」
「えーとえーと私が食事会の出し物に出るからって家で休みの日の昼間に笛の練習してたらどうやらくんが『もう聞き飽きておんなじ曲のしかも伴奏部分だけでなんの曲なのかわからないのを延々聞くのつらいよう』って言ったときも『これも今週いっぱいの辛抱よ』って話したような」
「うん、それはそうだったけど、忘れてたんだって。みそきちが仕事で9時過ぎることはあっても連絡なしでそれより遅くなることってなかったけん仕事にしては遅いなーと思って、何かあったんじゃないかと思って、一応電話してみようと思ったんだって」
「何かあったって、食事会があったんじゃーん」
「そういえばそうだったなあ、はあー、じゃあ夕ご飯待ってる必要なかったんじゃー」
「ええー、この時間まで夕ごはん食べてなかったん?」
「うん、もう帰ってくるかなーまだ帰ってこないなーいつ帰ってくるんかなーと思いながら待ってた。じゃ、ちょっと出かけて食べてくる、と思ったけど、この時間だし、やっぱり出かけるのはやめた、うちでカップラーメン食べる。お湯沸かそうっと」

 親や身内の身体生命が無事だったのならばそれは一安心でよかった。しかし、妻の勤務先の食事会の予定を忘れ妻の帰宅が遅いことで機嫌を損ねる配偶者との結婚生活はたいへんそうだなーと他人事としてあんなに折々に思い出し笑いをしていたのに、そしてその思い出し笑いは当時一緒に仕事をしていた少し年上の事務さんの高い事務能力に対する敬意や愛らしい人柄の彼女に対する私の好意やその後の自分の結婚生活と仕事生活にはそういう『たいへん』がないのは多幸だなーと安堵する気持ちやいろんな記憶がまぜこぜに存在する出来事に対してのものだったのに、突然何かを真似たみたいによく似た形の出来事が己の身にふりかかってくるだなんて。カップ麺にお湯を注ぐ夫の姿を眺めつつ思わず両膝と手のひらをかっくしと床につくそんな夜。     押し葉

ひと夏の麦茶ポット

 我が家では麦茶を沸かして飲むことはもうなくなっているのだけどこの時期になると麦茶関連で思い出すことがある。以前務めていたすこやか堂で夏の売場作りの業務をしていたときに、当時一緒に働いていた店長が、ふと、というかんじで私に話しかけてきた。

