みそ文

ティッシュの快適

 ティッシュペーパーの最後の一枚を使い切った時に次のティッシュの箱を出してきて置く作業をするたびに決してうきうきでもわくわくでもない面倒くさい気持ちになるのがあまり好きではなかった。新しいティッシュを出してきておこうと思っていたのにそのまま忘れて次にティッシュを使おうと思った時にいつもティッシュがある場所にティッシュがないとひどくがっかりするし、その時点でティッシュを出してくるのはなんだかとても億劫に感じられる。自分が最後の一枚を使い切った時にはもちろん、夫が最後の一枚を使い切ったにもかかわらず、すぐに次のティッシュの箱を出して来ずそのままあとでしようと他のことをしているうちに忘れて、あるいはそれを見た私が「速やかに次のティッシュを出しておいてね」と言っても「わかった」とだけ言ってすぐにはそうせず結局忘れて私がティッシュを使いたい時にそこにティッシュがないという状況はさらに好きではなかった。

 ティッシュを一番よく使う場所は居間。食卓の端にティッシュの箱を置いて、食事中でもリビング側でくつろいでいる時にもどちらからでも手が届くところに設置している。次によく使うのは洗面台の横の棚に置いてあるティッシュ。

 なんとなくこうしたらどうだろうと思い、一年か二年くらい前からよく使う場所のティッシュは二箱重ねて置く体制を取ることにしてみた。上の段のティッシュを使い、下の段のティッシュは口を開けてはあるが中身は出していない状態で上の段の箱の下に置く。上の段のティッシュがなくなったら下の段のティッシュを引っ張り出してそれを使い始める。そうしたらその時点でもよいししばらくしてからでもよいし、とにかくそのティッシュを使い始めて数日以内に次の新しいティッシュの箱を出して来て開ける。そうしてその時に使っているティッシュの箱の下に置く。

 この方法であれば、使い終わっても既に次のティッシュはそこにあり、新しいティッシュを出して来なくてはティッシュが使えないということもなく、新しいティッシュを片付けてある場所に行った時についでに次のティッシュの箱を取ってくるのはそれほど苦ではなく、夫が少々忘れたとしても新しいティッシュを持ってくるように彼が実行するまで何度でも言って待つ余裕も生まれる。

 むかしに比べると最近のティッシュは箱が随分と小型になり、二段重ねてもさしてかさばらない。二段重ねてちょうど昔のティッシュ一箱分くらいの高さのようで普段使うにはちょうどよく感じる。

 暮らしの中にはいろんな生活用品があり、その中でもティッシュやトイレットペーパーといった紙類は個人的になんとなく好きな部類のもので、できることならば自分が好きな生活用品を使うにあたり快適は多めに快適でないことはごくごく少なめにしたい気持ちがある。こんなふうに暮らしの中の些細なことでも工夫を思いつきやってみてその快適により自分で自分をこの世でもてなし、そうして自分が自分からもてなしてもらった嬉しい気持ちが自分と自分のだいじな誰かやふとしたときに接した誰かの仕事や暮らしや人生の質のようなものを高める力のようなものにつながるならばそれはさらに嬉しいことで、そういう工夫をできるときにはたゆまずそうしつつ生きている間を生きていく。     押し葉

お風呂とシャワー

 少し前のある日の夜、夫が私に「今日お風呂入る?」と声をかける。湯船にお湯を貯めるかシャワーで済ませるかの差はあるにせよ基本的に毎日入浴する私になぜわざわざそんなことを訊くのだろうと思いつつもしかしたらと多少の期待もしつつ「うん、入るよ。もしかしてお風呂にお湯を入れてくれるん?」と訊く。夫は「いや、そういうわけじゃない」と言う。「私が湯船に入るなら湯船にお湯が貯まるのを待って自分も入ろうかなっていうこと?」と訊いても「うーん、そうじゃない」と言う。「じゃあ、夜更かしするのはよくないから私に先にシャワーを浴びてしまいなさい、ということ?」と訊くと「いや、そういうわけでもない。これからおれがシャワー使うつもり」だという。「ええと、これからシャワーを使うにあたって、今日私がお風呂に入るかどうかを確認すると何か変わるの?」と尋ねると夫はしばらく考えて「考えてみたら、何も変わらなかった」と言う。
 なんだろう、入浴前になんとなく妻と会話をしたい気分だったのだろうか。私が入浴するかどうかを確認しなくてね「先にシャワー使うね」と声をかけてくれれば「はい、どうぞ、ごゆっくり」と会話ができてそれでよいような気がするのだけど。     押し葉

ようこそプロテオグリカン

 通信販売を利用していると誕生日のある月に「この中からお好きなものをお誕生月プレゼントとして差し上げます」という案内が届くことがある。そういう時にそれまでは使ったことのないものをもらってみて試した結果『自分にはあまり必要性が高くなかったな。購入することはなさそうだな』と思うことが多い。しかし昨年もらったものと今年もらったものに関しては『お、これは、いい』と感じるものにあたり、まんまと定期購入の申込みをする運びとなり、我ながら、よき消費者だ、いいお客さんだ、と思う。

