みそ文

ヒーロー長靴

 今回の豪雪ではいろいろとひどい目に遭ったが、個人的には、2月6日の徒歩通勤の帰り道に凍結した路面で転倒して腰を打ったことが最もひどい目だった。
 その痛みはなかなかに強く、寝ていても寝返りをうっても、家で何かをしていても、仕事をしていても、雪かきをしていても、歩いていても、頻繁にうめき声が出てくる痛みで、これは折れてはいないけどヒビくらいは入っているんだろうなあ、と思いながら、手持ちの薬で対処していた。

 できればすぐにでも整形外科を受診して、患部の写真を撮って診察してもらいたいところであったが、仕事のためであれば痛い痛いと思いつつも1時間歩いて通勤することができるのに、整形外科受診のために1時間弱歩く気にはなれず、車で受診するそのためにはまず雪に埋もれた車を掘り出さねばならず、車の前から道路へ続く通路部分の雪かきをせねばならず、しかし道路の除雪もまだされていない状態では、道路に出たところでいつ路上のどこでタイヤが雪に埋もれて滑り動けなくなるかもしれない。普段車で通勤している職場に徒歩で通勤せねばならない状況では、そのための体力気力の温存が必要で、自分の車のお世話は後回しにすることに。

 2月6日の夜に転倒して、そんな毎日を過ごしたあと、2月11日12日の連休でなんとか車を雪の中から掘り出し姿が見える状態にした。雪原状態の駐車場の雪もかかなくてはならないが、駐車場のほぼ中央に位置する私の車から道路までの距離は遠く、自分の車の前だけは雪かきしたものの、そこから先の通路部分の雪が多すぎて道路に出るのはまだまだ無理。

 世の中の道路の除雪が進むのを待ち、駐車場の通路部分が通れる状態になるのを待ち、そうして2月15日に受診した整形外科で「尾骨にひびが入っている」と診断してもらい、やっぱりそうだよね、そんなかんじの痛みだったもの、と思う。尾骨の場合はひびであっても骨折であっても、固定や手術をする部位ではなく、消炎鎮痛剤を使いつつ、回復を待つのが基本とのことで、養生に励むしかない。

 これまで履いていた雪靴ももちろん防水防滑仕様だったが、今回ほどに雪が降り積もり路面が凍結した時には、この雪靴では太刀打ちできない。こういう時には、かつて、冬の北海道(いや、青森か)で借りたことのあるスパイク付きの雪靴がほしい。雪道を歩く時にはスパイクを出して雪面を踏みしめ、建物の中に入るときにはそのスパイクは靴底に折りたたんで収納する。
 普段ならインターネットの通販で買い求めるところであるが、雪で流通が滞り、お届け物が届かない状況ではそれも難しく、実店舗の靴屋さんにて求めてみたら、意外とあっさりと出会えた。「わ。スパイクが付いてる」と喜ぶ私にお店の人は「そのタイプは子ども用にしかないんですよ。おとな用にはないので、サイズさえ合えばぜひ」と勧めてくださる。

 その雪長靴のサイズは23.5cmから24cm、足部分は黒色で、脚部分は青色の地に銀色の稲妻模様。なんとなく何かの戦隊ヒーローっぽいデザイン。足のサイズが大きめの男児を客層に設定した品なのだろう。株式会社ムーンスターのスーパースターというシリーズ。戦隊ヒーローっぽいデザイン部分には、これまでの雪靴でも使っていたフットカバーを重ね着すれば見た目はこれまでと変わらず使える。いい買い物ができた、ほくほくと喜ぶ。

 実際にその雪長靴を履いて徒歩通勤してみたら、それはもう、安定感がこれまでのものとは全然違っていて、これで私は雪面歩行人生に勝った、と確信する。もうこけない。

 しかし、今になって考えてみると、世の中が雪だらけになり、その時すでに1mくらい降り積もった雪道を歩いて通勤した2月6日のあの日、あんなに雪だらけの世の中ならば、これまでの雪靴にアイゼンをつけて歩いたらよかったのではないか、と思う。そうすればうっかり滑って転倒することもなく、腰を打ち付けることもなく、痛い思いをすることもなく済んだかもしれない。うちには夫が山で使うアイゼンがあるのに、借りようと思えば借りられたのに、あの時にはそんなこと全然思いつきもしなかった。歩行を補助するステッキ(杖)だって、雪道用も普通路面用も夫のがあるから借りればよかったのに。その杖を両手に持ってついて歩いても、一本だけ片手に持ってついて歩いても、それでもよかったのに。それだけでもきっと全然違ったはずなのに。

 でも、まあ、結果、こうして、アイゼンの着脱をしなくても済むスパイク付き雪長靴を購入できたからよかったということにしよう。スパイクを出して使わなくても、雪長靴単体としての防滑力がこれまでの雪靴よりもずっとしっかりとしている。雪が少なめで滑りにくい時にはこれまでの雪靴(防水防滑ブーツ)を、雪が多めで滑りやすい時には今回購入した雪長靴を、というふうに使わける。そして補助にステッキを持てばなおよし。安心安全雪道歩行。     押し葉

出張と雪道

 夫が百名山制覇を目指している話は何度かしたことがあると思うが、その活動は今も地道に続いている。

 夫は今週の月曜日と火曜日に関東地方での出張の予定が入った。それが決まった時に夫は「よっし!」と拳を握り、うきうき、わくわくと、出張仕事前の土日を利用して茨城県の筑波山に登る計画を立て始めた。
 月曜日の夜は会社が手配してくれているビジネスホテルに泊まることになっているし、往復のJRの切符は社用費で既に購入してあるし、あとは土曜日と日曜日に泊まるところをさがして予約し、通常の仕事道具と出張お泊り道具の荷造りに足して、山登りに必要な装備を用意したら完璧。
 山登り用の大きなリュックサックに荷造りを終え、体重計で重量を測る。夫が「うわ、こんなに詰め込んでるのに、思ったより軽いな」と言う。何キロなのと訊くと「13kg」と応える。13kgは重いと思うよ、だって、お米10kgひとつと3kgだよ、お米5kgふたつと3kgとも言えるけど、と喩えになっているようないないような言葉が口をつく。夫は「いや、でも、ほら、山に来る人って、いろんな装備を抱えていて、寝袋やらテントやら自炊道具やら背負ってる人は相当な重量抱えてくるし、山で会う人ともよく『その荷物何キロですか? ああ、やっぱり15kg超えるとぐっと重く感じますよね』って話すし。その感覚だと13kgは軽い」と言う。