「どうやら先生、ちょっと質問したいことがあるんですけど」
「はい、なんでしょう。薬のことでなにかありましたか」
「いえ、薬のことではないんです。麦茶のことなんですけど」
「はあ、麦茶ですか」
「夏になるとこうやって麦茶ポット売るじゃないですか」
「はい、売ってます」
「どうやら先生はこの麦茶ポットは麦茶を入れ替えるたびに洗いますか」
「ええと、そうですね、今はもうあんまり麦茶沸かさなくなったから使ってないですが、麦茶飲んでた頃は洗ってました」
「毎回ですか」
「はい、基本的には毎回ですが何かのっぴきならない事情があればささーっと水でゆすいだだけで新しい麦茶を入れたこともあったかもです。財力に余裕があるときには複数個態勢にして、冷蔵庫で冷やしておくぶんと洗って乾かして待機しておくぶんとで回転させてたこともあるかも」
「そうなんですか…」
「なんでですか?」
「いや、うちのおかんは麦茶ポット洗わないんで、世の中洗うのと洗わないのとどっちが一般的なのかなあと思って」
「麦茶ポットを洗わないということは毎回新しく沸かした麦茶を注ぎ足すということでしょうか。水出しタイプだったら麦茶パックとお水をポットに入れるだけにはなりますけど」
「あ、うちの麦茶も沸かすやつやと思います。家族みんなが麦茶飲んで量が少なくなったら新しく沸かして冷ましてそれを麦茶が少しだけになったか空になった麦茶ポットに入れてまた冷蔵庫で冷やすんです、そのときに麦茶ポットを洗ったりはしないんです、水でささっとゆすいでもいないと思う、注ぎ足してるのは見たことあっても洗ってるのは見たことないんで」
「おおおお、そうなんですか」
「ぼくが小さいときも今もずっとそのやり方で」
「そ、それは、それでご家族皆様体調に問題はないんですね」
「はい。だからそういうもんだと思ってたんです。いやもちろん麦茶ポットを買ってきて一番最初はちゃんと洗うんですよ。洗ってそれから使い始めてひと夏洗わずにつぎ足してつぎ足して使って夏が終わったらそのポットは捨てて翌年の夏にはまた新しいのを買うんです。だからこうして毎年毎年新しく麦茶ポットを売るのもあたりまえだなあと思っていたんですけど、もしかしてどうやら先生は麦茶ポットは毎年新しくは買わないんですか」
「はい、一回買ったら数年以上は使うかなあ。夏が終わったら洗って片付けておいてまた夏がきたら出してきて洗って使いますね。劣化してもうだめだなあと思ったときやそのとき使っているものよりも使い勝手のよさそうなものと出会ったときには買い替えます」
「そうなんですか…。麦茶ポットってやっぱり毎回洗ったほうがいいんですかねえ」
「そうですねえ、私は私の育った環境で麦茶ポットは毎回洗って使うものだという文化と習慣に洗脳されているので何も考えずに洗っていましたしたぶんこれからももしまた麦茶ポットを使うときにはその流れで洗うとは思うんですけど、毎回洗わなくてもその麦茶を飲んで育った店長がこうしてこんなに立派に成長して働いているんですから人間は案外丈夫でお母様のやり方でも平気な生き物なのかもしれないですねえ。一般家庭では各家庭のやり方があるものだとは思うんですけど、食中毒防止や保健衛生の観点から言えば、店長が将来結婚して子どもを育てるときには毎回洗った麦茶ポットに入れた麦茶を飲ませてあげるほうがお子さんの生存の安全性は高くなるかな、と」
「やっぱり、そうですよねえ」

 その店長はその後他店に移動となり数年後私がすこやか堂を退職する少し前に結婚された。今頃は麦茶ポットを洗う家庭を築いているのかなどうかなと、毎年暑くなると、ふと、その店長との当時の会話を思い出す。     押し葉

お気に入りの大臣は

 患者さんに薬の説明をしているときのこと。その患者さんは女性で年の頃は三十代後半か四十歳前後というところだろうか。私の説明をよく理解しながら聞いてくださっている風情はあるもののその患者さんの視線がちらちらと私の名札と私の背後の上の方に泳ぐ。私の苗字が少し珍しい苗字であるために患者さんによっては「初めて見た名前だけど、いったいどこから来たひとなの? もともとこのへんのひとではないよね?」と問うてこられることはときどきあるのでこの患者さんもそれでかなと思いながら薬の説明を終える。そこでその患者さんが「薬剤師免許証の厚生大臣、大内啓伍さんなんですね」と言われる。名札で私の名前を見たあと薬局の壁にかけてある勤務薬剤師の免許証(のコピー)のうち私の名前のものを見てそうおっしゃった模様。

「ああ、はい、そうですね、このときの厚生大臣は大内さんだったんですね」
「いいなあ、いいなあ、わたし大内啓伍さんのファンなんです」
「ええっ、そうなんですか、それでしたらこういう免許証も免許証としてだけでないそれ以外の価値がまた何かあるものなんでしょうか」
「わたし看護師なんですけど、最初に看護師免許とったときは厚生大臣が大内啓伍さんですごくうれしかったんです。そのあと結婚して苗字をかえたときにはもう厚生大臣が大内さんではなくて大内啓伍さんの名前が入ってない免許証になったのが残念で残念で」
「まあ、そうでらしたんですか」
「薬局とか何か医療関係の国家資格の免許証が掲示してあるところに行ったらそこの免許証の厚生大臣の名前をチェックして大内啓伍さんのがあったら『うわああい、大内啓伍さんのだー』って喜ぶんですけど、なかなかそんなになくて」
「厚生大臣はちょくちょく替わりますものねえ」