 この夏出会ってよかったのはサプリメントのプロテオグリカン。売り文句としては顔面のリフトアップなど美容方面を強く押し出している。しかしプロテオグリカンにはそれ以外にもいろいろと期待できることがあり、私が特に期待して試した結果これはいいと思ったのは関節が滑らかに軽やかになる感覚。関節の痛みや違和感の対策としてこれまでコンドロイチンZS錠を愛用してきたが、それとはまた少し異なるかんじで膝がラク。このかんじなら、コンドロイチンをこれまで1日2回飲んでいたのを1日1回に減らして、プロテオグリカンを追加するといいかも、と考え続けてみている。今のところその飲み方で関節のかんじがちょうどよいので当面はこの飲み方でいってみようと思う。

 コンドロイチンZS錠は夫も愛用していて、我が家には夫用のコンドロイチンと私用のコンドロイチンのボトルがそれぞれにある。蓋の上に各自の名前の一文字目のひらがなを書き誰のボトルなのか見分けている。コンドロイチンの売り文句としては関節対策を強く謳っておりもちろん関節に頼もしい働きをしてくれるのだが、私の体の場合はドライアイ対策と皮膚の乾燥対策でも助けてもらっている。製品の効能効果としては関節痛、筋肉痛、腰痛、五十肩以外に、神経性難聴、音響外傷性難聴、疲労回復もあるのでなんとなく聴こえをもう少ししっかりさせたい気がする方にもお仕事柄や趣味の方向や暮らしと人間関係的にできることなら耳の機能を年相応以上に保ちたい方にもおすすめ。ビタミン系の栄養剤を飲むと汗や尿がビタミンくさくなるのが苦手な方の疲労回復目的にも。

 プロテオグリカンの歓迎日記のつもりで書き始めたのに、最後はコンドロイチンいいよね日記になったなあ。     押し葉

曾祖母の名は

 母方の曾祖母の名前が思い出せず、フジさんだっただろうか、フネさんだっただろうか、と考えていたが母からの情報によると正解はタケさんであった。フジさんともフネさんとも一文字も合っておらず、二文字の名前というのだけがかろうじで合ってはいるが当時の女性名は二文字(二音)のものが多かったのだからそれは合っているといううちには入らない気がする。島根の大きいおばあちゃん(曾祖母)はタケさんという名前だったのかと、それは思い出すというよりは、知らなかったことを新たに知った感覚。

 そしてタケさんの配偶者、つまり私にとって母方の曽祖父は和一郎さんという名前だったのだそうだ。私が生まれたときにはもう和一郎さんは他界していたので会ったことのないひいおじいちゃんであるが、お墓参りの時にはお墓のどこかにご先祖様方のお名前として和一郎さんの名前も刻まれているのであろうに、あああの和一郎さんね、というかんじではなく、そうなんだーひいじいちゃんは和一郎さんという名前だったのかー、とこちらも初めて知る新鮮な気持ち。

 母の姉は和子さんという名前なのだがその和子おばちゃんの名前はこの和一郎さんから一文字もらっているのだそうだ。和子おばちゃんが和子さんなのは小さい頃から知っていたけれどその和の字が曽祖父(和子おばちゃんや母にとっては祖父)の和一郎さんにちなんでいるというのは今回初めて知った。

 ご先祖様方、特にすでに他界しているご先祖様方のお名前は知らなくても日常生活にこれといった支障はそれほどないけれど、知らないよりは知っているほうがなんとなく、会ったことのある人も会ったことのない人もその存在の輪郭が明瞭に感じられる気がする。     押し葉

祖母の名は

 住んでいるマンションの大家さんが変わりマンション名が変わったのは昨年末のことである。至急で各種変更手続きをする必要はないけれど何かのついでのときにまとめて変更しようと考えていたら今年は運転免許証更新の年でそれならこの機会にいっきにいろいろ変更しましょう、と決める。市役所で手続きを行い住民票を発行してもらったものを持って運転教育センターで免許証更新手続きをする。免許センターの人が「住所は変更なくマンション名だけ変更なんですね。そんなこともあるんですね」と言われる。「はい、大家さんが変わりまして」と応えると「じゃあ、マンションをきれいにしてもらえたんかな」と問われ「外壁と物置の屋根がきれいになりました」と答える。「部屋の中は?」と訊かれ「それは今までのままですね」と言うと「そこまできれいにしてもらえるといいのになぁ」と言われる。

 免許証更新手続きのあとは再び市役所に赴いてマイナンバー通知カードの裏書きにマンション名変更を記載してもらう。住民票のマンション名変更手続きに行く前に市役所に電話して必要なものを質問しマイナンバー通知カードについても持参したほうがよいか訊ねたら「マイナンバー通知カードは番号を通知するためだけのものなので持ってきてもらう必要はないがマイナンバーカードがあるのならそれは必要」という回答で持っていかずにいたら「マイナンバー通知カードの裏書きも訂正しますのでもしあれば」と言われたため、う、う、やっぱり要るんじゃん、と思いつつ二度目に持参し直したマイナンバー通知カードの裏書き訂正をしてもらう。