 こちらでは先週の金曜の夜から雪が激しく降り積もった。土曜の朝、夫は予定よりも1本早い特急列車に乗れるようにと1時間くらい早く家を出たのだが、雪による遅延のためJRの駅でしばらく待つことになり、遅れて発車したものの徐行運転区間が多く、結局はもともと予定していた列車を使ったのと同じくらいか少し遅くなって現地に到着することとなった。
 土曜日の夫はただ自分の遊びのためだけに当日のうちに着けばいいや、くらいの軽やかな気持ちなので、遅延も徐行運転も全然気にならず、ま、太平洋側に出てしまえばあとはなんともないんだし、と気楽に車中で過ごせたらしい。
 しかし同じ列車に乗っている人たちで、遊びではなくその日のお仕事のために移動している人は「いっそのこと運行中止して出発せずにいてくれたら乗らずに済んだのに。遅延でも運行すると聞くと乗らないわけにはいかずに乗ったけど、これではもう今日の午後の会議には間に合わない」と午後の会議には遅れます、もしかしたら欠席になるかもしれません、という連絡を入れるなど気の毒な様子であったともいう。

 夫は土曜日の午後には目的地に着き、宿に13kgの荷物を置き、身軽になった体で浅草に移動する。浅草をさらりと観光し、そのあとはどじょう鍋屋さんでどじょう鍋を食べる。生まれて初めてのどじょう鍋。おいしいといえばおいしいけれど、このためにまたわざわざ浅草に出向くかといったらそこまでではないかな、それにどじょうの身はやわらかかったけど小骨が喉にひっかかって、あー、小骨がー、と翌日まで思ったから、よっぽどなにかがない限りはまた食べることはなさそう。
 どじょう鍋のあとは落語。寄席に入り夕方から最終までの演目を4時間近くかけて見て聴く。夫としては古典落語をたくさん見たいなと思っていたらしいのだが、実際に行ってみたら、最後のひとつ以外はすべて現代落語で、面白いのは面白かったし、さすが東京の都会の寄席で毎日大勢のお客さんを相手に芸を磨いている落語家さんの話は、巧いわ、レベル高いわ、名前を知らない人でもすごいわ、と思ったけど、下調べが足りなかったとはいえ古典落語が少なかったのはちょっとだけ残念だった。

 夫がどじょう鍋と落語を堪能している頃、私は雪に埋もれた車を掘り出すことをあきらめて、徒歩と地元鉄道を利用しての出勤をして働いていた。自宅から最寄りの駅まで、そして職場の最寄りの駅から職場まで、まだ雪かきのされていない雪道をぼすっぼすっと踏みしめて歩き、ふだんの5倍くらいかかる通勤時間をこなしたあと、インフルエンザの患者さんにリレンザの投薬を繰り返した。
 仕事からの帰り道にはさらに雪が降り積もり、職場の最寄り駅からほぼ定時の地元鉄道に乗り込んだものの、乱れたダイヤのため列車たちは線路の譲り合いが必要で、その場で15分くらい線路の順番待ちをするため列車は停車したままとなった。でも、イヤホンでベートーヴェンの5番と7番を聴いているから待ち時間も全然苦ではない。仕事を終えてあとはもう帰るだけだし、帰ったら家にはコーンとなめこのホワイトクリームスープの作り置きがありそれを温めて食べればいいし、これだけ雪が降り積もったら待つ時には待つしかない。しかもこれだけ列車内でベートーヴェンを聴くのが愉しいということは、年末年始に購入したコンパクト版の楽譜を持って乗り込めば、月曜日からの通勤で車が使えないとしても、列車内や駅の待合室で交響曲を聴きながら楽譜を読んで遊んだらたいそう愉しいのではないかしら、と思いつき、途端にそれが待ち遠しくなる。

 日曜日、夫は予定通り快晴の筑波山に登った。標高は800メートルほどでさして高い山ではないけれど、登山口の標高もあまり高くない位置からとなり、思ったよりも登りごたえがあったと満足そう。関東平野と名付けられた関東の平野はどこまでもひらけていて、800メートルの山頂からでも遠くが見渡せて、さすが平野は平野というだけのことはあるなと感心した登山となった。

 土曜日の夜、翌日の登山を目前にして夫が宿でうきうきと眠りにつく頃、私は自宅の窓の隙間から外をちらりと眺めて、私の車も夫の車もほぼ完全に雪で埋もれたことを確認した。あちこちでスリップして立ち往生している車の音が聞こえてくる。うーん、明日は食材買い出しに行かねばだけど、車で行くのが無理だったら徒歩にしよう、車を雪の中から助け出せるかどうかは、明日になってから考えようと決めて寝る。

 日曜日の朝にはさらに車は深く埋もれていた。それでもお昼前後には雪がやみ、太陽が見えてきて、よし、これなら雪かきをする気になるかも、と、しっかりと食事をしてから、汗を吸い取るためのタオルを背中に入れ首に巻きスコップを持って駐車場に行く。耳にはイヤホンでベートーヴェンの5番と7番を流す。

 まずは車の周りの雪をぐるりとよける。今回の大雪の中、ひとつ幸運だったのは、私の車の左隣の駐車スペースがここ数ヶ月借り手がなく空いていること。この空きスペースにかいた雪を置いて作業ができる。そのおかげで作業はうんと楽になる。隣に車があるときは自分の車の周りでかいた雪をスコップで抱えたまま車と車の間を歩いて自分の車の後ろまで運び道路との間に捨てることになる。もちろん車の排気口は十分に確保して。
 ベートーヴェンを聴きつつ作業して、時々手を止めて天を仰ぎ休憩し、垂れる鼻水をリネンのハンドタオルで拭い、黙々と作業を続ける。5番を聴いて7番を聴いて、その次に録音してあるライブの4番と7番を聴き終える頃には、車の上の雪もおろして、その雪もまたよけて、雪かきはほぼ終了した。