 ということはこの患者さんの場合は私の名札から薬剤師免許証に目を移したのではなくて、薬局内にかけてあるすべての薬剤師免許証の厚生大臣の名前をまず見てから大内啓伍さんのものがあればその免許証の薬剤師名を見て、それがたまたま私の名前で、どの薬剤師がこの名前のひとなんだろうと思っていたら目の前で薬の説明をしている薬剤師の名札がその名前だった、という流れだったのかもしれない。

 その患者さんが帰られてから、同僚の薬剤師が私に声をかけてくる。「なになに。今の患者さんとすごく話が盛り上がってたみたいですけど、なんの話だったんです?」

「なんかね、大内啓伍さんのファンの方らしくて、私の薬剤師免許証の厚生大臣が大内啓伍さんなのを見つけていいなあいいなあ、っておっしゃって」
「それは、また、なんというか、通な」
「ええ、今の患者さんナースさんらしくてですね、看護師資格を取ったときの厚生大臣が大内啓伍さんだったとかで思い入れがあるみたいなんです。ご結婚なさって免許証の姓の変更手続きしたときに厚生大臣名が大内啓伍さんではなくなったのが残念なんですって」
「ああー、それはわかる気がするかもー。わたしの最初の薬剤師免許証の厚生大臣は小泉純一郎さんだったんですよねえ、それが結婚で名前書き換えたときに変わってちょっと残念な気がしたような」

 この同僚は私より十歳前後年下だったように記憶しているのだけれども、私の最初の薬剤師免許証の厚生大臣も小泉純一郎さんだったことを思うと、あれ、あれ、いつのまにか彼女と同じ年代だったっけ、と思いそうになったところで、いやいやいや、厚生大臣はひとりの人が間をあけて何度か就任することがあるもんね、私が免許をとったときの厚生大臣は小泉純一郎さんだったけど、同僚が免許をとったときにも小泉純一郎さんが厚生大臣をしていたのでありましょう。     押し葉

安心快適電話生活

 私の勤務先の薬局に来てくださる患者さん(70才前後くらいの男性)はご夫婦ともに「詐欺などに遭うといけないから」と自宅の電話も携帯電話も自分が登録している電話番号からの着信のみ呼び出し音を鳴らす設定にしておられる。登録電話番号以外のところからかかってきた場合には電話をかけてきたひとには「お繋ぎできません」という案内が流れる。

 なぜその患者さん(仮に大谷さんとしよう)のそんな電話事情を知ることになったかというと、大谷さんが来局くださったときにすぐに揃わない薬があったため「ごめんなさい、足りない薬をお取り寄せして完成した時点でお電話いたしましょうか」と相談することになり、大谷さんも「今日はいつもとちょっと薬変わったからやろ、先生がちょっとでも安い方がいいやろうからジェネリックで調剤してもらえるように書いとく言うてたからそれやろ。いい、いい、待ってる間にそのへんでうちの(配偶者)と一緒に昼飯食ってくるし、その間に作っといて。できたら携帯に電話してくれたら取りにくるよ。飯食ったりお茶飲んだりしてゆっくりしてるから急がんでいいよ」と言ってくださった。「では、以前に教えてくださったこちらの携帯電話番号で変更ないですか?」「うん、それで合ってる。ほなよろしく」という会話でいったんお見送りした。