 マイナンバー通知カードを使う予定がなければしばらくそのままでもよかったのだが、私の健康保険証の住所のマンション名変更手続きを行うためには住民票と運転免許証とマイナンバー通知カードのコピーがそれぞれ必要で、ここでマイナンバー通知カードが必要なのであればマイナンバー通知カードの裏書き訂正もしておこうということに。職能団体組合の健康保険証の変更手続きは郵送でも可能だが事務所がわりと近所にあることがわかったため市役所の帰りにそのまま立ち寄り手続きを行った。

 この一連の作業のうち最初の住民登録窓口で書類を書いていたときに隣の台で書類を書いていた人がおもむろに携帯電話を取り出し電話をかけ「今市役所で手続きしてるんだけど、おじいちゃんの名前が思い出せん、なんていうんだったっけ」と身内と思われる方相手に訊いていた。同居にしても別世帯にしても住民登録関係の手続きを代行するくらい近い近親者であっても祖父の名がとっさに思い出せないということがあるのか。ええと、私は自分の祖父母の名前は思い出せるかしら。父方の祖父は真一さんで祖母は志ず枝さん、母方の祖父は慶一郎さんで祖母はアサさん。ん、大丈夫。でも祖父母の兄弟姉妹の名前となると、会ったことのない人については仕方がないにしても、会ったことがありしかもかなりかわいがってもらいよくしてもらった人であってもその名前が思い出せない。ああ、市役所で祖父の名前が思い出せない人もこんなかんじで思い出せなかったのかもしれない。

 帰宅して夜になり夫に「自分の祖父母四人全員の名前はすっと思い出せる?」と尋ねる。夫は眼球を上側に半分ぐるりと動かす間だけ少し考えて「ひとりしか思い出せない」と言う。「父方のじいさんだけわかる」と言う。夫の父方の祖父の名前は勝美さん。勝美さんの妻にあたるおばあさんのところには結婚後は帰省のたびにふたりで挨拶にうかがい、そのおばあさんが入院したあとは病院にお見舞いに行ったこともある。それでも夫にとって父方のおばあさんは「おばあさん」であって固有名詞では認識していなかったのだろう。

 夫と夫の妹のえりりちゃんは一歳違いで、えりりちゃんが生まれてすぐは産後の義母は新生児のお世話でたいへんで、新生児とは別の形でお世話の手間のかかる当時一歳児の夫は母方の祖母宅(徒歩10分弱の近所)にしばらく預けられ育ててもらった期間がある。夫が三歳の頃に手術のため入院した時に義母と交替で付き添って世話をしてくれたのもその祖母だ。だが夫はその祖母の名前もおぼえていないという。そのおばあさんが生きていた頃はやはり帰省したときにはかならず挨拶に行っていた。おばあさんは夫のことを孫の中では特別にかわいがっているのだという風情で「他の者にはないけん黙っときんさいよ」と言って押し入れの奥から上等そうな箱に入ったカステラを出してきて夫に持たせてくれる。それを義実家に持ち帰り義母に報告すると義母はカステラの箱を確認し「やっぱり。賞味期限がとうに切れとる。食べちゃぁいけんよ。これは私が捨てとくけん」と引き取ってくれた。きっと祖母は今度孫(夫)が来たら持たせてやろうと思って自分ではそのカステラを食べずにだいじに取り置いてくれていたのだろうなぁ。

 そんなにかわいがってもらった祖母の名前も含めて、夫が四人中三人の祖父母の名前が思い出せないということは、市役所で隣りにいたあの人もそんなかんじで思い出せないのかもしれない、とまた思う。夫の祖母二人に関してはそれぞれの葬儀に私も参列したにもかかわらず、私も彼女たちの名前を記憶していない。「夫のおばあさん」とは認識していてもそれぞれの固有名詞では認識していないということだ。お墓に参ればどこかに名前が刻んであるのだろうに、孫(夫)も孫の配偶者(私)も何度も会ったあの祖母たちの名前をおぼえていない。

 私は祖父母の名前は思い出せても祖父母の兄弟姉妹の名前となると思い出せないが、ならば会ったことのある曾祖母の名前はどうだろう、と考えてみる。父方のひいばあちゃんの名前はテルさん。テルさんは祖父の実の母ではなく祖父とは養子縁組をして親子関係を結んだもとは親戚の間柄だと聞いていたような記憶があるがあやふや。父方の祖母と曾祖母とは曾祖母が亡くなるまでの間同居していたこともありテルさんのことはその姿も名前もかなり鮮明に思い出せる。曾祖母のテルさんは背が低く小柄で、祖母の志ず枝さんは背が高いから、ひいばあちゃんは「ちいさいばあちゃん」で、おばあちゃんは「おおきいばあちゃん」と呼び分けていた。母方はと考えてみると、あれ、あれ、曾祖母の名前が思い出せない。母方の曾祖母は背が高くてどちらかというと大柄で、母方の祖母は背が低くて小柄だから、母方の曾祖母は「おおきいばあちゃん」で、母方の祖母のことは「ちいさいばあちゃん」と呼んでいたのはおぼえているのに。