 では、これで、お買い物にも出かけられるかしら、と一度帰宅して汗だくになった衣服を着替える。アーモンドミルクを飲んで一息つく。それから買い物用のマイバッグと家計のお財布を持って出かける。車に乗りエンジンをかける。さあ、どうかな、と前進する。自分で雪かきをしたところまでは進めるけれど、その先の駐車場の共用スペースである通路部分の雪に阻まれタイヤが滑る。前進の勢いで雪に乗り上げて雪を潰して走行できたらいいなと思っていたのだけど、あー、これはだめかー、と後退しようとするも、それも滑って動かない。くー、だめかー、と思いつつ、車から降り車の中からスコップを取り出し、タイヤ周りの雪をよける。車に乗って前進と後退を試みる。まだだめだ。またスコップで雪をよける。前進と後退を試みる。それを4回か5回繰り返してようやく後退に成功し自分の駐車位置に戻る。

 これはもう、今日車で出かけるのは無理、と判断する。駐車場の通路部分もだけど、そこから出たところの道路も全然雪かきがされていないから、ボコボコのツルツルでどの車も時速10km以下で走行している。これなら歩いたほうがいいよねと決めて車からおりる。買い物道具を持って、いつものスーパーに向かう。
 予定では先週クリーニングに出しておいたダウン風ジャケットを受け取るつもりだったが、それは来週以降に延期することに。そして、夫からは「バナナとリンゴジュースを買っておいてください」とリクエストを受けていたが、バナナだけ買い1リットルのリンゴジュースを買うのはあきらめる。できるだけ買い物の荷物を軽くしたい。リンゴジュースは夫の日々の食生活に必要なものではあるが、リンゴジュースならうちにある私の仕事中の血糖補給用の125ml紙パックのを飲んでもいいことであるし、こんな時にこんなことで無理をするのはやめよう。
 厳選して購入した食材が入った買い物バッグを両肩にかけ、雪道をボスボス歩く。できるだけ誰かが既に踏みしめたあとのありそうな雪の浅い歩きやすいところを選ぶ。それでも途中何度かつるりと足元が揺らぐ。
 
 月曜火曜の出張仕事を終えて火曜日の夜12時前に帰宅した夫を出迎えた。小田原の九頭竜餅という和菓子と外郎をお土産に買ってきてくれた。夫と私、それぞれの土日を伝え合う。夫は関東地方でテレビニュースを見て「うちのほうはひでぇことになってるなー、なのにこっちは全然雪ないなー、と思った、雪ってなあにっていうくらいだった」という。
 月曜火曜は私はいつも車で通勤する勤務先に全行程徒歩で通勤しており雪道歩行で疲れていた。翌日水曜日の勤務先には徒歩と地元鉄道を使っての通勤予定でコンパクト楽譜とイヤホンはもう用意してあるし、あとは寝るだけの状態で夫の帰宅を待っていたから、夫が入浴している間に「じゃ、先に寝るね、おやすみ、あとはよろしく」とお布団に入った。
 
 水曜日の地元鉄道通勤の列車内で交響曲を聴きながらコンパクト楽譜を読むのは思った以上にたいそう愉しく、仕事帰りに駅で待ち時間(30分くらい)を過ごすのも列車に乗っている間(約15分)もずっと愉快で快適だった。車なら10分ちょっとで帰れる道のりにかかる時間が長くなることがむしろたのしみとなった。同じ時間がかかるのであっても、これが車に乗って渋滞してのことであると、たとえ車内で同じベートーヴェンを聴いているとしても、渋滞の進まない感と雪道での事故を避けつつ運転する緊張とでここまでのたのしみには全然ならない。

 水曜日に帰宅した夫に「鉄道通勤の道中、楽譜で遊ぶのがたいそうたのしゅうございました。大判のフルスコアの楽譜は持っていても同じ曲のコンパクト楽譜を買ってよかった。ミニスコアだからこそバッグに入れて気楽に運べて膝の上で広げて座席でも立っていてもめくって遊べるんだもの。フルスコアではフルスコアでいいけどミニスコアはミニスコアでいい。こんな大雪で鉄道通勤となった今となってはコンパクト楽譜を買っておいた年末年始の自分の手柄を誉めたい」と話したら夫は「よかったねえ」と言ったあと「また明日から急に出張に行くことになった」と言う。今度は九州。「九州に行けるなら、この前の九州出張の時に登ったお山以外の阿蘇に行こうと思えば今度の土日に行けるのに。まだ今回筑波山に登った時に使った山の服の洗濯ができてないし、そもそもリュックサックから荷物すら出してないし、無理だ。行こうと思えば行けるのに無理だ」と残念がる。

 そういうわけで、この木曜日金曜日と夫はまたいない。土曜日の午後に帰ってくる。ということは、日曜日の買い出しのときに無理して1リットルのリンゴジュースを買わなかったのは大正解だった。なんならバナナも買ってこなくてもよかったくらいだがバナナはまあよしとしよう。
 水曜日からは夫がいるつもりで、ふたりで食事をするつもりで買ってきた食材を私一人で消費することになる。今日の仕事を終えた時も、今日は久しぶりに車で通勤できたし、このままお気に入りのとんかつ屋さんに立ち寄って、鹿児島黒豚のとんかつで夕ご飯を済ませて帰ろうかなーと思ったのだが、いやいや待て待て、うちにはいろいろと早く食べたほうがいい生々しい生鮮食材があるじゃないの、と思い直しそのまま素直に帰宅した。そして一人鍋にミル挽き山椒と屋我地島の塩をパラパラとかけて夕ご飯とした。おいしかった。ごちそうさま。
 今日の鍋は鶏がら出汁の澄んだスープで作ったが、明日は今日の鍋の残りに追加で冷凍あさりとチンゲンサイを入れてマッシュルームホワイトクリームスープ缶と牛乳を加えてクラムチャウダー風にしたらどうだろう。おいしいかな、どうかな、おいしいといいな。     押し葉