 まもなく不足していた薬が届き、よしよし大谷さんのお薬完成、さあお電話差し上げましょう、と大谷さんの電話番号に電話をかけるが「お繋ぎできません」という案内が流れてそのまま切れる。ええと、ええと、まさかの着信拒否ですか、と受話器に向かってつい語りかけるが解決しない。何度かかけてみるものの「お繋ぎできません」と案内されるのみ。しかし大谷さんはこちらからの電話を待ちながら飲食店でくつろいでいらっしゃるということだから、電話がかかってこないということはまだ薬ができていないことだと思ってずっと待っていてくださったらどうしましょう、としばし考える。他の回線(FAX)からかけてみるか、それとも誰かの携帯電話からかけてみるか、しかしそれもなあ、うーん、と考える。待ちきれなくなって来てくださった大谷さんに「大谷さーん、電話がー、かけてもー、何回も何回もかけてもー、繋がらなかったのー、着信拒否だったのー、どうしてー」と訴える展開もありかなと同僚と話したが、そうだ、もしも処方箋発行している医療機関からの電話ならばつながるのであれば「薬局の薬ができたそうです」という伝言を託すことはできないだろうか、と、大谷さんかかりつけのクリニックに電話してみることにする。

 クリニックの受付の方は「いいですよ、うちで聞いてる大谷さんの携帯番号にかけてみますね、薬局さんから薬ができあがってますって連絡あったって伝えればいいんですね、なんでつながらないんでしょうね」と快諾してくださる。しばらくの後再びクリニックに電話して「大谷さんにつながりましたでしょうか」と確認すると「ああ、はいはい、すぐにつながりましたよ。薬局さん薬できてるそうですよ、なんか電話が繋がらないそうですよ、って伝えておきました」と教えてくださる。深々とお礼を伝えて大谷さんの来局を待つ。

 思ったよりもずっと遅くなってからふたたびおいでになった大谷さんが「いやあ、ごめんごめん、電話してくれいうて頼んだのに繋がらんかったんやろ。クリニックから電話かかってきて、なんか新しい病気でも見つかったんかと思ってびっくりしたわ。いやー、この携帯電話、登録してある電話番号以外のとこからかかってきたのは繋がない設定にしてあってな、うちはトシヨリ夫婦ふたり暮らしやから詐欺なんかにでも遭うたらいかんからいうてそうしてて、さっき薬頼んで飯食いに行くときに『あー、そういえばまだこの携帯に薬局さんの番号登録してなかったなー、電話がかかってくるまでに登録しとかなあかんなー』とは思ってん。なのになあ、そのあと昼飯食うつもりで店に入ろうとしたところでうちの(配偶者)となんでもないことでケンカになってしもうて、うちのが怒って『もう帰るわ』言うからこっちも『そうか帰れ帰れ』言うて家までいっぺん送ってそれからまた出てきて。それで薬局さんの番号登録しようと思ってもうちのに訊かなやり方わからんでなあ、車の中で『あーそろそろかかってくる頃やなー』とか『ケンカする前に登録だけしといたら(配偶者に頼んで登録設定してもらったら、の意だろうか)よかったなーとか』とにかく『しまったなー』とは思ったんやけど、まあ、直接行けばその頃には薬もできてるやろ、思うてたらクリニックから電話かかってきて。手間かけさせてわるかったなあ」といっきに話してくださる。

「ああー、そうだったんですかー。お帰りになられたら奥様と仲直りしてすぐにうちの薬局の番号登録してくださいね」
「わかった、するする、仲直りはすぐにはできんかもしれんけど」
「もしも携帯につながらない時にはご自宅にお電話差し上げることもご家族のどなたかや留守番電話に伝言を残すこともできるんですが、前に教えてもらったご自宅の電話番号、大谷さんの引っ越し前のお家のときのみたいで」
「あー、それもう今は使ってない番号やわ。消しといて。それに今のうちの電話もおんなじで登録してあるところからの電話しか着信せんようにしてあるからどっちにかけてくれても一緒やし、かけるときはこの携帯にかけてくれたらいいわ」
「かしこまりました、ではまた何かお電話差し上げる必要がある時にはそういたしますね、この薬の袋に書いてあるここの薬局のこの番号をぜったいぜったいぜったいに登録しておいてくださいね、ぜったいですよ」
「うん。しとくしとく」