 むむぎーとみみがー(私の弟の息子と娘)は私の両親の名前をおぼえているだろうか。たるるとかるる(夫の妹の息子たち)は義父母の名前をおぼえているだろうか。祖父母の名前を知る機会はどこかであったはずだとは思うのだけれども。

 と、ここまで書いてアップしたところで、お風呂からあがってきた夫が「おれのおばあさんの名前思い出した」と言う。「母方はシズエ、父方はアサヨ」「おばあさんたちの旧姓も知ってる」と言う。私が「父方祖母の旧姓はわかるけど、母方祖母の旧姓は思い出せないわ」と言うと夫は「勝った」と言う。勝ち負けはともかく、シズエさんとアサヨさんならば、漢字とカタカナの差はあれど、私の祖母である志ず枝さんとアサさんとほぼおなじ名前ではないか。それなのに「あら、私の祖母たちとよく似た名前のおばあさま方だこと」と思った記憶もなく過ごしてきたことが不思議。そして私の祖母の「志ず枝」さんの文字はもしかすると「志づ枝」さんかもしれない。「ず」だったか「づ」だったのか私の記憶があいまいなのは、祖母自身がその時の気分に応じて自分の名前をいろんな表記で記していたからだと思う。「静枝」と書くこともあったような。     押し葉

ラジオに合わせ

 来月職場で食事会がある。そのときに同僚と私合計五名が出し物で笛を吹く。私はテナーリコーダーにて伴奏する。その曲目のひとつが「ドレミの歌」。これまでも仕事を終えたあとで何度かの合同練習を行いみんなだんだん上手にそしてたのしく演奏できるようになってきた。食事会当日直前にはさらに連日の合同練習を行う。練習を重ね、曲順を工夫し、所要時間を計り、当日に備える。そんな中で、当日聞いてくれる人たちもただ聞いているだけではたいくつだろうから歌詞カードを作成したものを配布して歌いたい気分のひとには歌ってもらおうということになった。

 曲目を決め楽譜を用意してくれる面倒見のよい同僚が「ドレミの歌 歌詞」で検索して出てきた歌詞を参考にかわいらしい柄入りの歌詞カードの作成に着手してくれた。彼女は試しに印刷したものを私に見せて「添削校正おねがい」と言う。歌詞の文字を目で追いながらつらつらと口ずさみ「あ、ここ、一文字抜けてます、ここは同じ文字が一個多いです」と指摘する。彼女が「あ、ほんとだ、ほんとだ」と修正し印刷し直してくれる。それをもらってもう一度読み直す。今度は大丈夫、完成だー。

 そうやって作成した(同僚が作成してくれた)歌詞カードの歌詞はおなじみのドレミの歌ではあるのだけど、私が幼い頃から諳んじている歌詞とはその一部がちがっていて、あれ、と思いはしたものの、どちらが現代の現実に即しているかというとそれは今回作成した歌詞カードのほうなのでそちらをそのまま採用。

 私が諳んじている歌詞は「ドはドーナツのド、レはレモンのレ、ミはみんなのミ、ファはファイトのファ、ソは青い空、ラはラッパのラ、シはしあわせよ、さあ、うたいましょう。どんなときにも、列を組んで、みんなたのしく、ファイトをもって、空を仰いで、ラジオに合わせ、しあわせの歌、さあ、うたいましょう」

 この歌詞のどの部分が現代の現実にあんまり即していないかというと二番の「ラジオに合わせ」の部分で、今回作成した歌詞カードによるとこの部分は「ラーララララララー」と歌う。

 現代でもラジオをこまめに聴く人はいるところにはいるのだろうが、そしてラジオに合わせて歌うひとは歌うのだろうが、私はもう長いことラジオを聴いてもいなければラジオに合わせて歌ってもいない。ラジオに合わせて歌ったのはいつが最後だったのか思い出そうとしても思い出せない。夫はひとりで運転する時には車中でラジオを聞くが歌うことはないという。

 テレビならばどうだろうと考えてみてもテレビを見ながらテレビで流れる歌に合わせて一緒に歌うことはもうない。夫はごくたまに広島カープの成績がすごくよい時に球場で流れるカープの歌に合わせて一緒に歌うというほど大きな声ではなくごく控えめに歌詞を口ずさみつつ小さく拳を振ることはある。私はどうかと考えるとテレビではそもそも歌詞付き音楽が流れるような番組を見ていない。オープニングやエンディングの音楽はあっても歌詞はないか、歌詞はあっても外国語過ぎるかシャウト系すぎるかで一緒に歌うことがない。ずっと以前であればアニメの主題歌の歌詞を書き取り暗記しテレビで流れる時には一緒に歌っていたことはある。けれど今の暮らしでは、ラジオも聴かず、テレビもごく限られたものしか視聴せず、繰り返し見るブルーレイディスクの作品の音楽にも歌詞はついておらず(いや、厳密に言えば「あそびをせんとやうまれけむ、うふ、うふふふ」という歌詞のような部分はあるにはあるがその部分で唱和することはない)、PCで音楽を聴くときも歌詞があるものはあまり聴かない。ああ、数年前に突如アニメ「赤毛のアン」のオープニングとエンディングの歌をおさらいしたい気分になりPCで何度も繰り返し聴いて一緒に歌い、そしたらそれが止まらなくなり、ご飯を作るときもお風呂に入るときもずっとずっと歌うようになり夫は「ああー、このひと、またなんかに取り憑かれとってじゃわ」と言い、私も「だれかー止めてー」という状態になったことならある。