加湿器の快適

 我が家では冬になると加湿器が大活躍する。愛用しているのはスチームタイプの加湿器で、加湿器の中で熱湯を沸かしその湯気を立ち上らせるタイプのもの。いろんなメーカーのいろんな種類の加湿器を使ってきてみて、それぞれ一長一短ありつつも、壊れては買い直しまた壊れたら同じものを買って使っている機種がある。このタイプの加湿器を買うのはもう4個目だろうか5個目だろうか、というくらい。そんなに上等なものではなく、お値段もお手頃で、数年使って壊れたら、それまでの働きに感謝しつつ、迷いなく捨てて新しいものを購入する。

 最初の何回かは壊れたらその加湿器の全てをまるごと燃やせないゴミとして廃棄処分していたのだが、今年の冬支度の段階で(もしかすると去年の冬支度のときかもしれない。去年のことなのか、今年のことなのか、昨日のことなのか、今日のことなのかがよくわからなくなることが増えている)試運転をしてみたらその加湿器が作動しなくなっており、これはまた廃棄せねばということになった。もちろん同じ機種の予備は既にあり、それを出せばいいだけだ。が、そこで、いや、ちょっと待てよ、壊れた加湿器は本体はだめになっても、中の水を入れるタンクは全然問題ないじゃんね、と思い至る。ということは、タンクだけ保管しておいて、作動中の加湿器の水がなくなったときに交換で入れるタンクとして使えるのでは、と。

 これまでは、作動中の加湿器のタンクの水が少なくなると、加湿器がお湯を沸かす音と場合によっては湯気のにおいで『ああ、もう少しでタンクの水がなくなるのですね』と感じていた。あるいは、完全に水がなくなり加湿器が自動停止したあとになって『ああ、給水が必要になっていたのね』と気づくこともあった。どちらにしてもその段階で加湿器の中のタンクを取り出し、水道まで持っていき、蛇口をひねって水を出し、タンクの水を満杯にして、タンクのキャップを閉じ、タンクに付いた水滴を拭き取って、加湿器本体に戻し、リセットボタンを押す、という一連の作業が必要であった。

 しかし、二個目のタンクがあれば、1個めのタンクが稼働している間に2個めのタンクに給水して加湿器の側に置いておけば、稼働中の加湿器の水がなくなりそうな気配がした時でも給水ランプが点灯したときにでも、その場で二個目のタンクに入れ替えることができる。そして空になったタンクは、その場で給水して用意しておいてもよいけれど、水道の側にしばらくは放置しておき、2個めのタンクが作動している間(7時間以内くらい)に給水の作業をすればよい。

 この「今すぐに一連の作業をしなくても大丈夫」というシステムは、私にとってはたいへんにストレスが少ない。先日のティッシュペーパーの2箱重ね体制もそうだけど、ここにないから取ってこなくてはならないことや、その作業に数十秒以上の時間がかかる、というのがどうも私はあまり得意でない、というか苦手なのであろう。そしてこういう種類の得意でもなく苦手なことは、それを解決する他の手立てを工夫できるなら、残りの人生この年になってまで従来のやり方のまま精進してそのことが得意になるようにあるいは苦手ではなくなるように心がけたり努めたりしなくてもかまわないことであろうと思う。

 加湿器のタンクの水がなくなる時には私の場合はだいたい音でわかる(耳栓をしていてもわかる)から、通りすがりに加湿器の蓋を開け、タンクの水が少なくなっているのを確認し、加湿器を置いている棚の下段に待機させてある2個めのタンクに入れ替える。渇水する以前の交換であればリセットボタンを押す必要もなく、加湿器はそのまま連続で作動してくれる。

 夫は加湿器の水が少なくなった時の音はよくわからないらしく、すでに渇水していてもあまり気が付かない。それでも私の冬の健康のために加湿活動にご協力くださいと依頼してあるから、一応朝出勤する前には、夜の間に少なくなったタンクの水を満水にしてから出かけるのを習慣にしている。夫の休日に私が仕事で、私のいない日中夫が家でひとりで過ごしている間は加湿器が渇水のままだったとしても、私が帰宅する前には満水にして加湿しておいてくれるようにもなった。その手間を惜しんだり忘れたりして、私が乾燥した空間で体調を崩し寝込んだり、寝込みまではしなくても日常生活の稼働力が著しく低下すると、夫にとっても暮らしの質が低下することにつながるし、家族の具合がよろしくないよりは健康な方がよろしいものなので、夫も加湿の手間くらいで、そのよろしさが維持できるのであれば加湿しよう、と思ってくれるようになったのかもしれない。

 冬といえばインフルエンザの季節だが、私の体は何度かいろいろ試してみた結果、インフルエンザワクチンを接種するとその後まるでインフルエンザのようでありながらインフルエンザではないひどい風邪をひくことがわかった。あたかもインフルエンザのごとき重症なのにインフルエンザではないためむやみにインフルエンザの治療薬を使うのはためらわれ、そのくせ治るのに数週間か場合によっては数カ月もかかり、その間の生存の質が著しく低下する。それならもういっそのこと、インフルエンザの予防接種を受けるのはやめて、加湿と手洗いうがいとマスクとビタミンCとプロポリスで予防しようということにした。それでもし感染発症したらその時にはインフルエンザ治療薬を使用するほうがよほど軽症で済み早く治る。

 そうはいっても仕事柄インフルエンザに感染したご家族複数名様に連続してインフルエンザの治療薬をお渡しし使い方を説明する機会は必ずある。そうすると、あ、まずい、このままだとたぶん発症する、という感覚を抱くことがある。そういうときには、ささっと麻黄湯を服用し、帰宅してからも寝る前にもう一度麻黄湯を飲んで早めに就寝する。翌日もまだちょっとまずかなーという感覚があれば、1日3回か4回こまめに麻黄湯を飲み、手洗いうがいの頻度を上げる。