 私も自宅の電話携帯電話ともに非通知からの着信は拒否するようにしてあり、なおかつ登録電話番号以外の番号からの電話は一応着信呼び出ししてくれても基本的には出ない。何か配達予定などの心当たりがあれば配送担当さんの携帯電話からかもと思い出てみて当たりであればその番号は配送会社等の名前で番号登録する。留守電に用件メッセージを録音してくれている人でこちらも用事がある人の場合はこちらからかけ直したりまたかけて来てくれた時には出られるようその番号が誰なのかを登録する。ぜひともその場で出たい場合は録音の途中で電話に出る。
 フリーダイヤルからの電話には全くでないので勧誘電話の対応をすることはなくなり、心当たりのない電話番号からの電話にも出ないから各種詐欺電話に遭遇することはいまのところない。
 夫が遠方の山に行っているときには「遭難していたご主人を救助しました」という連絡が来ることがあるかもしれないと常に思ってはいるもののそんな重要な用事なら留守電に録音してくれれば在宅していれば電話にでるし不在ならばかけなおすし、それができなくて夫の救助を知るのが遅くなったとしても場合によっては死に目に会えなかったとしてもそれはそれで仕方ないよね、ということにしている。
 
 今はそういうやりかたで十分快適な電話生活を営んでいるが、これから先もっと年を重ねていろんな判断力が低下していったときには、私も大谷さんのように自分が登録している電話番号以外の番号からの着信はいっさい呼び出ししないように設定するくらいでいいのかもしれないと思った。いや、身内や親しい誰かが私が登録している電話番号携帯番号以外のところから何か緊急事態のために電話を借りてかけてくるということもまったくないとはいえないけれども、まあそのときには電報でもハガキでもメールでも工夫してくれ、頼む。     押し葉

洋梨のタルトを

 職場で仕事で疲れた状態で食べるお菓子はおいしい。そのとき「わあ、おいしい」と思って後日同じお菓子を買って家であまり疲れていない状態で食べると、おいしいのはおいしいけれどなんだかおいしさがふつうに感じられることがある。

 昨年末最後の営業日、私のシフトは出勤予定時間が11時だった。当日の朝職場から電話があり「今日最終日だから社長が蕎麦でもなんでも好きなものとって皆で食べなさいって言ってくれたんだけど、忙しくて蕎麦食べてる暇がなさそうだから、どうやらさんが出勤するときに通り道のどこかで人数分ケーキを買って来てほしいの。お金はいったん立て替えてもらえたらあとでレジから払うから」と連絡があった。
「わかりました」と応えて電話を切ったものの、普段ケーキ屋さんにあまり縁のない私はうひゃーどうしましょうと途方に暮れ、とりあえず近くのおいしいパン屋さんのプリンを買ってから考えることにした。
 パン屋さんでプリンを買って気持ちを落ち着けたあと、近くのケーキ屋さんに立ち寄る。うーんうーんと考えても普段ケーキ選びのセンスを磨いていない身分ではいろんなことがよくわからないけれど、なんとなくええいっと直感でショーケースの中で一番見た目が地味な洋梨のタルトを選んでみた。

 結果的にこの選択は同僚たちに好評で、疲れた体にナッツののった洋梨のタルトはほのかな焦げ目も含めて香ばしく、その後続いた年末仕事を円滑にこなすことができ、後半の仕事で再び疲れたところで冷蔵庫から取り出されたプリンたちは「わーい、ケーキだけじゃなくてプリンもあるんだー、やったー、こんなにつぶつぶいっぱいバニラビーンズが入ってるー」と再び同僚たちのお腹にするするとおさめてもらえた。私も自分で食べてみて『おお、我ながらこの組み合わせはよかったー、おいしいぞー』と満足だった。私にケーキを買ってくるように指令の電話をくれた薬局長は「どうやらさんに頼んでよかった。自分だったらもっとケーキケーキしたクリームたっぷりのを選んでたと思うけど、この選択が清く正しい暮らしをしているどうやらさんってかんじですごくいいわー。見た目は地味だけど滋養の味の滋味が深くてすべてが体に行き渡るかんじがするなあ」とまで言ってくださる。