 それにしても「ラジオに合わせ」はもはや現代の現実にあまり即していないとしても、だからといって「ラーララララララー」ではあまりに芸がなさすぎるような気がして、あの曲の二番のラの部分の歌詞として何かよいものはないだろうか、と考えているがなかなかよい歌詞が思いつかない。「ラーレミファソラシー」の音階で「ラーム肉食べよう」と歌ってみたが夫は「ラジオに合わせ、よりも、そっちのほうがもっとない」と言う。私は人生の基本信条として快適に安寧に暮らし生きるべく努めてはいるがドレミの歌の二番のラのところで「らーくして生きよう」と歌いたいかというとなんとなくそれはちがう。「らーくしてトクをー」と歌うのはもっとちがうしそれは私の信条ではない。ドレミの歌の二番のラの部分、なんと歌えば歌詞としてのやる気と気持ちよさを得られるだろうか。     押し葉

スナップエンドウとろみ汁

 スナップエンドウはこれまで鞘のスジを取ってさあっと湯がいて塩をかけて食べることが多かった。今回たまたまたくさんいただいたこともありなんとなくただ茹でるだけではなくて汁の具っぽく使ってみたいなと思い、お湯を沸かして出汁醤油とみりんを入れてそこにスナップエンドウを入れて加熱し豆が柔らかくなったところでとろみをつけてみた。とろみは一回目はとろみ剤で、二回目は水溶き片栗粉でつけてみたがどちらも遜色なくおいしい。自分でスナップエンドウを買ってきてまた同じものを作って食べたい。     押し葉

桜餅もちょうどよく

 胃カメラの検査のあとで桜餅を食べて以来、桜の季節の間にもう何度か例のお店の桜餅を食べようと思っていたにもかかわらず、その後桜餅を食べないままに桜の季節が終わった。いや、もっと北の方へ行けば桜はこれからという地域がたくさんあるだろうけれど私が住む場所においての桜と桜餅。何度か今日なら胃腸の調子やいろんな要素がちょうどいいかもと思いお店に出向いてみたら定休日であったり他の食事との兼ね合いで桜餅までは手が回らなかったりしているうちに桜は咲きそして散り緑の葉っぱになった。

 しかし逆流対策のために炭水化物(桜餅であればもち米)と糖質(桜餅であればあんこ)の摂取を控えている今の体においては、桜餅は一春に一度食べるくらいがちょうどいいのかもしれないとも思う。

 これまでの頭痛対策の食生活に加えて昨年末から炭水化物と糖質とその他逆流を引き起こしやすい食品を控えた食生活を続けるようになった。今はもう夜中に胃液の逆流に驚いて飛び起きることもそれでむせて咳き込むこともほぼなくなり快適な睡眠を得られるほどに回復した。最初は主食がないようなメニュー構成をどうすればいいものか迷い夫が白米を食べるところを私は豆腐を食べるなどの方法で対応していたが今は夫が白米を食べていても私はその部分は何もなしで満足する。満足するだけではなく半年近くそういう食生活を続けていると逆流が改善してきたのはもちろんなんとなくこの春の花粉症が軽く済んだ気がする。アレルギーの薬は飲んでいるのでそれがよく効いてくれているのもあるだろうしこの春の花粉の飛散が少なかったのもあるのかもしれない。でもそれだけではなくもしかするとこれまで何十年も続けてきた主食を中心とする食生活、それが健康に必要だと思いそれ以上に信じて続けていた食生活は、私の体にとってはもしかするとアレルギー反応を起こしやすい要因の蓄積になっていたのだろうか、と思うほど今はいろいろとらく。もしや人類は炭水化物を摂取しすぎなのか? 人類にとってはという大きな単位での判断はともかく、少なくとも私にとってはこれまでの摂取量は多すぎたのだろう。

 というわけでこの春の桜餅は一度きりとなったが、次の春にはできれば2回くらいだいじに丁寧にいただきたい。     押し葉

シャワートイレの交換

 シャワートイレを新しいものに交換した。これまで使っていたシャワートイレを購入したのは7年くらい前だろうか。少なくとも5年は経過している。一年くらい前に便座の電源ランプが点滅し始めた。取り扱い説明書を熟読しても点滅の理由と対処方法がわからずお客様相談室に電話する。その点滅は「ある程度経年しました。点検およびメンテナンスをおすすめする時期です」というお知らせだと教えてもらえる。その点検とメンテナンスに来てもらうとランプの点滅は消せるが自分で消す方法はないとのこと。何か不具合が出てきたときに修理と併せて点検メンテナンスしてもらう方法もありそれまでは放置しておいてもシャワートイレの作動に問題はないとも教えてもらう。その時にはこれといった不具合はなく、それならこのままにしておこうということにした。ただしランプの点滅が目にチカチカとしてつらいのでランプ部分をランプの色に似たシールで覆い点滅が気にならないようにして過ごしていた。