 これだけの手間をかけたとしても、自分が存在する空間の湿度が低い状態では、手間をかけた効果は十分に得られず、鼻の奥から喉にかけての粘膜が簡単にやられる。一度やられた粘膜が回復するにはこれまた時間がかかり、その間は痛みと違和感があり、痛みと違和感がある間は仕事の質も生活の質も睡眠の質も低下する。

 だから、私の冬の暮らしにとって加湿器はもはや必須なもので、その加湿器をより快適に、加湿器そのもののお世話にかかる手間のストレスは少なめで、加湿器の働きの恩恵に与ることができるとありがたい。自分で自分の身体のお世話をするのにも、加湿器のタンクに給水するたびにいちいちうっすらと面倒くさく感じるよりは、はいはい、ここに既に用意してある満水タンクに交換すればいいだけね、と気軽に取り組めるほうが、より質のよいお世話をしやすい。

 そう思うと、これまでの約10年前後かそれ以上の間に、少なくとも3台は、もしかするとそれ以上の個数、今使っているタイプの加湿器を廃棄してきたのであるが、あのとき捨てたタンクが手元にあれば、タンク3個態勢や4個態勢にできていて、給水作業の頻度がもっと少なくなっていたのではないか、と思いそうになる。しかし、何年も前に捨てたものに関して今更惜しむのは、なんというかある種のお門違いであろうから、今後もしまた今使っている加湿器を捨てることがある時には、タンクの部分だけは予備に取っておき、水を入れたタンクを複数待機させる体制にして、我が家の冬の加湿生活をこれまで以上に快適で安定したものにしてゆきましょう、そうしましょう。     押し葉

虹をくぐる

 日曜日の食材買い出しからの帰り道、東の空に虹が見える。くっきりとした色の濃いそして太く薄まったところもちぎれたところもない、どちらの根本もしっかりと見える見事なアーチ型。夫が「二重だ、外側にももう一本虹がある」と言う。どこにどこに?と訊くと「正面の虹の外側に、ほら」と指差す。「濃く見えている虹とは色の並びが対称のやつ。赤橙黄緑青藍紫が逆に並んでるやつ」と言う。指さされた方を見るとたしかにうっすらともう一本の虹が見える。

 夫が「子どもの頃、『虹の下をくぐるぞ!』と言って、チャリで疾走したことがある。どこまで走ってもくぐれんかった」と言う。

 うっすらとした虹はちょくちょく見かけても、こんなに太くて濃い虹を見るのは珍しく思える。生きている間にこんな虹と遭遇するのは何度くらいあるんだろう。これまで生きて見てきた虹の中では今回の虹が一番立派だったかもしれない。     押し葉

ティッシュの快適

 ティッシュペーパーの最後の一枚を使い切った時に次のティッシュの箱を出してきて置く作業をするたびに決してうきうきでもわくわくでもない面倒くさい気持ちになるのがあまり好きではなかった。新しいティッシュを出してきておこうと思っていたのにそのまま忘れて次にティッシュを使おうと思った時にいつもティッシュがある場所にティッシュがないとひどくがっかりするし、その時点でティッシュを出してくるのはなんだかとても億劫に感じられる。自分が最後の一枚を使い切った時にはもちろん、夫が最後の一枚を使い切ったにもかかわらず、すぐに次のティッシュの箱を出して来ずそのままあとでしようと他のことをしているうちに忘れて、あるいはそれを見た私が「速やかに次のティッシュを出しておいてね」と言っても「わかった」とだけ言ってすぐにはそうせず結局忘れて私がティッシュを使いたい時にそこにティッシュがないという状況はさらに好きではなかった。

 ティッシュを一番よく使う場所は居間。食卓の端にティッシュの箱を置いて、食事中でもリビング側でくつろいでいる時にもどちらからでも手が届くところに設置している。次によく使うのは洗面台の横の棚に置いてあるティッシュ。

 なんとなくこうしたらどうだろうと思い、一年か二年くらい前からよく使う場所のティッシュは二箱重ねて置く体制を取ることにしてみた。上の段のティッシュを使い、下の段のティッシュは口を開けてはあるが中身は出していない状態で上の段の箱の下に置く。上の段のティッシュがなくなったら下の段のティッシュを引っ張り出してそれを使い始める。そうしたらその時点でもよいししばらくしてからでもよいし、とにかくそのティッシュを使い始めて数日以内に次の新しいティッシュの箱を出して来て開ける。そうしてその時に使っているティッシュの箱の下に置く。

 この方法であれば、使い終わっても既に次のティッシュはそこにあり、新しいティッシュを出して来なくてはティッシュが使えないということもなく、新しいティッシュを片付けてある場所に行った時についでに次のティッシュの箱を取ってくるのはそれほど苦ではなく、夫が少々忘れたとしても新しいティッシュを持ってくるように彼が実行するまで何度でも言って待つ余裕も生まれる。

 むかしに比べると最近のティッシュは箱が随分と小型になり、二段重ねてもさしてかさばらない。二段重ねてちょうど昔のティッシュ一箱分くらいの高さのようで普段使うにはちょうどよく感じる。

 暮らしの中にはいろんな生活用品があり、その中でもティッシュやトイレットペーパーといった紙類は個人的になんとなく好きな部類のもので、できることならば自分が好きな生活用品を使うにあたり快適は多めに快適でないことはごくごく少なめにしたい気持ちがある。こんなふうに暮らしの中の些細なことでも工夫を思いつきやってみてその快適により自分で自分をこの世でもてなし、そうして自分が自分からもてなしてもらった嬉しい気持ちが自分と自分のだいじな誰かやふとしたときに接した誰かの仕事や暮らしや人生の質のようなものを高める力のようなものにつながるならばそれはさらに嬉しいことで、そういう工夫をできるときにはたゆまずそうしつつ生きている間を生きていく。     押し葉