 そんなことがあったから、今年になってそのケーキ屋さんの近くに行ったときに年末に職場で食べたのと同じ洋梨のタルトを休日の夫と私ふたり用に買って食べてみたのだが、休日のあまり労働作業の多くない体で食べると洋梨のタルトはぐっと体に重くて、おいしいのはおいしいのだけどこれはもっと空腹度が高い時に食べたいと感じる。

 おいしい食事と快適な睡眠のためにも適度にちょうどよく疲労するのはだいじだなあ。     押し葉

世界一の幸せ者

 同僚のタノウエさんが先週だったか先々週だったか「ディズニーに行くのでトラベルミン買います」と乗り物酔い止めの薬を購入した。「東京までの移動用ですか。タノウエさん乗り物酔いしやすいんでしたっけ」と訊くと「現地でアトラクションに乗る時用です」と言う。ほうほう、乗り物酔い止めはそういう使い方もあるのか、と感心しながらレジを打つ。

 今日「トラベルミン効きましたか?」と尋ねると「年寄り(同僚のお母様、推定70代後半)と一緒だからそんなに激しい乗り物には乗らなくてアトラクションにトラベルミンが効くかどうかはわからなかったけど、人がすごく多くて人混みに酔いそうだったからそれにも効くかなあ、と思って飲んでみて、でもそれで効いて気持ち悪くならなかったのかもともと飲まなくても気持ち悪くならなかったのかわからなくて、でも、ま、いっか、と思ったの」と言う。

「今回の旅行は母にサプライズプレゼントの旅行だったんですけどね」
「サプライズ?」
「うん。もともと母がUSJにもナガシマスパーランドにも行ったことがあるけどディズニーには行ったことがないから行きたい、って言ってて、なら一緒に行こうっさ、って母娘で行くってことで母を連れ出して新幹線に乗って」
「ええと、そこまではまだサプライズはないですよね」
「まだまだ。新幹線に乗って名古屋に着いたときに私の姪っ子(同僚のお母様にとってはお孫さん)のナオコちゃんが乗ってきて、でも母は私と二人で行くつもりでいるからまさかナオコちゃんが乗ってくるとは思ってないんですよ。でも母は名古屋から乗ってきたナオコちゃんをじいっと見てそれから私のほうを見て小声で『ナオコちゃんによく似たお嬢さんやね』って言うんです。私が『本物のナオコちゃんやよ』って言ったら目をまん丸くして、それからナオコちゃんが『おばあちゃーん、ナオコだよー』って言ったら、母はもうびっくりして泣きそうになって『うわあ、ナオコちゃんも一緒に行ってくれるんやったんか』ってそりゃあもうよろこんで」
「わあ、それはいいサプライズプレゼントですねえ、なんとまあ親孝行な」
「へへ、でね、サプライズはまだあるの。それで新幹線が東京に着いたら、今度はうちの娘が旦那さんと一緒に現れて旦那さんはおばあちゃんに挨拶だけして帰ったんやけど、そこからは娘も合流して、母は私(娘)と孫たち(同僚の娘さんと姪子さん)の女四人の旅行なんだって知ってそりゃあよろこんで『私は世界一の幸せ者やぁ』って何回も何回も言うてた」
「お母様にもそんなふうにかわいらしく喜んでもらえると奮発して旅行をプレゼントした甲斐がありますねえ。企画はタノウエさんだったんですか」
「うん。私が旅行会社に申し込んでお金払って」
「いい親孝行だなあ。しかも娘さんや姪子さんたち若手がいてくれるのもこころ強いかんじ」
「そうなの。若い子はすごいねえ。ディズニーの中でもスマートフォンでさっささっさといろいろ調べてくれて『今はどこどこが何十分待ちでどこどこがどうだからこの順番で回ろう』って案内してくれるから、母と私の年寄りふたりは若い者が言うとおりに『はぁい、わかりましたー』ってついていけばいいだけですごくラクだったのー」