 数ヶ月くらい前に床に水滴が落ちていることに気づく。トイレブラシのスタンドに穴でもあいたのだろうかと見てみるがそうでもなく、とりあえず水滴があったあたりに雑巾を置いて様子を見る。するとシャワートイレで洗浄機能を使用している時に座った時に左側にあたる部分からぽたりぽたりと水滴が落ちていることがわかる。そうか、こういうかんじでシャワートイレの不具合というのは生じるものなのか、と初めて知る。当面は雑巾で水滴を受けておけばその雑巾にしているタオルも自然乾燥しまた次の水滴を吸ってくれて使用に差し支えがなかった。しかしそれからしばらくすると今度は便器の床の付け根の部分にぐるりと浅い水たまりができていて、左側に置いたタオルだけでは対処できなくなった。そのタオルで吸い取りきれないくらいの水滴が落ちているかというかタオルを置いた部分に関してはそうでもなく、どうも左側以外のどこかから便器の足元全体に水が伝い漏れしている様子。便器の足元にに雑巾タオルをぐるりと置いて吸い込ませ毎日トイレの床を拭き掃除して新しい雑巾に交換するという作業が必要になった。

 トイレの床を毎日拭き掃除するのはそれはそれでよいことなのかもしれないが、シャワートイレの水漏れの水で拭く必要はなかろう、と思う。ふたたびお客様相談室に電話して水漏れがすることを伝えその対処方法を教えてくださいとお願いする。相談室の方は確認を取ったあと、温水貯水タンクの劣化による水漏れでこれは温水タンクを交換する以外の個人での対処方法はなのです、と案内してくださる。それでは修理とそして点検とメンテナンスをお願いしようと思います、料金がいかほどかかるか教えていただけますか、と問う。料金の詳細に関しては相談室での案内はできず、修理担当者から電話で案内することになるとのこと。

 翌日修理担当の方から電話がかかってくる。水漏れの状況について詳細に訊ねそれに必要な修理についての説明をしてくださる。そして料金に関しては温水貯水タンク交換はいくらいくらかかります、部品代がいくらで技術料がいくらで出張費がいくらでそれに消費税がかかります、しかしこのお値段ですとお客様がもともとお買い求めくださったお値段に近くなるのではないかと予想いたします、お客様の製品番号は量販店で手頃な価格で購入していただけるものですが修理のときの部品代がややかかるタイプのものなのです、修理して使っていただくこともできますがお客様によってはそれなら買い換えますとおっしゃる方もいらっしゃいます、と案内くださる。そうですね、そのお値段ですと買い換えも検討対象になりますね、修理していただくか買い換えることにするか一度家族と相談してみたく思いますので後日あらためてこちらからまたお電話さしあげてもよろしいでしょうか、と伝える。

 これまで使っていたシャワートイレはweb通販で購入したがどこでいくらで購入したかの記憶や記録はなく、今回は今回でまた改めてweb通販だとどのくらいかかるのかしらねと調べてみる。するとこれまでと同等の機能がついた製品の新品の値段が二万七千円ほどであり、修理に来てもらうのと数千円しかかわらない。それならもう買い換えだね、と帰宅した夫と話しその場で新しいシャワートイレを注文する。翌日修理担当の方に電話して、買い換えることにいたしましたので修理はキャンセルさせてください、と連絡する。

 翌日には新しいシャワートイレが届く。夫は仕事でいないがその日たまたま休日だった私は今日のうちに交換しちゃいましょう、と開梱する。マンションにもともと付属していた便座はシャワートイレではなく、それを外してこれまでのシャワートイレを設置した(夫がしてくれた)時に分岐水栓は既に付けてあり分岐水栓と便座をつなぐホースもこれまでのものがそのまま使えそうで新しく来たホースよりもよさそうなかんじだったのでその部分はそのまま使うことにする。設置説明書に従い水栓を閉じる。タンクの水抜きを行う。古い便座とホースをつなぐ部品をマイナスドライバーで押して開けホースを便座から外す。便座を便器から外す。便器を隅々まで拭き掃除する。新しく届いた便座をのせる。便座を固定する軸を六角の留め具で留める。何度か座ってみては便座の位置を調整する。便座とホースをつなぐ。つなぐためのプラスチック製の部品は外す時にはマイナスドライバーが必要だがつけるときは手でパチンと閉じるだけでかたく固定される。水栓を開け元の位置まで戻し電源を入れる。お湯があたたまるまでには時間がかかるが水の状態で作動を確認する。もしかするとこれまでのリモコンが使えるんじゃないかなと思い使ってみると使えた。しかしせっかくなので新しく届いたリモコンに電池を入れる。これまでのリモコンとその設置台を壁から外す。この作業にはプラスドライバーが必要だ。新しいリモコンの設置台を壁に固定しリモコンを差し込む。これまでのリモコンは水の勢いを調整するのはダイヤルで行っていたが新しいリモコンはプラス側のボタンを押すと勢いが強くなりマイナス側のボタンを押すと勢いが弱くなるという作り。