お風呂とシャワー

 少し前のある日の夜、夫が私に「今日お風呂入る?」と声をかける。湯船にお湯を貯めるかシャワーで済ませるかの差はあるにせよ基本的に毎日入浴する私になぜわざわざそんなことを訊くのだろうと思いつつもしかしたらと多少の期待もしつつ「うん、入るよ。もしかしてお風呂にお湯を入れてくれるん?」と訊く。夫は「いや、そういうわけじゃない」と言う。「私が湯船に入るなら湯船にお湯が貯まるのを待って自分も入ろうかなっていうこと?」と訊いても「うーん、そうじゃない」と言う。「じゃあ、夜更かしするのはよくないから私に先にシャワーを浴びてしまいなさい、ということ?」と訊くと「いや、そういうわけでもない。これからおれがシャワー使うつもり」だという。「ええと、これからシャワーを使うにあたって、今日私がお風呂に入るかどうかを確認すると何か変わるの?」と尋ねると夫はしばらく考えて「考えてみたら、何も変わらなかった」と言う。
 なんだろう、入浴前になんとなく妻と会話をしたい気分だったのだろうか。私が入浴するかどうかを確認しなくても「先にシャワー使うね」と声をかけてくれれば「はい、どうぞ、ごゆっくり」と会話ができてそれでよいような気がするのだけど。     押し葉

ようこそプロテオグリカン

 通信販売を利用していると誕生日のある月に「この中からお好きなものをお誕生月プレゼントとして差し上げます」という案内が届くことがある。そういう時にそれまでは使ったことのないものをもらってみて試した結果『自分にはあまり必要性が高くなかったな。購入することはなさそうだな』と思うことが多い。しかし昨年もらったものと今年もらったものに関しては『お、これは、いい』と感じるものにあたり、まんまと定期購入の申込みをする運びとなり、我ながら、よき消費者だ、いいお客さんだ、と思う。

 この夏出会ってよかったのはサプリメントのプロテオグリカン。売り文句としては顔面のリフトアップなど美容方面を強く押し出している。しかしプロテオグリカンにはそれ以外にもいろいろと期待できることがあり、私が特に期待して試した結果これはいいと思ったのは関節が滑らかに軽やかになる感覚。関節の痛みや違和感の対策としてこれまでコンドロイチンZS錠を愛用してきたが、それとはまた少し異なるかんじで膝がラク。このかんじなら、コンドロイチンをこれまで1日2回飲んでいたのを1日1回に減らして、プロテオグリカンを追加するといいかも、と考え続けてみている。今のところその飲み方で関節のかんじがちょうどよいので当面はこの飲み方でいってみようと思う。

 コンドロイチンZS錠は夫も愛用していて、我が家には夫用のコンドロイチンと私用のコンドロイチンのボトルがそれぞれにある。蓋の上に各自の名前の一文字目のひらがなを書き誰のボトルなのか見分けている。コンドロイチンの売り文句としては関節対策を強く謳っておりもちろん関節に頼もしい働きをしてくれるのだが、私の体の場合はドライアイ対策と皮膚の乾燥対策でも助けてもらっている。製品の効能効果としては関節痛、筋肉痛、腰痛、五十肩以外に、神経性難聴、音響外傷性難聴、疲労回復もあるのでなんとなく聴こえをもう少ししっかりさせたい気がする方にもお仕事柄や趣味の方向や暮らしと人間関係的にできることなら耳の機能を年相応以上に保ちたい方にもおすすめ。ビタミン系の栄養剤を飲むと汗や尿がビタミンくさくなるのが苦手な方の疲労回復目的にも。

 プロテオグリカンの歓迎日記のつもりで書き始めたのに、最後はコンドロイチンいいよね日記になったなあ。     押し葉

曾祖母の名は

 母方の曾祖母の名前が思い出せず、フジさんだっただろうか、フネさんだっただろうか、と考えていたが母からの情報によると正解はタケさんであった。フジさんともフネさんとも一文字も合っておらず、二文字の名前というのだけがかろうじで合ってはいるが当時の女性名は二文字(二音)のものが多かったのだからそれは合っているといううちには入らない気がする。島根の大きいおばあちゃん(曾祖母)はタケさんという名前だったのかと、それは思い出すというよりは、知らなかったことを新たに知った感覚。

 そしてタケさんの配偶者、つまり私にとって母方の曽祖父は和一郎さんという名前だったのだそうだ。私が生まれたときにはもう和一郎さんは他界していたので会ったことのないひいおじいちゃんであるが、お墓参りの時にはお墓のどこかにご先祖様方のお名前として和一郎さんの名前も刻まれているのであろうに、あああの和一郎さんね、というかんじではなく、そうなんだーひいじいちゃんは和一郎さんという名前だったのかー、とこちらも初めて知る新鮮な気持ち。

 母の姉は和子さんという名前なのだがその和子おばちゃんの名前はこの和一郎さんから一文字もらっているのだそうだ。和子おばちゃんが和子さんなのは小さい頃から知っていたけれどその和の字が曽祖父(和子おばちゃんや母にとっては祖父)の和一郎さんにちなんでいるというのは今回初めて知った。

 ご先祖様方、特にすでに他界しているご先祖様方のお名前は知らなくても日常生活にこれといった支障はそれほどないけれど、知らないよりは知っているほうがなんとなく、会ったことのある人も会ったことのない人もその存在の輪郭が明瞭に感じられる気がする。     押し葉

祖母の名は

 住んでいるマンションの大家さんが変わりマンション名が変わったのは昨年末のことである。至急で各種変更手続きをする必要はないけれど何かのついでのときにまとめて変更しようと考えていたら今年は運転免許証更新の年でそれならこの機会にいっきにいろいろ変更しましょう、と決める。市役所で手続きを行い住民票を発行してもらったものを持って運転教育センターで免許証更新手続きをする。免許センターの人が「住所は変更なくマンション名だけ変更なんですね。そんなこともあるんですね」と言われる。「はい、大家さんが変わりまして」と応えると「じゃあ、マンションをきれいにしてもらえたんかな」と問われ「外壁と物置の屋根がきれいになりました」と答える。「部屋の中は?」と訊かれ「それは今までのままですね」と言うと「そこまできれいにしてもらえるといいのになぁ」と言われる。