 同僚とお母様と娘さんと姪子さんが泊まったホテルの部屋はツインルームをふたつつなげたコネクティングスイートでベッドルーム以外にゆったりとくつろげるリビングルームもあり各ベッドルームそれぞれにバスルームとトイレがついていて広くてとても快適だったということだ。よかったよかった。     押し葉

蓋の未来容れ物の未来

 「眠たくなったら眠ること」のようなできごとにより、医療保険という制度の中で入手した薬の一部または全部を手元から失った場合、無料または保険の自己負担金と同等の金額でその薬を再度入手するのいうのは本来正当ではない。もしも再度同じ薬を入手したいと希望する場合の正当な手順としては、まず、保険の効かない全額自己負担でふたたび受診し、紛失したぶんの薬について医師に相談する。数種類のうちの一種類であればその一部のみ、数種類全部であれば全部について相談することになる。先の日記のケースであれば「粉薬(実際はドライシロップなので水に溶かした時点でシロップになるが)は全部そのままあります、寝る前のシロップだけがなくなってしまいました」と相談する。そしてその処方箋を再度書いてもらえないだろうかとお願いすることになるだろうか。世の中には紛失を装った不正な行為もたしかに存在するので医療関係者は慎重に対応する。紛失したお薬分の処方箋再発行のためには、事前にクリニック等に電話をかけるなり受付で相談するなりして予約をとり直す手間と時間をかけ、すぐに予約がとれなければひたすら順番待ちをする手間と時間をかけ、その手間と時間をかけている間もしも小さな子どもがいればその子らをともに待合室で待たせながら面倒を見るか、そうでなければ、別の誰かに頼んで自宅または誰かの家で見ておいてもらえるようお願いと手配をする手間と時間をかけなくてはならない。そして全額自費で入手した処方箋を持って調剤薬局に行く。保険が適用されない自費処方箋であるから、ここでも支払いは全額。バッグの中に保険証があろうが乳幼児医療の受給者証等があろうがその恩恵に与ることはできない。そういった一連の面倒くさい手間と時間とお金をかけないのであれば、本来なら飲んで速やかに回復できたであろう薬(紛失した薬)のことは諦めて経過を看る腹をくくる。保険医療という「公の講(多くの人が少しずつお金を出しあって相互扶助する資金制度、といったところだろか)」の制度と恩恵の中で入手した薬の管理を結果的にとはいえ怠るということは本来であればそれだけの面倒くさい手間と思いとそれに伴う経過や結果に対する覚悟を引き受けることがセットになった「過失」といえる。その前提で考えると、私が前日記のおかあさまにとった対応は厳密には「不正」であり「甘やかし」に相当する側面がおおいにある。

 近年は市販のシロップ剤に関しては、子どもの手では簡単に開けられない仕組みの蓋が主流になっている。それは市販のシロップ容器本体や外箱には可愛らしい絵柄を配してあることが多いぶんより子どもが手を伸ばしやすいという危険性を鑑みての部分があるのかもしれない。だが、可愛らしい絵がついていようがついていまいが、どんな容器であっても、容器に手を伸ばす子は手を伸ばし開封しその中身を口に入れる子は口に入れる。子どもだけではなく認知機能に不自由を抱えたおとなでも同様のことはあるだろう。保険医療の現場では、簡単には開かないキャップのシロップおよび水剤の容器を本格的に採用しているところはおそらくまだそれほどには多くない。将来は、乳幼児がいる家庭の場合は安全キャップ容器で、手先は不自由だけど認知はしっかりとしている年配者等が自力で開封して飲む場合は従来の少ない力で開けやすく閉めやすい容器で、あるいは開閉は簡易だが注いだり飲んだりするには少し別の知恵と力が必要な容器や、蓋をあけた状態で容器が倒れても中身がこぼれにくい新しいタイプの容器など、錠剤もカプセルも粉も液体もそれぞれの剤形に応じた簡便性と安全性を、公の講の中でそれなりに、選択するような選べるような時代になるかな、どうかな。     押し葉