 取り外したシャワートイレはゴミ袋に入れて燃やせないゴミとして収集してもらう。しばらくすると温水がちょうどよくあたたまり温水洗浄もうまく作動することを確認する。新しいシャワートイレは当たり前だが水漏れしない。これはたいへんに快適。床に雑巾を置いて水滴を吸い取る必要もなく濡れた雑巾で床を拭き取る必要もない。そして新しいシャワートイレはおそらく7年以上の時間分進化していて便座の清掃が速やかに滑らかに行えるような形状になっておりその掃除のしやすさに感嘆する。また消費電力抑制にも力を入れているらしく電源ランプの大きさがこれまでのものよりも随分と小さくてまぶしさが少ない。

 帰宅した夫に新しいシャワートイレは快適だよ、と伝える。夫は「そう言われればだけどあまりにも前のとそっくりで言われないと新しくなったとわからない」と言う。いやいや、これはわかろうよ、リモコンがまずこれまでとは作りがちがうでしょ、あと便座のここ、この表側と裏側の継ぎ目がなくなってひと拭きできれいに掃除ができようになってるんだよ、これまではこの継ぎ目の汚れを掃除するのが地味に手間だったのがその手間がなくなるという素晴らしさ、あとねリモコンは古い方でも新しいほうでも使えるんだよ。夫は「しかしシャワートイレのリモコンは一人一台ずつ必要なものでもないからなあ、一個あれば十分やなあ」と言う。それはシャワートイレにかぎらずリモコンというものはたいていの場合なにかの家電製品一個につき一個でよいものなのではないかしら、これまでに『ああ、このリモコンがもう一個あったらいいのに、一人一個ずつリモコンがあればいいのに』と思ったことはないような気がするよ。

 そういうわけで新しいシャワートイレはたいそう快適で、製品としてはこれまでのものの後継機種にあたるため使い勝手の直感は従来のままでよく、トイレを使う度にしみじみと深く満足する。そしてシャワートイレの便座というものはこうして五年前後から十年未満くらいで買い換えるとこんなふうに快適なものなのねと学習したことをいかして、今度また点検を促すランプ(今度のシャワートイレは電源ランプとは別に点検ランプが存在する)が点滅したときにはそろそろ買い替えを検討する時期なのだと判断することにしましょう。     押し葉

胃カメラを鼻から入れたら桜餅

 乳がん検診で要精検になり、結果異常なく半年後に念のための再検査を受ける予定となったことは前回書いたとおり。そしてその後子宮がん検診を受けその結果はまだ届いていないががんとは別に子宮筋腫が見つかりその筋腫が悪性でないかどうかの血液検査結果を待っているところ。子宮筋腫自体は悪性でなければ今後閉経に伴い縮小化していくであろうしなんら不都合な自覚症状もないのでこのまま定期検査を受けつつの経過観察となってゆくだろうと思う。

 今回乳がんと子宮がんの検診で今一度自分の体を見直すことになったのを機会に、自治体から送ってもらったがん検診の受診券を用いて胃がん検診と大腸がん検診と肺がん検診を受けることにした。もう一枚胃がんリスク検診の受診券もあり受診した。それに関しては婦人科で子宮がん検診を受けたときに採血してもらうだけの検査でその結果ピロリはおらず胃がんのリスクは低いという結果が届いた、胃カメラ検査を受けた翌日に。

 前回胃カメラの検査を受けたのは7年前か8年前か9年前かそのくらい。15年くらい前にはバリウムでの胃がん検診を受けたように思う。そのどちらとも異常なく胃カメラのモニターで見た胃壁などの粘膜はたいへんに美しく、きれいすぎる、こんなにきれいな胃腸の中に検査薬や検査機器を入れるほうが胃腸に気の毒だと思いその後は長らく検査を受けずにきた。胃の検査は毎年あるいは一年おきに受けるにはあまりにも検査後の身体的不調が大きく、検査を受けることでかえって胃腸の調子がしばらく崩れてつらいのと、なんとなく他はともかく胃腸は大丈夫なかんじがすることもありしばらく受けていなかった。しかし今回は今一度謙虚な気持ちで検査を受けることにしようと決めて申し込み前日から体調を整え検査当日に臨んだ。

 前回胃カメラ検査を受けたのと同じ病院で久しぶりに受ける胃カメラ検査の検査前処置室の椅子はマッサージ椅子になっていた。温泉施設のマッサージ椅子のようにお金を投入しなくても好きなだけマッサージ機能を使うことができる。そのマッサージ椅子はマッサージをしなければゆったりとしたひとり用のソファ的座り心地。その椅子に座った状態で胃カメラ前の麻酔処置を受ける。