 免許証更新手続きのあとは再び市役所に赴いてマイナンバー通知カードの裏書きにマンション名変更を記載してもらう。住民票のマンション名変更手続きに行く前に市役所に電話して必要なものを質問しマイナンバー通知カードについても持参したほうがよいか訊ねたら「マイナンバー通知カードは番号を通知するためだけのものなので持ってきてもらう必要はないがマイナンバーカードがあるのならそれは必要」という回答で持っていかずにいたら「マイナンバー通知カードの裏書きも訂正しますのでもしあれば」と言われたため、う、う、やっぱり要るんじゃん、と思いつつ二度目に持参し直したマイナンバー通知カードの裏書き訂正をしてもらう。

 マイナンバー通知カードを使う予定がなければしばらくそのままでもよかったのだが、私の健康保険証の住所のマンション名変更手続きを行うためには住民票と運転免許証とマイナンバー通知カードのコピーがそれぞれ必要で、ここでマイナンバー通知カードが必要なのであればマイナンバー通知カードの裏書き訂正もしておこうということに。職能団体組合の健康保険証の変更手続きは郵送でも可能だが事務所がわりと近所にあることがわかったため市役所の帰りにそのまま立ち寄り手続きを行った。

 この一連の作業のうち最初の住民登録窓口で書類を書いていたときに隣の台で書類を書いていた人がおもむろに携帯電話を取り出し電話をかけ「今市役所で手続きしてるんだけど、おじいちゃんの名前が思い出せん、なんていうんだったっけ」と身内と思われる方相手に訊いていた。同居にしても別世帯にしても住民登録関係の手続きを代行するくらい近い近親者であっても祖父の名がとっさに思い出せないということがあるのか。ええと、私は自分の祖父母の名前は思い出せるかしら。父方の祖父は真一さんで祖母は志ず枝さん、母方の祖父は慶一郎さんで祖母はアサさん。ん、大丈夫。でも祖父母の兄弟姉妹の名前となると、会ったことのない人については仕方がないにしても、会ったことがありしかもかなりかわいがってもらいよくしてもらった人であってもその名前が思い出せない。ああ、市役所で祖父の名前が思い出せない人もこんなかんじで思い出せなかったのかもしれない。

 帰宅して夜になり夫に「自分の祖父母四人全員の名前はすっと思い出せる?」と尋ねる。夫は眼球を上側に半分ぐるりと動かす間だけ少し考えて「ひとりしか思い出せない」と言う。「父方のじいさんだけわかる」と言う。夫の父方の祖父の名前は勝美さん。勝美さんの妻にあたるおばあさんのところには結婚後は帰省のたびにふたりで挨拶にうかがい、そのおばあさんが入院したあとは病院にお見舞いに行ったこともある。それでも夫にとって父方のおばあさんは「おばあさん」であって固有名詞では認識していなかったのだろう。

 夫と夫の妹のえりりちゃんは一歳違いで、えりりちゃんが生まれてすぐは産後の義母は新生児のお世話でたいへんで、新生児とは別の形でお世話の手間のかかる当時一歳児の夫は母方の祖母宅(徒歩10分弱の近所)にしばらく預けられ育ててもらった期間がある。夫が三歳の頃に手術のため入院した時に義母と交替で付き添って世話をしてくれたのもその祖母だ。だが夫はその祖母の名前もおぼえていないという。そのおばあさんが生きていた頃はやはり帰省したときにはかならず挨拶に行っていた。おばあさんは夫のことを孫の中では特別にかわいがっているのだという風情で「他の者にはないけん黙っときんさいよ」と言って押し入れの奥から上等そうな箱に入ったカステラを出してきて夫に持たせてくれる。それを義実家に持ち帰り義母に報告すると義母はカステラの箱を確認し「やっぱり。賞味期限がとうに切れとる。食べちゃぁいけんよ。これは私が捨てとくけん」と引き取ってくれた。きっと祖母は今度孫(夫)が来たら持たせてやろうと思って自分ではそのカステラを食べずにだいじに取り置いてくれていたのだろうなぁ。

 そんなにかわいがってもらった祖母の名前も含めて、夫が四人中三人の祖父母の名前が思い出せないということは、市役所で隣りにいたあの人もそんなかんじで思い出せないのかもしれない、とまた思う。夫の祖母二人に関してはそれぞれの葬儀に私も参列したにもかかわらず、私も彼女たちの名前を記憶していない。「夫のおばあさん」とは認識していてもそれぞれの固有名詞では認識していないということだ。お墓に参ればどこかに名前が刻んであるのだろうに、孫(夫)も孫の配偶者(私)も何度も会ったあの祖母たちの名前をおぼえていない。

 私は祖父母の名前は思い出せても祖父母の兄弟姉妹の名前となると思い出せないが、ならば会ったことのある曾祖母の名前はどうだろう、と考えてみる。父方のひいばあちゃんの名前はテルさん。テルさんは祖父の実の母ではなく祖父とは養子縁組をして親子関係を結んだもとは親戚の間柄だと聞いていたような記憶があるがあやふや。父方の祖母と曾祖母とは曾祖母が亡くなるまでの間同居していたこともありテルさんのことはその姿も名前もかなり鮮明に思い出せる。曾祖母のテルさんは背が低く小柄で、祖母の志ず枝さんは背が高いから、ひいばあちゃんは「ちいさいばあちゃん」で、おばあちゃんは「おおきいばあちゃん」と呼び分けていた。母方はと考えてみると、あれ、あれ、曾祖母の名前が思い出せない。母方の曾祖母は背が高くてどちらかというと大柄で、母方の祖母は背が低くて小柄だから、母方の曾祖母は「おおきいばあちゃん」で、母方の祖母のことは「ちいさいばあちゃん」と呼んでいたのはおぼえているのに。

 むむぎーとみみがー(私の弟の息子と娘)は私の両親の名前をおぼえているだろうか。たるるとかるる(夫の妹の息子たち)は義父母の名前をおぼえているだろうか。祖父母の名前を知る機会はどこかであったはずだとは思うのだけれども。