眠たくなったら眠ること

 数ヶ月まえのこと。たしか二十分ほど前にお薬をお渡ししてお見送りしたはずの女性(小さな子どものおかあさま)が空のプラスチックボトルを片手に「すみません…。さっきシロップのお薬をいただいた者なんですが、あのあと下の子がおねえちゃんのシロップを勝手に開けて半分以上一気飲みしてから『プハーッ、おいしかったー。もういいっ』って、じゃばーって、残りをその場にぶちまけたんです…。お薬全部なくなっちゃって…。どうしたらいいでしょうか。もう一回先生に処方箋書いてもらったらいいんでしょうか」と相談に来られた。

「まあ、それは、びっくりでしたね。シロップは今すぐ新しく作り直しますね。そちらの容器お預かりして一回洗ってそこに入れさせてもらいますね」
「あの、下の子は、おねえちゃんの薬をいっきに半分も飲んで、大丈夫でしょうか、なにかしてやったほうがいいでしょうか」
「そうですねえ、もう何十分かしたら、すごーくすごーく眠くなってくると思いますから、そうしたら、今日はさっさと寝かせてあげてください」
「それだけでいいんですか」
「はい、あとはそうですね、念のため普段よりも様子をよく観察してあげてください、普段よりも異様にぐっすり眠る以外には特にこれといって何も起こらないはずなんですが、一応念のために。喉が乾いて水分をほしがるようならお水でも麦茶でも飲ませてあげてください。それよりも、このあとお渡しする作りなおしたお薬には、もうけっして弟くんの手が届くことがないように、全部おねえちゃんにきちんと飲んでもらえるように、厳重に管理して隠しとおしていただけると助かります」
「それは、もう、鉄壁の守りに入ります。ああ、もう、びっくりしました」
「ですよねー、びっくりしますよねー。今後はおうちの中のすべてのお薬の保管をこれまで以上に警戒態勢でお願いしますね。では、こちらが新しく作りなおしたお薬です。今日から毎晩寝る前にここの目盛を一目盛ずつで四日間続けてくださいね、冷蔵庫保存なのは、先程もう説明しましたね、だいじょうぶでしたね」
「あの、お薬代は…?」
「今回のはお代はけっこうです、このままお持ちになってください」
「ええっ、いいんですか、それはなんだかわるいです」
「いいんです、いいんです、早くお帰りになって、眠くなった人を寝かせる準備をしてあげてください」
「はっ、そうでした。では、お言葉に甘えます、ありがとうございました、失礼します」

 ちょっと勝手にシロップ飲んで、ねんねして、だっこして、おんぶして、またあした。     押し葉

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Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

ときどき、思い出したように、いただいたメッセージへのお礼やお返事をリンク先の「みそ語り」に書いています。よろしければ、いつでも、どうぞ、どなたでも、ご覧ください。「みそ語り」では、メッセージをくださった方のお名前は書いておりませんので、内容から、これは自分宛かしら、と推理推察しながら読んでいただければうれしいです。手の形の拍手ボタンからメッセージをくださる場合は五百文字以内、文字の方の押し葉ボタンからメッセージをくださる場合は千文字以内となっております。文字数制限なくお便りくださる場合には、下のメールフォームをご利用ください。

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