 まずは胃内壁を清浄にするための検査液を紙コップに一杯飲む。まずくはないがまったくおいしくはないその液体を飲み干したら点鼻薬で鼻の通りをよくする。3分程度経過したら次は鼻の麻酔をスプレーする。そのスプレー液は飲み込むことで喉の麻酔にもなる。もう5分ほどしたら同じ麻酔液をもう一度スプレーする。だんだんとなんとなく喉の感覚が鈍くなり唾液を飲み込むのがやや不自由になってくる。それからさらに数分後、喉の麻酔の喉スプレーが噴霧されそのまま検査室に移動し検査台に横になる。体の左側を下にして枕のところにティッシュを大量に敷いて、もう麻酔で唾液は飲み込めなくなっているから垂れてくるのはすべて外のティッシュに流すようにとの指示を受ける。

 入れてみて通りやすいほうの鼻に入れていきます、との説明のあと右側の鼻の穴からカメラのチューブが挿入される。麻酔が効いているので痛みはないが違和感はあり体としてはおおいに抵抗感もある。背中をさすり続けてくれる看護師さんが「鼻で息を吸って口で息を吐くのが一番らくですよ」と案内してくれてそのとおりにしてみる、たしかに少しだけわずかにらくかも。気持ちとしてはモニターを凝視したいのだけどたいへんに苦しくてこの苦しさを紛らわすには呼吸に集中するしかないと判断し鼻から吸って口で吐くをただそれだけを繰り返す。

 胃がん検診は施設によって検査方法が異なっており、バリウムを飲んで写真を撮影する方法と口から胃カメラを入れる方法と鼻から胃カメラを入れる方法のどれかを選ぶ。11月から逆流性食道炎の治療薬を服薬してその効果が感じられてきた時期でもあることからどうせ検査するなら食道の状態も見ることのができる胃カメラにしようと決めた。バリウムでの胃透視では胃の状態は確認できても食道の状態までは観察できないよね、と。

 胃カメラ検査が終わるとすぐにカメラで撮影した映像を数枚見せてもらえまったく異常がないこと、小さなポリープはいくつかあるがこれは良性のものでそのままにしておいてよいものであること、よって細胞採取も細胞診も行わないこと、若干の胃炎傾向は見られるもののこれはたいていの人がそうである程度のものなのでまったく気にしなくてよいこと、十二指腸も食道もきれいな状態であること、の説明を受ける。前回の胃カメラの時に見た自分の食道と胃と十二指腸の映像の記憶に比べると若干の経年劣化は見られ前回の記憶の中ではつやつやとした薄いピンク色だった粘膜が今回はベージュっぽい色合いでつややハリは低下しているが昨年後半からの胸焼けや胃もたれや喉のつまり感がつらかったことを思うともっとよくない状態であることも覚悟していたのに一時期は咳き込みもひどくてあんなにしんどかったのにこんなにきれいな状態でいてくれてありがとうねと自分の粘膜に対してお礼を伝えたい気持ちになってくる。そしてよくここまでいい状態に戻してきたよねと服薬と食事療法と姿勢や生活習慣の見直しに励んできた自分の努力をひとりこころのうちで称える。「しばらくは喉の麻酔がきいているのでこののち1時間は飲食を控えるように」との指導を受けて検査室を出る。鼻と喉にひりひりとした不快な感覚があるままで会計を済ませる。

 今すぐに食べることはできないけれど、去年見つけておいしかったお店の桜餅が始まっていたら買いたいな、と思いながら帰り道に寄る。数日前夫に「あのお店の桜餅たのしみだね、いつからだろう」と話したら夫は「まだまだ、3月になってからだろう」と妙に自信を持って断言していたが、お店の前に着いてみると入口のガラス戸に「さくら餅」の札が貼ってありその始まりをうれしく思う。買って帰ってもすぐには食べられないから、桜餅を食卓に置いたら、通帳を持って銀行と郵便局に出かける。車にガソリンとウォッシャー液を入れて銀行と郵便局の用事を済ませて一度帰宅して通帳を置いたらまた出かける。今度は保健センターで申し込んでおいた肺がん検診と大腸がん検診の時間だ。大腸がん検診は検便採取キットを受け取るだけで提出はまた後日。平日であれば館内の提出場所に、夜間休日であれば建物の外に設置された検便投函ボックス(保冷機能付き)に提出する。肺がん検診は問診票の質問に回答したあと検診車の中で撮影してもらう。その間もずっと鼻と喉がひりひりとしていて、このひりひりとした痛みが今日中にひいてくれるといいなと思いながら一連の待ち時間と受診を済ませる。それらの結果はまた後日だがたぶんなんとなくどちらも問題ない気がしている。

 すべてを終えて帰宅して、胃カメラの検査からちょうどよく時間も経過して、たのしみにしていた桜餅を食べる。おいしい。いい香り。可愛い形、きれいな色。けれど胃カメラで疲労した体で食べる桜餅は十全ではなく、やはりもっと万全な胃腸の状態で次の桜餅には臨みたいとしみじみ思う。もち米類やあんこ類は食べると胃液が逆流しやすいため普段はもうほぼまったく食べなくなっているのだけれど、春の桜餅だけは特別な食べ物として少しだけ、人生の桜餅切符をだいじにだいじに使いながら、あの香りと色と形と味と食感と喉ごしのすべてを、生きている間毎年春に愉しめたらと願う。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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