 と、ここまで書いてアップしたところで、お風呂からあがってきた夫が「おれのおばあさんの名前思い出した」と言う。「母方はシズエ、父方はアサヨ」「おばあさんたちの旧姓も知ってる」と言う。私が「父方祖母の旧姓はわかるけど、母方祖母の旧姓は思い出せないわ」と言うと夫は「勝った」と言う。勝ち負けはともかく、シズエさんとアサヨさんならば、漢字とカタカナの差はあれど、私の祖母である志ず枝さんとアサさんとほぼおなじ名前ではないか。それなのに「あら、私の祖母たちとよく似た名前のおばあさま方だこと」と思った記憶もなく過ごしてきたことが不思議。そして私の祖母の「志ず枝」さんの文字はもしかすると「志づ枝」さんかもしれない。「ず」だったか「づ」だったのか私の記憶があいまいなのは、祖母自身がその時の気分に応じて自分の名前をいろんな表記で記していたからだと思う。「静枝」と書くこともあったような。     押し葉

ラジオに合わせ

 来月職場で食事会がある。そのときに同僚と私合計五名が出し物で笛を吹く。私はテナーリコーダーにて伴奏する。その曲目のひとつが「ドレミの歌」。これまでも仕事を終えたあとで何度かの合同練習を行いみんなだんだん上手にそしてたのしく演奏できるようになってきた。食事会当日直前にはさらに連日の合同練習を行う。練習を重ね、曲順を工夫し、所要時間を計り、当日に備える。そんな中で、当日聞いてくれる人たちもただ聞いているだけではたいくつだろうから歌詞カードを作成したものを配布して歌いたい気分のひとには歌ってもらおうということになった。

 曲目を決め楽譜を用意してくれる面倒見のよい同僚が「ドレミの歌 歌詞」で検索して出てきた歌詞を参考にかわいらしい柄入りの歌詞カードの作成に着手してくれた。彼女は試しに印刷したものを私に見せて「添削校正おねがい」と言う。歌詞の文字を目で追いながらつらつらと口ずさみ「あ、ここ、一文字抜けてます、ここは同じ文字が一個多いです」と指摘する。彼女が「あ、ほんとだ、ほんとだ」と修正し印刷し直してくれる。それをもらってもう一度読み直す。今度は大丈夫、完成だー。

 そうやって作成した(同僚が作成してくれた)歌詞カードの歌詞はおなじみのドレミの歌ではあるのだけど、私が幼い頃から諳んじている歌詞とはその一部がちがっていて、あれ、と思いはしたものの、どちらが現代の現実に即しているかというとそれは今回作成した歌詞カードのほうなのでそちらをそのまま採用。

 私が諳んじている歌詞は「ドはドーナツのド、レはレモンのレ、ミはみんなのミ、ファはファイトのファ、ソは青い空、ラはラッパのラ、シはしあわせよ、さあ、うたいましょう。どんなときにも、列を組んで、みんなたのしく、ファイトをもって、空を仰いで、ラジオに合わせ、しあわせの歌、さあ、うたいましょう」

 この歌詞のどの部分が現代の現実にあんまり即していないかというと二番の「ラジオに合わせ」の部分で、今回作成した歌詞カードによるとこの部分は「ラーララララララー」と歌う。

 現代でもラジオをこまめに聴く人はいるところにはいるのだろうが、そしてラジオに合わせて歌うひとは歌うのだろうが、私はもう長いことラジオを聴いてもいなければラジオに合わせて歌ってもいない。ラジオに合わせて歌ったのはいつが最後だったのか思い出そうとしても思い出せない。夫はひとりで運転する時には車中でラジオを聞くが歌うことはないという。

 テレビならばどうだろうと考えてみてもテレビを見ながらテレビで流れる歌に合わせて一緒に歌うことはもうない。夫はごくたまに広島カープの成績がすごくよい時に球場で流れるカープの歌に合わせて一緒に歌うというほど大きな声ではなくごく控えめに歌詞を口ずさみつつ小さく拳を振ることはある。私はどうかと考えるとテレビではそもそも歌詞付き音楽が流れるような番組を見ていない。オープニングやエンディングの音楽はあっても歌詞はないか、歌詞はあっても外国語過ぎるかシャウト系すぎるかで一緒に歌うことがない。ずっと以前であればアニメの主題歌の歌詞を書き取り暗記しテレビで流れる時には一緒に歌っていたことはある。けれど今の暮らしでは、ラジオも聴かず、テレビもごく限られたものしか視聴せず、繰り返し見るブルーレイディスクの作品の音楽にも歌詞はついておらず(いや、厳密に言えば「あそびをせんとやうまれけむ、うふ、うふふふ」という歌詞のような部分はあるにはあるがその部分で唱和することはない)、PCで音楽を聴くときも歌詞があるものはあまり聴かない。ああ、数年前に突如アニメ「赤毛のアン」のオープニングとエンディングの歌をおさらいしたい気分になりPCで何度も繰り返し聴いて一緒に歌い、そしたらそれが止まらなくなり、ご飯を作るときもお風呂に入るときもずっとずっと歌うようになり夫は「ああー、このひと、またなんかに取り憑かれとってじゃわ」と言い、私も「だれかー止めてー」という状態になったことならある。

 それにしても「ラジオに合わせ」はもはや現代の現実にあまり即していないとしても、だからといって「ラーララララララー」ではあまりに芸がなさすぎるような気がして、あの曲の二番のラの部分の歌詞として何かよいものはないだろうか、と考えているがなかなかよい歌詞が思いつかない。「ラーレミファソラシー」の音階で「ラーム肉食べよう」と歌ってみたが夫は「ラジオに合わせ、よりも、そっちのほうがもっとない」と言う。私は人生の基本信条として快適に安寧に暮らし生きるべく努めてはいるがドレミの歌の二番のラのところで「らーくして生きよう」と歌いたいかというとなんとなくそれはちがう。「らーくしてトクをー」と歌うのはもっとちがうしそれは私の信条ではない。ドレミの歌の二番のラの部分、なんと歌えば歌詞としてのやる気と気持ちよさを得られるだろうか。     押し葉

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どうやらみそ

Author:どうやらみそ
1966年文月生まれ

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